第拾玖話 遺児の悲劇 白銀に染まる大地。
そこで繰り広げられていたのは見るも無惨なほぼ一方的に繰り広げられる戦いだった。
次々と保健室へ運ばれて来る怪我人たち。
イーゴスを先頭に保健委員たちは呆れと怒りで今にも爆発してしまいそうだ。
「あっはっはっはっは!
雪玉は魔法で作るもんじゃない!
錬成するもんなんだよ!!!」
「ぎゃあああああ!
無属性チームがえげつない!」
本日はここ10年間で一番の積雪量を記録した大雪で学院には最大で1mに及ぶ雪の壁ができるほどの雪が積もっていた。
もちろん、すべての授業は休講となり、ほとんどの学生は帰宅した…、ということにはならないのがこの学院のすごいところである。
授業が休講なのは事実だし、登校しなくてもいいというのも当然の判断だ。
しかし、学生たちのほとんどが学院に来ていた。
「先生!飛び級試験で聞きたい事があるんですけど…」
「先生!競技場の使用申請書どこですか?」
「せーんせー!上級生が雪合戦の場所を明け渡してくれませーん!」
「先生、庭園で実戦演習してもいいですか?」
「先生!図書館の扉の前の雪かき終わりました〜、約束の食券ください」
そう、学生たちはここぞとばかりに学院内の施設を使用して実験や実戦を行い始めたり、普段は接点のない他の学年の先生をとっ捕まえて勉強を見てもらったり、単に学生同士で雪を見ながらラウンジや食堂でお茶をしたりと、それぞれがこの状況を最大限生かした楽しみ方をしているのだった。
哀れなのは教師陣の方である。
せっかく休講になったから自分の研究を進めたり、授業内容の再考をしたりとやりたいことはいっぱいあったのに、廊下を歩くたびに学生達に捕まり、あらゆる場所で監督をさせられている。
「んあぁ…、ねぇ〜、あんたたち、そろそろ休んだら?」
「ママ、わたしたちを強く賢く実戦に強い魔法使いにしたほうが後々何かとお得だよ」
「え〜、子供なんだからもうちょっと可愛い勉強しなさいよね〜」
ここにも例に漏れず学生に捕まった教師が1人。
ギフトの母、ファージはギフトを連れてショッピングにでも行こうと教室に来たところを捕まってしまったのだった。
「いやいや、ギフトから聞いてますよ
リリーベル先生、家だと結構ハードな修行させてるんですよね?」
「私たちにもお願いします!」
「お願いします!」
「お願いいたしますわ!」
「お願いしま〜す」
「んぐうぅ」
ギフトのドヤっとした顔と可愛い子供達の真剣な目にやられたファージは少しだけギフトを強くしすぎたことを後悔した。
苦笑しつつ、そんな素直でキラキラとした友人が集まってくる自分の娘が誇らしくもあった。
魔法とはまるで無縁な人生を歩んで来た人間を、この良くも悪くも魔法が蔓延した世界で生きていけるようにするには、並大抵の努力では足りないのだ。
ファージはギフトを魔法への耐性を一から構築するために幼児化させた。
何の耐性も無く、自分の身すら守る術を知らないまま成人した人間は、この世界においては使い道も無ければ保護するメリットもないため、ただの『臓器ホルダー』として売り買いされてもおかしくは無い。
ギフトは今までの人生で自覚こそないが、生まれたときからこちらの世界では大貴族である。
もし、そのことを偶然知ったこの世界の悪人に先に連れ去られていたとしたら…、おそらく今頃は口にするのも憚られるようなひどい扱いを受けていたことだろう。
1つ、例を挙げるならば、高い魔力と良い血筋を持つ『戦闘奴隷』の『
産女』として監禁され、管理されていたことだろう。
ギフトは生まれ育った土地が特殊だったためにこの世界の魔女と魔法使いの子供なのに日本人としてちゃんと生まれることが出来た。
