青に滲む 愛する君へ。
もうすぐ君の元へ帰ることが出来ると思う。今まで心配ばかりかけたけれど、そっちへ帰ったら、君の焼くアップルパイが食べたいな。
四角く折りたたまれた質素な便せんは、角や折り目が、ところどころすすけたり、破れたりしていて、それを受け取った私は、思わず口許に手を当てて嗚咽を漏らした。
にこにこと笑う彼を思うと、何故彼でなければならなかったのかと、怒りすらこみ上げる。けれど、彼は自ら進んで兵士へと志願した。
それきり連絡が途絶えて、四年が過ぎた頃。この手紙だけが私の元へと帰ってきた。
毎年手紙が来た日になると、私は彼の好きだったアップルパイを焼いた。
大ぶりのりんごをくし形に切って、パイ生地に載せる。編み目にした生地で飾り、仕上げに卵黄を塗って、オーブンの中でゆっくりと頃合いになるまで、少し時間がかかる。
柱時計が、一分、また一分と時を刻むたび、私と、止まったままの彼の時間は開いていく。
彼とはなればなれになってから、随分と歳月が流れたけれど、パイを焼くこの時間だけは、いつまでも変わらず私を癒してくれる。
その時、窓の外から猫の鳴き声がして、私は俯けていた顔をあげた。ダイニングを抜けて窓の方へと向かう。
黒猫が一匹。
ところどころに毛のかたまりがあるような、一見するとみすぼらしい猫。だけど、その猫は私を見ても驚いたそぶりを見せず、ただ悠然と庭に座っていた。
ゆっくりと細められた瞳はブルー。
私が窓を開けると、黒猫はするりと部屋に入ってきて、リビングの一番あたたかい床に寝そべった。長い尾をくるりと巻いて、先が上下にぱたりぱたりと揺れている。
その日から、予告なく現れてはまた去って行く気まぐれな黒猫は、けれど決まって私が彼のことを想っているときにそばにいて、私の膝の上でごろごろと喉を鳴らしていた。
季節が幾度かめぐり、アップルパイが焼ける匂いに部屋が包まれる頃、また、ふらりと黒猫がやってきた。
私は青を差す黒猫の名を呼び、部屋に招き入れる。
時計の針が、今度はだんだんと私と彼の時間をせばめていく。
私は恐らく今年で最後になるであろうアップルパイをダイニングへと運び、両手をテーブルの上で組んだ。
日々の感謝は欠かさなかったけれど、それでもやはり、彼が先に旅立った悲しみはあった。
もう、おぼろげにしか思い出せない彼の笑顔に──そんな虫食いのような記憶たちに──私はひとしきり、泣いた。
いつまでそうしていたのか、気づくと、黒猫が私の膝に乗っていた。西欧の画家が愛したというその色に似た、鮮やかなブルーの瞳に彼の名を見て、私は黒猫を、つよく、つよく抱きしめていた。