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    甘い男 空いた七年間の積もる話は長く、ようやく落ち着いた日々を共に過ごしていくうちに年下の男の憧れは恋慕に変わり、その想いを一身に受けた年上の男の心も甘く溶かされてしまった。
     そうして特別な事件のない穏やかな毎日の中で、互いに甘いものが好物なのだと知って笑いあう瞬間を幸せというのだろう。

    「似合わねぇって言いたいんだろ? 老け顔のガキの頃から何百回も聞かされた」
     杉元が意外だと素直に驚いていると、紫煙をくゆらす菊田の眉間に皺が寄せられる。
    「や、似合わないんじゃなくて! 塩っ辛い酒の肴の方が好きそうな印象でさ」
    「それも嫌いじゃないけどな。でも、疲れた身体には甘いもんが効くんだよ。分かるだろ? で、大体にして、おっさんは常に疲れてる」
    「まだそんな歳じゃないでしょ」
    「いやいや、四十前にもなると何処からともなく不調が出てくるんだぜ? 不死身のお前だって他人事じゃねえからな。覚悟しとけよ」
     からかう調子で脅されるも「まだ十年以上も先だしなぁ」などと、杉元は仰け反って笑う。その笑顔は二十代の若者らしく屈託のない朗らなものに見えて、菊田は小さく安堵する。
     かつて、たった数週間を過ごしただけのノラ犬のような若者と再会し、他愛のない話が出来る二人だけの時間が訪れるなどとは想像もしていなかった。それは杉元も同じで、凄惨な戦争を経たのちに奇跡的に再び出会える可能性はあり得ても、十代の頃に湧き出た大人の男に対する憧憬が甘い変化を辿る未来までは予測できたはずもなかった。
     しかし、こうして情を絆され惹かれ合ってしまえば、互いに知りたいこと、教えたいことは山ほどあって、毎日のように共に過ごしていても会話が尽きることはない。
    「俺の実家が貧乏だって話はしたか?」
     そう菊田が切り出して、七年前の別れ際に確かそう話していたなと思い出し、杉元はすぐに頷いた。
    「まあ、なかなか普段は甘いもんなんて食えなかった程度には貧乏百姓でな。でも、ガキの頃に少しだけスイカを作っていた時期があったんだ」
    「へぇ……菊田さんのガキの頃だと、まだスイカって珍しいんじゃないの?」
    「そうなんだよ。だから、栽培に適した土地を探すのに百姓を募って作らせてたんじゃねぇかな。まぁ結局、うちは続かずに二年かそこらで止めちまったんだけど。でも、その短い間に食ったスイカが、俺と弟にとっては最高のご馳走だったんだ。真っ青な空の下で真っ黒に日焼けして、遊ぶ暇もなくて畑仕事を手伝ってさ。くったり疲れて家に帰ると、畑で採れたばかりのスイカをお袋が切ってくれて。もう無我夢中で食いまくったよ。調子に乗ってそれで腹を壊したりもしたな」
     ひとつ苦笑いを落としてから煙草をくわえ、深く煙を吐き出して菊田は続ける。
    「小さくて、白い部分も多くてさ。多分、今にして思えば売りには出せない、それほど甘くもないスイカだったんじゃねぇかな。……でも、甘かったんだ。俺たちにとってはそうだった。すげぇ甘くて美味くて……だから、今でもスイカが一番の大好物なんだ」
     菊田は手元の煙草に視線を落とす。灰が落ちるのを眺めながら、その口元には柔らかな笑みを浮かべていたが、同時に郷愁に囚われ溢れ出しそうなものを堪えているかのような、杉元の目にはそんな表情にも映っていた。
     ふと、杉元の胸の内にも想い出が蘇る。寅次と梅子と三人で縁側に並び干し柿を食べ、今こうして菊田と語っているような他愛ない話で笑いあった日々。血で血を洗う金塊争奪戦がひとまずの終幕を迎えたのち、必要十分な物を持って杉元は一度、神奈川の地元へ戻り梅子の家を訪ねた。贖罪などとは言えるはずもないが、それが杉元に出来る唯一のことだった。それでも、あの縁側で肩を並べる日には戻れない。梅子の隣で再び笑って人生を過ごすには、あまりにもその手で多くの血を流しすぎた。しかし今、何かの因果で共に道を歩む者たちとは未来を作ることが出来るはずだとも信じている。
     近く北海道へ戻り、アシㇼパと再会する時には地元の干し柿を土産にできるだろうか。白石にも、ひとつくらいは分けてやりたい。憂いのない時間の中で再び馬鹿げた会話を繰り広げ皆で笑い転げられるのならば。そして、出来ることなら、いま隣に座る惚れた男と一緒に、互いの好物を増やしながら穏やかな日々を送れるのならば、それ以上の幸せなど無いだろう。そんな願いを巡らせて、杉元はひとつ提案をしてみる。
    「そうだ。今度、一緒に甘いもの巡りでもしましょうよ。水菓子を買って食べながら散歩して、カフェーにも行ったり。今はパーラーってのがあるんだっけ? ソーダ水とかアイスクリンとかを出す店。行ったことあります?」
     静まった空気を払うような杉元の声で、菊田の意識が浮上する。
    「ああ……行ったことねぇな。ああいうのは金持ちのボンや嬢ちゃんが集う所だろ?」
    「そうですけど、一度くらいは行ってみましょうよ。追い出されはしないだろうし……金さえ払えば」
    「馬鹿。金は持ってても小汚ねぇ格好だと追い出されるぞ」
    「じゃあ一張羅も買わなきゃな」
    「野郎二人でめかし込んでカフェー巡りか」煙を肺に送り、そして、ふぅと吐き出す。「……ま、悪かねぇな」
     くっくと肩を揺らして笑う菊田から煙草の匂いに混じり、ほんのりと甘い香りが漂ってくる。時折、杉元の鼻先をくすぐるそれは菊田が整髪に愛用している練油の香りなのだが、恋慕を自覚すれば、まるでその人そのものが甘く匂い立つ水菓子のようにも思えて、二人きりで隣に座る若者にはいささか刺激が強いものでもある。
    「ああでも、こんな話ばっかりしてたら食いたくなるな。甘いもんの口になっちまった」
     これがスイカ味ならいいのに、などと下らないことを呟いて縮んだ煙草を灰皿に押しつける菊田を見やり、杉元はひとつ小さく喉を鳴らす。隣の男に聞こえていなければ良いけれどと願いながら、最後の煙を吐き終えたばかりのその頬に指先を伸ばした。
     菊田の瞳が見開かれ、すぐに静かにまぶたが落とされる。
     そうして、ゆっくりと唇を重ねた。

