少年と少女(全五編)
①答えのない好意
「僕、答の見つからないことって基本的に嫌いなんですよ」
パソコンのほうを向いたままで光子郎は呟いた。後ろのベッドを我が物顔で占領しながら雑誌を広げていたミミは突然の告白に顔を上げる。
「なによ、それ」
「つまりですね」
こちらを向いた彼はいつもどうりの感情に乏しい表情でミミを見つめた。光子郎はよくなにも言わずに黙って人を見る癖がある。黙って一点を見るのは言葉を探している。考え事は唇をなぞる。
「なんなんですか。このわけのわからない感情というのは」
「全然つまりになってないわ。もうちょっと言葉を足して」
「今考えてるんですよ」
ミミは黙ってみた。彼女が黙るのは珍しい。だけどそうすると光子郎があとに引けなくなるのを長い付き合いでやっと学習したことだ。
光子郎はミミの沈黙に弱い。
「だから」
「だから?」
「なんで貴女が好きなのか、わからないということが理解できません。
悪い意味ではなくて。理解する、根拠が、わからない。
だって、どうしようもない」
ミミはこのつり積もった一方的な好意が平行に並んだ映像まで浮かべてしまう。ロマンチックの欠片もない男の言葉にしてはロマンチックな女の胸をいっぱいにする効果はあった。
わ、と思いのままに飛び付くともはや慣れきってしまった光子郎はミミの髪を触る。くるくると弄くりながら、ため息。
「なにもかも、ミミさんのせいですよ」
「バカね。光子郎くんのせいなのよ」
*
②とりとめのない
人の話を聞くこと自体は嫌いでないほうだし、忍耐強さもそれなりに自信があるほうだ。と自分では思っている。が、彼女に言わせるとそうではないらしい。
「光子郎くんは人の話は聞かないし、怒りっぽいし、気が短いわよ」
「いいとこなしですね」
「人事みたいにいうわね。貴方のことを言っているのよ」
「はあ」
どういう反応を返してほしいのかわからずに、僕は首をひねる。その反応すら彼女の気には召さなかったようだ。
「じゃあ、どうしてほしいんですか」
嘆息とともにそういってみれば、返ってきたのは仏頂面とそれに不釣合いな中身。
「もっと私を見てよ」
早速僕は聞き流すことにした。そういうところが、きっと話を聞かなくて、怒りっぽくて、気が短いんだろう。
*
③自分でやっておいてなんですが
「ミミさんって、もしかして、僕にぞっこんっていうヤツですか?」
そんなことをはっきりと口にする光子郎にミミは言葉をなくす。
否定が出来ないところが痛いのは既に自分では認識済みだが、本人の口から言われると意味が違うだろ!と殴ってやりたくなった。中三で再び同じ学校になってからというもの、ミミは光子郎に付きまとい、まずは既成事実から作ってしまえばいいということで周囲の堀を埋める作業から取り掛かった。この場合光子郎という人物の内面を埋めるのが非常に困難を極めることがはじめからわかっていたからである。
中三のバレンタインに無理やりに押し付けたバレンタインのときに、光子郎が恋愛感情を誰にも持っていないことを確認したが、ミミに対してだけは注文をつけたのをもちろん彼女は見逃さない。ただし、その言葉は「僕のは市販のものにしてください」だったが。
そして高校は別のところに進んだにも関わらずこうして二人は一緒に出歩くことが多い。光子郎はミミの思うようにカスタマイズされてきている。
手を繋ぐことに慣れた。
道路の外側を歩くようになった。
買い物した荷物を持つようになった。
中三で並んだ身長は、高校で追い抜かされた。それを受けて光子郎はミミに向かってこういって笑ったのをミミは今でも鮮明に思い出せる。
「これで、もう、不釣合いとは言わせませんよ」
「光子郎くんって、時々ありえないようなこと、平気でいうわよね」
