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    【FGO】Fortune Ring 目覚めて瞼を開けた瞬間、違う────と何故か強く思った。見慣れた天井と壁の色。広くはない室内に、詰め込まれた様な机やベッド────

     窓にはカーテンが掛かっていて、一気に引けば朝の景色がそこにあった。他の家の様々な屋根と、まだ薄い色をした秋の終わりの晴れた青空。

     違う、とまた心が騒ぐ────

     ふ、と短い溜息を落とし、藤間立夏は腕を上げた。硬くなった背の筋を伸ばせば、静かに体内の空気が入れ替わる気がした。



    「お早う、立夏ちゃん」
     祖母と言うにはまだ若い、明るい雰囲気の女性が言う。父の母である藤間美祢だ。彼女も『違う』と何処かで感じ、立夏はおはよう、と返事をする。
    「おはよう」
     無駄な言葉を発さないのは、父親である藤間徹だ。テーブルの一角を居場所とし、黙々と新聞を読んでいる。彼にもまた『違う』と印象を覚えながら、言葉を返してテーブルを回る。
     小さなダイニングに小さなテーブル。その三辺は箸と茶碗が並んでいた。最後の一辺には炊飯器が、米の甘い香りを漂わせている。
     おかずは小さな鮭の切り身。代わりにみそ汁はいつも具沢山。変わらぬ光景に安堵しつつ、立夏は椅子に腰を下ろす。
     座るのは必ず同じ場所で、それを合図に美祢が炊飯器の蓋を開けた。この瞬間が何となく好きだ。白い米粒が光って見え、ほこほこと美味しそうな湯気が立ち上っている。
     別段違わない毎日の光景。なのに何処が違っているのか。疑問に無理矢理蓋をしながら、立夏はいただきますと手を合わせる。
     家族はこの三人。母は随分昔に亡くなった────らしい。立夏は母の顔どころかその命日さえ知らないので、物心がつく前だろうと想像するだけだ。
     知れば辛くなるだろうからと、写真の一枚もこの家には無かった。そろそろそんな感傷はない年だが、二人の気遣いを無下には出来ない。
     いつかはその機会もあるのだろうと、無言を通すのも慣れてしまった。本当に『そんな人が居たのか』どうか、そんな感覚さえ抱いている。
     こちこちと時を刻む柱時計。朝の話題は近所の他愛無い連絡事項。報連相とはよく聞くが、一般家庭には少し縁の薄い言葉だ。
     父が最初に立ち上がって、丸めた新聞を足元のマガジンラックに押し込もうとした。新聞は翌朝、祖母の手によって入れ替えられまで、必ずそこに置くルールがある。
     今朝明確に違ったのは、そこに新聞を入れ損ねた事だけだった。慣れた動きはほんの僅かな隙を生んで、新聞はぱさりと床に落ちた。



     祖母に見送られて家を出る────その頃には町に静かな活気が溢れる。出勤や登校で人が動き、バスや自家用車が絶えず道路を往来する。
     立夏はこの春、高校に進学し、学校までは自転車だった。雨の日や冬以外は同じコースだ。市立穂群原学園高等部一年B組。それが今の『所属先』である。
     半年以上経った今でも、新しい制服に馴染めずにいる。堅苦しい印象が抜けずに居て、似合わないのか、と疑問に思う。
     自転車にまたがり風を受ければ、また『違う』と何かが心に告げてきた。
     坂道の多い町内を抜け、学校の塀が見え始める。生徒の姿が増え始めて、ブレーキをかけて自転車を下りる。
     他の歩行者の邪魔にならぬ様、そこから駐輪場までは徒歩である。
     同じ制服が増え始めて、中にはクラスメイトの顔もあった。背中から控えめに声が掛かり、振り返れば同じクラスの少女────間桐桜の姿がある。
    「おはよう、間桐さん」
     にこ、と柔らかな笑みを浮かべる。
     少女はそのまま校舎に向かい、立夏は駐輪場へと足を向けた。駐輪場の近くには運動部の道場が並んでいて、朝練の部員がそこから出てくる所だった。
     やけに目立って見えているのは、弓道部の部長や副部長である。もう一人の男子はマネージャーだろうか、部活のオリエンテーションで見掛けている。
     元々弓道部の一員だったが、怪我の為に今は手伝いしかしていないとか。部員同士、仲が良いのか悪いのか。女子部長、男子副部長はずっと何か言い合っている。
     気の弱そうなマネージャーで、何かとばっちりを受けている様に見える。秋は様々な大会が目白押しで、相談事が多いのだろう。
     忙しいのだろう────多分。立夏はふっと息を落とした。中学からずっと帰宅部で、担任に何処かに入れと言われていた。
     いくつか仮入部はしてみたのだが、どこもしっくりとせず入部していない。運動部は自分の柄じゃないなと、自転車を停めてそこを離れる。
     部活は内申にも関わるので、入った方が得だとは思った。だがどれもこれも違う気がするのは────『違う』は今始まった事ではない。いつも避けて通ってばかりだ。
     ただやけにはっきりと感じるのは、今日の何が『違う』と言うのか。
     昇降口へ向かっていくと、四人の上級生グループが目の前を過ぎた。その中に一人────オレンジ色の髪の少女が居る。酷く目立つ髪の色で、広く存在を良く知られている。
     名前は確か『藤丸立香』。立夏の名前に良く似ているのだ。彼女の視線がちらりと動き、不意に立夏のそれとぶつかる。
     拒絶────だと思った。そう言う気配の視線だった。立香は僅かに目を細めて、友達との談笑に意識を戻した。
     立夏は短く息を吐いた。毎回こうだ────出会った回数は少ないのだが、いつもそうした気配がある。
     彼女と話した事はないはずだが、何の不興を買ったのだろう。彼女は一学年上の二年生で、立夏とは中学校も違っている。
     嫌われる謂れはないはずなのに、直感で合わないと思われたのか。それとも何処かで会っただろうか。記憶力は良い方だが、年上との交流は覚えがない。
     それとも見掛けに反して人嫌いなのか。その割にはいつも友達と楽しそうな様子だ。視線を合わせるのが苦手なのかも。色々考えを巡らせてみる。
     とは言え、話す事などないだろう。彼女はたしかバレー部のはずだった。縁遠いな、と結論付け、気を取り直して教室へ急ぐ。
     ああ、でも────何か『違う』。
     校舎をじっと見上げながら、違和感を押さえるのに必死だった。そんな立夏を横目で見て、立香の口が僅かに動いた。



