第弐拾弐話 手に入れたいもの とある小さな国の領空内に美しい細身の臙脂色のスーツを着こなし、薄い紫色のポニーテールをなびかせた魔女…、いや、魔法使いらしき人影が優雅な早さで飛んできていた。
「ユ〜ウ〜!」
こちらに向かってきている魔法使いの姿と間延びした呑気な声を確認したこの屋敷の地位の高そうな女性は庭園内や屋敷の屋根の上などに控えていた使用人たちに一斉に号令を発した。
「
彼奴が来たぞ!皆の者、塩と水を撒けぇい!」
「かしこまりましたー!」
「はい喜んでー!」
魔法使いが屋敷の敷地内に差し掛かった瞬間、女性の号令に応じた使用人たちによって大量の塩と水がぶち撒けられ、その全てが魔法使いへと襲いかかってきた。
ザァァアアアアア!
「ちょ、え!あんたってやつは!
本当にいつもいつもー!」
ファージは胸元から大きな雷の魔法陣を展開し、右手から風の魔法陣、左手から金の魔法陣を出すと、風でまとめあげた空気の器に水を溜め、塩を混ぜて食塩水にし、そこに巨大な電極を2本突っ込み、電流を流した。
バチバチバチ!
ボコボコボコ…
「はぁ、はぁ、ほら、あんたの大好きな次亜塩素酸水よ…!」
「さすがファージ、毎度のことながらよくもまぁこんなに素早く処理できるものだな」
本日ファージが遊びに来たのは
静狼市国。
その頂点に君臨するユウ=
屍姫=ティエは使用人たちに保存用の瓶を持って来させるとファージが作ってくれた次亜塩素酸水を注ぎ入れた。
研究室や屋敷内の消臭スプレーとして使うのだ。
「あんたはいつもいつも…、錬金術でやるような作業をわたしに出会い頭に物理的にぶん投げてくるのやめなさいよね〜!
なんでこの母親からあんな良い子たちが育つのかしら…」
「ワタシが優秀なのだから、我が子たちが優秀に育つのは当然のことであろうに」
「…はぁ、はいはいそうですねぇ
それにしても今日も
艶やかね〜」
「そうであろう、これは娘のデザインだ
翠蘭は成長するたびに才能が溢れて止まらんのだ
最近じゃ
簪も作るようになってな、この
鼈甲の鶴はついこの間もらったんだ、どうだ、いいだろう」
ツゥイランがデザインしたという
旗袍は濃い紫色の生地に同色の糸で桜の刺繍が胸元、袖口、裾に施されている美しいものだった。
裏地は銀色で、優しく反射した光が深めのスリットから見える白いユウの脚をより一層輝かしく綺麗に魅せている。
立ち襟に金のパイピングが施されているため、余計なアクセサリーなどを必要としないところもポイントが高い。
鼈甲の鶴の
簪は今にも飛び立ってしまいそうなくらい躍動感に溢れ、それでいてとても繊細な細工が施されていた。
「ふふ〜ん?わたしだって今日は可愛い可愛い娘が選んでくれた服なんだからっ
ギフトは色使いに独特のセンスがあってそこがまた優秀なのよね〜
どう?この首元と胸元と袖口のたっぷりとしたフリルの黒いブラウス!
