創作SNS GALLERIA[ギャレリア] 創作SNS GALLERIA[ギャレリア]
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    2023/05/10 21:51:48

    今は未成のカノープス

    ⚠️微年齢操作

    ◆ネタ提供者さま
    さく さん
    https://www.pixiv.net/users/77250048

    ◆提供いただいたネタ
    ア/カ/シ/ア - B/U/M/P O/F C/H/I/C/K/E/N
    卒業旅行

    #彰冬

    more...
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    しおり
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    しおり
    今は未成のカノープス「走るぞ!冬弥!」
     
     しっかりついてこいよと言わんばかりの、やんちゃな笑みを浮かべる相棒に、何を言い出すんだと抗議する暇は与えて貰えなかった。
     強く掴まれた右手を引かれるがまま、つられて走り出す。唖然と見開いた目の前では、湿って心なしか平素より色味の濃い橙色の髪が、束になって重たそうに揺れていた。
     足が縺れそうになりながらも、屋根の下から引っ張り出されると突如、容赦なく顔じゅうが雨に打ち付けられて、その勢いに思わず目を瞑ってしまう。
     しかし不思議と不快さを感じるどころか、段々とおかしくなってくるのが堪らない。
     
    「なぁに笑ってんだよ!」
    「だって、せっかく着替えたのに……っ」

     そう言いつつも喜色満面になってしまう表情には、自分でも説明が付けられない。感情に見えないストッパーがあるのなら、まるで壊れてしまったみたいだ。
     堪えきれなくなってきた笑い声を漏らし、今にも身を屈めてしまいそうになりながらも、それなりに懸命に足を動かす。
     そんな俺が物珍しかったのか、全力疾走には程遠いであろう速力すら落として、少しだけ振り返った彰人もつられて笑いだす。

    「こっこんな馬鹿をやるのは初めてだ……!」
    「そーかよ、良かったなっ」

     遠く見える水色の晴れ間と直上の灰色の雲を背景に、水に濡れようが眩しい、されど困り眉の笑顔を惜しみなく晒した相棒。なんだか世界がスローモーションで再生されていく感覚に陥り、彰人の周りの雨粒がキラキラと、不思議といつもより輝いて見える。
     睫毛の雫を払う様に瞬きをひとつふたつとしてそんな一瞬を切り取っている内に、手を引く男は既に進路に向き直っていて、もう後ろを振り返る素振りは見せてくれない。
     
    「あ、彰人!別に、先に行ってくれてもっ、良いんだぞ!」
     
     雨粒の吸い込みきれなくなり始めた、普段目にする物より幾分白っぽいアスファルトに、いつだって俺のモノより力強く聞こえる足音を、これでもかと響かせながら往く。
     
    「それじゃ意味ねえだろ、ばーか!」
     
     前方を見据えて足は止めないまま、しかし俺にしっかりと届く様に彰人は吼えた。
     言葉通りの行動を示す様に力を込めて握り直された手首は、目的地に辿り着くまでの間、ついぞ離される事はなかった。

     真昼間の海水浴帰り、季節柄まだ大丈夫だろうと油断していたスコールに、見事に降られてしまった。
     更衣室と簡易なシャワールームを借りて、この日の為に揃いで購入し、無事に活躍の場を得た長袖のタッパーに名残惜しさを感じつつも、ようやく着替えられたというのに。肌に貼り付いて、もはや濡れて変色していない範囲が見当たらないシャツが、はやくも多めに持って来ていた衣服の出番を物語っていた。
     
     三月中旬、場所は沖縄県那覇市。
     卒業旅行、初日の出来事だ。
     
     
     
    「間に合って良かったな」
    「まぁ酷い目にはあったけどな」
     
     そう言って苦笑を浮かべる彰人も、先程の出来事を強く非難する色は見せていない。新鮮な体験に随分とはしゃいでしまった気はするが、そこに敢えてなのか触れてこないのに、むず痒い心地にさせられる。
     
     始発電車とリムジンバスを乗り継ぎ、寝惚け眼で辿り着いた成田空港を出発したのが、朝の8時前頃。3時間と少しのフライトに耐えて、那覇空港に到着したのが11時を少し過ぎた頃だった。
     そんな早朝からの長時間移動があったというのに、まさか二人揃って昼食の時間が頭からすっぽ抜けるほど、移動疲れも感じずに海で浮かれるとは思わなかった。
     しかし本土ではなかなかお目にかかれないであろう、澄んだターコイズブルーのグラデーションがまるで呼吸を行なうかの如き様相を呈していた海原と、その熱に触れるまでは雪原かと見紛う程しろき砂浜の、あのコントラストの美しさ。あれほどの非日常に突然晒されてしまっては、時間の感覚など失ってしまっても致し方ないなと、脳裏に刻んだ波の音を繰り返し再生しながら、ひとり納得する。
     
