嵐めく春「アンドロイド刑事は案外あんた向きだったかもしれませんね」
元同僚からの指摘にハンクは反発する気も起きなかった。
コナーと共にとある事件を追っている最中だった。
犯人の逃走経路に大通りに面したマーケットがあり運良く監視カメラを見つけた。協力を求めて立ち寄ったところ、その店が契約している警備会社の担当者は数年前にデトロイト市警で勤めていた人物だったのだ。
以前ニュースになったとき名前を見かけていて、と男は屈託なく続ける。
「アンドロイドと組むなんて意外な気がしたけど、調子良さそうじゃあないですか」
「まあ、否定はしねえよ」と肩を竦めた。
そこへ、少し前からうすら気配を発していた視線の主がついに歩み寄ってくる。警備会社主任の男と比較的年の近い若々しい声帯を以て己を呼んだ。
「アンダーソン警部補」
コナーのせいいっぱいしかつめらしくしても、弾むような声の響きを聞きつけてほんの一瞬相槌の加減がわからなくなる。しかもそのことを「うん?」と聞き返した己にかるく目を剥いてみせた元同僚の反応で気づくような有様だった。
「コリンズ巡査が探していました……失礼、お取り込み中でしたか」
「いや、わかった」
ひょいと容易く視界に潜り込んだアンドロイド刑事は賢しい犬よろしく小首をかしげる。まるい瞳の動きに問われているような錯覚をするのは、さすがに感じやすすぎるのかもしれない。
それでも大した迷いもなく2人を取り持った。
「この男はサム。昔、捜査課にいたが俺の使いっ走りにうんざりして辞めたんだ。で、ご存知こいつがアンドロイド刑事のコナーだ」
「俺から声をかける気でいたのに」
心持ち胸を張ったサムが、はじめましてと人懐っこい笑みを浮かべる。それが初対面の人間に対する男の癖であることもハンクは覚えていた。
対して相棒は「どうも」とごく儀礼的に口角を引き上げる。何分あっさりしていて、煩わしい同僚……ギャビンに差し向けるほどでないものの……普段のとっつきやすさを思えばそっけない気がしなくもなかった。ただ傍目には年の近い者同士のごくありきたりなまごつきにも映る。むやみに媚をうる理由もない。
サムに向かっていう。
「とにかくここの監視カメラはぜんぶ回収させてもらう。任せたぞ」
「たしかに顔見知りですがね、駆け引きのポーズくらいしていってくださいよ警部補」
元部下の軽口にハンクは物憂げに手を振った。背後で、僕で良ければお相手しますよとコナーが冗談にも聞こえない口ぶりで応じている。
さてベンの元へ向かうとこれもまたなんとなく予期していたことだが彼は自分を探してなどいなかった。片手で顔をこするハンクに「まあ、確かにあいつはずっとあんたの方を気にしちゃいたがね」と嘯く。
「さすがに過保護すぎやしないか?」
視線の先ではコナーがまだサムと話している。
相手は三十代男性のごく平均的な身長だったが悠然とコナーに見下されていた。骨が太く、体格に恵まれたハンクにとって、ほとんどの人間は自分より小柄だ。あのアンドロイドも例外ではなかったが、遠目から眺めるとき、その体躯は常にハンクの印象よりも遥かに大きいのだった。
ぴんと皮膚の張った清潔そうなうなじを眺めつつ答える。
「……そういうブームなんだ。お前のとこだって、子どもの頃にあったろう。緑色の服しか着たくないとか、目に入る水たまりぜんぶに飛び込まなくちゃ我慢ならない時期なんかが。…」
「へえ」
かなり苦しい言い訳だったが出来た後輩は下手に掘り下げるような真似をしなかった。
コナーが掌をこすり合わせている。内省に耽っているときの癖だ。ここまで届くはずのない皮ふの擦り合う音が聞こえるような気がする。
懐かしい顔を見たせいか、古い記憶が呼び起こされる。
ハンクの勘が今よりも遥かに冴え渡り、傲岸で、使命感にあふれていた頃。巡回警官からはじまって本格的に捜査に関わるようになってからは一足飛びに昇進していた。前線に立つ自分を贔屓にする連中はそれなりにいたが同じくらい敵も多かった。
「また新人がやめたんだってな」
デスクにいたハンクの元に当時ひとつ下の階級だったファウラーが言いつけに来た。
