春曲鈍と一堂零の夜のドライブの話零が高校を卒業して数ヶ月が過ぎた。俺はといえば、零と同い年だと言うのに、まだ高校生をしている。だからと言って零を遠くに感じているかと思えば、そうではなかった。
「鈍ちゃーん!暇だろう?」
卒業してから家業を継ぎだした奇面組の仲間たちと、そんなにつるまなくなり、逆に何かと俺に絡むことが多くなった。
「今なら高速も深夜割引だし、空いているのだよ」
零は車に乗りはじめた。土曜の夜は、零たちと一緒に深夜に行けるところまで行って、朝には帰ることが、習慣となった。零たちと、だ。勿論ふたりっきりではない。
「えへへ、いっぱい買っちゃったー」
「チャコ、サービスエリアでテンションあがって、馬鹿みたいに天ぷら買うのを止めるのだ」
ご近所三人組ということで、チャコも一緒だ。
「けっこう、うみゃいな」
「でしょー、鈍ちゃん食べて食べてっ」
不服はない。俺には他に心を許し合える友達はいなくて、友達とドライブに出かけたことも初めてなら、友達と深夜に出かけたことも初めてだった。
零と一緒にいる時間が、長ければ長いほど、初めてのことが増えていく。他に友達がいない俺にとって、楽しい思い出は、必ずそこに零がいた。
「どうしたの、鈍ちゃん?」
深夜のサービスエリアで、溢れてくるような幸せを噛み締めながら、俺は月を見ていた。月明かりに零の癖っ毛の頭が、定規のように切れ長で大きな目が、きれいな姿勢が、俺の目の中でキラキラと輝き出す。
俺は少し感極まっていたのだろう。嬉しいと零に伝えると、零は俺をぎゅっと抱きしめた。
帰りの車の中で、チャコは何かを感じ取ったのか、チャコは俺に、助手席を譲ってくれた。ご丁寧に、後部座席で、しっかり居眠りもしてくれて。
深夜の高速を車で走ると、夜の海を漂っているような怖さを感じる。行けるところまで行こうか。零がそうつぶやくと、おもむろにアクセルを踏み出し、ロケットのような速さで夜を縫っていく。あまりの運転の激しさ、荒さに、普段温厚な零とは思えないくらいだった。
小学生のころにも高校生のころにも見せなかった、隠し持った零の性分。
あまりのスピードの怖さに俺は少し涙目になりながら、やめろ零!と小声で呟いたが、零は、怖くないよ、鈍ちゃんは女の子みたいだなぁと、飄々と返す。
車の中は密室だ。しかもハンドルを握った人間しかその密室を自由に出来ない。事故を起こしたらどうするんだと叫んでようやく、零は俺の言うことを聞き入れた。次のサービスエリアで、車を止めると、プリプリ怒る俺に、零はごめんと謝りだし、文句を言う俺の唇を塞ぐように、唇を重ねた。
あの荒い運転の中、あの騒ぎの中、チャコは後部座席でずっと寝ていた。大人物だな。……いや、ほんとに寝ていたのだろうか。
あれから、だ。
三人組のドライブも続けているけれど、俺は零にあうたび、何らかの接触を求めるようになった。零には奇面組がいる、いい仲だった女の子がいる。俺が初めてづくしだった物事も、零には決して初めてではないのだろう。そう思うと、胸が焼け付いた。友達とのドライブ、友達との食事、友達との夜……。何を思い起こしても、初めて零と、ということが呪詛のように付き纏う。苦しいのだ。接触は、肩を抱くというところから、だんだん歯止めが聞かなくなり、唇どうしの接触をするようになった。友達はこんなことをしない。零には、こんなことをした経験があったのだろうか。
いつもの三人組のドライブの終わりに、チャコは、もうすぐこの集いの参加を止めると言い出した。近くの病院の事務に就職が決まったのだ。土日も、病院は開いているし、こんな若さに任せたドライブなど、もう出来ない。ましてや、チャコは女の子だ。
「しかし、スパッと居なくなったにゃ、チャコは」
「いつか、この集まりもなくなるのかなって思っていたのだ。自然消滅よりは寂しくなくていいんじゃないかな」
密室に、俺と零のふたりっきりでなんて、それは俺の叶わない夢なのだろうか。月の導くまま、月の沈む方向へ、車を走らせる。あてもない旅へ、あてもない明日へ。
無理だ。月が正しく満ち欠けをするように、俺たちは規則に従い生きる。俺は高校生で、零は糧を得るため玩具屋で。冒険というのは無理のない範囲でしか許されないし、さらなる冒険を味わいたければ、零の家にあるテレビゲームでのなかくらいだ。チャコは、この世にまだワクワクすることがある、というのを待ち続けて身を焦がすより、スパッと、そんなことがあればいいねと言って、現実を見る方を選んだのだろう。
