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    2024/04/16 11:42:05

    【Web再録】春に眠るきみのこと①

    #みかさに #女審神者 #刀剣乱夢
    余命一年の審神者と恋をする三日月宗近の話。

    ATTENTION!

    ・オリジナルの女審神者がいます。
    ・三日月宗近(彼氏(仮))もいます。
    ・独自解釈、捏造設定もりもりです。

    ご注意ください。

    2016年10月から12月にかけて頒布いたしましたみかさに本の再録です。5章に分けての掲載です。
    お手に取ってくださった皆様まことにありがとうございました。

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    しおり
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    しおり
    【Web再録】春に眠るきみのこと①

    「主さま、残念ながら主さまのお体はもってあと一年でしょう」
     ある昼下がりのこと。しょぼくれた顔で、管狐は少女にそう告げた。一瞬何を言われているのかわからなくて、少女は何度か瞬きを繰り返す。その様子を見て、管狐は再度繰り返した。
    「霊力の消耗が著しく、生命の維持に支障があります。もってあと、一年かと」
     審神者が短命だということは、事前に聞いていた。だが短命だと言っても大体四〇くらいまでは生きるものだと聞いていて、彼女はまだ齢一六の子どもに過ぎない。だからこそよけいに、理解が追い付かずに黙りこくってしまった。
     外では長閑に鶯が鳴いている。今は春、あと一年ということは来年の桜は見ることが出来なさそうだ。ぼんやりそんなことを考えると、何故か少女の口元には僅かな笑みが浮かんだ。
    「……そっかあ」
    「御家族に連絡は出来ると思いますが、残念ながら本丸を離れることは叶わないかと……」
    「うん、わかった。じゃあ今日の夕食にでも皆にそう言わないとね。引継ぎとか色々あるんでしょう?」
    「主さま」
     すっくと立ち上がった少女の足に、管狐がするりと擦り寄る。黄色くふわふわとした毛並みが温かく、柔らかだ。
    「御家族の代わりにはならないでしょうが、このこんのすけが最後までお傍におりますよ」
     ふふ、ともう一度だけ笑い、少女は「ありがとう」と呟いた。





     審神者になったのは、もういつのことだったか。半強制的に招集され、歴史修正主義者なんて化け物じみたものと戦えなんて言われたときには、泣き出してしまいそうになった。それから数多の刀剣たちと一心同体、ここまでやってきた。思い返せば随分長い間ここにいた気がする。審神者は私室から出て、じっと本丸の中庭を眺めた。色とりどりのツツジが見ごろだ。濃い赤、白、ピンク。目に痛いほどに盛りの花々。
     水でもやるかと彼女は縁側から中庭におり、傍にあった如雨露を手に取って井戸へと歩き出した。からからと滑車が音を立て、井戸の中に木桶が落ちていく。彼女一人でそれを持ち上げるには重たかったので、井戸の縁に足を掛け、よいしょと持ち上げ始めた。するとぎょっとしたような声が、母屋のほうから聞こえてくる。
    「主君、いけません! お休みになっていないと!」
    「ああ、前田君。おはようございます」
     マントを揺らし、前田藤四郎が駆け寄ってきた。ジャージ姿の審神者は、それに笑顔で答える。気遣わしげな表情で、前田は彼女を見上げた。
    「横になっていらしてください。お体に負担をかけないよう」
    「いやですねえ、負担って。どこも辛いところはないんですよ。だから動いていた方が気が楽なんです。さーて今日のお昼は何にしましょうね、前田君。まだ考えるには早いですかね?」
     前田に言ったように、彼女の体はどこも不具合を訴えてはいなかった。どこも痛まず、どこも苦しくもなく、何か怠かったり、辛かったりなどもしない。もっと言えば快調そのものである。うーんと伸びをして、審神者は前田の肩をポンポンと叩いた。
    「大丈夫ですよ、何かしてた方が楽なんですから。さあ前田君、水やり手伝ってくださいね」
    「はい、主君……」
     ややしゅんとして、前田は彼女から如雨露を受け取った。審神者はにこにことして、自分は木桶から直接柄杓で水をまきはじめる。水滴は朝日に輝き、花々の葉や花弁の上できらきらとし始めた。
    「やあ主や、早起きだな」
    「あ、三日月さん。おはようございます」
     作務衣姿の三日月も、縁側から前田と審神者の様子を見つめていたようだ。挨拶を返し、審神者は作業を続ける。木桶をすっかり空にしてしまってから、彼女はそれらを元の位置に戻した。やはり体はどこも変わりがない。
    「さ、お昼の準備しちゃいましょう」
     誰に言うともなしに、審神者はそう呟いて三日月の隣をすり抜けた。
     「もう自分は一年も保たずに死ぬらしい」、審神者が刀剣たちにそう報告したのはつい先日のことだ。特にしんみりすることもなく、重々しくなることもなく、審神者はただそう告げた。むしろ動揺したのは刀剣たちの方だ。どうしよう、どうしようとざわめいた彼らに、こんのすけが「息を引き取るまで彼女はここで審神者を続けること」、それから「この本丸は他に引き継がれるか、刀剣たち各々が別な本丸に派遣されること」を説明した。しかしそれに憤慨したのは初期刀の加州である。