娘とお揃いで買ったのよ〜
髪色だってギフトのリクエストなんだから」
「…なぜだろうか、本当に同性に産まれんでよかったと思うわ」
「あら、褒め言葉として受け取っておくわね」
2人は久しぶりに会ったとあって、他愛のない話をしながらティエ家の応接室へと向かった。
ファージが参考にした建築様式とあって、ティエ家の屋敷はとてもきらびやかで豪華なものだ。
色とりどりの硝子製のランタンや星型の提灯がぶら下がっている外廊下は、庭園にある大きなドーム型の金魚鉢と一部が繋がっており、足元の硝子の床の下を美しい様々な模様をした金魚たちが駆け巡っている。
そんな素敵な外廊下を通り、数回角を曲がったり、途中、内廊下へと進むなどしてたどり着いた応接室は特に
雅で、高い天井はわざと
梁や柱などの屋敷の骨格が見えるような作りになっていて、就寝中以外は投影魔法で鯉が泳ぐ水面の輝きが漂っている。
応接セットはティエ一族が転移前に生きていた国の時代に流行っていた意匠である草原を駆け巡る馬や、両手を大きく広げて遊ぶ民族衣装を着た子供達の透し彫りが施された美しい濃い橙色の木製のもので組まれており、長椅子の座面には革張りの長方形をした焦げ茶色のクッションが敷かれている。
机には透し彫りに
翡翠の
兎や
鹿などが組み込まれている。
2人は向かい合うようにして応接セットに腰を下ろした。
「今日旦那さんは〜?」
「それが…、どうも最近王国側の王族たちに色々あるようで…、夫が次の錬金術師協会会長に推薦されてしまったのだ
その選挙戦の説明を受けに行っているが、夫もワタシもあまり乗り気ではない
できることなら断りたいと思っている
もし選挙に出るなら貴族会が後ろにつくらしいのだが、ファージは何か聞いていないか?」
ユウは眉根を寄せて困ったようにため息をついた。
「ああ…、最近、うちにも打診がきたわ
夫を魔法魔術高等呪術
疾病管理センターの所長に推薦したいって
どうも王族の不祥事続きのせいで平民の自治会や貴族会から不満が上がってるらしいのよ
でも医師団の仕事もあるし、多分断るわね」
コンコン
扉が開き、主人とお客様の会話の妨げにならないようにそっと茶会の支度をする美女が2人。
ユウの長身で綺麗な顔をした女性型の傀儡、
華龍が薔薇の花を浮かべた烏龍茶が入ったクリスタルの茶器のセットと、様々な果物が入った
九龍球を運んできてくれた。
もう一体の女性型の傀儡、
凛凛が運ばれてきたものをテキパキと並べ、まるで花畑の茶会のように華やかなテーブルメイキングだった。
2体の傀儡は桃色や白、水色などの薄布を幾重にも重ね合わせた春の精霊のような煌びやかさがあり、初見だったら本物の女性だと思ってしまいそうな美しさがある。
ファロンとリンリンはゆっくりと優雅にお辞儀をするとふわりと扉から退出した。
「そうか…、うちも断ってしまおうかな
あまり王国の内部深くまでこの小国の権力を入れ込むのはこちらとしてはあまり望ましくないのだ
義理の妹は次席検死官だったのが、つい先月から首席検死官の辞令が降ったらしい
もともとの首席検死官だった下位王族が他国の王族となにやら不正な取引をしていたとかで…」
「まぁ、ルルーディアのお母様が首席検死官になったのは素晴らしいことだけど、やはり貴族だけじゃなくて平民階級にも王族の不始末は色々流れちゃってるってことね」
ユウは温かで香り豊かな烏龍茶をスッと一口飲むと、大きくため息をついた。
「…紛れ込み始めたかな、何か得体の知れん悪いものが
リリーベル家はファージもいるし、ギフトがしっかりしているから良いとして、もう一つの大貴族であるメイクェイ家は何をしている?沈黙が長すぎやしないか?」
久々にメイクェイ家という言葉を聞いてファージは思わず苦笑した。
「あの家はそういう家だから仕方ないのよ
戦巫女様の血筋が途絶えてからは…、忠誠を誓いたいと思える王が出ていないってのも原因だと思うわ
うちだって今はどの王家にも忠誠を誓っていないもの」
「戦巫女様か…、あのお方の伝説には同じ女王、女帝として本当に心が震えたものだ…
そうだな、確かにあのお方と比べてしまうと、今の王家には仕える価値など毛ほどもない」
「あら、言い切るわねぇ
あなたのそういうところ本当に好きよ、大好き」
ファージは甘くてプリっとした食感が楽しい九龍球を1つ頬張り、口いっぱいに幸せを行き渡らせてからいい香りがする烏龍茶と一緒に飲み込んだ。
甘さと適度な苦味、それらが温かさとあいまって心地い。
「で、本題といこうか
ファージよ、お主が息子たちに持たせた例の論文を読んだが、ありゃ、狂気の沙汰としか言いようがないな
だが、書かれていた内容は可能だ」
「あなたにも出来る?」
「ああ、出来る」
「それはティエ一族だからってこと?」
「違う、おそらくお主にも可能だし、我が夫やキール殿、
玖寓、
八桂様、校医のイーゴス殿あたりもやろうと思えば出来るだろう」
「医療錬金術ってこと?」
「医療錬金術よりもう少し高度だが、まぁ、そんなとこだ
魔術ではなく、呪術の方の病理学に詳しければより良いだろうな
しかし、あの論文のやり方では命をとっておくにしても、2年が限度だと思うが…」
「なるほどね…」
「しかし1つ疑問もある
お主の得意な【魂の
置換】とは何が違うんだ?
