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    ティアドロップさえ愛しくて


     小鉢にオレンジ、平皿にはウィンナーと目玉焼き。彩りにアスパラガスとミニトマトを添えて、スープ皿にはきのこスープ。こんがり焼かれたトーストにはマーガリンがすでに塗ってある。
     ランチョンマットの上に手際よく載せられていくそれらを、春田は黙って見つめていた。朝日がカーテンを介して優しく部屋を照らしている。調理台の前でエプロンを外した牧が、テーブルを挟んで春田の正面に座った。
     グレーの上下スウェット姿の春田と、すでにパジャマから部屋着に着替えている牧。ふたりともテーブルの上の料理を見つめていた。


    「……どうぞ」


     ぽつりとダイニングで控えめに言葉が落とされて、春田はゆっくりと箸を手に取る。緊張しているのだろうか、そんな声だった。


    「いただきます」


     そっと手を伸ばしたのはスープ皿だった。箸を片手にスープ皿を持ち、ズッと音を立てて啜る。しめじをまず口に入れて、玉ねぎも食べて、またスープを啜り。皿を置いた時には中身はもう空っぽだった。正面からギョッとした気配を感じたが、春田はウィンナーに箸を伸ばした。ポタリと箸を持つ右手の親指に水滴が落ちて、ウィンナーを飲み込む喉がひくついた。


    「ちょ、春田さん……? え、泣いてる? どうしたんですか!?」


     春田の異変に気付いた牧が焦った声をあげることすら、春田の涙腺を決壊させる要因になってしまう。しまいには嗚咽が漏れそうになって、だけどウィンナーと一緒に無理やり飲み込んだ。下を向いていた顔を上げ、牧を見やる。おろおろとティッシュを差し出してくる牧に、どうしたって愛しさが募った。

     春田にとってつらい思い出となっている一年前のあの夜、牧は春田の家から出て行った。どんなに気まずい空気が流れていても朝食を作ってくれていた牧に、今朝もいるのではないかと、昨晩はちょっと気が立っててと、牧が弁解しながらあの苦笑いを浮かべてエプロンを外すのではないかと。そんな光景を思い浮かべながら春田は自室を出て階段を降りて、恐る恐るダイニングの扉を開いた。
     開いたそこには遮光カーテンも閉まったままの、物音ひとつしない空間が広がっていた。扉を開けたその場で春田は硬直した。瞬きすらすることができなかった。春田の絶望が、そこに落ちていたのだ。
     なんとか会社へ行って、ぎこちない牧に対してなんだよアイツ、と思えればよかった。けれど、どうしたって、牧の泣き顔が脳裏に張り付いてそんな風に毒づく事すら出来なかった。

     牧は知らない。知らせるつもりだってない。あの朝、光のないこのダイニングの扉前でしゃがみこみ「牧の朝ごはんが食べたい」と、しゃくりあげた春田のことを。
     黒澤との生活に、たしかに春田は救われた。牧のことを考えずにいられた。牧に自分は振られたと、その事実を把握するだけでいられた。とても楽だったのだ。そんな黒澤に春田は最後まで甘えっぱなしで、背中まで押させてしまった。背中を押してくれた黒澤は、春田のことをはるたんとはもう呼ばなかった。行け、春田と叫んだそんな黒澤の優しさの上で掴むことのできた、この時間に春田は胸が締め付けられる。
     そして、この一年。否、ルームシェアを始めたときから含めたらそれ以上の期間。あの涙も春田のためだったとわかった今。牧の行動すべてが春田の幸せを願うものだったとわかった今。二度と食べることはないのだろうと一度は悟ってしまった朝食を口に含んだ今。溢れるものを堪えることなんて出来なかった。
     口の中のものをごくんと飲み込み、春田は動揺し続けている牧に対し、にっと歯を見せて笑って見せる。


    「めちゃくちゃうまい!」


     ぽろぽろと目から涙はこぼれ続けるし、でも食べる手は止まらないし。そんな歪な春田を牧は呆気にとられたように数秒間見つめ、そしてむず痒そうに口元をもぞもぞとさせた。

    (もうわかる。この表情は、嬉しいのを隠してるとき)

