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    祝福ロナルド君のライフワーク『ロナルドウォー戦記』略して『ロナ戦』第6巻の出版を記念してオータム書店主催のパーティが開かれることになった。
    ロナ戦には私も出演しているので鼻が高い。
    実は私もパーティに招かれていたのだが、ロナルド君が絶対来るなと言ったので大人しく家で留守番していることになってしまった。
    どのみち吸血鬼はあまり多くの人間の前に姿を見せるべきではないだろうからロナルド君の判断は癪だが正しい。

    忙しいロナルド君の時間を捻出してセミオーダーのスーツを合わせに連れて行ったり、美容室を予約したりと、その日に向けた準備を滞りなく行なった私の頑張りを誰か褒めてほしいものだ。
    出来上がったスーツを受取りに行くのがパーティの2日前と遅くなってしまったが、彼が多忙なので致し方なかった。
    試着ついでにネクタイやポケットチーフなどの小物もスーツに合わせて新しく買うことにして、私と店員さんであれこれ見繕い全て身につけさせてみた。
    ロナルド君くらい身長が高くて体格もしっかりしているとスーツがとても映える。
    見慣れた顔なのにフォーマルな恰好はまた別でうっかり見惚れてしまった。

    「どうかね、ロナルド君、私の見立てたスーツの感想は?」
    「わかんねえ…これ、似合ってんの?」
    「私は大層似合っていると思うがね」
    「お客様、本当によくお似合いですよ」
    「ほら、店員さんもそう言ってくれているじゃないか」
    「…そうかな」
    照れ笑いをしたロナルド君の目尻に小さな皺ができているのに気がついた私は、珍しいものでも発見したようにじっと見つめた。
    あんなところに笑い皺なんてあっただろうか。もしかしたらこれが人間の年齢による変化というやつなのかもしれない。

    私は家に帰ってからジョンとその話をした。
    「ねえジョン、私たちがここに来てから何年経ったのか覚えてる?」
    「ヌンヌン…?」
    「3年くらいだよね、やっぱり」

    ロナルド君と初めて会った時、彼がロナ戦の1巻を見せてきたのをよく覚えている。
    吸血鬼退治人が自伝を書いて書籍にしているなんてどんな自己満足男かと思ったら、中身は小心者で努力家で自己肯定感の低い奥手オッパイ好き童貞なのは意外だった。
    新横浜に来て少し過ぎた頃、私が初登場するロナ戦2巻が出てロナルド君を担当するフクマさんやオータム書店とも付き合いが始まり、特殊な社風に身の危険を感じながらもゲーム関係の原稿を書かせてもらったりするようになった。
    面白い依頼人や迷惑かつ愉快な吸血鬼たちに振り回されながら毎日が過ぎ、いつの間にか3年も経っていたことに気づかないくらい目まぐるしい日々だった。
    この土地で暮らし始めてまだ1ヵ月くらいの感覚なのに不思議なものだ。

    緊張しながら出かけて行ったロナルド君は珍しくかなり酔っぱらった有様で帰ってきた。アルコールには弱かったはずだが、主役だからと勧められて断れなかったのだろう。
    後でフクマさんから聞いたところによると出版記念パーティは大盛況だったそうで、この目で見られなかったのが惜しくてならない。
    私が同席して邪魔しなかったせいかロナルド君は上機嫌で、スマートフォンで撮った写真をメビヤツやキンデメさんなどにも見せて回っていた。
    画像の中でオータム書店関係者たちに囲まれたロナルド君は一際輝いていて、さすがに私がコーディネイトしただけのことはあると密かにうれしくなった。

    疲れたロナルド君が眠った後、彼が適当に吊るしたスーツをきちんと掛け直し丁寧にブラッシングしながら、私は人間の変化と成長について考えるともなく考えていた。
    昨日より今日、今日より明日と人間の変化は我々吸血鬼から見ると動画の早送りのようだ。
    ロナルド君の目尻の皺を見つけてから注意して彼を見ていたが、やはり数年前と比べて精神的にもいろいろ変わったなと感じる。
    事務所にやって来る普通の依頼人に対しては終始落ち着いて応対できるようになってきて、事務所の代表者としての貫禄が出てきたようだ。
    最近ではギルドの新人に、退治人の心得や実戦向けのアドバイスをしている姿を目撃したこともある。
    新横浜の退治人たちはみんなそうだが、個人の実績がものを言う世界なのに足の引っ張り合いがないのは特筆すべきことだと言えよう。
    あとはもう少し私に対する当たりをマイルドにしてくれたら完璧ルド君に近づくのだが、相変わらずゴリゴリ殺してくるのはなぜなのか教えてもらいたい。

