December 24th to 25th ――お誕生日おめでとう、それと、よいお年を。
こんな挨拶を綴ったグリーティングカードを、彼が故郷に帰った次のクリスマスからずっと送り続けていた。
クリスマスソングを奏でるもの、開くと絵が飛び出るものと毎回趣向を変えたそれを送れば、年明けから少し過ぎた頃に謹賀新年、あけましておめでとうという文言と共に虎や馬のイラストが描かれたポストカードが遠く海の向こうから届いてくる。それは彼のふるさとの習慣で年賀状というものらしく、毎回変わる動物のイラストはSNSで出会った中国人の仲間曰く、〝ジュウニシ〟もしくは〝エト〟という幸せを呼ぶ動物である、らしい。
すっかり日本に馴染んだハロウィンを終えて十一月になった途端、街はクリスマスの装いになる。せっかちだと思うのだが自分達の仕事もシーズンに先駆けて企画が立ち上がり、各々のセクションが準備を進めそうして初めて実を結ぶ事を思うと、何とも言えない。
練習の終わりに一人立ち寄った雑貨店をぐるりと回る。クリスマスカードが並んだ棚で足を止めて、ひとつひとつ吟味していく。クリスマスツリーが描かれたもの、サンタクロースが飛び出すもの、雪の結晶が銀色で箔押しされたものとどれも華やかで、冬や雪の寒さとは対象的な温かさが備わっていた。
その中の一枚を手に取って、表と裏を眺める。夜空のような青色に白いクリスマスツリーが描かれている。
そのてっぺんには、星が輝いていた。
日々は忙しなく過ぎ去って、十二月。一ヶ月ほど引き出しの中で眠らせていたそれを取り出して、ノアはデスクに座りペンをとる。メッセージを書く欄と向かい合って、日本語で祝いの言葉を書いた。
誕生日おめでとう。
「それと……」
今まで当たり前のように綴っていた言葉を書こうとしたが、手が止まった。脳裏によぎるのはこれからの予定だ。大晦日、昼に三期生で生配信。それから前の週、つまりクリスマス当日、I♥Bはクリスマスマーケット会場でミニライブ。二十一時前に終了、二十二時までには撤収。前日の二十四日はリハと準備に追われているだろう。そこまで考えて、小さく息を吐いた。
行きたかったけどね。とぽつりと呟く。確認の為に開いたスケジュール帳、十二月二十四日の欄にはクリスマスイブと星夜の誕生日とF∞Fのイベント、それからリハの文字がひしめき合っていて、ノアは指でそれをなぞる。
F∞F、というよりもとうの星夜に誘われていたのだ。星夜のバースデーイベントにゲストとして来ないか、と。
もちろんだよと言いたかった。しかしこの日のライブは秋の初め頃には話があがっていたのだ。ごめんね、次の日がライブで準備をしないといけないんだ。と眉を下げて申し訳なさそうに首を振ったノアに、そっかぁと残念そうに肩を落として、それでもクリスマスにライブがあるっていいよなと自分のことのように嬉しそうに星夜は笑うのだ。
(その後にプロデューサーに頼んでメッセージビデオを送ることになったけど……)
このことは彼には秘密だ。イベント当日に驚く星夜は見たかったが仕方がない。イベント後に奏多か晃にその時の様子を聞いてみようか。いやまずはメッセージビデオの収録だ。何を言えばいいのか考えないといけない。自ら希望したとはいえ、これも仕事の一環なのだから。
「さて……」
こつ、と指でデスクを叩く。青と白で彩られたグリーティングカードを眺める。
どうするべきか。どうしたいのか。
十二月二十四日。早朝のリハを終えたI♥Bが向かった先はレッスンルーム。誰が言い出すでもなく五人の足はそこへ向かっていた。リハで見えた課題を話し合い、調整していく。
そうして少し休憩しようかというノアの一言で四人の緊張が僅かに緩んだ。各々伸びをしたり、楽譜を確認しはじめたのを眺めてから、教室の隅へと歩く。
冬のきりりとした空気が熱を持った肌に触れて心地よい。僅かに汗ばんでいる首筋をタオルで拭いながら、ミネラルウォーターで喉を潤した。
「まだよくなりそうだね」
そう呟きながら机に置いていたスマートフォンを手にする。LIMEに通知が一件、星夜からだった。
――メッセージ動画ありがとうな! マジでびっくりしたぜ!
