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     初めて訪れた場所ではないはずだったが、王都城に入るとき、プロンプトはとても緊張した。
     昨日どころか一週間前くらいからこの日のことを考えて、どうしよう、でもどうしようもないよな、と犬が自分の尻尾を追いかけるみたいに考えていた。考え抜いた挙句、せめて失礼のないようにと、今朝、自分が持っている中で一番白いシャツを選んで着た。
     フォーマルな服、というものを持っていないプロンプトは、王都城を訪問するにあたって失礼でない服がどういったものか分からず、わかったところで気軽に服を買える経済的な余裕もなかった。
     ボトムはよく履いている細身の黒いものを合わせたけれど、ジャケットはないから、この間古着屋で買った赤いスカジャンを着た。足元は革靴をイメージして革のブーツだ。
     完成された姿は、どう考えてもかしこまった場所に向かう格好ではない。鏡の前で家を出るぎりぎりの時間まで唸っていたけれど、結局どうしようもなく、バスと電車を乗り継いで王都城へ向かった。
     城では出迎えがある、と聞いていたけれど、身長をはるかに超える大きな扉のところで待っていたのは、プロンプトも良く知る人物だった。
    「おはよう、プロンプト」
    「おはよ、イグニス」
     プロンプトを自然なしぐさで中に招いてくれたイグニスは、プロンプトを見て目を細めた。やっぱりおかしな格好だったかな、とプロンプトは冷や汗をかいたが、イグニスは口元に笑みを浮かべている。
    「ノクトも、同じようなジャケットを持っていたな」
    「あ、スカジャン? ノクトのはもっといいやつ……ていうか店から贈られたんでしょ? ベヒーモスのすごい刺繍のやつ。でも、オレの背中のクァールもかっこいいでしょ」
    「よく似合っている」
     何のてらいもなく褒められて、プロンプトの頬が熱くなる。そう言うイグニスは、いつもの白いワイシャツとボトムという、生真面目そのものの姿だった。プロンプトの付け焼き刃な姿と違い、いかにも城で働く人間らしい姿だ。
     そんなイグニスに格好のことを咎められ、城にふさわしくないと顰蹙を買ったらどうしようかと恐れていたけれど、そんなことはなかったとプロンプトは胸を撫で下ろす。でも、本当はこの人たちが、そんなうわべのことで人を判断するような人たちではないと分かっていた。
     イグニスはプロンプトに先立って、王都城の中を進んだ。王都城は朝でも賑やからしい。色々な制服、さまざまな年齢の人たちが行き交って、決して大騒ぎなどしている人はいないけれど、皆忙しそうだった。
     小学生だった頃に、一度社会科見学で王都城に来たことがある。インソムニアにある小学校の子どもは、皆一度は王都城を訪れることになっていた。たいてい特別なガイドがついて、城の中で一般公開されているところを見て回るツアーだ。
     王都城はその一部分だけでも大きく、広くて、プロンプトは身近にある別世界に驚いた記憶がある。けれど思い出せないのは、その時そこに住んでいたはずのノクティスはどうしていたのか、ということだった。一緒に見学に来たのだろうか。だとしたら、どんな気持ちでそこに立っていたのか。たいてい、ノクティスはそういう話題になったときいつも居心地悪そうに、自分のことじゃないみたいに黙っていた。
     その時には行かなかった場所、常に守衛が立っていて、特別な人しか進めないところに、イグニスは当たり前の顔で入っていった。
     プロンプトは一度立ち止まり、付いてこないことを不思議に思ったイグニスが振り返ると、ようやく足を踏み出す。
     いつかガイドが口にしていた、ルシス建築の粋を集めた廊下の先にエレベータホールがあって、イグニスはその中で一番手前の一基を呼んだ。他のエレベータがホールにやってきて、扉が開いてもそこには乗り込まなかった。きっと、二人が行く場所が特別だから、そのエレベータでは止まらないのだろう。
     やがてやってきたエレベータに乗り込むと、並ぶボタンの中から一つを選んで、当たり前のようにイグニスは押した。だいぶ上の、プロンプトからすると雲の上みたいに上の階だった。
     エレベータは滑らかに、ほとんど音を立てずに上昇する。