    「そういうこと言ってんじゃないよっ! 俺達の主は、主だけなのに!」
    「ですが、加州清光様あ」
    「そんなのってない、そんなのってないよ! 話を聞いてれば、主は俺達のこと面倒見てて寿命減らしたってことじゃんっ! なのに最後までこき使うなんてさあ……っ」
     まあ、有り体に言えばその通りだった。審神者の寿命が縮んだのは、霊力の消耗のため。しかし就任当初の契約により、その任は死ぬまで解かれない。だから審神者はこの本丸にいるしかないのだ。最後まで、政府の歯車としてその命を消費することになる。
     加州が審神者の膝に縋り付くようにして抱きつき、頭を振る。小さな子どものようにいやいやとしながら、加州は彼女に懇願した。
    「嫌だ嫌だ、主が死んじゃうのなんか嫌だ。ねえお願いだから、もっと生きててよ。俺のこと置いて行かないで。俺の主は主だけなんだから」
    「やだなあ、清光。子どもみたいに。ヒトはいつか死んじゃうんだよ、清光もそれはよくわかってるでしょう?」
     あははと笑いながら、彼女はそんな加州の髪を撫でた。あまりにも身も蓋もないその言葉に、加州は言葉を詰まらせるしかない。
    「それが早いか遅いかってだけ。私はたまたま、あと一年っていうだけだよ。ね、清光」
    「でも、でも嫌だ、嫌だよ主……っ」
     ぐすぐすと泣いたのは、審神者の少女ではなく加州の方だった。それが引き金になったのか、短刀たちの何人かも嗚咽を上げ始める。ただし審神者だけは一滴たりとも涙を零すことなく、穏やかに笑って加州を宥めていた。それからも一度たりとも、彼女は泣言を言ったりしなかった。
    「さて主、今日もしっかり食べてね! こんのすけに聞いて滋養の付くもの毎日たくさん作ってるんだから」
    燭台切が腰に手を当てつつ、審神者の前に食事を並べる。他の皆よりたくさん盛られたおかずやご飯を見て、彼女は苦笑した。
    「いつも通りでいいんですって、燭台切さん」
    「だーめ。ちょっとでも長生きしてもらうって皆で決めたんだから。また加州君が泣いちゃうよ?」
    「そうそう! しっかり食べてよね主!」
     両脇から二人にそう言われ、彼女は「はいはい」と手を合わせる。確かに食事は美味しいが、こうも量が多いと長生きする以前に随分太ってしまいそうだった。そう愚痴を零せば、聞いていたらしい同田貫がもっと肥えりゃあいいんだと返す。そうだそうだと何人かもそれに賛同した。
     「仮にも女の子に向かって太れだなんて失敬な!」と騒ぐ乱や加州と、「健康的な食事!」と続ける燭台切や堀川。「痩せた女なんてそそるか!」と随分なことを言う和泉守や御手杵には歌仙からの拳骨が落ちた。そんな様子を横目に見て、最初はくすくすとしていた審神者も、最後には声を上げて笑っていた。まるでいつもと変わらない食卓、何にも変わらない日常。
     ただ一つ、その時間に明確な限りがあるというだけで。
    「あーもうやだやだ、皆さん随分な言い草ですねえ」
    「笑い事じゃないよ主っ!」
    「そうですよあるじさまっ! とくに和泉守なんかはもっときつくしかってやってください!」
    「おいおい俺だけかあっ!?」
     そんな中、賑やかな広間を一振の刀剣が後にした。さらりという衣擦れの音が聞こえ、上品な香の薫がくゆったので、審神者は襖の方を振り返る。しかし彼は既に出て行った後だった。彼女は首を傾げ、再びやや多めの食事に向きなおった。その刀剣がふらりとどこかへ行ってしまうのはよくあることだ。だからそう、気にも留めなかった。



    「ああさっぱりした」
     濡れた髪をタオルでばさばさと拭きながら、彼女は部屋へと戻ってきた。これまで、本丸での彼女の入浴順は一番最後だった。それは刀剣男士たちが出陣や遠征で疲れた体を、しっかり休めてほしいという考えからであり、最後に彼女がささっと浴場を掃除してしまえばいいという効率を考えてのことでもあった。戦うことは、彼らにしかできない。だからそれ以外の彼女にもできることは、率先してやっていこう。それが少女の信条だった。
     しかしこの間から、彼女の入浴順は一番初めになった。一番風呂の温かいお湯に、誰よりも長く浸かるように! そう他から厳命された。さっと上がった日には「早すぎる!」と浴場に押し戻されたりもする。全部審神者の体を思いやってのことである。掃除も、今は順番が最後になった刀剣が担当していた。
     ジャージの袖をまくり、彼女は通信端末を操作する。特に何の通達も、催促も来ていないようだった。ともすれば今日一日の業務は終わり。後は眠るだけである。
    「……」
     静かな部屋に、カチコチと時計の秒針の音だけが響いている。最近は、気を遣った刀剣たちが騒がないようにしているため、夜は特に閑静なのだ。
     定期的で、無機質で、しかし途絶えることのない針の音がやけに大きく聞こえる。審神者は文机の前で、ただ目を開けてそれを聞いていた。カチ、コチ、カチ、コチ……。
     ヒクリと震えた彼女の右の人さし指が、ついと動く。首は真正面に固定されたまま、その手は伸びて傍にあったティーカップを掴んだ。ぽたりとふき取りきれなかった水滴が文机に落ちて、じんわりと広がる。右手は大きく振り上げられ、さっと降ろされかけた。
    「主や」
