ここから そのソハヤノツルキは、待ちかねて迎えられた一振りだった。
連隊戦の確定報酬として政府からの支給だったのだ。この本丸には、まだソハヤノツルキも大典太光世もいなかったから。
レアドロップの大典太光世とは違い、確実に確定報酬としてやってくるため、まず第一目標として設定されていたらしい。
顔なじみである物吉に本丸の中を案内され、ずっと近くでそわそわしている気配にこちらも思わず苦笑した。
「前田くん、お話ししたいならどうぞ」
そう物吉が声をかけると、赤面した前田藤四郎がおずおずと現れた。
「あの、申し訳ありません……ソハヤさん」
「おう、これからよろしくな。で、一体なにがだい?」
「どうか、僕と一緒に、連隊戦に参加してください!」
縁のある者がいれば、より一層ドロップする確率が高くなるかもしれない。
そんな縋るような希望の一欠けらとしてソハヤも連隊戦に駆りだされた。ここではドロップ運がなかったのである。
前田や愛染たち、前田家に由縁のある者たちとソハヤの頑張りも虚しく、大典太は結局ドロップしなかった。
霊刀として名高いという自覚はあった。
徳川の守り刀として大事にされた結果が、置物として保管されることで、刀の本分を思い出すまでに時間がかかったのは否めない。
それなりに霊力には自信はあったのだが、兄弟が来てくれなかったことはそれなりにソハヤの心の比重を占めた。兄弟は鍛刀でも顕現出来ない。再び、彼らが出会うチャンスは季節が変わって再び巡ってきた連隊戦だった。
物吉や前田たちと今度こそは、と意気込んだ甲斐あって、念願の大典太光世を本丸に連れてくることが出来た。
ようやく、肩の荷が下りた気がした。
必要とされていたのは、写しの霊刀ではなく、天下五剣である「兄弟」の「大典太光世」だったのだと。
*
大典太光世は、いつも後悔していた。
ここはいい本丸だ。穏やかな空気が流れていて、適度に大典太を放っておいて、必要な時には兄弟や前田が呼びに来てくれる。戦の時もあれば、主からの用立てだったり、男士たち同士の自治会だったり、皆で新嘗祭のようなことをしたり焼き芋をしたり、水遊びをしている時だったりした。あまりわさわさしているところは得意ではない。それは兄弟もそうらしいが、見目ともに明るく人当たりのいいソハヤはそんなこを感じさせず、いつも朗らかに大典太に声をかける。あのカラリとした声で「兄弟」と。
アイツは、俺なんかに「兄弟だから」と縛られているのではないだろうか。それがずっと大典太の胸の内を占めるようになってから随分と経つ。
ここはいいところだ。アイツが明るく過ごすことが出来ている。お互い狭いところに閉じ込められていた期間が長い。自分はいまだに暗いところのほうが落ち着くほどだ。大典太よりも先に来ていたため、ソハヤは当たり前だが、ここに馴染んでおり、誰とも屈託なく笑顔を交わす。大典太とは大違いだ。
お互い高い霊力を持ち、その力のために閉じ込められてきた。あとは、揃いのような衣服を着ているくらいしか共通点がない。
恨んではいないが、だからといって突然大勢の中に放り込まれても困る。
なのに、ソハヤはここに馴染んで自分の世話を焼く。
きっとアイツだって苦労をしたはずなのに。いや、それがそもそも違うのだろう。人見知りの激しい大典太よりは、誰とでもというわけではないがそれなりに相手に合わせて振る舞うことが出来るソハヤなら、先に来ていて馴染むまでも早かっただろう。同じように長い時を閉じ込められ過ごしていてもなお、ちゃんと周囲の求めに応じて振舞いを変えることが出来る。
すぐに蔵に籠ってしまう自分とは違う。
霊力をちゃんと扱うことのできるソハヤは、求められてここにいる。多くの仲間に必要とされているのがよくわかる。
「兄弟」だからと、アイツをここに縛りつけているのではないか。
それがずっと気にかかっている。
「はあ……、そんなことは、ないとは思いますが……」
