【無言電話】
科学班として第8特殊消防隊にすっかり馴染んだヴィクトル・リヒト。隊員達は彼が灰島重工のスパイだった事などお構いなしだが『彼』との繋がりはまだ知らない。秘密基地と第8を行き交うリヒトの日常。
※舞台は原作17巻辺り。既刊とF.F.F.からの設定と独自設定を併用。
皇国に暮らす人間ならば誰もが忌避するであろう地下空間。
使用されていない下水道は未だ湿気に満ちているが、住めば都である。
むしろ気になるのは下水道の臭いすら貫通するピザの匂いだ。
「隠れる気ないよねぇ……」
リヒトは呆れながらも勝手知ったる歩道を進む。
そして我が城とも言える秘密基地の扉を開いた。
「おう、お疲れさん」
相棒のジョーカーがソファーに寝そべったまま労いの言葉を投げかける。
最初こそ第8に勤めるリヒトをイジリ倒していたが、今は仮の公務員生活を応援してくれている。
彼なりに。
「アー何とかって奴の何とかデイってレコードな。ちゃんと出品されてたぞ」
手渡された紙袋の中身は確かに買い物を頼んでいた品だった。
「あやふやな記憶でよく手に入ったね。ありがとう」
「ジャケットが気味悪くて印象的だったからな」
「そう? 比較的爽やか系なんだけどな」
「……俺らがバンドだったら三分で解散してるな」
何はともあれリヒトの週末の楽しみが増えた。
「僕もおみやげ。第8の夕飯のおすそ分け。今日はアーサー君の当番だよ」
「メガネ中隊長じゃねぇのか。そんでこれは……キャベツの千切り?」
タッパーにみっちり詰まる薄緑色。千切りを通り越して綿のようになった何か。
「青臭さが全然なくて、レモンソースが合うんだ。プラズマ包丁との関係を調べたいよ」
リヒトはいくつかの荷物を手提げに放り込み、早々と第8へ戻る仕度をしている。
「脂っこい物以外も食べてよね。それじゃまた行ってくるよ」
重い扉が閉められ、ジョーカーはタッパーを持ったまま取り残される。
「いや、レモンソースも持って来いよ……」
miyoshi
Case number 1 【無言電話】
時刻は17時15分。晴れ。
「はい、こちら第8特殊消防隊です」
マキが自分のデスクで電話を取り、落ち着いた声で何度か呼びかける。
「声を出すのが難しい状況でしたら、逆探知しますのでこのままの状態で……」
そう言った途端向こうから通話を切られたようだ。
「またか、例のだんまりは」
隣の席のアーサーがボールペンで小さな曲芸をしながら尋ねる。
「たぶんね。さすがにこれは業務妨害」
「人間の耳に聞こえない声で喋ってるだけかも知れないぞ」
「妖精さんかな……な訳あるかッ!」
「痛ッて!」
窓辺でそのやり取りを見ていたリヒトは軽く身を乗り出す。
「無言電話って多いんですか?」
すると室内の全員が声を揃えて多いと呟き、それぞれ独り言のように嘆き始める。
「じわじわ増えてる気が……ホント勘弁して欲しいんですけど」
シンラは指先をわなわなと震わせ電話を指す。管区の住民の生命線なのにと。
「最近酷すぎ。本当の通報と被ったら困るんだけど」
タマキもうんざりした様子だ。
「他の隊にも聞いたんだが、どうも第8だけらしい」
隣の大隊長室から桜備が顔を出す。片手には当たり前のようにダンベルが握られていた。
「通報者が声を出せない可能性もあるからな。発信元は調べるようにしているんだ、なあ火縄」
「はい。全て公衆電話からです。発信元は毎回少しずつ変わっています」
火縄がリヒトに調査結果の記されたファイルを手渡す。赤ペンが入っている欄が無言電話だ。
「……うわぁ」
通話記録と隊員の名前がずらりと並ぶ。リヒトも引くほどの頻度だ。
ここで清掃時間を知らせるアラームが鳴る。
「書類仕事がなければ各自清掃に行ってくれ。物を溜めるなよ」
火縄の一言で隊員達がきびきびとした動作で動き出す。その中にはアーサーもいた。
アーサーの仕事ぶりを正面から見ていたシンラは羽交い絞めで引き止める。
「おい馬鹿騎士、お前はまだだろ……」
「俺しか知らない冒険譚があっても良いだろう」
「それ報告書な、それ仕事なんだよ、な?」
結局事務室に残ったのは火縄、アーサー、そしてリヒトだ。
「ところでリヒト捜査官はここで何を?」
火縄の疑問も尤もで、リヒトの仕事の多くは彼のラボか外部の実験施設で行われている。灰島か第5かはその時々の内容に依るようだ。
「部屋にネズミがいる気配があったので、罠を仕掛けて様子を見ようかと」
「それはいかんな。業者を呼ぼう」
「いえお気遣いなく」
ネズミに齧られて困る物しか置いていないが、このところ私物に等しい標本も増えてきたので外部の人間を入れたくないのが本音だ。それに物の位置を勝手に変えられるのも中々のストレスになる。
