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    協力の時代 ドルドン氏と出くわしたのはまったくの偶然だった。
     よりにもよってこのような場所で、と悔やんでも致し方のないことだ。王都インソムニアの片隅、賑わいを取り戻した街から逃げるように、道端で営業している夜鳴きそば屋での出来事だった。実に十年ぶりの再会である。
     ドルドン氏と最初に出会ったのは、私が駆け出しのライターであった頃だ。
     彼もまたジャーナリストの道を目指す青年で、首から安物のカメラを提げ、自らの未来に挑みかかろうと目を輝かせている男だった。マッチ棒か縫い針のように痩せ細った体で、その体に似合わぬ強靭なタフさを持ち、真実を求めてルシス中を駈けずり回っていた。何度か、ヒッチハイクをして彼と同じ車に乗り合わせた事もある。私たちは、友人というよりは同じ志を持つ同志として親交を深めた。
     彼はそれから運を掴んで出版社を立ち上げ、ラジオ局をも買収して「メディア王」と呼ばれるようになった。レスタルムに本社を置き、出版事業に力を入れる彼とは対照的に、私は一年の大半を旅の空で過ごす生き方を選び、顔を合わせることもほとんどなくなった。彼の会社から仕事を受けることもあったが、彼自身と会うのは久しぶりの事である。
     本来ならば再会を喜び、若かりし頃の思い出話に花でも咲かすのが当然だろう。けれど会った場所が悪かった。何せ夜鳴きそば屋だ。のれんの先には、ガルラの骨からとった濃厚なスープと、香ばしく焼いた分厚いチャーシューの載るラーメンが待っていた。
    「キミ、また肥ったんじゃないかい」
     開戦の口火を切ったのはドルドン氏だった。
     私はのれんを潜ってプラスチック製の席に座りながら、「横に避けてくれ、狭いだろう」と返した。ドルドン氏はまた肥ったらしく、座った椅子が哀れに思えるほどだった。巨漢の私と並ぶと、屋台の小さなカウンターがより狭苦しく感じる。
    「もうこの年になると、脂肪ってヤツは落ちないもんだねえ」
    「その脂肪は落とす気がない癖に、何を言う」
     私の悪態を、ドルドン氏は笑って受け流した。
     彼が肥った原因は、過去の遭難と放浪生活に依ると聞く。飢えに苦しんだ彼は、自分の体に脂肪を溜め込んで、いざと言う時に備えているのだそうだ。それを聞いた時には呆れて物も言えなかった。ちなみに私の腰回りは、単なる加齢に依るものだ。彼のように、いざという時に脂肪を切り取って食べようとしている訳ではない。ラクダではあるまいし、彼の脂肪が食に耐えうるとも思えない。
    「ラーメン一つ」と普段のように注文すると、愛想のない店主は頷いて麺を茹で始める。湯気に含まれる麺の香気が、否応無しにこれからラーメンを食べるという気持ちを高める。
    「それにしても久しぶりだねえ、元気そうで良かった」
    「そっちこそ。事業も安泰みたいで何より」
    「お陰様でね。今度ウチでまた書かない? ルシス・ニフルハイム・アコルドの復興事業を追うんだ」
    「考えておこう。一本予定が入っていてね、明日からニフルハイムへ行くんだ」
    「相変わらず忙しそうだねえ、じゃ、旅の無事をまず祈ろう」
     ドルドン氏はビールを注文し、店主から瓶を受け取ると更にコップを三つ頼んだ。
    「一つ多くないか?」
    「ああ、紹介が遅れたね。僕、今日一人じゃないんだ」
     ドルドン氏が体を反らすと、その巨体に隠れるようにして一人の男が座っていた。私たちよりも年若く、頰にそばかすが浮いた金髪の男だった。もっと若い頃は愛らしい顔立ちだったのだろう、顎髭を蓄えた細面にはかつての愛嬌が伺えた。
    「ども、プロンプト・アージェンタムです」
     ドルドン氏の腹の前に手を差し出してきたアージェンタム君に、私も手を差し出して答える。どこかで聞いたことのある名前だと思ったが、その前にコップがやってきて、私たちはビールで乾杯をした。
    「彼はねえ、写真がとってもいいんだよ。数年前に出した『ルシスの英雄』シリーズ、見てくれたかい?」
    「ああ、アレは読んだ」
     世界にまだ光が戻らぬ頃、ドルドン氏が自身の雑誌で組んでいた特集だ。レスタルムに集う王の剣や王都警護隊に焦点を当て、写真とインタビューで彼らを描いた。戦い続ける彼らを鼓舞し、闇に沈む世界にも希望があることを、ドルドン氏は皆に知らせたかったのだろう。
    「あの写真は君だったのか」
    「ハイ、オレでした。そこまで上手くはなかったけど」
    「いや、いい写真だった。人の内面がよく写っていた」
     写真は人の表面を写し取るものだが、そこには被写体の内面も写り込む。上手い写真家は、本人も知らない人の内側を写しだすことができる。アージェンタム君は、人を写すのがかなり上手い方だろう。
    「褒めてもらえると嬉しいです」
    「もっと言ってやって。彼、最近サボッてるから」
    「撮っていないのか?」
     あれだけの腕前を持ちながら、と私が尋ねると、アージェンタム君は恥ずかしそうに笑った。
    「別の仕事が忙しくなってきちゃって。オレもこの後、ニフルハイムに行く予定なんです。趣味の写真は、いつも撮ってるんですけどね。それも最近は……ちょっと撮ってませんけど」
    「惜しいな」と私は素直な感想を口にした。腕を磨けば、写真家として大成するだろう。
     そう言うとアージェンタム君は照れ臭そうに笑って、「写真家の夢もあるんですけどね」と注文したラーメンの器を受け取りながら口にした。


