細い月が暗闇の中に青白く映える。その下、ぼんやりと照らし出される大きな館の門前で、何やら数人が出て揉めているようだ。…揉めていると言うよりは、そのうちの更に数人が、騒がしくしていた。捕らえられたのだろう、ごく簡単に手と胴体を縛られ、各々に差はあるが、同じように額の辺りを赤くしている。何かに打ち付けたようだ。
「顔面どっかいったぁ~」
「ある!付いてるから心配するな…って、今はそれどころじゃないだろ」
「いまどきあんな罠にかかっちゃうなんてなぁ…」
3人は各々、独り言をするなり他のメンバーを気にするなりしている。彼らは所謂ギルドの冒険者パーティーで、魔物退治などを主に生業としている。今夜は、ここ最近巷を騒がせている…通称『悪魔』と呼ばれる存在のうち、1つの情報を得たので、それを討伐…ではなく、あくまでも『生け捕り』目的でやって来たのだが、こうして自分達が生け捕られてしまった。
目当ての存在が居るという、人里離れたこの場所…まるで崖の向こう側に在るような館へ向かうには、門へとまっすぐ伸びている正面の橋しか侵入方法が無い。つまり正面突破しか方法が無いのだが、橋の中頃に踏むと起動するような罠が仕掛けられていたらしい。倒してやる!というような口上でも述べ、意気揚々と駆け出し…見えない壁に頭を打ち、驚きや痛みで転がっているうちに館の者に捕らえられてしまったのだった。
――これからどうし…どうなるんだろう?
3人のうち、一番小柄な者…リラナは、まだジンジン痛む額の具合を気にしつつも、それ以上に自分や、仲間達が『この後どうなるか』を考えた。自分達を捕まえたのは、揃って似たような軽装備の者達で、おそらく警備兵のようなものだろう。彼らより後に現れた、全身ほぼ暗い色合い一色というような衣服、背の高く どこかしら『ご婦人』というような雰囲気の女性が、この館の主だろうか。彼女は黒い飾り扇子を広げて口元を隠し、怪訝な目付きで見下ろしている。
「…マヌケな人間達ですこと。わたくしの息子を倒しに来た…と言っていたかしら、黙って帰すわけにはいきませんわね…ひとまず、この者達全員、牢屋にでも入れておきなさい」
「はい」
返事と共に、兵達が各々3人を縛る縄を掴むなどして立ち上がらせようとする。と、その時に、女性はリラナを見ながら「おや?」と疑問の音を出した。3人も兵達も、気になったのか目線を向ける。
「…おまえ、よく見ると女なのね」
「――は?よく見なくても女だよ!!」
腹を立てて飛びかからんばかりなリラナを、兵士が後ろから引っ張って制する。「リラナ、あんまり相手を刺激しないでね」と仲間の1人、リュスクが小声で声をかける。もう一方、リェードは、こういった光景がよくあるのか、リラナへ呆れるような視線を投げている。
リラナ…彼女は女性であるが、その身振りは少年のようにも見える。本人も指摘されると腹を立てるくらいには、若干気にしているらしかった。その様子は気にせず、館の女性は考えるような仕草をする。
「………フム。(…男のような女なら、もしかしたら)」
感嘆音の次は聞かせないつもりだったのか、ごく小声だった。なんだ?とばかりにリラナや仲間達が見ている。ややあけて、女性は次の言葉を発した。
「おまえ…わたくしの息子と結婚しなさい」
「……………は?」
数呼吸分ほどあけてから、素っ頓狂な音を喉から出す。リュスクも何だ?という疑問の顔付きだ。唯一、リェードだけは声を荒げて立ち上がろうとしたので、「コラおとなしくしてろ」と兵士に軽く押さえつけられた。女性は、先程よりも扇子で隠す位置を上げており、二ッと笑っているのか、楽し気に目が細められていた。
「…どうかしら?おまえが言う事を聞くならば、仲間2人を見逃してあげましょう…嫌なら、3人仲良く牢屋行きです」
