【トリ肉はトリの肉】 ジョーカーの機嫌が大変よろしくない。
それもこれもお気に入りの精肉店が火災になり、しばらく休業になってしまったからだ。
秘密基地に煙草の煙が充満し、リヒトはたまらず入り口のドアを開ける。
「ねえ、肉なら他の店にもあるでしょ……」
「無茶言うな。主婦の多いスーパーじゃ浮くんだよ俺は」
「そういう客観視はできるのが不思議なんだよなあ」
言い合っていても仕方ない。リヒトは棚の整頓作業を始める。
ソファーで三角座りするジョーカーの絵面は面白いが、もう復活して欲しい。
「なあリヒト。肉ってのは骨の周りが旨いんだ。何でか知ってるか」
「骨髄から旨味成分出るからでしょ。鶏は特にゼラチン質が多いからね、表面と比べてしっとり焼き上がるし。構造上骨に繊維が張り付いてるから加熱しても収縮しづらかったり、まあ色々」
「へえ、そうなのか」
「知ってて聞いたんじゃないの?」
「お前に知識マウント取るかよ。やっぱなあ、肉は骨ごとだよなあ」
そのままソファーに転がるジョーカー。
リヒトは地蔵が倒れるようだと思ったが何も言わなかった。
Case number 3 【トリ肉はトリの肉】
時刻は13時30分。快晴。
リヒトは依頼されていた成分分析の報告書を持って大隊長室のドアをノックする。
「いいぞ~ッ、入ってくれッ」
ずいぶんとリズミカルな声だ。
案の定ベンチプレスしている桜備と、横で書類を読み上げていた火縄の姿があった。
「桜備大隊長、今さらですけど疲れないんですか?」
リヒトはそれが筋トレを通り越した『何か』であることを既に理解している。
「じッと、してる方が、疲れるだろッ」
一瞬納得しかけたリヒトだが、そんな訳あるかとかぶりを振った。
一通りの報告を終え、話題は例の精肉店の火災へと移る。
それには桜備と火縄も大いに興味を示した。
「土地が土地だから前から心配してたんだよな。ちなみにお見舞いは済ませたぞ」
「特売日では毎度お世話になってますからね」
どうやら第8にとっても一大事であったようだ。
「大量の鶏肉の調達方法が地味に気になってたんですけど、火縄中隊長がご自分で?」
「そうだ。黙っていたら冷蔵庫に高タンパクハーブ地鶏が入っていたりするからな」
火縄がゆっくり視線を動かすと、連動するかのように桜備が反対側を向いた。
「なるほど……ところで『土地が土地』とはどういう意味ですか?」
リヒトは好奇心が顔に出ないよう全力で真顔を作る。
「ああ、まだ話してなかったか」
桜備はバーベルを置いて壁に貼った管区の地図を指す。
「第8創設前に第4で世話になったことがあってな。その時に聞いたんだが」
十年ほど前からかなりの頻度でボヤ騒ぎの起こる土地があるという。
大惨事に至ったことはないが、住民や店舗の主は気味が悪いと土地ごと手放し、価格の下がった土地を誰かが買う悪循環が続いている。
一度だけ聖陽教が教会を建てる話が持ち上がったが、万が一燃えては威信に関わるとして実現しなかった。
「難儀な土地ですね」
「ああ、このまま原因不明だと消防庁が買うかも知れないな。末は噴水広場か貯水池か……」
「あらら……良い店みたいなのに残念ですね」
白装束の活動にしてはあまりに地味で、焔ビトも無縁ならば深入りする必要もない。
リヒトは空になった書類ケースを抱えて大隊長室を出る。
「え」
扉を出てすぐの位置に第8の食べ盛りが集っていた。
「あの!立ち聞きしていた訳ではなくて」
シンラが焦った様子で後退りしている。
「しっかり聞かせてもらったぞ!アレか、からあげが食えなくなるのか!?」
アーサーがこの世の終わりのような顔で白衣を掴んでくる。
「えっ、燃えた箇所を修繕するだけって聞きましたけど!?」
焦ったマキも椅子から立ち上がる。
「どうしよう、ユウに食べさせるチキンカレー作ろうと思ってたんだけど」
「一人分なら良いんじゃねぇか?」
居合わせたリサとヴァルカンも隅の方で囁き合う。
「やかましい!」
リヒトの背後から火縄の怒号が響き、それぞれが慌てて定位置へ戻ってゆく。
ふと秘密基地のジョーカーを思い出し、どこも大変だなとため息をついた。
それから数日後の早朝。
時刻は5時30分。雨のち曇り。