     いまこの家には牧の荷物がある。
     昨晩、一人暮らしをしていた牧が部屋を引き払いこの家に戻ってきたのだ。春田が上海に転勤している間も、牧はこの家に住むことになっている。さすがに家主がいないのに、と遠慮した牧に浮いたお金で上海に遊びに来てよとズルイ誘い方をした春田だ。だって少しでも一緒にいたかった。牧が何を考えているのか知りたかったし、春田が牧とずっと一緒にいたい気持ちをちゃんと伝えたかった。


    「鼻水出てますよ」
    「出てねーし。あー、うまい」
    「塩胡椒かけただけのアスパラなのに?」
    「そうだよ、全部めちゃくちゃうまいんだよ」


     牧はきっと春田の涙の理由を聞いてこない。もし聞いてくるならきっと数年後だ。嘘をつくのが下手くそな春田だから、いまからその数年後に向けてシミュレーションを脳内で行なっていかなければならない。
     優しい牧は、春田の絶望を知ったらきっと自己嫌悪する。だから、知らなくていいのだ。暗いこの家のダイニングは正直トラウマになってしまった。そんな春田の弱さと絶望は、知らなくていい。けれど、その絶望があったから、この一年があって、きっと今がある。この時間はいまのふたりがあるために必要だったのだと、いまだったら言える。
     昨晩、ふたりは別々に眠った。一年前のように。
     目覚めてすぐ、春田は階段をそっと降りて、ダイニングの扉の前で呼吸を整えた。開いた先に、暗闇が広がっていたらどうしようと少し震える手でドアノブを回した。


    「え、早いですね」


     と、おはようの前に言っていた牧に、小さく「ん」と言葉を返し、春田はダイニングテーブルの席に着いた。それからずっと牧の調理をする背中を眺めていた。その時からずっと涙をこらえていたことだって、牧は知らなくていい。
     今日は定休日で仕事はない。春田の上海へ持ち込む衣類や道具の買い物に行くと言う話になっている。とりあえず牧にいくつかこの家で使えるプレゼントを、簡単に持ち出せないようなものを買おうと春田は心に決めている。まるで出ていくことを覚悟していたみたいな、あっさりと家の中から一切なくなってしまった牧の私物の量だって春田のトラウマになっているから。これについてはチクリと言わせてもらいたいけれど。

     牧をたくさん笑わせることが、上海に発つまでの一ヶ月間の目標だ。もちろん、この先の未来もたくさん笑わせるのは大前提だけれど。
     目玉焼きを口に運べば、またぽろりと涙が落ちて頬を伝う。牧が近くに置いてくれたティッシュがあるけれど、もう春田にはどうでもよかった。



     明るいダイニングに、おいしい朝食。テーブルの向かいには涙を流しながらパクつく春田に呆れながら笑う牧凌太。
     これほどの幸福があるのであれば、春田創一は涙なんていくらでも流せるのだ。







    「母ちゃん、俺が付き合ってんのコイツなんだ。これからずっと一緒にいるから、孫の顔はみせらんねえ」


     真剣な顔で、真っ直ぐに。玄関の扉を潜ったばかりの、まだ靴すら脱いでいない春田の母親に、春田はそう言い放った。ぽかんと口を開き、自身の息子である春田を見つめ、少しだけ牧を見やり、再び春田の母親は息子を見つめた。
     牧は逸らしてしまいそうになる目を必死に開いて、そんな二人を見守るしかできない。春田が傷付くようなことにならなければいい。そんな都合のいいことを祈りながら、唇を噛み締めた。


     事の発端は、夕食中に牧が何の気なしに親御さんともなかなか会えなくなりますね、と言ったことだった。春田がハッとした顔をしたので、まさかと思ったが目を泳がせはじめたので案の定であった。春田はうっかり自分の上海行きを母親に知らせていなかったのだ。


    「うーわー、マジかよ」


     ドン引きで言ってやれば慌てて春田が弁解をしだす。


    「いや! まあ! まだもうちょっとあるし? 家だって出て行ったんだから直前に言っても気にしないだろ!」
    「いやいやそれはないでしょ。ちゃんとすぐに報告しないと。あんな息子想いのお母さんにそれは酷いですって」