     プロンプトは、斜め前に立つイグニスの後頭部を見上げて、出会った時と比べるとすごく背が伸びたんだな、と思った。自分だって高校生という時代を通り過ぎて、だいぶ身長は高くなったと思う。けれどそれ以上のスピードで、イグニスは背が高くなった。そして服の上からでも、よく体を鍛えているのがわかる。王都警護隊に入隊して、訓練を受けているとノクティスから聞いていた。
     それが『側付き』という仕事に必要なことなのか、プロンプトにはよくわからない。けれどイグニスはきっと、ノクティスを守りたくてその道を自分から選んだのだろう。イグニス自身がそう口にしたことはなくとも、イグニスがノクティスをとても大事にして、本当の弟みたいに大切に思っていることは、ずっと側で見てきたプロンプトにも分かっていた。
    「なんだ?」
     じっと見つめるプロンプトの視線に気がついたのか、イグニスが肩越しに振り返った。
    「いや、いかつい体してるなーって。背もすっごく伸びたよね。メガネかけてるのに」
    「眼鏡は関係ないだろう……」
    「警護隊の訓練って大変?」
     イグニスはプロンプトの問いかけに、その場で振り返ってこちらに向き直った。穏やかな緑の瞳が、まっすぐプロンプトを見つめる。
    「楽だとは決して言えない。華々しいことなどどこにもないな。ただ地味で、ひたすらキツい」
    「あー、そうだよね」
    「けれど、それが必要なことだから」
     そうだよね、とプロンプトは頷く。
     イグニスが自分の誓いのために警護隊で力をつけたのと同じように、プロンプトにも力を必要とする理由がある。
     イグニスは目元を緩ませて、自然と表情のこわばるプロンプトに「大丈夫だ」と口にした。
    「プロンプトならできるさ。心配ない」
    「いや、心配というか……まあ、色々と心配なんですけど。そうじゃなくてさ」
     うまく言葉がまとまらなくて、口ごもるプロンプトを、イグニスは黙って待っていてくれた。
    「オレ、一般市民なわけじゃん? イグニスとかグラディオと違ってさ、ずっと鍛えてきたわけでもないし。走り込んではきたけど、そーゆーのとは違うよね。それで、そんなオレがさ、王子様と一緒に旅するとかさ……急に武器を取れって言われて、その、よくわかんなくなる時ある」
     小さい頃から、きっと自分は地味でちょっと暗い、日陰と日向の境目をそろそろと歩むような人生を歩んでいくのだと思っていた。ノクティスと友達になれたのは、一緒に一度あるかないかの奇跡が起きたからで、高校を卒業して、生活する場所が離れてしまって、ましてやノクティスが王様になってしまったとしたら、きっと二度と一緒に遊んだり、くだらない話をすることなどできないと思っていた。
     高校を卒業する日、あーあ、これでおしまいかあ、と嘆いたのも記憶に新しい。その日が来るまでにお別れの言葉を心で何度も繰り返して、きっとやってくる痛みに備えて構えていた。けれど卒業式当日、プロンプトはかつてノクティスと出会った、門から校舎へと続く木立の道で「今日、ウチ寄ってくだろ」と予想外のことを言われ、数時間後には仲間四人で卒業を祝ってささやかな祝宴を開いていた。ノクティスは「明日から暇だろ、何する?」と何でもないことのように聞いて、この奇跡がまだ続くことに驚いた。
     そしてそんな自分が、王子の旅に同行する。
     しかも武器の扱いを覚えて、基本的な護身術を身につけるように言われた。
     武器を握ったということは、いつかは使うのだろう。これまで自分が手にした危ないものといえば、包丁やカッターナイフ程度のものだ。
     そんな自分が、武器を使うところなど、想像することもうまくできない。ゲームの世界に引きずり込まれてしまったみたいな、うまくいえないけれど、なんだか自分がちょっとだけズレた世界に迷いこんでしまったような気持ちだった。
     イグニスはぽつぽつと語るプロンプトの言葉を、じっと黙って聞いていてくれた。そしてエレベータが目的の階へ着くと同時に、静かに話し出す。
    「これからお前が受ける訓練は、まず自分の身を守るための訓練だ。何かを傷つけたりするわけではない。お前が、外の世界で自分の身を守れることは、お前にとっても、ノクトやオレたちにとっても大切なことなんだ」
    「イグニスたちにも?」
