壱与ちゃん、姉弟の仲良しの為に奮闘する【卑弥呼と名無しの弟と壱与】
「―――弟がなんだかよそよそしい‼」
壱与の目の前で、卑弥呼が悲痛な声を上げて丸テーブルに突っ伏した。壱与は労しい卑弥呼に励ましの言葉も掛けられず、沈痛な心持ちで手元のジュースをちびちび飲む。
場所は通学路に近いファーストフード店の店内、日時は水曜日の放課後。卑弥呼と壱与は二人用の小さな丸テーブルを挟んで相対していた。
「……卑弥呼さんに何があったのか、昨夜からすごく心配してましたよ。でもまさか、ここまで精神的に追い詰められていたとは……」
壱与にとって、事の始まりは昨日の火曜日の夜のこと。卑弥呼から助けを求めるメッセージが怒濤のごとく大量に送られてきたのである。壱与が何事かと慌てて卑弥呼に通話をかけると、相談に乗って欲しいと泣きつかれ、何一つ事情を把握できていないままに翌日水曜日の下校後に会う約束を交わした。
かくして、本日水曜日の今に至る。
―――『二日前から弟の様子がおかしい。弟があたしによそよそしい、あたしを避けてる、なんだかあたしに冷たい!』
卑弥呼は先ほどから何度も同じ嘆きを繰り返していた。
「一昨日ね、学校から帰ってきたらね、弟がなんだかよそよそしくてね、最初はあたしの気のせいかなとか、疲れてるならそっとしとこうかなとかね、思ったんだけどね、……思ったんだけどねっ⁉」
壱与は中学生、卑弥呼は高校生で通う校舎が別だ。土日以外はたまに会わない日もあり、本日水曜日も数日振りに顔を合わせたのだが、壱与はまずすっかりしょげた卑弥呼の見たこともないほど暗く翳った顔に動揺を隠せなかった。
「でもね、次の日……ええと昨日! 昨日の朝になっても弟はなんだか変なままで……話しかけようとしたらすぐ別の部屋に逃げられちゃうし……あたし、なんだか避けられてるっぽくて……」
……壱与の中で、卑弥呼は光属性の人間だった。いつも笑顔で、前向きで、パワフルで、力が有り余っていて、凹むことや悲しむことがあったとしても暗い感情を引き摺らず、またすぐに笑って前に進んでいける、光のひと。壱与とはまるで異なる在り方に、身近で親しみながらも人としての憧れを抱いていた。―――しかし、
「二日間も一緒に夕ごはん食べてないのよ? 二日間も! 『私はまだおなか空いてないので後でいただきます』とか、ぜったいおかしい! 今までそんなことなかった! 朝は朝で勝手に行ってきますしてるし! いつもあたしを待っててくれるのに!」
今や、凹む悲しい状況にとんでもなく翻弄されていて、
「あたし、どうすればいいのかなあ。悩んでも悩んでもわからなくって。……困ってる時も悲しい時も、いつも弟が一緒になんとかしてくれたのに、なのに、もう弟は、あたしに気づいてもくれないのかな……」
またすぐ笑って前に進む光の卑弥呼は、影も形もない。
丸テーブルの中心に置かれたフライドポテトは一向に減らない。いつもなら遠慮ゼロでどんどん摘まんでばくばく口に運んでいく卑弥呼が、今日はちまちまとしか手を付けていないせいだ。
「うう……弟と一緒にごはん食べたいよお……」
卑弥呼は今にもぐずぐずと泣き出しそうだ。大好きな卑弥呼の悲しむ顔は、とても、とても心が苦しい。
「……あの弟さんが、急に人を冷たくあしらうようになるなんて、ちょっと信じ難いです」
ましてや、彼にとって最も大切な存在であろう卑弥呼に対して。……という言葉はあえて飲み込む。
「卑弥呼さん、本当に原因の心当たりはないんですか?」
「今回は何も思い当たらないのよ~! あたしが何かやらかしちゃったならきちんと謝りたいのに、覚えがないの‼ 何も‼」
「『今回は』何も思い当たらない、なんですね~……」
とはいえ壱与は、卑弥呼が多少やらかした程度で、彼の態度が冷ややかになるなんてありえないと考えていた。彼にとってやらかす卑弥呼は日常茶飯事の範疇だろうし、彼にとっては卑弥呼のそういう面も含めて卑弥呼で『姉上』なのではと感じ取っている為だ。仮に、卑弥呼が思い当たらないだけで実は今回も何かやらかしていたとしても、彼の愛想が尽きる結果にはならないはずだ、と壱与は断言できる。
「気づいてないだけで、何かやっちゃったのかな、あたし。どうしよう、弟がもう二度とあたしと一緒にごはん食べてくれなかったら……。二度と一緒にお出かけしてくれなかったら……。一生ばらばらの姉と弟になっちゃったら……。うう……、どうしよう……、どうしよう壱与……」