ソハヤが内番でいないところに、前田が様子を見に来てくれた。お部屋の様子が暗かったので、と言いながらだったので、無意識に部屋の温感を変えてしまったのかもしれない。ずっと一人で悩んでも仕方がない。思わず前田に思いのたけをぶちまけてしまった。それをずっと穏やかに聞いていてくれたが、さすがに返事はしにくそうだ。やはり、ソハヤの様子はそれほどにひどいものがあったのだろうか。
「しかし、アイツは俺がここに来てから俺の面倒ばかりを見ている。中身が子どもならいざ知らず、見目もこんな大男だぞ。アイツがわざわざ気に掛けるようなことが、なにか他にあるのだろうか……」
「そりゃあ、ご兄弟なのですからお気になさるのも当然ですよ」
「だが……、アイツは、それなりに仲のいい者もいるんだろう? 誰かの誘いも断って、いつも俺と一緒に朝から晩までなにが楽しいんだ。俺はそんなにふがいないのだろうか……兄弟を自由にしてやることすら出来ないのか……」
「考えすぎですよ、大典太さん。ほら、お茶をお入れしますね。少々お待ちください」
そういって茶道具を取りにいった前田の軽い足音だけが、パタパタと時が流れるのを実感された。
ずっと凝り固まった視界と考えは、一体どうすればほぐれるのだろうか。そうして前田を待っている間、結局ほとんど身動きせずに考え込んでいたところに、前田よりももっと軽い足音が騒がしく駆けてくる。
「ソハヤ~! あれ? いないのか?」
「包丁」
「よっ、大典太~」
「こら、包丁! 態度を弁えなさい!」
「げ! 前田!」
「まったく、何用ですか?」
ちょうど茶道具を取ってきた前田と部屋の入口で並び立っていたが、彼の目当てはソハヤだったのが明らかだ。今の居場所を教えてやる。
「ソハヤは今日は馬当番だぞ」
「お、サンキュー! 行ってくる!」
「あ、ほ、包丁!」
前田の呼び声も虚しく、来た時と同じようにさっさと行ってしまった。
「全く、礼儀のなっていない!」
「あいつはいつも元気だな」
「はあ、まあ、それがいいところと言いますか……」
「それに誰に対しても同じ態度だ」
まるで、兄弟のようだ。
そう言葉にならない思いがあった。
「なら、それをそのままお伝えしましょうよ」
「は?」
思わず漏れていたのかと思って口元を覆うと、前田がクスクスと笑った。
「そういう時の仕草は、ソハヤさんと一緒なんですよね」
*
「はあ~~~」
「最近、ため息ばかりですねぇ。幸せが逃げちゃいますよ」
馬当番を一緒にしている物吉が、頬をぷっくりと膨らませてそう俺を睨んでくる。睨んでいるとは言えないような表情だが、それを言うと不機嫌になるだろうからなにも言わないでおいた。
「写しの俺の幸福くらい、別に構わねえよ」
「そんな山姥切さんみたいなこと言って」
一緒に馬の背をブラシでかきながら、物吉の口調はその先を促していた。
特に誰かに言おうとも思っていなかった、いや誰にも言うべきではないと思っていた言葉がついポロリと滑って落ちた。
「兄弟がさ、よそよそしいんだよな」
「は?」
そんな物吉の顔は見たことがない。あんぐりとまさに「呆れた」と顔中が表現している。
「あんなに本丸内でべったりしておいてですか?」
「べったりなんてしてねーよ! アイツ人見知りだろ? いや、図体でかいし、態度もよくねーから心配で……。
ほら、俺もアイツもずっと閉じ込められてたからあまりこういう人間みたいな真似事よくわかんねーんだよな……」
「人間みたいな真似事って……、あ、ここでの生活のことですか?」
「うん、いや、それだけじゃなくて」
「ああ、『兄弟』らしさっていうことですか」
「まあ、そんなん」
ソハヤの萎れた様子に、物吉は声をたてて笑った。
思わず先ほどの物吉のような表情を作る。さすがに頬を膨らませはしなかったが。
「笑うなよ」
「すみません……」
「ったく、こっちは本気で悩んでるんだぜ?