それは奇跡に近いことだったのである。
ファージはずっとずっとギフトを見守ってきた。
ただひたすら幸せになって欲しかった。
だからこそ、ファージは自分の姉が許せなかった。
あの旅行は、ただの旅行ではなかった。
ギフトを助けるには、ああするしかなかったのだ。
姉もろともあの悪魔たちを殺すしかなかった。
「…、…、…ママ、ママ?」
「あらやだ、キールとの初夜を思い出してぼーっとしちゃってたわ〜
それはそうと、なんでみんなそんなに急いでるのかしら?」
「(ショヤってなんだ…?)お、俺は兄と姉に負けたくないからです!」
「私はもっと的確に後方支援ができるようになりたいからです!」
「僕は家名に恥じない強い魔法使いになりたいからです!」
「わたしは戦うお姫様になりたいですわ!」
「ボクはサイモス兄さんを助けたいし、ずっと支えていきたいからで〜す」
さらに5人は目を合わせると代表してホンロンがファージに向かって姿勢を正してこう言った。
「ギフトが春から6年生と授業を受けると聞き、なんとしても追いつきたいです!」
「あら〜、うちの娘は人気者ね〜」
ファージはニヤニヤが止まらなかった。
ギフトのことを好いてくれている上に目標としてくれている子供達のことがとても嬉しかったし、何よりもギフトの才能よりも努力を褒めてもらえているのが嬉しかったからだ。
ファージは誰よりもギフトの頑張りを知っているし、認めている。
名指しされた当の本人、ギフトは不意をつかれたようで、照れて顔を真っ赤にしながら右手に展開した魔法陣から雪に氷の杭を突き刺しまくっている。
実はギフトは自分ではなくホンロンの兄と姉がファージの密偵に選ばれたことに少なからずヤキモチを妬いていた。
本当なら5年生への飛び級試験を受けるはずだったのだが、それでは「実力不足」だと思われるのが悔しくて6年生の試験を受け、見事合格した。
大学部への飛び級試験はどうしても『団体実戦』の戦績が必要なため、いまのギフトではまだ受けることは出来ない。
しかし、6年生と授業を受ければ嫌でも『団体実戦』の授業がある。
ギフトは早く強くなりたかった。
いや、早く強くなる必要があった。
トニタルアの兄、キャンドルのことやエリン家が何をしてくるかわからない、ということももちろんあるが、それよりも、最近、どうも魔力の生成量がグンと増えたようなのだ。
『魔女』と『月』は昔から大きな関わりがあるとされてきた。
特に満月や三日月の力が影響を及ぼすということももちろんわかっているが、この場合の月は『生理』のことだ。
ギフトは依然として毎月激しい痛みに苦しんでいるが、その分、魔力の生成は月を追うごとに増えており、適度に魔法を使わないとリケルが神経を圧迫して頭痛がするのだ。
全く、リケルとは本当に厄介な器官だなぁとギフトは思うばかりだが、ギフトの場合はリケルと精神は反応し合わないため、生理前の憂鬱な時でもガンガン魔法が使えることには感謝している。
同じ転移者であるホンロンたちティエ家の人たちはどうなのかというと、すでにこちらの世界に転移してきてから300年以上も経っているため、リケルの性質は王国民とほとんど同じであるという。
女児の中には第二次性徴あたりからリケルが精神から独立する人もいるらしい。
ちなみに、ホンロンの母はリケルがギフトと同じように独立している。
とにかく、以上の理由から「どうせ魔法を使わなきゃならないなら進化のために使いたい」と思い、ギフトは日々ファージとキールのスパルタに耐えている。
みんな今日は強烈な修行をするつもりで登校してきた為、いつもよりも制服ががっちりしている。
ギフトは深緑色の
旗袍に黒に近い紫色の大判マフラー、真っ黒のパンツ、足元は焦げ茶色のブーツ。