「卑弥呼さん卑弥呼さん、思考がどんどんなよなよの方向に沈んでいってますよ……!」
卑弥呼のあまりの落ち込みっぷりに、壱与は慌ててストップを掛けた。卑弥呼はすっかり肩を落とし、ストローに口を付けてちびちびとめそめそしている。普段のまさに光な卑弥呼の翳りっぷりを、壱与は不憫に思い、可哀想だと胸を痛め、なんとかしてあげたいと切に願った。
いつもの元気な卑弥呼に戻ってほしい。いつもの仲の良い姉弟に戻ってほしい。その為に、壱与は壱与なりに現状を考え直す。
「卑弥呼さん、もう一度確認しますね。……二日前の月曜日、弟さんの変な態度を見たはじまりは、卑弥呼さんが学校からお家に帰られた時、ですよね? でも、その日の一緒の登校の時の弟さんはいつも通りだった……」
卑弥呼は体全体をしょんぼりと萎ませたまま、小さくこくんと頷いた。
卑弥呼と弟は、通常であれば二人一緒に登校している。下校は別々の日もあれば、一緒の日もある。問題の月曜日は別々に下校したらしい。そして、卑弥呼は家で様子のおかしい弟と相対したという。
「ということは、卑弥呼さんは月曜日の朝と夕方以降の弟さんには遭遇してるけど、その日の学校での弟さんは確認していない……ですよね」
壱与は声に出して時系列順に状況を整理する。壱与自身の思考を上手く巡らせる為でもあり、どこまでも沈んでいきそうな卑弥呼の思考を繋ぎとめる為でもあった。
「……言われてみれば、そうね。あたしと弟は学年も、クラスのある階も違うんだから、校内で会わない日もあるし……。ええ、確かに月曜日は、学校では会ってなかった」
「とすると、弟さんは二日前の月曜日の学校で、何かトラブルがあったんじゃないでしょうか?」
壱与は推論を卑弥呼に語った。
―――月曜日の朝、彼は卑弥呼と一緒に学校へ登校した。この時まではいつも通り。
―――月曜日の学校内で、何かしらのトラブルが発生した。彼はそのトラブルが原因で心に変調をきたしてしまう。
―――月曜日の夕方以降、彼は卑弥呼に妙な態度を見せている。その原因は学校でのトラブルによる心の変調で、彼の中で問題は今も解決されていない。だから、火曜日、そして本日水曜日になっても彼の様子はおかしいままなのだ。
―――もし、この推論が正しければ、卑弥呼の言動が弟の態度の変化の直接的な原因ではない、ということ。それなら、卑弥呼が原因を思い当たらない状況も自然ではある……。
卑弥呼は真剣な面持ちで壱与のひとまずの推論を聞いていた。壱与には、しょんぼり卑弥呼のしおしおがほんの少しだけ回復しているように見えた。話が進展した……という気持ちになれたのだろうか。
「学校でのトラブルって……具体的には何なのかしら?」
「そ、そこまでは、わからないです。弟さんに直接聞けたなら、何かわかるんじゃないかなと……」
卑弥呼は眉を寄せて両腕を組み、「うーん……」と唸る。壱与は「あくまで私の想像ですよ?」と一応念押しした。一所懸命に考えてみたものの、やはり、卑弥呼の弟本人に直接答えてもらわなければ推測の域を出ないのだ。そして、卑弥呼の話を聞くかぎり、今のなんだかおかしな彼がそう簡単に卑弥呼の問いかけに応じてくれるとは思えない。すぐ避けられるし、すごくよそよそしいとの話なのだから。
壱与も「うーん……」と思い悩みながら両腕を組もうとして―――その両腕をガシッと両手で力強く掴まれた。驚いて両手の主を見ると、卑弥呼の瞳が―――まるで託宣を突如受け取った巫女が未来に希望を見出したかのように―――輝いている。
「―――ねえ、壱与! あたしの弟にそれとなーく聞いてくれない⁉ 『どうしてそんなにお姉さんを避けてるの?』って!」
「ええっ⁉ 私がですか⁉」
「壱与の助けが必要なの! あたしだと話しかけようとしたらすぐ逃げられちゃうもの! 理由を聞くだけでいいから! お願いします‼」
「そ、そんなに深く頭を下げられても……! 私なんかに務まる案件では……!」
「お願い壱与、ここは人生の先輩を助けると思って! ねっ⁉ お願いします! ねえ~っ‼ お願い‼」
「え、ええ~~……⁉」
◇◇◇
「―――というわけで、すっかりしょんぼりしおしお卑弥呼さん状態なんですよ、弟さん」
「しおしおですか。あの姉上が。そうですか……」
