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    2024/04/16 11:47:28

    【Web再録】春に眠るきみのこと⑤

    #みかさに #女審神者 #刀剣乱夢

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    【Web再録】春に眠るきみのこと⑤

     三日月が書き留めていてくれた交換日記をめくる。その日の献立が、朝から晩まで。お菓子のラインナップ、天気。それからその隅に、端々に、添えられた日記。
     その一つ一つを辿っていきながら、きっと三日月はずっと寂しかったのだと、彼女は思った。





    「主や、ご覧。梅が咲いた」
     三日月が枝ごと梅を審神者の部屋に持ってきた。背もたれに体を預けて布団にいた彼女は、顔を上げて笑う。
    「いやだ、枝ごと持ってきてしまったんですか?」
    「梅にはきちんとことわっておいたぞ。きっと許してくれよう」
     梅のよい香りが仄かに香る。今年初めての花だ。梅といえば、と彼女は三日月に聞く。
    「うちの春告げ鳥はどうしました? 最近顔を見ていませんが」
    「ん? ああ、鶯丸か。遠征に出ているんじゃないか?」
    「そんなに遠征を組んだ覚えはないんですが……というより、皆さんの顔をあまり見ていません」
     そう言うと、三日月はぎくりとして不自然に唇を引き絞る。おや、と彼女は首を傾げた。これは何か隠し事をしている顔である。
     顔を覗き込もうとすると、三日月のほうはふいーっと逸らす。これは絶対に妖しい。
    「なんで顔逸らすんですか!」
    「なんでもないぞ。皆忙しいのだろう」
    「今何に忙しいって言うんです? 無理な出陣はだめですよ! 私、もうろくすっぽ手入れできないんですから」
    「そうではない、そうではないが忙しいのだ、おそらく」
     じっとりと三日月を見つめたけれど、それ以上は何も教えてくれなさそうだったので、審神者は諦めて起こした体を再び背もたれに預ける。その様子を見て三日月はほっと息を吐き胸を撫で下ろした。まあ、見た様子悪いことをしているようではなさそうだ。ふうと息を吐いて、開けられた襖から外の庭を眺める。まだまだ、寒そうだ。
     もう、殆ど彼女は動くことができなかった。それほどの体力は残されていなかった。最後に起きたときこんのすけにしてもらった検査では、もういつ目を覚まさなくなってもおかしくないと言われた。やっぱり、桜は諦めるしかなさそうである。しかしどこか、彼女は清々しい気持ちさえした。やれるべきことは全てしたのだ。
     一応その結果は他の刀剣たちにも伝えたのだけれど、この調子だ。今日久方ぶりに目を開けたのに、誰にも会っていない。傍らに常に控えているのは、いつも通り三日月である。
    「俺では不服か?」
     三日月が片眉を上げて聞いてくる。それに彼女は笑いながら「いいえ」と答えた。
    「今日は気分がよさそうだな」
    「ええ、そうですね。何だか、久しぶりにスッとした気分です」
     今朝、やっと引継ぎの審神者が見つかった。やはり正月の戦績が功を奏したようで、うまい具合に事が運んだのだ。やはり、あのとき進軍させてよかったと彼女は思う。心配事が全てなくなって、今日はとても体が軽い。
    「新しい主の方は、まだ幼い男の子だそうですから。皆さんでよくして差し上げて下さいね」
     もう時間がないから、本丸の中を少年が走り回れるほどに作り替えることはできないだろう。だがどうか、その子がここを気に入ってくれますようにと彼女は微笑んだ。ここは、彼女の大切な家なのだ。
     しかし三日月のほうはそれを聞いて、何も言わずに視線を伏せる。長い睫毛に縁どられた瞳が、どこか暗い一点を見つめた。
    「……主、それを俺に言うても仕方がない。俺はそなたと共に行くんだからな」
     三日月は審神者から視線を逸らして一息にそう言った。何の反論も許さないその様子に、彼女は口を噤む。
     刀解でも、何でもいい。方法はどうだっていいから、死ぬときは自分も連れて行ってほしい。三日月にそう乞われた。彼女は、返事ができなかった。
    「三日月さん、その話なんですけど……」
    「主さまぁっ!」
     彼女が三日月に話しかけようとしたそのとき、とててと走ってきた毛玉が飛び込んできて、勢いのままに布団の彼女に飛びついた。こんのすけである。
    「こんのすけ?」
    「お目覚めになったようで、こちらに自動的に通信が入りましてっ! ご挨拶にぃ」
    「ああ、なるほどねえ」