ホンロンは裏地がロイヤルブルーの真っ黒な
旗袍に真っ黒なパンツ、濃紺のブーツ。
ルルーディアは焦げ茶色のブラウスに黒のカーディガン、濃い紫色のキュロット、黒いタイツ、焦げ茶色のブーツ。
サフィルは暗めの紅のデールに真っ黒なウムドゥ、焦げ茶色のブーツ。
パルトは珍しくとてもシンプルな桜色のブラウスに焦げ茶色のカーディガン、明るいグレーのショートパンツ、白いタイツに焦げ茶色のブーツ。
トニタルアは山吹色のデールに焦げ茶色のウムドゥ、黒いブーツ。
「ギフトのマフラーもっこもこだね
お顔隠れちゃってるけどそんなところも可愛くて好き」
「お、おほ〜、ありがとう
これ、妖精さんたちからもらったんだ」
「な!魔女だけがもらえるっていう【妖精からの贈り物】、
お祖母様の婚礼衣装以外で初めて見たよ…」
「さすがギフト…」
「追いつくのも一苦労ですわね…
でも、わたしは優秀ですから、すぐに追いついて見せますわ!」
「ボクはギフトちゃんに追いつきつつ、指令を出す側に回りたいな〜
いいよね、自分より強い人を作戦で使うのってかっこいい〜」
「トニーの作戦なら戦いやすそうね」
「お、俺はギフトと背中合わせで戦えるようになる!」
「はい?それは私の役目なんだけど」
「いやいや!ルルーさっき後方支援って言ってたじゃん!」
「そうだっけ?」
ファージは目の前の光景があまりに可愛くて微笑ましいためにキュンとしすぎてハァハァ言い出しそうになっていたがここは職場だと寸前で思い出して自重した。
ちなみに、ファージは肩パッドが入った硬めのカーキ色の生地を使った軍服ニュアンスの服で身を包んでいた。
生成り色のシャツ、軍服ニュアンスのジャケットには金ボタンや胸元にはリリーベル家の家紋が刺繍されたワッペンやバッジの数々。
袖口には金のラインが4本入っており、金ボタンも抜かりなく3つついている細身の特別仕様だ。
パンツは同じ生地でテーパードになっており、よく鍛えられた脚のラインがすっきりと現れている。
ブーツはもちろん黒で軍用の硬い鉄板入り。
そしてこのスタイルをさらなる高みへと昇華させているのが黒いロングコート。
腕を通さず、肩に羽織っているのがかっこよすぎて先ほどから女子学生からの視線がすごいことになっている。
思春期の男子学生的にはちょっと色気の方向性が違うらしい。
ファージは時折学生たちの方を向いては瞳を流し気味に薄く微笑んで色気の銃弾をぶっ放している。
唇にひかれた鮮やかな
紅と最近染めたアイスブルーの長い髪が卑怯なくらい色っぽい。
「あ、みんな〜、ちょっと待っててくれるかしら?
ラウンジでお茶して休憩してて〜」
「は〜い」
「ギフト、みんなを頼んだわよ」
「任せといて」
ファージはギフトに微笑むと空中から取り出した杖に乗って実験棟の方へと飛んで行った。
女学生たちに手を振ることも忘れずこなして行く母の姿にちょっと呆れながらも、ギフトはその背中を見つめることしかできない自分が歯がゆかった。
学院内にあるファージの研究室。
紫色のカーペットに、金の縁取りが施された焦げ茶色の整えられた机と椅子。
色とりどりのガラスが組み合わされたランタンは優しく点灯されるのを待っている。
コンコン
「どうぞ〜」
ファージの声に導かれて取っ手に陶器の金魚がついた焦げ茶色の引き戸がスライドされ、2人の学生が入ってきた。
裏地が金色の真っ黒な旗袍に白いパンツ、黒いブーツの高身長の男子学生。
体に沿うような美しいラインを称えている裏地が銀のロイヤルブルーの旗袍に白いパンツ、黒いブーツの豊満な胸の女子学生。
「失礼します」
「失礼しま〜…、やだー!先生かっこいいですね!」
「あらー!ありがとうツゥイラン!