     部活動はしていないが、立夏には決まった日課がある。昼休みに必ず図書館を訪れて、借りた本を返し、新たな本を借りていく。
     入学半年経った今は、名前も顔もすっかり覚えられてしまっていた。司書の女性がにこりと笑い、貸し出しカードを立夏から受け取る。
    「藤間君、英雄譚が好きなのね」
    「……え?」
    「この前は『ロビンフッド伝説』。その前は『ギルガメッシュ叙事詩』。今日は『中世騎士物語』。それとも西洋文学に興味があるのかしら」
     そうだっただろうか。
     言われて初めて傾向に気付き、手にした本の表紙を見た。ヴィンチ著『中世騎士物語』。数ある騎士物語の抜粋編だった。
     別段、時代が好きという訳ではない。西洋文学が特に好きだとも。しかしカードに記されたタイトルを見て、今更の様に驚いてしまう。
     『ギリシア・ローマ神話』、『エジプト・ピラミッド年代記』、『マハーバーラタ』、『魔術師マーリン』────その他にも神話や英雄譚が並んでいる。小説の類いはほとんどなく、最近で言えばデュマの『巌窟王』が最後であった。
     そんな自覚がなかったせいで、司書の女性は小さく吹き出した。カードに今日の日付が捺印され、返却期日がそこに並ぶ。
    「読みたい本があればリクエストも受け付けてますよ。入るかどうかは保障出来ないけど」
    「考えておきます」
     本を手にして机が並ぶ一角に向かう。時間いっぱいここで読んで、残りを放課後や自宅でという毎日だった。



     本は自分を忘れさせる────異世界に導く『門』となる。目で追う文字はいつしか記号から情景に変換され、頭には別の世界が映し出される。
     重い鎧を身に付けた騎士と、相応しく装飾された逞しい馬。鞍とあぶみに手を掛けた騎士が、馬に乗り上がって背中を伸ばす。
     従者から槍を受け取って携え、勇み、足踏みする馬を綱で御した。草原で二人の騎士がそうして向き合い、両者の足が馬の腹に合図をかける。
     槍と盾とをがっしり構え、馬上で騎士と槍が激しくぶつかり合った。片方の騎士が叩き落とされ、白銀の盾が大地に突き刺さる。
     見守っていた一人の僧侶が、盾を指差し高らかに叫んだ。

     ────この盾はすでに約束された騎士のもの。使徒にして騎士たるアリマタヤのヨセフの遺品であり、……に選ばれし騎士の盾

     ────『何人も手を触れるなかれ』。

     は。と意識が急激に戻る────

     目を瞬いて手元を見れば、文字は記号として目の前にあった。立夏は思わず周囲を見回すが、そこは草原でも決闘場でもなく、慣れた学校の図書室だった。



     周囲にほとんど人が居らず、受付に図書委員が居るばかりだ。司書は十五時で業務が終わり、図書室の施錠は残る委員の仕事となる。
     時計は下校時間を示していて、時間をスキップした感覚であった。いつもより熱中して読んでいたらしく、頁も半分以上進んでいる。
     室内は明かりが灯っており、それが外の暗さを教えていた。本格的な冬も間近となり、暖かな日々を名残惜しむ様に、窓は赤い夕陽に染まっている。
     日が暮れるのは日に日に早まり、そろそろ自転車が使えなくなると思った。そうすれば焦りが少し浮かんできて、本を閉じて鞄に入れる。
     重いそれを持って立った瞬間、その場で身体が固まってしまった。
     藤丸立香だ。
     夕陽の赤をその身に受けつつ、窓辺で佇むオレンジ色の髪の少女。
     その目は真っ直ぐ立夏を見詰めている。足がその場で縫い付けられた様に、立夏はそのまま動けなかった。

     だが今日初めて────『そうだ』と何かが腑に落ちてくる。違っていた何かが戻り始める。それが今日で、今、この時。
     視線が宙でぶつかり合って、声のない意思が感覚だけで交わされていた。それが言葉にならないうち、視線を逸らしたのは立香の方。
     
    「早く帰りなさい」

     す、と身体から力が抜ける。足は自然に動き始めた。彼女の前を横切って、窓に沿って扉へ向かって。
     
    「気を付けて。顔を上げて」

     顔を。上げる。
     その言葉が引っかかり、立夏は立香に振り返った。立香は立夏に背中を向け、又あの拒絶を見せていた。

     彼女は自分の『何』だろう────そんな疑問を抱き始める。彼女とは何か繋がっているのに、彼女がそれを拒否している。
     否定ではない。拒否だ。彼女は繋がりを認めている。その繋がりを拒否しているから、あんな態度を取るのだろう。
     では『繋がり』とは一体何か。
     思い起こしてもやはり彼女との接点はない。無意識に押し出された溜息と共に、立夏は自転車を引いて歩き始めた。

     掴んだハンドルに冷えを感じる。この時期は夕方の冷え込みが一気に増す。暗くなるのも夏より早く、夕やけはあっという間に彩度を失う。
     気を取り直して校門に向かい、周囲を確認してペダルに足を掛けた。ひょいと乗り上げて足を動かし、ゆっくりと自転車は家路を辿る。
     ライトを付けるべきと思い出して、片足を前輪のスイッチに伸ばした。くん、と少しだけタイヤの回転が鈍くなり、力を込めてペダルを漕ぐ。