    「では、こんのすけにも茶をやろう。持ってくる」
     そう言って三日月は立ち上がって踵を返す。先ほどの暗い表情から一転、微笑まで浮かべていた。彼女は慌ててそれを引き止めた。まだ、話の途中だ。
    「あっ、三日月さん、待ってください!」
     聞こえていなかったのか、それとも意図的に無視したのか。三日月はそのまま狩衣を揺らして出て行った。彼女ははあとため息をつく。もう、あまり時間もないというのに。最後の最後に恋人同士で微妙な空気になることまで体験するとは。数奇な人生だなあと彼女はぼやいた。
    「主さま? どうなさいました?」
    「いいえ、ちょっと困ってるだけ」
    「困る? どうかなさいました?」
    「……今日でしょう? こんのすけ」
     そう聞けば、こんのすけは哀れにも耳を垂れた。こんな聞き方は。あまりにも意地悪なのはわかっている。けれど確認はしなくてはならない。
    「今日がもう、最後なんでしょう?」
     無言は肯定である。だがまあ、なんとなくそんな気がしていた。妙に気分が清清しくて、空気が美味しくて。どこも苦しくなくとも、なんとなしに重かった体が、今日は調子がいい。だからきっと、今日が最後の日なんだなと、目を開けたときからわかっていた。
     だが不思議と悲しくはない。心は澄み渡っていて、未練も何も浮かんではこない。それは、この一年間三日月がいてくれたからだ。

     三日月が、恋をさせてくれたからだ。

    「主さまぁ……」
    「やっぱりお正月のが効いたねえ。丸々一年とはいかなかった。でも、楽しい一年だったよ。こんのすけにもお礼を言わないと。今までありがとう。本当に、最初からずっと一緒にいてくれたね」
     涙ぐむこんのすけをよしよしと撫でる。思えば随分長い時間だった。このこんのすけに連れられて本丸へやってきて、清光を呼び出し、前田を鍛刀し、そうして何年も。しかしこの一年はそれらを一度に凝縮したくらい、長く色々なことがあった。
     今は全てが懐かしい。
    「おつらくは、ありませんか? こんのすけに、できることは、他に」
    「辛くないよ、大丈夫。ありがとう。もう本当に、すっきりしているの。今日が最後だなんて思えないくらいに。皆のおか」
     ガシャンとそこで破壊音がした。はっとして審神者は顔を上げる。一瞬三日月が戻ってきたのだと思った。けれどそこに立っていたのは違った。
     顔を真っ白にした加州清光が、足元に湯飲みの破片を散らばせて立っていたのである。
    「主、今の、本当?」
     震える声で清光は尋ねた。彼女もまた顔を強張らせる。こんのすけに確認を取ったら言うつもりだった。しかしこんなタイミングで告げるつもりはなかった。
    「清光、待ってください。今説明しますから」
    「ほ、本当なんだね?」
    「清光、待って、清光!」
     一瞬だけ泣き出しそうな顔をした後、清光はきゅっと唇を引き結び、踵を返して走り出した。審神者は慌てて立ち上がって追いかけようとしたものの、すぐにそれは叶わずに倒れる。もうそこまでの体力が残っていなかった。
     ぐらりと揺らいだ体を何とか立て直そうとする審神者に駆け寄って、こんのすけが声をかける。
    「主さま、主さまっ! こんのすけが参ります、加州さまにはわたくしが伝えてまいります! ですからそこでじっとしていてくださいね!」
     返事もできずにただ布団にひれ伏した。気分だけが清々しくとも、やはり体は弱りきっている。思うように動かない。
     みかづきさん。口の中でひとつ、彼女は呟く。
     三日月さん、三日月さん。何度も何度も繰り返した。遠くから忙しない足音が近づいてくるのがわかる。この一年、自分を様々なところへ連れ出してくれた、足音。
     懐かしい春の夜、恋をしようなんて突拍子もないことを言い出して、もう勝手にしてくださいなんて返したら本当に好きにし始めた。
     夏の日のデートは、あまりにもまとものなものだったからむしろ驚いてしまった。後で聞けば清光と燭台切と乱の入念な準備があったらしい。そのことに彼女は今更ながらくすくすと笑う。一緒にノートを買って、一日ずつ、大切に生きていこうと思った。
     秋になって、日々が惜しくなった。刀剣たちと眠り、今まで知らなかったような一面も知って。でも今そんな風に思っても、もう仕方がない。だから三日月に八つ当たりをした。それでも三日月は笑っていたけれど。あんなに切ない思いをしたことはない。
     冬にはお正月と結婚式。綺麗な白無垢を着られて嬉しかったなあと彼女は笑む。三日月も吃驚するくらい美しくて、みんながお祝いしてくれて。その後も、ちゃんと皆の主でいさせてもらった。勤めを果たすことができた。三日月がしっかり握っていてくれた手の感触も、覚えている。
