エリファスとカオスに関する考察 エナちゃんは初登場時に他のアストラル世界住人と違って顔がひび割れてなかったから、エリファス同様カオスを一切必要としないタイプかと長らく思っていた。
……が、よく考えたら単にアストラル世界に来た遊馬を救助した際に遊馬のカオスで回復しただけかもしれない
だとするとZEXALの作中でカオスを受け取れないのはエリファスだけか(純粋な存在だったはずのアストラルも、負の感情には耐性無かったけど、「遊馬の力になりたい」的な善良なカオスは芽生えてたし)?
いや、「カオスを受け取れない」のではなく「受け取ったらマズイ(=耐性が無い)」のか?
もしや他者への献身や友情等の善良なカオスでさえエリファスには心身を蝕む毒になり得るからこそカオスを忌み嫌い、周囲の人々にも精神を清く保つことを強要していた?
つまり純潔至上主義(※性的な意味ではない)はエリファス自身がカオスへの汚染を恐れていたゆえの論理展開だった?
でもエリファスの場合「皆カオスのせいで失敗を繰り返してるじゃん」的なこと言ってたのとアストラルの損傷の捉え方から、どちらかというと「他人に期待し甘えることは破滅への道、未来とは自らの力のみを頼りに切り開くべきもの。力無き者が脱落するのは自然の摂理」って思考だっただけかも。
だからこそ絆の力で孤高の強者(=エリファス)を倒すことが純潔至上主義(=個人能力至上主義)へのアンチテーゼであり、かつアストラル世界における革命となり得たのだろうか。
それはそれとしてエリファスがカオスに対して「下戸」だったら面白いし二次創作的にはおいしいかも。
ああ、ただ「カオス」が「欲」ではなく「人と人との繋がりにおいて発生する精神作用」を指す言葉ならこれまで書いた二次創作に大きな間違いが発生するな……まあでも、とりあえず友情と恋愛感情はカオスの範疇か。
欲の中でも金銭欲や物欲とかはカオスではなく、支配欲や名誉欲とかはカオス?
要するに「エリファスは甘え下手ですぐキャパオーバーするコミュ障な恋愛初心者」ってことだな!(笑)