今日の佳き日に 目が覚めると、とてもいい天気だった。
カーテンを取り払った大きな窓から、燦々と降り注ぐ太陽の光がまぶしい。プロンプトが借りている王都城の部屋からは、一日中空をゆく太陽を見ることができる。元は使用人が使う部屋だったというそこは、王都で一番高い建物らしく見晴らしがいい。
空を焼く朝日から、街を明るく照らす昼日中の太陽と、何もかもをを赤く染め上げる夕日まで。太陽はただ空に輝いているだけではなく、刻一刻と輝きや色を変化させていくのだと、この部屋に住むようになってから知った。
部屋を借りてすぐにカーテンを取っ払ったから、おかげで朝は目覚ましがなくても目が覚める。
ベッドに体を起こして床に足を下ろすと、ベッドのそばのエンドテーブルに置かれた時計を見た。時刻と日付を確認して、そうか、と気がついた。そうだ、今日だった。
相変わらず白っぽく輝く部屋からは、朝日を受けて輝くインソムニアの街が見渡せる。ビルの窓に光が反射して、きらきらと街全体が輝いているようだった。
「……今日もいー天気だねえ」
一人呟くと、プロンプトは身支度を整えるために立ち上がった。
顔を洗い、髭を整え、服を着替えて部屋を出た。しかし、向かった先は使用人用の食堂ではなかった。
王都を奪還して闇を払ってからもそれなりに忙しく、旅に出ることも多いプロンプトだが、王都城にいる時はミーティングを兼ねて、朝は食堂に集まることになっていた。
ミーティングと言っても、たった三人で雑談しながら朝食を摂るだけだ。今後の方針に関わる重要な案件を話すこともあれば、王都で復活したラーメン屋の話をすることもある。プロンプトにとっては、もう家族も同然とも言える仲間たちとの、かけがえのない時間となっていた。
けれど今日は、食堂へ向かう足の向きを変えて、王都城の廊下を進む。
王都城には毎日少しずつ人が戻って来て、プロンプトたちの仕事を手伝ってくれている。今も廊下の隅で、掃き掃除をしているメイドとすれ違った。城の修復も順調に進んでいて、もう少しすれば完全に元の姿になるだろう。けれどこの城が、もう誰かの居城となることはない。住むべき王様がいないのだから、当然のことだった。
エレベータホールに出ると、上階へ向かう一機に乗り込む。
先に乗っていた若者が、プロンプトを見てはっとした顔になり、それから目を輝かせて「おはようございます」と挨拶してくれた。プロンプトはそれに「おはよう」と答える。朝が戻って以来、プロンプトたちはどうにも英雄的扱いを受けている。いかにも華々しく、表立った舞台に慣れた他の二人はともかく、やたら尊敬の眼差しを送られることにプロンプトに未だに慣れなかった。
若者はすぐ上の階で降り、プロンプトはさらに上階を目指した。
用がなければ上層階へ行くこともほぼないが、今日はさらに、プロンプトが初めて行くフロアだった。行く用事がない、というよりは、避けて通っていたに近い。
エレベータが目的の階に到着し、扉が開いても、プロンプトはしばらくその場に止まっていた。ルシスらしい重厚な装飾を施された廊下を見つめ、やがて自然にエレベータの扉が閉まりそうになって、とっさに『開』のボタンを押す。
押してしまえば覚悟が決まって、プロンプトはエレベータの外へ出た。
そこは王族の寝室があるフロアだった。正確に言えば、王子の部屋だ。かつて前王レギスも幼い頃、このフロアに部屋を持っていた。その息子は父親とは違う部屋を与えられて、ここで幼い頃を過ごしたという。彼がここを出たのは15歳の時だった。
一度、写真で見せてもらった幼い頃の彼の姿を思い浮かべて、その小さな姿が廊下の曲がり角から顔を覗かせるのを想像した。幼い頃からの側付きが言うことには、彼は「とても可愛かった」そうだ。そうだろう、とプロンプトも思った。とても可愛かったに違いない。世界中の愛を集めて、彼にすべて注いでもいいくらいには。
長い廊下の途中、いくつか並んでいる大きな扉の前に立つ。
金で装飾された重そうなドアノブを押すと、扉は意外にもスムーズに内側へと開いた。まず最初に感じたのは埃の匂い。そしてここも、燦々と降り注ぐ太陽の光が部屋の中に満ちていた。
