Adamas 1 無機質な石がいくつも立ち並ぶ墓地の群れ。
その合間を縫って歩く人影がいる。
いかにも墓参者といった、全身を黒の服装で固めたの年若い少女だ。手に花を携えた白い百合の花束が、そよそよと吹く風に花弁を揺らす。
黒の衣装と花の白の対比が目を引くが、あいにくと墓地に彼女以外の人はいない。
死者の眠る地にふさわしい静寂さのなか、ゆったりと歩く少女の表情は凪いでいた。
その足取りが止まったのは、手入れの行き届いた、とある墓石の前。
少女――オルテンシアは墓標の前にしゃがみ、花束をそっと横たえる。そうして何をするでもなく、ただ静かに灰色の石を見つめている。そのおもてには、先ほどまでの凪いだ色から変わり、かすかにだが痛ましげな色が浮かんでいた。
「やっと来ることができました。……遅くなってすみません。でも、今日、来れてよかった」
ここは彼女にとって、一番大切なひとが眠る場所。
墓碑に刻まれた名は、テュール。
かつて、ボンゴレ独立暗殺部隊ヴァリアーのボスの座にあった男の名であり、剣帝と謳われ、恐れられた男の名。
そして、オルテンシアの命を掬い取ってくれた男の名だった。
――瞼を閉じれば、まるで昨日のことのように思い出せる。
*
いくさばのにおいがする。血と硝煙のにおい。
それでなくとも、「ここ」はこうだ。幼い少年少女たちが使い捨ての駒ぐらいにはなるように訓練させられ、そこで運が悪ければ命を落とす。成績が悪くても「処分」される。あまりにも、いのちが軽々しく扱われる場所だった。
だがいまは違う。訓練などではない。実戦だ。
ただしく敵が攻め込んできている、生きるか死ぬかの瀬戸際。
怒号を飛ばす大人たちの指示に従い、光を宿さない瞳の少年少女たちは、それでも微かな恐れを宿し、皆それぞれ銃やナイフなど装備を受け取って持ち場へと向かっていく。
彼女もそのひとりだった。
「……! ……!」
彼女たちが与えられた持ち場は――惨憺。それに尽きるありさまだった。
天井や壁におびただしい血飛沫が飛び散り、その血痕の量が一人ではないことを表している。実際に床に倒れた――かつて、ひと、だったものたちも、もはや生きてはいないだろう。
いくつもの亡骸と、そして辺り一面が真っ赤な空間に立っていたのは、ひとりの男だった。
黒ずくめの恰好に、返り血ひとつ浴びていない。赤と、黒と、そして、男が携えた銀――剣の鋭さ。
駆け付けた彼女たちを見た瞬間、僅かに――それは錯覚かもしれないが――悲しげな表情を浮かべたような気がする。
彼女たちが一歩も動けないなか、男は耳元に手を押し当て、見えない誰かと二三言、会話を済ませてからようやくこちらへと向き直り、
――背筋が震えた。
瞬時に悟った。
圧倒的な実力差。戦って勝てる相手ではない。自分たちはここで死ぬ。床にひれ伏した同胞のように。
「う、わぁあああっ!」
「っ、待て!」
視界いっぱいに映る大量の血痕。たくさんの“仲間”だったこどもたちの亡骸。
血の匂いに当てられたか、それとも得体のしれない男の存在にか。恐怖が臨界点に達したこどもがひとり、飛び出して男へと斬りかかり――
銀色が閃いた。
剣だ、と理解した瞬間に新たな血の匂いが増える。
ごとん。硬い床に頭が落ちる。さきほどまで仲間だった、こどもの頭が。
「あっあああ、あああああああ!!!!
