それは砂糖よりもあまいふんわりあまいバニラの香りと、熱したフライパンの上でバターと生地が弾ける音に包まれるこの時間はいくつ歳を重ねても幸せだよなあと思いながら、ムコーダは本日十何枚めかのホットケーキを焼いていた。表面にふつふつと気泡が浮かんでは弾けていく様子をしばらく眺めてから慣れた手つきで生地を裏返しフタをして数分後、最後の一枚が焼き上がり、既に積み上げているホットケーキの上へのせた。
3枚の皿に高く積み上げられたホットケーキはほっこりと温かく、バターとメープルシロップでシンプルに食べるのも美味しいが、ネットスーパーで安売りされていたため購入したホイップクリームやカラースプレー、アラザンなどもあるため今回はトッピングをしていくことにした。ネットスーパーのトップ画面で手作り菓子のトッピング用品がやたら推されていたので、もしかしたら元の世界ではバレンタインデーが近いのかもしれない。
さて、まずはスイのホットケーキにたっぷりの生クリームをのせていく。真っ白なそれを彩るようにカラースプレーをかけ、アラザンを散らせばキラキラと輝くトッピングができあがる。スイは楽しんでくれそうだなと思い、少しだけ多くトッピングを追加した。次はフェルの分をトッピングしていくかと思った時、視界にチョコペンが入った。「そういえばこれも買っていたな」と思い出し、せっかく買ったのだしなんか書いてみるかと思い、カップにお湯を注ぎ湯せんをしてチョコを溶かしていく。
さて、何を書こうか。
名前では面白くないし、絵を描けるほど器用でもない。何かメッセージを書こうかと思ったが改まって伝えたいことはあっただろうかと考えた時、ある2文字が浮かんだ。
「すき……か」
誰に向けたものでなく、1人空に向かって投げただけでもなんだか恥ずかしくなり顔に熱が集まっていく。
俺とフェルはつい数日前に恋仲となった。フェルは毎日のように言葉や行動で気持ちを伝えてくれることが多い中俺の方から気持ちを伝えたことはなかった。伝えたくないわけではない。ただ、言葉にしようとすると恥ずかしさが勝り結局伝えることができずにいた。どうすれば伝えられるのかがここ最近の悩みになっていたが、これなら解決できるんじゃないか?音にして伝えることが難しいなら、書いて伝える方が楽かもしれない。よし、そうしよう。
湯せんしていたカップからチョコペンを取り出して先端をハサミで切り取る。
ホットケーキの上にチョコで好きを書いていく。初めてのチョコペンは想像したよりも書きづらいけれど、俺もお前が好きだって伝わってほしいから慎重に文字を書いていく。
「なんとか書けたな」
手が震えてしまったため少し線がブレているところもあるが初めてならばこんなものだろう。たった2文字だけれど、それをしっかりと書けた達成感に心が満たされた。
これをフェルに渡したらどんな反応をするだろうか。
いや、ちょっとまて……ほんとに渡すのか、これを。
渡すことを意識した途端、心に満たされていた達成感がみるみる恥ずかしさに変わっていった。いやいや、だって考えてみたら言うのは一瞬だけど、書いたら食べるまではずっと残るってことだろ。何それ恥ずかしい。
せっかく頑張って書いたのにという気持ちをはるかに上回る恥ずかしさに耐えられなくなったので俺の皿にあったホットケーキを一枚取り、チョコペンで書かれた気持ちを隠すように重ねた。これでもう見えない。大丈夫。無かったことにしよう。うんそうしよう。
「せっかく書いたのによいのか?」
突然背後から声をかけられた。
その瞬間額に、背中に、手のひらに、身体のいたるところから汗がぶわっと溢れ出た。
錆びついた機械のようにギギギと効果音が鳴りそうな動きで恐る恐る振り返るとそこには一番知られたくない奴がニヤニヤとした表情でこちらを見下ろしていた。
「えと……フェルさんはいつから見てました……?」
「その積み重なった丸いものの上に文字を書き始めたあたりからだな」
文字を書くことに集中していて近づいてきていたことに気づかなかった。フェルは「焼き上がった後しばらく待っても持ってこないのでな、様子を見に行ったのだ」なんて言ってるが、完成したらちゃんと声かけるから待っててくれ。というか背後に黙って立つな。なんで声をかけてくれなかったんだ。ああ、穴があったら入りたい。
「お主もなかなか可愛いことをするのだな」
「すみません忘れてください」
「忘れるわけがなかろう」
千年先も覚えておるだろうな、なんて嬉しそうに言って俺の額にキスを落とした。触れたところから熱が集まり身体全体が燃えるように熱くなっていく。心臓の音がこんなに大きくなることがあるなんて知らなかった。
めちゃくちゃ恥ずかしくて、今すぐどこかに隠れてしまいたくなる。それでも、フェルが喜んでくれたから書いてよかったなと思えた。
そうはいってもこの甘い雰囲気にはやはり耐えられず「ホットケーキ冷めるし食べ始めようか」と言ってその場から逃げるように皿を持ってスイのもとへと逃げてしまった。
結局俺とフェルの分をトッピングをする時間はなくなり、スイのホットケーキ以外はトッピングもなくシンプルに食べることになった。飾り気のないホットケーキはスイのものと比べると砂糖が控えめなはずなのに、先ほどあまい空気のせいか生クリームやチョコなんかよりもずっとあまく感じた。