     ああなんて愛おしいひととせだったんだろう。どれもこれも全部全部、恋をしたから輝いていた。
     だからやっぱり、三日月の頼みを聞くことができない。
     大好きなのだ、三日月のことが。それゆえに、一緒にいられない。
    「主!」
     三日月が体を起こして、再び背もたれに凭れ掛からせてくれる。ただ単に起き上がれなかった彼女は、それに笑って礼を言った。
    「ありがとうございます、三日月さん」
    「笑っている場合ではない、ほんに、ほんに今日で最後なのか」
    「……はい。今日でお別れです」
     三日月の眉が見る見るうちに下がる。絶望や悲哀や、様々な感情が瞳の中でぐるぐると入り混じっては消える。それから口を開こうとしたので、彼女は首を振ってそれを制した。言わんとしていることはわかっている。
     審神者はまだ比較的満足に動いてくれる手を伸ばして、三日月の肩に触れた。
    「三日月さん、私はあなたを連れて行けません」


    「なーにこんなとこで油売ってんの。暇なら手伝ってよ」
     三日月が一人、縁側から外を眺めていると清光に声をかけられた。内番着にたすきを巻いて、手には桜の花がたくさん詰まった籠を持っている。清光は三日月が手にしているお盆に三つ茶が載っているのを見て、訝しげに首をかしげた。
    「何で三つ? っていうか主は? 一人?」
    「こんのすけが、来ていてな。茶を持っていく途中だ」
    「なら早く行きなよ。お茶、冷めちゃうよ? まだ寒いし」
     それは、わかっている。十分わかっていた。けれど三日月は今、彼女の傍にいるのがなんとなしに耐えられなかった。
     目に見えて、弱っているのだ。今日は久方ぶりに、気分もよさそうだったけれど。身に纏う雰囲気全体が、脆弱なものになっている。きっとそれを、ヒトの子達は生命力と呼んでいるのだろう。春に、元気に資材を数えていた姿はどこだ。夏のころ、三日月と走って文具屋に行ったあの子は。秋にぽかぽかと胸を叩いてきたあの子は、どこへ行った。
     隣にいると嫌でも感じ取ってしまう。あの子はもうすぐ、いなくなるのだと。
     三日月が黙りこくっていると、清光がふうと息をついて手を伸ばした。どうやらお盆をよこせと言っているようだ。
    「わかんないけど、行かないなら俺が持ってくよ。主の顔も見たいし。代わりにこれ持って奥の間行って」
    「……ああ、わかった。桜の調子はどうだ?」
    「んー、もう少しかかりそう。全員分の桜貼り付けてる、量もすごいし部屋も広いから。まあ頑張るよ」
    「頼んだぞ」
     清光にお盆を渡し、代わりに籠を受け取って奥へ向かう。刀剣男士たちは今、躍起になって工作に勤しんでいた。すっと襖を開けると、中はてんやわんやの大騒ぎである。
    「ちょっとお! もっと丁寧に、きれいに貼ってよね! 桜付けて帰ってくるのも楽じゃないんだからあっ!」
    「主はよくあんな手間隙かけて俺たちに誉の桜咲かせてから出陣させてたよなあ」
    「あっ、やべっ、剥がれる剥がれるっ」
     部屋の壁一面に、刀剣たちがひしめき合って桜の花を貼り付ける作業をしていた。
     桜が咲かないのなら、一面の桜の花で部屋を埋め尽くしてやればいい。幸いにも、彼らは気分が高揚すればいくらでも桜を咲かせられる。そう思い立って作業を始めたはいいものの、これがなかなか一筋縄ではいかなかった。
     まず桜を咲かせる手順が手間だ。一番練度の低い合戦場に単騎で出陣し、確実に誉を取って帰ってくる。そうして花を集めて、今度はその小さなものを一つ一つ壁に貼り付ける。もう気が遠くなるようだった。だがそれも根気強く進めて、今は部屋の八割ほどが桜で埋め尽くされている。もう少しで、満開だ。
    「よう頑張っているな」
    「あれっ? 三日月さん?」
    「ここで何をしているのです、三日月殿は主様の気を引く役目のはずでは?」
     首を傾げた小狐丸にそう問われて、三日月もちょっと困りつつ答える。まさか気まずくて逃げてきたなんて言えまい。
    「そこで清光に会うてな。交代してもらった」
    「ええーっ、ずるいです! 僕だって主君にお会いしたいのに!」
     むーっと膨れた秋田藤四郎の頭を撫でながら、三日月は一面の桜を見つめる。それからやや、微笑んだ。どんなことになっても約束は果たしてやりたい。桜を見せるという、約束は。
     さてお洒落やら何やらはわからないが、自分も手伝うか。そう手を伸ばしたとき、すごい勢いで清光が飛び込んできた。顔を真っ青にして、指先はわずかに震えている。
