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  • しじま🥃 Link 人気作品アーカイブ入り (2023/07/06)
    2023/06/25 12:59:00

    『ラムネ一本50円』

    海辺の彰冬

    フォロワーさんの誕生日プレゼントとして、ご本人様のネタを拝借して書かせていただいたものです!
    イラストをいただいてしまいましたので、表紙に使用させていただいております(🙏ᐛ )カンシャ…

    #彰冬

    more...
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    『ラムネ一本50円』 太陽を直上に掲げる、八月の海。まるで、この季節を代表するかのような光景だ。構成する要素を、意識して摘み上げていく。ここに滞在する意義を、確かめていく。

     白くて、碧くて、青い。
     網膜、鼓膜、粘膜。突き抜けるように体に差し込んでくる海辺特有の感覚を、丁寧に焼き付けていく。
     いつか訪れたキャンプ場のように、生憎チームメンバー揃い踏みとはいかなかったが、目の前の具体的なイメージを、自分の中に蓄積させていく。そういうものだとか、こういうものだとか、蜃気楼のように抽象的だった印象が、否が応でも固まっていく、どこまでも鮮烈な肌感覚。
     砂浜、海、空。
     潮の香りを孕んだ熱風が積極的に頬を熱らせ、強弱不規則に届く波の残響が、鼓膜に届く。足裏にはサンダル越しに、熱い砂浜の感触。視界のそこかしこには、カラフルなパラソルが咲いており、きゃらきゃらした楽しげな声をBGMに、どこからともなく勢いを失くしながら転がってきたビーチボールを拾い上げて、必死に追いかけてきた子供に手渡した。
     
     実に、予想外だった。父さんへの説明で振るった舌も、先にこの光景を目の当たりにしていれば、大人しく縮こまっていたのではないだろうか。これは——自然と触れ合うという便宜的な名目を、夏休みの海水浴場に任せるのは、些か力不足と言えるのではないだろうか。これでもかと人がひしめく浅瀬は自然というよりはむしろ、人工物とすら言えるだろう。
     それでもいざ来てしまえば、海辺での宿泊を勝ち取る言い訳など、もはや関係はないだろうが。そうは思いつつも、どこまでも陽気な人混みの中ひとり砂地に足を埋めるのは、不思議とどうにも、心細い。

     熱砂にサンダルを沈ませながら、色合いだけなら涼を取れそうな水平線を横目に歩を進める。自身で定めた外出行為だというのに、冷房の程よく効いたホテルの室内でひとり、ラップトップに向かいながらコード進行を見直していた午前中が、すでに恋しくなりかけていた。
     それでも踵を返す選択肢はないのだと、ろくに操作していないにも関わらず熱をもったスマホを取り出す。この炎天下だ、電子機器にとっては多少心配になる暑さではあったが、迷わずメッセージアプリを開いた。シンプルな初期設定から、選び抜いた写真へと背景を変更したのはいつだっただろうか。そんな曖昧な記憶の糸を辿り始める前に心を捉えたのは、小さく胸の踊る昨晩のやり取りだ。
    『昼休憩はピーク過ぎた頃合いだから、十四時頃だな。前後したら悪いし、腹減ってたら構わず適当に食っとけよ』
     自然と口角があがるのを感じつつ、そのまま数日分を遡って読みたくなる気持ちをなんとか抑え込む。画面の縁まで視線を滑らせて時間を確認すれば、十三時四十七分が表示されていた。待ち合わせ場所に向かうには、そろそろ良い頃合いだろう。



     束ねるように持った二本のラムネの瓶からは、水が伝っていく。
     この手土産を購入したのは、木陰に覆われた無人の店舗だ。
     駄菓子屋の風情を醸すその店は、ここからも見えるコンクリートの階段をあがって、水際よりも高台になっているその辺りにあった。
     