    ところで私は人間と比べて年月の経過でどこか変わる部分があるのだろうか。
    吸血鬼が普段とっている姿は精神面に影響されている部分が大きい。
    例えば父などは威厳を演出するためにわざと老けた印象を与える姿にしている。
    そもそも私は人間よりはるかに代謝が低いので年齢を重ねても変化がわかりにくいのだ。
    変わるとしたら非常にゆっくり伸びる爪や髪くらいだろう。
    爪はネイルを塗り直すときなど手入れのついでにヤスリで削ってしまうし、髪は気になった時に吸血鬼専門の店で整えてもらっているが、何も手入れしなければ時が経つにつれ目立つくらいに長くなっていくだろう。
    今まで自分の体の経年変化について深く考えたことがなかったので、自分に対しての興味もあり、とりあえず髪を伸ばしてみることにした。
    爪を伸ばすと家事の邪魔になるし、ジョンを傷つけでもしたら大変なことになる。
    普段意識していない髪の長さで時の流れを知るのもいいかもしれない。
    今は襟足2センチといったところか。
    誰がいつ、どのタイミングで気がついてくれるのか、一つ楽しみが増えた。


    新横浜に来て早5年が過ぎた。
    いつもと変わらない日常を送りながら、私の心の中に今までにはなかった感情を見つけて戸惑っている。
    最近、ロナルド君の様子が気になって仕方がない。
    大した理由もなく暴力で殺されると悲しいし、あまりザコとかバカとか言われると傷つく。
    今まではジョンさえ喜んでくれたら満足だったのに、ロナルド君が私の料理をおいしいと言ってくれない日は何か物足りない。
    たまに二人でギルドに顔を出した時などは、ロナルド君がマリアさんやター・チャンなどの女性陣と他愛ない会話をしているだけで、何か私の知らない秘密の睦言を交わしているように思えてしまう。

    これまでだってロナルド君に対して悪い感情を持ったことは一度もないが、友愛以上の領域に踏み入ってしまったきっかけが何かあっただろうかと記憶を辿る。
    ジョンが行方不明の時、誰よりも懸命に探してくれる姿に胸を打たれたからか。
    母の果たせなかった願望に付き合わされてあちこち連れ回されている私をヒナイチ君と共に迎えに来てくれたからか。
    何か特別なきっかけがあったというより、彼と一緒に見る新横浜の景色や彼と一緒に出会うさまざまな事柄が美しくも楽しかったからなのかもしれない。
    彼を見た多くの人は、その容姿に好感を持ち賛美するだろう。
    吸血鬼退治人で人気作家という華々しい表向きの顔とは裏腹に、兄を越えられないと悩み、町の人たちのためにポンチ吸血鬼にもカッコ悪く立ち向かう、締め切り破り常習犯の素顔の彼は本当に見ていて飽きない。

    彼の持つ強さと優しさは『善く在りたい』と願う理想の表れだ。
    吸血鬼の私から見ると「そんなもの放っておけばいいのに」と思うことも多々あるが、それをよしとしないのが彼の個性であり魅力の一つでもある。
    もし私の城に来たのが彼じゃなかったら、彼と出会うことがなかったら、私は新横浜も知らず、今でもジョンとあの城で暮らしていただろう。
    あの平和で穏やかな日々はわずか数年前のことなのに私の中ではすでに懐かしい記憶だ。
    彼の開いたドアに挟まれて死んだあの時から私の人生は変わってしまった。
    カッコよくキメようとしてキマらない、居場所をなくして彷徨う吸血鬼を捨てようとして捨てられない、そんな退治人に出会ってしまったのは偶然か運命か。
    200年以上生きてきて、こんな感情が自分に芽生えるなどとは知らなかった。
    ロナルド君のことを考えるだけで胸が詰まって苦しく死にそうな気がしてくる。
    この私が人間の一挙一動に心を乱されるなどかつては考えられないことだった。
    わかってはいるけれど、認めたくない、というよりも絶対に認められない感情。

    なぜなら、ロナルド君には彼にふさわしい相手がすぐに現れると思うからだ。
    今は女性慣れしていない彼だが、元が次元の違う美丈夫だからスマートな社交術を身につけさえすればたちまち引く手あまたとなり、女性たちが争奪戦を繰り広げることとなるのは目に見えている。
    ハウスキーパーをしながらどうにか居候の対価を払っている私などの出る幕じゃない。
    ドラドラちゃんにしては自己卑下が過ぎるかもしれないが、今の私は現状を打開する策が一切思いつかない思考停止状態に陥っている。
    だが私は誇り高き竜の一族であるヴァンパイア・ロード。
    ロナルド君に私の気持ちを毛ほども感じさせないよう普段通りに振舞ってみせよう。
    姿見に全身を映してもっとも畏怖さを感じさせる角度で表情をキメる私はさぞ滑稽に見えているに違いない。

