祝福ロナルド君のライフワーク『ロナルドウォー戦記』略して『ロナ戦』第6巻の出版を記念してオータム書店主催のパーティが開かれることになった。
ロナ戦には私も出演しているので鼻が高い。
実は私もパーティに招かれていたのだが、ロナルド君が絶対来るなと言ったので大人しく家で留守番していることになってしまった。
どのみち吸血鬼はあまり多くの人間の前に姿を見せるべきではないだろうからロナルド君の判断は癪だが正しい。
忙しいロナルド君の時間を捻出してセミオーダーのスーツを合わせに連れて行ったり、美容室を予約したりと、その日に向けた準備を滞りなく行なった私の頑張りを誰か褒めてほしいものだ。
出来上がったスーツを受取りに行くのがパーティの2日前と遅くなってしまったが、彼が多忙なので致し方なかった。
試着ついでにネクタイやポケットチーフなどの小物もスーツに合わせて新しく買うことにして、私と店員さんであれこれ見繕い全て身につけさせてみた。
ロナルド君くらい身長が高くて体格もしっかりしているとスーツがとても映える。
見慣れた顔なのにフォーマルな恰好はまた別でうっかり見惚れてしまった。
「どうかね、ロナルド君、私の見立てたスーツの感想は?」
「わかんねえ…これ、似合ってんの?」
「私は大層似合っていると思うがね」
「お客様、本当によくお似合いですよ」
「ほら、店員さんもそう言ってくれているじゃないか」
「…そうかな」
照れ笑いをしたロナルド君の目尻に小さな皺ができているのに気がついた私は、珍しいものでも発見したようにじっと見つめた。
あんなところに笑い皺なんてあっただろうか。もしかしたらこれが人間の年齢による変化というやつなのかもしれない。
私は家に帰ってからジョンとその話をした。
「ねえジョン、私たちがここに来てから何年経ったのか覚えてる?」
「ヌンヌン…?」
「3年くらいだよね、やっぱり」
ロナルド君と初めて会った時、彼がロナ戦の1巻を見せてきたのをよく覚えている。
吸血鬼退治人が自伝を書いて書籍にしているなんてどんな自己満足男かと思ったら、中身は小心者で努力家で自己肯定感の低い奥手オッパイ好き童貞なのは意外だった。
新横浜に来て少し過ぎた頃、私が初登場するロナ戦2巻が出てロナルド君を担当するフクマさんやオータム書店とも付き合いが始まり、特殊な社風に身の危険を感じながらもゲーム関係の原稿を書かせてもらったりするようになった。
面白い依頼人や迷惑かつ愉快な吸血鬼たちに振り回されながら毎日が過ぎ、いつの間にか3年も経っていたことに気づかないくらい目まぐるしい日々だった。
この土地で暮らし始めてまだ1ヵ月くらいの感覚なのに不思議なものだ。
緊張しながら出かけて行ったロナルド君は珍しくかなり酔っぱらった有様で帰ってきた。アルコールには弱かったはずだが、主役だからと勧められて断れなかったのだろう。
後でフクマさんから聞いたところによると出版記念パーティは大盛況だったそうで、この目で見られなかったのが惜しくてならない。
私が同席して邪魔しなかったせいかロナルド君は上機嫌で、スマートフォンで撮った写真をメビヤツやキンデメさんなどにも見せて回っていた。
画像の中でオータム書店関係者たちに囲まれたロナルド君は一際輝いていて、さすがに私がコーディネイトしただけのことはあると密かにうれしくなった。
疲れたロナルド君が眠った後、彼が適当に吊るしたスーツをきちんと掛け直し丁寧にブラッシングしながら、私は人間の変化と成長について考えるともなく考えていた。
昨日より今日、今日より明日と人間の変化は我々吸血鬼から見ると動画の早送りのようだ。
ロナルド君の目尻の皺を見つけてから注意して彼を見ていたが、やはり数年前と比べて精神的にもいろいろ変わったなと感じる。
事務所にやって来る普通の依頼人に対しては終始落ち着いて応対できるようになってきて、事務所の代表者としての貫禄が出てきたようだ。
最近ではギルドの新人に、退治人の心得や実戦向けのアドバイスをしている姿を目撃したこともある。
新横浜の退治人たちはみんなそうだが、個人の実績がものを言う世界なのに足の引っ張り合いがないのは特筆すべきことだと言えよう。
あとはもう少し私に対する当たりをマイルドにしてくれたら完璧ルド君に近づくのだが、相変わらずゴリゴリ殺してくるのはなぜなのか教えてもらいたい。
ところで私は人間と比べて年月の経過でどこか変わる部分があるのだろうか。
吸血鬼が普段とっている姿は精神面に影響されている部分が大きい。
例えば父などは威厳を演出するためにわざと老けた印象を与える姿にしている。