あの頃互いの管轄はべつのところにあってふたりが同じ現場に関わることはめったになかった。しかし同じ警察学校を卒業したという名目で度々奴の手を借りた。上に判断を仰ぐ前に特攻したハンクがすでに許可を取り付けていたように処理したり、偽造にちかい捜査状にどうにか正統らしい理屈をくっつけて押し通したこともあった。一刻を争う場で強行するその判断が間違っているとはおもわない。それなりの自負もあったが己とは異なる頭の使い方をするファウラーに、かつて一目置いていたことも事実だ。
夜中、職員が出払ったオフィスで明らかに事務処理に飽きたハンクに声をかけてくるのもまたよくある光景だった。
「なんだよ、俺のせいだって言いたいのか?」
混乱した現場で大声を張り上げた覚えはある。
今思い当たるのはそれくらいで、他には順守されないシフトか、長く続く緊張状態、一切進退のない待機時間、徹底的に融通の利かない上司、はたまたどんな辞職理由があろうかなど挙げきれるはずもない。
向こうから話題をふってきたにも関わらずファウラーが返答に頓着する様子はなかった。
「さてな。変に要領がいい奴だったし元々市警向きじゃなかったんだろう」
フルネームを覚えるより前に辞する人間がいることはとくべつ珍しくもなかった。
早々にやめていくことを腰抜けかのように揶揄する連中もいたがそれはそうでもしなければ己の体裁を保てないからだ。誰かが職場を去るたび自らを顧みる。自分は一体どんな形でここを去るのか、今は果たしてそのときではないのか、一体いつまでこんなことを続けていくのか。考えたことがない奴は多分いない。
さらに階級が上がれば、任される事件も複雑化していく。すでに煮詰まり、司法が意味をなさず、犯罪に手を染めることの他に選択肢も与えられなかった。そんなケースもまた特異ではないと思い知らされる。
自分たちにとって会話は正気を測るバロメーターだった。神経が昂りすぎていないか、過剰な破滅思考に陥っちゃないか、果たして自分はまともなのか。
ひょいとこちらの手元を覗き込んでファウラーが顔をしかめた。
「何をやってるのかと思えば始末書か、くだらない」と言ってデスクに腰掛ける。
「うるせえな。仕方ねえだろ今ぐらいしか片づけるタイミングがないんだから」
「ようやく事件が一区切りついたんだから時間ができた時くらいさっさと家に帰ったらどうだ」
「期日は守れ、家にも帰れ、難しいことを言うんだな」
書面に目を落としたまま軽口を叩くと同僚はふと口をつぐんだ。
「……お前は能力がある。出られるかぎり出てこいと上の奴らは際限なくせっつくだろうがその通り熱心に応じることはないんだぞ。子どもだって生まれたばかりだろう」
そこには思いがけなく労わるような響きがあった。
コールがつかまり立ちをして歩けるようになってからというもの、いよいよ目を離せなくなったと話したのはほんの数週間前の出来事だ。礼を込めて気丈に振る舞ってもよかったがこの場には自分たちしかおらず、ハンクは本当のことを打ち明けても良い気になった。俺がやりたくてやっているのだと。
「少しでもましにしたいんだよ。息子がいつか一人で出歩くようになるまでにこの町を少しでもまともにしたいんだ。そのためなら何だってやろうって気になれる」
以前より飼育しているセント・バーナードの飼い犬よりも、よほど軽くて吹けば飛ぶような小さな命が己の支柱になっていた。まっすぐに自分を慕い求めるあの無垢な眩さの前ではどんなことも些細でしかない。子どもから差し向けられる一身の親愛に見合う人間になりたかった。
ファウラーが噛んで含めるように告げる。
「その志はお前のものだ。例え大統領だろうが手出しはできんさ。だがな、それでも子どもの時代は一瞬だぞ。どんなに心を砕こうがあっという間に大きくなってお前になんて見向きもしなくなる。だから速度違反なんてくだらない規則を破って時間を食うなよ。また表彰リストからお前を外さなきゃならん」
つまらないことを言い足されてハンクはついじとりと睨む。その気がなくとも脅かす目つきだと自覚しているが同僚はまるで顔色を変えることなく席を立った。
夢のように遠いくせにやけに鮮明な記憶。独り立ちする未来に怯んでいた子どもが、生まれてたった数年でこの世を去ることなど当然知る由もなかった。
「すみません、お待たせしました」
車体にもたれ掛かっていたハンクの元に聞き込みを終えたコナーが戻ってきた。
見るともなしに夕暮れを眺めていたせいかまばたきの度に目蓋の裏で赤い閃光がちかちかと明滅した。案外長い間立ち尽くしていたらしく、顔の表面がぼんやりとあつい。