もちろん、手法も使う属性も、儀式も違うってのは承知している」
「ああ、そうね、わかりやすく言うと、【魂の
置換】はその名の通り、生者から生者へ魂を入れ替える魔術だから死人は対象外よ
第一、もうとっくに命が尽きた魂を保存なんてしておけないでしょ?
傀儡用にとっておいたとしても、魂でさえ1週間が限度じゃない?
それを人格を伴う状態で命ごと何年もとっておくなんて…、おかしな話よね」
「ああ、その通りだ
ディアボリの命が今キャンドルの中にあるということは、おそらく、そういうことだと思う」
ファージの瞳が疑問からの素早い動揺で一瞬ホワァっと光を帯びた。
「そういうことって…、まさか!」
「そうだ
これはあくまでもワタシの推測にすぎないが、分離手術の時に死ぬはずだったのは、本当はティモルの方なのではないだろうか
ファージが秘匿便で送ってきた当時のカルテの複製を読んでみたが、ティモルの内臓はディアボリが施していた実験でボロボロだった
あれでは分離されて切り離されるのはティモルが選択されていないとおかしいくらいだ
多分、ディアボリの異常性を不安に思った母親、つまりエリザベス=エリンはディアボリの健康な臓器をティモルに移植し、ティモルの方を生かしたんだと思う
ディアボリの瞳の色は青紫だったんだろう?
それはダグラス=エリンが浮気した奴隷の女の瞳の色だ
エリザベスはその瞳を見たくなかったんじゃないだろうか」
「ユウの言っていることが本当だとしたら、ティモルは…、ティモルは大事にとっておいたディアボリの『魂』が刻まれている遺骨かなんかと一緒に、自分の中にあるディアボリの臓器をキャンドルに移植したのね…、正気じゃないわ
あんたって本当…、どうしてそんなに頭がいいの…」
「知識と知恵、そして多くの経験を糧にしなければ、この小国を守り切ることなんてできないからな」
「ティエ家は安泰ね」
「ああ、子供達が優秀だからな」
☆★☆★☆
季節外れの雪も降らなくなって一ヶ月、不祥事続きの王国にも、恋だ愛だと浮かれるあたたかな春がやってきた。
王立メガロスディゴス魔法学院も例外ではなく、6年生は夏に控えた卒業式後に行われる卒業パーティーに一緒に行きたい意中の子を射止めるので大忙しだ。
すでにルルーディアは仲の良い王族の男子学生に泣きつかれて一緒に行くことが決まっている。
翠蘭は人気がありすぎて後日抽選会が行われる予定だ。
パルトも幼馴染のよしみで参加することが決まっている。
トニタルアとサフィルは家からの命令で毎年参加することが義務付けられたようだ。
ホンロンはゴニョゴニョと「誤解されたくない」とかなんとか言って誘いを断っている。
そんな中、ギフトは全ての誘いを断ったにもかかわらず、かつてないほど不機嫌で今にも爆発してしまいそうだった。
なんと、学院の警備に当たっているカノンに一目惚れをし、パーティーへ誘った6年生がいるというのだ。
あろうことか、カノンはその優しさから参加してあげることにしたらしい。
ここは放課後の教室。
オストン=エイマクラスは美術館で実習があるらしく、久しぶりに3人で集まっていた。
「…ぎ、ギフトさ〜ん?」
「…ァア?!何?!」
「え〜…」
ホンロンとルルーディアはまだ噂の段階でしかない情報に怒り心頭しているギフトに手を焼いていた。
ギフトもカノンに直接聞けば良いものの、いつも通り優しくて美人であたたかい大好きなカノンから決定的な一言を聞いてしまった時の自分のダメージを想像すると、一歩を踏み出すことができなかった。
「も〜、可愛い顔が台無しじゃない!
