不眠症 今日も布団の中から、無慈悲な朝が近づいて来るのを眺めていた。朝が来たところで、皋所縁の一日は始まらないし終わらないのに。どうしてこうなってしまったんだろう。考えたところでなにも変わらない。変わらないのに考えることを止められない。
とっくに数えることを諦めた寝返りを打って、皋は朝焼けから目を逸らした。何百回目かの無力な自己暗示だった。
ため息を積み重ねた部屋の温度はひどく冷たい。見えない死体が積み重なっているようだ。そんな笑えない妄執に襲われる。
また人が死んだ。凄惨な現場だった。並んだ死体は3つ。3人分の人生が喪われた。動機は忘れた。トリックも覚えていない。探偵という自動装置の皋に、殺人事件の関係者の人生を背負える機能は付いていない。それでも皋は、死んだ被害者の人生のその先を考えずにはいられない。
事件の解決しか出来ないのに、人生の強奪を憂うのは傲慢だ。そんな傲慢を振るえるのならば、いっそのこと、ぜんぶ、最初から、無かったことにするべきだ。それが出来ないのなら、そんな特権は手放してしまえ。みっともなくしがみつくべきじゃない。
降り積もった後悔は青いまま、皋の寝床に存在する。そして、長い手で夜ごと皋を絡めとる。
もっと、かつて自分が願っていたような探偵であれたならどれだけ幸福だっただろう。そんなことを願いながら眠りに就こうとしたところで、そもそも眠れるわけがないのに、皋は愚かにも何度も繰り返してしまう。毎夜毎夜、焼き切れそうな懺悔をひとり繰り返す。死体と一緒に増えるカウントは、皋が眠れない夜の数だけだ。
皋が救いたかった人たちは、皋がフルオートで解いてしまう事件で無残にも殺され続けている。現在進行形で、だ。理想の探偵を頑張ったところで、間に合わない。届かない。むしろ、ここ最近に至っては、皋が赴いたせいで人死にが起きている気すらする。
推理する時だけしか働いてくれない舌を噛む。痛みが鈍いことに、また嫌気がさす。抱き込んだ身体は骨っぽくて、頼りない。自己認識が、どこまでも虚しい。絶望の味は、意外と空っぽだった。
正しさを願うのに、相応しくありたかった。虚勢でいいから、誰かのよすがでいたかった。もっと、違うかたちで世界に必要とされたかった。
皋が解決してきたと世間で言われる事件において、殺されてしまった人々は、皋に異を叫ぶだろうか。それとも沈黙するだろうか。沈黙は空洞に反響するから恐ろしい。
耳鳴りが酷くて、耳を塞いだ。手のひらの向こうから聞こえてくる、音のない声は止まない。その声が自分そっくりで、また、嫌になる。祈るように何時間も閉じ続けた目蓋の無力さに、目頭が滲む。ああ、早く眠ってしまいたい。ぐるぐる巡る自己嫌悪から、一秒でも早く逃げたかった。血塗れの潮騒の悲鳴は鳴り止まない。
「うるせー……」
漏れた声は震えていて、誰にも受け取られることなく消えてゆく。それでも吐き出さずにはいられない。自分勝手な感傷で泣く業を、どうか赦して欲しい。ひとりで乗り越えるには、夜は長すぎるのだ。
朝日が昇っても、変わらずシーツは冷たい。皋ひとりの体温しかない毛布の中は、真冬の海辺と変わらない。夜はなにひとつ終わっていない。皋の夜明けは、いつまでもやって来ない。
皋の後悔も辛酸も一身に受け止めてくれるようなものが欲しいと、ぼんやりと思う。例えば、抱き枕とか。