Adamas 4 むかしばなしをしよう。
それはまだ剣帝テュールが生きていたころから、はじまる。
「なーんか面白いネタねーのぉー?」
と、一人がけの豪華なソファに座りだらしなく足を投げだした男が上げた声に、書類をさばいていた青年が手を休めないまま応える。
「面白くないやつなら山ほどありますけどね!? っていうかサボってないで仕事してくださいよォー、ボスぅー」
「野郎がかわいくない声だしてもやる気でるわけねーだろー?」
「ならかわいいの! ほら、オルテンシア! お前もなんか言え!」
水を向けられ、オルテンシアは書類整理していた手をとめる。そしていかにもやれやれといったふうに、呆れたまなざしをソファの男に向ける。
「大のおとこが駄々こねても見苦しいよ――テュール」
とたん、グハッとうめくテュールに追い打ちをかける声も。
「そーですよボスー。いいトシしてうら若きティーンのオンナノコに、勤務態度を諫められる姿、とってもカッコ悪いッスー」
「お前らなぁ……少しはオレを敬う気持ちはねーのかよ!?」
「ありますーとってもありますー」
「? わたしはテュール、好きだよ?」
きょとん、と。
オルテンシアはいつもなら感情の薄いかおを、しかしいまは小首をかしげ目をまるくしている。放ったことばは彼女自身にとって、ただおのれのなかの純然たる事実を口にした、それだけの。
「――あーもー聞いた!? かわいい!! かわいい部下持って、オレ、幸せ!!」
「はいはい、ごちそうさまです。果報者でヨカッタデスネ」
イェー! と。
どうやら、さきほどまでの退屈はどこぞへ消え去ってしまったようだ。すっかり機嫌をよくしたテュールの態度に、しかしオルテンシアが少しだけ不服そうな色をにじませているのに気づいたのは、その場ではボス補佐官の彼だけ。
オルテンシアもがんばってるんだけどなぁ。
彼は内心、ごちる。
彼女がテュールに恋していることはヴァリアー内で周知のことだ。感情の薄い顔に、それでも懸命に言の葉を放ち。なんどでもくり返されている。その数はとうに両の手の指の数を越えた。普通ならあきらめるだろう。でも、彼女はあきらめない。わき見もせずテュールを追いかけている。
刷り込みみたいなもんだろ。と、いつだったか当のテュールがオルテンシアのいない場で言っていた。
アイツはオレが拾ってきて育てた。だからだろ。まねしてエドのヤツまで拾ってきて。――夢はいつか、覚める。
……はたしてそうだろうか、と疑問に思うところはある。テュールがオルテンシアを拾ってきたのは事実だけれども、育てた――戦闘から日常生活までありとあらゆる面で――のはヴァリアー隊員だって関わっている。確かにその中でテュールがいちばん接する時間が長かったかもしれないが。用がなくともなにかと構いにいっていたから。
でも、なあ。ねえ。うん。オルテンシア、かわいいし。
と、彼個人としては気持ちでオルテンシアを応援しつつ、ボスの考えもあって大っぴらな行動をおこさない、というバランスを取って見守っていた。
そのとき。
「あ、」
と書類整理の作業を続けていたオルテンシア声をあげる。
「面白いネタ、出てきた。これ、例の彼なんじゃあ?」
写真がクリップで留められた一枚の紙をテュールに渡す。受け取ったそれに目を走らせテュールは、
「おっ、またやったのかよ。若いのによくやるぜ」
その書類に書かれていた内容は、他国の有名な剣士を、とある少年剣士が斃した、という情報だった。添えてある写真はその少年を撮影したものなのだろう。オルテンシアと同じ年頃の――銀髪の少年。隠し撮りに成功したらしい、頬の線にあどけなさを残しながらも青年へと向かう途中の横顔、遠くを見据える瞳はどこまでも鋭い。まるで剣のよう。視線だけでひとを斬り殺せそうな。
しばしその書類を眺めていたテュールは、おもむろに口を開いたかと思えば――
「コイツ、ウチに欲しいな」
「……はぁ!?」
声を上げたのは黙々と仕事をしていた補佐官の彼だ。
「また隊員、増やすんスか?」
「こないだの作戦で殉職したのがいただろ」
「仕事しなくてもそこはしっかり覚えてるんですよねーオレ知ってるー」
はぁ、とため息をこぼす――かと思えば直後には手にしていたものから机上のものまで書類一切をザッと脇に寄せ。空いたスペースに置いたのは一冊のファイルだ。表紙をめくり、内容を読み上げる。
「スクアーロ。イタリア出身。年齢は十四歳。あちこちの名うての剣士に戦いを挑んでは、そのすべてで勝利を収めている。目下、天才剣士と名高い少年で、界隈ではかなり有名なようです」
「そういうお前は仕事してくれるの、オレ知ってる」
軽口を流し、
「それでもどうやら学校には所属しているようですね。マフィア関係者の子が多く通う――キャバッローネのご子息が通っている学校ですね」
「接触するならそこだな。張れ」