聞けば良いでしょー?なんで戦闘には突っ込んで行くくせにこう言うことには勇気が出ないの?」
「…誘った6年生をボコボコにして良いならすぐ行く」
ギフトの瞳がボウっと光った。
「え〜…、もしカノンさんが『自分が誘われたせいでギフトが6年生をボコボコにした』って知ったらどう思うかな」
ギフトはルルーディアに言われたことを頭の中で
反芻し、シュンとしながらボソボソと答えた。
「…カノンさんは優しくて美しくて心が清流のように涼やかで透明で煌めきに溢れていて素晴らしい女性だからきっとわたしがそんなことしたら傷ついてしまうと思います…」
「わかってるならボコボコにするとかそんな怖いこと言っちゃダメ!
もちろん実行なんてもってのほかよ」
「うぐうぅ」
コンコン
教室の扉をノックする音がした。
3人が扉の方へと顔を向けたら、そこにいたのは6年生誘いたいランキング第1位の涼やかな魅力を持ったあの男子学生だった。
「ああ!ああああ、兄上!」
「3人とも、ごきげんよう
ちょっと良いかな」
「は、はい!もちろんです!
ちょっとと言わずいつまででも!」
「相変わらずツァンリィェンくんかっこいい〜」
ツァンリィェンはロイヤルブルーの
旗袍に黒いパンツ、黒いベルベットのカンフーシューズを着こなし、全身から高貴な雰囲気を漂わせているようだった。
「あはは、ルルーも相変わらず可愛いね」
ホンロンはすぐに椅子を用意すると兄のために座面をパッパと払った。
「ホンロン、お前は僕に気を使いすぎだ」
「いや、だって、将来僕が支えるべき次期当主だもの!」
「(ホンロンが自分のこと僕って言ってる…)あの、その、ご用件はなんですか?」
ギフトはホンロンの態度の変化も面白かったが、何よりツァンリィェンと喋りたくてたまらなかった。
「ギフトちゃんもそんなに緊張しないで欲しいなぁ」
「いえ!これは尊敬を全身で表現しているんです!」
「あはは…、あ〜、じゃぁ少し言いにくいなぁ」
ずるいほど綺麗な顔を小首を傾げながら少し目を細めて困ったように笑うツァンリィェン。
3人は顔を見合わせるとキョトンとしながらツァンリィェンの方を向いた。
「噂で聞いてるかもしれないけど、実はカノンさんをお誘いしたのは僕なんだ」
「ふぁっ」
ギフトは顔が赤くなったり青くなったり白くなったりと、まるで壊れた人形のようだ。
ルルーディアとホンロンは「あっちゃ〜」という顔でギフトを横目に冷や汗を流した。
「ギフトちゃんには僕から言うってことでカノンさんには黙っててもらったんだ
ギフトちゃん、僕は真剣だよ」
「…あ、あの…」
ギフトは指先が冷えて震え出した。
ツァンリィェンの真剣な顔が物語るこの先の会話が怖かったからだ。
大好きなカノンを奪われるかもしれない、そう感じていた。
「僕が密偵をしていたのは知っているよね」
「はい…」
「その時に、一度バレそうになったんだ
インヴィディアがアマラに瓶に入った何かを渡していてね
きっといつもよりも警戒していたんだと思う
鋭い殺気を向けられた
2人がゆっくりと近づいてきて、ああ、困ったことになったな、と思っていたら、偶然外回廊を巡回していたカノンさんが気づいてくれて、キスをした」
ルルーディアは両手で頬を覆いながらうっとりとし、ホンロンは赤面した後ギフトの反応を想像して青ざめた。
