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  • 春交わし、歩む君 #再録 #くりんば #現パロ #援交





    いつかこの感覚は、薄れてなくなるのだと思っていた。
    浅はかにも、そう信じたかったのだ。自分がまだ何も知らなかった頃と同じ、そんな無垢な身体に戻れるのだと。

    「…きみ、いくら?」
    見た事もない、如何にもサラリーマンという草臥れたスーツを着た男に声を掛けられた。そっと目深かに被っているフードと己の髪の毛の隙間から、相手の顔を確認する。
    小太りの中年男性、といった印象のその男に指を三本立てて数字だけを言うと「じゃあ行こう」と了承された。何処に行くかは決まっている。何をするのかも決まっていた。
    こういった行為はすっかり慣れたもので、同じように見知らぬ何人の男たちとも似たようなやり取りをしてきた。今日もそれの、延長線上に過ぎない。
    (不毛だな…)
    誰に言うでもなく、考える。
    それでも、この生産性のない関係を、常に誰かと持っていたい。そう感じているのは、他の誰でもない己自身だ。
    相手は誰でもいい。ただ性別は男でなければならない。そして、自分を抱いてくれる男でないと意味はないのだ。
    例えばどんなに、手酷くされようと。

    事が終わってホテルを出ると、外は雨が降っていた。天気予報の降水確率は低くて、通り雨だろうかと思いつつ駅までの道を走る。道路に所々でき始めている水溜まりを避けながら走るが、靴やスラックスに泥水が跳ねてかかる感覚がした。思ったより道路には水分があるようだ。
    何とか近くの駅にたどり着いて、駆け足をやめると突然腰に痛みがくる。先程までの行為を嫌でも思い出した。
    今日の男はいい相手とは言えないくらい乱暴で、体の彼方此方に噛み痕は残っているし後ろも切れてしまって、じくじくと傷んでいる。
    ただ、優しくしてくる相手よりはマシだった。今までの自分の、経験としては。
    しかし痛いものは痛い。先に相手が帰ったので、ホテルを出る前に薬を塗ってはみたのだが、どうにもあまり効いていないようだ。小雨に打たれて体温も下がったせいか、余計に具合の悪さを感じる。
    「…最悪だな…」
    ぽつりと、口から言葉が溢れていた。騒がしい駅内では、己の声などすぐに掻き消える。そういう所が好きで、少しさみしかった。
    ふらふらと駅のホームまで歩いて、誰も座っていないベンチの端へと腰を下ろす。ひどく、目眩がしていた。視界がぐらぐらと揺れて気持ちが悪い。
    あまりに気分が悪いので、目を閉じて俯いた。
    こんな日に限って、兄弟たちは部活動で帰りが遅い。他の誰かを頼れるあてもなく、自力で自宅へ帰りつけるか考える。少し休めば、何とか出来そうな気はした。
    ぼんやりとそんな事を考えている内に、意識は朧になってゆく。

