「ITの授業で、人工知能に関するドラマを見たの」
アミは、電話口で相変わらずの淡々とした口調で話した。時々近況を聞くために電話をかけてやれば、最初こそ話すこともなさそうだったが、最近は授業や教室のことを少しずつ話すようになってくれた。
「へぇ、面白そうな授業じゃん」
「全然。レベルが低くてつまらない。でも、ドラマは興味深かった」
「そうなのか? そっちの方が意外」
ドラマの内容は、お金持ちの女の子にボディーガードとして同じ年頃の見た目をしたアンドロイドが与えられ、女の子とアンドロイドが恋をするというもの。ありがちなお話だが、年頃の女の子が受ける授業の導入として易しい内容だ。それに、専門書ばかり読み漁っていたアミにとっては、新鮮なものだったのかもしれない。
「アンドロイドは、より人間らしく振る舞えるように学習機能を搭載していたのに、人に恋をすることは禁じられていた。人工知能が人に恋するなんておかしい、間違ってる、って。でも、アンドロイドは彼女の傍にいる。彼女はアンドロイドに恋をしたし、アンドロイドに好きになってもらうために努力した。より人間らしく振る舞うなら、傍にいる人間から恋を学習しないはずないから」
それから、いかに人間らしい感情をプログラムで遮断するのが非現実的か、アミはつらつらと話していた。相変わらずだなぁ、と思ったし、そのまま口にもした。彼女の視点は研究者のそれだ。分析、解明しなくては気が済まない、分からないことは聞かずに居られない。
その対象は何もコンピューターや他人だけではない、自分自身も含まれる。
「……人も機械も、学習することは同じだと思った。私もそう、恋は学習したの」
「う、うん……?」
何やらこちらが居たたまれなくなるような空気を感じてどもるが、アミはそんなことお構い無しに話を続ける。
「ドルマは……友達は恋をしていた。彼女の恋を見て、私のルパンに対する気持ちもきっと恋なんだと学習した。あとは、やっぱり峰不二子とも話したから……。きっと、ルパンとだけ一緒にいても分からなかった」
うん、と相槌を打てば、アミは電話の向こうで黙った。きっと、何か言いたそうに口を開いて、それからどう言えばいいのか迷って口を閉じているのだろう。彼女の言いたいことは分かるし、何と言って欲しいのかも分かる。ただ、言っていいものか俺も少し悩んだ。
目に入ったのは、買い物に行っている相棒が置いていった煙草の箱。
会った当初、かなり強引に首を突っ込み、何度も無理矢理仕事に誘っていたことを思い出した。どうしても、欲しいと思ったから。
彼女が言った通り、人間も同じように心理的な学習をする。傍にいること、親切にすること、名前を呼んだり呼ばれたりすること。些細なことだが、最初は何とも思っていなくても、相手のことが好きになっていく。それは紛れもなく学習だ。
俺は次元大介という男に、俺の相棒になるよう、学習゛させた゛。友達や年上の女から自然に学習したアミより、余程歪だ。久しぶりに、後ろめたいなんて気持ちになった。
二人して黙っていた時間は十秒にも満たなかった。背後で玄関の鍵が開く音がして、気配が現れた。そのあと、俺が電話をしていることに気付いたのか、すぐに気配が薄まって音も立たず玄関の戸が閉まった。
「次元が帰ってきた。少し話すか?」
アミは黙っていたのが気まずいのか、うんとすぐに頷いた。スピーカーに切り替え、リビングに入ってきた次元の方に振り返る。老人姿の次元が抱えている紙袋からは、新鮮な葉野菜が顔を出していた。
「アミだよ、お前とも話したいって」
「゛アミ゛よ」
名前の発音を直す声が部屋に響いて、次元はとりあえず買い物袋をテーブルに置いた。
「久しぶりだな、元気か?」
「うん」
次元は、帽子を脱いで変装を解きながらスピーカーに話しかけた。アミも返事をする。けれどそれだけで、会話は弾まない。彼女を連れ回している間も、この二人にはほとんど会話はなかったし、仕方ないのだが。
「……次元は」
ぽつり、とアミの声が響いた。対する次元は「あ?」と聞きようによっては不機嫌とも取れる声で返事をしたが、アミは気にせず続けた。
「どうしてルパンと一緒にいるようになったの?」
その問いにぎくりとしたのは俺の方だ。先程まさに考えていたことを、まさか彼女に悟られた訳でもなかろうが。それでもアミの頭にあるのは、先程のドラマの話の続きだろう。
問われた次元は、俺の様子に気付いていないのか気にすることもなく、完全に変装を解いた姿で俺の隣に座って、煙草に火を付けていた。
「お前さんの時とそう変わらねぇよ、コイツは人の都合を考えずに連れ回すんだ」
「そう」
コイツ、と言いながら俺のことを小突く次元は、こともなげに言った。声と共に吐いた煙が空気に溶けていく。そう、ともう一度言ったアミの声は、何かに納得したような調子だった。
「恋も友達も、頑張らないとできないのね」
「? 何の話だ?」
「私の話」
アミの言葉に、次元は自分が口を挟んでいい話ではないと判断したらしい。そうか、と言ったきり口を閉ざして、ただ煙草を吸うことに徹した。
「ルパン」
彼女の声は、淡々としながらも存外分かりやすい。決意が現れた声音で名前を呼ばれ、思わず背筋が伸びる。
「私、頑張るから」
何を、とは言わなくても分かる。隣の次元も分かったらしく、面白がるような笑いを俺に向けていた。それでもその笑いはどこか見守られているような柔らかい雰囲気もあって、余計に居たたまれない。
「そろそろ、切らなくちゃ」
部屋に戻らないといけない時間、と彼女が言うので時計を見れば、夕方と呼ぶに近い時間になっていた。いつもなら別れを告げるところだが、その前に言っておかなければいけないことがあった。
「アミ」
呼びかければ、彼女は「何?」と気のなさげな返事をした。次元といいアミといい、そういう返事にはもう少し愛想があればいいのにとも思うが、まあいい。
「お前の学習はおかしくないし、間違いでもないさ。人間なんて、そんなもんだ」
好きになってもらうために頑張る、なんてこと、久方過ぎて忘れていた。たまたまお互い好き同士ということもたまにはあるだろうが、世の中そう都合良くはできていないから。彼女の言う学習はつまり自覚と同義だし、好きだと自覚するのも振り向いてもらう努力も自然なことだ。……多分。
「うん」
電話口のアミの返事は、やはりどこか嬉しそうな声だった。今度こそ別れを告げて、電話を切った。
……忘れてしまうのは長く一緒にいたせいかね、と思いながら隣の次元をちらりと見ると、俺はお前らの会話を別に聞いてはいない、のポーズで煙草を吹かしていた。そういうところは変わらない。
隣の丁度いい位置にある肩に頭を預けて、かなり体重をかけてのしかかると、重い、なんだよ、と文句を言いながら手で押し戻そうとしてきた。
「初心に帰ろうと思って」
「はぁ?」
「次元ちゃんに俺様のこともーっと好きになってもらうために、頑張っちゃおうかなーって」
力ずくで抱き締めれば、力ずくで剥がそうとする。何アホなこと言ってやがる、と次元は叫ぶように拒絶を表した。いいねぇ、何だかちょっと懐かしい感じがする、かつてはこんなにスキンシップは多くなかったが。
「まーまーそう言わずに! お仕事して親睦を深めようぜぇ!」
「今更なにが親睦だ!」
そう言いながらも仕事と聞いて弱まる抵抗に、可笑しくてさらに力と愛を込めて抱き締めた。