おにぎり⇆ほたての照り焼き【卑弥呼と名無しの弟】
おにぎりマイスター・卑弥呼の朝はそれなりに早い。何故ならおいしいおにぎり作りには炊き立てのご飯が最適だから。要するにお昼ごはん用のおにぎり作りでも調理開始より一時間ほど前には炊飯器をセットせねばならぬのです。
そんなわけで、日曜日は高校も休みゆえにお寝坊しがちな卑弥呼だけど、今朝は何とか自力で起きました。既に炊飯器の準備は万全。窓からはお日様の気持ちいい日差し。『素敵な一日になりそう!』という何となくの予感ごと嬉しくなる。
さて、まずは炊き上がったほかほかのご飯をしゃもじで軽くほぐす。よしよし、炊き立てのいい匂い!
お水とお塩を準備したら、いざおにぎり作りに取り掛かる。あつあつのご飯にあちあちとひとりごちながらもおにぎりを握っていく。ポイントはご飯を握る手に力を込めすぎないこと。馬鹿力とか言われがちな卑弥呼パワーでうっかり張り切り過ぎてしまうと、圧縮おにぎりというかもはや食べ物を通り越した固形物質の三角が生まれてしまうのだ。ぶっちゃけ固すぎておいしくない。おいしくないとあたしは知っている。何を隠そう実食経験がありますので。失敗の積み重ねが技術を向上させるのです。
かくしてあたしなりに細心の注意を払いつつ、ほかほかご飯をふんわりと三角にまるめていく。整った三角が一つ完成するたび、上手くできたと『ほっ』とする。中身は梅干し、おかか、ツナマヨなどなど。具材の入ってない塩むすびも握りました。基本の基本もおいしいのよね!
多めに炊いたご飯がすっかり空になれば、あとは海苔を一枚ずつくるりと巻くだけ。
ふう、と一息。見渡せば、おいしそうな白黒のおにぎりたちがたくさん並ぶ壮観な光景。
―――うん! これならきっと、喜んでくれるはず!
◇◇◇
「―――さあ、たんと召し上がれ!」
「……ええと?」
リビングの椅子に座らせた弟は、目の前の食卓にやや当惑しているご様子だ。
「『今日のお昼ごはんはあたしに任せて!』と宣言された時点で覚悟はしていたものの……。いったい何合分ですかな、この大量のおにぎりは」
「覚悟って何よ、覚悟って!」
お昼ごはんとして食卓に並べられた数多のおにぎりたちはすべてあたし作だ。その量は通常の二倍、いや三倍、いやいやもしかすると十倍はあるかもしれない。
「こんなに多くのお米を一度に炊けたのですねうちの炊飯器。初めて知りましたぞ」
……今更だけど若干作り過ぎな気がしないでもない。と、ともあれ!
「我ながら自信作なのです。あたし、おにぎりとチョコレートを捏ねる作業なら結構上手なんだから!」
「姉上、一般的にはおにぎり作りを『捏ねる』とは称さないと思いますぞ」
「でも事実、なかなかの出来栄えでしょ?」
「それは、まあ、奇妙なことに毎度その通りですな……」
炊き立てご飯のほかほかほっこりを損なわずにふんわりとまとめられた三角の白いおにぎりたち。常日頃は約一名の弟にずぼらな姉として扱われがちなあたしが丁寧な仕上がりを志してご飯を捏ねた結果、ご覧の通りの素晴らしい出来栄えなのです。『今なら埴輪とかも完璧な造形に捏ねられそう!』なーんて突然の第六感が働くほどに納得の仕上がりなのです。
「形だけじゃなくて、味にも自信があるわよ? しっかりつまみ食い……もとい味見、しましたので!」
味もご飯とお塩のベストな加減が上手くいってると自負しております。水分量もべたつきすぎず乾きすぎずちょうど良い具合なのです!
「とにかく、温かいうちに食べて食べて!」
「どれどれ、それでは……」
弟は「いただきます」と手を合わせてから、ぱく、とおにぎりを口にした。反応にどきどきするあたしの前で、もぐもぐと一口めを咀嚼し、こくんと飲み込む。
「ど、どう? お味は?」
がたんと前のめりになるあたしに、弟はにこりと、
「なるほど、ご飯とお塩の味ですな」
「ほかには~!?」
「いやいや、申し訳ありません。ついつい意地悪を」
くすくすと弟は笑う。そして、
「おにぎり、美味しゅうございますぞ。ありがとうございます、姉上」
―――弟のやわらかな微笑み。
それだけで、なんだかこの場がぱあっと明るくなったみたい。あたしの胸の底から抑えきれないくらいの弾む気持ちが湧き上がってくる。つまり、あたしは弟の笑顔で舞い上がりそうなくらいすごく喜んでるってこと。
「ふ、ふふーん! そうでしょそうでしょ? おいしいでしょ? いやー、あたしの実力も見事なものよね!」
弟はもぐもぐとおにぎりを食べ進めていく。その様子が小さな子供みたいに無邪気で嬉しそうだったから、あたしもつられてますます嬉しくなる。そりゃあ、喜んでほしくておにぎりをたくさん握ったわけですし? あたしの顔がにやけちゃうなんて至極当然でどうしようもないでしょう。
そうして、ついに一つ分のおにぎりを食べ終えた弟は、
「はい、大変美味でしたぞ。大雑把に定評のある姉上が、ご飯とお塩の加減や水分の適量、力加減などなどに細やかな配慮をなされた姿も手に取るようにわかります。このおにぎりの完成度は姉上の努力の賜物ですな」
「大雑把って一言余計……、えっ、そんなことまでわかっちゃうの?」
「勿論ですとも。私、姉上のことは大体わかりますから」
「なんか釈然としないんですけど……?」
恐るべしあたしの弟と言うべきか。あたしのことわかってますーって顔をさせたら世界一って感じ。というか、こっそりの頑張りがあっさりバレるって気恥ずかしいわね……!