     襖の向こうから低い声が聞こえて、その手はぴたりと止まる。静かにカップを置くと、彼女は「はあい」と返事をした。
    「どうしたんですか、三日月さん」
     そう声をかければ、狩衣姿の三日月が襖から顔を出す。まだ風呂には入っていないらしい。にこりと美しい顔に微笑を浮かべ、「ちと入ってもいいか」と三日月は問うた。
    「どうぞー、散らかってますけど」
    「はっはっは、そうか?」
     さらさらと衣擦れの音を立てながら、三日月は滑るように部屋に入ってきた。首にタオルを引っ掻けたまま、審神者は部屋に備え付けていたポットでお茶を淹れはじめる。生憎、審神者の部屋には紅茶しかない。けれど三日月が甘いお茶を好きなことは、彼女も良く知っていた。
    「お砂糖は二匙でいいですかね?」
    「そうさな、それがよい。甘いものを頼む」
    「はーい、わかりました」
     少しだけ茶葉を蒸らしてから、彼女は二つのティーカップに琥珀色の紅茶を注ぐ。ふわりと白い湯気が立ち上り、爽やかな香りが鼻を擽った。お茶うけがない、厨に行けばクッキーくらいはあるかもしれないな、なんて彼女は思った。だが取りに行こうかと聞けば三日月は静かに首を振ったので、カップだけを差し出す。優雅な所作で、三日月はソーサを左手に持ち、右手でカップを手にして紅茶を飲んだ。彼女も同じようにそれを口にする。
     三日月は、本丸内でもそこそこ古参の部類に入る刀剣男士である。いつもにこにことしていて、穏やかな雰囲気の三日月と一緒だとリラックスして仕事ができるので、彼女はよく彼に近侍を頼んでいた。だが今日は違ったはず。曲がりなりにも女性である審神者の部屋に、夜間刀剣男士たちが尋ねてくることはあまりない。だから何かあったのだろうかと彼女は首を傾げた。
    「三日月さん、何かご用なんです?」
    「ああ、そうさな。ちと主に聞きたいことがあったのだ」
    「聞きたいことですか、何でしょう? 答えられることだといいんですけど」
     口元に笑みを浮かべたまま、三日月はたった一言だけ聞いた。
    「恐ろしくはないのか?」
     カチ、とまた時計の針が鳴る。彼女の頬を、髪から落ちた水滴が伝って行った。
    「……何がです?」
     コチリ、ともう一秒分針が進む。
    「死ぬことだが」
     カチ、コチ、カチ。定期的で断続的な音だけがまた部屋に響き始めた。手にしていたカップとソーサを、三日月は文机に置く。審神者の表情は欠片も変わらなかった。だが返事もしなかった。時計の針に合わせて、何滴かの水滴も畳の上に落ちていく。彼女はそれを拭きもしなかった。穏やかな表情のまま、三日月は続ける。
    「何かしていなければ、落ち着かんのだな」
    「……」
    「主はあの日から、一度も泣いていないだろう?」
     ついと三日月は膝を進め、審神者との距離を縮める。彼女の手からカップを取り上げ、それも文机に置いた。
    「なあ主や、恐ろしくはないのか? そなたは本当に、死ぬことを受け入れてい――」
     そこまで口にしたとき、反射的に彼女の手は三日月の頬を引っ叩いていた。避けようと思えばそうできたはずだが、三日月はされるがままに平手を受ける。パアンと破裂音が響いた。髪飾りが揺れ、白い真珠のような肌はほんのりと赤く染まる。じんわりと掌が痛みはじめ、審神者はハッとした。反動で横を向いた首を、三日月は正面に戻す。その顔は笑ってはいなかった。
     月を浮かべた瞳が真っ直ぐと自分を見つめていて、審神者の唇がわなわなと震えはじめる。立ち上がって逃げようとすれば、三日月に腕を引っ掴まれた。
    「正直に言うがいい、恐ろしいのだろう」
    「……っ、離してください、三日月さんっ!」
    「時計の音が、恐ろしいのだな? そなた、欠片も死ぬことを受け入れてはいまい」
    「やめてください、お願いです。それ以上は」
    「死ぬのが、恐いのだろう?」
     ひぅっと審神者が息を吸いこんだ瞬間、三日月は掴んだ腕を引き寄せてその体を抱きしめた。籠手は外して来たらしい。何もつけていない大きな手が、彼女の濡れた頭をてっぺんから撫でて、髪の間を滑る。よしよしと何度か優しく叩かれた。息を吐くのを忘れてしまった少女の耳に、三日月の暖かな鼓動の音が響く。カチコチという時計の音に合わせて、とくとくと温かく、緩やかな生きている音色。ジワリと彼女の視界が一気に滲んだ。
    「こわ、恐いに、決まってるじゃないですか……っ」
     管狐から余命の宣告を受けたとき、少女が最初に浮かべたのは笑みだった。
     否、それしか浮かべられなかった。言われていることが理解できなくて、意味は分かっても受け入れることは出来なくて。もうただ、笑うことしかできなかった。
    「まだ、まだやりたいことだって、たくさんあります……っ! もっともっと、できることだって、しなきゃいけないことだって。でも、もう一年しかない、たった一年じゃ、出来ないことが多すぎる」
     だから、いつも通りに過ごそうとした。何もなかったかのように、これまでの生活を続けていることしかできなかった。目を閉じて、耳を塞いで、そうしていつの間にか終わりが来るのを待つことしか、恐ろしくてできなかった。
     そうでなくては、恐怖で身動きが取れなくなる。だが時間だけは平等に、毎日擦り減っていくのだ。
    「恐い、恐いです。でももうどうしようもない、何にもできない。だから、私」