「たまに言われます」
「少しは反省して。私は待っているのよ」
「何を、ですか」
ここは、桜木町の観覧車の中。デジモンたちの背中に乗ったり移動したりとしていたせいで高いところは二人とも慣れっこで、外を見てキャーキャーいうでもなく、しんみりしていたところに光子郎の問いが発せられ、ミミは疲れを取るための休憩というよりかは、またいつもの光子郎との禅問答のはじまりと捉え、疲れを溜めるのだろうと思っていた。
「光子郎くんが、私の愛に気づくのを!!」
ミミが急激に顔を近づけてきたので光子郎は慌てて後ろにのけぞるが、背中はガラスの窓である。「あ」と思うと、ミミの綺麗になった顔がクローズアップされた。
「愛…ですか」
はあ、と実感のないままに光子郎がいうと、ミミは大げさにため息をつく。
「たまには私に愛を返して。いえ、私が好きでやってることだから、いいんだけどー」
ゴチン、と光子郎の額がミミの額にぶつけられる。文句を言おうとしたところで、触れるだけのキスに気づいてすぐに離れていく光子郎に気づかない。
「少しは返却できましたか?」
「愛の伴わない行為は失礼なのよ」
「それじゃあ身売りみたいじゃないですか」
そこで光子郎が真横を向いて笑ったので照れているのだ、と気がついて、ミミは今までの行為が無駄じゃなかったのを確信して、光子郎に飛びついた。
「でも、やっぱり、風俗とかの愛のばら売りには賛成しかねますね」
「だから! なんでそこで全然違う方向に話を持ってくのよおお!!」
ミミは、自分を余裕で受け止めながらいまだ愛と行為の関係について考えている光子郎の首筋に噛み付いた。
*
④素敵なレディ
新しい春が来て、自分ひとり進学した。緑色の見慣れた制服に身を包んだ。入学式のガチンコチンに緊張しながら新入生席へ向かう途中で、偉大なるかつて「選ばれた」先輩たち、太一、ヤマト、空、そして去年最も会っていただろう光子郎に手を振られ、声をかけられ、京はやっと「中学」というステージを認識できた。
これから、たった一年だったり、二年だったりするけど、彼らと一緒に過ごすのかと思うと、去年の幼い自分たちの大冒険から離れて淋しかったことも少しは忘れられそうだ。
私たちはあの冒険で成長し、一歩大人になる。そうやって彼らも大人になっている途中で、自分たちも同じ道を歩んだだけ。笑ってばかりでなくて、ツラかったり、泣いたり、怒ったり、わめいたり叩いたり、ああ、今でもまた涙が出そう。私ひとり、あのときの仲間たちはいない。ここには。そう、ここには。
大丈夫。私にはいつだって、仲間がいる。ひとりでここにいられる。そしてひとりじゃない。
また、大人の階段を昇るんだ。ねえ、ホークモン。見ていてね。きっと素敵なレディになるんだから。
*
⑤笑い上戸
二人きりで出かけられるようになってしばらく経つ。僕はまともに彼女の顔を見れない。彼女はいつもニコニコしていて僕を見て笑う。僕はそれが恥ずかしくて余計にうつむいてしまう。
「ちょっと、賢くん。少しは前むいてよ」
「ごめん」
すぐに謝る僕を見て、また京は笑う。それもいつものこと。
笑っている彼女が大好きで、本当は真正面から見たい。一緒に笑いたいけど、僕はそれこそ浮かれてしまうんだ。
今日の彼女の髪には僕が上げた髪留めがついている。京が欲しがっていて、僕は初めてあげたものだった。すごく嬉しくて、結局顔を上げて、手を伸ばした。身長はとっくに僕が抜かしていた。
「京。それ、かわいい」
そういうと、今度は京が真っ赤になった。僕まで、またつられて赤くなった。上に上げていた手を京がとる。
今度は正面から彼女を見て、そして僕たちは笑った。
僕の彼女は、すごく笑い上戸です。僕のパートナーに言わせると、移ってきているんだとか。