当のギフトはあまりの唐突な話題にカノンと過ごした素晴らし日々が走馬灯のように頭の中を駆け巡った後、脳が空っぽになった。
「…あ、い、き、キス…?!」
何もかもが停止しているギフトの代わりにホンロンが
素っ頓狂な声をあげた。
「そう、とっさにカップルのふりをしてくれたんだ
副作用の強い変身薬を飲んで女学生に化けてね
僕にも変身薬を口移ししてくれたんだ
おかげで僕は助かった
アマラとインヴィディアは何事もなかったように立ち去ったよ」
「…ふぁぁ…」
ギフトの頭からウニョウニョした魔法陣になりかけているいろんな光る線やら図形がプスプスと立ち上った。
「キスした時、わかったんだ、運命だって
その証拠に、唇が重なった瞬間、僕の中から青い鱗が輝く美しい龍が飛び出して、僕とカノンさんの周りで舞い始めたんだよ
僕は顔を放した後、カノンさんの瞳を見つめた
そしたら、カノンさんもどうやら僕と同じ気持ちだと言うことがわかったんだ
煌めく太陽のような瞳が潤み、頬は冬を越えて命を歌う桜のように綺麗だった」
「うう…」
ギフトはすでに瀕死だ。
瞳から全く光が感じられない。
ひたすら自分の指から溢れ出るヘニャリとした魔法陣未満の図形を眺めていた。
「僕はカノンさんにすぐに告白した
『一目惚れしました』って
そうしたらね、彼女はこう言ったんだ
『わたしは今、ギフトさまのことが一番大切で、愛おしくて、どうしてもお側にいたいんです。だからきっと他の誰かを好きになっても、二の次にしてしまうでしょう。わたしの生き甲斐はギフトさまを近くでお守りし、その健やかなる成長をお支えすることなのです。だから、ティエ様のお気持ちには応えるのは難しく、そして今はわたしの心に芽生えた気持ちに名前をつけることはできないのです。』ってね」
「か、か、カノンしゃん」
カノンから自分の話が出たと知り、ギフトの瞳には光が戻り、同時に涙も溢れ出した。
「だからせめてパーティーに一緒に行って欲しいってお願いしたんだ
一日でいいから、カノンさんとの思い出が欲しくて
ギフトちゃん、許してもらえないかな?」
ツァンリィェンの瞳はまっすぐにギフトを見つめていた。
微笑むことはあっても、顔色が変わったところなんて見たことなかったのに、うっすらと頬が赤く染まっている。
ああ、この人は本当にカノンさんのことが好きなのだ、と、ギフトはわかってしまった。
「…うう、ずるいですよ
2人ともわたしが尊敬する大好きな人たちですもん
意地悪できるわけないじゃないですか…
それに、わたしはカノンさんに普通に幸せになって欲しいんです
カノンさんの子供とうちの庭で遊ぶのもわたしの夢のひとつですから…」
「ギフト…」
うっとりと話を聞いていたルルーディアも、ギフトの気持ちを察して切ない気持ちになった。
ルルーディアは優しくギフトを抱き寄せ、頭を撫でた。
「先輩、1つ、いや、2つ条件があります」
「なんだい?」
ギフトから向けられた真剣な視線に、ツァンリィェンは心からそれを受け止めた。
「1つ、絶対にカノンさんを幸せにすること
1つ、もし、もしカノンさんがティエ家にお嫁さんに行っても、リリーベル家で働くこと
だって、先輩は跡取りですし、ティエ家の男性が外の世界へ婿に行ったり嫁をとって暮らすことはできないんですよね…?」
「うん、その両方は何があっても絶対に守るからね」