    「ああ、いい子だな、主や。ずっと我慢していたのだなあ。いい子だ、主は良い子だぞ」
     そう三日月が低い声で囁き、もう一度彼女の頭を撫でたので。審神者は顔をくしゃりと歪め、声を上げて泣き始めた。叫ぶように、喉が裂けてしまいそうな勢いで彼女は嗚咽した。その間、三日月は彼女の髪に頬を寄せてずっとその背を撫でていた。
     わんわんという泣き声を聞きつけて、他の刀剣たちも心配そうに彼女の部屋に集まってきた。三日月は目を細めて微笑むと、彼らに向かって人さし指を唇に当て、静かにするよう指し示す。ひくりひくりと細い肩がしゃくりあげているのを摩りながら、三日月は彼女の部屋の行燈の火を吹き消した。
    「……なあ主や、出来んことを数えていては、気が滅入るばかりだ。そうだろう?」
    「でも、もう……時間もありま、せん」
    「そうだ、試しにじじいにしたいことを教えてみよ? これまでやりたかったことを順に言うてみよ。なあ主や、俺は千年の時を生きて来た刀、何か一つくらい主にしてやれることがあるかもしれん」
     鼻を啜ってから、少女はふうと息を吐いた。したかった、こと。
    「ふ、普通に学校、行きたかったです」
    「ふむ、なるほどな。そうさな、石切あたりに頼んでみよう、先生役を務めてくれるかもしれんぞ」
    「それから……友達と出かけて、遊んだりとか」
    「同じ頃合の脇差などはどうだ? きっと皆喜んで町へ出てくれるはずだぞ」
    「あとは、そうですね」
     泣きすぎてぼんやりとした頭で、彼女は考える。腫れぼったくなった目は、だいぶ重たくなっていた。今まで我慢してきた分一気に感情を爆発させたので、いまいち思考もまわっていない。
    「恋……してみたかったです」
    「……恋か」
    「はい」
     恋をして普通に結婚して、家族を作ってみたかった。普通の女の子が憧れることを、本当はすべてしてみたかった。だが流石に今更それは叶えられないだろう。彼女がふうと息を吐いて、三日月から離れようとしたときである。
     三日月のほうが彼女に手を伸ばし、首に掛かっていたタオルでその顔を拭った。柔らかな生地が涙をするりと連れ去っていく。
    「わかった、では主や。どうせ死ぬのであれば俺と恋をしよう」
    「……え?」
     暗くなった部屋の、襖の向こう。いくつかガタガタと何かが揺れる音がした。ついでに「なんだとじじい」だの「ちょっと待て」だの、「させるか」だの言う声も聞こえる。
    「やや……は難しいかもしれんな、今から仕込むとなれば」
    「え? あ、へ?」
    「だが恋は出来るだろう? うん、そうだな、主や、俺と恋をすればよい。なに、ヒトも刀も、美しい方がいいだろう?」
     ふふふと微笑み、三日月は自身の口元を袖で隠して、その顔を泣きはらして真っ赤になった彼女に近づけた。審神者のほうはといえば目を白黒とさせて、それを見つめ返すことしかできない。しかし三日月は自分の案に満足げに頷いて、大らかに笑い始めた。何度も「名案だなあ」と言いながら。
    「さあ主、そうと決まればそなたは明日から俺に恋をせよ。もう一日たりとも無駄には出来んぞ、やあ明日からは楽しくなりそうだなあ。ではな、主や。明日また起こしに参るぞ」
     残る時間はあと一年。三日月ははっはっはと笑いながら部屋を出て行った。
    恋って、するものだっけ。落ちるものじゃなかったっけ。そんな審神者の呟きは、既に乗り気な三日月には届いていなかった。



     死ぬにしては、明るすぎる。それが、三日月が少女に対して抱いた、最初の疑問だった。
     三日月の主は一六歳ほどの幼い子どものはず。確かに審神者としてはもう慣れたもので、日々の業務や戦略やら、刀剣を率いるものとして不安は何一つない。けれどヒトの子としてはまだまだ、迷いや苦しみを多く持っている年頃のはずだった。それなのに。刀剣たちにあと一年しか一緒にいられないと告げた日から、少女は何の変化もなかった。泣いたりしない、惑っている様子もない。ただいつもの変わらず、職務に当たり、笑っている。それがとても、三日月には不思議だった。
     けれど稀に、静かなとき。少女がわざと、何か音を立てていることに三日月は気付いた。それは決まって、壁時計のある部屋にいるときだった。それを見て、やっと三日月の疑問は解決したのである。
     明るくしていなければ、きっと折れてしまう。それを必死で堪えて、堪えて、張り詰めた糸が今の主だと。
     ならばその餞に、自分が彼女の願いを叶えてやろう。付喪神は神としては末席、できることは恐らく限られている。けれどこれまで刀剣たちを慈しんできたヒトの子のため、出来る事ならば何なりと。そう考えて、三日月は彼女の人生最後の恋を始めたのだ。



    「おはよう主や、気分はどうだ?」
     にこーっとした顔が、目の前にある。今日は非番の三日月宗近は、狩衣ではなく作務衣姿だった。三日月は寝ている主の横で頭を支えて側臥位を取って自分も横になり、にこにことして笑っている。一瞬だけ何が我が身に起きているのか考えた審神者は、すぐに我に返って噎せながら飛び起きた。
    「げ、げほっ、何を、三日月さん何して」
    「おお、大丈夫か主。どれどれ、背を撫でてやろうな」
    「いやそうではなく、げほっ」
     驚いて噎せてしまったのだ。別に体調が悪いわけではない。何度でも言うが、余命が一年しかなくとも、彼女の体はどこにも不調をきだしてはいなかった。