    『顔を上げて』

     頭の中で声が響く────読書中の感覚に似ている。そこに音はないはずなのに、大きさも質も感じ取れる。

     記憶の再現であると思った。彼女が掛けた初めての言葉だから。
     しかし『意味』をはっきりと悟る前に、がくん、と自転車が大きく揺れる。何かに引っかかったのかタイヤが動かず、慌てて片足を地面に付く。
     刹那、目映い光が立夏を包み、巨大な気配が真横に迫った。やばい、と思う間もなく激しい衝撃。何かが砕けた金属音が響く。
     ────その瞬間で意識は途絶える。
     立夏には悲鳴も叫びも聞こえなかった。空気を震わす救急車の赤が、闇を裂いてくるのも分からなかった。



    「『アレ』は死ななかったのね。案外丈夫だわ」

     全身の血が逆流した様だ────実際あり得ないその感覚に、立香はぐっと拳を握った。母に悟られない様に願いながら、こみ上げる思いを喉元で留める。
     籠った息を逃がす間もなく、すっと何かが差し出された。それを見て再び心臓がびくりと動く。真っ黒な液体で満たされた瓶────見慣れた大きな墨壷である。
     それが意味する事が分かり、全身が熱に包まれた。伸ばした手が震えない様、息を詰めてそれを受け取る。
    「生きていたならまだ使い道があると言う事ね。でも、この一瓶は貴重よ。心して挑みなさい」
    「……はい」
    「貴女、何か、した?」
     びく、と肩が揺れてしまう。どんなに態度を取り繕うと、母を騙せたためしはなかった。
     壷の重みが手首に走り、片手を出して両手で支える。瓶の中の黒い水が、たぷりと揺れて波を作る。
     黒はただの黒ではない────別の色で墨をすった。その為黒というより焦げ茶色で、元の色を分からせている。
     まあ、良いわ────母は気付きながら責めなかった。だけど、と言葉をそのまま繋げる。立香は恐る恐る顔を上げ、母の無表情なを見遣る。
    「何度も言ったけど『アレ』はただの『入れ物』よ。人格や記憶を有していても、所詮はただの『力の入れ物』。貴女が気に病む事じゃないわ。悪いのは私。貴女は何も気にしなくて良いのよ」
     項を垂れるしか、立香には出来ない。
    「頃合いよ。始めなさい」
     す、と母は壁際へと引く。
     重い息を何とか吐き出し、立香はゆっくり振り返った。家の地下に設えた部屋は、今日この時の為の場所だった。
     ここには人口の光は持ち込んでおらず、四方には行灯が立ち並んでいる。そして見えるのは異様な壁。文字や文様が書き込まれた紙が、びっしりと部屋中を覆い尽くしている。
     朱色の文字もそこに混じり、漢字もアルファベットも様々だった。オカルトマニアが見たなら笑っただろう。あまりにも『節操がなさ過ぎる』と。
     符術に使う文字に紛れ、ラテン語やヘブライ語、エノク語までも記されている。素人が考えた『最強の魔術』。創作物のネタの様だ。
     しかし、それこそ母が固執する理由。母が目指した世界であった。母は確かに天才だった。しかし同時に異端でもあった。
     その言葉は母にとっては偏見であり、排他であり差別である。
     母の悲願。自分が生まれた理由の全てがここにある。
     筆を手にして蓋を開ける。立香は思わず顔をしかめた。独特の匂いが鼻を突く。穂先を液体の中へ浸し、呼吸をゆっくり整えていく。

    「閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)────」

     床に跪き、覚え込んだ呪文を唱える。会話より先に覚えた気がする。筆を持つ手に視線をやれば、白い手の甲に赤い紋章が浮かんでいた。



    『奇跡的に命に別状はありません。これはもう、当たりどころが良かった、としか』
     大破した自転車と大量出血。見た者全てが即死だと思った。制服は切れたり破れたりで、『中』もそうだと誰もが思った。
     なのに心臓は力強く動いていて、救命センターで致命傷無しの判断となった。唯一の重症は貧血だが、それも輸血で事なきを得ている。
     駆け付けた家族に医師が伝える。
    『全身打撲ですが左手首の骨折以外目立った重篤部位はありません。脳や脊髄など、交通事故にありがちな損傷も今の所見つかっていません。経過観察の必要はありますが、今は問題ないと言って差し支えないでしょう』
     不思議な程に軽傷だった。勿論それに越した事はないのだが。規模と比べて今までの事例が当てはまらず、医師は当惑気味に首を傾げる。
    『妙な事をお訊ねしますが、息子さんは普段から大きめな刃物を持ち歩く事があったでしょうか? ……いえ、何処から見つかった訳ではなく、息子さんの腕に刃渡り10センチ以上と思わしき切り傷があったんです。服の下に、です。ここが一番の出血箇所で動脈に近く、気付いた方がすぐに血止めしないと危ないところでした。しかし肝心の刃物が見つかっておらず────』
     家族も又、困惑して顔を見合わせてしまう。
     切り傷はその一箇所のみで、他は擦り傷ばかり十数箇所に及んでいた。
     脳に損傷がなかったとは言え、酷い脳震盪を起こしている。暫くは吐き気を伴うだろうし、打撲で身動き出来ないだろう。
     それでも良かった、と胸を撫で下ろし、家族は眠る顔を見て帰った。救急で運ばれて今は個室だが、明日には四人部屋に移る予定である。
     静まり返った部屋の中に、規則正しい呼吸があった。ブラインドはきちんと閉じられていたが、隙間から僅かに光が差し込む。巡回の看護師が訪れる以外は、部屋は患者以外の気配はない。
     備え付けの壁時計も、ナースコールボタンも今は沈黙を保っていた。部屋で唯一動いているのは、ゆっくりと滴る点滴の液体。

