【緑高】靴下 違和感は感じていたのだ。けれど上履きに履き替える時には急いでいたので気にしていなかった。けれどいっそその時に気づいていれば後の出来事は回避されていたのかもしれない。
「高尾」
「ん?」
俺より一足先に着替え終わってバッシュを履こうとしていた緑間が、唐突に呼んで来たので練習着を頭から被ってから振り返った。緑間の視線はシャツと共に脱ぎ散らかした俺の足元を見ている。
「なぁに真ちゃん」
「靴下」
「靴下?」
言われて足元に視線を下ろすと右足の親指がひょこりと飛び出している。さっきからの違和感はやっぱりこれか。そうじゃないかとは思っていた。
「だらしないのだよ」
大きな溜息と共にそう言われて何をと思って緑間の足元に目をやるが、おろしたてのように真っ白でピシッとした靴下を履いていた。完敗である。
「穴の開いていないものに履き替えてくる時間も無かったのか?」
もう一度やれやれと言わんばかりの長い溜息をつかれてムカッとする。
「履いた時には開いてなかったんだよ!!学校来る途中の坂あんじゃん?あっこで立ち漕ぎしてる時に何か変だな~とは思ったんだって!絶対あん時だわ」
「どちらにしろ、少しの衝撃で穴が開く位には履き古していたと言う事だろう。だらしない事に変わりはない」
「ぐっ……!」
そう言われてしまっては反論のしようも無い。脱ぐ時も履く時も靴下の状態なんて一切確認もしてないし、普段なら母さんが洗濯の時に発見して処分してくれているんだろうけれど、見落としに対して文句など言える立場ではない事くらいよく理解している。
返答に詰まっている俺に、俺達が何やら言い合っている事に気づいたらしい他の部員達が寄って来た。
「高尾がどうしたって?」
「あ、こいつ靴下穴開いてる」
「ぶっは、マジじゃん!」
「て言うかお前髪も寝癖で跳ねてるぞ」
「何だ何だ寝坊か~?」
皆言いたい放題である。俺があちらこちらに言い訳やら反論やら何やらしている間にも緑間はバッシュを履き終えて涼しい顔でさっさと出て行ってしまった。
結局その日は朝練どころか夕方の部活でも散々靴下の穴の件で弄られて酷い目にあった。
今にして思えば、それも又懐かしい思い出だ……いつのまにかうとうとしていたのか、目を開ければぼんやりと天井が視界に入る。
「ん……ひゃっ!?」
唐突に足の指にぬるりとした刺激を感じて慌てて上半身を起こすと、ビシリとしたスーツ姿の緑間が俺の右足を持ち上げて親指に齧りついている。
「いや、待て待て待て!!何だこの状況!?」
あの懐かしき日々から既に早十五年。俺達ももう今年で三十を迎え、酸いも甘いもエロいももっとドエロい事も、若気の至りと好奇心で色々と経験してきた。全て目の前のこの男と。だがしかし、ソファで転寝して目覚めたら足の親指を齧られていたなんて言う事態はさすがに経験してないし、それ以前に想像した事だって無い。
「何だ、もう起きてしまったのか」
困惑する俺をよそに、当の緑間は涼しい顔でベロリと人の足の指をひと舐めした。
「うっひゃ!?ちょ、それやめろって!!俺帰ってきたばっかで……」
「だろうな」
知っている、と言わんばかりに緑間が頷いた。まあそうだろう。今の俺はスーツの上着だけ脱いだ状態で、ネクタイも緩めただけで首に巻いたままだし、鞄もソファの脇にスーツの上着と共に転がっている。帰宅して脱いだ上着を鞄と共に放り投げ、あー疲れたと目を閉じて……おそらくそのまま眠ってしまった。眠る寸前に目に入った自分の足先が、靴下に穴が開いているのを発見したからあんな懐かしい夢を見た。
だからって何故、俺と同じく仕事帰りの様相の緑間に靴下も履いたままの足の指を齧られなくてはならないのか。
未だに俺の足首を掴んで持ち上げたままの緑間にじっとりと無言の抗議の視線を向ける。だが緑間はそんな視線に屈した様子も見せず、しれっと言い放った。
「靴下に穴が開いて指が出ていたのだよ」
「……だから?」
そんな電波な言い訳ではなく、きちんと説明しろと目線で示すと緑間は又ガジリと指に噛み付いてきた。
「だから噛むなって!まだ風呂も入ってねぇって言ってんだろ!!」
「今更なのだよ。大体お前、足の指だけでなく腹も見えていた。あちらもこちらもチラチラチラチラ……一体何日ご無沙汰だったと思っているのだよ」
腹なんて出してたっけと視線を向けると、確かにシャツが一部はみ出している。おそらく寝てる間に腹を掻いたか何かで乱れたんだろう。
「別に出したくて出してた訳……じゃ!?」
暢気に確認作業をしている俺に焦れたのか、緑間が掴んだ足を肩に担ぎ上げ、ぐっと折りたたんで圧し掛かってくる。目の色はもはや真剣を通り越して狩りをする野生動物のようだ。
「待て、真ちゃん!!落ち着け!!」
「うるさい、お前が悪いのだよ」
何で俺の所為だよ、と反論を口にする前に唇を塞がれる。俺達ももういい歳だし飯と風呂済ませてからとはもう言わないからせめてベッドで。そう訴えようとうーうー唸りながら緑間の背中を持ち上げられた足の踵で蹴りつける。
抵抗されているのが腹立たしいのか、俺の身体を抱き寄せる緑間の腕に更に力が入った。背中がミシミシ鳴ってる。ヤバイからマジやめろ。抵抗したくとも自分の腕は俺の身体と緑間の身体に挟まれて思うように動かせない。
ここはもはや力いっぱい蹴りをお見舞いするしかない。そう考えて右足を思いっきり振り上げると親指に穴が開いて指がぴょこりと飛び出た、まぬけな自分の足先が目に入る。
「ぶふっ!!」
舌を絡ませている時に予想外の反応を返されてびっくりしたのか、ようやく緑間が唇を離した。
「な……なんなのだよ」
まさかチューの最中に吹き出したとは思わなかったんだろう、少し身体を離して目をぱちぱちさせながら顔を覗き込んでくる。
「ひははは……っむっ、昔真ちゃん、部室で俺の穴開き靴下見て「だらしない」とかって突っ込んできた時あったじゃん。もしかしてあの時もヤラシー事考えてた?」
さっき見た夢の続きのようだと、何気なく口に出しただけだったんだけど、少しの間記憶を辿るように視線をさ迷わせていた緑間はパッと頬を赤くしてそっぽを向いた。
「……そんな物、覚えていない」
いや、その反応間違いなく覚えてるし思い当たる節あんだろ。
このデカくてカッコ良くて可愛い男は、俺相手だったらこんな間抜けな穴開き靴下にすら欲情するのかと思うとどうしようもなく面白く愛おしく思えてきて、大笑いしながら緑間の頭を抱きしめた。