中編話せなくなった団長の話し(中編)
「にゃーん…」
微笑むアレックスの周りには猫が集まっていた。
そんな光景を見てサイラスは流石アレックスだなと思った。
此処は湯元の国廻天。
先日の賊により負傷したアレックスに療養の許可が下りたのもあり訪れていた。
サイラスは偶然にも以前訪れていた事もあり温泉の効果を身をもって体験していた。
それもあり頑なにシュヴァリエを離れる事を拒んだアレックスに療養を強く勧めたのもサイラス自身だった。
アレックスとしては話せなくとも身体は動かせるし任務を遂行する事に支障は無いと思っていた。
だがやはりコミニュケーションを満足に取れないと言うのは不便だ。
それにこのままアレックスが話せないままなのはサイラスは嫌だったしあの時の光景が嫌でも頭の中に過ぎる。
自分がもっと周りを警戒していたらこんな事にはならなかった、と。
シュヴァリエの月騎士の称号を持つ者として。
自分は人々を守らなければならないのに。
それはアルストリアの民は勿論団員も例外では無い。
当たり前の事とは言え今回の件で思い知った。
英雄アレックスと言えど生身の人間。
不死身ではないのだ。
自分にはとても厳しく他人には優しいアレックスだからこそ今回の件の様な悲劇は起こった。
しかもあろう事か自分の所為で皆に心配や迷惑を掛けたと思っている。
(謝らなければいけないのは俺の方なのに…)
今回どうしてもサイラスはアレックスに同行したかった。
あの件があって以来アレックスの側を離れたくなかったのもありサイラスは此処へアレックスが療養に訪れる事が決まった後、偶然街で起こった強盗事件の犯人を捕らえる際に負傷した。
それによりサイラスにも入国の許可が下りたのだった。
心配するエミリオには考え事をしていて少し油断していた、すまなかったと答えていた。
「団長、そろそろ行きましょうか」
猫を撫でるアレックスにサイラスはそう言った。
その言葉を聞いてアレックスは立ち上がると頷いた。
それを確認するとサイラスは
「ご存じかもしれませんが此処は100以上の沢山の温泉があるそうですよ。もしかしたら喉に効く湯などがあるかもしれません」
そう話すサイラスだったがその間にもサイラスとアレックスの間を沢山の人が横切って歩いていく。
なんだか以前此処へ訪れた時よりも人が多く感じた。
「何処かで戦争でも起きたのだろうか…?」
そんな事を思いながらも療養中の自分達には知る由も無い。
あまりにも通りには人が溢れかえっていて。
今のアレックスともし此処で逸れでもしたら恐らく探す事はとても困難に思えた。
それにやはりサイラスの頭の中にはあの時のトラウマが鮮明に焼き付いていた。
「すいません…失礼します、団長」
サイラスはそう言うとアレックスの手を取り握った。
突然の出来事にアレックスは少し驚いたものの直ぐにサイラスの意図に気付いてその手を握り返した。
「………?」
突っ立ったまま歩き出す様子も無いサイラスに気付きアレックスは不思議に思いサイラスの顔を見上げる。
「……自分は今とても不敬な事をしている様な気がする。ですがこれは…ッ?!!」
珍しく焦った様子で話すサイラス。
そんなサイラスの口元へ人差し指を作ってアレックスは押し付ける。
それによりやはりサイラスは黙り込んでしまった。
それを見るとその指を今度は目の前に広がる通りへ差した。
「はい、そうですね…行きましょう」
そう答えるとようやく歩き出すサイラス。
そんなサイラスを見てアレックスは可笑しそうに笑った。
アレックスの歩幅に合わせてゆっくりと歩くサイラス。
後をついて来る猫達にアレックスは微笑む。
そんなアレックスに気付きサイラスも自然と笑みが溢れた。
宿に辿り着くと早速事前に調べておいた情報を頼りにサイラスはアレックスに提案して温泉へと連れて行く。
それに素直に従いアレックスはサイラスの後へ続く。
もう人混みでは無いから手を繋ぐ必要は無いのだがそれでもサイラスの手を握るアレックスを見てサイラスはなんとも言えない気持ちになる。
ただでさへ今アレックスは話せない状態。
こんな事を感じてしまうのはやはり不敬以外の何物でも無いのだが素直に可愛らしいと思った。
(遊びに来ている訳では無い…けれど)
こうしてアレックスと過ごせる事を嬉しく思ってしまう。
「着きました。此処は以前俺が入った中で一番傷の治りが早いと感じた温泉です。もしかしたら団長の喉の傷にも効き目があるかもしれない」
サイラスの言葉に頷くアレックス。
癒しの為に訪れる人が多い筈なのに何故か人の姿は二人以外居なかった。
「団長、失礼します」
サイラスはそう言いながらアレックスの首に巻いてある包帯に触れると解いていく。
すると傷は塞がったとは言え生々しい痕がそこにはあった。
それを見てサイラスは表情を歪ませた。
きっとこの傷が消えない限り自分はあの時の事を思い出すのだろう。