    ふと襟足に目が止まり、少し伸びた髪に2年前のことを思い出した。
    まだ誰からも髪のことは指摘されていなかった。
    私に全く興味のないロナルド君は気がつかないか無視するかのどちらかだろうが、もし彼が私の髪に目を留めて何か言うなどというありえないことが起こったら、私はその先の奇跡を夢見てしまうかもしれない。

    心を殺してしまえば日々は何の悩みも迷いもなく過ぎてゆく。
    私は時が満ちるまでジョンと面白おかしく暮らしていけたらそれでよいと自分に言い聞かせていた。
    新横浜に来て一体何年経ったのだろう。吸血鬼は時間の経過に疎い。
    カレンダーを8回取り替えて、ロナルド君の確定申告用の書類作成をジョンが8回手伝った。あと親族の新年会もそのくらいやった。

    相も変わらずこの町に不思議なくらい吸血鬼が集まってくるせいで事務所の経営状態は良好だし、まずまず利益も出しているらしい。
    私たちがここに来た頃から活躍している退治人たちもすっかりベテランの風格を漂わせるようになり、新しいメンバーも増えてますます賑やかだ。
    ロナルド君と近しい退治人たちや吸対メンバーにもプライベートでいろいろあったようだが、それは彼らの人生であり、ここでは割愛することとしよう。
    特筆すべきは、今年カズサ氏に異動の辞令が下りて空席になった本部長職にヒヨシ隊長が就任し、ヒナイチ君が副隊長から隊長に昇進したため、ロナルド吸血鬼退治事務所の床下から引っ越したことだろうか。
    ヒヨシ隊長とヒナイチ君の昇進を祝って吸対のヒヨシ隊と有志の退治人たちを事務所に招いて食事会を開いた日、ヒナイチ君が私を見て顔を曇らせたのが気になって話しかけてみた。

    「やあ、ヒナイチ君おめでとう。今日は腕によりをかけてご馳走をつくったからたくさん食べていってね」
    「…ありがとう。でも、ここにすっかり慣れてしまって離れるのが寂しい」
    「時間があったらいつでもおいで。クッキーを焼いて待っているから」
    「ドラルク…」
    すん、と鼻を鳴らしてヒナイチ君は目元を拭った。
    「ヒナイチー、さっさと食わねえとなくなっちまうぞ!」
    ロナルド君が口にものを詰めたまま手招きをする。
    「あっ、待て!私の分まで食べるな!」

    食事会は始まったばかりで、そんなに早く用意したものがなくなるはずはないのだが、食欲魔人の腕の人がいるから油断はできない。
    人の影になってよく見えないけれど、大皿からなんだかんだヒナイチ君に取り分けてあげているのはロナルド君だろうか。
    彼女などはロナルド君にお似合いではないかと思っていたこともあったが、お互いに兄妹のようにしか感じられないらしい。
    ロナルド君は兄が本部長になったことがよほどうれしいらしく、終始ニコニコしてみんなと歓談しながらホスト役をこなしていた。
    全員が帰ってから早起きして疲れた私を筆頭に、ロナルド君もジョンもソファに沈み込んでしまった。

    「あーあ、疲れたけど楽しかったね」
    「アニキも喜んでくれたみたいだ。…ありがとな、ドラ公」
    「急にどうしたんだロナルド君、具合でも悪いのか?」
    「お前なあ、俺だってたまには礼を言いたいときくらいあるんだぞ」
    「いや、すまない。びっくりしたから…」
    不意打ちに胸が高鳴り頬に血が上るのを感じた。
    気づかれないように横を向いてジョンを抱え、動悸が治まるのを待った。
    「あれ?お前さ…」
    ロナルド君が腰を浮かせてこちらに近づくのを感じて息が止まりそうになる。
    今度は何なのだろう。
    この甘い責め苦のような状況から早く逃げたかった。
    「こんなに髪長かったっけ?」
    彼の指が私の後ろ髪を摘んで軽く引っ張った。

    …ついにこの時が。
    ぎゅっと掴まれたみたいに心臓が苦しくなり、固く目を瞑る。
    最近少し邪魔になってきた自分の意志で変えることのできる数少ない部分。
    多分伸ばし始めてから5年くらい経っている。
    無意識に髪に手をやりおよそ5センチほども長くなっているのを確認した。
    何か理由を言わなければと焦るが言葉が出てこない。
    「なんか、親父さんぽいな」
    「そ…そう、お父様みたいにしてみたくてね」

    ロナルド君が図らずも助け舟を出してくれる形になって一気に緊張が緩んだ。
    予想外のことが起きて何もまともに考えられず、いつボロを出してしまうかわからないので疲れを理由に先に休むことにした。
    まだ何か言いたげなロナルド君を見て、殺したはずの心が鈍い痛みを訴える。
    「…お休み。片付けは起きてからするので気にしないでくれ」
    「ああ、うん」