「………」
「ふざけんな!!誰がそんな――」
「―――わかった!!」
再び怒りを露わに立ち上がろうとするリェードを制するように、リラナは言い放った。額の赤さで格好はあまり付かないが、真剣でまっすぐな目で、女性を見返す。
「2人を解放してくれるなら、言う事きく!!」
「この辺で放せばいいかな」
「大丈夫でしょ」
リラナと引き離され、館から幾らか離れた森の入り口で、リェードとリュスクは縛られている縄から解放された。自分達に何もしないと高を括っているのか、兵達は呑気な会話をしている。
「じゃあな人間、気を付けて帰れよ」
「次はアポってやつ?取ってから来な~」
ははは、と笑いながら、兵達は元来た道へと帰って行く。それを視界に入れるでもなく、リェード、リュスクの2人は、やや斜めに向き合う形で黙り込んでいた。
「………」
「………」
幾らか沈黙し、互いに俯き加減だが、このままでは良くないと、先に言葉を発したのはリュスクだった。糸目で少し個性的な顔立ちの彼は、困った状況になると目に見えて眉がハの字に強く垂れる。
「………リェード、どうしよう」
「………」
「リェード?」
「………」
「…リェード?聞いてる?」
「………」
返事をしないリェードを気にして顔を覗き込むと、なにやら感情を溜めに溜めて、徐々に解放しそうな顔つきだった。実際、その少し後に彼が発したのは、情けなさを感じる悲鳴とも絶叫ともつかない音だった。「だいぶん溜めたね」などと言いつつ、リュスクはさほど驚いていない様子だ。それからリェードは、矢継ぎ早という感じで独り言のように声を上げる。
「リラナが…リラナが『悪魔』と…結婚!?『悪魔』と!!いや、そもそも、あいつ結婚って何なのか わかってんのか!?」
「それはちょっと気になるかも」
「悪魔に…悪魔なんかに…あんなことやこんなこと…と…と……」
「リェード~」
何か良くない想像でもしたのか、声にならない悲鳴を上げているような表情で頭を抱える。そんな彼を、リュスクは至って落ち着いた様子で「大丈夫?」と心配して見ている。
「―――リュスク!!リラナを助けるぞ!!」
「今 負けて引き下がったばかりで?」
「………」
「落ち着いて、一度戻ってしっかり立て直そう。あの感じならリラナをすぐにどうこうはしないだろうし…リラナなら大丈夫だよ」
リュスクは糸目の顔を穏やかにして、微笑んで見せた。
アタシは館の中に連れて行かれた。コイツは館の主人なんだろうか、他の奴らに指示を出したりしている…そしてアタシ達が倒しに来た『悪魔』の、母親らしい。…2人が助かるならって、つい勢いづいて言っちゃったけど…『悪魔』と結婚か…どうなる事やら。
…そうだ、説明していない気がするから、少し『悪魔』の話をするね。まぁ、だいたいリュスクが前に言っていた事を、そのまま言うんだけど…『悪魔』っていうのは、ここ最近この世界のあちこちで現れるようになった、別世界の生物らしい。姿は人に似ていて、頭が良くて、体も魔力も強い。でも友好的な話は今のところ無くて、危険。姿がわかっている奴は、できるだけ捕まえるようにってギルドで情報が公開されている。『悪魔』っていう呼び方は、とりあえず そいつら全員を表す為に決まったらしい。そのまんま、本とかに出てくるアレに例えられているよね、多分。
そんな感じ……
………
館の中へ進んで行く女性の後ろを着いて行く形で、正面の門を抜けた先、ちょっとした広場のような空間に出る。彼らにはそういった装いや雰囲気が主流なのか、明々としてはなく、少しだけ紫がかった灯りが灯されており、ほんの少し薄暗めだ。
「……おまえ、名前はなんと?」
「リラナだよ」
「そう…」