これおニューなのぉ」
「いいなぁ!いいなぁ!制服でも採用して欲しいです〜」
「…」
ファージと妹のキャッキャしたやりとりを無言かつ真顔で静観しているのはホンロンの兄、ツァンリィェンだ。
「先生、ご報告があります」
「精悍という言葉はツァンリィェンのためにあると言っても過言ではないわねぇ
座って話しましょう、さぁ、ソファでお茶会よ〜」
「…はい」
「はーい!」
ツァンリィェンとツゥイランは研究室の扉の前にある深緑色の革張りのソファに腰掛けた。
前にある黒い漆塗りの長方形のローテーブルには黄金の雷雲と白い椿が描かれていて大変
雅である。
ファージも紅茶とクッキーの用意を済ませると向かいのソファに座った。
「今日も寒いわね〜
今年は春が来るのが遅いのかしら」
「はやく可愛くて薄い生地の春服着たいですね」
「そうなのよね〜
爽やかな開襟シャツと敢えてのゆったりニットで学生たちを悩殺しないといけないからね〜」
「リリーベル先生は学生たちの士気をあげるためにお洋服を選ばれているのですね」
「も〜、ツァンリィェンたら可愛い〜
わたしの服で士気が上がってくれるのならもっと色々着ちゃおうかしら」
「お兄様は真面目でド天然ですからね」
「天然ではないぞ、会話が成り立っているから大丈夫だ」
「はいは〜い」
外気の冷たさに冷えた身体を生姜紅茶がゆっくりとあっためていく。
ツァンリィェンは左手甲に彫られているティエ家の紋章から自身の傀儡、ヨンガンを呼び出すと、両手を広げさせ、受信の魔法陣を展開させた。
「リリーベル先生、今のところエリン兄弟は最近よく一緒にいるようです
次男の研究室に三男が尋ねる頻度が日に日に増しています
実害はまだないのでなんとも言いにくいのですが、あまりいいことのようには思えません
一応、もう一体の傀儡、レンナイに今も見張らせています」
兄に続き、ツゥイランも左手の甲の紋章から自身の傀儡であるヨウヤーを呼び出し、集めた映像を映し出した。
「キャンドル様の方はあまりの性格の変わりように大学部の学生たちが驚いています
なんていうか…、魅力的です
例えるならば、みんな怖いもの見たさで近づいて虜になってるという感じでしょうか
ティモルくんは独り言が減りましたねぇ
クラスが違うので選択科目でしか一緒にならないですが…
私もイャォイェンにティモルくんの監視をさせています」
「まだあまり動きはないってことね…」
ファージは口元に手を当て、長く涼やかなまつ毛に隠れるように瞳を映像から外しながら思案した。
「あの、弟から聞いたのですが、病院にはもう1人幼い子が一緒に居たと言っていたのですが…」
「あぁ、あれは長男ノチェリの息子よ
あの時ギフトやホンロンたちを見張っていたのはエリン家の長男ノチェリ、次男アマラ、三男インヴィディア、五男ティモル、長男の息子の全部で5人
あのちっちゃい子はまだ6歳だから特に気にしなくても大丈夫だと思うわよ
ノチェリは…、今はどっちの味方なのかわからないわ」
ファージは少し寂しそうな笑顔で2人に笑いかけた。
「お知り合いなんですか?」
「そうね、知り合いといえばそうね
ノチェリは3年前に駆け落ちから戻ってきたのよ
あの息子を抱いてね
奥さんは亡くなったって噂よ」
そこで一旦言葉を切ると、ファージはため息交じりにこう付け加えた。
「…ノチェリの駆け落ちを手伝ったのはルークなの」
ツァンリィェンとツゥイランは一瞬顔を見合わせると、別段驚いた様子もなくファージへと視線を戻した。
王族の駆け落ちなんてそこまで珍しいことではない。
行き着く先が幸せだとは限らないが。
「…そうなんですね」
「エリン家は色々と噂はありますが、ご当主と奥様は王族というよりも研究者として生きていらした分、あまり血筋にはうるさくないと聞いています」
「そうね、でも、息子の相手が奴隷だと話は違うのよ」
2人の眉がピクリと動く。