    私の髪の変化など気づくはずもないと、思いを押し隠した3年前の封印を今夜彼が解いてしまった。
    あれから伸びた部分は私がロナルド君を想っていた月日そのものだ。
    1年でたったの1センチ数ミリ。誰が気づくというのか。
    起こらないから奇跡なのに、起こってしまったら現実になる。
    彼が私をちゃんと見ていてくれた喜びよりも、また更に手に入らないものがある虚しさに襲われておかしくなりそうだ。
    この先のことを考えるのはやめにしろと危険信号が点滅するのに、頭の中のロナルド君は私に優しく語りかけ誘惑して抱きしめる。
    欲望には限りがなく一つ満たされても、もっともっとと強く求めてしまう。
    自分の内にこんな衝動があったことが信じられなかった。
    棺の中で眠れずに何度も寝返りを打ち、自分の気持ちを騙すことには限界があるのだと半ば諦めのような心境に達してようやく眠りに誘われたのは床に就いてから何時間も経った後だった。


    この数年間、ロナルド君に女性の影が一切なかったかというとそうではない。
    誘われて合コンに参加したり、ギルド仲間に教えられたマッチングアプリなどで、女性と会って食事に行ったりすることが何度かあった。
    なぜ知っているのかその理由は、ロナルド君がソワソワしていつもと違う服装で出かける時、半田君にRINEして確かめると大概その日はデートだと教えてくれるからである。
    もし半田君が私に少しでも興味を持っていたら、私のロナルド君に対する気持ちなど48時間以内に暴かれていただろう。怖ろしい男だ。

    たまにお持ち帰りでもされてくれたら私もすっぱり諦められたかもしれないのに、あの男ときたら絶対12時前には帰ってくるし、夜食まで要求する始末だ。
    全く何を考えているのかわからない。
    一度「デート、楽しかった?」と聞いてみたら怒りもせず気の毒なくらいうろたえて赤くなり、口ごもって「ま…まあ」と目を泳がせていた。
    さすがに可哀想になってそれ以降は詮索するのをやめてしまった。
    あれはまだ脱童貞できていないだろうな、とそちら方面に疎い私ですらわかってしまう慌てぶりにこのままでいいのかとロナルド君にビンタして喝を入れてやりたいくらいだ。
    彼だって30歳を過ぎたのだから結婚を考えていない訳がない。
    私ももう自分の気持ちにケリをつけてしまうべきだろう。
    告白などという愚かしい行動をしなかったおかげで、好ましい相手に嫌悪されず一緒に暮らすことができたし、たくさんの思い出ももらった。
    最後は笑ってお別れしたい。

    ロナルド君が結婚するしないに関わらず、私とジョンは事務所を出ていくつもりだ。
    だが、近々結婚を考えているかどうかくらいは聞いても許されるのではないだろうか。
    いつ話そうかと迷ってなかなか決心ができず、一日伸ばしにしている間に半月以上も過ぎてしまった。
    ロナルド君の本業も忙しいが、オータム書店からロナ戦の新しい執筆依頼があり、フクマさんとの打ち合わせで出かけたり、休みの日は調べものに費やしたりと吸血鬼のたわごとに付き合わせるには人間社会の職務が多すぎた。
    今日も事務所の営業が終了した後でロナルド君はパソコンに向かっている。
    このままでは埒が明かないと思い、嫌がられるのは承知の上であえて原稿の邪魔をしに行くことにした。
    事務所のドアが開いた音にもロナルド君は顔を上げず黙々とキーを叩いている。
    応接セットのソファに座って何も話しかけず、しばらく彼の様子を眺めてから私はおもむろに口を開いた。
    「…時にロナルド君、きみ結婚を考えている相手はいるのかね?」
    「へあっ!けけ結婚!?」
    さすがに彼もパソコンの画面から顔を上げてこちらを見た。
    「うん、君もいい年だしそろそろ結婚したいんじゃないかなと思ってね」
    「年は関係ねえだろ。そりゃまあ、したいかと聞かれたらしたいけど…」
    「そうか、よかった。実はジョンとも話していたんだが、君が人間と結婚するなら私とジョンはここをお暇しようと考えているんだ」
    「ちょ、ちょっと待ちやがれください!いきなりなんだよ!」
    「だってここ狭いし」
    「狭くねえ!」
    「もちろん今すぐじゃないからもう少し住まわせてもらいたいが、結婚式には出られないな。先に謝っておこう」
    「おい、なんでサクサク話進めてるんだ?そりゃ昔出ていけとは言ったけどもうそんなこと言わないから!」
    「その言葉が聞けてうれしいよ」
    「いやだから、まだそんな相手いないんだから勝手に出てくなよ!」
    「ありがとう、でももうここにはいられないんだ」
    「だからなんで…えっ?」