     それと同時に時間が迫っている事に気付いてすぐに、濡れながらもホテルに戻ったのは正解だったなとひっそり胸を撫で下ろした。あの驟雨に晒された後は急ぎ戻った部屋で、肌にへばりついてすっかり脱ぎにくくなったシャツをお互いにひっぺがし合いながら、慌てて着替える事になったのだが。
     せっかく予約までしてくれていたランチをすっぽかす羽目になってしまっていたら、この旅が終わった後も小さな後悔がずっと尾を引いてしまっていただろうから。
     
     使ったおしぼりを畳んで、向かいの相棒の前にも箸を配り終えると、束の間の手持ち無沙汰になる。なんとなしに水を注いでくれているのを見守り始めるが、先程まで時間に追われていた事もあり、つい頭を傾けながら彰人の手首に鎮座する黒いG-SHOCKに目をやってしまう。いつだったか説明された、太陽光による充電で動く便利なそれは、きっと愛用なのだろう。少なくとも使用している所を見かけたのは、今回が一度目や二度目ではない。
     
    「流石にまだ時間あるだろ」
     
     視線に気付かれ呆れ顔でお冷を差し出されたので、礼を言って受け取る。せっかくの旅行なのに急かした様で悪かったかという思いが一寸頭を過ったが、そういう彰人もコップを手渡した腕を手前に戻すついでに、チラリと文字盤に目をやっていたのでお互い様だろう。
     朝からの移動と昼間の海水浴では飽き足らず、スコールにまで体力を奪われ、何よりつい先程までかなり時間に追われていた事もあり、流石に現時点でお互いに疲労の色が見え始めている。
     学生という身分で発生しやすい金銭面の問題よりも、せっかくの春休みでチーム揃っての練習時間が確保しやすいというのに、穴を空け続ける訳にはいかない——そんな当然の理由で選んだ1泊2日の弾丸旅行に特段不服はない。しかしその分、散々あぁでもないこうでもないと膝を突き合わせて厳選した予定を、この後もしっかりと入れているのだ。
     
     白石たちに頼まれていた写真を撮るのも忘れて、続々と運ばれてくるコース料理の数々を、腹が減ってはなんとやらと言わんばかりに勢いよく堪能していく。
     メインのしゃぶしゃぶでは、アグー豚特有の甘味のある脂肪が鍋全体に溶け出して、水面に油分を揺蕩わせている。じんわりとした柔らかな旨味が、野菜にもとろりと纏わりついて、口に含めば上品な風味が鼻先にほわりと抜けてゆき、なるほど、これは。

    「うまいな……」
    「ずっと食べていられそうだ……」
     
     鍋用についてきた人参を全てこちらに押し付けようとする彰人に、一欠片だけ食べさせようと善戦してみたりしながら、次々と食べ進めていく。
     レビューではかなりの量だという意見が散見されていたはずなのに、こういう時はやはり自分たちの胃袋が若い男の物なのだと実感する。運動後ともなれば尚の事、気付けば跡形も残さずにぺろりと平らげてしまっていた。
     
     
     
    『やっほー!楽しんでる?』
    『そっちはやっぱりあったかいのかな』
     
     彰人がコース最後のデザートに舌鼓をうっているのを、いつも通りコーヒーを片手に眺めていると、ちょうど良くチームのグループチャットに小豆沢たちから連絡が入った。
     
    「彰人」
    「んあ?」
     
     ——パシャ
     
     嬉しそうに次々と別腹に甘味を収めていく相棒を激写して、文句を言う間も与えずしてやったりの気持ちで東京のチームメイト達へ写真を共有する。
     
    『こちらはなかなか暖かいぞ。海にも入れた』
    『へぇー良かったじゃん!っていうか彰人、そっちでもチーズケーキ食べてんの?ウケるんですけど笑』
    『もう杏ちゃんったら……。ふたりとも楽しそうで良かったよ!』
     
     そこからせっかくなのだから楽しんで来い、そういえばお土産は何々が良い、などという賑やかな言葉を矢継ぎ早に受け取った後、二人が最近よく使っている、どうやら女子の間で人気のキャラクターらしいスタンプが送られてくる。とりあえず会話の終了を察したので、視線をチャットアプリの画面から甘味に夢中だった男に戻す。
     
    「冬弥ぁ……お前な…………」
     
     すると今度はスイーツにばかり伸ばしていた手を休めた彰人が、スマホ画面に苦々しい顔を向けている光景が目に入った。
     
    「渾身の一枚だろう」
    「……おー。まさか写真の才能まであるとはな」
     
     俺は可愛らしく思っているのだが、未だに好物を前にすると表情が緩み切ってしまう事を恥じている彰人が、恨みがましそうにジトッとした目を向けてくるので、したり顔をお見舞いする。
     いやなんだよその顔、と正面で吹き出したかと思うと、少し立ち上がってこちらに手を伸ばしてくる。そのまま大人しく避けずにいると、前髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜられるという、ささやかな反撃を享受する羽目になった。