     浜辺の喧騒から少し遠のき、軒下で海風に煽られる年季の入った風鈴が、氷菓子の什器が奏でる呻るような稼働音と共に、ちりりと職務を全うしている光景。そんな店先に設置された氷水を張った木桶の中で、仲睦まじく並ぶ色付きのガラス瓶たち。
    (……代金はここか)
     桶には分かり易く料金表が貼り付けられており、その手前には集金用の小さな貯金箱が備え付けられていた。
     それらを視界に収めた時に初めて、舌の上で弾ける甘さを、手持ちの銀の貨幣と引き換えに出来る現実の物として想像した。それはきっと自身に飲み込みにくい印象を与えながら、からだの中を流れ落ちていくのだろうが……それでも。ひとたび甘味好きの彼と並んで、この夏の一部を満喫する時間を想像すれば、それは抗い難いほど魅力的な事のようにも感じられた。
     小銭入れから取り出した一枚を、定められた割れ目に吸い込ませる。次いで、ガラス部分より色の濃いプラスチック素材の飲み口に横手から触れると、冷涼な水の中から顔を出し、日に晒されていたそこはほんのりと熱を帯びている事を知った。
     カラン。
     瓶同士がぶつかれば、音が生まれる。水桶から引き揚げれば、しずくが滴り落ちていく。見上げる高さで静止させれば、透明な青が幾重にも重なり合って——。
     
     
     
     辿り着いた目的地の周辺では、パラソルの広がったテーブルセットがいくつか陣取っており、分かりやすく人が集まっていた。それに建物の入り口から離れたここまで、なんとも威勢の良い声が聞こえてくる。
     その声の事は誰よりもよく知っていると、そう自負しているし、この先誰かと聞き間違える事もないだろう。しかしどうしても、普段とは違うその声色に、目指してきた場所は果たしてここであっていただろうかと、少し気圧されるような、落ち着かない心地にさせられる。
     かといって、このまま立ち往生する訳にもいかず、意を決して入り口から中を覗き込んだ。
    「っしゃあせぇ!」「番号札、百八番のお客様〜ッお待たせしましたァ!」「イカ焼き一丁入りまぁす!」
     いつかの夏祭りを想起させるような、そんな声の数々に導かれるように。簾を屋根代わりにした、木製の柱が剥き出しになっている店内へと足を踏み入れる。何台もの扇風機が、なんとか室内に冷気を循環させているようで、外ほどの暑さは感じられなかった。汗ばんだ肌をひんやりとした風に撫でさせて、ひと心地ついてからあたりを見渡せば、そこはまさしく。
     絵に描いたような、海の家だった。
     
     予想通り、ガヤガヤとした話し声と、店員の溌剌とした掛け合いが飛び交っていたが、客足は落ち着き始めているようで、鉄板の前で忙しなく腕を動かす目的の人物は、人混みを掻き分けずとも目に入った。
     随分と暑いのだろう、ひっきりなしにシャツやリストバンドで、額の汗を拭っている。握ったコテの先では、麺と野菜を踊らせているのが見えたので、どうやら焼きそばを調理しているようだ。熱されて煙と共に拡散したソースの香りが、ふわりとこちらの入り口付近まで漂ってくる。
     列に並ぶ為に最後尾へ回ろうとすれば、件の焼きそば職人が顔を上げた。驚いた顔をして、壁に視線を走らせ時計を確認すると、再びこちらに向き直る。
    (裏口、まわってろ。裏。裏な)
     背後を指しながら、口パクで投げかけられた言葉は、そんなところだろうか。控えめなOKのジェスチャーを送ると、挨拶がわりに手が軽く挙げられて、視線は再び鉄板へと戻っていった。
     言われた通りに店の裏へと回るべく、軽い足取りで退店する。どうやら、そう待たずとも良いらしい。
     