「それで、此度はどうしてここまで張り切られたのです? 私の方で答えはおおよそ予想できておりますが」
むう、おにぎり作戦の理由までバレてたのか。……うん、ちゃんと言葉でも伝える予定だったし、ここできちんとお話しすべきでしょう。
あたしは「おほん」と咳払いした。わざとらしかったかな。でもまあ、こういうのは形が大事だものね。
「ほら、おにぎりは誰かに作ってもらったものが一番おいしいでしょう?」
「なるほど」
「だから、ね!」
「なるほど?」
弟は「なるほど」ともう一度呟き頷いた。あたしの気持ち、伝わったかな?
あたしはおにぎり作りを数少ない得意料理の一つとして断言できちゃうくらいのおにぎりマイスター・卑弥呼である。それでも、あたしの作ったおにぎりよりも、弟の作ってくれたおにぎりの方が好きだ。ついこの間に夜食として弟が作ってくれたおにぎりも格別のおいしさだった。普通の塩むすびだって弟が作ってくれたらとびきりおいしく感じるのだ。おにぎりだけじゃなくて、誰かに料理を作ってもらえるって幸福だとあたしは日々実感している。
そう、だからつまり、あたしはあたしのできることで、弟に喜んでほしくて―――
「姉上、自信を持って下さいな。この出来栄えなら、姉上の恋慕うあの御仁も喜んで下さいますぞ」
「んっ?」
あれ? 何でここで『あの子』の話が出るのだろう?
すると、認識の差異に気づいたらしき弟が首を傾げる。
「このおにぎりは姉上の想い人殿に召し上がってもらう為の練習の品なのでしょう?」
「え」
いやいやいや! 確かにあたしは『あの子』―――あたしのクラスメイトで、ずばりあたしの恋する片想い相手……!! ―――が、いつも購買パンばかりで飽きると困っていたから、『好きな食べものを作ってあげたい……あわよくばさりげなくアピールしたい……!』と思い立ち、「ねえ、あたしのお弁当の卵焼きとそっちのパンを少し交換しない?」作戦実行の為にあの子好みのほんのり甘めな卵焼きを夜な夜な練習中の最近なのだけれど……!
「ちがうちがう! 今日はキミに食べてもらいたくて作ったおにぎりなの! こちらはあたしの弟専用ウルトラスーパー卑弥呼おにぎりでして!」
弟はきょとんと瞳を瞬かせる。幼い頃から一緒に過ごしてきたあたしにはわかります。これはまだ状況が理解できてない顔ね……!
「この間、キミがあたしをあの子とまた話せるようにと助けてくれたでしょう? だからそのお礼といいますか、むしろ日頃のお礼も併せてといいますか、キミに喜んでもらいたくて。あたし、弟に助けられてばかりの姉だもの」
この間―――あたしがあの子への恋心を自覚してから過剰に意識してしまい、あの子を避けてしまっていたとき、あたしは弟に今後の相談を打ち明けてみた。そして、弟は思い悩むあたしを言葉で後押ししてくれて、あの子に避けてしまった謝罪を伝える状況を整えて立ち会ってくれた。今、あの子と再び会話を交わせる日々を迎えられたのは、間違いなく弟のおかげだ。
そのことだけではなくて、あたしは毎日弟に助けてもらいっぱなしだ。例えばあたしが傘を忘れちゃったときは予備の傘を渡してくれるし、例えばあたしが落ち込んで元気も出ないときはあたしの大好物を夕ごはんに出してくれる。そうやって、弟はいつもあたしの傍であたしを助けてくれるのだ。
だから―――これまでをふと振り返ったあたしは、この機会に改めて弟へ『いつもありがとう』を伝えたい、と決意したのです。
「それは、」
弟は何かを言おうとして飲み込み、黙ってしまった。何を言いたかったのかはわからないけど、その先は話さないつもりらしい。なのであたしはそのまま話を続ける。
「でね、あたしがキミにできることは何かなって、色々考えてみたんだけどね。で、キミはおにぎり好きでしょう? いつもにこにこ食べてるし」
「……ええ。姉上と一緒に食するおにぎりは、私の好物のひとつと言っていいでしょうな」
「でしょ? この卑弥呼の眼は見逃さないのです。というわけで、今回はあたしの弟への感謝の気持ちをおにぎりにたっぷり込めてみたのです! 『いつもありがとう』が伝わるように、ね」
「……そう、だったのですか」
弟は目の前のおにぎりたちに視線を落とした。それからあたしに向けて、
「ならば、改めてお伝え申し上げます。……とびきり美味しいおにぎりですぞ。ありがとうございます、姉上」
―――朗らかな笑顔。あたたかな笑顔。とびきりの笑顔。あたしの大好きな弟の笑顔。