    「…おい、あんた…意識はあるか…?」
    穏やかな声と、肩を軽く叩いてくる振動に、はっと目を覚ました。瞬間、ずきっと首が痛む。座ったまま気絶するように寝ていたようで、首だけでなく体の節々も痛かった。
    「すまない…平気だ…」
    声を出して意識があると相手に伝えると、立とうとして足に力が入らない事に気付く。両手をベンチについて、再度挑戦するがどうにも上手くいかない。
    しかし座ったままではいられないし、無理矢理に体を起こした。何とか立ち上がれたものの、前方へバランスを崩しかける。
    そのまま地面へ倒れるのではないかと思った時、強い力で腕を引かれていた。
    「平気じゃないだろう…駅員の所まで送る」
    歩けるか? 半分抱きしめるように受け止められて、あまりの距離の近さに戸惑ったが振り払う元気はない。頷いて、ゆっくり一歩を進めれば、それに合わせて相手も歩く。
    こんな風に誰かに補助されるのは、兄弟以外では初めてだなと思った。しかし見ず知らずの人間に、親切にする物好きもいるものだなとも思う。
    ふと、相手の顔を見る。浅黒い肌に、琥珀の瞳を持ったエキゾチックな作りの顔をした、美青年がそこにはいた。
    (見た目が綺麗なやつは、心も綺麗なのか…?)
    ぼんやりしている頭でそんな事を考えてしまう。他人にここまで面倒を見られた事がなくて、混乱していた。
    思わずさっと、俯く。自分を支えている浅黒い左腕には、刺青が入っていた。こんな綺麗な顔をして親切なのに不良なのか? とまた余計な事を考えてしまって、思わず左右に頭を振る。
    歩いている途中でそんな事をして足を止めたものだから、相手もすぐに歩くのをやめた。
    「大丈夫か? 電車は諦めてタクシーにでも乗った方がいいんじゃないか…」
    また優しく声を掛けられて、ただ戸惑う。
    「すまない…何でもないんだ、本当に。少し休めば平気だ」
    本心からそう告げるが、体の方はまだ自分の意思についてこられないようだった。
    「………」
     こちらを無言で見つめてくる相手は、何か言いたげに口を開いたが閉じる。それからこちらを支えていた態勢を整えると、彼は無言で歩き出した。ほぼ相手に引き摺られるようにして、自分の身が意思に沿わず運ばれていく。
    「…っ、わざわざ運んでくれなくていい…!」
     咄嗟にそんな言葉しか出せない。だが、動揺しているこちらの言葉を聞いているのかいないのか、相手には流されているようだった。歩く速度が変わらない、と思いきや少し早くなったようだ。
    「おい…!聞こえないのか!?」
     焦ると初対面の人間なのに、敬語が余計に使えなくなる。普段からあまり丁寧な言葉遣いというものは苦手なのだが、そういう自分の性質が著しくなってしまう。
    「…いいから、黙って運ばれていろ」
    「ぅわっ…!」
     身体を斜めに倒すように後ろへ押され、今度こそ地面と接触するかと思えば、上半身を抱きかかえるようにして相手へ持ち直されていた。
     人間を運ぶというよりは、己と同じくらいに長い丸太でも運ぶような具合だった。地面についた自分の踵は、相手に引き摺られるままに移動していく。なすすべもなく。
    「…あんた…強引だな…」
     呆気にとられて、間の抜けた顔をしながら彼を見上げた。落とされる不安が抜けなくて、咄嗟に相手の背中の布を掴んでいるのだが、苦しそうな顔ひとつしていない。
    「病人の戯言に付き合っている余裕はないものでね」
     余裕がないとはとても思えない、しれっとした表情で言われても納得は出来なかった。
     しかし、それに反論する気はおきない。もう充分迷惑をかけているというのに、これ以上何か言葉を重ねたところで、彼に手間をかけるだけだと分かってきたのだ。きっと自分が何を言っても、彼は面倒を見るのだろう。一先ず駅員の所に送り届ける程度には。
     結局、大人しく駅員の所へ運ばれてから、救護室で休むより少しでも動ける内に帰宅した方がいいだろう、という話になってタクシーに乗った。
    その間ずっと、見ず知らずの青年は付き添ってくれていた。顔見知りでも、同じ学校でも、ましてやクラスメイトでも、友人ですらないというのに、だ。
    「世話になっておいて、こんな事を言うのはどうかと思うんだが…あんたお人好しすぎやしないか…」
     タクシーを捕まえて貰ったところで、そう感想を言っていた。本当は先に、礼を述べるつもりだったのに。
    「…こういう時は素直に〝ありがとう〟だけでいいだろう」
     ふっと息を吐いて、彼は一瞬笑ったように見えた。片腕を掴み支えるようにして真隣に立たれていたので、その顔をはっきりとは確認出来なかったのだが。
    「すまない…本当に助かった。ありがとう…ございました」
     すっかり敬語が外れていたのに気付いて、最後にとって付けていた。今更すぎて、少し気恥ずかしい。
    「別に、構わない。…今度は気をつけるんだな」
     車へ乗るように促され、それに従って乗ったが大事な事を思い出す。咄嗟に相手の上着へ手を伸ばし、それを掴んでいた。
    「待ってくれ、今日の礼がしたい…!あんたの連絡先を教えてくれっ」
    「…礼にはおよばない…」
     あまりに相手の表情が変わらないので、その言葉の中にある感情が読み取れない。困らせているような気もするが、ただ単純に迷惑だと思われている可能性も捨てきれない。
     何より、己がこんな事を言い出すのが初めてで、自分自身にも戸惑っていた。相手の心境が読み取れない以上に。
    「このままじゃ、…俺は帰れない…!」
     どう続ければいいのか迷って、卑怯な言い方をしていた。動揺から混乱しすぎて、こんな言葉を選んだのがずるい振る舞いだと気付かぬまま。
     お互い無言のまま見詰め合って、数秒。相手が小さく溜め息をついた。
    おもむろに懐から黒い手帳を取り出して、それを開くと彼はボールペンでさらさらと何かを書いてゆく。そのページを今度は適当にちぎって、こちらへ差し出してきた。
    そこには、ひろみつという文字と電話番号が書かれている。
    「…! あんた、ひろみつっていうのか…ありがとう」
     紙切れ、と言えるそれを両手で受け取って、少し安心した。借りは返したい主義なのだ。これで恩人の名前も分かった事だし、今度の時はちゃんとした礼が出来るだろう、多分。何をして礼になるかは、今ひとつ自信がないのだが。
    「早くしてくれ…待ってるぞ」
     言って、ひろみつと名乗った青年は運転手を見やる。自分たち以外に人がいるのを忘れていて、国広は慌てた。すまない、と年配の運転手へ声を掛けてから、またひろみつへと視線を移す。
    「落ち着いたら連絡する…本当に助かった…!」
    「あぁ、…もう行け」
     言葉のわりに、声が優しい。そういう喋り方をする男なのか、と今更気付いた。声の優しさがあって、どちらかというときついはずの彼の口調には刺がなく、まるい印象さえある。
     相手に見送られながら、タクシーは走り出した。いつの間にか体調不良を忘れていたのだが、揺れる車体にそういえばと思い出していた。
     こんなに他人を忘れがたく思うのは、初めてのことだった。


    #続かない
    #再録 #くりんば #現パロ #援交





    いつかこの感覚は、薄れてなくなるのだと思っていた。
    浅はかにも、そう信じたかったのだ。自分がまだ何も知らなかった頃と同じ、そんな無垢な身体に戻れるのだと。

    「…きみ、いくら?」
    見た事もない、如何にもサラリーマンという草臥れたスーツを着た男に声を掛けられた。そっと目深かに被っているフードと己の髪の毛の隙間から、相手の顔を確認する。
    小太りの中年男性、といった印象のその男に指を三本立てて数字だけを言うと「じゃあ行こう」と了承された。何処に行くかは決まっている。何をするのかも決まっていた。
    こういった行為はすっかり慣れたもので、同じように見知らぬ何人の男たちとも似たようなやり取りをしてきた。今日もそれの、延長線上に過ぎない。
    (不毛だな…)
    誰に言うでもなく、考える。
    それでも、この生産性のない関係を、常に誰かと持っていたい。そう感じているのは、他の誰でもない己自身だ。
    相手は誰でもいい。ただ性別は男でなければならない。そして、自分を抱いてくれる男でないと意味はないのだ。
    例えばどんなに、手酷くされようと。

