「美味しいですか」 ボンボン時計が夜の12時を告げた。その音にびくりと驚いた青年――納棺師のイソップ・カールは、挙動不審気にきょろきょろと辺りを見回した。
そんな夜が更け、皆が寝静まった頃。イソップはひっそりと誰にもバレないよう、サバイバーの館の玄関へと向かっていた。
足音を殺し、息も潜め長い廊下を進む。もし誰かが起きていたとしても、この時間では誰も自室から出てくることはないだろうが、それでも緊張を抱かずにいられなかった。
今、イソップはリッパーの元へと向かっている。ディナーに誘われたのだ。そのような理由で普段、敵であるハンターの元へ行くなど、仲間たちにバレてしまえば面倒なことになるのは間違いない。
そんなリスクがあっても彼の元へ行くのはこれで三度目になる。普段、あまり食に関心のないイソップがもう一度食べたいと思うほど、彼の手料理はとても美味しいのだ。
今日のゲーム中、こっそりと招待を受けたイソップは今夜の晩御飯を食欲がないからと抜いている。その為、今にも倒れそうな程空腹だった。
今夜はどんな料理を振舞ってくれるのだろう。そう、緊張を隠すように考えていると、気付けば玄関についていた。
ひとまず誰にも見つからなかったことに安堵し、扉を開ける。ギギーと、心臓に悪い軋む音を立てて開いた隙間に身体を滑り込ませ、外へ出た。――さあ、あの人はもう待っている。ハンターの館に行こう。
× × ×
サバイバーの館からハンターの館まではそれほど時間はかからず、意外と近い場所にある。大丈夫なのかと心配する者もいるかもしれないが、どういう訳か相手から送られる招待状がなければどれだけ歩いても辿り着けないという仕様のため、意図せず迷い込むようなことは起こらない。
そうして、ほんの数分でハンターの館に着いたイソップは、控えめにノックをしてから扉を開けた。
リッパーの部屋は館の二階にある。三度目ともなるともう慣れたもので、広い館を迷いなく進み、部屋まで辿り着く。一つ、深呼吸をしてからノックをすれば、「待っていましたよ」という言葉と共に扉が開かれた。
「どうぞ、中へ」
「お、お邪魔します……」
そう言って、促されるまま中へ入る。中に入ると、ふわりと温かそうな食べ物の香りが鼻腔をくすぐった。思わずマスクの下で顔を綻ばせる。
「さあ、持ってきますから、いつもと同じ席について待っていて下さい」
「はい」
リッパーはイソップが言われた通り座ったことをを確認したのち、何処かへ行ってから皿を持ち、帰ってきた。既によそい済みだったようだが、冷めた様子はない。まるで、イソップがやってくる直前に、分かっていてよそったよう。
一度目、そして二度目も、リッパーの作る料理は一品だけだった。やはり三度目である今回も同様だ。しかし小食のイソップにはそれが丁度いいくらいなので何の問題もない。
小さな音を立てて机に置かれたそれは、美味しそうなクリームシチュー。前に来た時に好きだと話したことを覚えていてくれたのだろうか。おずおずとそれを問えば、ええ。と肯定が返ってきた。本当にそうだったのかと嬉しくなる。
「以前好きだと聞いたのでね。作ってみたんです」
「あっ、ありがとうございます」
そう礼を言い、正面に座ったリッパーを見れば、彼の前には何も用意されていない。それは以前もそうで、一度目にどうしてかと問えば、ハンターに食事は必要ないのだと答えが返ってきた。それもそうだ。
「やはり私が見ていては食べにくいですか?」
「いっ、いえ!そんなことは!」
「何も気にすることはありませんよ。私は私の料理を美味しそうに食べてくれる貴方を見ていたいだけなので」
そう言われても見られていると緊張はするもので。それでもマスクを外し、視線をおかしな方へと向けながらも先に用意されていたスプーンを手に取る。
「いただきます」
そう言って、イソップはシチューを人さじ掬い、口へと運ぶ。口に入れた瞬間、ぶわりとシチューの温かさが全身に染み渡るようだった。今まで食べたどんなシチューより美味しいと言っても過言ではない程。食べ進める手が止まらない。
そんなイソップの様子に、リッパーは満足気に笑うと問うた。
「美味しいですか?」
「ええ、とても」
出されたシチューを全て食べ終わり、イソップはふう、と一息ついた。
現在、イソップとリッパーは夕食後の紅茶を楽しんでいる。二人の間には会話は殆どなく、偶にリッパーからイソップに何か質問をし、それにぽつり、ぽつりとイソップが答えるだけであったが、それでも流れる空気は穏やかなもので、イソップはサバイバー達といるよりも気を楽にできていた。……どうしだろう。相手が既に死んでいるから?それとも……
そんなことを考えていると、リッパーがイソップ君、と。再び話しかけてきた。
「今日のシチューもそうですが、その前もまたその前も。ある特別な材料を使っているのですよ」
「特別な材料、ですか?」
思わずそう反芻してしまう。何だろう。分からない。
リッパーはもったいぶるように、しかし仮面をつけていても分かるほど楽しそうにイソップを見ている。何か、答えなくてはいけないのか。
「……わかりません」
「人肉ですよ」
「…………………え?」
あまりにもあっさりとそれは告げられた。聞き間違いか?彼は今、なんと……?
「人の肉を使ってみたんです。納棺師である貴方が何も知らずにしびとを食して。後からそれを知ったら、どんな反応をするのかと思いまして」
「あ……え…う、そ」
嘘ではありませんよ。その言葉はもうイソップには聞こえていなかった。酷い眩暈と共に世界が揺れる。
椅子から落ち、そのまま抑えることなどできずに床に吐瀉した。嘔吐する苦しさなど忘れてしまう程、思考がまとまらずにぐるぐると回る。
ああええと、ぼくは、何を?なにを、ついさっきまで、ええ?おいしい、だなんて、いって。たべたのは、しびとの、だれ、そんなことじゃなくて、しらなかったしらなかったしらなかったしらなかったしらなかった、で、すまされる、ことじゃあ
「ぐ、ぅ……ぁ、あ、ご、ごめ、ッなさっ」
何に謝っているんだろう。そんなこと言ったって事実は何も変わりやしないのに。それでも口をつく謝罪の言葉が止まらない。もう吐くものなんて何も残っていないのにえずきながら罪悪感を殺すように何度も何度も言葉を並べる。
酷い眩暈と頭痛のせいでまともに視界も定まらない。自分が誰なのかも何処にいるのかも何もかも消え失せた中ただ自分は死者を食べてしまったのだと、それだけが全てを支配する。
やがて、ぐらぐらと揺れる視界のなか虚ろに言葉を紡ぎ続けるイソップは意識を手放した。
× × ×
……目を覚ますとそこは見覚えのある部屋だった。それがどこか理解した瞬間、思わず跳ね起きるも体と喉の焼けつくような痛みに呻く。
「おはようございます」
「ひっ…!」
すぐ傍から聞こえた声に小さく悲鳴を上げると共に、昨日の出来事を思い出してしまう。吐くものなどもう何もないのに吐き気を感じ、イソップは口を押えた。そんなイソップに、リッパーは言う。
「昨夜言ったことですが、冗談ですよ」
真実は彼のみぞ知る