そもそも私は人間よりはるかに代謝が低いので年齢を重ねても変化がわかりにくいのだ。
変わるとしたら非常にゆっくり伸びる爪や髪くらいだろう。
爪はネイルを塗り直すときなど手入れのついでにヤスリで削ってしまうし、髪は気になった時に吸血鬼専門の店で整えてもらっているが、何も手入れしなければ時が経つにつれ目立つくらいに長くなっていくだろう。
今まで自分の体の経年変化について深く考えたことがなかったので、自分に対しての興味もあり、とりあえず髪を伸ばしてみることにした。
爪を伸ばすと家事の邪魔になるし、ジョンを傷つけでもしたら大変なことになる。
普段意識していない髪の長さで時の流れを知るのもいいかもしれない。
今は襟足2センチといったところか。
誰がいつ、どのタイミングで気がついてくれるのか、一つ楽しみが増えた。
新横浜に来て早5年が過ぎた。
いつもと変わらない日常を送りながら、私の心の中に今までにはなかった感情を見つけて戸惑っている。
最近、ロナルド君の様子が気になって仕方がない。
大した理由もなく暴力で殺されると悲しいし、あまりザコとかバカとか言われると傷つく。
今まではジョンさえ喜んでくれたら満足だったのに、ロナルド君が私の料理をおいしいと言ってくれない日は何か物足りない。
たまに二人でギルドに顔を出した時などは、ロナルド君がマリアさんやター・チャンなどの女性陣と他愛ない会話をしているだけで、何か私の知らない秘密の睦言を交わしているように思えてしまう。
これまでだってロナルド君に対して悪い感情を持ったことは一度もないが、友愛以上の領域に踏み入ってしまったきっかけが何かあっただろうかと記憶を辿る。
ジョンが行方不明の時、誰よりも懸命に探してくれる姿に胸を打たれたからか。
母の果たせなかった願望に付き合わされてあちこち連れ回されている私をヒナイチ君と共に迎えに来てくれたからか。
何か特別なきっかけがあったというより、彼と一緒に見る新横浜の景色や彼と一緒に出会うさまざまな事柄が美しくも楽しかったからなのかもしれない。
彼を見た多くの人は、その容姿に好感を持ち賛美するだろう。
吸血鬼退治人で人気作家という華々しい表向きの顔とは裏腹に、兄を越えられないと悩み、町の人たちのためにポンチ吸血鬼にもカッコ悪く立ち向かう、締め切り破り常習犯の素顔の彼は本当に見ていて飽きない。
彼の持つ強さと優しさは『善く在りたい』と願う理想の表れだ。
吸血鬼の私から見ると「そんなもの放っておけばいいのに」と思うことも多々あるが、それをよしとしないのが彼の個性であり魅力の一つでもある。
もし私の城に来たのが彼じゃなかったら、彼と出会うことがなかったら、私は新横浜も知らず、今でもジョンとあの城で暮らしていただろう。
あの平和で穏やかな日々はわずか数年前のことなのに私の中ではすでに懐かしい記憶だ。
彼の開いたドアに挟まれて死んだあの時から私の人生は変わってしまった。
カッコよくキメようとしてキマらない、居場所をなくして彷徨う吸血鬼を捨てようとして捨てられない、そんな退治人に出会ってしまったのは偶然か運命か。
200年以上生きてきて、こんな感情が自分に芽生えるなどとは知らなかった。
ロナルド君のことを考えるだけで胸が詰まって苦しく死にそうな気がしてくる。
この私が人間の一挙一動に心を乱されるなどかつては考えられないことだった。
わかってはいるけれど、認めたくない、というよりも絶対に認められない感情。
なぜなら、ロナルド君には彼にふさわしい相手がすぐに現れると思うからだ。
今は女性慣れしていない彼だが、元が次元の違う美丈夫だからスマートな社交術を身につけさえすればたちまち引く手あまたとなり、女性たちが争奪戦を繰り広げることとなるのは目に見えている。
ハウスキーパーをしながらどうにか居候の対価を払っている私などの出る幕じゃない。
ドラドラちゃんにしては自己卑下が過ぎるかもしれないが、今の私は現状を打開する策が一切思いつかない思考停止状態に陥っている。
だが私は誇り高き竜の一族であるヴァンパイア・ロード。
ロナルド君に私の気持ちを毛ほども感じさせないよう普段通りに振舞ってみせよう。
姿見に全身を映してもっとも畏怖さを感じさせる角度で表情をキメる私はさぞ滑稽に見えているに違いない。
ふと襟足に目が止まり、少し伸びた髪に2年前のことを思い出した。
まだ誰からも髪のことは指摘されていなかった。
私に全く興味のないロナルド君は気がつかないか無視するかのどちらかだろうが、もし彼が私の髪に目を留めて何か言うなどというありえないことが起こったら、私はその先の奇跡を夢見てしまうかもしれない。