女性は、今まで口元を隠していた飾り扇子をパシッと畳むと、リラナへ正対する。顔以外はほぼ布で占めているような衣服の為、詳しい事はわからないにしても、何となく身ぎれいな印象はある。これも彼らの流行だとかなのか、紫の口紅を下唇にだけ塗っている。
「わたくしはリュジュニスラ。ダルグフタールの母です」
『ダルグフタール』っていうのは、アタシ達が倒しに来た『悪魔』って奴ね。実のところ、名前は初耳だけれど…こいつら揃って言いづらい名前だな……
「今は『リュジュニスラ様』とお呼びなさい。『お母様』と呼んで良いのは、きちんと婚儀が終わってからです」
「はぁ……」
「わたくし達の一族は、必ず『満月の夜』に婚礼の儀を行います。その夜に、誓いの証を行うのですわ」
「フーン…。誓いの証………とは?」
リュジュニスラは妙に嬉しそうな様子で、少し頭を使い始め足を止めたリラナをほったらかして、数歩ほど先に進んでいた。
「ダルー、ダルー?ちょっといらっしゃいなー」
リュジュニスラが上の階へ向かって声をあげると、すぐに近くの階段から、誰かが下りて来る足音が響いてきた。現れたのは…マスクで顔を隠した大男だった。こいつがダルグフタールなのだろう、リラナとは少し距離を置いて、足を止めた。コチラを警戒しているのか…様子でも見ているのか……
……というか、ほんとデッカイな!!アタシの頭がアイツの胸くらいか?
(※思わず自分の頭の上で手を水平にして、位置を計ろうとするリラナ)
いけない、怖がってると思われたらナメられるぞ…!アタシ怖がってないもんね!!
(※リラナはムッとした顔をして睨んで見せたが、正直 怖くも何ともない顔であった)
「………」
「あなたが様子を見ていたのは、外に居た時から知っていました。この人間の小娘は、リラナという名です。驚くでしょうけれど、女ですのよ」
強調しやがるな……
「あなたを倒しに来ただとか、とんだ阿呆者ですけれど…その度胸を買ってあげて、あなたの妻にします」
妻にされます。
「ま…色々と不満はあるでしょうけれど、『あの女』よりはマシでしょう?それに…思った通り。この距離でも平気だなんて、珍しいですわね。男っぽいのは、少し良いのかしら?」
…何か気になる事を幾つか話した気がするが、今のリラナにはよくわからなかった。リュジュニスラは自分より少し高い位置にある、彼のマスクの隙間、目のある位置の暗がりをまっすぐに見た。
「とにかく…用が済めば、後はどうとでもできますし…あなたの力を取り戻す事が、何より重要です。良いですわね?」
色々言われてる気がするけれど…我慢だ。
「………母上のお考えでありますれば」
少し間をあけて返した大男の声は、その風貌に反して…低くて強いとか、恐ろしげなどではなく、意外にも穏やかな声色だった。「意外な声してるじゃん」などと思い、リラナもつい目を丸くして反応した。その返事を聞いて、リュジュニスラは軽く咳払いをする。
「さて、そろそろ夕食の時間です。その前に…空き部屋がありますから、おまえはそこで過ごすように。誰か、娘を案内してくれますか?」
「母上、私が……」
近くに控えている兵士へ顔を向けようとするが、それを止めて、ダルグフタール自らが名乗り出る。「…上の階だ、着いて来なさい」と、リラナに背を向け促した。
見上げる程高い背中の後を着いて行き、ゆっくりと薄暗い廊下を歩く。壁に等間隔で並ぶ小さな窓からは、今夜の月が見える。次の満月って、何日後なんだろう?そう考えつつ、ふと2人の仲間達の顔が脳裏をよぎった。
…リェードとリュスク、今頃どうしてるかなぁ……
「………そなたは」
そんな事を考えていて、半分上の空のリラナに、前を歩く男はふと足を止めて、声をかけてきた。ハッと意識を今に戻しつつ、リラナも足を止める。
「ん?」