     不意────安らかな寝息が大きく乱れる。

     喉の奥で押さえたために、小さな唸り声唇から漏れる。首を押さえ付けられた様に、呼吸が酷く切れ切れになった。

     そこに押さえる手などない。しかし顔には苦悶が浮かんでくる。肩が交互にびくりと跳ね、身体を覆っていた布団を弾く。
     何かを掴む様に上がった右手は、真っ直ぐ天井に向かっていた。瞼は硬く閉ざされたまま、唇が言葉を作り始める。
     
     告げる────

    『汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ』

    「なんじ、の、身は我が、下に、我がめ……い、うん、はなんじ、の剣に……聖杯の寄るべ、に従い、この意、この理に……従うならば、応えよ────」

     『立香』は手を挙げ、陣に向ける。床に描かれた魔法陣は、『立香』の呪文に応じ始めた。
     
     空気が液体の様な重さを持つ────粘液質のそれの中で、必死で声に集中する。
     空気に重さをもたらしたのは、愚者を拒む『法則の壁』だった。実力と覚悟を備えたものは、この壁を打ち崩して進まねばならない。
     押しつぶされそうな重圧の中、『立香』は続く呪文を唱える。傍らに聞こえる息遣いは、一体誰のものであるのか。

    『誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者』

    「ちかいを、ここ、に……われ、は、とこ、よ、すべての、ぜんをし、くもの……」

     魔法陣を作る文字は、全てあの墨で描いた。墨文字はぼんやりと光を放ち、周囲に霧が浮かび始める。光は魔力の発現であり、空気とぶつかって熱を生む。
     僅かな湿度が反応を見せ、魔力と混じって霧と変わった。
     濃密なそれはゆっくり部屋を満たし始め、『立香』は痛みに顔を顰める。体内の魔力回路が動き始め、神経をびりびりと刺激している。

    『汝三大の言霊を纏う七天』

    「汝、三大の、言霊を、纏う、七天」

     詠唱は全ての意識を集中させ、脳裏に魔法構築のみを映し出す。全身の痛みに耐えながらも、確実に魔力は発動している。
     この世の者ではない気配が、空気に溶け込んでいるかの様だ。気配を意識で手繰り寄せ、確かなものへと変えていく。
     そして大きく展開した自身の呪文を、正しく、完全なかたちで、閉じる。

    『抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ────!』

    「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ……!」

     陣の上に稲妻が走り、『立香』は手応えを感じ始めた。呪文に魔力を乗せながら出現を願う。伸ばした指先がちぎれそうに痛い。

     一方では地震でもないのに棚やベッドがかたかたと震え、眠る『立夏』の頭が揺れた。ブラインドがばさばさと音を立てて、常夜灯の光が差し込んでくる。
     
     油断すれば『持っていかれる』────無意識に顔が空を仰いだ。最後の呼びかけを大声で唱える。ふ、と何かが繋がった感覚。心がそこに手を伸ばす。
     
     天井の闇に伸ばされた手が、ふるふると大きく痙攣した。右手の甲にじわりと赤い痣が浮かび、はっきりと何かの紋章となる。

    「………う、あ……あああああああああああああ!」

     絶叫に何かが重なってくる。低く甘い響きのその『声』は、恨めしそうに、しかし嬉しそうに叫んでいる。

    『────俺を呼んだな!』

     伸ばしてた手がぽとりと落ちる。
     
     再び静寂に包まれる部屋には、立夏の寝息があるだけだった。しかしシーツに投げ出された手の甲には、くっきりと赤い紋が刻まれていた────

     

     光と霧とが絡みあって、陣の上で回転している。立香は懸命にそれを視界に納める。あまりの光量に咄嗟に腕で目をかばった。
     渦巻く魔力の霧の中に、青い人影が浮かんで見えた。息を飲んで腕を下ろす。光もじわじわと収まっていく。
     そうして陣の中に居たのは、長い髪の青年だった。身の丈程もある杖を持ち、顔はフードに隠されている。
     杖は立香に理解を及ぼした。彼こそ自分の『サーヴァント』。自分の相棒となる存在だ
    「……キャスター?」
    「おう。召喚に応じ参上した。アンタが俺のマスターか?」
     にやり、と口角を引き上げる────
     青年に立香は頷いた。彼が果たして『誰』であっても、これから命を預ける存在だった。
     いよいよ『戦争』が始まるのである。それを改めて実感する。勝ち残るどころか生き残られるかの保証もない。ただただ殺し合うだけの関係が生まれ、そこに一切の容赦はない。
     しかし『悲願』に向かう為に────立香はぐっと顔を上げた。真っ直ぐ見詰める立香の目に、青年はふっと口角を上げる。
    「貴方のマスター、藤丸立香よ。貴方の名前を教えて。契約をここに」
    「良いだろう。我が名は────」
     これでもう、戻れない。
     立香は心の中で祈った。せめて『彼』だけは巻き込まぬ様に。後ろで見詰める母の気配に、そっと拳を握りしめた。
     
     
     