「ノチェリさんは奴隷の方と駆け落ちなさったんですか?」
「ロマンチックだわ…」
「身分差の恋っていつの時代も甘美な響きよね」
「好きになったら致し方ないということは理解できます」
「あら!ツァンリィェンは意外とロマンチストなのね!」
「まぁ…、現実はそんなに甘くないということも承知してはいます
しかし、こう言っては語弊があるかもしれませんが、ノチェリさんはよく生家に戻ってきましたね
普通だったら爵位の剥奪、階級をまでも奪われてしまいかねないことなのに」
ファージは慣習化されたある種のルールのようなものを純粋に信じている2人に、どう話したら良いのかわからなかった。
2人は小さな静狼市国の王族とは言え、いずれこの王国の内部と関わるにつれて、その動きから知ることとなるだろう。
地位や階級を上がるにつれて狭く細くなっていく足元を誤魔化すために作り出す悲しい嘘の数々を。
「さっき、血筋は関係ないって言ってたでしょ?
その通り、エリン家の当主は母親の出自や血筋、駆け落ちを不問とする代わりに、ノチェリの息子を自分たちの管理下におくことにしたのよ
顔が亡き息子、ディアボリに似てたからね」
「…え」
「ここまで言えば簡単よね」
2人は血の気が引くのを感じた。
寒い、恐ろしい、まさか。
「ディアボリとティモルは当主と奴隷の間に生まれた子よ
ノチェリが駆け落ちした奴隷の女性はディアボリたちの母親の従姉妹なの」
ファージはあのときどうすることもできなかったことを思い出していた。
ただただ友人たちの逃避行を思い、涙することしかできなかった。
「結局、父の息子なんだ、俺は」と言って頬を濡らす友人を抱きしめることすらできなかった。
10年前はまだ助けてあげられるだけの権力を持っていなかったのだ。
「リリーベル先生、安心してください
僕たちはどんな事情があれ、同情と罪への責任は分けて考えています」
「お兄様の言う通りです」
「2人ともありがとう
本当に立派ね〜、うちのギフトも2人みたいに育ってくれたら大成功だわ」
「ギフトちゃんは大丈夫ですよ〜
うちの弟の方が心配です」
「ああ、ホンロンは少し感情的になりやすいから…
しかし、そこが長所でもあるからなんとも注意しづらいときもあります」
「あらあら、ホンロンこそ大丈夫だと思うわよ〜?
あんなに余白がいっぱいある子珍しいと思う
きっと素晴らしい魔法使いになるわよ」
「ありがとうございます
妹にも、弟にも、僕はとにかく健康で幸せになって欲しいと願うばかりです」
「やだ、お兄様ったら本当に言うことがお父様そっくり!」
「そうかな」
「…こういうところがズルいんですよお兄様は!
先生もそう思いません?」
「わかる、ズルいくらいかっこいい!
思春期に出会ってたら絶対恋してたわよ!
これが天然なんだから嫌だわ〜
怖いわね〜」
「怖いですよね〜」
ツァンリィェンは何か怖いことを言ってしまっただろうかと小首を傾げて少し思案してみたがよくわからなかったため、盛り上がっている女子(?)2人を横目に目の前にあるクッキーをもそもそと食べ始めた。
「…美味しい」
☆★☆★☆
ひたひたと
滴が落ちるたび、ランプの光を反射して砕け散る。
ティモルはあの人のために新しく用意した地下施設で今か今かと待っていた。
作業台に乗せてあるモノは、彼への贈り物だ。
コツン、コツン、コツン…
階段を降りてくる音がする。
ティモルの頬は紅潮し、今にも溶け出してしまいそうなほど瞳は妖しく濡れていた。
キィィィ…
扉が開き、待ち焦がれた愛しい人が現れた。
「またこんなところで会えるなんて嬉しいよ、ティモル」
「ハァハァ、ああ!兄さん!」
ティモルは「兄さん」と呼び、相手に抱きついた。
「ふふふふふ
こうしてまたお前を抱きしめられるなんて、なんという幸福なのだろう
あぁ、可愛く育っているね」
「うん、うん!