「………」
何も言わず拳を握りしめるサイラス。
そんなサイラスの手を掴み広げるとアレックスは掌へ文字を書いていく。
"君が気に病む必要は無いよ"
と。
自分の気持ちを見透かすアレックスにサイラスは謝罪したい気持ちをグッと堪えた。
此処で謝罪をしたらアレックスを困らせてしまうだけだと思ったから。
「では…その、入りましょうか」
そう言うサイラスは何処か落ち着かない様子でいた。
そんなサイラスを見てアレックスは照れているのだろうか?と思い笑った。
「団長、ちゃんと首まで浸かって下さい」
アレックスは広がる美しい景色に珍しく夢中の様子で言う事を聞いてくれない。
仕方がない無いと思いサイラスは手で湯を掬うとそれを背後からアレックスの首元へ掛ける。
ビクッと一瞬アレックスの身体が震えた。
「あ…すいません!傷口にしみましたか?」
サイラスへ振り返るアレックスの白い頬は少し紅潮していた。
フルフルと首を振るアレックス。
そしてサイラスの方へ身体を向け手を掴むと掌へ文字を書く。
"少し驚いただけ。平気だよ"
と。
その言葉にサイラスは安心する。
「そろそろ上がりましょうか。お背中流します」
そう言うとサイラスは立ち上がりアレックスへ手を差し伸べる。
そんなサイラスを見上げるとアレックスは嬉しそうにその手を取った。
その後も湯に浸かったがのぼせてしまう事も考え早めに上がる事になった。
「心なしか少し傷跡が薄くなった様に思えます」
宿へ戻り傷痕を確認するサイラス。
部屋に置いてあった姿見の前へアレックスを連れて行く。
自分の傷痕を確認するとアレックスはそれに触れた。
傷口の痕を消すのも勿論そうではあるものの今回の目的は声を取り戻す事が目的であり声帯が元に戻らなければ意味は無い。
サイラスはアレックスの手を掴むと座布団の上へと座らせて自分も目の前へと腰を下ろした。
「団長、何か話してみてくれませんか?」
そう言った。
その言葉にアレックスは口を開いた。
するとヒューヒューと風が通る様なものが漏れたもののそれは言葉にはならなかった。
「流石に直ぐには無理ですよね。焦らなくても大丈夫ですよ。廻天は傷が癒えるまでずっと居られる国です。明日もまた温泉に浸かって傷を癒しましょう」
そうアレックスへ励ましの言葉を送った。
その言葉にアレックスはコクリと頷いた。
その表情は思いの外暗くはない。
声を失う事は確かに多少不便は感じるかもしれない。
けれど腕が無くなった訳でもなければ目が見えなくなった訳でもない。
むしろ声でよかったとさへ思う。
耳が聞こえなくなる方がよほど辛い。
(サイラスや人々の声がもし聞こえなくなったら…)
それを考えアレックスは目を閉じる。
やはりそれはとても辛い事だなと思った。
目を開けてふとサイラスの顔を見た。
自分を見るサイラスは励まそうと、不安にさせまいと無理に笑っている様な、そんな表情を浮かべていた。
(君が気に病む事など、本当に無いのに…)
(むしろあんな無様な場面を見せてしまいトラウマにさせてしまって)
(結果今、こんな表情をさせてしまって謝らなければならないのは私の方だよ。悪かったね)
一生懸命口を動かしてそう言う。
やはりそれは言葉にはならなかった。
けれど辛そうな表情を浮かべるアレックスを見てなんとなく何を言いたいのかサイラスには伝わった。
「団長…」
込み上げて来る想いに我慢など出来ずサイラスは思わずアレックスを抱きしめた。
突然の事に驚くアレックス。
そんなアレックスの肩口に顔を埋めサイラスは言った。
「俺は怖かったんです…あの時貴方を失う事が…」
斬られて地面へぐったりと倒れ込んだアレックス。
その身体の回りにはアレックスの首から止まる事なく溢れ出る鮮血でみるみるうちに血溜まりが出来ていた。
処置が遅れていたら手遅れになっていたかもしれない。
あの時の事を思い出すと今でもサイラスの身体は震えてしまう。
現に今もそうだった。
「それで自分の気持ちに漸く気付いたんです。俺は貴方の事が好きです…貴方を失いたく無い。あんな気持ちはもう二度と味わいたくは無い」
サイラスの言葉を聞いてアレックスは目を細めた。
(怖い思いをさせてしまったみたいで本当に悪かった)
そう心の中で呟くと安心させる様に震える手を握りまるで小さな子供をあやす様に頭に触れ撫でた。
「ッ…団長、俺は子供じゃ…」
突然のアレックスの行動に焦るとサイラスはアレックスを見る。
アレックスは楽しそうに笑っていた。
そんなアレックスを見てサイラスは思わずドキッとした。
「団長…」
そう呼ぶとそのまま顔を近付ける。
そして二人の唇はそっと重なった。
突然の出来事に珍しく目を見開くアレックスだったが唇が離れた後。
頬を真っ赤に染めながら
「突然すいません…」
そう謝るサイラスを見て嬉しそうに微笑んだ。
終わり