    私は笑顔を見せてソファから腰を上げた。
    ゆっくりとロナルド君の前まで歩いて彼の右手を取り両手で包む。
    片膝をついて跪くと、ロナルド君の不思議そうな顔を見上げてから視線を落とし、思いを込めて彼の手の甲に触れるか触れないかのキスをする。
    立ち上がって、私が見ることのない昼の世界の空や海のような色だと評される彼の瞳を覗き込んだ。
    驚きの感情を浮かべた碧眼はやはり美しく、見るだけで胸が甘く締めつけられる。
    固まったロナルド君の口から罵声が聞こえないうちに踵を返してキッチンに逃げ込んだが、彼は追ってこなかった。
    私はようやく終わりにできたことに安堵して床の片隅で静かに砂になった。


    「ジョン、前に言った引っ越しのことだけど、そろそろどうかな?」
    「ヌンヌ?」
    「わかってるくせに…水に映った月は取れないのさ」
    「ヌヌッヌヌイヌーンヌイヌヌンヌッ!」
    「いいんだよ。ねえ、もしロナルド君がいいと言ったら近いうちに遊園地にでも行かないかい?」
    「…ヌン」
    「決まりだね」
    「ヌンヌ、ヌンヌンヌアヌヌイヌイ」
    「そうか、私も乗りたいよ」
    次はどこに住むのがいいだろう。ここから遠く離れたところを探そうか。
    私がいなくなった後のロナ戦新刊はそこで読むことにしよう。


    感情が大荒れでも常に私の料理は完璧なおいしさを提供する。
    なぜならジョンがしっかり味見をしてくれているからだ。
    いつもの夕食はどこかしら不穏な空気を醸し出しているが、当然それを話題にすることもない。
    私のあの胡乱な行動についてもロナルド君に未だ追及されていなかった。

    「おい、ロナ造」
    「ホアアッ!」
    「なにそのリアクション…一番近い休業日っていつ?」
    「あ、えーと、あさってかな」
    「原稿の進捗状況は?」
    「わりと大丈夫…なはず」
    「じゃあ、どこかに出かけないかね?遊園地とか」
    「…え」
    予想しない展開だったのか、ロナルド君はハンバーグを口元に持っていったまま固まった。
    「日が沈んでから、遊園地行こう」
    「ヌオォー」
    「あ…ジョン、ジョンも行きたいんだな」
    いいよ、とロナルド君はスマートフォンでスケジュールを確認し始めた。
    「うん、予定はないな。行き先決めてんのか?」
    「私たちジェットコースターは無理だからねえ…まあ観覧車は乗りたいかな」
    「観覧車?」
    「ジョンが夜景を見たいんだって」
    「そっかージョン、でっかい観覧車のあるとこに行こうな!」
    そのまま関東方面の遊園地やテーマパークを検索し始めたロナルド君の口の横にはデミグラスソースが付いていたが私は黙っていた。
    「あっ、ここ観覧車でかいぞ」
    「待ち時間とか大丈夫なのかい?」
    「平日の夕方からならそうでもないと思うぜ」
    「じゃあ、そこにしようか。ジョンは?」
    「ヌン」
    「えーと横浜駅で乗り換えか、40分くらいで着くな」

    数日ぶりにロナルド君と普通の会話をしたような気がする。
    だがこれは関係性の修復のための誘いではなく、思い出の中に彼を閉じ込めるための自己満足的なイベントだった。
    そろそろクローゼットの中やキッチンも整理して不要なものを片付けていかないと、急に出ていくことになったら困るだろう。
    棺桶もジョンの寝床もなくなってガランとした部屋にいるロナルド君を思うと決心が鈍ってしまう。あれで彼は繊細だから、君には何の責任もないのだと教えてやらなければならない。


    当日は雲が低く垂れ込めていたので日没を待たずに出かけることができた。
    最寄りの駅から徒歩5分、すでに観覧車やジェットコースターの鉄骨が見えている。
    「風が生温かいね」
    「秋とは言ってもまだ感覚的には夏だよな」
    「そういえば営業時間いつまでなの?」
    「10時まで…ってお前全然人の話聞いてねえよな」
    「ああ、ごめん」