という訳でタマキの席を借りて生命科学の新着論文を読み漁るなどしていた。
「なあ、変な時間だけどコーヒー飲むか?」
桜備がコーヒーサーバー片手に再び顔を出すと、火縄とアーサーが素直に自分のカップを差し出した。コーヒーに関しては桜備に一日の長がある。リヒトも持参のカップとグルコースの袋を取り出すと、アーサーが奇妙なものを見る目でリヒトに問いかけた。
「なあ、ビーカーで飲まないのか?」
突っ込むならグルコースだろうと言いたげな桜備と火縄を横目にリヒトは手を振る。
「科学者にそういうイメージあるのかな。そりゃあ熱には強いし目盛りもあるしスターラーに放置してたらスプーンいらずだけど、普通に危ないよね。火傷もするし」
飲んだことあるだろうと言いたげな桜備と火縄をまだまだ横目にコーヒーを啜るリヒト。
そしてまた電話が鳴り響く。
「はい、こちら第8特殊消防隊です。焔ビトですか、火災で……」
火縄がしかめっ面をしている。また切られてしまったようだ。
「本日二度目か」
桜備は警察課との本格的な連携を提案する。イタズラの範囲はとうに超えていた。
「逆探知の余裕もありませんでしたね。電話会社に問い合わせます」
「その前に少しいいですか」
リヒトは一度目の電話と今の電話の通話時間の違いが気になっていた。
些細と言えば些細であるが、業務を妨害するのが目的なら今の電話はあまりにも短い。
「俺の時は大体こんな感じだぞ」
「中隊長の顔が怖いんだろ」
アーサーの指摘に一瞬眉を下げそうになった火縄だが、電話で顔が見えるかと拳を振りにいく。
「俺もあれぐらいだな。たまーに舌打ちされる」
桜備は地味に凹んでいるようだ。
「このアーサー・ボイルも騎士王の名乗りを上げる暇がない。隊の名前しか言えない」
「名乗り上げんでいい」
「おい火縄、玉ネギの収穫みたいになってる」
現時点のリヒトの中には一つの可能性が浮かんでいた。ただ、全ての無言電話が同一人物と仮定しての話である。その上で他の隊員にも聞いてみたいと思った。幸い夕食には全員集まるので願ったり叶ったりである。
「俺なんて隊の名前すら最後まで言わせてもらえませんよ」
シンラは皿にシチューを注ぎながら再び憤慨していた。毎回高速でガチャ切りされるようだ。
そこでタマキが小さく手を挙げる。
「シスターも含めてその話をしたことがあるけど、だいたい30秒でリサだけ1分くらい?」
本日の食事当番だったリサは食事を作った後にユウの元へと出かけている。
「あー…思い出しました。それで変質者疑惑の話になって」
女性陣が一様に苦い表情を浮かべる。
「リサさんも電話に!?」
「え、ええ、最初の頃の一回だけですが」
マキが驚いてポニテを揺らす。
偶然が重なって無人になっていた事務室に、夜食を運びに来たリサが通りがかったようだ。
「ちょっと待て、 俺の時も結構長いんだけど」
ヴァルカンがやや青褪めた顔をしている。
「ああ、何か……お前はモテそうだしな」
誰からともなくフォローになっていないフォローが入る。
「そうなると……」
リヒトは新しい材料を得て再び思考を巡らせる。
その時、食堂の電話が鳴り響いた。
素早く受けたのはタマキだ。
「マルミデパートの最上階で焔ビト出現です!従業員が防火扉を閉じて凌いでいます」
「よし、焔ビトの特徴は聞けそうか?」
桜備はタマキの肩に手を乗せ、状況を聞き出しては全員に指示を出す。
「現場は可燃物の多い催事場だ。焔ビトは一名。客と従業員は最上階から避難済みだが、腕力の強い焔ビトが防火扉を破りそうな勢いだ。シンラは上空から乗り込んで確認を。マキは避難誘導、アーサーは瓦礫に備えつつ…」
そして室内には火縄、タマキと入れ替わりに待機するアイリス、リヒトが残った。
「これはどういう基準で残ったんですかね?」
火事場で迸るアドラバーストの炎を見たかったリヒトは少々不満のようだ。
火縄が少し耳の痛そうな表情で答える。
「狭い屋内向きではない俺、聖職者のシスター、万が一の時に運転を頼みたい捜査官だ」
「なるほど」
つくづく手薄な隊である。
「いざとなったら私もホースを運びますよ」
アイリスが力コブラのポーズでやる気を見せている。
「そうだ。ここで一つお話が……」
リヒトは長い腕をゆらゆらと動かして二人を手招きする。
「何だ?」
「さっきの無言電話の件です」
アーサーのデスクを借りたリヒトが電話会社の地図を広げ、ペンで印を付けていく。
「ここと、おそらくここと…あとは…で」
「そう言われると確かに辻褄は合うが……根拠はさっきの通話時間だけか」
憶測の粋を出ないため、火縄は少し渋っている。
「無言電話の動機は大別して三つ。悪戯、怨恨、ストーカーです」