リヒトはジョーカーの案内で例の精肉店を訪れていた。まだ修繕も始まっていない様子だが、見たところ営業再開は難しくなさそうだ。
店主がその気になればの話だが。
「お前が原因究明に乗り気になるとは思わなかったぜ」
ジョーカーは煙草の煙を音符の形にして喜んでいた。
「帰っても肉の話、出勤しても肉の話。肉肉肉でノイローゼになる前に対策するんだよ」
「はい」
さっき基地で荒れてしまった為か、ジョーカーが珍しく小声になっていた。
「今回は通路のダンボールが火元だけど、何度も火災が起こる原因は別だね」
共通しているのは何れも建物の外部に置かれていた可燃物からの出火。
そして人通りの多い午前中であること。
「ネザーに熱源もないし電力供給も正常。消防の資料では厨房も無事。なら通りすがりの放火なのかと思うけど、微妙な気がするんだよね」
表の通りから少し離れた位置に黒ずんだコンクリートの壁が見える。距離はあるが昼間に立ち入れば人目にも付くだろう。
「この距離で煙草のポイ捨てはありえねぇしな」
「君が言うと説得力あるね」
土地の所有者が変わっても火災が続くのだから、怨恨ではなく土地への執着か。
しかし価格はとうに限界まで落ちていた。それでも購入しないとなると……
「つくづく人間って分からないね」
「場所も見せたことだし一旦帰るか」
「そうだね。そろそろ出勤する人もいるだろうし」
「デカいロンゲと天パが立ってたら目立つしな」
「僕の髪は不可抗力でしょ」
二人でやんやと会話しながらネザーへ向かっていると、さっそくビジネスマンらしき男性とすれ違う。
彼の手には区のゴミ袋が下がっていた。
「……あ」
瞬時にリヒトの脳が限りなく正解に近い答えを叩き出す。
しかし解が分かっても式が分からない。自分にない知識でそれを補う必要があった。
「ちょっと楽しいかも」
時刻は11時30分。曇り。
リヒトは桜備か火縄を探して歩いていた。二人が台所に詰めている様子を見つけた時は心なしか室内が二割狭くなった錯覚に陥ったが、自分達の基地も傍から見るとこのように見えるのだろうか。
普段とは逆で桜備が何か読み上げて調理中の火縄に聞かせているように見える。
「すみません、お邪魔しても?」
「お、ようやく昼食当番の仲間入りか!」
桜備が嬉しそうにリヒトの背を叩く。内臓の位置がズレそうだ。
「それはホントすみません無理です」
桜備がまあ座れと言わんばかりに丸椅子を持ってくる。リヒトは昼食の下拵えをしている火縄と仁王立ちしている桜備の間に座った。何だこの絵面、と思わなくもなかった。
リヒトは早々に本題に入る。
「害獣による火災の例?」
火縄は玉ネギを刻みながら軽く首を傾げる。
「そういう話は大隊長の方が詳しいのでは? 普通火災に携わった経験からして」
「げっ歯類が電源コードを齧ったりはするけど、件数は多くないぞ」
大災害前に比べて動物の種類そのものは激減したが、一部の動物達が都市部の熱源や食料に依存する率は格段に上がったと言われている。そのため天照の供給を保護する導管も発達し続けている。
「では、鳥はどうですか?」
「鳥かあ……」
鳥がタバコの吸殻を巣材にしてダニ除けにする、という話はある。しかし火災の原因としては稀である。郊外では電柱や民家に作られた巣による漏電被害もあると聞くが、都市部ではやはり稀だ。
「あ、もしかして精肉店の話してる?」
「ちょっと気になったもので」
「リヒトがそのまま解明すれば助かるんだがな。業務外だから依頼はできないが」
火縄は大型のボウルに盛った鶏肉を混ぜ返し、念入りに下味を付けていた。
「今日は親子丼だ。肉は減るが卵で補うからバランスは取れるだろう」
あとは野菜メインの副菜を二品ほど、味噌汁もあればなお良しと呟いている。隊員の身体作りと健康を気遣ったメニューは健在だ。
「おや、砂糖を入れるんですか?」
鶏肉の下味に砂糖を追加する火縄を見てリヒトは少し身を乗り出した。
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「醤油の他に砂糖を入れると旨くなると気付いてな。抵抗を感じるか?」
「いえ、理に適ってると思いまして。人間も経口補水液で身体が素早く潤いますからね。加熱しても肉が水分を保ったまましっとり仕上がるはずです」