     ひとしきり咳き込んでから、彼女はぜいぜいと肩を揺らしつつ顔を上げる。その表情はややげんなりとしていた。
    「三日月さん、なんで私の部屋にいるんですか」
    「明日起こしに参ると言っておいたろう?」
     そういえばそんなことを言っていたような気がする。いやだが、それ以上にとんでもないことを三日月は言い置いて去っていったので、そこからあとは吹っ飛んだのだ。柔らかい眼差しを彼女に向けている三日月は、依然として審神者の背を撫でている。
    「朝餉は何がいい? 主や。燭台切が腕を振るうと言っていてな、何がいいかついでに聞いて来いと言われているのだが」
    「え、ああええと……いつも通りでいいですよ。いやそれより三日月さん、昨日のことですけど」
    「うん?」
     俺と恋をしようとか、そんなことを三日月はのたまっていたような気がする。
    「ああ、言ったぞ。どうせ死ぬのだ、出来ることはすべてしておいた方が良かろう」
    「えっそんな理由で!?」
     だめか? と三日月は首を傾げる。美しい顔を存分に利用した、その可愛らしい表情に審神者はうっと声を詰まらせた。それをいいことに、三日月は鼻と鼻がつきそうなくらいに彼女に顔を寄せて微笑んだ。
    「死ぬときに様々なことを思い残して逝くのは辛かろう? 俺は俺の主にそんな思いをさせたくはないなあ。であれば、したいことは全て済ませておいた方が良い。その手伝いを俺がしてやろうな」
    「いやそのお気持ちはありがたく頂戴しますけど……」
     だが別に、彼女は無理に恋がしたかったわけではない。世間一般の女の子がしているようなことを、自分もしてみたいと思ったことは確かに間違っていないが、審神者であった自分のこれまでやその選択に不満があるわけではなかった。死は恐ろしいと思うものの、後悔はない。この期に及んで、物は試しくらいの気持ちで恋愛をしたいとまでは……。
     しかし三日月のほうは、もうすっかり乗り気のようだった。どこから取り出したのか、少女漫画をふむふむと読んでいる。それどうしたんですかと聞けば、乱から借りたのだなんて言うもんだから審神者は卒倒しそうになった。
    「俺も千年も生きてはいるがなあ、恋はしたことがない。どういうものか学ばねばならん、そうだろう?」
    「だからそのっ、そんな無理に恋愛を始める必要はないですから、ね? 三日月さん」
     審神者が宥めにかかるが、三日月は持ち前のマイペースさでそれを受け流し、少女漫画を読みふけっている。
    「ふむ、俺は主のろっかー? にあかふだ? を貼ればよいのか?」
    「何読んでるんですか本当にっ!」
     彼女はばっと三日月の手から少女漫画の愛蔵版を奪い取った。乱がこの間本棚が欲しいと言っていたが、まさか愛蔵版を買っていたとは。頭を抱えている彼女に、三日月はなおも笑って尋ねる。
    「さあ主や、まずは着替えを手伝ってやろうか?」
    「結構ですっ! 朝ご飯はいつも通りパンにしてくださいっ!」
     立ち上がりながら、彼女は三日月を部屋から押し出した。はっはっはと襖の向こうで笑う声がする。まさか死ぬ前にこんなことになるとは、と溜息をついた。
     単衣からジャージに着替え、一通り髪を整えてから彼女は広間へと向かった。もう殆どの刀剣は起きだして、食卓についているらしい。そこは随分賑やかだった。昨日わんわん泣いてしまった手前、やや気まずい。襖の陰でやや緊張して呼吸する。おずおずと手をかけて、そっとそれを開くと、一番手前に石切丸が「おや」と振り返った。
    「み、皆さんおはようござ」
    「だ、だめじゃないか……遅刻だよ?」
     彼女に負けず劣らず緊張した顔で、石切丸がそう口にする。彼女の本丸に、明確な朝食の時間や起床時間はない。昼と夜は大体決まっているが、朝は各々が好きなときに起きてきたりするのだ。だから遅刻、と言われるほどのことはなはずなのだが……彼女が首を傾げていると、石切丸が「あああ」と顔を覆った。
    「やはり無理だよ。すまないね乱、私には先生役は無理なようだ」
    「もーっ、そこはもうちょっと頑張ってよ石切丸さんっ! 主さんのためなんだからあ」
    「え? 乱ちゃん?」
    「ごめんね主!」
     驚いている彼女に、清光が立ち上がって抱き着く。おっとっととよろけた体は、石切丸が支えてくれた。
    「俺達が泣いたりしたら、主もっと困っちゃうよね。余計泣けなかったよね……っ、ごめんね主」
    「清光……いいんですよ、そんなの気にしなくたって。心配かけてごめんなさい」
    「ううん、ごめんね主。だからね、俺達も主のしたいこと、一年で全部できるように協力するからっ! ねっ今日は手始めに俺達と出かけよーよ」
    「ええ? いいですよ、お仕事しないと」
     死ぬ前だからと言えど、仕事を疎かにするつもりは彼女にはなかった。毎日決まった業務をこなしていた方が気がまぎれるというのもある。だから彼女は丁寧にその提案を辞した。
    「やっぱり、基本はお仕事にしないとです。その合間に、出来たら遊んでください。私はそれで十分ですよ」
     刀剣たちは皆して息抜きしようだとか、一日くらい良いじゃないかと言ったけれど。彼女はいつも通り執務室で文机の前に座った。こきこきと首を鳴らし、うーんと伸びをする。すると丁度良く通信端末が鳴り始める。画面をタッチすれば、こんのすけのアイコンが浮かび上がった。