「母上に連れてこられた…というわけではないな、外で何か…揉めていただろう。他の人間も居た、そなたの仲間か?」
「うん、まぁね」
返事をしながら、いくらか大げさに肩をすぼめて見せる。
「さっきアンタのおかーさまが言ってた通りで、アンタを倒しに来たんだ。ま…すぐに捕まっちゃったんだけどね」
「………」
「それで、仲間を見逃してほしかったらアンタと結婚しろ~って、そういうワケ」
「………そうか」
ダルグフタールは、窓へと顔を向ける。そこから見える細い月を眺めたようだった。
「…我々のしきたりでは、満月の夜に『誓いの証』を行って、はじめて結婚が成立する」
「ン、そう言ってたね」
「………」
何か思案している様子で、暫し無言になる。リラナは少し顔を斜めに傾けるような動作をしながら、彼の言葉の続きを待った。
「…今夜はもう遅いから、ここを宿代わりにしなさい。あとは…うまくいくよう、私も協力する」
「………ン?つまり?どういうこと?」
幾らか間をあけて、彼の言う事がわからないとばかりに訊く。
「………ここを出て行き、仲間の元に帰れと、そういうことだ」
「は?」
「望んでいないだろう、私と結婚するなど」
「………そりゃあ、まぁ…そうだけど」
「母上は少し…無理が過ぎている、私がきちんと話しておく」
「―――ちょっとまって」
そう言うリラナの声は語気が強くなっていた。適度に距離を置き、決して正視せず斜めに構えている男の姿が、やけに癪に障った。というかもう既に目線が合っていない、絶対に。リラナの謎の意地とか怒りの沸点に火がついてしまった。瞬間、怒りの形相に変わる。
「アタシの事情とかはそっちのけなの!?」
「――――!?」
「わりとこの短時間で決意固めたよ!!アタシは!!それとも何!?アタシじゃ不満か!!」
「そういうわけでは」
「悪ぅございましたねー!!可愛げのある乙女じゃなくって!!それにしたって、顔も見せずに遠巻きに話すとか、ちょーっと失礼だと思わない!?ちゃんと目ぇ合わせろ!!顔くらい見せたらどうだコラッ!!」
「!?」
リラナは怒りの勢いに任せ、ダルグフタールのマスクを それは強引に奪い取った。よほど驚いたのか、顔を見られたくないのか…マントの裾で顔を庇っていたが、すぐにその素顔は明かされた。その表情は…色白のようなので余計に目立つが、まさに真っ赤と言うほどに赤面していた。釣り目の中にある金の瞳は、動揺しているのか視点が僅かに揺らめいているようだった。あまりに予想外で、さっきまでの怒りはどこへやら、リラナも唖然とした顔で、ただ黙って見つめてしまった。気付けば、マスクを奪い取る時に勢いをつけて飛びかかったので、彼と接触している形だ。ダルグフタールは…なんとか「離れてくれ」というような動作をし、リラナもそれに従った。リラナが離れてすぐ…ダルグフタールはまるで力が抜けたかのように、その場にへたり込んでしまう。
「………」
「……なに、アンタ、熱でもあるの?」
無言でいる彼の様子に、とりあえず声をかける。
「………私は、女性に近付くと…こうなる」
「へぇっ!?」
絞り出すようにして言う彼の言葉に、驚きの声を上げてしまう。『こうなる』って…わけがわからない。おまけに、かなりひどい様子じゃないか。リラナはそう考えた。へたり込んでしまい、頭の位置がリラナよりやや下になったダルグフタールは、苦労しつつも言葉を続けた。
「こうして、顔にすぐ表れるから…普段は隠しているのだ。見られたくないから……顔、だけではない…動悸がしたり……とにかくダメだ…色々…と………」
「………」
「…そなたは、なぜか……少し近くでも、平気だ…しかし触れる程は…さすがに無理だ………」
ダルグフタールは少しだけリラナに目線を向け、また伏せる。