     美味しい食事と気の緩んだ戯れあいに、かなり気力が回復したところで、気付けば良い時間帯になっていた。
     この短時間で身体から水泳後特有の倦怠感が抜ける事はなかったが、俺としては次がはやくもこの旅行の目玉だ。久々の未体験を前にして、昨晩は楽しみでいつぞやの夜の様に寝付くのに時間がかかってしまった。
     はやる気持ちを精一杯抑えた遅めの昼食の会計を済ます頃には、一足先に心が海に戻ってしまっていた。
     
     
     
    「鯨の歌を、聞いたことはあるか」
     
     この時は確か、昼食を摂っていた気がする。
     卒業旅行をしようと提案したのはいつだったか。日取りと場所は早々に決めてしまって、では実際に向こうで何をしようかと、空き時間はガイドブックを片手に、着々と計画を練る毎日。この日もそわそわと浮き足だった気持ちがずっと続いていくかの様な、そんな他では得難い時間が穏やかに過ぎていた。
     
    「くじら?ねぇけど、何だよいきなり」
     
     お互い受験も終えて、大学は別々になるのがもう決まっていたから。そのタイムリミットが見え始めた残りの少しでも、割ける時間は共有して、同じ景色を見たい。そんな本音を包み込んだ、小さなわがままだった。
     
    「ホエールウォッチングがあるらしい。俺たちといえば、やはり歌だろう」
    「……日程譲らなかったオレが言うのもなんだけどよ。一応卒業旅行なんだし、普通に楽しんでもいいんだぞ。今回くらい、歌抜きで」
     
     なかなか取れないオフの予定ですら、長々と音楽活動から離れて楽しむ事を良しとしないこの男は、相棒である俺に息抜きまで歩幅を合わせさせる事になってしまったと、今更ながら少し負い目に感じているらしい。ホテルの予約であったり、スケジュールの確認であったり、決まったプランを組み立てていく事には積極的だが、あまり自分からどこに行きたいとは言いたがらないのがその証左な気がして、俺としてはそれが少し、面白くなかった。
     
    「最大級の哺乳類がどんな声を発するのか、彰人は気にならないか?」
    「いや、お前が本当に行きたいなら行くけど……そこで水族館じゃねえのが、お前らしいというか、何というか」
      
     せっかく彰人と行くのなら、鯨がガラス越しに泳ぐ姿よりも、自由を謳歌する雄大な姿を直接この目で確かめに行きたい。求める景色から得られる感覚を少しでも、叶うなら全て、共有したい。俺たちは隣に並び立つ相棒なのだから。
     
    「見に行こう、鯨」
     
     少し前のめりになってのその提案は、こちらの思惑を知ってか知らずか、案外すんなりと受け入れられた。
     
     
     
     平日だった事もあり、夕方のホエールウォッチングは人も疎らだった。 
     船底がトンネルの様な形状の、双胴船と呼ばれるこの船は、水の抵抗が少なく揺れにくい構造になっていると、事前準備で調べていたのだが。出発前にお前は絶対に飲んでおけと酔い止めを渡されたので、大人しく渡されたペットボトルの水を頼りに錠剤を飲み込む。
     その後は添乗員さんに手渡された、磯の香りがするオレンジ色のライフジャケットを着用し、いざ小型船にかかる短い渡しの板の上を歩こうと思ったが、下を見るとやはり少しだけ腰が引けて、結局苦笑いの彰人に手を引かれて乗り込んだ。
     
     いよいよ出発した船が徐々に速度を上げてゆき、みるみる内に遠ざかっていく岸辺をしげしげと眺めていると、後ろ向いてると酔うぞと、膝を軽く小突かれた。
     
     ——クジラは呼吸の為に水面に必ず顔を出し……
     ——ブローと呼ばれる3、4メートルほどの水しぶきが……
     ——深く潜る時には尾鰭を高く上げるのでそれを目印に……
     
     添乗員さんが次々と船内で、クジラの生体に関する興味深いアナウンスをしていくが、彰人にはイマイチ響かないらしく、大きな欠伸をひとつ、銀色の手すりに肩肘をついて揺れる青を眺めている。まるで授業中だなと、とりとめのない事を考えていると、
     
    「おにいちゃんっ、おっきなあくびだねえ!」
    「あ……?」
     
     突然投げかけられた声の発生源に目をやると、前の席から振り向いた……おそらく5歳くらいの女の子が、黒い瞳を爛々とさせながら、今にも背もたれを超えて、後方座席のこちらへ身を乗り出してきそうになっていた。

    「こらこの子ったら!すみませんっ」
    「い、いえ」
    「……お転婆さんだね。後ろを向いてると危ないよ」
     
     他所行きの顔を急遽取り繕った隣の男が、やんわりとその子に着席を促すと、母親らしき人物が申し訳なさそうに、我が子をなんとか落ち着かせようと奮闘する。
     
    「もう!ちゃんと座りなさい!」
    「やだっっっ!!!」
     
     だがそんな母君の苦労も露知らず、背もたれに全力でしがみつき我が道をゆくお嬢さんは、どうやらブレーキが効かないお年頃の様だ。

    「おにいちゃん!そっち行ってもいーい?」
    「?」
     
     鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をしながらも、彰人が無言で「ここか?」と俺たちの間に空いていた1つの席を指差す。
     