     エレベータの先は、やはり瀟洒なつくりの廊下になっていて、下の階とは違う、しんと冷えた空気が流れていた。イグニスはそこに立ち、頷く。
    「グラディオとオレの役目は、ノクトを守ることだ。お前を守ることじゃない」
     はっきりと言われたことに、プロンプトは分かりきっていたことだったが、わずかに衝撃を受けた。今まで親しい友人として付き合ってきたから、こんな風に突き放されるとは、心のどこかで信じられなかったのだ。
    「だから、何か危ないことが起きた時は、オレたちはまずノクトを守る」
    「……崖からオレとノクトが落っこちそうになったら、迷わずノクトを選ぶってことだね」
     ありがちな例えをしてみせると、イグニスは大真面目にそうだ、と頷いた。当たり前だよな、とプロンプトは思う。ノクティスは王子で、いつか王になる。ただの一般市民であるプロンプトとは違うのだ。
    「だから、お前には自分で自分を守る力が必要だ。もし、お前が怪我をしたり、……命を落とすことがあったら、ノクトが悲しむ。オレも、それは嫌だ」
     わずかに俯けていた顔を上げると、イグニスは少し困ったような顔をしていた。
    「もちろん、一般的なルシスの市民が、武器をとることなんてまずありえないだろう。戸惑う気持ちは分かる。一生、そんなものと縁のない人もたくさんいる。でも、ノクトの側にいる限り、武器が手元にあることは、オレたちにとって当たり前の現実なんだ」
    「……そっか」
     インソムニアの平和を甘受しているだけでは、わからなかった世界。ノクティスの側にいるということは、新しい現実に足を踏み入れるということだ。
     たぶん、ここで引き返すこともできる。
     皆、止めたいと言ったら、プロンプトを引き止めはしないだろう。そうしたら、プロンプトは安全な場所から、たぶんテレビの中継とかでノクティスが結婚するのを見守る。それだって、別にいいのだ。
     ——でも。
    「ありがと、イグニス。今まで色々考えてたんだけど、……考えるのやめた。がんばってみる」
    「そうか」
     とイグニスは嬉しそうに微笑み、またプロンプトを連れて歩きだした。廊下は短く、大きな広間へと続いていた。ソファセットなどが置かれ、天井がとても高い。自然光ではないだろう、明るい光がプロンプトたちを照らしていた。隣は玉座のある部屋で、否応なしにプロンプトの背筋が伸びる。けれどプロンプトたちに用があるのは謁見の間とは反対側の部屋で、そこに将軍と呼ばれる立場の人がいるのだった。プロンプトに、特別な訓練をすることを許すために。
    「少し、ここで座って待っていてくれ。部屋に入ってもいいか確認してくる」
     その場にプロンプトを置いて、イグニスが背中を向ける。そこに向けて、プロンプトは問いかけた。
    「イグニス、」
    「なんだ?」
    「イグニスはさ、色々なこと決めたのって、いつごろ? 警護隊に入った時?」
     イグニスは立ち止まり、少し考えた後「ずっと前だ」と答えた。
    「前って、どのくらい」
    「さあな……でも、今のお前よりはずっと幼い頃だった」
     そう、と言うと、イグニスは今度こそプロンプトを置いてその場を去った。ずっと前、小さなイグニスの誓いが立てられた日。もしかしたら、ノクティスと出会った日から、イグニスは色々と決めていたのかもしれない。
    「そんなわけないかあ。いくらなんでも早いでしょ、それは」
     プロンプトはひとりごちると、ソファに腰を下ろす。これから武器を手に取って、プロンプトは戦うための準備をする。勧められたのは拳銃で、それに従うつもりだった。
     プロンプトがこれから、一番最初に撃つものは何かわからないし、もしかしたら撃つ機会はないのかもしれない。けれど、撃つ理由は分かっていた。
     撃つ準備もできている。
     



    2:star

     星が弾けるようだ。
     最初にそう思った。
     ノクティスが飛べるようになった、と嬉しそうにイグニスから報告を受けたのは、数日前のことだ。
     まぶたの上から頰までを裂いた深い傷の抜糸を終え、色々と面倒な手続きを踏んで退院し、ようやくアミシティアの屋敷に帰った時にメールをもらった。
     飛べた、とイグニスらしい簡潔で味気ない文面から、無上の喜びが伝わってくるかのようだった。