そんな言葉とともに甲冑を着たうさぎが驚いている様子のスタンプが飛び跳ねている。つい十分前にイベントは終わったらしい。F∞Fの三人の写真も送られてきていた。真ん中で星夜が満面の笑みを向けて、花束を抱えている。
――お疲れ様。スクリーンの中のオレは上手に星夜を祝えていたかな。
聞くまでもないのだけれど、とは思いつつ、星夜にはちゃんと言って欲しかった。
――当たり前だろ! びっくりしたけどめちゃくちゃ嬉しかった!
思わずにやけちゃったぜと星夜の言葉が続くのを眺めながら、ノアがちらりと時計を見る。あと二分。
――それならよかったよ、改めて誕生日おめでとう。それと。
明日のミニライブは夜から。楽屋入りは十八時前。それならば。
――明日のお昼、空いているかな?
すぐに返答は返ってきた。二つ返事というやつだ。待ち合わせ時間と場所は考えておくから、後でね。そう打ってから端末を置く。よし、やろうかと手を叩けばまた心地よい緊張感が戻ってきた。
十二月二十五日、クリスマス当日。
昼のクリスマスマーケットは穏やかな雰囲気に包まれている。山小屋を模した屋台はクリスマスカラーの装飾で彩られていた。それぞれシュトレンやソーセージ等の食べ物、クリスマスオーナメントが売られている。
「なぁオレあれ飲みたい!」
「馬鹿、あれはグリューワインだ。酒だぞ」
「あのハート型のお菓子、プリャーニクみたいだ、かわいいね」
「どれもおいしそうですね……!」
せっかくだから会場を回ろうと言ったのはレオンだ。星夜が昼過ぎに来るからそれまでならと伝えれば皆も快く頷いてくれた。この時間はまだ本格的には賑わっておらず回りやすい。異国の若者五人が物珍しげに歩いているのが目立つのか屋台の主達は口々にドイツ語で挨拶をしてきた。
「そうだ、シュトレンを買いたいな」
次の日のおやつにしようよ。ノアの提案に四人が同意して、白いシュトレンが積み上げられた屋台に向かう。恰幅の良い店主が愛想良く声をかけてきた。仲間の分と、セバスチャン達の分と、スタッフの分と、と指折り数えてから財布を取り出す。数を伝えれば店主が頷いて、それを袋に詰めていく。
「君達、観光客?」
ノアが首を振って、留学生だと答える。
「今日はここにライブをしに来ました」
是非聴いてくださいね。微笑んで首を傾げるノアに店主は柔らかく目を細めた。
「へえ、そうなんだ。楽しみにしているよ……メリークリスマス」
おまけをいれておくからねと甘い菓子の入った包みを渡される。ずしりとした重さを感じて、ノアは軽く瞬きをした。
「ノア、そろそろ時間だろ」
持っておくから行ってきなよとラビに言われ、頷く。腕時計を見れば待ち合わせまであと二十分もない。そこそこの重さのある袋を受け取るラビは、平気な顔でおいしそうだねと袋の中身を見ていた。それからはい、これ星夜のぶんだろと包まれたシュトレンを差し出してくる。ああ、と受け取って持っていた紙袋に入れた。
「ラビ達はどうするんだい?」
「うーん、そうだな……もうちょっと見て回ろうかなって思ってるけど」
「あー! 綺麗なお姉さん発見!」
「お前またそれか……!」
いつものやりとりの気配を察したラビとノアの間に沈黙が落ちる。朝陽は小さくレオンの名前を呼ぶが、恐らく彼には聞こえていないだろう。リュカが怒った顔でレオンの腕を掴んでいる。
「……時間までお守り、頼むよ」
「勿論、いってらっしゃい」
ラビの声に背中を押されて、皆と別れる。先程よりは人通りが多くなって賑わってきたマーケットの中央、大きなクリスマスツリーへと足早に向かう。人々の楽しそうな声と、小屋の店主達の声が耳に心地よい。
もう少しで待ち合わせに着くかというあたりで、ノアは立ち止まった。