部屋は青を基調とした、落ち着いた風合いの家具が並べられていた。天蓋付きのベッドが壁を背にして置かれ、反対側には勉強机だったのだろう、重たそうな木のデスクが置かれている。背後の書棚には革張りの本がたくさん並んでいるが、彼はいったいどれくらいの本を読破したのだろう。この部屋にあるものは、とにかく『王子』にふさわしくあるよう整えられた、上等なものばかりだった。
異様なのは、その上品に整えられた室内のど真ん中に、段ボール箱が何箱も積まれていることだった。
その箱には見覚えがある。プロンプトがその箱に、マンションの部屋一つ分の荷物を詰めたからだ。
一人でやったわけではない。四人がかりで、朝から晩までかかった。彼が結婚を控えて旅に出るというのに、いつまでもその支度をしなかったせいだった。
途中で漫画を読みふけって、何度も兄のような二人に叱られた。荷物の山を掘り返すたびに思い出が出て来て、話は尽きなかった。夜通し話す彼の瞳は、新しい星のように強い輝きを放っていた。プロンプトだってそうだったはずだ。翌日は王都を出て、初めて外の世界へ旅立つことになっていたのだから。
希望に満ちていた。喜びがあった。未来は輝いていると思っていた。
積まれた箱の表面をなぞる。
本来ならば、しかるべき倉庫などに置かれるだろう箱は、なぜか王子の寝室に積まれている。きっと、それどころじゃなかったのだ。文字通り世界が変わってしまうような出来事があって、皆それが終わったら、なんとかしようと考えていたのだろう。
手近な箱のテープを剥がす。テープは乾燥しきっていて、プロンプトに引っ張られるとぱりぱりと乾いた音を立てて砕けていった。箱を開けて中を覗けば、懐かしさに胸が詰まった。自分が好きだった漫画が詰められていた。子どもの頃、二人で夢中になって読んだのだ。
一冊手に取ってページをめくってみると、思い出が鮮やかによみがえるようで、プロンプトは思わずそこから顔を背けたくなった。高校生になって「初めまして」をやり直して、それから毎日が夢のように楽しかった。バカなことをたくさんして、一緒に遊んで、思いっきり笑った。
ページをめくるたびに涙ぐみそうになって、プロンプトは歯をくいしばって泣くのを堪えた。
「——プロンプト、どうしてここに?」
唐突に声をかけられ、はっとして顔を上げた。
夢中になっていたせいか、人の気配を全く感じなかった。というより、相手が相手だったから、あまり意識しなかったのだろう。部屋の入り口に立っていたのは、見慣れた黒い警護隊の服を着たイグニスだった。サングラス越しの、見えていないはずの瞳が、プロンプトを睨んでいるような気がする。
「イグニス、どうしたの?」
「それはこちらの台詞だ、ここで何をしている」
「や、なんとなく」
それしか理由が見当たらず、素直に答えるとイグニスの眉間に深いしわが寄った。
「ここにある荷物をどうするつもりだ。そのままにしておいてくれ」
「このまま?」
イグニスが言っているのは、今プロンプトが漁っているタンボール箱のことだろう。このまま、というが、いつまでこの状態にしておくつもりなのだろうか。ずっとこんな奇妙な状態を保っておけるとは思えない。
イグニスは戸惑うプロンプトに、まるで目が見えているかのようにつかつかと歩み寄ると、持っていた漫画本を有無を言わさず取り上げた。空いている手で箱を探り、そこへそっと戻す。
その苛立ちを含んだしぐさに、プロンプトはそばにある顔を見上げた。出会った頃は無表情に見えて恐ろしかった顔も、今ではその内側にある豊かな感情を見てとることができる。
「イグニスさ、もしかして、オレがこの荷物捨てに来たとか思ってる?」
「違うのか」
「違うよ」
彼の残していったものを、整理する気などない。
そう言うと、イグニスはあからさまにほっとした顔になった。
「なんかちょっと、懐かしくなっちゃってさ。ここに来るの、初めてだね」
元あったように箱の蓋を閉じると、イグニスがややあって答えた。
「オレは、一度。朝が戻ってから来た」
それ以上言葉が続かなかったのは、きっと長くはここにいられなかったからだろう。幼い頃からずっとここで過ごしてきたイグニスにとっては、プロンプト以上に思い出がたくさん詰まった部屋に違いない。
「そっか。でも今日は、まあ、来ちゃうよね」
プロンプトの言葉に、イグニスは頷く。やはりイグニスも、今日という日が特別な日だから、ここにやってきたのだろう。封をして見ないようにしてきたものを、確認しないといられなかったのだ。