    「清光……?」
    「三日月、今すぐ主の元に帰って」
    「なんだ?」
     一度だけくしゃりを顔を歪めてから、清光はすぐに傍の桜を手に取りつつ叫んだ。
    「今日が最後なんだよ! 主の最後の日なんだ!」
     反射的に走り出していた。頭の中で言葉の意味が理解できないまま、それでもちゃんと残っている。
     最後、何の最後だろう。最後の日。何にとっての最後なのか。誰にとってのそうなのか。うまく頭が追いつかない。
     そうして半開きになっている審神者の部屋に駆け込んだとき、やっと現実が押し寄せてきた。
     真っ白な布団の上に倒れ伏している上半身。やけに細くなった首筋と、羽織らせた紺の上着が哀れなほどに浮きだって彼女の衰弱を際立たせた。先ほど顔を見たときは、気分がよさそうだったのに。何の問題も、なさそうだったのに。
     本当に、死んでしまう。このままでは、死んでしまう。
    「主!」
     体を起こさせれば、彼女はやんわり微笑んで礼なんて言った。それどころでは、ないというのに。
    「ほんに、ほんに今日で最後なのか」
     その問いにも、彼女は笑みを崩さない。いっそ泣き喚いてくれ。怖いと言って、叫んでくれ。だが彼女は静かな表情を浮かべたまま、それを肯定した。
     連れて行ってくれと、もう一度請うつもりだった。しかし口を開こうとした瞬間にそれを制される。
    「三日月さん、私はあなたを連れて行けません」
     三日月は愕然とした。こんなにもはっきりとした拒絶は初めてだった。今まで、この一年何度も彼女には「無理です」だとか「いいです」だとか言われてきた。けれどそれはここまできっぱりとしたものではない。やめてくれ、自分を置き去りにして、すべてを決めないでくれ。それでは鋼の身であったころと変わりがないではないか。審神者の体にすがりつき、三日月は言い寄った。
    「い、嫌だ。俺も連れて行け。本丸が不安だというのなら、ここには清光がいる。他に頼れる刀も多くいる。俺一人おらずとも」
    「いいえ、三日月さんは重要な戦力です。それに、他の誰にも言えることですが、代わりなんていませんよ」
    「俺がそなたと行きたいのだ。もう置いていかないでおくれ。俺を一人にしてくれるな」
    「三日月さん」
    「駄目だと言うてもついて行くぞ。そうだ、俺たちは結婚までしたのだからな。夫婦で同じ墓に入るのはおかしなことではあるまい?」
    「三日月さん!」
     ぐいと体を押される。彼女はただ首を振った。
    「だめです。私はあなたを、連れては行きません。今日で、お別れです」
     きっぱりと、言い切られた。三日月はあちらこちらへと視線を惑わせる。
     どうして。
     どうして。
     今まで一緒にいたのに。笑っていてくれたのに。
     どうして。
    「なぜだ」
     一度は押し返された体を、無理やり引き寄せる。それでも彼女はただ首を振るだけだった。表情を変えることも、動揺することもなく、ただ。
    「嫌だ。何故、そんな酷なことを言う。俺と恋をしただろう? だのに俺だけを置いていくのか」
    「恋をしたからです」
    「俺を刀解するのが嫌だというのなら自分で始末をつけるぞ。それができんわけではない」
    「何を言い出すんですか」
     彼女はぎょっとして首を振った。けれど三日月は本気だった。自身に手をやれば、慌てて彼女はそれを押さえる。
    「やめてください、そんなことしてほしくて言ってるんじゃないんですから!」
    「だが、あまりに酷すぎる! こんな気持ちを俺に与えておいて、一人でいろと言うのか!」
     これから先、何年、いや何十年何百年と時間があるかわからないというのに。その時間をすべて一人で過ごせというのか。なら今ここで折れてしまったほうがましだ。こんな身が軋むような思いをするのなら。腰から抜いた本体をばらそうとすると、彼女がそれに縋り付く。
    「やめてください、そんなことされても嬉しくもなんともありません!」
    「これから俺にどれだけの時間が残されていると思うのだ! その長い時を今から一人で耐えることなど、もう俺にはできん。この身を与えたのも、心を与えたのも、そなただ! ならば連れて行け、そうしておくれ」
    「……っ駄目です、できません!」
     痺れを切らし、三日月は鞘から自身を抜こうとした。その瞬間、彼女はそれをそのまま自分の喉に引き寄せる。
    「同じことがっ! 私に対してできますか!」
     ぴたりと三日月の手が止まった。
     同じことを、彼女に?