     三日で病院を後にした立夏だが、その後一週間は寝て過ごした。何せ動く度に全身が痛い。たかが打ち身と思っていたが、全く馬鹿にならないものだ。
     ────そんな感想を抱きながら、立夏は10日ぶりの登校となった。左手首を傷めている為、僅かな距離だが今日はバスを使っている。歩いていきたい所だったが、すっかり筋力も落ちてしまった。
     明日からはリハビリだな、と。よろよろとタラップを降りて校門に向かった。途中数人の級友に声を掛けられ、笑って挨拶してその背を見送る。
     校門に吸い込まれる沢山の学生────ふと、その光景に足取りが重くなった。立夏は思わず目を見張る。一枚の写真を見ている様に、視界全体が作り物に見え始める。
     質感や光沢は至って普通だ。立体感もちゃんとある。なのに張りぼての様な感覚があり、校門を潜るのを躊躇ってしまう。
     ほとんど止まり掛けた立夏の身体に、どん、と大きな振動が走った。会話に夢中だった一人の生徒と、立夏の肩がぶつかったのだ。
     互いの視線が不意に交わり、視線だけで謝罪を交わした。しかしその勢いで一歩押し出されて門柱を超える。息を飲む様な暇すらなかった。
     ゼリーの壁を通った様な、身体にまとわりつく重い、何か。
     一瞬だった────それが正確な表現とも言えない程。今まで経験した事のない、全身を舐められた様な不快感だった。
     遠く感じる人声────笑い声。何もかもが別の世界を覗いている様。得体の知れない恐怖を覚え、じわりと汗が滲んでくる。
     首は自然にうなだれていて、喉に生唾が引っかかった。息苦しさを堪えていれば、また、あの言葉が思い出される。
     顔を、上げる。
     何かを振り切って顔を上げる────と。そこには『いつも』の学校が見えた。空も何もきちんと『馴染んだ』、自分が知っている世界だった。
     そんなに疲れているのだろうか────息を吐き、立夏は再び歩き出した。気分はまだどんよりと重いが、足は勝手に進んでくれる。
     次第に大きく見えてくる建物。見上げればかなり高い位置に手摺りが見えた。屋上だ。この建物には何百もの人間が詰め込まれていて、何かが起こればその何百人が被害に遭う。
     何かが起こるのか。何故今、そんな事を思うのか。
     これは気後れだと自分に言い聞かせ、立夏は意識して早足になった。交通事故などと言う珍しい体験、久々の学校に違和感を覚えるのは仕方がない。
     きっと皆も興味津々だろう。この緊張はこれから浴びるだろう視線への覚悟だ。立夏はそう思う事にした。教室での第一声を考えながら、昇降口へと向かっていった。
     
     
     
     そう言えば、と今更思う。自分には何故、友達が居ないのだろう────と。
     居ない、と言うのは正しくない。正確には登下校を共にする仲間が居ない。幼馴染の存在もなく、近所に親しい関係の同世代が居ない。
     しかし多少家が離れたとしても、友達なら自然に途中までは共にするだろう。あるいは寄り道などして遊んでみたり。何らかの集団行動をとるはずである。
     しかしそんな記憶がない。虐められている訳ではない。普通に皆と語り合えるし、グループ学習でも問題はない。
     修学旅行はちゃんと友人達と班を作った。では何故、自分は基本的に一人なのか。
     今まであまりにも自然すぎて、一人を可笑しいと思わずにきた。図書館に入り浸りで会話が少ない。それが大きな要因である。
     この要因、いつから始めた事だったか。多分十年は前の話だ。学校の図書館は小学校二学年から利用可能になり、立夏の毎日は始まっている。
     ここに来てようやく『違っている』のは周りではなく、自分自身だと気付かされた。自分こそが異端であり、この世界から一歩距離を置かれている。自分は一人になったのではなく、最初から自分は一人なのだ。
     
    「────くっ……!」

     そして今、初めて『同じ領域』の相手に出会っている。初めて会った相手であるのに、不思議な親和を感じていた。


     
     『彼』には違和感を感じられない。学生ではないどころか日本人でもなさそうだし、服装と言えばいつの時代かと思うようだ。
     問題は相手が自分を獲物と見なし、今まさに殺そうとしている事であった。真っ赤な槍をその手に持ち、容赦なく穂先を突き付けてくる。
    「逃げるの、隠れるのは上手いな」
     嘲笑混じりに男は言う。
     並ぶ本棚の影に隠れながら、立夏はひたすら息を殺した。男はほとんど足音を立てず、気配を追う事も難しかった。
     どうしてこうなった────
     いつも通りだったはずだ。今日も図書館を訪れていた。朝はぎりぎりだったので行く事が出来ず、昼は休学中のノートのコピーで終わってしまった。
     そして放課後。一番に駆け込んで帰り間際の司書を探した。本の貸出期間が過ぎている事と、何より破損の報告と謝罪である。
     鞄は自転車の籠に入れてあり、事故で中身の大部分ごと大破してしまった。本は道路に投げ出されてしまい、カバーや中身の半分近くが、破れたり皺になったりしている。
     弁償しなくては、と司書を探すが、司書の姿は何処にもなかった。それどころか遅れて来るはずの委員も来ない。室内中を巡っていると、不意に又あの感覚に襲われる。
     ゼリーで出来た壁を抜ける、そんな重苦しい何かの領域────
     気付くと目の前に男が居た。赤い槍を肩に抱え、ゆっくりと立夏に振り返った。
     何故だろう。全く記憶にない相手は、しかし酷く懐かしい人に思えた。長い髪を背中で纏め、見知らぬ系統の服を着ている。
     男は立夏の姿を認め、にぃ、と口角を引き上げた。とんとん、と槍で己の肩を叩き、その穂先が下を向く。
    「結界を通ったって事は、アンタも参加者だな?」
     意味が分からない。
     欠席中、何か催しでもあったのだろうか。そんな思考は赤い穂先で中断される。思わず後方に飛び退いた次の瞬間、今まで居た場所に槍が突き立った。
    「良い反応だ。勘は良いみたいじゃねーか」
     男との距離は約三メートル。長槍にこの距離は安心出来ない。とは言え今、男はほとんど動かなかった。動きに気付く事が出来なかった。
     避けられたのはまさに奇跡だ。自分でも信じられない結果である。それが相手を煽った事は、十分過ぎる程分かるのだが。
     男は至極楽しそうに、じわりと爪先を躙らせた。打ち身のダメージは抜けきっておらず、十分な動きも出来ないと言うのに。
    「出し渋ってるとアンタの心臓をこの槍が貫くぜ。さっさとアンタの『手』を出しな。聞いてるんだろう? ────こいつの『サーヴァント』も!」
     前半は自身に言ったのだろう。『手』を出せ、と。この場合言葉どおりの手の事ではなく、立夏が持つと思われている何かの事と思われた。
     しかし全く心当たりがない、が。続く言葉に眉を寄せる。後半は立夏ではない誰かに向けられ、その誰かとは『サーヴァント』である。
    「……サーヴァント?」
     直訳すれば使用人とか、従僕。召使いの立場の呼び方だ。立夏の家はごく一般的な家庭であり、家政婦すら雇ったことはない。
     完全に勘違いされていると感じ、立夏は慌てて首を振った。混乱で違う、としか言葉が出ず、必死に考えを整理する。
     そんな様子に訝しんで、男はすっと目を細めた。話し合う余地が出てきたのか、立夏は深呼吸して口を開く。
    「あの……参加者とか、何の事か分からないし。サーヴァントってのも心当たりが無いんです。何をしてるか分かりませんけど、俺、多分部外者で……」
    「部外者?」
     不満そうな声音だった。さも、当てが外れたと言いたげな。
     小さな溜息が一つ落ちたが、男の逡巡は一瞬だ。次には又立夏を見詰め、今度は憐れむ様な笑みを浮かべた。
     ぞく、と悪寒が背中を駆ける。状況が悪化したと直ぐに分かった。男がすっと手を差し出すと、突き立っていた槍がひとりでに動いてその手に戻る。
    「!?」
     ぱしり、と小さな音が響き、槍がその手に握り直された。穂先が音を立てて一閃し、男はゆっくりと何かの型を取る
    「獲物じゃなく、単なる雑魚かよ。詰まらねえな。アンタにゃ悪いが、これも戦争のルールなんでね」
     ────せめて一瞬で終わらせてやるよ。
     その言葉が終わらぬ内に、立夏は床を蹴っていた。本棚の間に飛び込んで行き、男の視界から必死で逃れた。
     