「…絶対ですよ
もしカノンさんの悲しそうな顔や涙を目にしたら…、ティエ家を潰します」
ギフトの瞳は、内側から強く輝いている。
「ああ、望むところだ」
「うう、ぐふううう」
「まだお嫁に行くことが決まったわけじゃないんだから泣かないの〜」
ギフトを抱きしめるルルーディアを見て、しまった出遅れた!、と心の中で自分を叱咤しながらも、ホンロンは勇気を出してあくまでも自然にギフトの手を握って優しく声をかけた。
「ほら、勇気出して今日はカノンさんにちゃんとギフトから言ってあげなきゃダメだよ
カノンさんの幸せを願ってる、ってね」
「うううう、わかってるし…
そんなの、わかってるし」
「よしよ〜し、ギフトは偉い子だもんね〜
そんなのわかってるもんね〜」
ギフトにプイッと顔を背けられ、さらにルルーディアに勝ち誇った顔を向けられてホンロンの心には今日も細かな傷がついた。
「は〜、スッキリした
やっぱり、大事な人のために頑張るのって清々しい気持ちになるね」
「ウワァ、どこまでイケメンなんですかなんですかなんなんですか
先輩、カノンさんの門限は21時ですからね!
なぜならわたしの夜更かしを注意するという大事な仕事があるからです!」
「あはは、それは大切な仕事だ
じゃぁ21時以降は電話で我慢するよ」
頬を淡い桜色に染めて微笑むツァンリィェンはとても眩しかった。
「…くっそう、お似合いだ
お似合いすぎて悪口が出てこないですよ!!!!!」
ここでギフトはふと我に返って考えてみた。
「(わたしもパーティーに行けばいいのでは…?そうすればカノンさんのドレス姿を眺められるし先輩のいつもと違う正装の姿も拝めるし、何よりあわよくばカノンさんと一緒に踊れるのでは?!)」
ギフトはホンロンの手を握りかえすとグッと距離を詰めてこう告げた。
「ホンロン、一緒にパーティーに潜入しよう!」
「は、え?」
「先輩、パーティーって学生からアルバイト募ってますよね?!」
「うん、募集してるよ
ギフトちゃんとホンロンなら十分な実力があるからどの係にも応募できるよ」
「ホンロン、明日アルバイト希望の紙、もらいに行こう!」
「お、おう」
ホンロンはギフトに詰め寄られて真っ赤な顔の熱が冷めず、クラクラして鼻血が出そうだった。
いつもは邪魔をしているルルーディアも、可哀想だなぁ、とホンロンを見て少し同情した。
☆★☆★☆
「う、ううううう」
「兄さん!大丈夫?!」
ティモルはキャンドルの身体をまるで宝物のようにお姫様抱っこしながら急いで地下への階段を降りていく。
「騒ぐなティモル…、うう」
「待ってね、すぐに輸血するからね」
「ああ、わかってる、ぐふっ」
ティモルはディアボリを患者用ベッドに寝かせると急いで保管室から輸血用のパックを取り出し、すぐに魔法陣でディアボリの体内とつないだ。
「さぁ兄さん、深呼吸して、楽にしてね」
「はぁはぁ…、すごいな
ずっと自分の血を溜めてたのか?」
「そうだよ
兄さんが復活した時のためにと思って毎月血を溜めてたんだ」
「準備が良くて偉いぞ」
「ふふふ、だって僕の身体は兄さんのものだもん
どう?落ち着いてきた?」
「ああ、気分が良くなってきた」
「よかった」
「しかし、やはりキャンドルでは拒否反応が出てきたな…
サイモスには近付けそうか?」
「ううん、まだ難しい