    「元気で、まだまだ生きていられて、そういう私に同じことができるんですか! 連れて行ってほしいと言ったら、三日月さんは私に手を掛けてくれるんですかっ? 私がここで死にたい、連れて行ってくれって言ったら、殺してくれるんですっ? ついていきたいって自死を選ぼうとしたら、ただ見ているんですかっ?」
     そんなの、そんなの。
     ずるずると力が抜けて、本体ごと布団の上に手を落とす。パチンと音を立てて、彼女が煌めいていた白刃を戻した。
     できるはずがない。この手で彼女の息の根を止めるなど。死ぬのを見ているなど。今こんなにも生きていてほしいと願うのに、そんなことできるはずもなかった。
    「だから私は……三日月さんを連れて、行けません。ごめんなさい」
     彼女は三日月本体に手を添えたまま、静かな声でそう告げた。もう、何も言えやしない。三日月はただ、彼女の肩に額を乗せてその体を抱き寄せる。小さな手がそんな三日月の背中を擦った。
    「ごめんなさい」
    「……そなたは、酷い。そうして俺を、置いていくんだな」
     結局言葉があろうとも、ヒトの身があろうとも。三日月は刀だった。時間の流れは変わりやしない。最後は背中を見送ることになるのだ。
    「ごめんなさい。でも私、あのとき、三日月さんが連れて行ってくれって言ってくれて……今なら死んでもいいって、思ったんですよ。このまま死ねたら、幸せだろうなって」
     ふふ、と笑みまで零しながら。彼女はそう言った。
    「なんでだか、わかりますか? 三日月さん」
     わかるに、決まっている。その気持ちは、彼女にもらったのだから。今はきっと、同じ気持ちなのだ。いいや、最初からそうだったのかもしれない。
    「……恐ろしくは、ないか。目を閉じることが」
    「怖いですよ。今も春のときと変わらずに、怖いです。でも大丈夫です。三日月さんのおかげで、この一年とても幸せでしたから」
    「俺には、短すぎた。ひととせなど、瞬きと変わらん」
     ヒトの身を得てしまったばかりに、恋をしてしまったばかりに、今三日月は折れてしまいそうなほどに胸が痛かった。これまでただ通り過ぎるだけだった季節が、時間が、ヒトの生き死にが、狂おしいほどに切ない。けれどその気持ちは確かに三日月の心の奥できらきらと輝き続けていた。そうしてその輝きは、恐らく彼女の黄泉路の道標になる。
     三日月は彼女の肩に凭れたままで、ぼんやりとその呼吸と鼓動に耳を澄ませた。一瞬たりとも見逃したり、聞き逃したりしないように。
    「寂しいなあ……もう、この音は聞けんか」
    「そう言っていただけると光栄です」
    「うむ……とても、辛いぞ」
     すると彼女は、「あ」と呟いて三日月の頭を撫でた。
    「では三日月さん、約束をしませんか。一つだけ」
    「約束?」
    「この一年、三日月さんにはたくさんお願いを聞いていただきましたから」
     三日月が顔を上げると、彼女は笑って小指を差し出す。内容を聞く前に、もう三日月はそれを自分のものと絡めていた。
    「数珠丸さんに伺いました。きっと私の魂は、生まれ変わっていくと」
    「ああ……輪廻だな」
    「だからそうしたら、三日月さんに会いに来ます。もう一度、ここへ来ます」
     ギュッと小指を結びながら、彼女はそう告げる。
    「何年かかるかわかりませんし、もしかしたら何百年かも。でも約束しますよ。もう一度、三日月さんに会いに来ます」
    「……」
    「そうしたら、私と恋の続きをしていただけますか?」
     輪廻転生を、心から信じているわけではない。本当に生まれ変わってくるかどうかなんてわからないし、もし仮にそうだとしても審神者としての技量があるか、数多くの本丸の中からここへ来るかなんて、わかったものでもない。
     だがそれでも、たった一つ約束があれば。それだけで三日月はこれからを生きていけるかもしれない。彼女にとって三日月との恋の思い出が道標になるのなら、三日月にとってその約束は、これからを照らす灯になる。
    「一度でいい」
    「え?」
    「一度で構わん。好きだと、愛していると。たった一度だけ。言うてくれんか」
     面と向かっては、言われたことがない。月が綺麗だとか、そんな遠回しな言葉ではなくて、一言真っ直ぐな言葉が欲しい。
