始まりの終わりロナルド君の血は甘い。
ふとした瞬間に思い出すその事実は、好奇心旺盛で楽しそうなことにはすぐに首を突っ込む自他共に認める享楽主義者のドラルクをここ数日少しばかり憂鬱にさせている。
むろん意図して血を吸った訳ではない。
なんとなれば、どの時代においてもドラルクの好みはうなじのキレイな美少女で、かなりの男前ではあるものの、筋骨隆々とした男性には吸血鬼としての食指が動かないのだ。
なのに、一種の事故によって図らずも知ってしまった同居人の血の味は…。
事の起こりは退治人ギルドの久々の飲み会だった。
最近では珍しいくらいの大規模な下等吸血鬼の巣を退治人総出で駆除した後でほとんどのメンバーがギルドに戻ってきたのだが、久しぶりに大暴れしたせいか興奮冷めやらずでなし崩し的に宴会が始まってしまったのだ。
ロナルドにくっついてきていたドラルクは、同じような場面で度々無給のバイト扱いされていたのでこっそり抜け出そうとしたところを、目ざといマスターに阻止されてしまった。
「ドラルクさんのミルクのツケ、大分たまってますよね?」
今度こそツケにせずその場で払おうと決心したドラルクだが、喉元過ぎればなんとやらでつい忘れてしまい、またツケがたまって労働力を提供することになるまでがデフォルトとなっている。
そんな訳で、ドラルクは時々疲労からスナりながらもジョッキを運んだり料理を作る手伝いをしたり、個性豊かな退治人の面々と絡んだり絡まれたり、彼にとっても結構楽しい時間を過ごしていた。
しかしふとジョンの方を見遣ると、お腹も一杯になってそろそろ飽きてしまったのか、欠伸をしてモソモソとドラルクが畳んで置いていたマントに潜り込もうとしている最中だった。
(マズイな…ジョンがおねむだ。本当にもうお暇させてもらわねば…)
いくつかあるテーブルのあちこちから「ヒーーーッッ」とか「ウギャアアアアーッ」などと不穏な悲鳴が上がり、宴は最高潮に達している。
どうしたものかと考え込むドラルクの左手を誰かがぐいと引いた。
「ンアーーーッ!」
「こいよ、ドラルク!チーム戦だ!」
赤い顔のマリアさんが有無を言わせずドラルクとロナルドをぐいっと向かい合わせた。
「ポッキーゲームやるぜーーー!」
「イヤアアアアアーーーッッ」
こういう時のロナルドは役に立たないことがわかっているので、ドラルクはすぐさま逃げようとしたが、マリアさんの力強い腕がガッチリと二人をホールドしている。
「ルールはァ、最後までチューしてたヤツらが勝ちな!最初に脱落すると罰ゲームありだからな!」
「…ウッ」
相変わらずわーわー騒いでいるただの酔っぱらいと化した屈強なギルドの面々に囲まれ、一人素面のドラルクは天井を仰いだ。
サテツにショット、マリアさん、シーニャさんもベロベロながらすでに臨戦態勢である。
こうなったら罰ゲームを喰らわない程度に付き合ってさっさと帰る他なさそうだ。
「…おい、ロナルド君、ちゃんと聞こえているかね?いいか、絶対一番最初にギブアップするんじゃないぞ、私は早く帰りたいんだ」
「え~~、まだいーじゃんよー」
「うるさい、この酒弱ルドめ、ほらポッキーもらえ」
「ぽっきー?」
全然話を聞いていないロナルドに内心舌打ちしながら、ドラルクはマスターからチョコポッキーを受け取った。
ドラルクは人間の食物をほとんど食べないが、ポッキーくらいならどうということはない。
チョコの方をロナルドに咥えさせ、自分はプレッツェルの方を慎重に薄い唇に挟んだ。
ロナルドの顔が異常に近くてスナりそうになるが、尻に力を込めて踏ん張った。
「よーい、はじめー!」
何も考えていなさそうなロナルドはあっという間にポッキーを食べ進み、固まるドラルクの唇から躊躇なく残りのそれを自分の唇で奪う。
遮蔽物のなくなった二人の唇は自然に触れ合い、ロナルドの両手がドラルクの肩に回る。
「……ン」
(うわー私若造とキスしちゃってるよ…)
目を閉じるのもヘンだよなと、ドラルクは唇を合わせたまま薄目でロナルドの様子を窺う。
なんだか頭がキーンとして他の退治人たちがどんなことをしているかなんて全くわからなくなった。
ロナルドの鼻息がこそばゆいし、こちらもうまく息ができずに苦しくなってきて口を開いてしまったら、ロナルドの舌がすっと侵入してきた。
「…アッ」
「いてぇっ!」
あまりのことに驚いたドラルクがロナルドの舌を噛んだのと、痛みで叫んだロナルドの声が重なり、二人は弾かれたようにぱっと離れた。
吸血鬼の鋭い牙はロナルドの舌を傷つけ、ほんの一瞬だが滲んだ血の味をドラルクは感じていた。
それは初めての感覚で、ドラルクは動揺が顔に出ないようにするので精一杯だった。
「なになに、どうしたのー?」
腹立たしいことにゲームはとっくに終了していたようで、シーニャさんが二人の顔を交互に覗き込む。
「…いや、コイツ俺の足踏みやがったんだよ」
「君の圧力が強すぎて死にそうになったんだから仕方ないだろう!」
とっさにごまかしたロナルドにドラルクも合わせる。
「さあ、皆さんそろそろお開きにしましょうか。明日も仕事のある人ばかりでしょう?」
何か察したらしいマスターが助け舟を出してくれてドラルクはホッとした。
本格的に寝てしまったジョンを起こさないようにドラルクはゆっくり歩いた。
多分どちらも悪いし、どちらも悪くなかったのだと思う。
自分の少し前を歩くロナルドの背をドラルクはじっと見つめる。
ねえ、ロナルド君。
知っているかな?
知らないだろうね。
君の血は、とても甘いんだよ。
私にとっては、だけどね…。
いつか父が言っていた言葉を思い出す。
『好きな人の体臭は香しいものだろう?。同じように、好きな人の血はどんなプレミアムのついた血でも比較にならないほど甘美な味がするものなのだよ…』
「…さっさと帰ればよかったな」
後悔と共に呟いた言葉は前を歩く退治人の耳には届かない。
こんな形で自分の好きな人を知ることになるとは思ってもいなかったドラルクの憂鬱は永遠に続くのかもしれない。
<終わり>