    事が終わってホテルを出ると、外は雨が降っていた。天気予報の降水確率は低くて、通り雨だろうかと思いつつ駅までの道を走る。道路に所々でき始めている水溜まりを避けながら走るが、靴やスラックスに泥水が跳ねてかかる感覚がした。思ったより道路には水分があるようだ。
    何とか近くの駅にたどり着いて、駆け足をやめると突然腰に痛みがくる。先程までの行為を嫌でも思い出した。
    今日の男はいい相手とは言えないくらい乱暴で、体の彼方此方に噛み痕は残っているし後ろも切れてしまって、じくじくと傷んでいる。
    ただ、優しくしてくる相手よりはマシだった。今までの自分の、経験としては。
    しかし痛いものは痛い。先に相手が帰ったので、ホテルを出る前に薬を塗ってはみたのだが、どうにもあまり効いていないようだ。小雨に打たれて体温も下がったせいか、余計に具合の悪さを感じる。
    「…最悪だな…」
    ぽつりと、口から言葉が溢れていた。騒がしい駅内では、己の声などすぐに掻き消える。そういう所が好きで、少しさみしかった。
    ふらふらと駅のホームまで歩いて、誰も座っていないベンチの端へと腰を下ろす。ひどく、目眩がしていた。視界がぐらぐらと揺れて気持ちが悪い。
    あまりに気分が悪いので、目を閉じて俯いた。
    こんな日に限って、兄弟たちは部活動で帰りが遅い。他の誰かを頼れるあてもなく、自力で自宅へ帰りつけるか考える。少し休めば、何とか出来そうな気はした。
    ぼんやりとそんな事を考えている内に、意識は朧になってゆく。

    「…おい、あんた…意識はあるか…?」
    穏やかな声と、肩を軽く叩いてくる振動に、はっと目を覚ました。瞬間、ずきっと首が痛む。座ったまま気絶するように寝ていたようで、首だけでなく体の節々も痛かった。
    「すまない…平気だ…」
    声を出して意識があると相手に伝えると、立とうとして足に力が入らない事に気付く。両手をベンチについて、再度挑戦するがどうにも上手くいかない。
    しかし座ったままではいられないし、無理矢理に体を起こした。何とか立ち上がれたものの、前方へバランスを崩しかける。
    そのまま地面へ倒れるのではないかと思った時、強い力で腕を引かれていた。
    「平気じゃないだろう…駅員の所まで送る」
    歩けるか? 半分抱きしめるように受け止められて、あまりの距離の近さに戸惑ったが振り払う元気はない。頷いて、ゆっくり一歩を進めれば、それに合わせて相手も歩く。
    こんな風に誰かに補助されるのは、兄弟以外では初めてだなと思った。しかし見ず知らずの人間に、親切にする物好きもいるものだなとも思う。
    ふと、相手の顔を見る。浅黒い肌に、琥珀の瞳を持ったエキゾチックな作りの顔をした、美青年がそこにはいた。
    (見た目が綺麗なやつは、心も綺麗なのか…?)
    ぼんやりしている頭でそんな事を考えてしまう。他人にここまで面倒を見られた事がなくて、混乱していた。
    思わずさっと、俯く。自分を支えている浅黒い左腕には、刺青が入っていた。こんな綺麗な顔をして親切なのに不良なのか? とまた余計な事を考えてしまって、思わず左右に頭を振る。
    歩いている途中でそんな事をして足を止めたものだから、相手もすぐに歩くのをやめた。
    「大丈夫か? 電車は諦めてタクシーにでも乗った方がいいんじゃないか…」
    また優しく声を掛けられて、ただ戸惑う。
    「すまない…何でもないんだ、本当に。少し休めば平気だ」
    本心からそう告げるが、体の方はまだ自分の意思についてこられないようだった。
    「………」
     こちらを無言で見つめてくる相手は、何か言いたげに口を開いたが閉じる。それからこちらを支えていた態勢を整えると、彼は無言で歩き出した。ほぼ相手に引き摺られるようにして、自分の身が意思に沿わず運ばれていく。
    「…っ、わざわざ運んでくれなくていい…!」
     咄嗟にそんな言葉しか出せない。だが、動揺しているこちらの言葉を聞いているのかいないのか、相手には流されているようだった。歩く速度が変わらない、と思いきや少し早くなったようだ。
    「おい…!聞こえないのか!?」
     焦ると初対面の人間なのに、敬語が余計に使えなくなる。普段からあまり丁寧な言葉遣いというものは苦手なのだが、そういう自分の性質が著しくなってしまう。
    「…いいから、黙って運ばれていろ」