     彼女はほんの少しだけ頬を赤らめて視線を逸らした。何度か口を開いたり閉じたりしたものの、意を決したようにきゅっと引き絞る。そしてただ三日月を見つめ、微笑んで、口にした。
    「好きです」
    「……うむ」
    「愛しています、三日月さん」
     指切りげんまん、と二人は小指をしっかり絡ませて、それから離した。
    「……別れではないな」
    「……ええ、違います。また出会うことに繋がっているので」
     澄み切った、冬の終わりの空気。これから雪が解けて春が来て、また命を巡らせる。ヒトの子の歴史はその繰り返し。三日月が今守るのは、そんな一つ一つの儚い命の積み重ね。
     長く生きることも、悪くないかもしれんな。
     三日月は一人ごちた。長く生き、その営みを見守ろう。死は別れではない。次の季節への礎なのだ。そうして待っていればまた春が来る。審神者が待ち望んだ春が。
    「ノート、見ましたよ。毎日の献立まで書いていてくださったんですねえ」
    「まあなあ。空いている頁をすべて埋めてやろうと思うてな。俺一人でこれだけ書かせるつもりかと、そなたに文句を言ってやろうと」
    「まー、それはそれは」
     くすくすと笑いながら、審神者は三日月の胸に凭れかかる。ちらりと三日月は手帖に目をやった。それはどこか膨らんでいる。二人で綴った備忘録。
     微かな鼻歌が聞こえてきた。彼女が目を閉じて歌っている。鼻歌は、彼女が眠たい時のもの。隣で眠るとき、鼻歌が耳に届くといつも三日月はどこか幸せな気持ちになったものだ。しかし今は胸の奥が一層痛む。そのときばたばたと廊下を走ってくる音がした。
    「三日月!」
    「……きよみつ?」
     のんびりとした審神者の声と裏腹に、襖の向こうで息を切らせた清光が頷いた。三日月もそれに頷き返し、彼女の体を抱えた。彼女はやや眠たそうな目で、不思議そうに三日月を見上げる。
    「主や、しっかり掴まっておれ」
    「どこへ行くんです?」
     立ち上がって、すっかり軽くなった体を抱え直しながら、三日月は答えた。
    「共に春へ行こう」
     ばたばたと清光が先導して走る。三日月もまた、狩衣を翻してそれに続いた。彼女は三日月の首に腕を回したまま、過ぎゆく本丸の景色に目をやっている。
     短刀たちと遊んだ中庭。
     皆で毎日ご飯を食べていた広間。
     空き時間を潰す刀剣たちの、ケラケラとした笑い声が響いていた談話室。
     新しい仲間を迎える鍛刀部屋、傷を癒す手入れ部屋を駆け抜けて、玄関に近い奥の間へ。
    「兼定っ! 堀川! 開けて!」
     清光の声に従い、襖に手を掛けていた二振が一気にそれを開け放った。
    「……これは」
     光に満ちた、薄桃の部屋。僅かに薫る暖かな春の空気。壁一面に咲いた、桜の花々。どこに目をやっても、ただ春爛漫の部屋。
     その真ん中に、三日月は彼女を抱いたまま腰を下ろす。彼女はぱちぱちと何度か瞬きを繰り返した。
    「俺達皆の、桜だよ!」
    「主君のための春ですよ!」
     頬や服を接着剤で汚した清光と前田が、審神者の顔を覗き込む。ひらりひらりと、いくつかの花弁が舞った。刀剣男士たちそれぞれが手に籠を持ち、審神者の頭上から花を落とす。
     悲哀や、苦しみはどこにもない。全てが新しく萌え出づる春。新たな門出を祝い、出会いを寿ぐ季節。
     一輪を手に取り、彼女の髪に飾りつつ、三日月は彼女に聞いた。
    「どうだ? 見事な桜だろう?」
     瞳の奥を潤ませて、それでも精一杯それを開きながら彼女は何度も頷いた。唇を綻ばせて、桜に負けないくらいきらきらとした笑顔を浮かべ、答える。
    「今までで最高の春です。ありがとうございます」
     それから長く一度瞬きをして、もう一度部屋の桜を眺めてから、彼女は目を閉じた。ゆっくりゆっくりと、息を吐きだして、彼女の機関はそれなりに止まった。
    「……今までよう頑張ったな。ゆっくりお休み」
     そっと三日月は彼女の頭を撫でる。すんすんと小さく鼻を啜りあげる音が聞こえ始める。ひらりと舞った桜の花弁が、もう動かない審神者の胸の上に落ちた。


     それが、三日月宗近と一人の審神者との、長くて短い春夏秋冬ひととせの終わりだった。



     春が来た。