暇なのか、それとも第8に思うところがあるのか、声を聞きたい好きな人でもいるのか。
「しかし各隊員の通話時間の特徴から別の可能性が見えました。目立つ火災が起こった今が狙い目のはずです。ダメ元でも試す価値はあるかと」
ここで火縄もようやく頷いた。
「人数だけはどうしようもない。第5から何人か借りるか」
「では私はアシスタントに入りますね」
アイリスは緊張気味に頷いた。
時刻は18時45分。
さっそく一本の電話。
リヒトはポケットに両手をつっこみ、わざと時間を置いて受話器を手にした。
もし真っ当な通報であれば真に申し訳ない。
「こちら第8特殊消防隊です」
無言。
「どうされましたか」
リヒトは自分でも驚くほど落ち着き払った声を出していた。
相手も相手で通話を切らず、こちらの声を聞いているようだ。
おそらく確認だ。ではもう一声必要だろう。
「君が誰かは知らない。でも君が電話したかった相手は分かる」
miyoshi
呼吸の乱れる音がした。動揺だろうか。できればこのまま注意を引きたい。リヒトは逆探知を終え、側で待っていたアイリスに地図と電話番号を渡す。
雑音を入れないため、アイリスは足音を立てないように別室へ急ぐ。
「人数の少なさで有名な第8だけど、君は知らない女性隊員の声で混乱しただろうね」
リサが電話に出たのは一回。その一回で女性の声には少し注意深くなる。
「電話一つ出るにも研修が必要でね、レア度で言えば僕より上だ。機関員は意外と出るでしょ、彼もいい声してるから憶えてきたかな」
相手は未だ何も言わない。
待ち望んだ相手にベラベラ喋られると聞いてしまうものなのだろうか。
「デパートの最上階で火災があってね、第8の主力は留守なんだ。夜だから目立つだろうね。やっかいな空飛ぶヒーローは一人急行して、火災を抑える魔女も壁を切り裂く能力者もみんなマッチボックスで出動した」
だからこそ。
「よく分からない白衣の職員が通報を受けるほどの有様、これを待っていたと」
『おい』
矢継ぎ早に話していると、ようやく声が聞こえた。
『お前、こうして聞くと何かこう……アレな喋り方してんなあ』
誰かと思えばジョーカーのひどく呆れた声だ。いつから聞いていたのだろう。
「え、早くない? シスターに番号渡したばかりなんだけど」
アイリスには第5の小隊の番号だと言ったが、実際は秘密基地に繋がる番号だ。
『ネザーに丁度いい道があったからな。バイクでひとっ走りだ』
「ホントありがとう。それで電話の主は?」
『気絶させて物陰に転がした。コイツは放火魔だな、何のつもりか知らねぇが側の会社を全焼させるくらいは余裕の仕度だ。能力者が来ない間に確実に仕掛けようってトコか』
「そっちかー……いや、助かったよ」
期待していた白装束ではなかったが、街を守ったのでまあ良しとする。
『んでこの男は置いたままか?』
「そうだね、火縄中隊長がそこへ行くと思うから」
『俺のことはどう説明すんだよ』
「第5を使って辻褄を合わせとくよ」
『おう。そんじゃ手土産は豪華に頼むぞ。調味料忘れんなよ』
受話器を置くとリヒトはふらふらとデスクに突っ伏した。
てっきり白装束の悪巧みかと思っていたのだが、そう上手くは行かないようだ。それはそれとして普通に気疲れもした。直接対決など似合わないことはするものではない。
後日。大隊長室に招かれたリヒトの姿があった。
脇に控える火縄の報告によると例の男性は第8への逆恨みで建物と心中する予定だったそうだ。以前第8が鎮魂した彼の婚約者の件が大きく関わっている。
「それでお二人がスーツを着ている訳ですか」
「察しのいい奴だな」
例の男性の元へ二人して面会に行ったのだろう。
桜備は苦々しい表情で天井を見上げ、火縄は無表情で視線を落としている。
「まだ設立間もない頃は……いや、言い訳にしかならないか」
「大隊長。それでも話しましょう」
「差し支えなければ僕も聞いてみたいですが」
そうしてリヒトは昔話を黙って聞いていた。
まだ壁は感じるが、あの用心深い二人とまた一歩距離が縮まった。
少し前ならしめしめとでも思ったろうが、今はシンプルに嬉しい。
鼻歌交じりで歩いていると外出前のアイリスに出会った。
「シスター、慰問ですか?」
「はい、先日の焔ビトのご家族のお宅へ。こうして教会を空けられるのもタマキさんのお陰です」
リヒトは先ほどの二人の話を思い出していた。
「しかしもう3回目では?」
「まだ3回目です。どんな方だったのか私がもっと知りたいんです」
そう言って立ち去る小柄な後ろ姿が妙に大きく感じる。
殺人者という言葉から皆を守る城壁のような、あるいは奥深い向日葵畑のような。
【無言電話】終