    「ははっ────何だよ。楽に死なせてやろうってのに、楽しませてくれんのか?」

     狂っているのか。
     立夏はその場で靴を脱いだ。少しでも音を立てないためだ。そっと息を殺して辺りを伺い、注意して出口につま先を向けた。
     しかし。
    「っ!」
     背後で本棚が音を立てる。爆音の様な感覚だった。耐震補強がされたここは、多少の衝撃では倒れてこない。潰される心配は取り敢えずないが、あの槍、かなりの威力がある。
     下手に動けば見つかりそうで、走ったら最後串刺しになる未来が見えた。何でこうなったのか。それを考える余裕はない。
     呼吸の音すら殺しているのに、心音は外に漏れそうな程だ。固定した左腕に視線を落とす。足でないのが幸いである。
     誰か、と思うが誰も助けになど来るはずがない。結界、とさっき男は言った。あのゼリーの事だろう。あれがここへの『門』であるのだ。
     SFかファンタジーの感覚で言えば、今居るここは図書室であって図書室ではない。少しずれた別の次元、そんなものと考えるべきだろう。
     フィクションの世界に紛れ込んだのか。重々しい息が落ちてきた。それも理性で音を消して、その分気持ちは重いままだ。
     自分は一人だ。迎えに来るような友達は居ない。誰も自分を思い出さず、思い出す必要が『世界』にはない。
     ゼリーの向こうが自分にとっての異世界であるなら、こここそが自分の居場所だろうか。明らかに敵である彼にさえ、恐怖はあっても違和感がない。
    「何で……」
     自分は、『誰』だ────
     疑問が思考を埋め尽くしていく。
     自分は『誰』で、ここは『何処』だ。自分はどうして『ここ』に居るのか。
     
    「────!」

     視界の端に何かが写り、立夏は咄嗟に身を翻した。途端、バランスを崩して足がもつれ、そのまま床に投げ出された。
     同時に乾いた爆音が上方から聞こえる。連続した衝撃が足元を叩いた。本だ。崩れ落ちてきた大量の本が、立夏の足に山を作る。
    「っ!」
     動けない程の重さではない。膝を退けば本は更に床に散らばった。起き上がろうと片手を付くが、肩がびくりと跳ね上がる。
     その付いた手、すれすれに、赤い切っ先が突き立っているのだ。
     あと数センチずれていれば、手の甲の真ん中が床に縫い付けられてしまっていた。多分、意図して外したのだろう。右手の甲には包帯が巻かれ、立夏はその白さに息を飲む。
     赤────この下にあるものは。果たしてそれを狙われたのか。隠されたそれを暴こうとしたのだろうか。
     ゆっくりと顔を前に向ければ、本棚の影から男の姿が見え始めた。見回せば周囲は思ったより酷い。あちこち抉れてしまっている。
     立夏は思わず首を傾げた。視線を外す前は普通だった。本は数カ所から落下しているが、聞こえた音は一度きりだ。
    「……?」
     一度の投擲で複数の攻撃。赤い槍には何かの文字。
     見覚えあるそれにふっと言葉が口を衝く。男を知っていた気がするのは、覚えていたこの名のせいだ。
    「クー・フーリン……」
     男の顔色がさっと変わる。余裕の笑みはそこになく、能面の様に色を無くした。
     以前借りた本で読んだ、ケルト神話のアルスターの戦士。太陽神ルーの息子にして、魔槍ゲイ・ボルグの使い手。
     影の国より賜れしそれは、一度投擲すると幾重にも分かれて複数を倒す。必ず持ち手の元に戻り、狙われた者は逃れられない。
    「……本当に生かしちゃおけねえな」
     間違いない様だ。男────クー・フーリンが手を伸ばす。又しても槍が宙を跳んだ。その手に槍が戻ってしまえば、今度こそ死への覚悟が突き付けられた。
     心臓が煩わしいほど五月蠅く感じる。中から鼓膜を破ろうとする程。顔は酷く熱を持つのに、指先はじわじわと血の気を失う。
     誰か助けは来ないのか。誰も他に来られないのか。
     誰か。誰か────誰か誰か誰か誰か────
     クー・フーリンが槍を構える。涙で視界が一気にぼやける。何も分からぬまま死んでいくのか。誰かここに『居るはず』なのに。
     