     ぽかぽかとした陽気に目を細めて、三日月は縁側から中庭を眺める。庭の桜は今が盛り。はらはらと美しい花弁を舞わせていた。
    「うむ、今年も良く咲いたなあ」
     中庭では前田藤四郎が植木に水をやり、簡単な片づけをしていた。どうやらその兄弟たちもそれを手伝っているようだ。いくら美しくとも、流石に花弁をとっ散らかしたままとはいかないのだ。そのあたり前田はしっかりしているから、情緒は残るようにうまく庭を整えてくれる。ついでに金木犀も剪定してしまったらしい。前は本丸の外れに一本だけあったそれだが、今は秋が来るごとに芳香を楽しませてくれるよう、あちらこちらに植えてあった。花は後で砂糖漬けにすると美味しいと、燭台切が作ってくれる。
     桜周辺の片づけを終えたらしい前田が、ぱたぱたと木に近寄って行って一礼し、駆けていく。手伝っていた粟田口の刀たちも、同じようにして別な場所の片付けに走っていった。
     三日月は微笑んで、その様子を見つめる。
     あの下には、彼らの初めての主が眠っている。
    「ひとつ、新しい主のために本丸の設備をいくつか作り替えておくこと。
     ふたつ、私の持ち物は処分しておくこと。
     みっつ、皆、長生きをすること」
     彼女が目を開けなくなってから、三日月はかつて頼まれた通りにあのノートの一番最後の頁を開けた。そこにはたった三つだけ、遺言が書かれているのみだった。
     何振かの刀剣は鼻を啜りながらそれを聞いたけれど、三日月と清光はほんの少し笑っていた。それはどこまでも彼女らしい遺言だったからだ。小さな子が新しい主になるからと、使いやすいよう設計図まで挟んである遺言。彼女は三日月を頑固だと言ったけれど、彼女も大概である。
     その通りに、刀剣たちは新しい主を迎える準備をした。小さい子が家族と離されても楽しく過ごせるように。彼女のようにここをもう一つの家だと思ってくれるように。彼女の持ち物は一つの行李に全て詰めて、あの桜の木の下に埋めた。体は、現世の家族のもとに帰してやったから。その代わりにいつも着ていたジャージや、使っていた矢立てや食器、マグカップ。それから結婚式を挙げたときの白無垢を。左文字兄弟の執り行いで、丁寧に丁寧に、埋めた。
     三日月は懐からノートを取り出して、ぱらぱらとめくる。ページの膨らんだそのノート。最後は三日月が一人で埋めたもの。けれど彼女がいなくなってから開いてみたら、小さな文字でたくさん書き込みがしてあった。
    「燭台切さんのプリン、私も食べたかったです」
    「近頃雨が続いているようですね」
    「春物の服は、納戸の手前にしまった筈ですよ。そろそろ準備してください」
     そんな取り留めもない言葉たちの中に紛れて、一言だけ。最後の頁に。迷いのない筆跡で三日月に宛てたメッセージがあった。
    「私はとても、幸せでした。三日月さんは、幸せでしたか?」
     それを見つけたとき、三日月の胸の奥はやはりほんの少しだけ痛んで、寂しさに身が軋んだ。
    「……やはり、狡い娘であったな」
     自分の言いたいことだけ言って、いなくなってしまった。
     たった一年の凝縮した思い出を三日月に残して。もう三日月は、ヒトの生き死にをただ見送ることなんてできないだろう。だがそれでも三日月はその気持ちとても愛おしかった。
     春に似た優しく美しい、その感情。
     それは三日月に、悲しいことを教えてくれた。切ないことを教えてくれた。けれどその倍だけ、楽しいことも嬉しいことも、与えてくれた。かけがえのなく、幸せな初恋。
    「あ、三日月そんなとこにいたの。ボーっとしてる暇なんかないよ?」
     呆れたような、まあいつものことかと納得しているような声が聞こえてくる。縁側を正装した清光が歩いてきた。春風に赤いマフラーが揺れている。
    「やあ清光、忙しそうだな」
    「あったりまえじゃん! 朝から皆てんやわんやだよ。そんな風に呆けてる暇なんてないんだからね」
     全くもうと言いながら清光は三日月の隣に立つ。それから同じように桜を見つめる。
    「いつ頃来るんだ?」
    「もう来ちゃうよ。ちゃんと用意してて」
    「あいわかった」
     ふぅと清光は深呼吸をして、長く瞬きをする。大きく伸びまでした。まあここしばらくてんやわんやだったので、この本丸の初期刀としてたくさんの主を引っ張ってきた清光は本当に忙しかったのだ。無理もない。
