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    平日二十二時、愛の煮込み料理


    流石にヨリを戻してというか結婚生活というか。とにかくふたりでいるようになって三年目にもなると、牧の行動パターンを把握できるようになってきた春田である。
    三年のうち一年間は上海と日本で遠距離恋愛だったわけだが、どれだけ春田の鈍さに定評があろうとも、季節をいくつか過ごせば、それくらいは。
    例えば嘘をつく時、牧は春田の目をみない。
    例えば、自分の気持ちを誤魔化して話す時は笑い方が下手くそだったりする。
    例えば、ムカついているときには足が出る。
    例えば、照れ隠しの時も足が出る。この癖は元彼の影響な気がしてならず、毎回ほんの少しひっかかる春田である。
    そんな感じで牧の癖をなんとなく把握できるようになった今、ふたりの愛の巣であるマンションの一室に繋がる廊下を歩けば鼻孔をくすぐるいい香り。実家は春田が上海から戻ってきてから出たので、このマンションに住み始めて二年目だ。出元は件の愛の巣の通気口。胃はきゅうと締まり空腹を訴えるし、口の中には唾液が一瞬にして溜まったけれど、春田の表情は苦笑いである。
    平日。明日も仕事はある。そんなときにこんな匂いがするのは。


    「……ビール買ってこよ」


    ぽつりと独り言を呟き、春田は来た道を戻りエレベーターへ乗り込んだ。
    基本的に買い物をしてくれる牧がビールを買い忘れる事はないのだが、こういう時は別なのも春田は把握できている。
    マンションのエントランスを通り、歩いて四分のコンビニへ先ほど通ったばかりの道を逆戻り。やけに明るいコンビニに入り、飲料コーナーへ直行した。五〇〇mlの缶ビールを四本つかみ、酎ハイも飲むかなと甘さ控えめの酎ハイも二本手に取った。生活費などは同じ金額を合同の財布に毎月入れているが、それ以外は基本的に互いの収入はそれぞれ好きに使っていいことになっている。こういう衝動的な買い物は自らのポケットマネーとなる。しかし迷わず春田は牧の分も購入した。
    色々牧のことが分かるようになった。今日はその中のひとつに該当するようだった。
    ――牧はストレスやもやもやが溜まると煮込み料理を作る。しかもそれが、とても旨いのだ。


    *  *  *


    「ただいまー」
    「おかえりなさい」


     がちゃりと鍵を開け玄関に入ればキッチンから声が飛んできた。返事があるから今日は比較的マシな方かなと思いつつ脱いだ革靴のかかとを揃えた。綺麗に拭かれている廊下を歩いて扉を開ければ、にんにくと醤油の匂いに胃袋がトドメを刺された。廊下の時点で匂いがすごかったのだ。壁を隔てず直に嗅げば腹の虫が鳴くのは当然だった。
     換気扇の音と牧が手を洗う流水音が響くキッチンに、キュルルという音が混ざり、牧がきょとんと扉を開けたばかりの春田を見た。なんとなく気恥ずかしくて目を泳がせれば、牧が小さく吹き出した。その笑顔を見てほっとする。


    「遅かったですね」
    「ん。今日飲みたい気分だったからビールと酎ハイ買いに行ってた。牧も飲も」
    「あ、春田さんの奢りですか? やった」


     唇の端を片方だけあげて牧が不器用に笑う。はい、笑い方ヘタクソ。内心でそんなことをつぶやくが、春田はあえて触れることなく「おー崇めろ崇めろ」と言いながら酒を冷蔵庫にぶち込んだ。
     ダイニングテーブルにはすでに大根サラダとオムレツと白身魚のムニエルが並んでいて、牧の手際の良さに改めて春田は感心する。


    「晩飯出来てますよ」
    「うん、うまそー。先に風呂はいってくるわ。牧も入ってねえんだろ?」
    「先にシャワー浴びてください。まだ料理終わってないんで」
    「んー、じゃあお先ぃ」


    キッチンの足元の観音扉を開いた牧をちらりとみてから春田は自室へ向かった。2LDKのこのマンションはそれぞれふたりとも個室がある。趣味も趣向もバラバラだし、ふたりとも男だ。やはりいくら好きといってもひとりになれる空間というのは必要だと部屋選びの際に意見が合致した。
    ダブルサイズのベッドに背中からおろした営業カバンをぽいと投げて、春田は苦笑する。今晩は牧の部屋に行ってやろう。牧の部屋にも同じようにダブルベッドがある。
    キッチンにいた牧の様子を思い出しながら入浴の支度をする。今日はまだマシな方だな、とぼんやりと思った。なにせ会話をしてくれた。ヤバいときは春田とまともな会話すらせず、ひたすら鍋と向き合っているのだ。
    部屋から出て浴室に向かう。相変わらず旨そうな匂いが家には充満している。


    *  *  *


    「いま作ってんのって焼豚?」


     風呂から上がってきた牧に対して聞けば、タオルで髪の水分を吸い取りながら牧がこくりと頷いた。


    「晩飯食い終わるころに出来上がると思います」
    「じゃあ食おー。俺もうはらペコペコ」
    「さっき腹鳴ってましたもんね」
    「しーっ」
    「誰に秘密にしようとしてんすか」


     くくっと牧が口元に手を当てて肩を揺らす。さっきよりマシかなーなんて思いながら、春田は今まで麦茶を飲んでいたグラスを流しに置いた。使い終わった調理道具もない綺麗な流しはピカピカに光っている。
     テーブルに戻れば牧はしっかりビールを一本ずつ用意してくれていた。珍しくタオルは首にかけたままだ。牧も早く飲みたいらしい。