     建物の影になっている勝手口付近で、気もそぞろに海の方を眺めていた。
     開きっぱなしの扉のすぐそこは、先ほど彰人が立っていたカウンター内へと繋がっていて、調理場を行き来する従業員の背中が見え隠れしている。出入りの邪魔になってはいけないので、間近で覗き込みはしないものの——待ち人の姿を探して、つい視線を送ってしまっていた。それに聴覚もそちらへ集中させてしまっているらしく、自分もその場で働いているのかという程、店内のやり取りが頭に入ってくる。
    『休憩に入っても、問題なさそうですかね』
    『遅くなってごめんよぉ東雲くん!ごゆっくり!』
    『大丈夫ですよ。それじゃあ、いただいてきます』
     どうやらようやく遅めの昼休憩に入れるようで、胸元をぱたぱたとシャツで扇ぎながら、裏口から出てこようとする姿が見えた。
    「あき、」
    「東雲くん!お昼、今からだよね?先にもらっちゃってごめんね」
     所在を示そうと挙げかけた手は、半端な位置で宙を掻くこととなった。この店の制服らしき白のプリントTシャツを着た少女が、見知ったオレンジ頭を呼び止めたのだ。
     歳の頃は俺たちとそう変わらないのだろう、ゆるく結んだおさげに落ち着きなく触れながら、はにかむような笑みを浮かべている。
    「いや構わないよ。というか林さん、今日は休みかと思ってた」   
    「あ〜……アハハ。ちょっと、友達とシフト変わって貰ったんだよね」
    「そうだったんだ。オレここは週末までだけど、力になれそうだったら言ってね」
     どうやらここでは、よく猫被りと揶揄されている、社交的な仮面を被っているらしい。対外用に調整された人好きのする声音と口調は、彼をよく知る人間からしてみると随分と白々しい響きを持っている。
    「あ、ありがとう。でももう大丈夫だから!あとっそう、これ!店長がまかないだって」
    「お。お腹空いてたから助かるよ、ありがとう」
    「あ……っあ、あとっ東雲くん!き、金曜日の」
    「うん?」
     可哀想なほど、顔を赤らめて。あれほどに目敏い男が、彼女のりんごの頬が意味するところに、気付かない訳などないだろう。
     似たような光景なら、既に何度か目にした事があるというのに。いまだ慣れない胸の奥が、俄かにさざめき立つ。
    「金曜日の花火大会!よかったら一緒に……っ」
     見てはいけないものを見ているような、そんな罪悪感からだろうか。それとも、少しの息苦しさを覚えるこの感覚は——……なんとなく正解に触れかけて、思考を意図的に遮断した。
     いまは分析前の普遍的な感情をひとまず脇に置いておいて、柔和な笑みを向けるあの人たらしを嗜める為に、早足で歩み寄ることにする。
    「きんよ、うぉッ!?」
    「……そろそろ休憩だろう」
     持っていたラムネの瓶を、詰るようにぐいぐいと頬へ押し付ければ、相棒の視線は容易くこちらのものとなった。
    「と、冬弥?驚かせんなよ……」 
     しかし自身のその幼稚で強引な気の引き方にじわじわと恥ずかしいような心持ちになって、顔を背けた。林さんと呼ばれていた女性も、突然の事に目を丸めている。自身で蒔いた種ではあるが、そんなに見つめないで欲しい。
    「…………」
    「え、えっと」
    「ああ、ごめんね。それでえっと、実はオレ……いやオレたち、その日の野外ステージで歌うことになってて」
     一瞬怯んだものの、即座に繕い直してしまうところが、なんだか今は少し面白くなかった。
    「歌……?」
    「うん。だから、一緒に楽しめなくて残念なんだけど……その日で最高のパフォーマンスみせるからさ。よければ見に来てくれると嬉しいな」
     頬を瓶底に抉られた状態でも、好青年めいた笑顔を維持してみせる相棒に関心しつつ、向かいを確認すれば林さんの方は瞳を輝かせていた。どうやらこのオレンジ頭は、ファンを増やすことに成功したらしい。
    「う、うん!友達も誘って、ぜっっったいに行くね!」
    「ありがとう林さん!じゃあオレ、そろそろ昼休憩に入るね」
    「いってらっしゃい……!」 
     持ち場に戻る彼女へ爽やかに手を振って応対した後、自身には即座に怪訝な目が向けられる。まるで百面相だ。
    「なんだよ冬弥、待たせたこと怒ってんのか?」
    「……別に、そういう訳ではないが」
     待つくらいは、望んでいた事だったから。そんな事で怒っていた訳では勿論なかった。つまりそういう訳ではなかったのだが、いかんせんどういう訳だったのかは、行動に至るまでの言語化が難しい、ような気がする。
    「俺は……」
     ぐぅぅうう……。
    「ふ、ははっ、悪かったって。とりあえず焼きそば食うか?」
    「……たべる」
     自己分析に頭を使いたくとも、腹の虫はどうやら空気を読んではくれないらしい。