    ロナルド君の言った通り、平日夕方の遊園地にはそれほど人出がなかった。
    待たずに遊べそうなアトラクションを探してキョロキョロしていると、ロナルド君が目ざとくカートのコースを見つけた。
    「カート乗ろうぜ」
    「おっ、ヴァリカーで鍛えたドラドラちゃんに勝てると思うなよ」
    「抜かせ、無免許おじさんめ」
    懐にジョンを隠した私とロナルド君とでカート2台に乗り込み、ギャーギャー騒ぎながら2kmのコースを1周して降りるとなぜか足がガクガクしていた。
    「…やっぱりゲームと本当の運転は違うんだね」
    「お前、こんなの全然本物の車じゃないからな」
    「疲れた、死にそう」
    「何言ってんだよクソ砂、時間ないからな、次行くぞ」
    「私、しばらく無理だからジョンと行ってきてよ」
    「そうか?ジョンあっち行ってみようぜ」

    ジョンを頭に載せてロナルド君が駆けていく。
    辺りが薄暗くなり始めたが、園内はどこもかしこもライトアップされていて明るい。
    クマやウサギの着ぐるみが帰っていく子どもたちにバイバイと手を振っていた。
    ベンチに座ってアプリゲームで時間を潰していると30分くらいで彼らが帰ってきた。
    ロナルド君の足取りがフラフラしていて顔色が悪い。
    「君大丈夫か?どこに行っていたんだね?」
    「スピニングって、回りながら進むヤツ、高さはないし速くないけど目が回った」
    「私は行かなくて正解だったな、ジョンは平気なのか?」
    「ヌンヌーン!」
    「ジョンは丸まって転がるのが得意だからな」
    「今度は俺がだめだ…ちょっと休ませて…」
    「待てここで寝るな、あそこに休憩所があるぞ」
    フラつくロナルド君に肩を貸して少し離れた休憩所に移動する。
    「何か飲み物でも買ってこよう、おいでジョン」
    「…わりィな」

    コーラとメロンソーダとアイスティーを買って戻るとロナルド君の顔色が幾分ましになっていた。
    「今日なんで遊園地に来たかったんだ?」
    「観覧車に乗りたかったから」
    「そういう意味じゃなくてさ」
    「意味は、日頃忙しいロナルド君の息抜き」
    「それはどうも」
    「そういえば昨日の仕事、吸対と合同だったんだね」
    「ヒナイチは隊長になってからしっかりしてきたぞ」
    「知っていたらクッキーでも持って行ってもらったのに」
    「アイツは食いたくなったら勝手に来るさ」
    「ふふっ、そうだね」
    「アニキの方は俺も全然会ってないな。ほら、あの昇進祝いから電話でしか話してない」
    思い出したくない日のことを話に出されて、プラカップを取り落としそうになってしまった。
    「そうか…お兄さんも忙しいんだろうな」
    「立場が上になるといろいろあるんだろう。俺はフリーでよかったのかもな」
    「君は性格的には宮仕えの方が向いてそうだがね」

    ロナルド君という大荷物を運ぶ手伝いをしたのと夕刻になっても生ぬるい湿った空気のせいで蒸し暑く、私は珍しく汗をかいていた。
    後ろ髪が張りついて不快だが、コーラを飲んでいるロナルド君は全く暑そうではなかった。
    体温が高いと暑さにも強いのかもしれない。
    ハンカチを出して顔と首の後ろを拭き、パタパタと振って風を送っているとロナルド君が私をじっと見ているのに気がついた。

    「なあ、髪切らねえの?」
    「…切っている」
    「切ってねえだろ?俺あの時気がついたみたいに言ったけど、本当はもっと前から思ってたよ」
    「今、なんて?」
    「あれより前から髪長いの気になってたんだよな。あとお前が親父さんの真似って、らしくない感じがしてさ」
    「…そうか、さすがに作家先生は観察力があるな。完敗だ」
    「勝ち負けじゃねえよ」
    「うん、あの時私は嘘を言った。どう説明したらよいかわからず、君がお父様みたいだと言ったからそれに乗っかっただけだ」
    「今なら理由を聞いてもいいのか?」
    「君は人間で、年を取ると皺もできれば腹も出てくる」
    「まだ腹は出てねえから…」
    「でも私たち吸血鬼は何百年経っても同じ姿でいることができる。ゆえに時間を年月の経過として捉えるのが苦手なのも事実だ。ただ爪や髪の毛は伸びるから、どのくらいの月日が経ったのか思い出せるような変化が自分にもあればいいかと思ったのが最初の動機だ」
    「普通じゃん」
    「最初、と言っただろう。ただ私は他の吸血鬼と比べても代謝速度が極端に遅いから、ほんの少し髪が伸びたところで特に君なんかは絶対気がつかないと思っていたよ」
    「なんで?」
    「君私のこと家事マシーンみたいに思ってるところあるだろ?興味のない対象をじっくり観察なんてしないものだ」