    「……甘くないすね」
    「当たり前だろ」
     触れ合わせただけの唇を離して、鼻先が擦れる距離で互いの体温を感じあう。
    「安い煙草の味しかしねぇだろ? 色気もクソもねぇな」
     穏やかに笑いながら頬を優しくつねられて、杉元はその指を上から包み返した。
     甘くない。けれど、愛しく想う人ならば煙草の渋みも痺れるような甘みに感じられるのだ。それは舌先ではなく、胸の奥で味わう甘みだ。
     年上の矜持で余裕を見せようとはしているものの、菊田の耳までが赤く染まっているのがよく見える。酸いも甘いも全てを噛み分けたような男が案外にも素朴で純情であることも二人で過ごす中で知った。しかし、仕掛けた自分も同じように首まで赤くした状態だとは杉元が考えられる余裕などあるはずもない。
    「絶対に行きましょうね」
    「……金貯めてからな」
     やっぱり色気がないなと二人して笑い声を上げる。
     だけれど、きっとその日はやって来る。スイカも柿も食べられる季節がいい。室町の高級店には乾燥させた異国の水菓子があると聞く。ならば、初秋頃にも干し柿が売っているかもしれない。ソーダ水もアイスクリンも、たらふく食らってやろう。一日くらいはそんな贅沢だって許されるはずだ。寂しさの募る過去を覆ってしまう必要はない。けれども、笑っていられる想い出も未来に構築していきたい。
     まずは、この愛しい人を文字通りに甘ったるい口にしてやるのだ。
     杉元は誓って、もう一度、目の前の苦くて甘い唇に食い付いた。

    〈了〉
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    2022/09/11 18:49:47

    甘い男

    金塊争奪戦後の菊田生存if、東京にて、杉菊
    ※最終回より前に書いたものです
    #杉菊

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