     ノクティスは幼い頃に怪我をして以来、うまく魔法が使えなかった。いつかは王として魔法の力を使い、敵を退けなければいけない宿命だというのに。それは、将来王の盾としてノクティスに仕えるグラディオラスにとっても、憂うべき問題だった。
     だがグラディオラスは案外楽観的に構えていて、いつかノクティスは自分の力を解放し、使命を果たすだろうと考えていた。運命から逃げる男ではないと知っていたからだ。
     だから、急に訪れた良い知らせに、少し戸惑いもあった。
     病院に見舞いに来たイグニスは、ノクティスがひどくふさぎ込んでいることを話していたし、実際に病室にやってきたノクティスの、状態はあまり良いとは言えなかった。ノクティスの心優しさは、弱さとも似ていて、近しい人間に何かあると耐えきれない。自分を守ってグラディオラスという、兄や友人にも等しい人間を傷つけたとあっては、仕方のないことだった。
     しかし彼の中に何の変化があったのか、ノクティスはその弱さを乗り越えたようだった。立ち向かったのか、折り合いをつけたのか。グラディオラスがのんびりと病室で暮らしていた内に、ノクティスは一回り成長できたらしい。
     グラディオラスはイグニスからの知らせに、喜んで城の訓練室へと向かった。シフトの訓練は、代々王都城の特別な訓練室で行われる。それは魔法という、特殊な能力の秘密を外部へ漏らさないための配慮だそうだが、今の時代、王の剣もシフトを使うことができる。おそらく今日は、飛べるようになったばかりのノクティスに配慮した結果だろう。
      ——雛鳥の巣立ちだな。
     思わず口元に笑みを浮かべながら、エレベータに乗り込んで訓練室のある階へと向かった。
     どこまで羽ばたけるようになったか知らないが、弱々しい雛が美しい鳥へと育ち、手元から羽ばたいて飛び立つ瞬間は心が浮きたつものだ。ずっと側で守ってやりたいと思うが、同時に空高く、手の届かない場所から自分を見下ろして欲しいとも願う。
     そして訓練室の扉を開いた時、中でたくさんの星が弾けたのをグラディオラスは目にした。
     ノクティスが両手剣を振るうと、それは訓練室に並ぶ柱に刺さる。そこを錨にして、ノクティスはまっすぐに飛んだ。
     消えたノクティスの体から、青い光の軌跡が描かれる。きらきらしい魔法の光が、宝石のかけらみたいに空中で輝いた。ノクティスが着地点に出現すると、その光がふっと消える。
     扉を開けた姿勢のまま固まったグラディオラスに気づいて、ノクティスははるか上から見下ろした。その顔が笑顔になり、ぱっと剣の柄から手が離れる。
    「危ねえ!」
     当然、ノクティスの体は自由落下を始めて、グラディオラスは考える間もなく走り出した。子どもが投げ出したほっそりした人形みたいなノクティスは、空中で無造作に腕を振るった。剣が手の中に出現し、一瞬の後には床に刺さる。そしてまた、青い軌跡が伸びて、まばたきの後にはグラディオラスの前にノクティスの姿があった。
     両手を受け止める形に差し出したグラディオラスのすぐそばで、ノクティスが生意気そうに唇の端を釣り上げて笑う。
    「どーよ」
    「どーよ、って……」
     グラディオラスはどう答えてよいか分からなくて、その場で言葉に詰まって立ち尽くした。ノクティスはそれが不満だったのか、「何もねーのかよ」と顔をしかめて唇を尖らせる。
     奇跡を目の当たりにして、人はどう言葉を発していいのか分からなくなるらしい。
     魔法の存在は知っていた。レギス陛下がシフトを使うところも見たことがある。王の剣と訓練をして、魔法を使われたことも。
     けれど目の前の、小さな、まだ頼りない弟のようなノクティスが、魔法の力を使って自在に宙を翔ける姿など、想像もしていなかったのだ。不服そうにしている姿は、幼い頃から見ているままだ。何も変わらないが、たった今、確かに、この美しく小さな、愛おしむべき命の塊は奇跡を成し遂げたのだった。
    「すげえよ」
     かろうじて口にした言葉に、しかめられていたノクティスの顔がぱっと輝く。
    「すごかったか?」
    「ああ、すごかった。お前……」
     ほんとに、と呆然としたまま呟くように言うと、へへっ、とノクティスはさらに得意げに笑った。
    「そこで見てろよ、まだまだ飛ぶから」