    「しゃ、じゃあ旨い飯いただきまーす」
    「ほんと大げさ。いただきます」
     手をパチンと胸の前で合わせて大きめの声で春田が言えば、牧がくすぐったそうに眉根を寄せて同じように手を合わせた。


    「この魚のやつ、ほんっっっとうまい」
    「春田さんムニエルすきですよね」
    「だって旨いもん。いや牧の作るやつは全部うまいんだけどな? あー、卵もとろとろじゃーん。ふんめー」
    「おい、飲み込んで喋れ」


    ばくばくとうまいを連呼しながら春田が夕食を頬張る。牧はそんな春田を眺めてからサラダに箸をつけた。口元をすこしむずむずとさせながら。その牧を見て、春田は内心で胸をなでおろすのだ。
    二人の前にある皿と缶ビールが空っぽになったタイミングでピピッと背後のキッチンから電子音が鳴った。牧が無言で席を立ちあがり、キッチンに向かう。今度はエプロンもつけず、鍋の蓋をそっと開こうとするその背中をぼんやり眺めながら、春田はやっぱりこの後ろ姿好きだなあと思う。
     牧がそのまま大皿を食器棚から取り出したのを見て、春田はテーブルの上にある食べ終わった食器を重ねて流しに運んだ。コンロの前に立つ牧の隣から鍋を覗きこめば、茶色の液体のなかに見るからにほろほろのチャーシューと色がついたゆで卵。口の中に唾液が一気にたまり、春田はごくりと飲み込んだ。くたくたの長ネギの青い部分やにんにくやしょうがも顔を出している。きっとあれもうまいんだろうなと思う。多分食べさせてくれないけど。
     牧はトングで肉を無言で取り出してまな板の上に置いた。トングを左手に持ち替え、右手で持った包丁の刃を肉にゆっくりと入れると、じわりとまな板の上に煮汁が広がっていく。
    「うまそー……………」
    心の底から染み出てきた春田の言葉に、牧がちらりと春田のことを見上げてから、それでも無言で作業を続ける。

    先述したとおり、牧はストレスやもやもやが溜まったら煮込み料理を作る。
    そしてどうやらそれは牧自身無自覚らしい。ちなみに時期は不定期だ。爆発寸前だ! という状態になると、牧はおもむろに金額を気にせず食材を買い込み、ひたすら煮込み料理を作る――……っぽい。多分。春田が推測に推測を重ねた結果、その結論にたどり着いた。
    この結論に辿り着くまでなかなか時間を要したので、わりと最近まで気付けなかった。さすがにストレス発散の方法として無自覚に煮込み料理を作っているとは思わなかったのだ。
     前ちらりと「煮込み料理作るの好きなの?」と聞いたことがある。そのとき予想外の質問だったのだろう牧は目を丸くしてから、うーんと唸って、そして春田の問いに答えた。
    「まあ好きですよ。特になにも考えず材料ぶちこんでおいしいもん出来上がりますしね。あく取りとか結構無心になれて楽しいし。出来上がったときの達成感とか煮込み料理って味わえますし」
     牧はそう答えた。そしてそのあとに「なんで?」と繋げたので、春田は「なんとなく」と誤魔化した。どもらなかったのを褒めてほしい。こういう探る系とか、察する系とか、自慢ではないが春田はとても苦手なので。でも、苦手なことでも牧に関することだったら別なのだ。


    「味見します?」
    「あー」
    「餌付けかよ」


     手を添えて牧が春田に箸を入れただけで簡単に切れたチャーシューを差し出す。反射的に口を開けた春田に牧が鼻で短く笑った。
     ぱくりと食らいついて、食らいついた瞬間から旨いそれに指が勝手に動き出す。口の中で溶けた脂身に、噛めば噛むほど旨味が広がる赤身部分。


    「ぅんまっ!」


     ごくんと飲み込んで叫ぶように春田が言えば、牧の目がとろりと緩んだ。大きな目の奥に小さな星が光る。


    「よかった」


     多分、牧のストレス解消はここまでがセットだ。
     牧は春田のことが大好きだ。春田のうぬぼれなんかじゃない。牧は、春田のためだけに面倒な料理の下準備をして、もやもやもなにもかもぐつぐつと材料と一緒に鍋で煮込んで、春田のことだけを考えてあく取りをする。そして春田のおいしいという笑顔を見て、そこでやっと気持ちがリセットできるのだ――……と、思う。多分。これもやっぱり春田の推測だけど。
     だから、牧が煮込み料理を作っているとき、春田はとくに何も言わない。これからも言わないつもりだ。煮込み料理も作らずストレスが溜まっているんだろうなというときはもちろん話を聞いてみたりはするけれど、煮込み料理を作ることに関してはなにも言わない。
     だって、ある意味これは、牧からの極上の愛の告白だ。春田のことだけを考えて料理を無心に作って、締めくくりが春田の笑顔を見ることだなんて、愛の告白以外になにがあるのだろう。そして。


    「もっと食べたい! ビールと一緒に!」
    「はいはい。これだけで足ります?」
    「んー……」
    「足りないんですね。もやしも炒めますか」
    「っしゃ! あ、ネギは?」
    「いいですよ。おつまみチャーシュー的なやつですね」
    「いえーい! 牧、最高!」


     お前のもやもやなんて、俺がぜーんぶおいしく食べてやるよ。
    それをぺろりとおいしく平らげることが、春田なりの愛情表現でもあるのだ。


    巻爪 Link Message Mute
    2018/08/20 11:25:41

    平日二十二時、愛の煮込み料理

    春田が上海から戻ってきてからの話

    #春牧春

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