    「ぅわっ…!」
     身体を斜めに倒すように後ろへ押され、今度こそ地面と接触するかと思えば、上半身を抱きかかえるようにして相手へ持ち直されていた。
     人間を運ぶというよりは、己と同じくらいに長い丸太でも運ぶような具合だった。地面についた自分の踵は、相手に引き摺られるままに移動していく。なすすべもなく。
    「…あんた…強引だな…」
     呆気にとられて、間の抜けた顔をしながら彼を見上げた。落とされる不安が抜けなくて、咄嗟に相手の背中の布を掴んでいるのだが、苦しそうな顔ひとつしていない。
    「病人の戯言に付き合っている余裕はないものでね」
     余裕がないとはとても思えない、しれっとした表情で言われても納得は出来なかった。
     しかし、それに反論する気はおきない。もう充分迷惑をかけているというのに、これ以上何か言葉を重ねたところで、彼に手間をかけるだけだと分かってきたのだ。きっと自分が何を言っても、彼は面倒を見るのだろう。一先ず駅員の所に送り届ける程度には。
     結局、大人しく駅員の所へ運ばれてから、救護室で休むより少しでも動ける内に帰宅した方がいいだろう、という話になってタクシーに乗った。
    その間ずっと、見ず知らずの青年は付き添ってくれていた。顔見知りでも、同じ学校でも、ましてやクラスメイトでも、友人ですらないというのに、だ。
    「世話になっておいて、こんな事を言うのはどうかと思うんだが…あんたお人好しすぎやしないか…」
     タクシーを捕まえて貰ったところで、そう感想を言っていた。本当は先に、礼を述べるつもりだったのに。
    「…こういう時は素直に〝ありがとう〟だけでいいだろう」
     ふっと息を吐いて、彼は一瞬笑ったように見えた。片腕を掴み支えるようにして真隣に立たれていたので、その顔をはっきりとは確認出来なかったのだが。
    「すまない…本当に助かった。ありがとう…ございました」
     すっかり敬語が外れていたのに気付いて、最後にとって付けていた。今更すぎて、少し気恥ずかしい。
    「別に、構わない。…今度は気をつけるんだな」
     車へ乗るように促され、それに従って乗ったが大事な事を思い出す。咄嗟に相手の上着へ手を伸ばし、それを掴んでいた。
    「待ってくれ、今日の礼がしたい…!あんたの連絡先を教えてくれっ」
    「…礼にはおよばない…」
     あまりに相手の表情が変わらないので、その言葉の中にある感情が読み取れない。困らせているような気もするが、ただ単純に迷惑だと思われている可能性も捨てきれない。
     何より、己がこんな事を言い出すのが初めてで、自分自身にも戸惑っていた。相手の心境が読み取れない以上に。
    「このままじゃ、…俺は帰れない…!」
     どう続ければいいのか迷って、卑怯な言い方をしていた。動揺から混乱しすぎて、こんな言葉を選んだのがずるい振る舞いだと気付かぬまま。
     お互い無言のまま見詰め合って、数秒。相手が小さく溜め息をついた。
    おもむろに懐から黒い手帳を取り出して、それを開くと彼はボールペンでさらさらと何かを書いてゆく。そのページを今度は適当にちぎって、こちらへ差し出してきた。
    そこには、ひろみつという文字と電話番号が書かれている。
    「…! あんた、ひろみつっていうのか…ありがとう」
     紙切れ、と言えるそれを両手で受け取って、少し安心した。借りは返したい主義なのだ。これで恩人の名前も分かった事だし、今度の時はちゃんとした礼が出来るだろう、多分。何をして礼になるかは、今ひとつ自信がないのだが。
    「早くしてくれ…待ってるぞ」
     言って、ひろみつと名乗った青年は運転手を見やる。自分たち以外に人がいるのを忘れていて、国広は慌てた。すまない、と年配の運転手へ声を掛けてから、またひろみつへと視線を移す。
    「落ち着いたら連絡する…本当に助かった…!」
    「あぁ、…もう行け」
     言葉のわりに、声が優しい。そういう喋り方をする男なのか、と今更気付いた。声の優しさがあって、どちらかというときついはずの彼の口調には刺がなく、まるい印象さえある。
     相手に見送られながら、タクシーは走り出した。いつの間にか体調不良を忘れていたのだが、揺れる車体にそういえばと思い出していた。
     こんなに他人を忘れがたく思うのは、初めてのことだった。