     座面を陣取る一枚の団扇を退けて、店の裏にある青いベンチへと腰掛ける。開け放たれた勝手口と窓が側にあり店内の冷気が漏れ出すそこは、日陰である事も相まって、暑さは幾分かましな従業員の休憩場所だった。
     俺が焼きそばに舌鼓を打っている傍らで、彰人がラムネの瓶を開封すると、勢いよく中の液体が吹き出した。口の中をいっぱいにしながら、その様子に唖然としていると、彰人が首に巻いていたタオルを手早くベンチへと敷いてくれたので、被害規模は最小で済んだように思う。
    「あ〜〜あぁ、あぁ……勿体ねえー。あ、どうだ冬弥。焼きそば美味いか?」
    「……」
    「口ん中、なくなってからで良いぞ」
     言われるがまま、懸命に食材を飲み込める大きさに変えていく。にんじんやキャベツ、形の異なる野菜の食感が楽しく、噛み応えのある少し太めの麺には、調味料や肉の旨みがしっかりと絡んでいた。鰹節とソースの香りは打ち消し合うのではなく、互いを引き立て合っており、更にそこへ交わる青のり由来の磯の香りが、なんとも食欲を増進させる。そして少量であるにも関わらず、濃い味付けの中でしっかりと個を主張して、口の中をさっぱりとさせる紅生姜の爽やかさが——鳴りを潜めたところで、ようやく口を開いた。
    「……吹きこぼれてしまったな。あまり衝撃を与えたつもりはなかったんだが」
    「まぁこんな事もあるだろ」
    「すまない。あと焼きそばだが……とても美味しい。先ほど作っていたものか?」
    「まぁな。ちょっと冷めてたかもしんねぇけど、気に入ったんなら良かった」
    「前々から思っていたが、料理が上手だな彰人は。流石だ」
    「大袈裟だろ。決まった材料、順番に焼いてるだけだ」
    「そういうものか?俺にも作れるだろうか」
    「今度やってみるか?」
    「あぁ、ぜひやってみたい。そうだ、ほら彰人も」
     まだほんのりとあたたかい、彰人お手製の焼きそば。働いていたのだから先に食べて欲しいという主張は却下され、お言葉に甘えて先にいただいた俺たち兼用の昼食。プラスチックの容器と箸を手渡せば、やっと受け取ってもらえた。

     開封してもらったラムネの瓶を、空いた手にとる。相棒によって沈められた栓替わりのビー玉は、この非日常を助長する特別なもののように目に映った。水面に向かう細かな泡を眺めてから、ひとくち、含む。
    「そっちは?」
    「ん。しゅわしゅわする……あと」
    「あと?」 
    「…………食べ合わせが、悪いな」
     ラムネと焼きそば。甘いものと塩気のあるものが交互に欲しくなるとは通説ではあるが、気持ちとしてはお茶か水が欲しい。昼食を食べるのは分かっていたのだから、ラムネ以外の飲み物にしておけば良かった。これでは彰人も喉が渇くのではないだろうか。
    「今からでも他の飲み物を用意しようか」
    「いやそんな深刻な顔すんなよ、別に良いだろ。懐かしいし、夏らしいっつーか」
    「なら、構わないが……」
     そこでお互い、腹の中に別の思惑がある事を感じ取り、苦笑しつつ顔を見合わせてから、ほとんど空になった件のプラスチック容器に目を移した。
    「あとで食べ物は追加購入しよう」
    「おう。そうだな」
     たった一人前の焼きそばは、食べ盛りふたりの前では実に儚い存在だ。
      