    「うんっっ!!」
    「オレたちは別に良いけど……あのお母さん、大丈夫ですか?」
    「本当にすみません……ご迷惑かと思うのですが、その……よろしいんでしょうか」
     
     申し訳なさそうな表情と、目の下の隈からも伺える明らかな疲労の色には、母親の苦労というものが察するに余りある。
     
    「もちろん、お元気な娘さんですね」
    「ありがとうございます。この子ったらそれだけが取り柄で……」
     
     真ん中の席へ通す為に一度通路に出ようと、席から立ち上がろうとする。しかしその前に既にスタンバイしていた女の子は、席に腰掛けたままの俺の上をよじよじと四つん這いで通過したかと思うと、彰人の腿の上に飛び込んでみせたので、ヒヤリとしながら二人して手を伸ばす様に身構える事になった。

    「っと……こぉら」
    「へへー」 
    「もう!!ダメでしょ!!」

     先程から我が子に振り回され続ける母親像に、ふと自分の幼少期はどの様なものだったのだろうかと思い浮かんだが、深く思考が巡らせる前にアナウンスに掻き消されてしまった。

     ——クジラを発見いたしました。船体の速度を上げて参りますので……
     
    「くじらさん!!?」
    「まだだから。ほら、ここ」
    「はぁーーーい!!」
     
     苦笑する彰人が興奮気味の女の子に隣の座席をトントンと叩きながら声をかけると、比較的おとなしく席に着いてみせた。
     どうしてもワクワクを抑えきれないその子が、椅子の上でも小刻みに体を揺らしているので、待ちきれないという心情を見事に体現するものだと感心する。忙しなく辺りを見渡していたかと思うと、
     
    「ああ〜〜〜っっ!!これ!!ぴやすでしょお!!」
    「おー……いてぇ」
    「コラッ!!!!すみません!!!もうっ離しなさい!!」
     
     どうやら幼いとはいえ既に光物に目がないらしい。相棒が耳たぶをぐいぐいと引っ張られ、腕を組んだ状態で身体を傾けて、されるがままになっている様子を微笑ましく見守っていると、やがて舟は速度を落とし始めた。
     
    「お兄ちゃん!!しっぽみて!!!」
     
     次々と興味の移り変わる幼子が、またも突然声を張り上げて力一杯指差す彼方、全員の視線がそちらへ奪われる。
     
     そこには黒々とした巨大な尾鰭。重力すら感じさせない様子で、水面から悠々と垂直姿勢のその存在を示す。遠方ですら目を見張らざるを得ない情景が、ゆっくりと水の中に消えていく。
     
    「鯨……」
    「……こんな居んのかよ」

     既に別の何か所からか水しぶきも上がり、他の乗客があれがブローだホエールリングだと、アナウンスから得た情報を元に盛り上がりを見せ始める。遠景ばかりに気を取られていると船の近くでも尾鰭が出現し、接待でも受けているかの様な錯覚を覚えた。
     
    「おかあさん!!!!見た!!!?」
    「見たよ、おっきかったね」
    「しゃしんとらなきゃ!おとうさんにもみせるっ」
    「……そうだね、いっぱい見せようね」

     嬉々として渡されたスマホのカメラを器用に起動して、水際の席を譲れとばかりに彰人を三脚がわりにする、元気いっぱいの幼子。そんな我が子に躊躇うようにスマホを手渡した母親の指先は、少し震えていた。
     
     

     あれだけ水面に姿を見せていた鯨たちは潜水してしまったのだろうか。仲睦まじい番らしき姿を最後に見かけてから、10分程はもう経過したかと少し残念に思っているとまたアナウンスが入る。
     
     ——これより、クジラの歌を聞いていただきます

    「くじらさんのおうた?」
    「そうだよ、だからしぃー……っね」
    「わかった!しぃー……」
     
     海中になにやら大きな機材が投げ入れられた。きっとあれがマイクの役割を担うものだろうと見当をつける。
     乗客全員が耳をすませて、未だ見ぬ彼らの声を待ち焦がれる。

     ——近くにいれば大きく、遠くにいれば小さく聞こえます

     珍しかったのであろう乗船体験そのものにはしゃいでいた幼い女の子も、ただ波の揺蕩うのを眺めているかに見えた相棒も、この時ばかりは熱心にスピーカーを見つめていた。
     
     コポコポと気泡が通り過ぎていく音だけを届けるスピーカーに聴神経を集中させる。
     
     ——クジラの歌はコミュケーションの一種で主に、
     
     例えば暗い海の中に、光は届いているのだろうか。
     微弱な視力を頼りに漂う事に、孤独は感じないのだろうか。
     
     ——求愛行動だと言われています
     
     目をつむる。
     海底へ沈みゆく身体を脳裏に思い描く。
     すると船上で浴びているはずの波風が気配を消す。
     その青さを深くし始めたばかりの、夕刻の海で。
     