     そう言い残すと、ノクティスはまた剣を振るった。一瞬の後には、また柱に取り付いている。青い光の端にグラディオラスの指が触れたが、熱くも冷たくもなかった。星の光に手が届いたら、こういう感じなのかもしれないな、とグラディオラスはぼんやりした頭の片隅で思った。
    「来たのか、グラディオ」
     呼びかけられて振り向けば、イグニスが立っていた。いつもの白いシャツと、どうやったらそんな『真面目を色にしました』という様なボトムの姿ではない。柄物のシャツにラインの入ったボトムを身につけ、手には滑らかな素材のジャケットを提げていた。
     ぱっと見、かなり迫力のある出で立ちだが、グラディオラスはその姿を見て笑みを浮かべる。
    「できたのか」
    「ああ。すごいな、細かなところまで指定できた」
    「ずっと身につけるモンだからな。身分証にもなる」
     イグニスの出で立ちは、王都警護隊の戦闘服だった。制服とは別の、個人の裁量で作られる特別な衣装。グラディオラスはもうすでに仕立てたものだが、遅れて入隊したイグニスは、今仕上がったのだろう。
     警護隊としての誇りを示すもの。王子を守る覚悟の証だった。
     これから王の盾として生きる自分と同じように、その服を身につけたイグニスを、グラディオラスは誇らしく思った。
    「似合ってる」
    「ノクトにも褒められた」
    「髪型も変えたらどうだ、下ろしてるとお前、どうにもいいところの坊ちゃんぽいからな」
    「わかった。護衛の印象は大切だからな」
     イグニスは一つ頷き、視線を訓練室の中央へと向けた。グラディオラスも視線を追えば、ノクティスがまだ飛んでいる。
     クリスタルから引き出す魔法の力は強大だが、引き出す方の肉体には負担がかかりやすいらしい。ノクティスは疲れて床に座り込むと、何かをぶつぶつつぶやきながら考え始めた。
    「飛んだな」
     隣のイグニスに呼びかければ、イグニスはああ、と頷く。嬉しそうな声だった。幼い頃から一緒に育った側付きだから、ノクティスが魔法を使えないことに人一倍心配してきたのだろう。
    「もっと飛べるさ」
     イグニスの言葉は、ほとんど独白だった。
     ややあってノクティスが訓練を再開すると、風をきる音とともに空へと飛ぶ。青い光は部屋いっぱいに広がって、まるで星の海のようだ。
     ふと、隣に立つイグニスを横目で伺い、グラディオラスはそこから目を離せなくなった。
     緑の瞳が、ノクティスだけを見つめていた。明るい緑は光を吸い込んで、天然の石みたいに輝いている。目を見開き、意識をすべてノクティスに向けていた。
     ——小さな、子どもみたいだ。
     そのことに気づくと、グラディオラスは急に胸を突かれたようになって、そこから目を逸らした。ノクティスが散らす青い光を追って、唇を引き結ぶ。
     二十歳を過ぎた男が、誰かに向けるようなまなざしではない。そこにはただ、美しいものを賞賛する喜びと、自分の手の届かないところにあるものへの憧れがあった。そしてそれ以上に、何かを愛おしむ気持ちがそこから溢れだしていた。イグニスは、ノクティスが自由に空を飛べるようになったことを、純粋に喜んでいた。
     イグニスの持つ深い愛情は、昔を知るグラディオラスにも底が知れない。どこまでもイグニスはノクティスの幸せを願い、ためらいなく愛情を注ぐのだ。
     子どもが、純粋な心で神様に祈るみたいに。
     イグニスはまだ、ノクティスを見つめている。
     やはりそれは、自分が見て触れてはいけないもののような気がして、グラディオラスはただノクティスが飛ぶ姿にだけ視線を向けていた。
     



    3:memory

    「何をしているんだ?」
     顔を上げれば、イグニスが立っていた。
    「何もしてねーけど」
     答えると、イグニスはノクティスの対面にある椅子を引いて、そこに腰を下ろした。特に許可を求めることはなかったが、別に拒否する理由もなかったので、ノクティスは黙ってそれを受け入れる。
     明かりはノクティスの手元にあるキャンプ用のランプの小さな明かりのみで、あたりは濃い闇に包まれている。息を深く吸い込めば、胸いっぱいに満ちるような深い夜だ。