次の日、壱与は早々に卑弥呼の弟を呼び出した。
場所は昨日に卑弥呼と過ごしたファーストフード店、日時は木曜日の放課後。壱与と彼の囲む二人用の丸テーブルの席は、昨日に壱与と卑弥呼が座った席と同じだった。その中心には、注文されたのに誰にも手を付けられていないフライドポテトが寂し気に横たわっている。
数日振りに見る彼の顔は、昨日の卑弥呼と同様に翳りが差していた。壱与が現状の卑弥呼を説明すると、目に見えてさらに曇っていった。
「……その様子ですと、卑弥呼さんの証言は真実なのですね」
彼の肩がぴくりと震えた。
「弟さん、いったい何があったんですか?」
「……単刀直入ですな、壱与殿」
「月曜日、学校で何かあったんじゃないですか? よりによって弟さんが卑弥呼さんを避けたり卑弥呼さんによそよそしくなったりするなんて、よっぽどの大事件ですよ?」
昨日、卑弥呼に重要案件をお願いされた壱与は、すぐに卑弥呼の弟へメッセージを送った。『ちょっとお聞きしたいことがあります。明日の放課後、お会いできますか?』―――それだけの文章で彼は背景を察したらしく、理由も尋ねずに簡潔な了解の返信を送ってきた。……その時壱与は『彼は最近の彼自身の振る舞いの不自然さと原因を自覚しているらしい』と推察したのだ。
「それは、その…………」
「それは? なんですか?」
問い詰める壱与は居心地悪そうな彼と無言で見つめ合う。沈黙がほんの僅か数秒続くも、彼はあっさりと目を逸らしてわざとらしく咳払いをした。壱与の他愛ない勝利であった。
彼はきょろきょろと周囲を確認してから居住まいを正し、深刻な面持ちで「ここだけの話なのですが……」と声を潜めた。壱与に緊張が走る。
「……実は」
「はい」
「恋文を、託されまして」
「はい?」
「私と同学年の、とある御仁に……、姉上宛の恋文を託されまして……。代わりに渡してほしい、と……」
「……ええと?」
壱与は予想していなかった告白に頭がハテナでいっぱいになる。無理にでも頭を働かせ、言葉の意味を理解しようとする。
「恋文。……つまり、ラブレター、ですか? お手紙にお相手への恋心を書き認めるとか噂の、あの文化の? 弟さんと同じ学年の生徒さんから、卑弥呼さんへのラブレター……?」
「ええ、まあ、はい。そういうことになりますな」
「そういうことになるんですか……」
「突然、存ぜぬ御仁に声を掛けられまして、何事かと思いきや恋文を託されまして、正直頭が混乱してる間にその御仁は去ってしまいまして。私の手元に残された恋文の取り扱いに、ここ数日間、ほとほと悩んでいてですな……」
壱与は少女漫画の世界にしか存在しないと思い込んでいた概念が現実に存在した事実に愕然とした。「そっか、そういうことだったんですか……」と驚嘆の真相に納得しようとして、「あれ? ちょっと待って下さい」と疑問を呈する。
「それで、いったいどうしてそのラブレターが弟さんの不審人物な振る舞いに繋がるんですか?」
「壱与殿。不審人物とはあんまりな言い草では……」
「卑弥呼さんを避けたり卑弥呼さんによそよそしくなったりする弟さんは不審人物ここに極まれり、でしょう」
「……そうですな。否定できる身ではありませんでした……」
こほん、と彼はまたわざとらしい咳払いを一つ。
「いえね、もちろん、もちろん私は姉上の幸せを常に願う立派な弟を自負しておりますが……」
「自分で言っちゃう感じなんですね」
「あれを渡してしまうと姉上が私の与り知らぬところへ旅立ってしまうのではないかと、こう、思い至ってしまって、なかなかお渡しできず……。そうなると、姉上を前にする度に恋文の御仁を思い出してしまって、つい……」
ごにょごにょと言い訳を始めた卑弥呼の弟。壱与は考える。要するに、彼が卑弥呼によそよそしくなっている原因は『他人から託されたラブレターを姉に渡せていない罪悪感や後ろめたさで、本人を前にするとつい避けてしまう』らしかった。
「……って、いやいや。弟さんがラブレターに躊躇う理由なんてありますか? 以前、卑弥呼さんから恋愛相談に乗ってくれたとかお聞きしましたよ?」
「違います壱与殿。いえ、違くないかもしれません。思うに、私は『渡したいけど渡せない』ではなく『渡さなければとわかっていながらも、渡したくないから渡せない』のであって……」
