本心はぬくもりに隠して「今日はサボりの日でええんですか?」
今日の近侍は明石らしい。近侍本刃もゴロゴロしているので、正確には「サボってええんやろか」という確認である。
いつも主の傍を離れない前田は出陣に、切国は遠征である。今この主を引き留めるものはきっといなかっただろう。
ここは通称、古備前部屋。と言っても、まだ俺、鶯丸しかいない。
一振りで使用しているのはここ最近の話で、明石が来るまでは愛染(と、ほんの少しの間だけ蛍丸)が一緒にこの部屋にいたので、静かではなかった。好ましい刀なので、うるさいとも思わなかったが、来派三振り揃って部屋にいるところを見たら、こっちにいたときの三倍はうるさかったので、あれでも愛染は大人しくしていたらしい。愛染がいなくなり、一振りだけとなったが、なにかとこの部屋には誰かしらがやってきては去っていくので、さみしさも別段感じたことはないのだが、たまにこうして主までコタツを目当てにやってくるのであった。特に、近侍が明石の時は。
明石が来るのは意外と多い。どこから聞きつけたのか、本刃が言ったのか、愛染と過ごしていた時期がそこそこ長かったのもあり、今も愛染は親しく接しているからなのか、明石はここに来るときはさもコタツ目当てですという体を装うが、毎回なにかしら茶請けにちょうど良さそうな菓子を手持ちしてくるので、なんだかんだと義理堅いとすら感じる。
菓子を潤滑油代わりに持ち歩くのは、主の習慣が刀たちにも移ってしまったからであろう。
今日は明らかに仕事が終わっていない時間帯に珍しく二人できて何をするでもなく三人でゴロゴロしている。主は一応仕事用のタブレットを持ってきていたが。
「主」
「んー?」
「言いたいことがあるのなら、さっさと言ったらどうなんだ」
ダラダラしていた空気感が突如として入れ替わる。主がビクリと肩を揺らしたのを見て、明石が上半身を気だるげにのそりと少しだけ起こした。
「お、ケンカですか? 自分巻き込まんでくれます?」
「おい、明石。逃げ足だけ早いってのはどういうことだ。来派ずるくね?」
サッと明石のジャージを掴んだ主だが、明石はそれをそっけなく払いのける。が、さすがに悪いと思ったのか諦めたようにコタツの中にのそのそと戻っていった。顔は苦く口元をゆがませているが。
「別に喧嘩ではない。
主、用があるから来たのだろう? 言いたいことがあるのなら口にした方がいい。俺は他人の考えていることはわからないからな」
「うぐ……」
俺の名を呼んだのか、そのまま「ぐぐぐぐ……」と呻き声を上げながら、顔を突っ伏した。
「次の、予定が出まして……」
「ほう?」
「ああ、さっきのお知らせかいな」
「せやで。で、次がね……」
「連隊戦だろう? いくらなんでも俺だって師走になればさすがに学ぶさ」
「ごもっとも。で、あのな……」
「大包平か」
「まあ、はい、そうです……」
「ドロップなんやって。ま、今更確定報酬なわけがないわな」
明石はそういってズズ……と冷めているだろう茶を啜った。中身がもう無いようなので、淹れてやる。どーも、という返事は毎回きっちりかえってくる。今回も。
主はチラチラとこちらを見ている。まあ、去年の惨劇を思うと主のこの落ち込みようもわからんでもない。
ドロップ運が、全くないのだ。
俺自身は初期に来たおかげか、錬度上限に達してかなり経つ。連隊戦には引っ張り出されることはあるが、それ以外では極修行を終えた者たちを優先して戦場に向かうため、あまり出番がないのは仕方ない。気にしたこともなかった。
だが、ただ待つだけの身で、稀ドロップという条件が災いしている。昨年など、十数万魂を集めたものの、大包平は顕現しなかった。その時の主の様子は本当に不憫だった。かわいそうなほど動揺していたし、言葉をなくし、俺を見ては青ざめていた。通常の戦場でもドロップをしたことがない。催し物でも落ちない。鍛刀は出来ない。見事に全てが揃っていた。
そしてシール交換は入手手段がない刀にする、という決まり事を本丸内でしている。俺以外にも関係性のある刀を待っているものはまだいる。全振り揃っていないこの本丸では幾振りかが縁のある刀を待っている。当たり前の話だ。大包平だけを優遇するわけにいかないのだ。そんなことは、ちゃんとわかっている。
「主」
「は、はい……」
「まだ始まってもいないことを懸念するのは良くないな。待つのは慣れている。気長に行こう」
「うう……、鶯丸ぅぅ……。
でも、だって、俺鍛刀運もないし、確定報酬じゃないならゲットできる自信がないよぉぉ!