     日に焼けた頬を、
     音を発する喉を、
     切り揃えた爪を、
     進み続ける脚を。
     
     春先のまだ冷たい海水が撫でていくイメージ。
     
     そしてやがて、その時はきた。
     
    『————…………ふぉぉん……————ぶぉぉぉぉぉん……——ふぉぉぉん………………————』
     
     歌が、聞こえる。
     
     小さいもの、大きいもの。
     短いもの、長いもの。
     低いもの、高いもの。
     
     ——流行の歌もあり、いくら良くても去年の歌をだと相手にされない事もあり——
     
     あちらこちらから、様々な歌が聞こえる。
     水底からの、人智を超えたうつくしい歌声たちは、まるで恐ろしいものであるかの様な。
     
     でも何より、
     
    「……寂しいもんだな」
     
     全て見透かされた心地になって、潜り込んでいた意識が急浮上し、隣を見やる。しかしぽつりとこぼした男の視線はもうスピーカーを捉えてはおらず、珍しく惚けた顔で、ただ水平線に落ち始めた光を追いかけていた。
     
     歌が聞こえた。
     斜陽を跳ね返す水面下、轟く流行り廃れのラブソング。
     届けたい愛は、届いたのだろうか。
     
     
     
     無事船酔いはしなかったが、ゆらゆらと波の上に居る感覚は抜けないまま、陸地をしっかりと踏みしめる。数時間の舟の旅路を共にしただけとはいえ、懐いたその分全力で別れを惜しんで彰人にしがみついていた女の子は、どうやら少し前に泣き疲れて眠ってしまったらしい。
     母の腕の中とはいえ涙の痕がなんとも痛々しいが、もうお別れの時間だ。
     
    「実はここ最近、あまり元気がなくて……きっと寂しかったんだと思います。でも今日はずっと楽しそうで。本当に、ありがとう」
    「いえ、こちらこそお陰で楽しい時間でした…………またな」
     
     彰人はそう言って、眠る子の頭をそっと撫でた。
     
    「お、とうさん……いかないで……」

     確かに閉じられた瞼の間から、ホロホロと新しい涙がこぼれていく。きっと夢を見ているんだろう、そんな事はこの場の誰もが分かり切っている。
     しかし優しい男が動きを止めるには十分だった。

    「っ……あなたの声が、夫に、とても似ていて」
     
     すみません、その一言を皮切りに母親が堪えきれなくなった涙をついにこぼしてしまった。
     今日まで何を思って歩んできたのだろう。一体どんな気持ちで海に居たのだろう。娘に打ち明ける事の出来ない、この人が積み重ねてきた今までの孤独は、きっと計り知れない。そんな目を背けられない痛々しさだった。

    「ごめん、冬弥」
    「……分かった」
     
     一礼して、3人に背を向けて、ゆっくりと歩き始める。
     彰人はあの母娘にしてやれる事などないと、きっと分かっている。そういう聡い男だ。でも同時に酷く優しい人だから。幼い夢の伴、涙の後の束の間、まがい物の虹をかけるくらいは、見逃そう。
     
     風に紛れてかすかに聴こえる、ちちと母の子守唄。
     夜の帳は残酷なまでにいつも通り、1日の終わりが近付いている事を告げてくる。時間も幼い少女の成長も、止まってはくれない。生きているのだから。
     


     しばらく夜空を眺めて歩み続けていると、良く知る足音が追いかけてくる。
     
    「済んだのか」
    「ん」
     
     そう残すと、彰人は振り返りもせず前を行ったので、慌てて追いかける。
     角を曲がる時にチラリと視界に収まったのは、眠る娘を大切に抱きしめながら、いつまでもお辞儀を続ける母親の姿だった。
     
     
     
     ホテルで夕飯を食べ終えた後、部屋に戻って椅子に腰掛けながら、明日の予定を再確認する。初日がハードスケジュールだった分、せめてチェックアウト時刻まではのんびりするつもりだが、たった二日間の弾丸旅行だ。明日の夕方、帰りの便までに彰人と楽しみたい事は沢山ある。
     今回の旅行の最終目的地は、那覇市国際通り商店街。昭和20年——沖縄戦の焼け野原から目覚しい発展を遂げ「奇跡の1マイル」とも呼ばれる、同市最大の繁華街だ。
     ……だが、その前に。
     
     
     
    「陶芸体験ねぇ……」
    「"やちむん体験"だ、彰人」
    「……いや、意味は一緒だろ。多分」
     
     二日目、最終日。チェックアウト時刻に間に合った俺たちは本日最初の目的を果たすべく、やちむん——焼き物の体験教室に来ていた。
     旅先で制作できる土産という響きに心躍らせながら、作業机に並んで座って待っていると、講師役である壮年の男性が挨拶にやってきた。まさに職人といった気風の難しい御仁であったらどうしようかと多少は気を揉んでいたが、温暖な地域で生きてきた人らしい、やんわりとした朗らかな口調の持ち主で、どうやら杞憂であった事を察する。しかし道具類を用意していく燻んだ土の色でコーティングされた指先は、まさにこの道の匠といった様子で、つい物珍しさに見入ってしまった。
     