アイツはなにも言ってくれねーし、俺、ウザいのかな」
「あはははは! 何言ってるんですかーもー!」
「物吉!」
馬を撫でる手も止めて、自らの腹を抑えてまさに爆笑し始めた物吉を、おかしなものを見る眼で睨み返すが、自分の顔が赤くない自信がなかった。
「あ、いたいた、ソハヤー!」
「ん? どうした、包丁」
「どうしたじゃないよ。ほら、これ。ご希望の品だぞ」
まさに「エッヘン」という効果音と共に包丁の両手に収まる紙袋を見た。
「えー! 包丁くん、これ、わざわざ並んだんですか!」
「まあな。ソハヤがどうしてもっていうから、仕方なく!」
「くそ……相変わらず恩をめちゃくちゃ売ってくるな。まあ、実際助かったよ」
そういって袋の中身を検めた。
そこにはまだ温かいどら焼きが入っていた。
「ここ、美味しいって評判ですよね。開店時間が他と少しズレてて並ばないといけないから、僕も食べたことないです!」
「あ、ソハヤー! オレの分け前分はちゃんと取っておいたからな」
「これ、この後のおやつですか?」
横からわちゃわちゃと騒がれたにも関わらず、ソハヤは黙って袋の中身を見つめていた。
「ソハヤさん?」
「え、オレ間違えて買ってきた?」
「いや、合ってるぜ」
じっと袋を見ていた赤い瞳を上げる。ソハヤを見ていた物吉、包丁と視線を合わせてから、あまり見ないへにゃりとした笑いを浮かべた。
「馬当番終わったら、三人で食うか」
「「ソハヤ!」さん!」
三池のジャージに、細い腕が両脇から伸びてグッと押さえつけられた。
「違いますよね? これ、大典太さんと一緒に食べようと思って買ってきたんでしょう!?」
「オレは! オレの分は! もらうけど! そのために買ってきたんじゃあねーぞ!」
「ははは、いや、まあ、そうなんだけど」
「こんな変な事に怖気づかなくたっていいじゃないですか! 敵には切っ先を恐れろとか言っておいて!」
「今言うことじゃねーだろ! 恥ずかしくなるだろうが!」
「大典太にあげないのかよ~。さっき三池の部屋に前田と一緒にいたぞ」
「そっか」
やっぱり、一人ではどこかに行ったりはしていない。
自分が引っ張りまわしているのは兄弟にとっていいことなのだろうか。お節介と思われているのではないか。
実際には長く一緒にいた前田たち、前田家の刀たちと一緒のほうが落ち着くのではないだろうか。
「俺、アイツの好きなもの、よく知らねーんだよな」
ポツリと言うと、物吉と包丁が顔を見合わせていた。二人ともキョトンとしている。
「なんだ」「そんなこと」
なんだとはなんだ、と声をあげそうになったが、こっちを見返してきた二人の目は真っ直ぐだった。
「僕、亀甲さんの趣味は理解しませんけど、一緒に映画を観たりお茶をするのは好きですよ。主様のこと以外だと実はそれなりに見識もあって色々教えてくれるんです。実際話してみるまでそんなこと知りませんでした。
太鼓鐘なんて、伊達ゆかりのみなさんの前ではカッコつけてますけど、割と僕の前では照れくさそうに笑うのがかわいいんですよね」
「後藤ってさ、いっつもオレがダダこねるとおやつ半分くれるんだ。どんなに美味しいのでもだぞ? 燭台切が作ったずんだ餅も、小豆が作ったチーズケーキも!