「いや、いやだ、いやだああ!!!」
それを皮切りに、寸前まで傍らにいた存在がいともたやすく死んでしまったことに、こどもたちは一気に恐慌状態へと陥った。
……いくら訓練で優秀な成績を残し生き残ろうと、実戦で取り乱しては全くの無意味だ。半狂乱で男に襲いかかったこどもたちは、瞬きの間に、そのすべてが物言わぬ死体となった。
――ただ一人を除いて。
彼女はそこに立っていた。こどもが――“仲間”が殺されようとも。武器も取らず。
ただ、男を見ている。
「オトモダチはみんな死んだぜ? 仇討ちだー! って、来ねえのか?」
「……状況判断を誤るからです。統制の取れてない突撃など、愚の骨頂。死にゆきたいとしか思えないし、実際、そうなった」
ともすれば冷たい言葉だったが、その声は震えている。
どうあがいたところで、彼女と男の実力差もまた歴然だった。仲間たちは無駄死にしたけれども、あと少しでどうせ彼女も同じようになる。
だから。
彼女はナイフを構えた。
せめて。せめてきちんと、戦って、死ぬ。取り乱したりなどせず。
たとえ敵わなくとも。できることを全力で。
それが、短い生を生きた彼女なりの誇りだ。
ひた、と真っ直ぐに男を見つめる。そんな彼女を見返した男が、ヒュウ、口笛を吹いた。いくさばに不釣り合いな、陽気な音色。
そうして、口笛に負けず劣らず明るく笑い。
「いい目じゃねえか。一緒に来い。ここで死なせるには勿体ねえ」
手を、彼女に差し伸べた。
目を丸くして、伸べられたそれを見つめる。
……なかまを殺した手だ。
でも、なんの情もなかった。無機質に。無感情に。使い捨ての駒としてだけ育てられた、それだけの命だったから。誰も彼もがいつか死ぬ。なかまは死んだ。横たわった、光の失った目が自分を見ているような錯覚すら覚える。
それに引き換え、見上げた男の顔は――太陽のようにまぶしかった。
なかまが死んでも悲しくないのに、その笑顔にどうしてか目の奥が熱くなる。
「来るか? 来ないか?」
「……いく」
そうして彼女は、男の――テュールの手を取った。
これが、オルテンシアとテュールの出会い。
施設ではシステマティックに管理番号で個体識別されていた彼女に、オルテンシア、という名前を与えてくれたのは彼だ。
「ボス、どうしたんスかそのガキんちょ」
「拾った」
「はぁ!? え? ちょっと待ってください、今回の任務って殲滅戦でしょ? そのガキ、どう見てもここのヤツじゃねーですか。取りこぼしがあっちゃマズイでしょ、どうするんスか」
「どうするもなにも、俺が拾った命だからな。俺が面倒見なきゃならないだろ? ――こいつをヴァリアーに入隊させる」
「……本気ですか」
「本気もほーんき。見どころあるぜ、こいつはさ」
テュールと部下の間でそんなひと悶着があったが、どうやら彼は言い出したら聞かない性格のらしい。面倒を見る、の宣言通りヴァリアーの根城に連れて帰られ、そこに住むことになった。
そしてヴァリアーの入隊資格を満たすために語学教師をつけられ、施設以上に厳しい戦闘訓練をつけられ。
始めのうちは、ボスが拾ってきた子どもだから、と、隊員たちもオルテンシアとどう接したものか決めあぐねていたようだったが、ストイックに勉学に訓練に励む姿を見て隊員同然に接してくれるようになった。
そして、一年後。
オルテンシアは晴れてヴァリアーに入隊を果たした。
*
――ふ、と過去の記憶から現在へと意識を戻す。つい物思いにふけってしまった。
そう、彼なくして今の彼女は存在しない。
だから。
「……あれから色々変わったけれども。ヴァリアーは、わたしが守ります。いいえ。守ってみせます」
それがどれほどの茨の道でも。
テュールがいたヴァリアーを、守る。彼の誇りだった、その一つを。
そうすることが、ひいては彼が生き続けることになりはしないだろうか。
否、テュールが死に、その亡骸が埋葬されても、オルテンシアの胸の中には今でも彼への想いが息づいている。想い出が生きている。
瞼を閉じればありありと思い出せるのは、命を救われ彼の手を取ったときの、屈託のない笑顔。その笑顔を一目見て、どこまでもついていこうと決めた。
元より孤児だ。ほかに帰る場所がなければ、ヴァリアーにいる以外の生き方も知らない。
でもそれでいいと思っている。少なくとも、自分のいのちの使い方を決めることができた分、そうでないひとより幸せだろう。
かつて彼女がいた場所で、命じられるがままに戦って死んでいった子どもたちは、それしかできなかった。それしか与えられなかった。
――だから自分は恵まれている。テュールという光に救われたのだから。
「……来年、また来ます」
あなたが逝った、今日、この日に。
立ち上がり、墓碑に踵を帰すオルテンシアの耳には、テュールの瞳と同じ色をした、黒い石のピアスがあった。
まるで楔のように。