    『おはようございますっ! 主さまぁっ!』
    「おはようこんのすけ、今日は何かお仕事あるかな?」
    『政府から通達が一件、ございますっ! 少し面倒な通達なので、刀剣男士のいずれかに手伝いをお願いした方がよろしいかと!』
    「面倒?」
    「であれば、俺が手伝おうか」
     手に湯呑と茶菓子を自分と審神者の分だけのせた三日月が、ふっと顔を出す。今日の近侍は清光に頼んでいたはずで、非番の三日月には休んでもらおうと思っていたため、彼女は手と首を横に振る。
    「大丈夫ですよ、三日月さん。せっかくの非番なんですからお休みになっていてください」
    「うん? いいや、構わんよ。俺も主といる時間を増やそうと思っていたところだ、丁度いい。それで、何をすればよいのだ?」
     そうしてなぜか、彼女は三日月と二人きりで資材倉庫にいた。政府からの通達というのは、今本丸にある資材数を正確に数えることだったのである。確かに随分面倒な仕事ではあった。とりまとめて大体の数はわかっているとはいえ、正確にとなれば一から確認していかなくてはならない。ふうと息を吐き、審神者はジャージの袖をまくった。隣に立っていた三日月も、汚れてしまわないようにリブニットを肘までたくし上げる。積み上げられた資材の入った箱を見上げ、審神者は苦笑いをした。
    「すみません、これ随分かかりそうですね。私一人でもできることですから、やっぱり三日月さんは休んでていただいて大丈夫ですよ」
     すると三日月ははっはっはと大らかに笑い、ぽんぽんと彼女の頭を撫でた。大きく温かな手が髪の間を滑り、ついと僅かにうなじにも触れたので彼女は思わずどきりとする。だが三日月はそんなことは気にもせずに、腕を回しながら資材の箱を手に取った。それから適当な古紙と矢立とを取り出して、床に広げて数えはじめる。
    「これだけの量の仕事を、主一人にさせるわけにはいくまい。俺はじじいだが、数を数えるくらいはできるぞ」
    「……はは、ありがとうございます」
    「それになんだ? 恋愛で倉庫に閉じ込められるというのは定石なのだろう?」
    「乱ちゃんから今度は何借りたんですか」
     二人で手分けをして、箱に入っていた資材を一つ一つ数えては戻す。間違いのないように紙に数を記入し、順に積み上げ直していった。彼女が黙々と木炭を数えていれば、ふと柔らかな何かが頬に当たる。集中していて三日月のほうに一切注意を払っていなかった審神者は、ハッとして顔を上げた。すると首から下げていた手拭いで、三日月が顔を拭いてくれていた。どうやら木炭で汚れていたらしい。
    「あ、すみません。集中してて」
    「はっはっは、そのようだな。もうしばらく時間が経ったようだ、少し休憩にせんか? 主や」
    「そうしましょうか、すみませんお腹すきましたよね」
     彼女が立ち上がろうとすると、三日月は微笑んで懐から竹の皮で包まれた握り飯を取り出した。
    「そなたがあまりに集中していたのでな、先程厨の堀川からもらってきた。このままここで食べんか?」
    「あはは、いいですね! なんだかピクニックみたいで」
     しばらく屈んで作業をしていたせいで凝り固まった腰を伸ばし、足も投げ出して審神者は三日月からその握り飯を受け取る。三日月の方も胡坐をかき、膝の上に竹の包みを乗せた。二人していただきますと手を合わせ、握り飯を頬張り始める。堀川が作ってくれた握り飯は、一人に各3つずつ。どれもちゃんと具が入っていた。集中して作業していた分だけ、空腹に気付いてからはご飯がおいしい。彼女は顔を綻ばせてそれらを食べた。
     そんな様子を、三日月は握り飯を口にもせずじっと見つめていた。顎に手を当て、ふむと呟く。それに気づいた彼女が、首を傾げて三日月のほうに向きなおる。口の中を空にしてから、どうしましたかと聞いた。
    「いや、そうしておれば年相応に見えるのだなあと思ってな」
    「ええ? なんですかそれ」
    「いいや、普段そなたは何でも一人でしてしまうだろう? 家事にしろ仕事にしろ、一人でできることは大抵済ませてしまう。するとどうもな、大人びて見えるのだ。だがそうしていると年相応の、幼子に見えるぞ」
    「幼子ですか、私もう一六にはなるんですけどね」
     まあそれでも三日月からすれば十分、子どもになってしまうのだが。だが三日月の言うことにも一理はある。必要最低限の現世での教育を終えてすぐ、彼女は本丸にやってきて審神者になった。審神者は、刀剣たちの刃生を背負う職務である。その責任やら何やらが、彼女の子どもだった時間を急速に終わらせてしまったことは否めなかった。
     三日月にしてみれば、そういうことの一つ一つが酷く不憫なのだ。子どもらしく遊ぶこともなく、家族と過ごすこともなく、ただここで命を費やすことになった少女が哀れで仕方がない。だからこそ、よくわかりもしない恋愛をこのヒトの子と始めてみようと思った。
    「もう少し、周りに頼ってみても良いのではないか? それとも俺達はそなたが頼るに値しないか?」
    「いいえ、そんなことないですよ」
     三日月の問いに、彼女は慌てて首を振った。そんなことは決して有り得ない。
    「皆さんは十分、出来ることをしてくれています。だから私もそれに倣っているだけですよ。出来ることをしているだけです」
    「しかしなあ」