     王都城はだいぶその形を残していたものの、結構な部分を破壊されていた。今ノクティスたちのいるサンルームもその一つで、ガラス張りだった天井には大きな穴が空き、中央にあった噴水は無残に砕けている。太陽のない十年間をすごしほぼ全ての植物は枯れ果てていたが、驚くべきことに植物の中には、眠るようにして災いをやり過ごしたものもいるらしい。ノクティスの足元には、小さな緑の芽が顔を出している。
    「ここは、どうする?」
    「そうだな、この庭結構好きだったから、できれば温室に戻したい。ちゃんと、オレたちが使ってた抜け穴も元どおりにして」
     ノクティスがそう口にすると、イグニスはくすりと笑った。この温室にある窓は、小さな体であればうまくすると外へ出ることができた。そこから電気設備のダクトや倉庫を通り抜けると、ちょうど王都城の後ろへと抜けられる。幼い頃、ノクティスとイグニスはそこから幾度も脱走をはかっては、連れ戻された。
     そういえば、何度も脱走した割には、あの窓はずっと開いたままだった。扉に鍵をかけられたこともない。きっと、周りの大人たちは知っていて、少しの間だけノクティスを逃がしてくれていたのだろう。
    「ここは冷えるな」
     イグニスが口にする。
     王都城の水道設備が復活し、城で蛇口をひねれば水が出てくるようになって久しい。飲める水かどうかの検査も済んで、インソムニアに戻って来た人たちは、王都城に水を求めてやってくるようになった。しかしそれも一時期のことで、市内にも少しずつ水が出る施設が増えてきている。
     天井に大穴が開いているサンルームは、当たり前だが外気に触れて基本的に冷える。それ以上に、壊れた噴水からずっと水が溢れ出しているのだった。
     元栓を閉めて水を止めればいいのだが、もしかしたらその元栓も壊れているのかもしれない。
     ノクティスの足元には水が流れ、その水のおかげで、わずかな緑が命を繋いでいる。つま先で水を弾くと、揺らぐ水面に波紋が広がった。そこに映り込んだ星の光が、またたくように揺らぐ。
     広がる水のおかげで、ノクティスたちの上と足元に、星空が広がっていた。
    「風邪をひく。暖かい格好はしているのか」
    「ああ、大丈夫だ」
    「ならいいが……」
     どうにか無事だった城の自室から、引っ張りだしてきた黒いスウェットの上に、グラディオラスから借りた王の剣のコートを羽織っている。グラディオラスのコートは重く、そして暖かかった。
     それでも納得のいかないらしいイグニスは、やってきた時から抱えていたものを二人の間にあるテーブルに載せた。ノクティスは呆れる。
    「用意がいいな」
    「お前も代謝が落ちるころだから、夜食は感心しないが、今日くらいはいいだろう」
     そうもったいぶって出してきたのは、大きな魔法瓶と小さな皿だった。皿の上には、何枚かクッキーが載せられている。材料になるクレイン小麦はまだまだ高級品だが、それも少しずつ人々の口に入るようになってきている。ノクティスは一枚手にとると、さっそく口に運んだ。
    「うまい」
    「そうか」
     とイグニスは無上の喜びを含んだ声で言って、魔法瓶からコーヒーをカップに注いだ。温かいコーヒーも貴重品だが、今日、王都城にやってきた人が置いていってくれたものだろう。エボニーコーヒーの粉末を持ってきた男は、以前、イグニスに世話になったと言っていた。少しの間一緒に旅をしたと言う。ノクティスがクリスタルの中にいた闇の十年の間も、イグニスはこの世界でどうにか生きてきたのだった。
    「ノクト」
     温かいコーヒーとクッキーを楽しんでいると、ひっそりとした声でイグニスが話しかけてきた。「ん?」と答えれば、イグニスは少しためらうようにした後、口を開く。
    「この後、どうする?」
    「もう少ししたら寝る。明日も用水路の泥掃除とガレキ撤去だろ。寝ないともたないよな」
    「そうではなく、」
     イグニスは強い調子で言い、それから声を小さくして「そうではなく」と繰り返した。
    「……お前は、王になるのか?」
     ノクティスはバターと砂糖だけが練りこまれたプレーンなクッキーを片付け、甘さをコーヒーで喉の奥へ流し込んでから、少し考えた。
     朝を取り戻して、それで終わりだと思っていた。けれどこうして不思議なことに戻ってきて、ノクティスのまだ命はここにある。