ドライブも無くなり、また、灰色の日々が続く。無難にこなせば、波風も立たない日々。あの荒い運転も、ロケットのようなスピードも、夜を縫う怖さや快感も、無ければ無いで。そして、零が触れた身体の温もりや重み、そして、唇のかさつきと、しつこい湿り気。……そんなことどこかに消え去ればいいのに。普通のことなんかじゃないのだ。
「何しにきたんりゃ、零」
「鈍ちゃん、お酒のまない?」
頭から消え去ったころに、零は現れる。お酒飲まない?と言った癖に、零はすでに酒臭い。
「月はさあ、決して裏側を地球に見せないんだよね」
学校の成績は悪かったくせに、零は妙な所で博識だ。
「三日月でも満月でも、ずっと同じ向きなんだよ。……なんで、見せてくれなかったのかなぁ」
そのまま零は、俺の肩で泣いた。裏側を見せてくれなかったのが、女の子だったのか、それとも別の何かだったのか、俺にはわからない。零もたぶん、俺と同じ、置いて行かれた人間なのだ。
「おまいが、狼にならなかったからじゃにゃいか?」
月が綺麗ですねなんて言葉、考えたのはきっと零と俺と同じ、臆病者だ。零は答えのかわりに、俺の首筋に犬歯をたてた。あとは女の子とするようなことを零と試してみたかったけど、二人とも唇を重ねるから先のことはしたことがなかったし、わからなかったし、不注意で気不味くなることがこわかったし、それよりも前に。親がいる家で、地球と月のように、重なり合うことが躊躇われたからだ。
「西から昇ったお日さまは東に沈まないのだなぁ」
零はたまにすっとぼけたことを言う。
「零。天変地異だじょ、そりは」
「それでいいのだよ。当たり前だと思うことから私たちは結構縛られてるよね」
お日さまが東に沈む、お月さまも東に沈むと、時は巻き戻っていく。零も俺も、時を止めたがっているのだろうか。口づけしあって、裸で抱き合って、身体の境目がわからなくなって。劣等生の俺と、玩具屋の暮しのなか、学生服を着ていた頃と比較して、自身がどこに行こうか、わからなくなっている零と。俺たちは会うたび、自分たちを埋め合うようにして求めあっていた。ただ、繋がり合ってはいない。
ある日俺は、零を繋ぎ止めたくて、二人きりになる場所につれてって欲しいと伝えた。零は、どうしたらいいかわからないと返した。
やはり、こんなことは普通のことじゃないんだ。口づけと抱き合うだけで良かったのに。
新月の夜だった。太陽と月が重なり合って、夜に月が出ない日だ。零が、一緒に月が綺麗だね、と言ってくれなくなったらどうしよう。チャコがしていた通り、ワクワクすることを待ち焦がれるより、自分からにスパッと見切りをつけたほうが、よほど傷がつかなくて済んだのだ。
「ひたすら西に行ってみるかい?」
避けられていたと思った零に、声をかけられた。
「今晩待っているから」
零が卒業して、ちょうど半年過ぎた土曜の夜だ。深夜に高速を、ロケットのように飛ばして、乱暴によその車を追い抜いて、激しく荒い運転をしていた頃が、俺の脳裡によみがえった。
「何処へ行く気にゃんだ、零」
必要以上に零といたがる俺。零が来ると部屋に閉じこもりだす俺たち。本当はもう、両親もとっくに気づきだしている。あの時の、いつもの時間に俺は、零と出るからというと、そうか、としか言わなかった。
夜だ。零が運転席の中で、待っている。
「月が沈む方向。」
今晩は満月だ。月が、初めて零と車を走らせた夜のように、零に嬉しいと伝えたときのように、冴え冴えとしている。
「西に月が沈んで、東に太陽が昇るところを一緒に見てみたいのだよ」
零は、子供っぽく笑う。その顔は何かを吹っ切った表情をしているし、俺を見つめる眼差しは強い。どうしたらいいかわからないと返した零を乗り越えたようだった。
「今、十月だよね。神無月っていうけど、出雲大社のほうでは、神様が集まるんだって」
零は、軽くエンジンをふかした。
「神在月」
今まで、不出来な息子を見守り続けた親から、おれはこっそりと、零へ、あらたな生き甲斐のほうに移ろうとしていた。
「出雲大社まで、東京から高速飛ばしたら、14時間ほどで着くってさ、鈍ちゃん」
「お、おみゃえ。おりは車の免許持ってないぞ」
「私が運転するよ。寝ずに運転したら、もっと早くつくかも知れないな」
「馬鹿きゃ、零!」
「大丈夫だって」
そういうと、零は運転席から窓を開け、俺にくちづけをした。
「……若いんだし」
二人きりになれる場所を求めた時の零の顔より、俺はずっと戸惑った表情をしていたのだろう。零は軽く咳払いをし、助手席のほうのドアを開けた。
「乗るの乗らないの?」
二人になれる場所を探して、繋がれる場所を探して、夜を縫うように走っても、月は何処までもついていく。
「行きつくとこまで行くきゃ、零」
零が運転する密室で、俺たちは朝を迎えにいった。