    「今回はこっちのお兄さんが置物で……そっちのお兄さんがお皿作りで、あってたかなぁ」

     間違いないです、と隣の男が返すと男性はウンウンと首肯しながら材料を取りに行ったので、ほーっといつの間にか詰めていた息を吐きながらその後ろ姿を見送る。
     そういえば。
     
    「…………シーサーの置物、揃いの土産にしたかったんだが……?」
    「…………付き合ってんだから、せめて実用的なモン作らせろ」
     
     小声で呟くと憎たらしい返答を寄越したので、腹いせに机の下で軽く膝同士をぶつけてやると、わざとらしい「いて」という声が落ちてきた。
     
     こういった手を汚す作業の体験は殆どなかったので、冷たく独特の触り心地がする材料の感触を楽しみながら、ひとつひとつ進めていく。土から空気を抜く最初の工程から並んでやっていたが、どうしても置物作りの方がパーツも多く複雑なので、早々に彰人が手持ち無沙汰になり、立ち上がってしげしげと俺の作業を見守っていた。
     
    「これはなかなか、バランス……が、難しいな……?」
    「…………」
     
     棒状に整えていた土をくるくるとロールケーキのように丸めた、シーサーの模様用のパーツ。これらの置き場がなかなか見当たらなくて苦戦する。
     
    「……何か言ったらどうだ」
    「鼻がでか………………いや、まぁ気が済むまでゆっくりやれよ」

     余程形容しがたかったのか、顔をひくつかせてそそくさと席に戻った相棒は、飾りを彫る為の竹串を持った。成形して放置していた平皿にまた向き直り、窪みの外周に何やら次々と模様を施し始めたので、器用なものだと感心してしまう。だがこれ以上遅れを取るわけにはいかないなと、着々と作業を進めていく男を横目に、自身も作品ともう一度向き合い直した。
     
     黒目部分に穴を開けると、途端に魂が宿る。なかなか迫力があって、我ながら良い出来だ……と思う。見本とは、何か違うが。
     
    「目玉が入るとそれらしくなるもんだな」
    「そうだな。彰人の方はどうだ」
    「おー出来てる出来てる」
     
     顎をしゃくった彰人の背面の方へ素直に視線を向けると、平皿には遠目にもなかなか繊細な模様が彫られていた。あの量を施すのはなかなか骨が折れただろうと思いつつも、一体何の絵だろうかとよく注視してみると……。
     
    「イカ……」
    「おう。イカ」

     黙々と作業に集中していたかに思えた相棒の渾身の一作には、優雅なイカの群れが悠々と泳ぐ姿が描きつけられていた。
     ニヤッと悪ガキの顔をする彰人の顔には、昨日の人参の恨みとしっかり書いてある。しかしそんな無邪気でささやかな仕返しに、でもそれはお前の皿だぞと教えてやると「……絵名にやる」とぶすくれた顔を見せたので、思わず笑ってしまった。 
     
     
     
     窯元から出発し、国際通りに到着すると既に15時をまわっていた。異国情緒溢れる商店街の入り口では「こくさいとおり」のプレートが埋め込まれた石碑の上で、対のシーサーが出迎える。やはり先程作った己の作品とはどこか違うなと思いなつつも、記念として写真に収める。
     そんなスタート地点から既に東京とは大きく異なる景色の中で、ついきょろきょろと辺りを忙しなく見渡してしまう。

    「彰人あれ、みてくれ大きいお面が……」
    「んー?おぉ〜。んだあぇ」
     
     やけにくぐもった返事に振り返ると、何やら茶色いものをむぐむぐと頬張っており、気付くとこちらへ食うか?と言わんばかりに差し出してくるので、ひとくちかぶりつく。柔らかな甘味がしっとりと口の中に広がって、無性にコーヒーが恋しくなる。
     
    「サーターアンダギー、1個目だな」
    「他にも食べる気なのか」
    「美味いだろ?」 

     徐々に水分を奪われながらも、無くなる度に口に突っ込まれていると、ポケットに入れたスマホのバイブレーションが通知を知らせた。

    『そっち、今日も晴れてそうでよかったね!そろそろお昼も食べた後かな?』
    『もう最終日だね〜思い残しのない様にめいっぱい楽しんで、気をつけて帰って来なよ!』

     そんな文章と共に、頬を寄せ合う2人の仲睦まじい様子が送られてきた。午前中の練習の後にWEEKEND GARAGEでお茶をしているのか、照れた小豆沢の手に収まるふたつのカフェオレのグラスには、色違いのストローが挿さっている。
     