    「どうするかな」
    「ノクト、真剣な話だ」
    「オレだって真剣だ。オレの使命はもう果たしちまったんだよな。けど、みんなはこれまでもこれからも、オレのこと『王様』って呼ぶだろ」
    「それに応えるのか」
     イグニスの声は悲壮な色も含んでいて、ノクティスは小さく笑った。この男は、ノクティスのこととなると悲観しがちになる。自分のことは炎に身を投げてもいいと思っているくせに、ノクティスが何かを犠牲にするのが許せないのだ。——昔から、そうだった。
    「もちろん、オレよりうまくできるやつがいたら、そいつがやってもいいと思うけど」
    「お前以上に王にふさわしい男はいない」
     ノクティスは喉の奥を鳴らして笑った。
    「でも、お前、オレに逃げてほしいんだろ」
     イグニスははっとした顔をして、それから恥じ入るように俯いた。ノクティスはテーブルに肘を置いて頬杖をつく。六歳の男の子が叱られているような顔をするイグニスを、少し下から見上げた。
    「一緒に逃げてやれなくて、悪かったな」
     今の話ではない。
     十年前の話だ。あの時、イグニスは一緒に逃げたかったのだ。あの水の都から、使命も何もかも放り出して、ノクティスに逃げて欲しかった。けれどその望みを叶えてやるには、かけられた命も優しさも、愛情も多過ぎた。無視することはできなかった。
     イグニスは俯いたまま、唇をわずかに噛んだ。三十を過ぎて髪型などを変え、顔つきも二十歳そこそこの頃とは違う。けれど、幼い時と表情の作りは全然変わらないんだな、とノクティスは思った。
    「お前が苦しむのを見たくない。辛い目にあって欲しくないんだ。……オレは、お前と出会った頃から少しも成長していない」
    「ずーっとオレのことばっかだもんな」
     笑うと、イグニスの口元にようやく淡い笑みが浮かんだ。
     ノクティスは顔を上げて、星空を見る。明かりが少なく、何より魔法障壁のないインソムニアは、外の世界と同じ星空が見える。こんな風に昔、イグニスと星を見たことを思い出す。流れ星が見たくて、ささやくような星の光を追って飽かず夜空を見上げていた。
    「たぶん、辛いことはいっぱいあるだろ。王様やってても、やってなくても。でも、オレにはお前がいるから。——オレがどこに行ったって、何したって、お前はずっと一緒なんだろ?」
     視線を下げてイグニスを見つめれば、だいぶ色の薄くなった緑の瞳が、ノクティスを見返していた。色が消えてしまっても、まっすぐノクティスを見つめるところや、視線に含まれる熱は変わらない。
    「そうだな……ああ、そうだ」
    「だったら、大丈夫だよ。それに、仲間もいるだろ」
     自分の周りにずっといてくれる人たちの顔を思い浮かべて、イグニスを安心させるように微笑む。イグニスも、ノクティスに応えるように頷いた。
     さらさらと足元を流れる水の音に耳を澄ませ、星の海に身をひたす。また、こうしてイグニスと星を見られる日が来るとは思っていなかった。きっと人生は、こういう奇跡みたいなものがたくさん起こって、いつのまにか満たされていくのだろう。
    「とりあえず、今日はもう終わりな。明日のことは明日考えようぜ」
     寒いし、と椅子から立って口にすれば、イグニスは自分の着ていたジャケットを脱いで、ノクティスの肩にかけた。二人ぶんの重さがかかった肩は重かったが、その分とても暖かかった。
     イグニスも椅子から立ち、暗闇の中、まぶしそうにノクティスを見つめる。
    「明日は、あるんだな」
    「あるよ。この先もずっと」
     ホント心配症だな、とノクティスは笑った。明日だった今日も昨日になって、そのうち思い出に変わる。そしてこれから作られるどの思い出の中にも、きっとイグニスの姿はあるのだろう。
     イグニスも空を見上げて、「今度はみんなで来よう」とかつてと同じこと言う。ノクティスはそうだな、と頷いて、星の海から歩きだした。


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    2019/01/30 18:45:32

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