「……」
ある小屋に意識が向く。足を止めた理由は自分でも分からない。そこにはくるみ割り人形やらマトリョーシカやら、冬のオーナメントが所狭しと飾られている。その中のひとつ、てのひらほどのサイズの白いスノーグローブがノアの視線を釘付けにしたのだ。
どうぞ手に取って見てくださいと店主に促される。落とさないように恐る恐るそれを持ち上げて、てのひらに乗せてみた。陶器の台座に載った球体の真ん中で、白い木馬が前脚をあげている。軽く揺らしてみれば雪と小さな星達が舞い上がって木馬に降り注ぐ。
「あの、これをいただけませんか」
考える前に、そう口にしていた。
「ノア!」
少し寄り道をしたとはいえ、星夜を待たせる側になるなんてとほんの少し驚きながらノアが手を振る。クリスマスツリーの下でにこにこと笑う幼馴染みに歩み寄って、遅くなってごめんねと首を傾げればオレも今来たところだからと返された。自分に気がつくまでいやにそわそわしていたじゃないかというからかいを飲み込んで、ありがとうとノアが笑う。
「今日の入りは?」
「十七時だよ」
あと一時間半だね、ライブは十九時からだけど。とノアが付け足す。その目は勿論見ていくんだろと訴えていた。星夜がそのつもりだと答えれば小さく息を吐いて、ノアが切り出す。
「そうそう、星夜。ちゃんとしたお祝いがしたくてね」
「お祝いは昨日してくれただろ?」
「まあ、そうだけど……オレがそうしたいんだよ、星夜」
ノアが手にしていた紙袋をそっと差し出す。クリスマスカラーのそれを受け取って、星夜が覗き込んだ。
「大きな包みはシュトレンだからご家族で食べるといいよ」
「シュトレンとかいつぶりだ? ノアん家で食べたきりかも」
それから? と星夜が紙袋を漁る。出てきたのはあのグリーティングカードだった。
「やっぱり毎年送っていたからね」
こっちに来ても渡したくて。お誕生日おめでとうという一言だけを書いた、白いもみの木と一番星が青い夜空に描かれたカードを星空の色をした目がきらきらと見つめている。それを眺めながら、ノアは言葉を探して、しかし口を閉ざした。
「オレ、ずっととってあるんだよな……ノアのおめでとうカード」
音が鳴るやつは鳴らしすぎてもう鳴らねえんだけどさ。ほんの少しにやけながら白状する星夜に、ノアの頬がほのかに赤く染まる。そう、と短く返す言葉も少し上擦っている。それから? と星夜が紙袋の中に再び手を突っ込む。
「……あのね、星夜」
本当はここを星夜と回って、何か星夜が好きなものを買おうと思っていたんだ。
でも、これがいいなって。
彼らしからぬ気恥ずかしげな声を聞きながら、星夜が透明な立方体を取り出す。
「……」
その中にはあのスノーグローブが収まっていた。星夜がまじまじと見つめる。
「……綺麗、だ」
「……うん」
星夜がそれを空にかざす。雪と星屑の中で跳ね回る白馬が、幸福そうにきらきらとしていた。
夜は寒波のせいで、雪が降るかもしれないとスタッフが言っていた。日が落ちて一気に冷え込んでも人々の賑わいは続いていて、小屋からは湯気が溢れている。
「今日はオレ達の歌を聴いてくれてありがとうございます」
最初の一曲が終わって、ノアがステージ前の観客に向かって挨拶をする。ステージ上からはライブハウスで見かけるファンも、ただ通りすがって足を止めた人々も、プロデューサーも、星夜も、見渡すことが出来た。
星夜のあの夜空を閉じ込めたような目が、輝いている。
「今日があなた達にとって善い日になりますように。そんな祈りを込めて、今夜は歌いたいと思います」
さて、とノアが四人に目配せする。それから軽く深呼吸をすれば、冷たい空気が肺を満たす。そして頬に冷たいものが触れた、気がした。