あんまり悪くて、返すって言ったらこないだ喧嘩になっちゃったんだけど、聞いて呆れるよ。
オレが喜ぶのが嬉しいから後藤は気にしないんだって。自分が食べる分が半分になっても、オレが美味そうに食べるんなら、まあいいやって思うんだって。
薬研だって、あんまり甘いもの食べないくせに、でもオレが一緒におやつ食べようっていうと、断ったこと一度もないんだ。
なにかしてても、主の用じゃない限り『今、包丁甘やかしてる最中だ』って言って一緒におやつ食べてくれるんだ」
「理由がなくても、兄弟だろ」
「兄弟じゃなくたって、僕たち、同じ本丸の仲間じゃないですか」
どら焼きの甘い匂いが、開けた袋から漏れ出て、馬小屋の匂いと混ざる。
こんなところで開けなきゃよかったな、と今更思った。
アイツに食わせる前に、馬の匂いがついてしまう。
ただ、なんとなく、包丁から美味い美味いと話を聞いて、なら俺も食いてえな、と思ったその時に、一緒に思い浮かんでいたのは兄弟の顔だったから。
当たり前のように、一緒に食べさせてやりたいと、思っていた。その理由は、ただそれだけだ。
「ねえ、ソハヤさん。僕もご相伴していいですか?」
「あ、ああ、もちろん」
「じゃあ、オレも一緒に食う! オレの分は先に抜いて隠してあるから、先に行って準備してるな!」
「お、おう、よろしく頼む」
「ええ、じゃあ、大典太さんたちもご一緒に」
そういって物吉が振り向くと、走っていく包丁に湯呑を揃えておくよう伝えている前田と一緒に、肩身の狭そうな大典太がいた。
「あ、な、きょ、兄弟!」
大典太は、物も言わずに突っ立っていた。
正確には、物を言えずに、ただ、桜をその全身に舞わせて。
「盗み聞きのような形になってしまってすみません」
そういって、大典太の腕を懸命に引っ張ってソハヤの前に出そうとする前田と、口をパクパクさせて兄弟を指さしているソハヤを大典太の前に動かそうとする物吉が拮抗していた。
「俺は……」
ひとまず先に落ち着いたらしい大典太がポツリと言った。
「兄弟の負担になっていないかと、毎日危惧していた。
お前は俺なんかよりもよっぽど誰かの役に立つ。人当たりもいいし、出来ることも多い。なのに、俺に付きっ切りで、いつ嫌気がさしてしまうかと」
「は? そんなこと思ってたのかよ!?」
寝耳に水とはこのことだ。
そんな要素がどこにあったというのだろうか。俺はただ、この兄弟にも、ここに、この本丸を好きになってほしかった。自分と同じように、同じものを、好きになってほしかったのだと、今更気付いた。
「お前は、望まれてここに来た刀なんだぞ! そのために、どんなにみんなが必死になったことか!
お前は求められた天下五剣だ。俺なんかと違う。
その、俺の勝手で出歩きたくないお前を連れまわしたのは悪かったよ。俺ばかりがお前に色々押し付けて、やっぱり静かに過ごしたいんじゃないかって、思ったこともあるけど」
「兄弟は別だ」
「は」
「ここはいいところだ。
なにより、お前がいる」
そうか。
急にそんなこというんじゃねえ! と口にしようとして唇が震えたので、みぞおちに一発くれてやったが、びくともしなかった。
そういうところだぞ、兄弟。
ニコニコとした笑顔の物吉と前田に見守られ、急激に羞恥心が襲ってくる。どら焼きの袋をそっと閉じて、長く息を吐いた。幸せが逃げるようなものではなくて、これから迎え入れるための行動を取るために。
「じゃあ、馬当番を終わらせて、おやつにしましょう!」
「僕たちも手伝います」
「俺がいて、馬は怖がらないか?」
「大丈夫ですよー。あ、大典太さんは用具の片付けだけでお願いします」
「物吉……」