    「しっかし、よく待ったよね三日月。途中で諦めたら俺が貰おうかなーとか思ってたんだけど」
    「む、聞き捨てならんな」
    「あは、冗談冗談。まあまったく、ヒトってさ。随分忙しない生き物だよね。そこが愛おしくもあるんだけどさ」
     あれからたくさんのヒトの子を見送った。出会い、そして別れ、こうして今日も三日月は生きている。懸命に生きて、そうして旅立っていった主たち。皆、かけがえのなく大切な主だ。あれからずっとずっと審神者の体調を配慮した本丸運営の方法が研究されて、今では彼らも随分長く主と過ごせるようになった。それに奔走したのは、ここのこんのすけなのだと言う。三日月はくすくすと笑った。
     皆一様に大切な主だが、今日特別な気持ちになるのは少し許してほしい。何せ随分待たされたのだ。これは文句の一つくらい言ってやりたいし、多少なりと浮かれるのも無理のないことだろう。
    「最初に見つけたときに連れてこなかったの、なんで?」
    「ん? ああ、すぐに連れて来ては学校生活、とやらを送れんだろう? じぇいけえというのは現世の女子にとって特別な期間だと清光も言うたではないか」
    「よっく覚えてたね。しかしよく我慢したよ、一八まで」
    「ふふ、それからなあ、前田に釘を刺された」
    「え? 何を」
     清光がきょとんと首を傾げた。くすくすと三日月は笑い、袖で口元を隠す。しっかり者の前田藤四郎。ちゃんと三日月に念を押すことは忘れやしなかった。
    「手を出すなら一八を過ぎてからにせよとな。それより前だと体に響くらしい」
     それを聞いて、清光は言われている意味を考えたようだった。しかししばらくして、うげえとげんなりした表情を浮かべる。
    「最低ーっ! そんな理由だと思わなかった!」
    「はっはっは」
     もーとか何とか言いながら、清光は三日月の背後を通り過ぎて行く。どうやら出迎えは譲ってくれるらしい。その背中に視線をやりながら、三日月は言葉を投げかける。
    「清光、もう泣いてもいいんだぞ」
     ピタリと清光は歩みを止めた。ふわりと外套が風に翻り、鮮やかな紅の裏地が見え隠れする。
    「おぬし、ずっと後悔していたんだろう? 最初、あの子の前で泣いたことを。だからあれから一度も、泣きはしなかったんだろう?」
     清光は動かなかった。それゆえに、清光がどんな表情を浮かべているのか、三日月にはわからなかった。
     あれからどんなことがあっても、清光は泣いたりしなかった。どの主を見送るときも。
     少しだけその黒髪が俯く。けれどそれは本当に一瞬で、清光はくるりと振り返った。それからいーっととびっきりの笑顔を浮かべて、晴れやかに言う。
    「三日月こそ! これから涙ぼろっぼろでどろどろの顔になってもいいんだからね! 何が天下五剣ーってくらいの!」
     たたっと清光は駆けて行った。奥の間では賑やかな声が聞こえる。きっと皆宴会の準備でもしているのだろう。もうずっと待ちわびた春を迎える支度を。
    「こちらです主さまあっ! 皆主さまを迎えるのを楽しみにしておりましてっ!」
     ぱたぱたと元気な足音と甲高い声が聞こえてくる。三日月は春の風に目を閉じて、それに耳を澄ませた。

     ずうっとずうっと、待っていた。あの日の約束を一瞬たりとも忘れずに、もう一度会えると信じて。
     今度は何をしよう。今度はしっかりややも仕込まなくてはならない。何せ前は口吸いさえもさせてもらえなかったのだ。むしろよく我慢した方だ。今回はそんな遠慮もいるまい。
     まずは文句からだ。随分待たせて、一体何をしていた。それにあの手帖はなんだ。幸せだったかなんて、そんなの決まりきっているではないか。
     それから、たくさん好きだと言ってもらおう。あのときはたった一度でいいと我慢したから、今度は言い飽きたと言うくらい。ついでに聞き飽きたと言うくらい、三日月も口にしたい。

    「こちらですよう! おや、三日月様っ!」
     瞼を開ければ、花吹雪。三日月はゆっくりと、声のする方に振り返る。
     さあ、あの恋の続きを、もう一度。
     三日月は微笑み、そっとこんのすけの後ろにいる懐かしい姿に手を伸ばした。

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