猫とジュンくんとぼく「………ってわけなんだよね。ジュンくん聞いてる?」
日和は後ろを振り返った。先ほどまで数歩後ろを歩いていたジュンがいない。日和はは慌ててぐるりと辺りを見渡した。続いてぐるりと見渡して足元を見た。
小さな黒猫が日和の後ろに座って、黄色い大きな目でこちらを見つめている。
「ジュン、くん?」
日和は恐る恐る声をかける。猫は「にゃあ」と鳴くと日和の足元に尻尾をするりと絡ませて甘えてくる。猫の両脇に手を入れて持ち上げた。
「えっ?待って本当にジュンくん?!」
「にゃ」
長い尻尾が揺れている。自分の顔の高さまで持ち上げた日和は目を白黒とさせて、もう一度猫をじっと見つめた。つり目型の黄色い瞳が肉食獣らしさを醸し出していたが猫自身はとても大人しく、首を傾げてこちらを覗き込んでいた。
「ジュンくんどうして………」
猫をしっかりと胸に抱きしめた日和はよろよろと近くのベンチに座る。
「どうしてこんな姿に!!」
「いや、馬鹿ですかアンタ」
ベンチの真後ろにジュンが立っていた。白いTシャツとジーンズ姿の彼は両手にフラペチーノを持っている。
「あれ?」
日和はジュンと猫を交互に見る。
「あれ?じゃねえですよふざけてます?というかどういう勘違いですかそれ…」
ジュンは日和の隣に座ると猫を覗き込んだ。
「どうしたんすか、この猫」
「後ろ振り向いたらジュンくんの代わりにこの子がいたね!」
「おひいさんがメロンのフラペチーノ飲みたいっていうからスタバ寄りますよってオレ声かけましたよね?アンタ一人で勝手に行ってしまうから追いつくの大変だったんすよぉ」
「あは、そうだったね」
「予めモバイルオーダーしてたから良かったものの……」
ジュンはため息をついてフラペチーノをベンチの脇に置くと、日和の腕の中にいた猫を片手で受け取った。猫は大人しく、ジュンの膝に乗って大きなあくびをしている。
「人馴れしてますねぇ、この猫」ジュンはフラペチーノを日和に渡した。
「ジュンくん、って呼んだら鳴いたねこの子」
「はぁ?んなまさか」
「ね、ジューンくん」
「にゃ」
「ほら!」
「……」
呆れ顔のジュンと楽しそうな日和、膝の猫。日差しはすでに夏を思わせるような強さで二人と一匹を照らしている。大きな街路樹がとりおり風で揺れて心地よい音を奏でている。日和は冷たいフラペチーノを二口ほど飲むと思いついたようにジュンの顔を覗き込んだ。
「ねえ」
「ダメっすよ、うちにはメアリがいるでしょう?」
「まだなにも言ってないね!」
「おひいさんの言わんとしていることなんてわかります」
ジュンは猫の頭を撫でた。メアリと同じくらいの大きさなのに、触り心地はまるで違う。短毛種の猫の頭はつるりとした触り心地だ。見たところ毛並みも良く、虫がついていたり怪我をしているところもない。体はしっかりと肉がついていて重さもある。
「…この子、首輪ないっすけど毛並みはいいですね」
日和が顎をくすぐるように撫でると、猫は気持ちよさそうに目を細めた。
「もしかして誰かに飼われてるの?ジュンくん」
「オレの名前で猫呼ぶのやめてもらえます?」
怒るジュンを無視して日和はふと辺りを見た。ウォーターフロント都市として開発されたこの地区は街の景観が美しい。だからこそ景観を損ねないようにチラシやポスターの類はあまりない。そんな街の一角、二人が座るベンチのある遊歩道に一枚の貼り紙があった。日和はフラペチーノの容器をベンチに置いてゆっくりと立ち上がった。
「ちょっと、おひいさん聞いてます?」
「ねぇ、ジュンくん、あれ」
ジュンは猫を抱えたまま立ち上がってその張り紙に近づいた。日和がジュンの右肩に顎を乗せて貼り紙を覗き込んだ。
「飼い猫、探してます……黒猫、短毛、目は黄色、オスの2歳。名前は」
そこまで読み上げてジュンはピシリと固まった。
「ん、ふふ、名前は『ジュン君』」
「にゃあ」
顔を真っ赤にしたジュンの腕の中で猫のジュンが嬉しそうに鳴いた。日和は肩を震わせて地面にうずくまっている。
「アハハ、まってきみ本当にジュンくんなの」
「んにゃ」
「迷子なんだね!ジュンくん」
「うるせえ」
うずくまったまま日和がジュンを見上げた。目線は猫ではなくジュンを見ている。苦虫を噛み潰したような表情でジュンはそっぽを向いた。ひとしきり笑ったのち、日和は立ち上がって再び張り紙に目を通した。
「もう3日も飼い主さん探してるみたいだね。なになに、『人懐っこい性格です。名前を呼べば返事をします』だって。賢いね、ジュンくん」
「うるせえ」
拗ねたジュンは猫を抱えてフラペチーノを飲んでいる。
「おやおや、ぼくのジュンくんはちょっと怒りん坊だね」
「おひいさん!」
「もう、大きな声出すとジュンくんがびっくりしちゃうね。ね、ジュンくん」
「紛らわしいんでやめてくださいよ」
日和は黒猫の頭を愛おしそうに撫でて笑った。
「飼い主さんに電話してあげようか」
「そっすね」
「きっと喜ぶね」
「はい」
「ぼくのジュンくんは迷子にならないでよね」
「なりませんよ」
日和はジュンから猫を受け取ると両腕でしっかりと胸に抱いた。ここで逃してしまったら自分達も後悔するし、何より優しいジュンは探そうと必死になるだろう。
「黒猫のジュンくんがまた迷子にならないようにちゃんと抱きしめておいてくださいねぇ」
スマホをタップしながらジュンが言う。
「当たり前だね。大事な子だもの、ちゃんと抱きしめて離さない」
「…お願いしますよ」
日和の言葉にジュンは自分のことのように嬉しくなる。その照れを隠すように飼い主へと電話をかけたのだった。