「………これで、わかったか?……私の態度も悪く感じただろう、それは…認める。悪かった、謝る…が……そなたも…無理矢理が…過ぎないか………」
「………」
目の前の大男は、まったく腰が抜けたように床へ座ってしまっている。俯きがちにマントの裾で顔を隠す様子は、似ても似つかない筈だが、なんとなく御伽噺のお姫様が、悲しみに暮れている描写と重なってしまう。話す声も先程より弱々しく、途切れ途切れで、なんだか…かわいそうだった。リラナは申し訳ない気になり、バツが悪くなった。
「………えーと、なんか、ごめん」
後頭部を搔きながら、とにかくまずは謝ろうと言葉をかける。それから「立てる?」と手を差し出すが、これまでの様子で…彼がその手を取るとはとても思えない。「大丈夫だ」と、再び絞り出すような声で返し…暫く待てば落ち着いてきたのか、のそりと立ち上がった。
そもそも空き部屋へ案内されている途中だった。互いに何となく気まずい心地で、それを再開した。途中…さすがに凄い剣幕の声が周囲に届いていないわけがなく、何事かとは思いつつも隠れるようにして様子をうかがっていたらしい、館の使用人らしき者達とすれ違った。
「―――この部屋だ。昨日掃除されていたから、すぐに使える。右隣りも空き部屋だから、好きに使っていい
「広い!!キレイな部屋!!」
ダルグフタールが説明する途中で、リラナは子どものような歓声を上げて室内の寝台めがけてまっすぐに突っ込んでいった。ベッドに勢いよく寝転がると、仰向けになってバタバタと楽しそうに動く。…笑ってはいけないと顔を背けていたダルグフタールの心境を、リラナは知らないだろう。そうしてそのまま、微笑み顔で次第に脱力していく。
「ベッド久しぶりだ…ふかふか……ふか… …… … … …」
「………」
ダルグフタールは彼女の様子を部屋の入り口から眺めていたが、目を閉じて静かになってしまい、一度声をかけた。リラナからの返事は無い。
「………寝たのか?」
あまりの安らかな寝顔に、それ以上声をかけられない ダルグフタールであった。
「―――眠れるわけがない!!」
一方、リラナと別れさせられてしまったリェード、リュスクの2人は、今夜の襲撃とその帰りに向けて、立てておいたままにしてあった簡易テントの所に居た。リェードが剣を握りしめ声を荒げる様子を、焚火の前で身を屈めるリュスクは、特に驚くとか困惑するでもなく見ている。
「気持ちはわかるけど、自分の体の為にも休まないと」
「落ち着かない、素振りしてくる!!」
「さっきもしてたじゃない、体壊しちゃうよ」
「リュスク!!オレはこんな時に眠れるような人間じゃない!!こういう時は…怒りと!闘志と!その他諸々を剣に込めてだな―――
「はい おやすみ~」
そう言ってリュスクは、傍に置いていた杖を持って軽く振る。強制的に眠らせる術をかけたのだ。リェードは小さく唸った後…睡魔に抵抗できるわけもなく、そのまま眠りつきガックリと倒れる。リュスクは彼が頭など打たないようにと、丁寧にも地面ギリギリのところで浮遊術もかけてやり、そっと下ろした。
「………まったく、無茶するんだから」
眠るリェードの方へ顔を向けながら、小さく溜め息を吐く。それから、誰に言うでもなく、独り言をはじめる。
「…リラナも今頃、寝てるのかな…ウン、ボクも寝なくちゃな。おやすみ~」
「………」
リラナはボンヤリとした意識から次第に目を覚ます。寝ていたんだ…と思いながら、目を少し擦る。ベッドのすぐ横には窓があるが、外はまだ真っ暗で、もちろん部屋の中も暗い。「眠って そんなに時間は経ってないのかな」と考えつつ、かなり深い眠りだったようで、心地良く体が軽く感じる。…が、しかし。その心地良さを邪魔するように、次第に空腹感が迫りくる。そう言えば「そろそろ夕食の時間」だとか言っていたな、と眠る前の記憶を呼び覚まし、ほんの少し眉間に皺を寄せた。