    少々意地悪な言い方をしたせいかロナルド君は黙り込んだ。
    「でも君といるのは楽しかった。あの城でジョンと暮らしていたままだったら経験できないことがたくさんあったな。初めて人間と生活したからなのか、感情が暴走してしまった。自分の記憶のためではなく、君が気がつくまでの時限装置みたいになっていたよ」
    「…意味がよくわかんねえ」
    「簡単に言うとね、このわずか数センチの髪におよそ4年分の気持ちが込められているのさ」
    「…えっ」
    私は自分の隠しごとをさらけ出すのに耐えられなくなり突然立ち上がった。
    「さあ、もうこの話はやめにしよう、ジョンが困っているじゃないか」
    「ま…待てよ、まだ話終わってねえぞ!」

    感情をかき乱されて歩く速度が自然と早くなる。
    「…もう話すことなどあるものか」
    ひとり言を言いながらさっきの会話を思い出して顔が熱くなる。
    喋るつもりはなかったのに、ロナルド君がずっと前から知っていたみたいなことを言うから全部ブチまけてしまって恥ずかしいったらなかった。
    きっとあとで思い出したら恥ずかしさで何度でも死ねる。
    なんでもいいからロナルド君を困らせてやりたくなって、彼が苦手そうな「アレ」を見つけようと案内板を目を皿のようにして探した。
    「ヨッシャーッ!お化け屋敷あった!入るぞロナルド君!」
    「俺ムリだから!」
    「怖さが3段階で選べるらしいぞ、やはりここはMAXだろうな」
    「全ッ然、入りたくないんですけど!」
    「あ、一般2枚怖さ最恐でお願いします。マジロは券いいですよね?」
    「人の話聞いてる!?」
    「全部作りものなんだろう?人間が作ったのではないものがいたら私が教えてあげるから大丈夫だよ」
    「そういう問題じゃねえ!」
    「存分に私を畏怖したまえ、さあ行くぞ」
    「イヤだーーッ!戻るうううっ!」

    律儀にどんな仕掛けにも素晴らしい反応を見せてくれたロナルド君にバイトの死体たちもやりがいがあって大満足しただろう。
    想像の上を行く絶叫が聞けたので最恐を選んで正解だった。
    「まあまあ楽しかったね」
    「どこが!?」
    「うわ、君すごいことになってるな、これ使う?」
    涙目で鼻水まで垂らしているロナルド君にティッシュを差し出してやった。
    これだからロナルド君といるのは飽きないのだ、と考えて私の心のどこかがズキンと痛んだ。


    設定に難儀しながら2人と1匹でプリクラを撮り、次は屋台村を冷やかした。
    まだお化け屋敷のことで文句を言っているロナルド君だったが、ジョンとたこ焼きやフライドポテトを食べているうちに機嫌が直ってきた。
    「お前はなんか食えるものないの?」
    「アイスくらいなら」
    「特濃ミルクソフトなんてどうだ?」
    「おお、いいね」
    ロナルド君が3つソフトクリームを買ってきてくれて、せーので一斉にかぶりつく。
    「うまっ」
    「ヌアー」
    「うん、おいしい」
    ロナルド君とジョンと私が同じものを食べて同じものをおいしいと感じるこの時は、永久に留めておきたいような美しい瞬間だった。幸せすぎて涙が出そうだ。
    楽しい時間は無限に続かない。
    ロナルド君の時計を横目で見ると、終わりの時間が迫っているのがわかった。


    「9時過ぎたから観覧車乗ろうか」
    「そうだな、時間ヤバいかも」
    急いで列に並ぶと、まわりには同じように考えて最後の乗り物として選んだカップルや友達グループが結構いて、観覧車をバックに自撮りなどをしている。
    私は手持ち無沙汰に夜空を見上げた。
    吸血鬼は夜目が利くので暗くても人間より見えるものが多い。
    上空を同族が変身した梟が音もなく通っていったが、特に知らせる必要もないので黙っていた。
    「なんか見えんのか?」
    「…別に」