     クラスメイトに誘われた、海辺の短期アルバイト。本来なら断るようだが、そのバイト先のビーチで開催されるイベントに目をつけた彰人が、俺のスケジュールも抑えられたので承諾したらしい。俺は作曲作業があったのでそちらを優先、彰人は昼間にアルバイト、夕方からは練習というハードスケジュールに勤しんでいる。
    「それにしても、彰人なら接客を担当していても不思議ではないが、調理担当なんだな」
    「あ〜……接客、な。つい話し込んじまうっつーか……一日目でクビになったな」
    「…………そうか」
     つまり先程のように、彰人の人当たりの良さも相まって、つい話し込んでしまうのだろう。主に、お客さん側が。アパレルショップの方のアルバイトでは、特にこういった話は聞かないが、薄着は海辺の人々を開放的な気持ちにさせるのだろうか。そう考えると、なんだかまた胸の奥がモヤつくような心地になる。
     しかしそんな心持ちに囚われてばかりもいられないと心機一転すべく、ここに来た意味を頭の片隅から叩き起こそうと試みる。すると。
    「ふ、ああ〜……」
     体力があるとはいえ当然、無尽蔵ではない。慣れない仕事とこの暑さ、加えて夏休み特有の人の多さには、流石に参っているのだろう。休憩時間でようやく気が抜けたのか、彰人は大層なあくびを漏らしていた。
    「お疲れだな」
    「ぶっちゃけ、目ぇ回りそうになる」
    「……良ければ少し眠るか?」
     眠気まなこに力を込めようとする相棒へとそう提案すると、予想通りの律儀な答えが返ってくる。
    「わざわざお前呼び出しといてそれはねぇだろ」
    「俺も海の家には興味があった。だからそれは気にしないで欲しい」
    「それとこれとは別だ」
     ひと押し足りないだろうか。疲労で頭の回っていない相棒を言いくるめるのは、些か気が引けるが、来た理由というのもそれほど急ぎの案件ではないのだから、いま多少寛いでもらっても問題はないはずだ。
    「夕方にまた会うのだから、その時で構わない。気にしていたセトリの変更については、少し考えてある」
    「……けどよ」
    「お前も気に入る案を、必ず夕方に話す。その為に俺も少し時間が欲しい。それに……休息も大切にしろ、彰人」
     これ以上の問答は不要とばかりに口を噤むと、熱心に見つめていた瞳がとろんと覇気をなくした。
    「ったく譲らねえな……分かったよ。ちょっと寝る」
    「あぁ、そうしてくれ。では」
     相棒の寝転がるスペースを確保するため、ベンチから立ちあがろうとすると、膝上にタオルが投げられた。寝ている間は代わりに持っておけば良いのだろうかと、そう持ち主へ確認しようとしたところ、少し浮かせた腰を沈めるように腕を引かれたので、特に抵抗もせず中腰を辞めて座り直す。
    「ん?」
    「ん」
     俺は立っておくから、気にせずベンチを広々と使って欲しい。そう伝えようと開いた口は、しばしポカンと力をなくす事となる。
    「わりぃな冬弥……二十分、経ったら……起こしてくれ。もうちょい……メシ、食っときてえから……」
     寝ると決めるが早いか、さっさと体制を変えたオレンジ頭に、易々と腿の上を奪われてしまった。
     すぅ……と、何の躊躇いもなく即座に寝入った彰人の顔を凝視する。あまりの我が物顔で執り行われた一連の動作に、立ち去る暇も与えて貰えなかった。
     とはいえ、起こすのは忍びないので。座る前に退かせておいた団扇に手を伸ばして、前髪の張り付いた寝顔を仰いでやる。パンツ越しにもしっとりとするタオルの感触と、汗まじりの彰人のにおい。それらに不思議と、不快感はない。
    (これも役に立てて、いるのだろうか)
     昨日もきっと、夜中まで頭を捻っていたのだろう。普段よりも幼く見える寝顔には、少しだけ隈が浮かんでいる。久々にふたりで立つステージなのだから、俺とて最高のものにしたいという気持ちは変わらない。だとしても、睡眠不足はいただけないだろうに。