    「あはは、だってほら、戦場に出て戦うのは皆さんにしかできないですし。それを考えたら、本丸のことは私がすべきですよ。私は自分に出来ることをしているだけです」
     彼女の言うことは、確かに一理あるのかもしれない。審神者は審神者に出来ることをしているだけだ。だが死を目前に控えた子どもがするべきことだろうか……。三日月が考え込んでいると、彼女はやや俯いて空になった竹の皮を畳む。
    「だからその……ごめんなさい。三日月さんの気持ちは嬉しいんですけど、やっぱり無理に恋愛をする必要はないかなって」
    「俺も無理にしているつもりはないが?」
    「ええ? 三日月さんやっぱり恋愛ってなんなのかわかってないですよね?」
     わかっていたら、あんな簡単に「俺と恋をしよう」なんて言いはすまい。この優しい神様は、もうすぐ死にゆく自分を思いやって訳も分からずそんなことを言い出しただけなのだ。そんな三日月の気持ちが嬉しくないと言えば嘘になるが、それは恋慕ではなく同情だ。それは混同すべきではない。
    「では主や、俺に教えてはくれまいか? 乱の書物を参考にしてはならんのだろう? 恋愛とは何なのだ」
    「また難しいこと聞きますね……。そうですね、恋愛は」
     やはりするものではない、落ちるものだ。気がついたら、好きになっているものだ。この人を好きになろうと思ってするものではない。愛そうと思って、愛せるものではない。
    「主もしたことがあるのか?」
    「ぅえっ? そ、そりゃあ……数は少ないですし、あれは恋っていうより恋に恋していたって言ったほうが正しいんですけど……。でもやっぱり恋は意識的にするものじゃないですよ」
     甘酸っぱくて、胸が苦しくなったり、訳もなく悲しくなったりするあの感情は、意図的には生み出すことは出来ない。かけがえのなく、誰かを大切にしたいと願うあの一途な気持ち。ただ、憧れとしてありはしたのだ。いつかそんなきらきらとして暖かな気持ちを誰かに抱いて、相手からも好きになってもらえることができたならと。そうして誰かと一緒になって、家族を作ることができたなら、それはまた幸せなことだなと思ったりして。
     だが彼女が今ここで、歴史修正主義者と戦うことで誰かのそういう人生を守っているのだと考えれば……まあ満足は出来る。そうして死んでいくのであれば、自分の命もまた無駄ではなかったのだと納得できるだろう。
    「ですから、大丈夫です。このままでも十分幸せですよ。皆さん慕ってくれますし、優しいですし。十分すぎるくらいです。……さ、続きをやってしまいましょう。早くしないと今日中に終わりません」
     ごちそうさまでしたと手を合わせ、彼女は資材の山へ戻って行った。三日月はしばらく膝の上の握り飯を見つめた後、目を閉じる。それから残りを食べきって、自分も作業に戻った。


     木炭、玉鋼、砥石。時間はかかったが数え終わった。残る問題は二人が立ち尽くす冷却材である。冷却材は、固体ではない。倉庫で保管する際も、プールのような大きな槽の中に一緒くたにして投げ込んでいるのだ。これを数えろとは……と審神者は立ち尽くした。手入れで使用する際は、軽量するための桶に入れて数えている。つまりあの桶に一杯ずつ入れて計測しろと? 審神者は目の前がくらくらとした。キリがなさすぎる。三日月が手元にある桶と巨大な貯水槽を見比べる。彼もまたややげんなりとしているようだ。
    「主や、どうする」
    「いやまあ……数えるしかないんでしょうね、これは……」
     はあ、と一息ついて彼女は桶を手に取り、貯水槽に向かおうとした。すると慌てて三日月がそれを止める。
    「待つのだ主、玉鋼や砥石とは話が違う。冷却材は重かろう、俺が数えるゆえ、そなたは夕餉に向かえ。もういい時間だぞ」
    「何言ってるんですが、さっきも言ったでしょう? そもそも今日三日月さんのほうがお休みだったんですから、三日月さんが夕食に行ってください」
    「いやしかし……ならん。やはりならん。女子にかようなことはさせられん。ならば俺が汲んでくるゆえ、ここでそなたは数えてくれんか」
    「それじゃあ三日月さんが一方的に疲れるじゃないですか」
     三日月がさっさと貯水槽に向かおうとすれば、今度は審神者がその腕を掴んで引き留める。残念ながら、桶は一つしか見当たらないのだ。既に単純作業で疲れている二人は、交代で水を汲むという考えは思い浮かばなかったらしい。貯水槽の端、二人してぎりぎりと木の桶を引っ張り合いながら、醜い言い争いが始まった。
    「主や、年長者の言うことは聞くものだぞ。ここはじじいに任せて夕餉を食べに行け」
    「いいえ、私はおじい様は労わるものだと教わりましたっ! 三日月さんのほうが夕食に行ってください、そもそも今日お休みだったでしょう」
    「はっはっは、女子の細腕と俺の腕を同じにしないでもらいたいなあ。じじいと言えどまだまだ余力があるぞ?」
     草履とスニーカーが、蔵の床をざりざりと擦る音が響く。二人とも木炭やら玉鋼やらで頬も衣服も汚れきっていた。
     燭台切や石切丸や、そのあたりの喧嘩を諌めたりするのが得意な刀剣が迎えに来て来ればいいものの、二人が昼前から蔵にこもっているものだから皆遠慮してそこには近づかなかったのだ。皆忙しく仕事をしているのだろうなと予想もしたし、三日月が彼女と恋愛をすると決めた以上、他はその応援に回るだけである。二人でいる時間が長い方が、その『恋愛』はスムーズに進むと思ったのだ。