    「っ……誰、か……!」

     襲い来る穂先から逃れようと、無意識に右手が挙がっていた。掌を男に差し向けた刹那、どん、と身体に重みが走った。
     
    「っ!」

     息を飲んだのは立夏と────クー・フーリン。周囲の空気が一変する。出し抜けに現れた目の前の影が、立夏を隠す様に間に立った。
     
    「テメエ……っ!?」

     漆黒のコートがゆらりと揺れ、固いブーツの足音が響く。瞠目していたクー・フーリンだが、瞬時に体勢を整え直す。
     立夏を殺す為の投擲ではなく、男に備える防御の姿勢だ。相手の手の内が分からない今、無策に飛び出す英雄ではない。
     立夏からは背中のみだが、その異様さをひしひしと感じた。帽子やコートは年月を経た傷みが見え、そこから覗く肩までの髪は、かつては濃かったと思わせる色だ。
     老いて成った白髪ではない。そんな不確かな予感があった。闖入者は得物らしきものを持っておらず、しかし躊躇い無く槍兵に向かっていく。
     慎重ではあっても我慢の利くタイプではないのか。クー・フーリンは舌を鳴らした。途端、一瞬にして間合いが詰まる。槍は男の腹を狙う。
     男は驚いた様子もなく、左手で槍を軽くいなした。右手がぐっと握られたと思うと、今度は逆にクー・フーリンが跳ぶ。後方へと逃れる彼を追って、男が大きく一歩踏み出す。
     その音を何と表現したら良いのか。立夏は大きく目を見開いた。男の右手が白く光り、光る球体が現れたのだ。
     とは言えそれは光ではなく、気象天気図で見る台風を思わせる何かだった。激しく回転する何かは空気────『気』の塊だろうか。雷を纏わせたその塊が、踏み込みと同時に凄まじい勢いで押し放たれる。
     そう────押し出したという体勢に見えた。重い何かを打ち出した様な。空気を裂く音が走る。球体は真っ直ぐクー・フーリンを目掛けて飛び、彼は槍を横に構えて楯にする。
     本来防げる様なものではないが、魔槍はやはり普通ではなかった。空気爆弾とでも言うべきそれを、魔槍を一回転させて弾き飛ばす。しかし伴う威力は消しきれておらず、クー・フーリンの足が押されて退く。
    「────テメェ!」
     闘争心に火が着いたか。クー・フーリンの顔付きが変わる。『番犬』を意味するその名の通り、敵を前にした獣に見えた。
     ────が。それもほんの一瞬の事だ。顔からふっと怒りが抜ける。どちらかと言えば苛ついた様な雰囲気に変わり、眉をひそめて口を結ぶ。
     最後に小さく舌打ちし、その唇が言葉を作った。わかった、形からはそう読める。何処からも他の音はない。
    「……今の、魔法じゃねえな……キャスターじゃなきゃ、アーチャーか、テメエ」
     キャスター、アーチャー。聞き慣れない言葉だ。英語ではあるがその意味通りにとって良いのか。しかし彼は『魔法』と言った。
     魔法使いならウィザードあたりが一般的だろうが、呪文を唱えるものと言う意味でキャスターと呼ばれる事もある。
     アーチャーはそのまま『弓兵』だろうか。差し詰めクー・フーリンはランサーか。男は何も所持しておらず、服装からすればキャスターが一番しっくりくる。が、そうでないとしたら彼は一体『何』なのか。
    「さてな……貴様は、我が姿に何を見る?」
     男が初めて口を開く。
     立夏ははっと息を飲んだ。男が発したその響きが、耳の奥底に残っていた。
     事故にあったあの夜────夢現で聞こえた声だ。
     『オレを呼んだな』。
     『呼んで』、『応えた』のが彼だと言うのか。
     クー・フーリンは目を細め、槍を肩に担ぎ直す。闘気はそこに感じられず、つま先は別の方向を向いた。
    「残念だが仕切り直しだ。テメエとはいずれ決着を付ける。やり合ってりゃその内厭でも顔を合わすだろ。そしてそこのマスター────」
     男に向けられていた鋭い視線が、立夏にぴたりと定められる。抜けかけていた緊張が呼び戻され、立夏はひっと喉を鳴らた。
     情けないと思ってみても、虚勢を張れる様子ではない。そんな立夏に眉を寄せ、不快そうに彼は言う。
    「なぁにが部外者だ。まぁ、騙されたオレも間抜けだがな。この借りは必ず返す。他の誰かに寝首を掻かれない様に、今以上に注意するんだな」
     問い掛けても返事は貰えそうにない。
     立夏は返す言葉が無かった。未だ自分は何も知らず、何が起こっているのかも分からなかった。
     ただ一つ感じているのは、恐怖はあっても違和感はない。違うと感じてきたこの世界で、ようやく『これだ』と納得している。
     こんなフィクションの様な出来事の中が、自分の本当の居場所だと言うのか。当惑して動けない中、クー・フーリンは棚の影に消えていく。
     そうしてふっと空気が変わり、何か『動き出した』気配がした。
    「────立て」
     男が肩越しに立夏を見遣り、そう一言呟く。立夏はようよう腰を上げる。床は落ちた本でいっぱいだった。
    「……貴方は……?」
    「貴様はとうに知っている。そしてオレは名を持たん」
    「え……」
    「オレは貴様の地獄を見届ける。貴様の足掻きを見る為に居る」
     酷い言われ様だ────しかし不思議に怒りはない。
     彼はそうした存在だと、自分はちゃんと理解していた。
     彼が『サーヴァント』だと言うのなら、『マスター』────主は自分だと言う事になる。とても主人に対する態度ではないが、関係は想像するより複雑かも知れない。
     彼が動くのは思惑が一致した時。自分の意志が彼と合致した時だろう。その時彼は今の様に、立夏を守るために立つのである。
    「オレが必要ならば呼べ。オレは貴様の弾丸の一。ここは貴様の監獄だ」
     す、とその背中がぼやける。消える、と直ぐに感じ取った。何処か懐かしい笑い声は、嘲笑でも哀憐でもなく、芯からの愉悦だった。
     男の姿が消えた次には、息飲む音が聞こえてきた。そちらの方へと視線を遣れば、少女が一人、目を瞬いている。
    「貴方……」
     学校の制服────見覚えある顔だ。確か一年先輩の遠坂凛。学園でも評判の美少女であり、学年問わず憧れるものは多い。
     方々の惨状に視線を遣り、最後に再び立夏を見た。その頃には驚きは消えて剣呑さばかりになり、立夏は困って眉を下げる。
    「……貴方、ひとり?」
    「わ……分からないんです。何が起こったのか」
    「当然『それ』の意味を知ってるのよね?」
     それ、と凛が指をさす。
     視線に導かれてそこを見れば、立夏ははっと息を飲んだ。包帯の留め具が外れており、手の甲の痣が覗いていた。
     思わず手を握り締めるが、凛の顔は更に強ばる。ゆっくりと首を横に振れば、重い溜息が聞こえてくる。
    「また大問題ね……来なさい。説明してあげるわ。その前に────」
    「遠坂さん……藤間くん……!? なに、これ。どうしたの!?」
     凛の脇から顔を出す────見つからなかった司書だった。どうやら無事で居たらしいが、無事でないのはこの状況だった。
     第一発見者は疑われやすい。犯人と思われてしまうかも知れない。立夏のそんな不安を余所に、凛は冷静に司書に言う。
    「私と彼が来た時はもう、この状態で……警察を呼んで下さい。不審者が入り込んだのかも」
    「不審者……そ……そうね……きっとそうね……」
     面倒な事になりそうだ────
     立夏は早めの帰宅を諦めた。色々と言い訳を考えつつ、本を避けて歩き出した。
     凛の方へと近付いていけば、凛が右手を差し出してくる。立夏は大きく目を見開く。彼女の手にも、赤い紋様が浮かんでいる。
     これが『参加証』と言う訳か。立夏は漠然と思い至った。彼女も又『参加者』で、自分達は『敵』同士だ。
     だが今は一時休戦。そう言うことだろうと納得する。世界の違和感はじわじわと薄れ、視界は新しい感覚を持ち始める。
     ここから何処へ、どんな風に変わるのだろう。立夏は覚悟を決め始めた。自分は『馴染み』つつあると、世界に向かって感じていた。
     