…晩ごはん 食べ逃したのか……
「―――起きたのか?」
お腹をさすりながら寝返りをうつと、暗闇の中から呼びかけられた。さすがに驚いたので、リラナは飛び起きた。あの大男の声だ…声の聞こえた方を見ると、微かに何かが光っているようにも見えた。あれは……目、だろうか。二対の金は時々瞬いている。
「すまない、驚かせたか」
そりゃ驚きますよ、とリラナは内心思う。暗闇の中で少し動く気配がした後、ポッと、部屋の中が控えめにオレンジ色に照らされた。灯りを点けたみたいだ。アイツの姿も見えるようになった。部屋のすみっこで座っていたのか……片手に…本?本を持っているみたいだけど。リラナはその様子を見つめた。
「……真っ暗闇の中に居たの?」
「そなたを起こすと悪いので……ああ、我々は この世界の人間よりも夜目が利くのだ」
視線などから察したのか、ダルグフタールはそう付け加えて返し、これを読んでいたと言うように、本を持っていた手を少し上げて見せた。
「…アタシが寝てから、ずっと居たの?」
「食事の時間になっても、そなたは起きて来なかったので…もし夜中のうちに目覚めたなら、空腹だろうと…消化の良いものを、用意してもらった。それを食べるといい」
ベッドの傍には、寝る前には無かった小さい台があって、そこに布をかけた小皿が置いてあるようだった。布を取ってみると、お粥のような食事と水があった。
……ありがたい。
素直にそう思った。しかし…真夜中だろうと、肉でもなんでも食べられるけど…リラナはつい考えたが、まぁ、そういう事は言わなかった。
「…気遣ってくれて ありがとう」
「……食べ終わったら、そのまま置いていて構わない。もう皆 眠っているから…静かに過ごしてくれ。…では、失礼した。私はこれで……」
「あ、待って」
ダルグフタールが出て行こうとするのを引き留めた。なぜか?リラナは実は…独りで食べるのが、苦手なのだ。いつもは仲間2人が居たので、平気だったが…今はそうではない。殆ど知らない奴でも、害が無いようなら居てほしかった。
「なんでもいいから、ちょっと話し相手になってよ」
「………」
少しだけ思案するような間はあったが、問うでもなく、黙って部屋の隅に置いた椅子に座り直したようだ。話し相手とするには少し距離が広いものの、リラナは気にせず、とりあえず適当な話題を出してみる。
「……みんな寝たって言ったけど、アンタは寝ないの?」
「………」
ダルグフタールは少し俯いた。
「………眠れないのだ、私は」
「アタシが来たから、緊張してる?」
「……いや、そうではなく」
冗談で言ってみたものの、わりとすぐに真面目な否定が返ってきたので、リラナは少しだけ不服な顔付きをする。もう少し驚くか、冗談だと笑うかを期待していたのだ。だが、ダルグフタールの顔付きが、真顔なりにもどこか深刻そうに見え、リラナも少しだけ真面目な顔付きになる。
「………ここ何日か、ずっと眠れずにいる」
「なんで?」
「……まぁ、色々とな」
我ながらズケズケと訊いたものの、深く話したくはないように見えたので、それ以上は訊かないことにした。……話題を変えることにする。気になる事があるのだ。
「……アタシ達、アンタを倒しに来たって言ってたじゃん?アンタが悪い事してるから、捕まえるようにって、コッチでは色々情報が出てるんだよ」
「………」
「……でも、きっと情報に間違いがある。アンタがやったんじゃないって、アタシここに来て、アンタに会ってみて、わかったよ。ここのひと達…なんだかんだ親切で……アンタのおかーさまも、ちょっと言い方キツかったりイジワルだったりするけど、優しいと思う」