     そんなことを言い返して、春田が怪訝な目で牧を見ていることに気付いて、自身の失言に牧は気づいた。


    「……牧、お前もしかして」
    「…………ばったりお会いしたことがあって」


     じっと見定めるように春田が牧の目を見てくる。思わず泳がせてしまった目に、春田はなにかを察したらしい。なんでこういうときだけ察しがいいかな、と毒づきながら、スマートフォンを取り出し母親を呼び出すべく電話をかけ始めた春田に肩を落とした。
     そして「報告したいことがある」と電話をかけた春田に、春田の母親は「じゃあ今から持ち出したい物もあるし家に向かうわ」と返した。針の筵の上に座っている最悪な居心地のまま、牧は春田と一緒に春田の母親を出迎えることになった。そして冒頭へ戻る。

     ぽかんと口を開けて、きっと意味を理解しようとしているのだろう春田の母親に対しだんだん申し訳なくなってくる。春田の母親は、春田と幼馴染との結婚を信じて、孫の顔が見たいと息子への想いを語り、ずっと友達でいてほしいと牧に対して願ってくれた。いまその想いを、願いを、牧の存在が踏みにじっているのだから。


    「えっと、待って。整理するわ」


     やっと動いた口は案外冷静なものだった。


    「創一はちづちゃんのこと好きじゃなかったの?」
    「俺が好きなのは牧」


     こめかみを人差し指で抑えながら春田に問いかけられた質問に、春田は簡潔に答えた。じん、と目頭が熱くなりそうな感覚にいまは感動している場合じゃないと牧は自信を叱咤する。
     春田の母親がもう一度、牧を見た。春田とそっくりの目が牧を真っ直ぐに見つめてくる。


    「牧くん、この前会った牧くんと同一人物であってる?」
    「はい、一緒の牧です」
    「性別は男の子よね?」
    「はい、男です」
    「牧くんも創一のこと好きで、ずっと一緒にいたいって思ってるの?」


     ぽんぽんと投げかけられる質問に、牧の背中に冷や汗がつうっと流れた。それに気づいた筈もない春田が、牧の手をぎゅっと握ってきて、牧の涙腺は限界を迎えた。


    「……っ、はい!」


     ぼろぼろと零れだす涙を拭うこともできず、牧は春田の母親をまっすぐに見つめ返した。
     すると慌てだしたのは春田と、そして牧の視線の先にいる春田の母親だ。同じような慌て方をしてふたりで牧の肩や背中をさすってくる。呆気にとられながら、されるがままになっていると、未だ玄関に立ったままの春田の母親が口を開いた。


    「正直びっくりして、理解が追いついてない部分があるけど……いいと思うわよ。この前LGBTの人たちのパレードを見かけたんだけど、色んな人たちがいるんだなって思ったばっかりなの」


     あ、LGBTって言葉はATARU君が教えてくれたんだけどね。そう言って春田の母親は微笑む。
     まさかの言葉に、牧の背中をさする春田の手が止まった。春田もきっと覚悟していたのだ。牧との関係に対して、喜ばしくない言葉を、実の母親から投げつけられる覚悟を。


    「あー、もう。牧くんに早く濡れタオル取ってきてあげなさい、創一」
    「えっ、はっ!? 濡れタオル!?」
    「こんなに泣いてたら腫れちゃうでしょ、冷やさなきゃ。あと私のピンクのストールも持ってきてちょうだい」
    「人使い荒えよ!」


     牧に変なこというなよ! と言い残し、春田がバタバタと脱衣所に向かって走りだした。ドアがパタンと閉まって、春田の背中を見るしかできなかった牧は、春田の母親に名前を呼ばれ顔を戻した。そっと握られた手に、あの日友達でいてね、と告げられたことを思い出す。
     目を合わせれば、ふっと目を細められ微笑まれた。


    「前会ったのは一年くらい前かしらね。その……創一とはあのときから?」
    「っ、すみません」


     静かに首を横に振るあたたかいその表情に、ああ春田さんのお母さんなんだなと改めて牧は思う。


    「謝らないで。私の常識が牧くんをきっと傷つけたでしょう、ごめんなさいね」
    「いえ……孫の顔を春田さんも見せたいと思っていたはずなんです」
    「そうかもしれないけど、それでも創一は牧くんを選んだんでしょう。それってすごいことだわ。あの創一が人を呼び出してわざわざ交際宣言する日が来るなんて思いもしなかった」