    「冬弥、こっち向け」
     
     突然そう言った相棒の視線の先、低く構えたスマホ画面を覗き込むと、ガッチリと肩を組まれる。
     
    「なっ」
     
     ——パシャ 
      
     メッセージは特に返さずに、片手で写真だけを送信したのだろう。彰人は残りを一口で食べきると、モゴモゴと口を動かしながら店先のゴミ箱へ包み紙を捨てて、行くぞと親指で通りの奥を指した。
     
     連なる屋根と青天を背景に撮られたツーショットには、事態を把握し切れていない俺と、ツートーンカラーのつむじに鼻先を寄せるカメラマンが写っていた。
     
     
     
     特徴的な琉球音階で彩られた音楽がどこからか微かに聞こえてくる。人の話し声、笑い声。軒先のテーブルで食事を囲む人々、土産屋を物色する人々。そんなガヤガヤと賑やかな通りを2人並んで歩いていく。
     
    「そういえば白石達へのお土産に、良さそうな店があるんだ」
    「律儀だなお前も」
     
     道端に寄って、スマホで予め調べていた店舗の名前を再確認し、パンフレットで現在地と目的地を入念に確認する。どうやらここからは、そう遠くはなさそうだ。
     
    「ちかそーふぁな」
    「…………」
     
     いつの間に買っていたんだとある意味感心していると、得体の知れない揚げ物が唇に押し付けられ、仕方なくモソモソと口を動かす。
     周りを見渡すと、なるほど同じ物を持っている観光客がチラホラ見受けられる。流行り物に敏感な性分というのは、こんな所にも適用されるのだろうか。
     
    「もずくの天ぷらだってよ、初めて食ったわ」
     
     口に含んですぐにネタばらしされたその正体には驚かされた。何しろ今までに食べた事のあるはずの、知っている食感からは程遠い。ふかふかもちもちとした弾力と塩気が絶妙な、初めての味。
     
    「……もうひとくち」
     
     あいよ、とパンフレットを握ったままパカりと口を開ける俺に餌付けする楽しそうな男の視線は、既に次の買い食い先を探しているようだった。
     
     
     
     なんだか今日は放っておくとずっとフラフラしていそうな彰人の腕を引っ掴んで、辿り着いたのは「沖縄の海を持ち帰る」というコンセプトの、ホタルガラスと呼ばれるトンボ玉を用いたアクセサリーショップ。
     女性だらけの店内に男2人で入っていくという場違い感と、旅行鞄をぶつけてしまわないかという緊張感で、自然とそろそろとした歩調になる。フロアはそこまで広くはなく、ホームページでも見ていた商品が並ぶお目当ての陳列棚へはすぐに辿り着いたので、ひとまず全体の商品を見渡す。見た目にも涼しいガラス質のそれらは、濃淡様々な沖縄の海に因んで7種類程に分けた名付けがされている様だ。
     
    「ピアスだと小豆沢が付けられないか」
    「まぁでもイヤリングだったら、たまに付けてたろ」
    「それもそうだな……しかし顔の周りに身に付ける物よりも、ブレスレットの様な物の方が使ってもらい易いだろうか……」
    「別に奇抜なデザインじゃねぇし、これくらい小振りなヤツだったら使いづらくもないだろ」
     
     吟味しながら思った事をポツポツと並べていくと、ファッションに一家言ある男から小気味良いレスポンスが返ってくる。そしてやはり来たからには、装身具の類は気になるのだろう。「任せたわ」と早々に土産選びから離脱した彰人は、ぶらりと店内散策に行ってしまった。
     
    「……では、やはりこれにしようか」
     
     色とりどりの青の前で立ち尽くし、散々悩んで結局手に取ったのは、最初から目を付けていたピアスとイヤリング。いつも仲の良いチームメイト達の為に、色合いと模様が出来るだけ似ている物を選んだ。
     しかし少し残念に感じている事がひとつ。
     
    「なんだよ。欲しいもん置いてなかったのか?」
    「あぁいや……違うんだ」
     
     表情に出てしまっていたのだろうか、物色をひととおり終えて戻ってきた目敏い相棒が声をかけてきた。
     
    「実は彰人にもピアスをと思っていたんだが……どれも似合うだろうから、これでは1つに決められないなと」
    「……いやここにあんの、ほとんどレディスのデザインだろ」
    「ふふ、それもそうだな」
     
     ひとつ、濃い藍色の石の付いたピアスを手に取って、彰人の耳の前に翳してみる。

    「でも石の色がな、きっと映えると思ったんだ…………うん。やはり、よく似合っている」
    「…………そうかよ」
    「あぁ。でも選びきれないから、今回はこの2つにする。外で待っていてくれ」
     
     なんとなくぶっきらぼうな様子だったので、だいぶ待たせてしまったのだろうか。ついまた時間が経つのを忘れていたので、どうやら沖縄の海とは相性が悪いらしいなどと不毛な事を考えながら、早足でレジへ向かった。
     
     
     