あのトニタルアって子が毎日一緒に帰ってるし、保健委員の誰かがいつもそばにいるし…」
「あまりおおっぴらにやるのはまだマズいからな…
兄様たちの準備ができていない今は水面下で動くしかない」
「うん、わかった」
「ああ、本当に可愛いなお前は…
こっちにおいで…、撫でてあげよう」
「ああ!ハァ、ハァ、兄さんっ!」
ティモルはディアボリが横たわる患者用ベッドの横に飛びつくように跪き、大きな手で頭を何度も何度も撫でてもらい、その瞳は喜びとトキメキで溶けてしまいそうなほど潤んでいた。
「ねぇねぇ、兄さん」
「なんだいティモル」
「兄さんが兄様たちに頼んでるのって何なの?」
「ああ、あれはね、お前が教えてくれたある魔女の魔力残渣を結晶化したものだよ」
「へ〜…、そんなもの何に使うの?」
「ふふふ、無知なお前は本当に愛らしいな
あの子の魔力残渣には妖精を引きつける匂いのようなものがあるんだ
だからそれを精製して香料に加工して妖精との契約に使うんだよ」
「へー!すごいね!でも普通に契約しちゃダメなの?」
「お前は本当に馬鹿でどうしようもなくてこんなにも可愛い
僕はキャンドルの身体にお前と僕、合計で3人分の魔力を
宿してるんだ
そうすると、妖精たちは魔力が発する濁った匂いを警戒して寄ってくることさえない
お前も父さんの患者で見たことあるだろう?
人体錬成を使った属性を増やす手術をした患者には自分以外の魔力が宿ってしまうから今まで使役できてた妖精たちも主人が本当に主人なのか把握できなくて去ってしまったってことあっただろ」
「ああ、あれか!
なるほど、そういうことだったんだね…」
「そうだよ
妖精は一途なんだ
同時に何人もの魔力を嗅ぐことは出来ないんだよ」
「そうなのかぁ…
でも、他の幻獣じゃダメなの?」
「他の幻獣じゃダメなんだ
この世で唯一、他属性同士を同時に同じ場所で召喚することができるのは妖精だけなんだよ
例えば『闇』属性のサキュバスと『光』属性のユニコーンを1人の魔法使いが所持することは出来ても、同時に同じ場所に召喚したら互いを攻撃し始めてしまうんだ
なぜだと思う?」
目をギュッと瞑って考えるティモルの頬をディアボリが愛おしそうに優しく撫でる。
「うーん、ヤキモチ?」
「あはは、違うよ
答えは主人からもらえる魔力が減るという危機感から邪魔な相手を攻撃してしまうんだ」
「あ、そういうことか」
「だから妖精に好かれるってのは本当に大きな大きな武器なんだよ…」
「じゃぁさ、あの子の血を抜いて、そこから直接香水を作ったほうがはやかったりする?」
ディアボリはベッドから起き上がり、縁に座り直すとしばし思案した。
「まぁ、それが一番良いっちゃ良いかもしれないが…
あの子の周りは厄介すぎるし、あの子自体が相当強い
聞いただろ?油断していたとはいえ、インヴィディア兄様が負けたんだ
お前じゃ
木っ端微塵にされるぞ」
「そうかぁ…、兄さんの役に立ちたかったんだけどな…」
ディアボリは優しくティモルを抱き寄せるとおでこにキスをした。
「お前は僕の身体のメンテナンスをよくやってくれているよ
十分役に立っているし、いまの僕はお前無しじゃ生きていけないんだ
愛してるよ、ティモル」
「ふわぁ…、僕も愛してるよぉ…」
兄弟は互いを求め、その命を繋いでいる。
そのせいで、何人の犠牲が出ようとも。