去年、十万以上溜めて落ちないってどういうこと!? あの皆の絶望顔、俺もう見たくないんだけど‼
平野なんて、鶯丸の気持ちになっちゃって、かわいそうなくらい落ち込んでたじゃん! 俺あんな平野、もう見たくないよぉ!」
「落ち込んでいたのは主も一緒だろう。
気にすることはない。来ない時は来ない。気付いたら勝手にいるだろう」
「んなわけねーだろ!」
うわああああん! と足をバタバタさせる。まあまあ、落ち着けと行って両足を抑えつけた。
「お、なかなか頑張るな」
「ぐぬぬぬ……」
「あの、鶯丸はん、そのへんにしといたって……。主はん、顔赤なっとんで」
「お、そうか」
手を放すと、バタンと主が足を落とした。
普段白い顔が確かに赤くなっている。ぜーぜーと荒い呼吸をしながら、口だけは動かせるようになったらしい。
「大体さ、政府がやれっつってんのに、どうしてそれでドロップって形なんだろうな。シールだって、一振りじゃなくて二振りくらいくれたっていいじゃん……。今回なんて秘宝の里からそのまま連隊戦なんてひどいよ……。せめて間に大阪城挟んでくれよもしくは虚無期間くれ……」
「あのお知らせ来てからそればっかやんなぁ。まあまあ、いつもみたいに甘いもんでも食って落ち着きなはれ」
「明石にまで慰められるしさぁ~」
「失礼なやっちゃな! 国俊みたいなこと言わんといてや!」
「それは自業自得だろう」
「アンタまでそないなこと言うん?」
ははははは、と乾いた笑い声を上げる明石を見上げて、主がふにゃりと笑った。
「嘘だよ。冗談、冗談」
「はいはい。ったく、仕方ない主はんやな」
ぐしゃぐしゃと愛染や蛍丸にするように、明石が主の頭を撫でた。
それを見て、少し胸がすく。
主は、あまり愚痴は言わない。愚痴っぽいことも言わなかった。色々な刀がいるところでは。
初期刀の切国とは仕事についての悪態をお互いに突き合っているのは見かけたが、結局アレはただ今目の前にあるものに文句を垂れている反射のようなものだ。
自身についての文句や、苦情、持て余した感情は、おそらく俺がずっと引き受けている。
顕現したのが早かったので、一年目のドタバタを見守っていたからか、刀種的に大きな刀として切国よりも、主よりも大きな刀としては初めて顕現した刀だった。そのせいなのか、俺にだけは茶をせがむついでに前田と切国の目を盗んで悲喜こもごもの話を聞いたものだ。いつも通り俺の返事がお気に召したようには思えなかったが、それでも本丸での生活が落ち着く前の、落ち着く場所として選ばれたのだとわかる程度には茶を淹れてやったし、コーヒーも飲まされたが次回からは容赦なく日本茶を淹れるようにした。
ただ、最後の言葉は決まっていた。茶を二杯も飲んで、干菓子などをポリポリと齧ったあと、「まあ、細かいことは気にするな」と言うと、ようやく大人の仮面が剥がれかけ、子どものような表情で小さな声が「うん」と言うのだ。
素直で、屈託なくて、少し自信がなくて、おとなしくて、我慢強い。
人間とは、こんなにも、愛おしいものだと、ずっとずっと思わせてくれている。この主のおかげで。
「きっと、大包平は主を気に入るだろう」
「は? どういうこと?」
「主はそのままでいてくれ」
「うわ~、急に親戚の叔父さんみたいなこと言い出した~やだ~鶯丸は謎かっこいいままでいてほしいよ~。
そうやって慰めてくれようとするけど、どうせ今年だって大包平来ないんだよ~期待させないでくれよ~鶯丸がかっこいいからだ〜〜!」
「なんなん、その理屈。そんなことあります?」
「あります~」
「明石」
「うっわ、急になんですか? 自分? 急になんですのん?」
「愛染がこの部屋にいた頃の話なんだが」
「おっ、なんや、ケンカなら買うで」
「買うな。本丸内は私闘禁止だぞ」
ボーっとしていた主が俺を見ていた。話を続けろということらしい。明石だけは眉をひそめてこちらを伺っている。
「今でもそうかは知らんが、冬でも夏でもこの部屋で昼すぎから夕方によく寝てしまっていてな。特に、冬だ。こうしてコタツが出ていると、温かいからかすぐに寝てしまう。夕食後にみなでここで過ごしていても同じだ。粟田口の短刀だと鳴狐や鯰尾がよく抱きかかえていったが、愛染はいろんな刀が気にかけていてな」
「聞きましたわ。石切丸はんに、太郎はんの大太刀コンビから、左文字兄弟が自分とこの子と並べて一緒に寝てたって国俊に聞きましたわ」
「で、一番誰が愛染を連れ帰ったと思う?」
「ん? 誰が?」
明石がようやく話に興味を持ったらしく俺の顔を見返した。だが、勘がいいだけはある。即座に、主のほうに顔を向けた。