「そうか」
コメントに困ったのか火縄が手短に返事をしたが、機嫌は良さそうである。
「動物のことならヴァルカンはどうだ、色々知ってるだろ」
「なるほど」
時刻は14時30分。曇り。
「害獣と火の気?」
ガレージの清掃中だったヴァルカンだが、突然のリヒトの質問に手を止める。
「そう聞いて思い浮かぶ例はないですか?」
「待て待て、まず害獣の呼び方が良くない。狭い国で生きてんだからお互い色々ある」
とは言えヴァルカンはあっさり見当を付ける。
「カラスと和ロウソクだな。原国式キャンドルって言った方が通じるか」
ヴァルカン曰くカラスは雑食なので、食料に困ると油脂が主原料の石鹸やロウソクも食べるらしい。特に和ロウソクは植物油なのでウケが良く、火が付いていても狙われるそうだ。
「火が付いていても?」
「ああ。じいさんも盗られたって言ってたぞ。和ロウソクはススが少ないから職人に人気があるんだ」
リヒトは素直に驚いていた。
「賢いというレベルではないですね」
「ほんとにな。人間でも直持ちしたらビビる奴もいるだろうに」
ヴァルカンもまだ話し足りない様子でうずうずしている。
「もしかして例の肉屋と何か関係ある?」
「その通りです」
あの一帯のごみ収集所はどこも強力な害獣対策の超音波を設置しており、そのセンサー角度と範囲を埋めていくと例の精肉店の周囲だけがぽっかりと外れてしまうことが分かった。
最初は何の動物か絞れなかったが、カラスなら納得である。何なら最初に思い浮かんだのがカラスだ。火の付いた和ロウソクをくわえて逃げ惑った末にそこで羽を休め、可燃物に燃え移り続けたのだろう。
「あわよくば嘴の跡がある和ロウソクでも落ちてたら良いんですが」
「なるほどなー…よし、大隊長の許可取ってトライク出すから待ってくれ」
「一緒に行ってくれるんですか?」
ヴァルカンはウエスを柵にかけて手早く道具を片付ける。
「原因が分かっても火の気の出所を探さなきゃだろ。浅草からの距離はちょっと無理があるから何かの工房の職人だろうな」
「助かります」
「構わねぇよ。リサも困るだろうし、中隊長の飯にも思い入れあるからな」
ヴァルカンが第8で初めて食べた食事は火縄が急遽作った客人用の料理だった。
ここも家だと思えばいいと言わんばかりの温かみは忘れがたい。
「まあ、たまには牛肉も食いたいんだけど」
後日。
時刻は15時30分。晴れ。
秘密基地に立ち寄ったリヒトをこれまた酷い煙が出迎えた。
「ちょっと、機嫌直ったんじゃ……いや、これは……?」
「よう、焼きたて食うか? 肉屋の復活パーティーだ」
ジョーカーが酒瓶を片手に鉄板の上で肉を転がしている。
換気扇の威力もリヒトの理解も追いつかない。
「お前もまだまだ甘ぇな。カラスが原因って分かったら全部狩って食えば良いんだ」
「え、これ何の肉?」
鉄板の上で転がる骨付き肉が急に不穏なものに見えてきた。
「見りゃ分かるだろ、鳥類の肉だよ」
「何で範囲広げちゃったかな。鶏だよね?」
「おいおい、命は平等だぞ」
「今言われてもなあー……で、鶏なんだよね?」
時刻は19時30分。晴れ。
慌ててシャワーを浴びたリヒトは小走りで消防教会に駆け込む。
「遅かったなリヒト、灰島に行くって聞いてたけど」
ご機嫌の桜備が食堂から顔を出す。
「遅くなりました。これが先日の焔ビトから採取した灰の資料です」
「助かるよ。それにしても、すっかり話し方変わったよなあ」
「はい?」
何のことやらと考えていたリヒトの背後から火縄が現れる。その手にはラップに包まれた本日の夕食の皿が乗っていた。うっすら予想はしていたが鶏肉料理だ。
「気付いていないなら構わない。俺も今の方が会話しやすいからな」
「そうそう、心の壁が一枚減ったな」
「はあ……」
火縄はリヒトの手にずっしりとした皿を乗せ、桜備にお茶を飲むか聞きながら給湯室へ向かう。
「リヒトはゆっくり食べてくれ。皿は食堂に置いてたら俺か火縄が洗うから」
桜備もマグカップ片手に奥へと消えた。
「いや、話し方……?」
気にはなるが、今は満腹状態で夕食を渡されたことに焦るべきだと気付いた。
これぞ二重生活の弊害である。
少し前まで三重生活だったことを思えば多少楽ではあるのだが。
【トリ肉はトリの肉】終