そこまで言ってから一呼吸。リラナはキリッとした顔つきになり、格好つけるだか決め台詞でも言うかのように、わざとらしく片手の人差し指を立てて見せる。その指先をダルグフタールに向ける。
「第一、アンタは女嫌いだ」
「……嫌いと言うと、少々語弊があるが…」
「アタシがちょっと触っただけで、あの情けない姿………」
掘り起こさないでほしい…そう考えながら、数時間ばかり前の出来事を思い出し、ダルグフタールは少し顔を赤らめたが、部屋の明かりが控えめなのもあり、リラナには見えないようだった。リラナは更に続けた。
「…アンタ関連の事件とか被害、男にも女にも出ていて、なんなら女の方がちょっと多い。男は知らないけど、女に手を出すのはアンタには無理だね…ウン」
ダルグフタールは複雑な心境で眉をひそめる。
「…アンタ達が、別の世界から来たんだろうって、コッチでは そういう事になってるんだけど、実際のところどうなの?で、アンタ達って何してるの?」
「………どう話したら良いものか」
ゆっくりと、話し出した。
自分達は、こことは違う世界から来た。色々な事情で、元居た世界では暮らし辛くなった…それで、世界を越えてまで移住する者が増えた。…世界を越えるというのが、どの程度のものかはよくわからないが…少なくともリラナの居るこの世界には、今のところ そんな技術や魔法は無い。色んな技術が、ここより進んでいる世界なんだろうな…それでも暮らし辛くなるもんなのか。リラナは話を聞きつつ考えた。移住目的で来たひとが殆どだけど、中には彼の居た世界での犯罪者が、捕まらない為に逃げてきた…というのも あるとか。
……要するに、今この世界で問題になっている『悪魔』って、その…異世界の犯罪者がコッチでも悪さしてるって事なのかな…?
難しい話は苦手なので、少し理解が及ばず頭が痛くなりそうだったが…リラナは話を聞き続けた。ダルグフタールは、リラナ達やコチラで言うギルドの情報で出ている悪事諸々には、身に覚えは無いと言っている。ただ、自分がやったと思われる原因には、心当たりがあるそうだ。リラナはそれが何かと訊いたが、そこで また言いたくなさそうに話を切って、少し黙っていた。
………
…急激に眠くなってくる。食べ終わって、お腹も落ち着いたからかな…フワフワしてくる頭、閉じようとする瞼を感じて、リラナは一度あくびをする。
「……まだ色々訊きたい事はある…と思うんだけど、眠くなってきた…アタシもう寝るよ」
「…そうか、ゆっくり休むといい」
「アンタも眠れるといいね…おやすみ」
「………」
…最後の言葉に返事はしなくて、しかしまだダルグフタールは黙ってコチラを見ている気がするが、もう眠気が限界なので、リラナはそのまま眠りついた。
………彼女は、何と言うか…少し変わっている、印象を持った。
私を倒しに来たと言うわりに…館の中に入ってから、敵意が見えない。急に怒り出した時は、驚いたが…それは、それきりで。そして誰に対しても、気を許している部分が多い。まだ、会って1日も経っていないというのにだ。
良くも悪くも…素直だ。素直すぎる、と言っていいだろう。嘘を言っていると疑っても良いだろう、私の話を、特に口を挟まず聴いていた。疑わずに、受け入れている。そして……
………
…私がまだ部屋に居るというのに、眠いと言って…再び、寝た………
これは、その…大丈夫なのか?色々と……
…彼女の仲間は、どちらも男性のようだったが…彼らの前でも、彼女は こうなのだろう。よほど信頼関係が固いから…なのか…わからないが……
………
……彼女について考えるのは、ひとまず止めよう。
今夜は眠れるだろうか…しかし…眠ることが、恐ろしい。
………あの女が、夢の中に現れそうだから。