     見えない扉の向こう側を春田の母親が見つめる。慈愛に満ちた表情に、牧は自分の母親を思い出した。ゲイだとカミングアウトした牧を受け入れてくれた時の母親も、こんな表情をしていた。きっとこれから苦労するだろう息子の苦労が少しでもないよう祈る、母親のその表情。
     ようやく涙が止まってきたその時、ぱっと春田の母親が牧へ視線を戻し、満面の笑みでまた話しだす。


    「でもほら、最近は男の人も妊娠できるかもしれない!みたいなニュースもたまにやってるじゃない。可能性はゼロじゃないわよねえ、科学の発達に期待するくらいなら許されるかしら。ああ、でもそのとき産むのは牧くんなの? 創一なの? どっちなの?」


     まさかの春田の母親の発言に、今度は牧が口をぽかんと開ける番だった。同時にキッチンへ続く扉が勢いよく開く。


    「タオル濡らして持ってきたけど、ストールの場所はわかんないから自分で……牧?」


     廊下を歩きながら春田が玄関にいる二人に近寄り、にこにこしている母親を余所に、ぽかんとしている牧を訝しげに覗き込む。そんな二人が視界に一度に入り、牧はぷっと小さく吹き出し、そのまま声を出して笑いはじめてしまった。


    「え、ちょっ、どした? 牧おかしくなった?」
    「私そんなおかしなこと言ったかしら」
    「何言ったんだよ!?」
    「科学の話ね……」
    「はあ!?」


     春田親子の会話に牧は笑い続けた。今度は笑いすぎて涙が出る始末だ。春田に渡されたタオルは絞りすぎてあまり湿っていなかったけれど、それでも体温が上がった顔を冷やすには十分だった。


    「お二人は正真正銘の親子ですね」


     息も絶え絶えに言えば、不服だと二人に言い返された牧だが、それすらも面白くタオルに思い切り顔を埋めた。喉がひくひくと喜びを訴えている。
     よかった、本当によかった。春田さんが傷付かなくて、春田さんのお母さんが泣かなくて、よかった。
     牧は胸がいっぱいになりながら肩を揺らした。また涙が出てきて、顔に当てたタオルが吸い取ってくれる。
     牧の涙の意味が変わったことに気付いたふたりが、やっと上海行きの話をしだした。今かよ、と心の中で牧がツッコミを入れるている間に、春田よりも何百倍とちゃっかりしているらしい春田の母親は、牧の連絡先を春田から聞き出していた。春田も春田で牧に了承なくあっさり連絡先を教えてしまうのだから、相変わらずである。


    「創一がいない間に交流深めましょうね。お茶に誘うから。ストールはそのときに持ってきて」


     そう言い残し、春田の母親は玄関からあっさりと帰っていった。送ると言うふたりを迎えがきているからと断って。
     ぽつんと玄関に残された春田と牧はしばらく春田の母親が消えたその扉を見つめ、そしてゆっくりと目を合わせた。目尻にシワを作って春田がくしゃりと笑い、牧を腕の中に閉じ込めるとぎゅうぎゅうに抱き締めてくる。


    「俺たち敵なしじゃね?」


     嬉しそうな口調に、牧まで嬉しくなってくる。


    「ウチの父親残ってますよ」
    「あー……そうだった。上海行くまでに挨拶いかないとなあ」


     当たり前みたいに言った春田に、牧の心臓がきゅっと鷲掴みされる。日程調整しようぜ、と言う春田の背中に手を回し、へろへろになっているグレーのスウェットを掴めば、春田が小さく息を吸って牧を抱きしめる腕の力を強めた。


    「春田さん、今日はもうちょっと飲みませんか」


     ちゅ、とリップ音を小さく立てて唇に落とされた幼いキスが嬉しい。


    「ん、俺もそういう気分」


     唇を離してから、照れ臭そうに牧に同意した春田のために一体なにを作ってあげようか。夜も遅いから明日胃に来ないものがいい。
     そんな平和な悩みを抱けることにすら幸せを感じるのだから、世界は牧が思うほど難しくないのかもしれなかった。きっと春田と一緒にいれば、そうなのだと思った。


    巻爪 Link Message Mute
    2018/06/15 16:46:48

    ティアドロップさえ愛しくて

    最終回から春田が上海に発つまでの一ヶ月間の話。
    朝ごはんの話と、春田の母親の話です。

    #春牧  #牧春  #春牧春

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