兄さん、キャンドル様の身体はどう?
兄さんよりも少し大きいから動かし辛くない?」
ティモルは抱きつきながら少し上半身を離すと、その身体を下から上まで眺め回した。
「大丈夫だよ
この身体はとても良い
僕の大好きな感情で溢れている
1つだけ困るのは、あのイーゴスの
末弟に対する暖かな愛情だけだな」
ティモルの顔が一瞬歪み、キャンドルの身体を動かしているディアボリに縋るように抱きつき直す。
「そ、そんな!
兄さんが好きなのは僕だけでしょう?!」
「当たり前だろ?
あまり僕を煩わせないでくれ
それとも…、お仕置きされたいのか?」
ディアボリの甘く痺れるような低い声がティモルの耳へと吐息とともに注がれる。
「うううっ、はぁん」
「あはは、可愛い
大丈夫だよ
すぐにこの感情も消え去るだろう
一番良いのはこの身体に完全に慣れてしまう前にもっと良い身体に移ることだ
早くあの身体が欲しいよ
あぁ、サイモスは本当に美しい…」
「…兄さんの方が美しいよ!」
ムスッとしたように唇を尖らせる弟の頭をゆっくりと撫でながらディアボリは優しく微笑む。
「わかったわかった
可愛いティモル、さぁ、早速プレゼントを楽しませておくれ」
「うん!」
バチン!
ティモルがスイッチを押し、部屋全体を照らす大きな明かりを灯す。
「これは…素晴らしい」
そこに用意されていたのは金属のフレームにガラスの引き戸や瓶が並べられた壁一面の棚と、その中央に置かれた作業台や医療機器が立ち並ぶ解剖室だった。
棚には様々な病巣が密閉された大小の瓶や標本箱が収められたいる。
ディアボリがいない間に発刊された病理に関する本や論文などもあらゆるものが揃っていた。
「ここは今日から兄さんと僕の秘密基地だよ」
「最高だよ…、あはははははははは!」
ディアボリは高らかに笑うと、右手の人差し指から出した小さなドス黒い魔法陣を瞳に付け、作業台に横たわるモノの身体を舐め回すように観察し始めた。
そんな兄の姿があまりにも美しく、悪意渦巻く冷たい瞳に興奮しながらも、ティモルはディアボリのために手元に必要な道具をテキパキと用意していく。
その顔は恍惚に歪んでいた。
☆★☆★☆
「ぶえっくしょーん!」
「ヤダもうあんたくしゃみくらい可愛く小さめにしなさいよ!」
帰宅したギフトの顔は真っ青だった。
今はギフトのあまりに体調不良感溢れる姿に驚いたファージの魔法によって毛布でグルングルンにされ、熱を計りながらソファに座らされている。
「うう、ごめんなじゃい」
「はぁ…、勉強熱心なのは良いけど、あんな大雪の中8時間以上も外にいるなんてバカのすることよ!」
「だってぇ…、なんかクラスの子たちが集まってきて一緒にやりたいって言うからぁ」
「も〜、今年のエイマクラス変なんじゃないの?!