     ようやく、夢を追うことのできる時代になった。
     闇の中をただ生き延びる時は終わり、太陽の下で人々は夢を見る。好きな時に好きな場所に行って、見たいものを見てやりたいことができる。かつて、我々が当たり前にしてきた事、そして奪われ、失われていた事を取り戻したのだ。
    「これからだなって気がするよ。ようやく太陽が戻ってきて、今はその光が眩しくて大切なものだって思えるけど、きっとすぐにそんな事忘れてしまう。それからだね」
     ガルラ肉のチャーシューが花弁のように大量に盛り付けられたラーメンを前に、ドルドン氏が口にする。彼は暢気で陽気に見せかけて、かなりシニカルな視点を持った男だ。私もそうだな、と同意する。失われた物は多く、けれど人は逞しい。道のりが長い事は分かりきった事だった。
     ラーメンを前にしてこれほど消化に悪い話もないと思うが、ジャーナリストが二人集まれば、こういう話になるのは自明の理である。私もガルラ肉のチャーシューが浮かび、その脂が輝くラーメンを目の前にしてふと尋ねた。
    「そういえば、こういう噂を知っているか? ——人助けをする黒服の青年たちの噂だ」
     私がそう言うと、何故かドルドン氏の向こうのアージェンタム君が軽く咽せた。
    「世界が闇に包まれる前、ちょうどニフルハイム帝国が国としての機能を失ったあたりに、よく噂されていた。黒服の若者たちが、行く先々で人助けをしていたという話だ。ルシスに大量に流入した避難民の間で、ちょっとした英雄になっていてね。ニフルハイムに行くついでに、噂の真相を調べてこようと思う」
    「どうしてそれが気になるんだい?」
     ドルトン氏は未だ咽せ続けるアージェンタム君を横目に、私に尋ねる。
    「何となくでしかないんだが、気になる。記事にしたい訳でもない。ただ、私個人の興味として知りたい」
     名前も知られず、人知れず戦って人々を救った者たち。
     私は昔から、そう言った無名の者たちに心惹かれるのだ。歴史に名を刻む英雄よりも、そういった黙して語らぬ者たちこそ、歴史を作っていくのだと思う。いつかは記事にまとめるかもしれないが、今はただ、どういった理由でか人を救おうとした彼らのことを、知りたいと思った。
    「それ、たぶんオレたちです」
     人生は大抵可笑しなことが起こるものだが、今回もとびきりの変事だった。
     ドルドン氏の向こうでラーメンを前に咽せていた男が、出し抜けにそんな事を言った。私は唖然として彼と、間に居るドルドン氏の顔を凝視してしまう。そして、彼らが嘘を言っている訳でも冗談を言って私を揶揄っている訳でもない事を理解した。
     灯台下暗しと言うのか、瓢箪から駒とでも言おうか、真実は案外近くにあったらしい。
     アージェンタム君は十年前、ルシスやアコルド、ニフルハイムを旅していたそうだ。男ばかり四人の旅で、行く先々でハンターもどきの仕事を請け負い、シガイや六神の騒動で被害に合った人たちを助けてきた。
    「噂がまだ残ってるとか、思ってなかったんですけど」
     そうはにかみながら言って、彼は胸に仕舞っていた写真を一枚見せてくれた。
     そこには若く、美しいとさえ言える青年が四人、明るい陽の光の下でこちらに笑顔を向けていた。噂通り、見事に皆黒づくめの姿をしている。顔立ちも整った四人だったが、何よりその無邪気な笑顔から、彼らの弾けるような若さの美しさ、無垢とさえ言えるような善意が受け取れた。当然その中にアージェンタム君もいて、そばかすの浮いた愛嬌たっぷりの顔で歯を見せて笑っている。
     写真を目の前にして、あまりに屈託のないその一枚に、私はうっかり涙腺が緩みそうになってしまった。そこには私にもかつてはあった、若さと未来への溢れんばかりの希望があった。今となっては、思い出の中で懐かしみ、愛おしむだけの過去でしかない。