    観覧車は止まることがない。
    次々にゴンドラのドアが開いては人々をひとときの非日常へと連れ出す。
    私たちの番になり、係の人の誘導に従って乗り込んだのはいいが、マントの裾をドアに挟まれそうになって焦ってしまう。
    ロナルド君がニヤニヤしていてばつが悪かった。
    ゴンドラの右側に私とジョン、反対側にロナルド君が座った。
    ジョンは背伸びして窓に張りつき、ゆっくりと変わる景色を熱心に眺めている。
    合成された女声のアナウンスが淡々と流れる中、ゴンドラは微かに揺れながら上昇を続けた。頂上に達するまで後およそ5分。
    「ドラ公、こっち来ないか?」
    「あ…うん」
    ロナルド君の顔を間近に見て気づいたが、目の下に薄くクマができていた。
    アトラクションで酔ったのは寝不足のせいもあったのかもしれない。
    仕事に影響しかねない不眠になるほどの悩みを抱えさせたのかと申し訳ない気持ちになった。
    窓の外に視線を向けたまま彼は話し始めた。
    「俺さ…ちょっとは考えていたんだよ。言ったことなかったけど、その…お前らがいて楽しいっつーか、いや、むしろいてくれてうれしいみたいな…だから、あの」
    「……」
    「なあ、今まで通りじゃダメなのか?俺、多分だけど、結婚しないと思う」
    睡眠時間を削ってまで一生懸命考えてくれたのであろう彼の誠意は十分すぎるくらいに伝わった。
    俯いた顔を盗み見るとうっすら頬が赤かった。
    新横浜に来たばかりの頃は隙あらば私を誰かに押しつけようとしていたものだが、それを考えれば私たちの関係性も知らないうちに随分変わっていたのだと思い知らされる。
    だが、私はもうそれだけでは満たされないのだ。

    「ダメだね」
    私は薄く笑ってロナルド君の手に自分の手を重ねて握りしめると、そのまま自分の胸に引き寄せてぎゅっと押しつける。
    「だって私は、君とこういうことがしたいのだもの」
    肋のことさら浮いた箇所を教えてあげるように彼の手を握ったまま胸の上でスライドさせて、服の下のこの体に触れる勇気はあるのかと暗に問いかける。
    彼の怯んだ顔に屈折した快感がゾクゾクと背筋を這い上った。
    「よせよ、ジョンが…」
    「ジョンは大人だぞ」
    私は今この時、淑女を言葉責めする遊び人みたいな悪い表情を浮かべているに違いない。
    「こ、恋人じゃなきゃダメなのか!?」
    ロナルド君は泣きそうな顔で叫んだ。
    「頼むよ、もう少し時間をくれ…!」
    「…時間が解決する問題だとは思えないのだが」
    「だって、お前らはどっか行ったらもう絶対会えねえんだろ!」

    核心を突く言葉にフッと我に返った。
    繋がったネットワークを全て切り離し、竜の一族の権力を使って他の吸血鬼から情報が入らないようにすれば二度と彼に会うこともないだろうし、実際にそうするつもりだったので、彼がそこまで考えていたことに驚きを隠せなかった。
    私はロナルド君の手を解放し、窓の外の広大な夜景を見つめて虚空の中に答えを探した。
    「お前のお母さんが連れてったあの時とは違うだろ…お前らがいなくなったら俺には探す方法がねえんだよ!」
    「ロナルド君…」
    「多分お前が考えているより、俺とお前は近くにいると…俺は思っている」
    頂上を過ぎたゴンドラが刻々と地上に近づいて別の世界から現実に戻っていくような感覚に軽い眩暈を覚える。
    眼下の煌めく光の地図は海と陸とを分かち、あの光の粒一つ一つがそれぞれ別の物語を紡いでいることに思いを馳せた。
    私たちの物語はここで終わるのか、それともここが始まりなのか。
    人間の生は短いと古い吸血鬼の誰もが言う。
    私にとってはわずかの間、待つことで失うものは何もなかった。
    「…わかったよ、黙っていなくなったりしない。君が吸血鬼の約束を信じてくれるというのなら、だがね」
    「本当だな!?」
    「…ああ」

    ロナルド君の横顔が映り込んだ窓ガラスに触れて指先でその輪郭をなぞる。
    いつか生身の彼に触れることができて、私の気持ちを余すことなく伝えられたら幸福のあまり死んでしまうかもしれない。
    彼がこちらを向いておずおずと私の方に手を伸ばしてきた。
    「…髪、触ってもいいか?」
    「えっ?」
    「さっき、教えてくれただろ。正直、そんな気持ちでお前が髪を伸ばしていたなんて知らなかったから、その…なんていうかすごく…」
    ロナルド君は最後まで言わず、私を横に向かせて後ろ髪に触れた。
    窓ガラスに映る彼の指の動きに目が離せなくなる。
    彼は手触りを確かめるようにゆっくりと何度も私の髪を指先で梳いた。
    最後に一房の髪を摘んで毛先にそっと唇を押し当てるのが見えた。

    どこか遠い場所で上がった花火が夜空に浮かび、消えながら遅れて破裂音が響く。
    私は胸が一杯になり何も言うことができなかった。
    点滅を繰り返して地上を華やかに彩るイルミネーションが、全てを祝福しているかのように一層輝きを増した。


    <終わり>
    tenn Link Message Mute
    2022/08/05 23:32:31

    祝福

    #ロナドラ #吸死 #小説
    ド→ロ片思い
    30年後に繋がる話
    捏造多数
    ドラさんの代謝速度は人間のおよそ1/10の設定

    more...
    祝福
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