「姉上が私に感謝を伝えたいと意気込んでくださったこと、私を喜ばせたくて頑張ってくださったこと、すべてに深く感謝いたします」
「そ、そこまで……」
そこまで仰々しい反応を返されちゃうと戸惑っちゃうな。結局、あたしは大したことはできてないと思ってるもの。これまで何度も助けてもらったお礼としては、小さすぎると思ってるもの。
……でも、嬉しい。あたしの『いつもありがとう』の気持ちが、今度こそ弟にちゃんと伝わったよってことだものね。
あたしは「えへへ」と声が漏れてしまった。ああ、またしても顔がにやけちゃってるな。緩んじゃう頬はとても止められやしない
―――だって、感謝を伝え合うって、こんなにも。
「では、改めておにぎりの山を頂戴したいところ、なのですが……」
「さあさあ、どんどん食べてちょうだい! おかわりはまだまだ用意してるから遠慮なく―――」
「いえ姉上、あのですな。さすがにこの量を私一人で食べきる想定はちょっとどうかと。正直かなりの無理難題ですぞ?」
うーん、やっぱり若干作り過ぎちゃったかも。けどね、おにぎり作り過ぎちゃったかも問題の対策もばっちりなのです。
「大丈夫、余ったおにぎりはあたしが残さず全部いただきますから! このくらいならあたしの別おにぎり腹に収まるものね」
「ははあ、やはり姉上は大した御仁ですなあ。まさか姉上のお体にしか存在しえない機能を堂々と唱えられるとは」
「その意味ありげな物言いは何なのかしら、ねえ~?」
弟のわざとらしい感嘆を装った『やれやれ、これだから姉上は』の意味の声。前々から我が弟は何故かあたしだけ雑な扱いをする。卑弥呼は解せません。解せませんが、本日は気分が良いので卑弥呼お姉さんへの甘えの表れとして受けとって差し上げましょう。
「ところで、姉上」
「? なあに?」
「私、実は姉上が起床される前に、既に昼餉のおかずを一品調理し終えていたのですよ。あとは昼餉前に温めるだけだったのです」
―――なんですって?!
「お昼ごはんってそんなに早くから準備するものだったの……?!」
今明かされる衝撃の事実にショックを受けるあたしに、弟は「いいえ、今日は偶然いつもよりかなり早くに調理したのです」と補足する。イレギュラーを想定していなかったあたしのミス、なのだろう。
「じゃあどうしましょう、このままじゃおにぎりでおなかいっぱいになっちゃうわよね? せっかくおかず作ってくれたのに……」
「そうですなあ。しかし、この出来立てのおにぎりを残すなんて勿体ないですぞ。私の調理したおかずを夕餉に後回ししても良いのですが……、そこで姉上、これは取引なのですけれど」
そうして、弟は小声でそっと。
「私の作ったおかずと姉上の作ったおにぎり、少し交換しませんか? 我ながら、自信作なのです」
リビングにはあたしたちしか居ないのに、まるで誰にも知られてはならない秘密の取り引きの最中のように、
「形は勿論、美味しいおにぎりにも非常によく合う味付けだと自負しておりますぞ。醤油の香ばしい香りが素材を……おっと、これは食べてみてのお楽しみですな」
ほんのちょっと悪いことを内緒話で持ちかけるかのように、小さないたずらを目論む子供かのように。
「……私も、姉上に自信作の一品を食べてほしいと思っていたのです。なにせ、此度は姉上に喜んでもらう為に頑張って拵えたのですから」
楽しげに弾む小声の、すごくすごく魅力的な誘いは、あたしを心躍らせた。
「こほん。……その申し出を受け入れましょう。私と貴方の取り引きは極秘に済ませます」
あたしは悪だくみの雰囲気作りに乗ってみた。さながら「おぬしも悪よのう」の気分である。弟は「畏まりました」とわざとらしい仰々しさで頭を垂れ、間を置いてあたしたちは目を合わせ、どちらからともなく忍び笑った。
「然らば鍋を温めて参ります。少々お待ちくださいませ」
「ふっ、くるしゅうない。よきにはからえ……」
あたしたちはわざとらしさにふたたびくすくすと笑い合う。それから弟は席を立ち台所へ移動した。
あたしの目の前の食卓には、さっきより冷めてしまったはずなのに、さっきよりきらきらしてるおにぎりたち。
窓から差し込むお日様の光が眩しい。やわらかな今に目を細める。
日常のこのひとときと、まだまだ伝え足りない『いつもありがとう』を大切に抱く。もしかしたら―――きっと、弟も同じ気持ちだと確信できて、あたしはまた知らずの内に頬を緩めていた。