「お前ら、何してんだ?」
振り返ると、入り口に新たな人物が立っている。
当たり前のようにそれはグラディオラスで、彼の——ノクティスの部屋にいるイグニスとプロンプトを見て、目を丸くしていた。プロンプトはイグニスと顔を見合わせ、「まあ、そうだよね」と笑った。
荷物はそのままにしておけと言ったくせに、イグニスの手にはサッカーボールがあった。
ノクティスの部屋から何か持ってきてもいいのだったら、あの漫画をぜひ持って来たかった。不満そうなプロンプトの視線をどう感じたのか、イグニスは「磨くんだ」と一言告げた。
「空気も少なくなっているようだから入れる。これは、きれいに保っておきたい」
「それ、ノクトのマンションにあったやつだよな」
同じように並んで歩くグラディオラスの問いかけに、イグニスは短く「レギス陛下に買っていただいたものだ」と答えた。そうなんだ、とプロンプトはまじまじとイグニスの手の中のボールを見る。なんの変哲もないサッカーボールだが、ノクティスが大事にしていた理由がわかった。
「サッカーは大好きだったが、怪我をしてからはあまりやらなくなってしまったな。それでもオレとはたまにパスの練習もしていたが、だんだん剣の稽古の方に夢中になってしまって」
「そりゃ悪かったな、サッカーの相手を奪っちまって」
グラディオラスのからかいを、ふん、とイグニスが鼻で笑う。
「まったくだ、その頃から乱暴な言葉も遣うようになってしまった」
「そうだな。でも小さい頃からしつけた割には、野菜嫌いもなおらなかったな」
「ハイハイ喧嘩はやめて」
プロンプトがやり取りを遮ると、「喧嘩じゃない」「喧嘩じゃねえよ」と二人の声が返ってくる。
プロンプトは笑いながら、磨かれた黒い扉を開いた。
明かりの灯されていない広間は、しんと静まり返っている。空気も冷たい。足を踏み出せば、靴音が高く響いた。破壊されていた窓はきれいに修復され、広間の横からまっすぐ太陽の光が差し込む。その場にいる人間を敬虔な気持ちにさせるような、荘厳な空間だ。謁見の間だから、そう思わせるような造りになっているのだろう。
プロンプトたちは導かれるように進み、大きな階段の下までやってくる。
曲線を描いて伸びる階段の先には、壮麗な玉座が鎮座していた。あの日以来誰も座ることのなかった玉座、そしてこれからも座る者はいない。
三人で玉座を見上げると、言葉は何もでてこなかった。
今日ここに立って、もっと何かを感じるのではないかと思っていたが、案外何の変化もないらしい。
朝が戻ってきた後、目が溶けるんじゃないかと思うくらい泣く日もあった。撮りためた写真を見られなかった日もある。自分がバラバラになってしまったんじゃないかと思って、途方に暮れた日も。
けれどどんなに悲しみを抱えていても、体は健康で、どんな一日を過ごしたってまた次の日を迎えることができた。それを喜ぶべきか忌むべきか、わからないままここにこうして立っている。
「……ようやく、ここまで来た?」
「まだ、ここまでしかやってねえとも言える」
プロンプトの呟きに、グラディオラスが静かに答えた。
あといくつ、こんな日を過ごさなくてはならないのだろう。そしてどうしたら、この自分たちの中心にある悲しみが癒えるのだろうか。それは王都を復興させた時だろうか。それとも、生涯の伴侶を得た時だろうか。また新たな道を見つけることができた時だろうか。
そもそも、癒える日は来るのか。——癒えてしまって良いのか。
そんな話、と隣で低い声が聞こえて、プロンプトはそちらを見る。
イグニスが、まっすぐ前に顔を向けていた。今は白濁してしまっているが、かつては鮮やかだった緑の瞳を思わせるような、苛烈な光がその表面に浮かんでいた。まさしく炎のような怒りが、そこから放たれている。
「そんな話、聞きたくない」
何を思ったのか、イグニスの長い足が後ろへ振り上がった。あ、と思う間もなく、いつのまにか足元に置かれたサッカーボールの中心を、革靴の先が捉えている。どん、と大砲を撃つような音と衝撃が伝わり、「ええ?!」とプロンプトは素っ頓狂な悲鳴をあげていた。