    #続かない
    喉仏
  • 告げられない想いに、行き場はあるのか #再録 #薬燭 #現パロ #援交





    横顔が、ひどく傷ついたように憂いていたのには、気付いていた。

    ―今日は今までで一番…ひどくして欲しい―

    ホテルの部屋に入って鍵を閉めたかと思うとその大人は呟いた。話しかける、というにはあまりに小さい声でしかし至近距離にいた自分の耳にはしっかりと届く。
    「…何か、あったのか?」
    いつもなら誰にも言えないバイトとして割り切っているので、こんな無粋な質問などしない。しかし今日はいつもとは違った。相手の大人がひどく傷ついた瞳をしていて、とてもこのままバイトの性行為に及びたいような雰囲気ではない。
    だが相手は首を振って、こちらの質問への回答を拒んだ。
    「おねがい、今日はいつもより出すから」
    そう言って大人は財布の中からすべての万札を取り出して、こちらの手に握らせてくる。思わずその枚数を目視で確認してしまった程だ。軽く二桁はある札束に、余計この男の本気を垣間見て苛々した。
    自分の把握していない所で勝手に傷つけられて、更に今自分にその傷口へ塩を塗る行為を手伝わせようとしているのが分かって。
    「分かった」
     しかし札を握らせている指先が震えているのに、了承せずにはいられなかった。
     今ここで断って他の男の所へ行かれるのも腹立たしいのだ。この大人と自分はただの援助交際相手という、公には出来ない金銭の絡む関係でしかないというのに。
     ぎゅっと札束を握って、制服のスラックスのポケットへと大雑把にそれを入れる。それから持っていた自分の通学用鞄を、まだ入っていない室内の廊下へと放ると、その上に学ランも一緒に投げた。
     大人の鞄も奪って、同じように似た場所へと投げる。少し力加減を間違えて、叩き付けたと思うような音がしたが流して、相手の腕を掴み短い廊下を進んだ。
     すぐにダブルベッドへと行き着いて、その場所に軽くはない男を投げるように押し倒す。されるがまま、シーツの上へと倒れた相手の上に乗り上げて、乱暴にシャツの釦を外した。何もかける言葉も、かけられる言葉もなくただ無言で。
     何かがベッドの下へ飛んで行った音がしたが、きっと無理に引っ張ったせいで華奢な釦は取れてしまったのだろう。構わず晒すようにした素肌に触れてゆく。
     前回と皮膚の表面には殆んど違いはないように見えた。違っているのは目に見えない部分なのだと、嫌でも思い知らされた気になる。今にも泣いてしまいそうな空気を纏ったままの大人に、何も与えてやれない子供の自分が腹立たしい。
    「んっ!!ぅ゙、っぁ゙!」
     苛立ったまま左側の乳首を思い切り抓ると、呻きながら彼が悶えた。まだ痛みの方が遥かに勝っていそうな声で、背中も耐えるように若干丸まっている。
    しかし痛がった後で少しだけ、ほっとしたような顔をされるのがまた堪らなく嫌だった。これがこの男にとって、自傷行為と変わらないのだと直接、告げられているようで。
     反対の乳首には、いつもより強めに噛み付いて歯型を残した。
    「ッぅ゙…っく、……っ!!」
     まるで痛みしかないと思われる呻き声は、彼が無理矢理に奥歯を噛んだ事によって聞こえなくなる。ただ鼻から抜ける息遣いが小刻みで、とても隠せているとは思えなかった。
     それから徐々に下へ、普段なら相手を喜ばせるためだけに皮膚の表面を丹念に撫でたり舐めたりする所だが、今日に限ってそんな行為は求められていない。
    自分の頼りない腕の中で、少しずつ確実に変化していく大人を観察しているのが好ましいのだが、そんな本音も今日は特に聞きたくないだろう。そんな空気を光忠とだけ名乗った男は纏っている。
     相手のスラックスへ手を伸ばして、留金を外すとすぐにジッパーも下ろした。明らかに反応していない相手の性器を下着越しに確認するが、ここでやめる訳にもいかない。
    仕方なしにスラックスも下着も一緒に、強引に脱がせて下半身を晒させた。それから後頭部の髪を片手で掴むと、強制的に俯せにさせる。
    「…枕でも噛んでな」
     こんな言葉をかけたい訳ではない。だが、他に言える言葉など、自分は持ち合わせていなかった。
    「ぅんん…んっ」
     何かを言いたそうなくぐもった声が聞こえた気がしたが、聞こえないふりをする。移動の際に制服のポケットへ入れ替えておいたワセリンを取り出して、指先へ乗せた。いくらひどくしろと言われても、怪我をさせる約束をした覚えはない。
     それを後ろへ塗ろうと指先が触れれば、相手が振り返ってこちらの動きを阻止した。
    「今日は…慣らさないで、大丈夫だから…!」
     全く大丈夫には見えない大人の掴んでくる手の力が強くて、思わず顔を顰める。彼が掴んでいる自分の手首は、止血でもされているようだ。
    「いくらあんたでも慣らさなきゃ入らねぇだろう。この手を退けな」
     だが何を言われても、こちらとて譲る気はない。自分の目の前でただ傷付く姿を見ているのは嫌だった。例えば今、彼を傷つけているのが自分でも。その根底にある傷を作ったのが自分以外の誰かなのが、特に許せなかった。
    「入るよっ…本当に、大丈夫だから、…優しくしないで」
     一秒も、と続いた言葉に自分の頭の血管が切れた音が聞こえた気がした。頭に血が上ったまま少し力が緩んだ手を振り払って、軟膏の乗った指先を大人の尻の穴に捩じ込む。
    「ァ゙あ゙ぁっ…!!」
     不意をついたのもあってか、無防備な悲鳴が上がった。それはそうだろう。毎回念入りに、慎重に解しているこの場所は、今日はまだ全く濡れていない。
    そんな固く閉ざした場所に、軟膏が塗ってあるとは言えいきなり指を突き入れればこういう反応をせざるを得ないのは明白だった。こうなる事を分かっていて我慢が利かなかったのは、自分の我儘を通したかったからかも知れない。
    「っ全然、大丈夫じゃねぇだろ…!」