「……恋愛相談には応じられるのに、ラブレターは仲介したくないんですか?」
「いやその、私が直接ここまで関わるとなると話は違ってくるではありませんか。ですよね?」
「……何がどう違うんです?」
「姉上が姉上の関わった御仁と仲を深める場合ならわかりますよ。されど此度は姉上の知らない御仁からの恋文であって、これを機に私が勝手に出会いを結び付けてしまう展開は、何と言いますか、私としては話が違うと申しますか、姉上の今後の人生を見越しての健全な関係性を築くにはですね……」
彼はろくろを回して弁解する。言い訳はいつまでも続く。
壱与は抹茶ラテに口を付け、独特の甘ったるさを飲み込み、『やっぱり美味しいなあ、抹茶ラテ』としみじみ実感する。それから現実逃避を断ち、改めて弟の言い分について思案して、頑張ってたっっぷり思案してから、申し訳なく思いつつも、一言。
「…………すみません。弟さんの弟心、私にはさっぱり理解できないです……」
彼のろくろを回していた手も口もぴたりと止まった。壱与が心苦しくも正直に「理解したくも無いかもしれません……」と感想を溢すと、彼は項垂れて両手で顔を覆った。動かなくなった。
「まあ、弟心は隅に置いておいて。他人の好意を勝手に無下にするのはどうかと思いますよ、弟さん。ラブレターを代わりに渡してほしいと頼まれて、断り損ねてしまったのでしょう? それなら、ひとまずはちゃんと卑弥呼さんにお渡ししましょうよ」
「それは、そう、なのですが」
「あ、なんなら私が代わりに卑弥呼さんへお渡ししましょうか? 件のラブレター。それで全部円満解決ですよ!」
壱与は本音では、知らない人の恋心を仲介するなんて荷が重いと感じてしまう。積極的に代行したくはない。でも、『私の勇気で卑弥呼さんと弟さんが元の仲良し姉弟に戻れるなら……』と前向きに請け負おうとしていた。そうすれば、彼がラブレターを託してきた生徒や渡す相手であった卑弥呼に後ろめたさや申し訳なさを感じる理由はなくなる。彼が元通りの態度で卑弥呼と過ごせるようになる。卑弥呼のへちょへちょしおしおしょんぼりっぷりが治まり、元のにこにこ光の卑弥呼に戻れるなら、これ以上良い解決策はないはずだ、と内心自画自賛した。
「―――いえっ、いいえ! 渡すならば責任もって私が姉上にお届けしますとも! 私は姉上の弟……ですので!」
「えぇ~……」
……ところが、がばっと身を乗り出した彼に全力で断固拒否されてしまった。
壱与は『もはや何をどうしたいのか、何をどのように主張しているのか、ご本人もわからなくなっているのでは……?』と閉口する。ここまで悲惨な彼を目の当たりにする日が来るとは思わなかった。普段の穏やかで思慮深い彼の在り方は影も形もない。
だが、壱与はここで諦めるわけにはいかないのである。卑弥呼のお願い通り、『何故、卑弥呼を避けているのか』の事情は何とか聞き出せた。けれど、壱与に芽生えた『姉弟お二人の日常を取り戻したい』という願いはまだ実現できていない。
壱与はなんとかしたいと必死に考え抜き、とある作戦を閃いた。心を落ち着かせ、意を決して再び口を開く。
「……弟さん。このままでは、卑弥呼さんが可哀想ですよ。弟さんが急によそよそしくなってしまったこと、すごく気にされて落ち込まれているんですからね?」
「うっ……」
すなわち、『そんなの駄目ですよ』ではなく『そんなの卑弥呼さんが悲しんでますよ』を強調しますよ作戦である。おそらく、今の攻撃で彼の最もやわらかい部分にダメージが入ったはずだ。
「卑弥呼さんはなんにも悪くないのに、弟さんのせいで今日もわんわん泣いてるんですよ? しかも、一日三食しか食べられずに夜しか眠れていないんですよ。それほどの深い悲しみに暮れているのです。姉を泣かせるなんてとんでもなく最低な弟だと思いませんか? ますよね?」
「ううっ……」
ちょっぴり大袈裟に咎めてみると、彼はついに折れたのか頭を抱えて「申し訳ありません……」と呻き出した。
「うう……、申し訳ありません、申し訳ありません、姉上……」
見るからに苦しみながら譫言のごとく懺悔を繰り返されると、『やりすぎたかな』とこちらが申し訳なく思ってしまう。しかし、ここはきつく言っておいた方が彼の為、そして姉弟二人の為だったと言い聞かせる。他人を傷つけたくない壱与でも、心を鬼にせねばならぬときは来る。そう、今がその時なのだ!