最後の聴取を終えたから後は署に戻って報告書をあげるだけだ。当然のように運転席に乗り込んだコナーが「車のなかで待っていてよかったのに」と言う。ずいぶんもどかしげだ。
「……お前な、ちょっと気にしすぎだ」
少し逡巡したが結局そのまま口に出すことにした。
奴はきょとんとした様子で次の言葉を待っている。仕方なく続けた。
「サムのことだ。あんなのご挨拶だぞ」
「あなたへの嫌味だと思ったんです。違いましたか?」
この男もまた衒いがない。ハンクはかるく額を掻いた。
「さあな。あいつとは何度か組んだ覚えがあるがまあ散々こき使って振り回した奴の一人だ。なんというか、昔は今より多少仕事熱心だったもんで、張り込みやら囮捜査やらいろいろやった。上にいる俺がルールを守らないで動くから下も従わなくちゃならない。そして一緒くたに上司に叱り飛ばされてたんだ。一応、捜査が形になったから見逃されてきたが規則ってもんは権利や誰かを守るためのもんだ。それを警官が破るのは褒められたことじゃない。付き合わされてたあいつに嫌みのひとつやふたつあったとしても当然なんだよ」
「なるほど」
なぜかそう頷いた相棒の声は明るかった。
「アンドロイドがあなた向きというのは確かに誤りではありませんね。体力も精神力も人間と違ってほぼ無尽蔵ですから。行くところどこまでもついていけますし、捜査型の私が能力の高いあなたと行動を共にするのは、実際適切な運用でしょう」
「調子がいい奴だな」
セールスポイントみたいなことを、あまりにも嬉々として述べるものだから呆れるよりもつい笑ってしまった。すると、ほっとしたようにコナーが顔を綻ばせる。
「なんだよ」
問い詰めるとまるでそこにコインがあるかのように忙しなく指をすり合わせた。
「いえ、その。あなたがお元気そうなので、よかったと思って」
別に元からなんともないだろ、と言いきるよりも早く「いいえ、あなたは万全ではありません」と打ち返された。
「あなたが壁や柱に寄りかかる頻度が普段より明らかに多い。体温も規定値の範囲ですが平時より上昇傾向にあります。また何度か放心している瞬間がありました。軽微といえばそうですが、眠気を感じていたんですよね。そうでしょう?」
ハンクはアンドロイドが言葉を切るまでじっくりと待った。そしてふと形のよい唇を閉ざし鳶色の丸い瞳が一度瞬いたのを見届けて言った。眠くて多少だるかったってのは間違いじゃない。
「昨日の晩、明日は仕事だろってさんざん訴えたのに、その」と言ったところでコナーの脚の間へ睨めつけるように視線を落とし再び双眸を覗き込む。「アタッチメントで遊ぶのを、やめて貰えなかったもんでね」
恨み言のつもりだったが運転席にいる男の目のふちにはかすかな朱が差していた。
「……僕としたことが自制心に欠けた振舞いだったと思います。ですから、今日は出来る限り早めに切り上げて、あなたを家に帰すよう尽力するつもりです」
背後に沈みゆく夕日を背負ったアンドロイドが助手席に座ったハンクに向き直る。そしてその舌の根も乾かぬうちにうっとりと続ける。ですが大変素晴らしい体験でしたのでまたしたいです。
情欲で潤んだ双眸の中心に据えられて矢も楯もたまらず顔を背けた。
まるで淑女のような振舞いをする自分が滑稽だ。座席に全身でもたれ掛かって窓の外を見るふりをする。昨夜、ベッドの上で力の出力がうまくいかないと訴えるコナーに掴まれた足が歩行のたび指の形に脈打つのでずっと気が散っていた。
長いこと陽を浴びたみたいに運転席側の体の表面が火照っていた。ずるずると生き長らえて、なぜか春の塊みたいなやつを隣に座らせるはめになっている。ハンクは頭のどこかでけなげに他人面をしようと試みている自分がいるのを認める。今さらなんてざまだ、みっともない。
「寝ていていいですよ。ついたら起こしますから」
隣から声がかかる。言うことは一丁前だが相変わらずコナーの起こし方はがさつで、起き抜けに肩を鷲掴んで揺さぶられるのは正直いって不快だった。
「いいから、さっさと車を出せ」
腕を組んで脇の下にしまい込む。
見た目以上に凄まじく年若い男からの、どこかしらに触れていたいと発せられる気配から逃れるように体を丸めた。それでも思いがけず穏やかな声になってしまったのはもう眠くてたまらないからだ。
古びた愛車の鍵をまわしエンジンをかける音に混じってコナーが笑っている気配がする。