     男の瞳から、一粒だけ流れた生理的な涙を見てついぼやく。
    痛みに震えている背中から相手を片腕で抱きしめて、シャツ越しにその背中へ唇を落とした。今日は体温が低いのか、シャツ越しでも身体が冷えているように感じる。震えながら、相手はベッドへ静かに沈んだ。
     内側に押し入れた指を引き抜いて、またそこに軟膏を取ると大人の後ろへとゆっくり塗りつけてゆく。なるべくいつもと同じように、いつもより優しく出来るように。
    「…っや、だ、…薬研、く、…それ、嫌だ……ぉ、ねが…っ…」
     力なく頭を左右に振って、光忠は哀願しているようだった。震える手が、枕を握っているのが見える。
     こんな日に、今にも消えいってしまいそうな程弱っている大人を前に、欲情している自分すら許せなかった。それなのに、相手の後ろを解す手も止められない。最悪だ。
    今この場で自分が何をしてもそれが正しいとは思えないのに、この男に対して何をしてやりたいのかも分からない。分かるのは、相手の身体の反応する場所だけ。まだ覚えて間もない男同士の、身体の重ね方だけ。本当は泣きたいであろう相手の心情だけ。
    それに、頼っても貰えない未熟な己自身。
    吐き気がした。
    「もっ…やだ…!!ぼくの、言うこと、聞けない、っなら、…お金、…返して!」
    耐えられなかったのは、こちらだけではないようだ。涙目で、頭だけこちらに振り返った大人に睨まれる。内側に埋めていた指を引き抜いて、相手から体も離した。
    この言葉に、正直ほっとした自分が居た。
    「あぁ、全部返す」
    制服のポケットに突っ込んでいた札束を、全てその場にばら撒く。明白に目を見張った相手を、立ち膝になって微妙に上から見下ろした。それから、動きを止めたその顔を両手で挟む。
    健康的な色艶をした頬は少しだけ熱くて、冷え始めている自分の指先に優しかった。
    「やげ、…!?」
    名を呼ばれる前に唇を塞いだ、つもりだったのだがそれは相手の掌によって防がれていた。
    「…っな、んで…、だって、キスはしないって、…そういう約束なのに」
    「悪いが、…今日に限ってそんなもん、聞いてられねぇ」
    自分の口を塞いできた掌を軽く噛んで、相手の手首を掴む。当然自分より華奢ではない大人の手首は、自分のような子供が押さえつけられるようには見えない。
    それなのに、相手の腕にはそれほど力が入っているようには思えなかった。
    「っひどい、やだ…やめて、なんでっ…今日は、いつもより、言うこと、…聞いてくれないんだ」
    俯いて文句を言う姿は、まるで泣いているようだ。相手の手首を掴んでいる手にまた力を入れて、その顔に自分の顔を寄せる。
    「あんたが、……そんな傷ついた顔、してるからだろう」
    びくっ、と彼の肩が揺れた。少しだけ顔を上げた相手に構わず、言葉を紡いだ。
    「誰にやられた? 言ってくれ、あんたの代わりに俺が殴ってきてやる」
    戸惑いがのった、金色の瞳は動揺で揺れている。うっすらと張った涙の膜のせいで、それは今にも零れ落ちてしまいそうだ。
    「やげんくん…」
    くしゃっと彼の目元が歪んで、その声はひどく頼りなく震えていた。普段の彼からは、とても想像の出来ない有様だ。
    「何でもいい…あんたが話したいことを話してくれ。本当に必要なら、その相手の名を言ってくれて構わない、何でもする」
    額同士が触れそうで触れない距離、それを保って相手の顔を覗き込む。だが、光忠は何も言わなかった。ただ軽く唇を引き結んで、頭を左右に振るだけ。
    「…っだめ、駄目、だよ…君に、関わって欲しくない…!それに、もう、僕に…っ」
     やさしくしないで
    掠れた声に、心臓を思いきり掴まれたようだ。目に見えて苦しんでいるのは、自分の正面にいる大人なのに、自分も苦しくて呼吸が止まったようだった。
    水の中に突然放り込まれたように苦しくて、酸素を求めて口を開く。そのまま相手の口に噛み付いた。
    「ッ!!」
    キスの仕方など知らない。この大人は肝心な時にいつもずるいから、教えてくれなかった。ただ自分からも教えて欲しいと言った事は一度もない。
    最初に、恋人ではないからキスだけはしないよ、と釘を刺されていたのもあって。
    「っひ、どい…!やだ、ひどいよっ、やめて…!…本当に、嫌だ…どうし、てっ…」
    唇を離した瞬間に文句を言い出す口を、何度も塞いだ。今度は噛み付かないでちゃんと、唇同士が重なるように。何度も何度も、角度を変えて。
    「いやだって…いってる、のに…」
    遂にぽろぽろと泣き出した大人の頬を親指で拭って、その涙を払う。止まる気配のないそれも、何度も指で払って頬を撫でた。出来るだけ優しく。
    「…いつも、好き勝手、ばっかり、なのに…なんで、今日に、…限って」
    嗚咽混じりの相手の言葉を、ただ黙って聞いた。唇を塞ぐのはやめて、抱きしめると大きな背中を撫でてやる。ただゆっくりと、泣いている弟にするみたいに。
    「やさしく、するの…もう、ほんと、信じられ、っない、…ひどい」
    今日一日で何度「ひどい」と言われたのか分からないが、ひどいのはお互い様だろうと思う。
    最初にひどくしてと言ってきたのは、あんただろうにと内心だけで返した。
    「…あぁ、全部俺っちのせいにしろ」
    その方がマシだ。見知らぬ誰かに、この男の心を占領され続けるよりかは何倍も。
    「今日は何時まででも付き合うぜ」
     あんたが泣き止んでくれるなら。その傷が、少しは癒えるなら。
    家出を疑われて身内に騒がれる数時間後の未来も、今日は受け入れられる覚悟だ。どんなに自分の成長の遅さを忌々しく思っても、急に大人にはなれない。
     ただ今すぐ大人になれなくとも、出来ることはある。
    「…きみは、ほんとうに、…ひどいよ」
     泣き言を流して、相手を抱きしめたままベッドへ倒れた。今日はこのまま、何もせずにただ抱き合っているだけでいいと思えた。



