抱枕《雲深不知処・無羨の部屋》
魏無羨は、溜め息をついた。
魏無羨「そろそろ酒屋のツケを払わないといけないのに、金がないな。前、研究資金を使い込んだら、すぐに藍湛に見つかったし……」
魏無羨「こんな時は、なにか大衆向けのものを考えて売ろう。あ、そうだ!」
魏無羨は筆をとると、紙に一心不乱に走らせた。
《姑蘇の市場》
?「寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい!」
藍家の若者たちは、次の夜狩に備えて、市場へ保存食や消耗品を買い出しに来ていた。
藍景儀「なんだ?」
藍思追「なにか、呼び込みをしているようだ」
藍景儀「ちょっと見て行こうぜ!」
藍思追「あ、景儀! 寄り道は……」
藍景儀を追いかけて、藍思追も行ってしまったので、後輩たちも、慌てて後を追う。
江澄「金凌、お前も雲深不知処で学ぶ歳になったのだな」
江澄は目元を拭うと、金凌の衣を整えてやる。
金凌「叔父上……」
江澄「せっかくだから、今日は姑蘇を見て回ろう。文化が異なるから、勉強になると思うぞ」
金凌「はい、叔父上!」
藍家の弟子「先輩方、お待ちください!」
江澄「なんだ? 藍家の弟子たちが、慌ててどこかへ向かっていくぞ」
金凌「私たちも行ってみましょう」
魏無羨「寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい!」
市場の隅に、竹に布を張っただけの、簡易的な小屋が建っている。
通りに面した側は大きく開いており、無羨が呼び込みをしている。
藍思追「魏公子!?」
魏無羨「お、景儀に思追、藍家の弟子たちもみんな勢揃いか」
魏無羨「あれ? 江澄と金凌も。おーい、こっちこいよ! 今日は賑やかだな」
江澄は他人のふりをして離れて見ていたが、金凌に袖を引っ張られ、しかたがなく前に来た。
魏無羨は、いそいそと腰ほどの高さのある台の後ろに回った。
後ろには箱が大量に積み重ねられている。
魏無羨「みなさん、よくお集まりで。姑蘇の夜は寒い。しかも秋も深まり、これからますます寒くなる季節だ」
寒さを身をもって知っているものたちは、みな一様にうなずく。
魏無羨「そこで、俺は役立つものを発明した!」
魏無羨「夜は寒い! 寒くなれば、人恋しい! でも、掟の厳しい雲深不知処でできることは限られている!」
再び、みなうなずく。
魏無羨「そこで、俺が考えたのが、この抱枕!」
魏無羨は、片手に設計図のようなものを書きつけた紙、もう片方の手に、人の身長ほどの長さの布に、綿を詰めたものを持つと、聴衆の前に掲げた。
藍思追「魏公子、抱枕なら、既に一部で流通しているじゃないですか」
藍景儀「思追!?」
藍思追「以前、魏公子から『何事も勉強だぞ』と、絵の多い草紙をいただきましたが、そこには確か……」
藍景儀「お前、思追になんてことを!」
魏無羨「良い指摘だ、思追。確かに無地のものは、出回っている。しかし、君たちに問いたい。男ばかりの生活で、女の子を想像するのは、容易いことか?」
弟子たちは、いっせいにブンブンと音がしそうなほど、首を横に振った。
魏無羨「そこでだな。これに、こう仙女の絵なんぞを描いてだな……」
無羨は設計図の方に、さらさらと女性の絵を描いていく。艶めかしい姿だ。
魏無羨「この枕をだな、こうぎゅっと抱きしめるとだな……」
弟子たちから、歓声が上がる。
弟子「さすが、魏公子!」
弟子「よっ、夷陵老祖!」
弟子「無上邪尊!」
金凌「叔父上?」
金凌の手を握ったまま、江澄は震えている。
江澄「金凌、行くぞ!」
金凌「あれはなんなのです?」
江澄「な、なんでもない」
金凌「なんでもないのなら、もう少し見せてください。どうやら、姑蘇での暮らしに役立つみたいですし」
江澄「金凌……」
弟子「魏公子! して、仙女の抱枕はいかに?」
弟子「裏に仙女が描いてあるのでしょう? 早く見せてください」
魏無羨「あー……それなんだがな……」
魏無羨は、頭を掻いた。
魏無羨「実は、仙女の絵を描いたものは、風紀を乱すということで、先程没収されてしまったんだ。代わりにこれを用意した。許せ!」
魏無羨は抱枕を、表に向ける。
そこには、半裸の魏無羨が描かれていた。
弟子たちの顔は引きつっている。
魏無羨「男なら、別にいいって言うからさー」
江澄「魏無羨! お前、どこまで恥知らずなんだ? もう一度死にたいのか?」
魏無羨「金が必要なんだ! 大量の無地の枕を仕入れてしまった後で、それの支払いもあるし、苦肉の策だったんだよ。嫌なら、裏返せばいいだろう。頼む、みんな、俺を助けると思って!」
弟子たちの不満の声は大きくなるばかりだ。
?「くれ」
涼しげな声が響き渡る。
みながいっせいに、入口の方へ振り返る。
藍思追・藍景儀「含光君!?」
魏無羨「藍湛!? こ、これは別に……」
魏無羨は、慌てて台の前に回ると、腕を広げて体で品物を隠そうとする。
藍忘機は、無羨の肩越しに覗き込む。
藍忘機「どうしてこんな物を作った?」
魏無羨「女の子の絵は駄目だと言われたんだ。だったら、男ならいいと思って……。俺だって、自分を描くのはどうかと思ったぜ? でも、他に知ってる体と言ったら……」
魏無羨は、頬を赤らめる。
藍景儀「え、どういうことだ!?」
藍思追「しっ、景儀、黙って!」
藍景儀「思追?」
魏無羨「藍湛、誤解しないでくれよ! 金がなくて……遊ぶ金が欲しいなんて、言い出せなかったんだよ」
魏無羨は、しゅんとした顔をした。
藍忘機「くれ」
魏無羨「いいよ、もう……」
藍忘機「全部寄越せと言っている」
藍忘機は財布ごと無羨に押し付けると、台の裏に回った。
重ねてある抱枕を、どこからか取り出した紐で、やけに馴れた手つきで縛ると、担ぎ上げた。
藍忘機「金なら、言えば渡す。こんなことをするな」
魏無羨「絵だろ」
魏無羨は、子供のように拗ねた。
藍忘機「たとえ絵でも、他人に君のあられもない姿を見せるのは許さん!」
魏無羨「藍湛……」
魏無羨は、再び頬を染める。
ざわめきが起こる。
藍景儀「俺たちは、何を見せられてるんだ!?」
藍思追が失神しかけたため、藍景儀が慌てて支える。
魏無羨「……じゃ、そういうことで! みんな悪いな!」
魏無羨は手早く片付けると、既に歩き出していた藍忘機を追いかける。
金凌「叔父上、あの二人は和解したのではなかったのですか? 何故言い争いを?」
江澄「金凌、帰るぞ! ここは風紀が乱れている。雲深不知処で学ぶのは、取り止めだ!」
金凌「叔父上、待ってください!」
藍忘機に追いついた無羨は、一瞬だけ悪戯な笑みを浮かべると、甘えた声を出した。
魏無羨「藍湛~、こんなの買わなくたって、俺がいるじゃないか~」
藍忘機「使う」
魏無羨「え?」
藍忘機「お前がいない時に使う」
魏無羨は、林檎のように真っ赤になった。