     アージェンタム君は二十歳の頃、この友人たちと旅に出た。
     旅に出てすぐ、ガーディナ渡船場でインソムニア陥落の知らせを受け、帰る国をなくした。それから流されるようにルシス国内を巡り、やがて船でアコルドに向かった。だがそこでも六神の災害にあって、最終的にたどり着いたのは、既にシガイが街を跋扈するニフルハイムの首都、グラレアだった。
     どうして彼らが、闇を追うように旅を続けたのか、理由を彼は私に話さなかった。
     ただ、彼らが旅の間、どんな風に過ごしていたかを、彼はぽつりぽつりと打ち明けてくれた。
     歴代の神凪たちが整えた標で、キャンプをよくした事。仲間内にとても料理の得意な男がいて、どういった技法なのか、火力の強いキャンプの道具で柔らかいケーキまで焼いた。ハンターとしてやっていくために、戦闘技術を持つ仲間に稽古をつけてもらった事。毎日体を酷使するから、全身の筋肉が悲鳴を上げて、それでも日々強くなる自分を実感した。満天の星空に胸を打たれて、世界が焼けるように赤く染まる夕焼けを切なく思った。朝、仲間たちと挨拶をすると、その日に何が起こるのかいつも胸が高鳴った。
     中でもよくアージェンタム君の口から語られたのは、黒髪の青年の話だった。
     仲間の中では特に強く、けれど心優しい青年だった。お人好しと言っても良いだろう。人見知りをよくして、恥ずかしがるとぶっきらぼうになった。野菜が嫌いだった。釣りが好きだった。彼が釣りを始めると、アージェンタム君は長い時間待ちぼうけを食らう事になった。でも、釣りをする青年の背中が好きで、よく写真に収めた。哀しい事があると、泣くのを我慢する癖があった。一人の女性を、幼い頃から一途に愛していた。
     話を聞いているだけで、実に可笑しな事だが、私は彼の事が好きになってしまった。
     一見愛想のない、ともすれば私のような『おじさん』が嫌うようないけ好かない男に見えて、中身は愛情深い、どこまでも善良な青年だった。きっと誰もが青年と出会って言葉を交わせば、皆その青年を好きになってしまっただろう。
     青年はその、素直な心のままに人を救った。私が噂で聞いたのは、彼らがした事の一部だったのだ。
    「それで、今、彼はどこへ?」
     話し終えたアージェンタム君に尋ねたが、彼は少し哀しそうに微笑んだだけだった。私はそれ以上聞くのを止めた。
     夜鳴きそば屋には私たちしか客がおらず、店主はいつのまにかのれんを下ろして、私と同じようにアージェンタム君の話に耳を傾けていた。グラスに新たにビールを注いでくれて、私はそれを軽く宙へ掲げる。アージェンタム君と共に旅をした、黒髪の青年に捧げる杯だった。
     名も無き英雄たちは、こうして歴史の影に消えていく。
     彼らの繋いだ命が残り、明日もきっと穏やかに陽は昇るのだろう。
    「ありがとう、良い話を聞かせてもらった」
    「いえ、オレも話せて良かった。まだ、そんな風にオレたちのこと覚えてる人がいたって、知れてよかったです。……忘れられてなかったって」
    「忘れるはずがないさ。私も覚えた」
     はい、と頷くアージェンタム君の目の淵には涙が滲んでいた。私たちは固く握手をして、「またどこかで会おう」と言って別れた。最後の頃はずっと黙っていたドルドン氏も、手を差し出してきたので私もそれに応えた。
    「今日は、キミに会えて良かったよ。本当にまた、ウチで書いてよね。キミみたいな人が、この先の時代には必要なんだ。皆が見逃してしまうような小さな、道端の歴史を拾ってくれる人がね」
    「褒め言葉は素直に受け取っておこう。じゃあ、また近いうちに。ニフルハイムの土産話を肴に話そう。——今度はもう少し、健康面に配慮した店で」
    「脂肪はね、大事だよキミ。いざって時に」
     それはお前だけだ、という言葉は、昔のよしみで黙っておいてやった。