    #前後などない
    #再録 #薬燭 #現パロ #援交





    横顔が、ひどく傷ついたように憂いていたのには、気付いていた。

    ―今日は今までで一番…ひどくして欲しい―

    ホテルの部屋に入って鍵を閉めたかと思うとその大人は呟いた。話しかける、というにはあまりに小さい声でしかし至近距離にいた自分の耳にはしっかりと届く。
    「…何か、あったのか?」
    いつもなら誰にも言えないバイトとして割り切っているので、こんな無粋な質問などしない。しかし今日はいつもとは違った。相手の大人がひどく傷ついた瞳をしていて、とてもこのままバイトの性行為に及びたいような雰囲気ではない。
    だが相手は首を振って、こちらの質問への回答を拒んだ。
    「おねがい、今日はいつもより出すから」
    そう言って大人は財布の中からすべての万札を取り出して、こちらの手に握らせてくる。思わずその枚数を目視で確認してしまった程だ。軽く二桁はある札束に、余計この男の本気を垣間見て苛々した。
    自分の把握していない所で勝手に傷つけられて、更に今自分にその傷口へ塩を塗る行為を手伝わせようとしているのが分かって。
    「分かった」
     しかし札を握らせている指先が震えているのに、了承せずにはいられなかった。
     今ここで断って他の男の所へ行かれるのも腹立たしいのだ。この大人と自分はただの援助交際相手という、公には出来ない金銭の絡む関係でしかないというのに。
     ぎゅっと札束を握って、制服のスラックスのポケットへと大雑把にそれを入れる。それから持っていた自分の通学用鞄を、まだ入っていない室内の廊下へと放ると、その上に学ランも一緒に投げた。
     大人の鞄も奪って、同じように似た場所へと投げる。少し力加減を間違えて、叩き付けたと思うような音がしたが流して、相手の腕を掴み短い廊下を進んだ。
     すぐにダブルベッドへと行き着いて、その場所に軽くはない男を投げるように押し倒す。されるがまま、シーツの上へと倒れた相手の上に乗り上げて、乱暴にシャツの釦を外した。何もかける言葉も、かけられる言葉もなくただ無言で。
     何かがベッドの下へ飛んで行った音がしたが、きっと無理に引っ張ったせいで華奢な釦は取れてしまったのだろう。構わず晒すようにした素肌に触れてゆく。
     前回と皮膚の表面には殆んど違いはないように見えた。違っているのは目に見えない部分なのだと、嫌でも思い知らされた気になる。今にも泣いてしまいそうな空気を纏ったままの大人に、何も与えてやれない子供の自分が腹立たしい。
    「んっ!!ぅ゙、っぁ゙!」
     苛立ったまま左側の乳首を思い切り抓ると、呻きながら彼が悶えた。まだ痛みの方が遥かに勝っていそうな声で、背中も耐えるように若干丸まっている。
    しかし痛がった後で少しだけ、ほっとしたような顔をされるのがまた堪らなく嫌だった。これがこの男にとって、自傷行為と変わらないのだと直接、告げられているようで。
     反対の乳首には、いつもより強めに噛み付いて歯型を残した。
    「ッぅ゙…っく、……っ!!」
     まるで痛みしかないと思われる呻き声は、彼が無理矢理に奥歯を噛んだ事によって聞こえなくなる。ただ鼻から抜ける息遣いが小刻みで、とても隠せているとは思えなかった。
     それから徐々に下へ、普段なら相手を喜ばせるためだけに皮膚の表面を丹念に撫でたり舐めたりする所だが、今日に限ってそんな行為は求められていない。
    自分の頼りない腕の中で、少しずつ確実に変化していく大人を観察しているのが好ましいのだが、そんな本音も今日は特に聞きたくないだろう。そんな空気を光忠とだけ名乗った男は纏っている。
     相手のスラックスへ手を伸ばして、留金を外すとすぐにジッパーも下ろした。明らかに反応していない相手の性器を下着越しに確認するが、ここでやめる訳にもいかない。
    仕方なしにスラックスも下着も一緒に、強引に脱がせて下半身を晒させた。それから後頭部の髪を片手で掴むと、強制的に俯せにさせる。
    「…枕でも噛んでな」
     こんな言葉をかけたい訳ではない。だが、他に言える言葉など、自分は持ち合わせていなかった。
    「ぅんん…んっ」
     何かを言いたそうなくぐもった声が聞こえた気がしたが、聞こえないふりをする。移動の際に制服のポケットへ入れ替えておいたワセリンを取り出して、指先へ乗せた。いくらひどくしろと言われても、怪我をさせる約束をした覚えはない。
     それを後ろへ塗ろうと指先が触れれば、相手が振り返ってこちらの動きを阻止した。
    「今日は…慣らさないで、大丈夫だから…!」
     全く大丈夫には見えない大人の掴んでくる手の力が強くて、思わず顔を顰める。彼が掴んでいる自分の手首は、止血でもされているようだ。
    「いくらあんたでも慣らさなきゃ入らねぇだろう。この手を退けな」
     だが何を言われても、こちらとて譲る気はない。自分の目の前でただ傷付く姿を見ているのは嫌だった。例えば今、彼を傷つけているのが自分でも。その根底にある傷を作ったのが自分以外の誰かなのが、特に許せなかった。
    「入るよっ…本当に、大丈夫だから、…優しくしないで」
     一秒も、と続いた言葉に自分の頭の血管が切れた音が聞こえた気がした。頭に血が上ったまま少し力が緩んだ手を振り払って、軟膏の乗った指先を大人の尻の穴に捩じ込む。
    「ァ゙あ゙ぁっ…!!」
     不意をついたのもあってか、無防備な悲鳴が上がった。それはそうだろう。毎回念入りに、慎重に解しているこの場所は、今日はまだ全く濡れていない。
    そんな固く閉ざした場所に、軟膏が塗ってあるとは言えいきなり指を突き入れればこういう反応をせざるを得ないのは明白だった。こうなる事を分かっていて我慢が利かなかったのは、自分の我儘を通したかったからかも知れない。
    「っ全然、大丈夫じゃねぇだろ…!」
     男の瞳から、一粒だけ流れた生理的な涙を見てついぼやく。