     ゆるりと手元で泳がせている団扇は、どうやら宣伝用らしい。花火大会の開催日時が大きく記載されており、目玉となる約二万発の打ち上げ花火の情報とは別に、吹き出しで囲うように出し物や夜店の情報が所狭しと羅列されている。
     黄色く縁取られた「野外ステージ」の文字を視線でなぞって、わずか三曲で構成したセットリストに想いを馳せた。お祭りらしく、盛り上がりやすい楽曲を選んだつもりではあったし、お互いの精度が低い曲でもない。それでも何か、いつも通りではなく、もうひとつ何かが欲しい。
     Vivid BAD SQUADとしての活動ではなく、久しくなったBAD DOGSとしての活動だからこそ、互いに遠慮なく踏み込める一歩先を求めている——相棒はもう一組の手足であり、鼓動をひとつとする心臓だ。自身に向き合う時間として、更なる成長の糧を探し、鏡を見つめるように。相棒と額を突き合わせるこの数日間は有意義で貴重なもので、薄片も無駄にはしたくない。

     彰人のバイト先の客層も鑑みて、若者向けのアッパーチューンを主題として選定した。キレのある攻めた姿勢で一貫したバランスを保ってはいるが、果たしてオーディエンスが求めているものは、そのような暑さを振り切る爽快感だけだろうか。かと言って、情の色が濃いゆったりとしたバラードでは、互いに列挙したものでは疾走感を落としてしまうだろうと、既に結論付けている。
     例えばここに、先ほどの少女がわずか数日間であたためてしまった、あの感情を添えることが出来たのなら。開花前の夜空の下できっと、もう一歩広く、人々の心を掴むことができるのではないだろうか。
    (……ならば、ぴったりな曲があるな)
     あの少女は、きっと来てくれるのだろう。そしてステージ上で彰人が紡ぐ歌詞と、彰人自身を重ね合わせて。頬を上気させながらうっとりと、耳を傾けてみせるのだろうか——それは、また、少し……妬けてしまうのかもしれない。
     しかし、それでも客席にまわりたいなどとは決して思わなかった。
    (俺は、隣で歌える)

     心に決めた一曲をネットの海で探し当てて、誕生日に貰ったイヤホンを装着する。
     
     ——……♪「最初から君を好きでいられて良かった」なんて 空に歌うんだ
     
     流れてくるのは、知り合いのようで少し違う、けれどよく知る力強い少年の歌声。もはや聞き慣れたその声は、作曲者の意図した通りに、曲の持つ魅力を余すことなく歌い上げていく。駆け出したくなるような、青春の持つ熱量に溢れた一曲。

    「彰人、」
     ふと溢れてしまいそうになる感謝と少しの悋気を滲ませて。歌声にそっと背中を押されるように、寝顔へ落とした静かな独り言の、その受取人は無防備にも夢の中だ。
     
     お前はどんな風に、後ろ髪引かれる恋を歌うのだろうか。
     ならば俺はどんな風に、夢への渇望を歌おうか。

     ——……♪世界の終わりが 今訪れたとしたら 全部ほっぽって ふたり永遠に一緒なのにね

    「……あついな」

     この夏の少し先で、ステージが待っているこの海辺。
     俺にとっては、日本中のどこよりも心臓が熱く脈打つ場所に違いない。

     そんな刹那の煌めきを共有する一瞬を、身体はすでに求めていた。
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