     
     
     学校とは兎角、雑多な仕事が多いものだ────
     所謂『雑用』係だな、と自覚していた。断れない質であると同時に、自分の得意分野でもあるせいだ。
     目の前の機械に手をかざして、その内部を『心で覗く』。異常が見えたその部分に、ドライバーの先を向けていく。
     面倒ではない。ただ、時々自分が可笑しくなる。複雑な『回路』を『視て』『辿る』事は、無駄と言われつつ楽しかった。本質を見抜いて複製や再生させる事は、自分を高めていく様な気持ちであった。
     そうして様々な雑用を終え、衛宮士郎は生徒会室を後にした。役員でもないのに出入りは自由で、居残る率も一番高い。
     鍵は下校際に教員室に戻せばいい。いつの間にか会長公認でそうなっていた。他が聞いたら貧乏くじと言われるのだろうが、苦にならないのだから気にはならない。
     さて、と帰り道に視線を遣れば、少女が一人、廊下の真ん中に立っていた。廊下片側は窓が多い。オレンジの夕日が差し込んでいる。
     光に負けないくらいのオレンジ色の髪の、隣のクラスの女子生徒だ。士郎は眩しさに目を細める。そして彼女の名前を思い出す。
    「……藤丸さん?」
    「はい。衛宮君、だよね?」
    「うん、そう。これから帰るの?」
    「そうなんだけど……衛宮君に挨拶しておきたくて」
     士郎はふっと首を傾げる。
     彼女の表情はよく見えなかった。手には鞄を持っていなかった。
     訝しんで口を噤めば、彼女の口が弧を描くのを見る。厭な予感がじわじわとこみ上げ、無意識に身体が向かい直る。
     平凡な日常が壊れていく。あるはずのない音が聞こえそうだ。空気が緊張に強張っていき、光も毒々しく感じ始める。
    「衛宮君が一番手強そうかな、って。衛宮君自身は兎も角として、三騎士は早めに潰しておきたいもの」
     ぎくり、と胸の奥が大きく軋んだ。立香は一歩前に出る。その刹那、彼女の背後に人影が現れた。
     フードを被った異国の装束。
     彼女の身長では隠れ様もない、かなりの長身の青年であった。その手には背丈ほどの杖が握られ、先端に何か文様が見えている。
    「まさか……」
    「そのまさか、なんだ。出会ったばかっかりで悪いけど、『戦争』だものね。戦闘慣れされちゃう前に、殺しておこうかな、って」
     にこ、と笑むその顔の中に、楽しさは欠片も感じなかった。青年が彼女の前に出る。フードで顔ははっきりと見えなかった。
    「じゃあ。始めるとするか」
     こつん、と杖が床を叩く。
     士郎は咄嗟に右手を挙げる。胸を掴むその甲には、くっきりと赤い文様が刻まれていた。
    くう Link Message Mute
    2019/07/26 20:52:16

    【FGO】Fortune Ring

    FGO二次創作。もしもぐだーずが第5次聖杯戦争の参加者だったらif。
    色々好き勝手書いているので、公式至上主義の方は閲覧にお気をつけ下さい。
    書きたいところまで書いたので、続きは未定。
    #二次創作
    #FGO

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      くう
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