「了解」
数日後。
スクアーロとの接触は成功した、と聞いたオルテンシアは、続く内容に目をまるくして驚いた。
ヴァリアーへの入隊を勧誘したものの、向こうから条件を提示してきたのだそうだ。――剣の帝王と名高いテュールとの決闘を。
「……大きくでたね。当代ヴァリアーボスとの決闘、だなんて。それで、テュールも条件を飲んだの?」
「若いヤツの挑戦を跳ねのけちゃあ悪いしな。それに、オレに挑もうって気概があるのも面白い。いいねえいいねえ」
不敵に笑うテュールの顔は、剣士としてのそれだ。
「いいんスか。使い物にならなくなるかもしれませんよ」
「そこはやってみないとわからねーよ。で、だ。オルテンシア」
補佐官の彼の言葉はテュールの勝利を信じて疑っていない。それはもちろんオルテンシアも同じだった。
「なに?」
「立会人な。お前、やれ」
「……わたしが? いいの?」
名指しされ、数回、まばたく。てっきり古参の幹部が立ち会うものだと思っていた。オルテンシアがヴァリアーに入ってそれなりの年数が経ったが、それでも古株の隊員には劣る。
「なにごとも経験、ってな」
「わかった」
こくり、頷く。
入隊試験の一環とはいえ、剣帝と謳われるテュールが決闘を挑まれたのだ。その立会人に選ばれた事実に気持ちが高揚してくるのを内心で感じていた。任務で戦うのとはわけが違う、純粋な、剣士同士による一対一の闘い。それを間近で見られる。テュールの剣士としての純粋な戦いを。
「ああー楽しみだー」
テュールが声を上げて笑った。
*
いったい。
いったい、だれがこの結末を予想できたというのだろう。
「テュール! テュールッ!!」
目の前には地面に横たわったテュールの姿。それにすがりつきながら、オルテンシアは必死に叫ぶ。彼は全身が傷だらけで、身体のあちこちから血が流れだして止まらない。じわじわと広がっていく血だまりに、死、という単語が頭をよぎる。
二日間に渡る決闘だった。開幕と同時、闘いは一足飛びに最高潮を迎え、テュールとスクアーロの二人ともがその勢いのままに剣をまじえ続けた。ときには剣筋が見えないほどの速さで。
テュールはわらっていた。心の底からこの闘いをよろこんでいた。ぎらぎらと光る黒い瞳、獰猛な獣のような笑顔。その、剣士ではない己には引き出せない笑みに、スクアーロになんともいえない感情をいだいては、余計なことを考えるなと何回己を叱りつけたか。いまはただこの決闘の行く末を見届けなければ。それが立会人としての務めだから。そう自らに言い聞かせ、ただただ闘いの趨勢を見守り続けた。
その結果が、こんなことになるなんて。
テュールは地に倒れ、立っているのは銀髪の少年剣士――スクアーロ。
むろん彼も無傷ではないが、肩で息をしながら、テュールを見下ろしている。
「テュール、いやだ、しなないで……!」
まるでおさなごの駄々だ。頭のどこかで冷静な自分が呟く。
広がる血だまりが止まらない。救護班はとっくの前に呼んでいる。早く、はやく駆けつけてくれないと、このままでは――
「オルテンシア、」
ふ、と。
息ともつかないような、ちいさなこえで名前を呼ばれる。そのあまりのちいささに、オルテンシアは直感をいだく。だめだ。テュールにしゃべらせてはいけない。さもなければ待っているのは、死、だと。
「いい、しゃべらなくていいから、いま救護班が向かってきてるから――」
「――生きろ」
目が、合った。
黒い瞳がオルテンシアを見て――そして、笑った。
いつものように、まぶしい笑顔。いつかのように、泣きたくなるくらい明るい笑み。
悟る。助からないことをいちばん理解しているのはテュール自身だ、と。
これは遺言だ。……それもオルテンシアに向けた。
ならば自分がいうべきことは、ひとつ。
「――生きる」
うなずいてみせれば、それを見届けるかのように、ゆっくりと瞳が閉じ。
胸の上下運動も止まり。
もはやちいさな呼吸音すら聞こえない、完全に……沈黙した身体。
――剣帝と謳われた、ひとりのおとこが死んだ。
けれども感傷にひたっている暇はない。
オルテンシアはそれまで黙っていた少年を振り返り、しかしぎょっとする。
なにを思ったか、スクアーロは片手の剣を高くかざし――
振り下ろす勢いのまま、こともあろうに自分の左手首を断ち斬った。
ガチン、と剣先が地面を噛む。
勢いよく吹き出す赤い血。
ぼとりと地に落ちた手首――。
「いったいなにを……!」
しかし答えはなく。
無言のまま膝から崩れ落ち、うつ伏せに倒れたスクアーロは意識がないようだった。
ひとまず止血をほどこしたところで、ようやく救護班が到着した。テュールとスクアーロ、倒れた二人、少年の方は片方の手首を損失。状況判断を求められ、オルテンシアは断腸の思いで、なんとか言葉をしぼりだす。涙がこぼれないことが不思議な思いで。
「テュールは死にました」