     そして私たちは別れ、それぞれの旅にまた出ることになった。
     私はニフルハイムへと向かい、闇の名残を色濃く残し、シガイの爪痕もまだ新しい街を見て回った。
     人々は疲弊しきっていたが、それでも、陽の光を浴びて希望をその手に掴んでいた。新しい時代の幕開けに、私は今も旅を続けながら立ち会っている。
     ドルドン氏と言えば相変わらずの辣腕ぶりで、今度は王都インソムニアでテレビ事業を始めるらしい。「メディア王」の名声をほしいままにしているが、それより先に彼は自分のダイエット特集でも組んだ方がいいだろう。
     そんな折、久しぶりにドルドン氏の編集する雑誌の表紙を目にする機会があり、私は書店の店頭で情けなくも悲鳴を上げる羽目になった。それを報告し、「そんな世捨て人みたいな旅ばかりしてるから、ジャーナリストの癖に世情に疎くなるんだよ。顔も知らないなんて」とドルドン氏に皮肉を言われるのも、また別の話である。
     最後に、まだどのような形で世に出すかも決まっていない、私の覚書のような文章のまとめとして、新聞の一節を引用して締め括りとしたいと思う。闇に包まれていた時代に、希望が灯されたことを示すある日の記事だ。

    「『闇を照らす知恵と力』

    空の月が隠れようとも、
    私たちの頭上では今も月は輝いている。
    目に見えないものを確かに存在させるには、
    そこにあることを識ることが必要だ。
    今、世界を照らす光は知恵である。

    ——敵対から協力の時代へ。」

     人々が手を取り合い、この希望が萌芽する時代も生きていけるように。
     朝を取り戻し、歴史に記された最後のルシス王の名と共に、人知れず、歴史の影に埋もれた『黒髪の青年』のためにも、私はそう祈っている。
    にもじ Link Message Mute
    2018/10/10 1:41:24

    協力の時代

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