     だが蓋を開けてみれば蔵で二人が繰り広げているのは恋愛どころか、仕事の奪い合いである。これには少女漫画を束で貸した乱藤四郎も呆れ果てる事だろう。
    「三日月さんって意外に頑固ですね、知りませんでした。長生きだからですか。」
    「はっはっは、奇遇だなあ。俺も主に同じことを思っていた。まあまだ子どもだからなあ、仕方あるまいな」
    「変に子ども扱いしないでくださいよっ!」
     ぐいっと彼女が桶を引っ張った瞬間、ずるりと草履が滑った三日月がバランスを崩した。おや、と三日月が表情を変える。彼女もハッとして桶を放り出した。
    「三日月さ――――っ」
     ばしゃんと派手な音と水しぶきを上げ、二人は頭から貯水槽に突っ込んだ。そこまで深い場所ではない、中庭の池の方が足がつかないくらいだ。
     けれどぼんやりと、水中から上を見上げた。蔵にある天窓から差し込んだ月光が、審神者の双眸を射抜く。眩しい。ゆらゆらと体は揺蕩い、僅かな光の他は暗く、ごぽりと肺から空気が漏れ出る。ゆっくりと瞬きをした。するとぎゅうと腕を掴まれる。そちらに視線をやれば、きらりと輝く月が彼女をじっと見つめていた。
     彼女はざばりと水面を突き破り、三日月と審神者は顔を出す。二人とも呆気にとられた表情で顔を見合わせた。
    「あ、ははははっ! な、何ですかねこれ! あははっ!」
     炭や何やらで汚れ、かつ水に濡れてどろどろになった三日月の顔が、審神者はどこか愉快だったのだ。だって審神者の知っている三日月は、天下五剣で強くて、誰より美しくて。いつも穏やかに微笑んで、縁側で団子なんか食べている姿だった。それが今日はどうしたことか、頑固に自分と桶を奪い合ったり、汚れたりして。急に親しみのある表情を見せた姿が、面白くてたまらない。
     彼女は声を上げて、貯水槽で笑っていた。頬に張り付いた髪をかきあげ、ふふと口の中に笑いを含みながら、彼女は三日月を見上げる。三日月は目をぱちくりとさせてその様を見つめていた。ぽたぽたと、髪や頭に巻いたバンダナから水滴が零れ落ちていく。
    「ふ、ふふ、上がりましょうか三日月さん。あーあ、何やってるんでしょうね」
    「……そなた、そんな顔もできるのだな」
    「ええ? ほらほら、風邪ひきますよ。冷却材って人体に有害とかじゃないといいんですけど、ふふふ。もうこれは明日数え方聞いてからにしましょ」
     貯水槽の縁に手をかけ、ざばりと彼女は体を持ち上げた。否、持ち上げようとした。その体は再び冷却材の中にどぼんと落ちる。彼女の体は、後ろから三日月に羽交い絞めにされていた。
    「え? 三日月さん?」
    「はっはっは、よし決めたぞ」
    「この流れで何を決めたんですか? 冷却材汲んで数えるのは嫌ですよ」
    「いいや、違う」
     彼女の体を抱えあげ、三日月は弾みをつけて貯水槽から上がった。水面が波打って、蔵の窓から僅かに差し込んだ月光を反射し始める。木の天井に、三日月の美しい顔に、きらきらとした影が映し出された。
    「俺はそなたと恋がしたい」
    「え……? いやだから、言ったじゃないですか。恋はするものじゃ」
    「わかっている、落ちるものなのだろう? だが俺は、そなたと恋がしたい。審神者である姿ももっと見ていたい。だがそれ以上に、そうして笑い、怒り、泣く姿を誰より傍で見ていたい」
     執務室で背筋を伸ばしているところなら、三日月は顕現してからずっと見続けてきた。その頼りなさすぎる細い首筋なら、何かをずっと背負っている背中なら、見飽きてしまったと言ってもいい。だがその裏に、こんな豊かな顔があるとは思っていなかった。そしてその表情を見て、自分がこんなに嬉しくなるとも、想像していなかった。
     胸が高鳴って、幸せで。きらきらとしたこの感情はきっと、水に月光が反射しているせいだけではない。
    「なあ主や、これは決して戯れではないぞ。その姿を余すことなく、俺に見せておくれ。あと僅かな時間、俺を一等傍に置いてほしい。だから俺と恋をしてはくれんか、主や」
     美しい顔を、鼻がぶつかってしまいそうな程に傍に寄せて、三日月は囁く。ことん、と審神者の胸が一度大きく跳ねた。とくとく、とくとくとうるさく脈打つその心臓の甘い痛みを、彼女は知っている。これがもっと大きくなれば、なんという感情になるか。彼女はよく知っていた。
    「なあ、だめか? 主や」
     濡れた手を審神者は顔に当てた。今日分かったが、三日月は頑固な質のようだ。はあーと一つ、大きなため息を吐いて彼女は囁いた。
    「もう好きにしてください……」
    それを聞いて、三日月は顔を綻ばせて彼女を抱え直した。ぽたぽたっとまた蔵に冷却材が滴る。
     取り返しのつかないことを、今自分は言ったのだろうなあと審神者はぼんやり考えた。あと一年で死ぬというのに。神様と恋をするだなんて。だが当の神様は、蔵を出て上機嫌に夜空を見上げている。夏が近づいてきているとはいえ、まだまだやや肌寒い季節だ。審神者が風邪を引かないようにしっかりと抱きしめ、三日月は嬉しそうに呟いた。
    「やあ、今日は月が綺麗だなあ」
     そうですねと投げやりになりながら返事をし、二人は本丸へと戻って行った。
     残された季節は後三つ。
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