いつもなら自分の魔力とか魔法の上手さを鼻にかけてちょっとお高くとまってすましてるくらいの子が多いのにぃ」
「…いやいやいやいやいやいやいやいや、ママのせいだから」
「…え?」
ファージは訳が分からず一瞬動作が止まる。
「だから、ママとパパがわたしを強くしすぎたから入学式の時点でエイマクラスの子たちのプライドはわたしによってバッキバキに折られたんだよ
だから今みんな闘志燃やして勉強してるんじゃん
諸悪の根源はママとパパです」
「あ、へ〜、…な、なるほど〜…、てへ!」
ファージは思い当たる節があまりにも多くもはや言い訳もなにも思い浮かばなかったため、両手を頬に当てて小首を傾げながらウィンクしてみた。
「うわ、そういう可愛らしい誤魔化し方はその厚い化粧を落としてからどうぞ」
ギフトの反応は辛辣で、ものすごく嫌そうに眉間にシワを寄せてファージから距離をとった。
「ムキー!失礼ねー!」
「はいはい、じゃ、風邪薬飲んだから今日の分の特訓お願いしまーす」
「ダメよ、ダメ!
風邪はひきはじめが肝心なんだから今日は特訓無し!」
「ヒョエ〜」
「変な声出してもダメなもんはダメ!
お風呂であったまるついでにお湯で動物かなんか作って魔法使えば良いでしょ〜」
「…くっそう、風邪なんて嫌いだぁ」
「誰も風邪が好きな人なんていないわよ
お湯の色変えたり成分いじったり石像のポーズ変えてもいいからとにかく今日は寝たりゆっくりしてても使える魔法だけにしときなさい」
「へ〜い」
「あ、でも前みたいにお風呂場を変な植物で溢れさすのだけはやめてよね!
消すの大変なんだから」
「チッ」
舌打ちしつつ、ギフトはお風呂の前に風邪を引いているとは思えないほどの量の消化に良いご飯を食べ、もはやそれは胃に優しくないんじゃないかという周りの目線をかわしながらデザートのフルーツも1kg分ほど平らげた。
その後、おとなしく大浴場へ行ってお風呂に入り、石像を何体か決めポーズに変え、お湯を紫色の炭酸水に変化させてから出て、用意されていたカモミールの香油を丁寧に身体にすりこんだ。
「良い匂いな気がするけど鼻が詰まっててちょっとよく分からないなぁ
みんなどう?」
妖精たちはギフトの香りに満足なようで頬にいっぱいキスをしてくれる。
「みんなが好きなら良いか!」
ギフトは用意されていた下着とロングワンピースにロングボトムの完全保温仕様のパジャマを身につけて猫足スリッパを履いて大浴場を後にした。
自室についたギフトは用意されていた生姜湯を飲んで一息つくと、ゴロンとベッドに横になり、浮遊魔法で
天蓋を外して横の本棚に立てかけた。
そして全身から様々な魔法陣を出し、空中に展開しながらそれぞれを合わせたり重ねたり組み合わせたりして新しい魔法を組み立てた。
バングルからレイユィンも呼び出し、魔法陣をくっつけたり持たせたり、魔法陣から武器を取り出させたりしながら今度の実戦の作戦を考えていた。
なんと、残念なことにメイルランスが受けていたのはギフトとは違う科目だったために魔法実戦はギフト1人で6年生に混ざることになってしまったのだ。
「受ける科目もっとちゃんと聞いておけばよかった…
物騒な科目ばっかり受けちゃった…」
ギフトはメイルランスやファージ、キール、ルーク、ホンロンたち友人の顔を思い浮かべながらどうやったら全員を守れるだろうかと考えていた。
つい最近もみんなでミンシンのお見舞いに行った時にラウンジで王立軍の兵士たちが国境付近で小競り合いがあったと話しているのを聞いた。
この世界はギフトが前にいた世界よりも良いところもあるが、悲しいこともある。
どちらにも共通しているのが、どちらの世界も「自分以外の誰かの意識を変える為に戦っている」ことだろう。
同じ考えの人だけで集まれる訳なんてないのに。
理想を語るとそれは綺麗事だと笑われるのはどこの世界でも同じだ。
「理想はなくても、夢は持ってなきゃね…」
ギフトはゆっくりと自分の中に魔法陣を戻すと布団へと潜り込み、静かに目を閉じた。