サッカーボールは弾丸みたいな勢いで斜め上に飛ぶ。そしてあろうことか玉座の端に当たり、勢いを殺さず跳ね返って、太陽の光を受け止めている窓ガラスへとぶつかった。どん、がん、ぱきん。プロンプトの頭の中で、整理のつかないまま衝撃的な音が響く。どん、がん、——ぱきん。
「……今、ぱきんって聞こえた」
ボールの行方をあっけにとられて見守るしかなかったが、今やっとその音の意味を理解する。グラディオラスも、隣で「ぱきんって言ったな」と同意する。イグニスを見ると、すーっと音を立てて血の気が引いていくのがわかった。イグニスの、こんな顔を見るのは初めてだった。ノクティスにちょっと焦げた料理を食べさせた時に、少し青ざめたのは見たことはあったが。
三人無言で階段を上り、おそるおそるボールのぶつかった窓を見る。
幸いにも窓は鉄製の窓枠で仕切られており、その中の一枚に小さな穴が空いているだけだった。これならば、この部分のガラスを交換するだけで修復は完了するだろう。親指ほどの穴から、遮るもののなくなった太陽の光がまっすぐ床へ伸びている。きらきらと、細かな埃が光の帯を通り抜けるたびに光った。
「……修繕費はオレが出す」
「まあ、イグニスが払うのが当たり前かな」
と答えたところで、ふ、とプロンプトが堪えきれず吹き出す。
我慢していたのか、グラディオラスも拳を口に押し当てて、小さく笑い始めた。プロンプトがさらにおかしくなって、肩を震わせて笑い出す。イグニスは困った顔をしていたが、やがて諦めたようにくすくすと笑った。
「やってしまったな」
「イグニスのやらかしって、ホント豪快だよね。オレたちとレベルが違う」
「こういう時って、窓ガラスを割った家に謝りにいくもんなんだろ?」
「誰に謝るの。ここの家主って誰?」
「それはまあ……ノクトだろう」
それもそうだな、と三人で階段を下りて、改めて玉座を見上げた。謝るべきだと思ったけれど、空の玉座に謝るつもりはない。少し前に、空の玉座に向けて誓いを立ててみたこともあったけれど、今はそんな気にもなれなかった。
哀しみはここにある。
プロンプトとイグニスとグラディオラスの真ん中に。
あの日も同じ場所に立って、レギス陛下の言葉を聞いていた。ノクティスが自分たちの中心に居た。今、自分たちの間にある空白が、そのまま哀しみに置き換わった。きっとずっと、消えない。
けれどそれでもいいと思う。この哀しみを、ずっと引きずっていくしかない。
ノクティスが残してくれたものをそばで感じたくて、部屋のカーテンを取り払ってみたけれど、その光が心を慰めてくれるわけでもなかった。どんなに辛くたって太陽の光は無慈悲に朝を連れて来たし、他人事みたいに青空はきれいだ。ノクティスのいない朝には、何の意味もなかった。
だからこそプロンプトの哀しみも、イグニスの怒りも、グラディオラスの後悔も、抱え続ける意味があるのだろう。
ノクティスが、自分たちの真ん中にいたということのために。
お互い、何を考えているかはわからないけれど、しばらく静かに三人で空の玉座を見上げていた。
沈黙を破ったのはプロンプトの腹の音で、そういえば今日はまだ朝食を摂っていないのだった。それを聞いて、グラディオラスが「腹減ったな」と口にする。
「何か作ろう。オレも食べていない」
プロンプトは大きく伸びをして、深く息を吐いた。息を吐いて体の中を空っぽにすると、少し身軽になったような気がした。
「ねー、もう今日はさ、酒飲んでぐだぐだしない? 仕事したくないよオレ」
「そんなことできるかよ、と言わなくちゃならねえところだが、いいな、それ」
「正気か。……そうだな、たまにはいいか」
「そうだよ、旅立ちのお祝いしないと。記念日じゃん」
グラディオラスとイグニスは、それなら、と酒や肴の話を嬉々として喋り出す。プロンプトはそれを聞きながら、二人の後ろから謁見の間を出た。
大きな黒い扉を閉める瞬間、プロンプトは隙間から中を見る。
四人の青年が、玉座を見上げていた。玉座にはかつての王がいる。ルシスの父であり、英雄であった人だ。ここでは冷たい言葉を言うしかなかったが、どこまでも優しい人だった。きっと最後まで、一人の父親であろうとしたのだ。それを見上げる王子の背中は、まだ少し頼りない。
彼らはこれから、旅に出るのだ。長い長い旅に。
未知の世界を怖がりながらも希望に満ち、幸福そうな背中に背を向け、プロンプトは扉を閉めてその場を後にした。