    痛みに震えている背中から相手を片腕で抱きしめて、シャツ越しにその背中へ唇を落とした。今日は体温が低いのか、シャツ越しでも身体が冷えているように感じる。震えながら、相手はベッドへ静かに沈んだ。
     内側に押し入れた指を引き抜いて、またそこに軟膏を取ると大人の後ろへとゆっくり塗りつけてゆく。なるべくいつもと同じように、いつもより優しく出来るように。
    「…っや、だ、…薬研、く、…それ、嫌だ……ぉ、ねが…っ…」
     力なく頭を左右に振って、光忠は哀願しているようだった。震える手が、枕を握っているのが見える。
     こんな日に、今にも消えいってしまいそうな程弱っている大人を前に、欲情している自分すら許せなかった。それなのに、相手の後ろを解す手も止められない。最悪だ。
    今この場で自分が何をしてもそれが正しいとは思えないのに、この男に対して何をしてやりたいのかも分からない。分かるのは、相手の身体の反応する場所だけ。まだ覚えて間もない男同士の、身体の重ね方だけ。本当は泣きたいであろう相手の心情だけ。
    それに、頼っても貰えない未熟な己自身。
    吐き気がした。
    「もっ…やだ…!!ぼくの、言うこと、聞けない、っなら、…お金、…返して!」
    耐えられなかったのは、こちらだけではないようだ。涙目で、頭だけこちらに振り返った大人に睨まれる。内側に埋めていた指を引き抜いて、相手から体も離した。
    この言葉に、正直ほっとした自分が居た。
    「あぁ、全部返す」
    制服のポケットに突っ込んでいた札束を、全てその場にばら撒く。明白に目を見張った相手を、立ち膝になって微妙に上から見下ろした。それから、動きを止めたその顔を両手で挟む。
    健康的な色艶をした頬は少しだけ熱くて、冷え始めている自分の指先に優しかった。
    「やげ、…!?」
    名を呼ばれる前に唇を塞いだ、つもりだったのだがそれは相手の掌によって防がれていた。
    「…っな、んで…、だって、キスはしないって、…そういう約束なのに」
    「悪いが、…今日に限ってそんなもん、聞いてられねぇ」
    自分の口を塞いできた掌を軽く噛んで、相手の手首を掴む。当然自分より華奢ではない大人の手首は、自分のような子供が押さえつけられるようには見えない。
    それなのに、相手の腕にはそれほど力が入っているようには思えなかった。
    「っひどい、やだ…やめて、なんでっ…今日は、いつもより、言うこと、…聞いてくれないんだ」
    俯いて文句を言う姿は、まるで泣いているようだ。相手の手首を掴んでいる手にまた力を入れて、その顔に自分の顔を寄せる。
    「あんたが、……そんな傷ついた顔、してるからだろう」
    びくっ、と彼の肩が揺れた。少しだけ顔を上げた相手に構わず、言葉を紡いだ。
    「誰にやられた? 言ってくれ、あんたの代わりに俺が殴ってきてやる」
    戸惑いがのった、金色の瞳は動揺で揺れている。うっすらと張った涙の膜のせいで、それは今にも零れ落ちてしまいそうだ。
    「やげんくん…」
    くしゃっと彼の目元が歪んで、その声はひどく頼りなく震えていた。普段の彼からは、とても想像の出来ない有様だ。
    「何でもいい…あんたが話したいことを話してくれ。本当に必要なら、その相手の名を言ってくれて構わない、何でもする」
    額同士が触れそうで触れない距離、それを保って相手の顔を覗き込む。だが、光忠は何も言わなかった。ただ軽く唇を引き結んで、頭を左右に振るだけ。
    「…っだめ、駄目、だよ…君に、関わって欲しくない…!それに、もう、僕に…っ」
     やさしくしないで
    掠れた声に、心臓を思いきり掴まれたようだ。目に見えて苦しんでいるのは、自分の正面にいる大人なのに、自分も苦しくて呼吸が止まったようだった。
    水の中に突然放り込まれたように苦しくて、酸素を求めて口を開く。そのまま相手の口に噛み付いた。
    「ッ!!」
    キスの仕方など知らない。この大人は肝心な時にいつもずるいから、教えてくれなかった。ただ自分からも教えて欲しいと言った事は一度もない。
    最初に、恋人ではないからキスだけはしないよ、と釘を刺されていたのもあって。
    「っひ、どい…!やだ、ひどいよっ、やめて…!…本当に、嫌だ…どうし、てっ…」
    唇を離した瞬間に文句を言い出す口を、何度も塞いだ。今度は噛み付かないでちゃんと、唇同士が重なるように。何度も何度も、角度を変えて。
    「いやだって…いってる、のに…」
    遂にぽろぽろと泣き出した大人の頬を親指で拭って、その涙を払う。止まる気配のないそれも、何度も指で払って頬を撫でた。出来るだけ優しく。
    「…いつも、好き勝手、ばっかり、なのに…なんで、今日に、…限って」
    嗚咽混じりの相手の言葉を、ただ黙って聞いた。唇を塞ぐのはやめて、抱きしめると大きな背中を撫でてやる。ただゆっくりと、泣いている弟にするみたいに。
    「やさしく、するの…もう、ほんと、信じられ、っない、…ひどい」
    今日一日で何度「ひどい」と言われたのか分からないが、ひどいのはお互い様だろうと思う。
    最初にひどくしてと言ってきたのは、あんただろうにと内心だけで返した。
    「…あぁ、全部俺っちのせいにしろ」
    その方がマシだ。見知らぬ誰かに、この男の心を占領され続けるよりかは何倍も。
    「今日は何時まででも付き合うぜ」
     あんたが泣き止んでくれるなら。その傷が、少しは癒えるなら。
    家出を疑われて身内に騒がれる数時間後の未来も、今日は受け入れられる覚悟だ。どんなに自分の成長の遅さを忌々しく思っても、急に大人にはなれない。
     ただ今すぐ大人になれなくとも、出来ることはある。
    「…きみは、ほんとうに、…ひどいよ」
     泣き言を流して、相手を抱きしめたままベッドへ倒れた。今日はこのまま、何もせずにただ抱き合っているだけでいいと思えた。



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