「まさか……」
「愛染は子ども体温で暖かくてな。同情ではない。俺たちはあの子のやさしさが具現化したような体温が好きだったのだろう。
なあ、主。そうだろう?」
「……いつまで経っても、明石と蛍丸が来ないからだろ」
ふてくされたような声を上げたが、耳が赤いので、昔の話を持ち出されて照れているらしい。
「もちろん、愛染がこの部屋で寝ていることを誰も気づかなければ俺が布団に連れていって寝かせてやったが、主は必ずこの部屋に目を通していたからな。愛染も慣れたもので、抱きかかえたのが主だとはすぐにわかるんだ。初めての気配だとアイツも刀だから即座に身を起こせる。
だが、自分が守るべき主に守られて運ばれているのは、短刀冥利に尽きたんだろうなぁ」
「……へえ~、そないでっか~」
「明石、顔こわい。俺、主なんだけど。睨むなよ……」
「そないなこと一度も聞いたことあらへんわ」
「愛染にとっては大事な思い出なんじゃないか? 狸寝入りも何度かしていたようだしな」
「え? そうなの!? えっちらおっちら運んでたのに! それなら自分で起きて歩いてくれたらよかったのに!」
「趣がないな、主」
「主の腰も危なかったんだよ。お前らと違って俺は運動してないんだぞ」
「最年少やろ、しっかりせえや」
「お、ケンカ売ってんのか?」
「がんばれよ、主」
「するわけねーだろ! 勝てねーわ!」
最後に残っていた紅葉まんじゅうを摘まんで、主が立ち上がった。あーあ、腰が痛いと言って両腕を伸ばしてストレッチをする。
「主。愛染がずっと待っていたのと、同じだ。
俺をこうして定期的に構いに来る仲間たちがいてくれる。大包平は確かに待ち遠しいが、いないからといって楽しみがなくなるわけではない。
来るまでの間しか楽しめないことがあるのも事実だ。
明石が来るまで、ここで一緒に愛染と、すこしの間蛍丸も一緒に過ごした日々は、ここに顕現してからの大切な時間だった。
こうして、主たちが来てくれるしな」
明石も立ち上がった。主について近侍の仕事があるからだろう。ついでに三人分の湯呑を片付けてくれるらしい。
「うちのがお役に立ったようで、そら、良かったわ」
「鶯丸。俺、がんばる」
出会った頃よりも、少し痩せた頬で、昔のような幼い笑顔を浮かべた主が、成長したのか、若くなったのか時々わからなくなる。
それでも、別に困っていない。目の前に主がいることには変わりがないのだから。
「ああ。期待している」
「なあ、俺は、いい主になっているか?
お前の目には、どう見えてる?」
もう明石が出ていってしまって、主も出ていきかけで障子を閉めようとしているのに、思わずといった風に後ろ向きのまま声が聞こえた。もう少し風の音や、本丸内の誰かの声がうるさかったら聞こえない程度の声で。俺の耳には、しっかり届いてしまったが。
「俺の目から見た主を知ってどうなる。
お前が「良い」と思われたい相手は、俺ではないだろう」
「ははっ。取り付く島もないな」
俺の答えなどわかっていたとでもいうように、後ろ手で障子はすぐに閉められた。
本当に、愚痴りたい相手は本当は俺ではなかったはずだ。最初から主の隣に立っていたあの刀が、常に主を見ていた。主はあの碧を見返すことがなかった。あの光は、確かに強すぎたのかもしれない。今もなお、碧があちこちに光っていて、主を捉えようとしているというのに、主は気が付かないままだ。
どちらも求めているのは同じはずなのだ。
愛染が明石に素直に甘えられないのに、主には甘えられるように、本当は一番に頼りたいのだろう初期刀ではなく、少しだけ姿形が大きな俺に簡単になびいてしまった主は、さすがにそろそろ切国と向き合わなくてはならない時期に来ているのだろう。
トントンと指先で障子をはじく音がした。構わん、と伝えると、明石だ。細身の身体が入る最小限の隙間だけを開いて先ほどー主が寝っ転がっていた辺りを手でなにかを探している。
「忘れ物やて。お、あった。ほな、失礼」
タブレットを拾い上げ、そそくさと出ていこうとするので、念押ししておく。
「今日のこと、覚えておいてやれ。あれはあれで、繊細なんだ。
お前とは馬が合うようだしな」
「勘弁。自分はなんも聞いてないんで」
「嘘つけ。お前はすでに、共犯者だ」
再びげんなりとした顔をされたが、不承不承小さく頷くのが見えた。そういう仕草は愛染によく似ている。眠くて仕方ない時に歯磨きを促した時と。
「そんなけったいな呼称ほんまごめんやわ。あー、そろそろ切国の部隊も帰ってくる頃やんな~。出迎えいかな」
後ろ手に障子を閉じてさっさと出ていった姿は、先ほどの主とも、よく似ていた。