     昼と夜を兼ねているからと、相変わらずちょくちょくと屋台に並びたがるのに付き合っていると、軽めの甘味から腹に溜まるご飯ものまで、あれもこれもと結構な量を食べる羽目になった。その合間合間でお互いの家用であったり、いつもお世話になっている謙さんやセカイの皆への手土産を、ああでもないこうでもないと買い揃えていく。
     すっかり多くなった手提げの紙袋と、パンパンに膨れた旅行鞄を抱え直してふと辺りを見渡すと、いつの間にやら辺りはすっかり夕陽に染まっていた。
     ——あぁそうか。もう、終わりが近づいている。
     
     酒席を設ける人々、三線や指笛の音が流れる屋台の並び、提灯のあたたかい光。
     少し先を歩く彰人の耳にあのホタルガラスが揺れていたら、いまはどんな風に光っていただろうか。どんなに綺麗だったろうか。
     
    「行くか」
     
     声を出すとなんだか閉じ込めておきたいものが零れそうで、返事が出来なかった。それでも昨日とは違う困り眉で笑う彰人になんとか頷いてみせると、今度はゆっくりと腕を引かれた。
     
     祭りのような非日常の灯が遠ざかるバスの中、喉の奥がつっかえてずっと黙り込んだまま。ゆるく握られた手のあたたかさだけを、静かに感じていた。
     
     
     
     バスターミナルに降り立って空港までの道すがら、ポツポツと隣を歩く相棒と言葉を交わす。
     
    「昨日はどうなるかと思った」
    「余裕だと思ってたのにな」
     
     ——隣で走ってくれる所。
     
    「鍋物はまた食べたい」
    「なんか作るか、今度」
     
     ——次の約束に繋げてくれる所。
     
    「焼き物はいつに届くのか、楽しみだな」
    「……"やちむん"、じゃなかったのかよ」
     
     ——よく話を聞いていてくれる所。
     
    「甘い物はたくさん食べた」
    「他にも色々食ったろ」
     
     ——分かち合おうとしてくれる所。
     
    「鯨の歌、綺麗だったな」
    「…………そうだな」
     
     ——隣で同じ景色を見てくれる所。

     共に過ごせば過ごすほど、彰人からはたくさん優しさを貰ってしまうんだなと考える。
     
    「彰人、ありがとう」
     
     しかし同時に、もう思い出になりつつある時間に、いよいよ旅の終わりを感じてしまう。
     
    「なんだよ改まって」
    「これからは高校生活の様に、長い時間を一緒に過ごせる事は少なくなるだろうだから……つまり、この2日間は俺にとって、」 
    「ストップ」
     
     投げ掛けられた静止の声に戸惑っていると「これで最後みてえに言ってんなよ」と額を弾かれてしまった。

    「これ、やる」
     
     感傷に浸りかけていた俺を現実に戻す為か、そういって徐に取り出して寄越したのは、小さい紙袋。
     開けてもいいかと目で訴えると、首肯は貰ったがなんだか居心地悪そうにしていた。心成しか少し早足になった彰人に構わず、中身を取り出そうと一度立ち止まる。カサカサと音を立てて顔を出したのは——深い青のホタルガラスが入った、ブレスレット。
     
    「っ……大切に、する!」
     
     前方ではやく来いと言わんばかりに、振り向きもせずに手を振る男の手首には、揃いの輝きが揺れていた。
      
      
      
     少しでも時間が延びれば良いのにと願いながら一歩一歩を踏みしめていたはずなのに、あっという間に空港のロビーに到着してしまった。滑走路の飛行機を眺めながら暗くなった空を見上げると、いくら明るい空港の光があろうと東京よりは星がよく見えた。
     
    「……カノープス、ここからじゃ見えないな」
    「なんだそれ」
    「あそこに見えるシリウスが、太陽を除けば1番明るい恒星なんだが……カノープスはその次だ。ただ南中する高度が低くて、東京ではかなり見えづらい」
    「ふぅん」
     
     そんな鼻を鳴らす様な返答とは裏腹に、興味はあるのか、金色を溶かした瞳を星空へと向ける。
     
    「1番と2番の差」
    「……」
    「俺たちと同じか…………いや、まだカノープスにも届かないか」
    「あのなぁ」
     
     謙虚なのは悪くねえけど、彰人はそういうと大きくため息をついて、こちらを不服そうに睨みつけた。
     
    「目指すなら、せめてあっちだろ」
     
     そういって迷わず指差したのは、この夜空で堂々とした光を放つ、シリウス。
     
    「いや……超える景色を、見る」
      
     そう宣言してこちらを射抜く瞳に、閃光を見た。それはいつもは見えないだけで、ずっと燃やし続けている命の、強烈な輝き。
     
    「——だから隣に居ろ、その時に」
     
     この光を眺める特等席は、どうしたって俺の為にあるらしい。
     なら近くで、隣で、一番側で。いつか辿り着く同じ景色を見よう。
     
     目が合えば満足そうな顔で笑う相棒が居て、それならもう、言葉は要らなかった。
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