香水の話パーティーは苦手だ。
愛想笑いに社交辞令、お世辞……ジュンはそのどれもが好きではない。別にできないわけではないけれど、どっと疲れる。日和や茨みたいに上手くかわせないし、凪砂みたいにさらりと受け流せない。だからある程度Edenとしての挨拶回りや歓談を済ませた後ひっそり会場となっているホテルの宴会場をを出て近くのソファーで休憩していた。しばらくぼーっとしていると廊下の奥から見知った姿がこっちへやってくるのが見える。
「ジュンジュン発見」
天城燐音だ。今日はコズプロ主催のパーティーだからいてもおかしくないか。どうぞ、とジュンは自分の右隣を空けた。
「こういうところ、来るんすね」
「あ?ああ、たまには出ないとメルメルがうるせぇんだよ」
そう言っているが、案外この人は頭が切れるし思慮深い。今日はコズプロのスポンサー陣が勢揃いするから来てるのだろうし、茨に言われているのだろう、真面目にスーツを着こなしている。黙っていれば本当にかっこいいのだ、この男は。
「なんだ、俺っちのことそんなに見つめちゃって……惚れた?」
「はぁ?……違いますけど」
「遠慮すんなって」
「遠慮します」
燐音が長い腕をジュンの肩を抱いたかと思えば戯れるように抱きついてくる。その瞬間だった。ふわっと知った香りが燐音から香ってくる。
甘い焦がしキャラメルのような、バニラのような重厚で甘ったるい香り。
燐音が体を動かすほど強くなる。絶対にあの香りだ、と確信する。ジュンは勘ぐられないように冷静を装って問いかけた。
「あの……香水、つけてます?」
「ん?香水なら毎日つけるけどよ…あーーこれパーティー用のやつだからな、甘ったるいだろ」
つけすぎたか?と燐音は自分の手首に鼻を近づけている。
「それあれですよね、限定品の」
「お、よく知ってんなぁ」
燐音が名前を言う。やはりだ、日和と同じ香りを彼が身につけている。そう結びつけてしまった途端に燐音の顔を見ることができなくなってしまう。
「ジュンジュンどした?顔真っ赤だぜ」
ニヤニヤと笑みを浮かべて顔を覗き込まれる。何でもないと伝えるがこの状況下じゃむしろ逆効果だ。ピンと来た様子の燐音がジュンの肩に置いていた手を背中へゆっくりと滑らせてからするりと腰まで降ろす。ジュンの顔を意地悪そうに見つめたあと腰を思いっきり抱き寄せる。ジュンは衝撃で体勢を崩して彼のほうに倒れ込んでしまう。胸元にも付けているのだろう、香りが強くなった。これは、まずい。
「この香り好きなんだろ」
「は、い…?」
「誰のこと想像してんだ?」
「いや……ちょっ、あ"っ、髪の毛…!!」
「教えろよ!じゃなきゃせっかくのヘアスタイルぐちゃぐちゃにしちまうぞ〜〜」
「もうしてるっすよぉ!!」
どうやって誤魔化そうか、ジュンは必死に考えを巡らせる。燐音は楽しそうにジュンの頭をわしゃわしゃ撫で回していたが、その手を急に止めた。
「そこまでだね」
「飼い主のご到着か」
ジュンが燐音から離れ、振り返ると無表情の日和が仁王立ちしていた。
「ジュンくん、勝手に消えちゃダメじゃない」
「すみませ……」
「それから燐音先輩、茨が呼んでいたね」
「へーへー」
邪魔者は退散しますよと両手で降参ポーズをとると燐音は扉の向こう側へと去っていく。それを見届けてから日和はジュンに向き直した。
「なんで抱きついてたの?」
「あの人が勝手にやっただけですけど」
「ふぅん?随分と嬉しそうだったね」
「嬉しくはなかったですねぇ…」
日和はジュンの座っているソファーまでやってくると燐音が座っていた場所に腰を下ろした。
「もう!急にいなくなるしやっと見つけたと思ったら燐音先輩に抱きしめられてるし!悪い日和!」
「すみませんでしたぁ」
「こら!態度が悪いね!」
乱れた髪の直しながらジュンは隣の日和を見つめた。視線に気づいた日和が笑いかける……が目が笑っていないことにジュンは気づいてしまった。
「ジュンくんどっち?」
「は?何が?」
「燐音先輩と今日のぼく。同じ香水の香りだったんでしょう?どっちの方がいい香り?」
「あ、んた気づいてたな?!」
「挨拶回りしている時に知った。燐音先輩と香水の話で盛り上がったから向こうも気づいていると思うね」
「Goddamn!……最悪だ……」
「まぁ、ぼくからしたらいい牽制になったのだけど」
そう言うと燐音がしていたようにジュンを抱きしめる。日和の胸元から同じ甘い香りが漂ってきて、思わず肺いっぱいに吸い込んでしまう。ゾクゾクと快感が湧き起こってくるような感覚。
「香水って面白いよね、人によって香り方が違うんだもの」
「へえ……」
「体臭と混じり合ってその人の香りになると言われているね。で?どっち?」
ここで逆らったり誤魔化したら後が怖いので真面目に答えることとする。
「………おひいさんです」
「当たり前だね!」
機嫌が治ったのか声がいつもの明るさに戻っている。が、ジュンは顔を上げられないでいた。
「そもそもなんでアンタこの香水使ってるんすか…」
「元々はこういう社交場用に買ったからね。ばくの持ち物なんだし、どう使おうと勝手じゃない?」
「そう、ですけど」
「もしかしてジュンくん思い出しちゃった?」
顔は見ていないがきっと日和は最高にいい笑顔なのだろう、声でわかってしまう。
ジュンにとってこれはスイッチの香りなのだ。
普段甘い香りをつけない日和がジュンとセックスする時だけはこの甘ったるい香りを見に纏う。香りが拡散されるように首筋と手首、それから強烈に印象づくように腹部。
『ジュンくんお口で奉仕して』
脳内に日和の声が遠く反響している。日和に顔を近づけると、甘い香りがジュンの脳を揺さぶる。可哀想な自分の脳みそは魅惑的な香水の香りとセックスを紐付けしてしまった。パブロフの犬みたいに体が反応してしまう。
今だってそうだ。香りのせいで、日和の声で、体温で何もかも思い出してしまう。
「顔見せてくれない?」
「嫌です」
「真っ赤なの?」
「うるさいっすよぉ…てかなんでオレ探してたんですか」
「ああ、そうそう」
日和はジュンから離れると胸ポケットからカードキーを取り出す。見たところなんの変哲もないカードキーだ。
「これはなんでしょう」
「カードキー」
「そう、僕が今日泊まる部屋の」
ようやく顔の赤みが引いたジュンは日和からカードキーを受け取った。
「ぼく、明日休みだから泊まりたくてここのホテル、予約を取っているね」
「そうなんですか」
「もー!鈍いね!きみ明日の仕事夕方からでしょう?」
「ああ、はい」
「ぼくの部屋泊まる?」
「あ………え?」
「この匂い、存分に嗅がせてあげる」
そう言うと、日和は立ち上がって会場へと戻ってしまった。残されたジュンは顔の火照りが取れるまでまたソファーでやり過ごすことになったのだった。