壱与は誰も手を付けずに冷え切ってしまったフライドポテトをがばっと掴んでえいっとまとめて口に放り込んだ。景気づけであった。冷たい油気をごくんと飲み込み、正念場に挑む。
「申し訳ありません姉上……私のせいで姉上はそのように……」
ひたすら呻く彼は凄まじく猛省している様子。ならば、己の葛藤を抑え込んででも事を成してくれるはずだ。壱与は『卑弥呼の弟』が本来は心優しい人だと知っている。姉の幸せを願う心優しい弟だと信じている。
「……卑弥呼さんの悲しむところ、私もこれ以上見たくありません。ですから、ちゃんと終わらせましょう? それから、きちんと謝れば卑弥呼さんは許してくれますよ。お優しい方ですからね。卑弥呼さんも、弟さんがいつもの弟さんに戻られることを切に望まれておりますよ」
「……はい……」
良い感じの流れである。これならいけると壱与は確信する。
「さあ、私もご一緒しますから、今からラブレターを渡しに行きましょう。卑弥呼さん、既にお家に帰られてる頃ですよね? だから、」
「……はい、今から、わた……せば…………」
良い感じだと思っていた。もう雲行きが怪しい。
「……弟さん、ほんとうに渡せます?」
「…………」
「…………弟さ~ん?」
「……………………ううっ…………」
◇◇◇
「それでね、あれから弟がすごい勢いで謝ってきてね、いつものあたしの弟に戻りまして、無事に大事件は解決! めでたしめでたし、しました! いやー、ほんっとうにありがとう、壱与! あたしを避けてる理由を聞いてきてほしいって頼んだのに、まさか全部解決しちゃうなんて。すごいわね!」
「いえいえ。卑弥呼さんと弟さんが仲良しに戻れたなら、壱与も嬉しいです。よかったですね、卑弥呼さん!」
「ええ! ……でも、弟のおかしかった理由そのものは、はっきりとは教えてくれなかったのよね。一応、悩みならいつでも聞くからねって言ったんだけど、なんかちょっと微妙な顔されちゃって。なんだったのかしら?」
「あー……。そうですねー……」
結局、卑弥呼の弟は他人に託されたラブレターを卑弥呼には渡せずに、送り主に謝罪して返還したそうだ。「申し訳ありません。この恋文はどうかご自身でお渡し下さい」と伝えられたラブレターの生徒が今後どう動くかは、その生徒次第となるだろう。卑弥呼の弟の弟心は別にして。
どうして卑弥呼も存ぜぬ情報を壱与が知っているかというと、そのあたりの顛末は先ほど卑弥呼の弟本人に報告されたからだ。
―――『……壱与殿が厳しく忠告して下さったおかげで、ようやく姉上に不甲斐ない態度を謝罪できました。此度は誠にありがとうございます、壱与殿』
「まあ、弟にもプライベートってやつがあるものね。全部話さなくてもいいよって伝えたわ。また一緒に笑い合えることが嬉しいの。とにかくありがとうね。きっと全部、壱与のおかげよ!」
かくして、卑弥呼にも卑弥呼の弟にも感謝の言葉を贈られた壱与は、いたずら気分でどちらにもコンビニのややお高めスイーツをご褒美として要求した後で、それぞれに本心を語った。
「……今回の件で気づいたんです。お二人は、仲良しが一番なんだって」
弟に冷たくされたと勘違いしてショックを受けた卑弥呼も、卑弥呼の今後に焦りを覚えて混乱に陥った彼も、壱与が初めて見たかもしれない姿だった。
―――だからこそ。
「だからこそ、なんとかしたいと願ったんです。私は、卑弥呼さんと弟さんに仲の良い日常を取り戻してほしかったから、頑張れたんです」
壱与は胸を張る。卑弥呼にいつもの明るく朗らかな笑顔が戻り、彼にいつもの穏やかで優しい笑顔が戻った。だから、壱与も数日振りに、すがすがしい心持ちでいつものように軽やかに笑う。
「―――だって、卑弥呼さんは弟さんのお姉さんで、弟さんは卑弥呼さんの弟、ですからね!」