金曜日、ナイトクラブは人でごった返す。私が最近お気に入りにしているクラブは銀座らしいお洒落さと、天井が高く開放感があるダンスフロアが私は好きだ。
仕事が終わらない友達を待つ間、一杯飲んでおこうと併設のバーに向かった。座って頼んだカクテルを待つ間スマホをいじってメッセージを待つ。社畜の彼女はまだ書類に追われているようだ。
インスタのストーリーも見終わってしまい暇になってしまった私は、カクテルを受けって右隣に座る人影を見た。
(うわー、イケメン)
カッコいいお兄さんが一人座っていた。
誰か人を探しているのか、カウンター席に座り体を横に向けてダンスフロアを見ている。顔立ちもそうだけど、首から肩にかけてのシルエットがとてもカッコ良く、Vネックのシャツから見える鎖骨にはタトゥー。筆記体だし、暗がりでなんて書いてあるのかはわからなかった。
フロアを見つめる瞳はギラギラと輝やくネオンを映していた。
「お兄さん一人?それとも誰か探してる?」
気づけば私は彼に声をかけていた。
「何か?」
警戒するような声に思わず笑ってしまう。きっとここに座るまでに女の子達に絡まれたに違いない。
「私さ、友達待ってるんだけど、その友達まだ来なくて暇なんだよね。それまでお喋りしない?」
「はあ?」
「いーじゃない、おしゃべりするだけよ?」
彼は少し考えてから首を縦に振った。
「…まあ、いいですよ」
私は彼の隣に座り直して彼の手を取る。左手の人差し指に黒いチタンリングが付けられている。有名ブランドのロゴが彫られたおしゃれでカッコいいそれを触っていると、私を見ずに彼が言った。まだダンスフロアを見ていた。
「お姉さん、強引って言われません?」
「そうかな」
「少なくともオレにはそういう態度ですけどねぇ」
「そう?強気って言ってよ」
「ふ、ハハ、なんすかそれ」
やっと彼が笑ってこっちを見た。
「お姉さん名前は?」
「モモ」
「ふーん、オレはジュンって言います」
「ジュン君ね」
私らはグラスを傾けて乾杯をした。
煌びやかな照明が時折眩しい。音楽に耳を傾けながらお酒を飲む。彼は少しぶっきらぼうだったけど、笑う顔は高校生のように可愛かった。きっと彼女でもいるんじゃないかと聞いてみたけど「いないっすよ、モモさんは?」と聞かれたので私も「いたらここには来ないよ」と返した。
心地よいリズムに酔って体をゆらゆらと揺らしているとジュン君が言った。
「この曲好きなんですか?」
「うん?うん、好きかな。トロピカルハウスっての?お酒飲みながら踊るの最高」
「良いですよねぇ、オレも激しめのよりこういう方が好きですよ……あ、彼氏さんいないなら、オレと踊ります?」
彼の目は言葉とは裏腹に優しげな雰囲気だった。私は思わず笑ってしまう。
「君ナンパ下手くそだね」
「すみませんねぇ、こういうのに慣れていなくて」
彼は笑って私の手を取った。私は持っていたグラスをカウンターに置いて彼についていく。人の波をかき分けてダンスフロアの真ん中あたりまでやってくると、私たちは向かい合って体を密着させた。
「良いの?誰か探してたんじゃない?」
顔を寄せて耳元で言うと、彼は笑った。
「別に」
そう言いながらも瞳はちらちらと揺れてフロアを見渡していたけれど、私は気にしないことにした。曲に身を任せて体を揺らす。ジュン君は誰かを探すのをやめて私に集中することにしたようだ。手を繋いだり、飛び跳ねたり、吹っ切れた様子のジュン君が楽しそうで……気づけば私はジュン君にキスをしていた。唇を離してごめんと謝る。
「なんで謝るんです?」
「良かったの?」
「別に、良いっすよ」
嫌がる素振りのないジュン君も私にキスをしてくれた。
タイミングよく音楽に合わせて真っ白な紙吹雪がフロアの四隅から噴き出した。白い煙と共に舞い上がる紙吹雪。私含めフロアの人間は両手を上げて歓声を上げていた。ピンク色の照明のおかげで桜吹雪のようだ。舞い上がって、ひらひらと落ちて来る。
「きれー!」
その光景が綺麗で、私はしばらく天井を見上げてから声をかけようと彼の腕を掴んだ。
(あ……)
ジュン君は紙吹雪の奥、暗闇を見つめていた。私には何も見えなかったけど、彼の目は何かを捉えたみたいだった。
一瞬、いや数秒ほど遠くを見つめたあと私の腕を引っ張った。私はよろけて彼に抱きついてしまう。
「あっ、ちょっと何?」
「何って踊るんでしょ?」
私の足の間に彼の足が割り込んでくる。体は完全に密着して、彼の鼓動が聞こえて来る。鼓動はドクドクと早鐘を打っていた。それは私も同じだったけど。
「どうしたの?」
「別に」
さっきと同じトーンで呟いて彼はニヤリと笑った。彼の足に私の体が乗っている。ジュン君の膝が持ち上がると、体勢を崩した私は捕まるように彼の首に両腕を絡ませて抱き締めた。ジュン君の顔が私の首筋に埋まってくすぐったい。
「あ、ジュン君ここダンスフロア」
「誰も見てませんよ」
「ふふ、嘘。見せつけてるんだ?」
「なんのことだか」
ジュン君がまたニヤリと笑って私にキスをしようとした瞬間のことだった。唇が触れる直前、私の後ろから「何してるの?」と声がした。
振り向くと、綺麗なお兄さんが腰に手を当てて立っていた。
「アンタに関係あります?」
ジュン君が顔を上げて私から離れると、不機嫌そうに言った。
「ぼくは何をしているのって聞いたんだけどね、ジュンくん」
彼はジュン君の腕を掴んでフロアの端っこへと移動する。ジュン君の手が私の手を握っているから、私も必然的に着いて行くような形になってしまって気まずい。
フロアの端っこでジュン君が壁に寄りかかって鼻で笑った。
「アンタが楽しそうにしてるからオレも楽しくおしゃべりしたりダンス踊っていたんですけど?」
「この子と?」
指を刺された私はムッとした顔で見つめた。ジュン君より少し背の高い人で、中世的な顔立ちだ。悪びれもなく彼は笑っている。
「趣味悪いね、きみ」
「おひいさんの趣味も大概ですけどねぇ」
「彼女たち?別にぼくが呼んだわけじゃないね。あの子たちが群がって来るだけ」
「はぁ?ほんと節操ないっすねぇ」
「なぁに?ジュンくん嫉妬?」
「違う」
「違わないね、散々ぼくに見せつけてきたくせに」
なるほどね、ジュン君が暗闇の中探していたのは彼だったのか。私の手を離したジュン君が自分のジャケットをぎゅっと握りしめている。私はとりあえずどうこの場所から逃げ出そうかスマホをちらちらと眺めていた。友達からの連絡はまだ、ない。
「アンタこそ、オレが彼女とキスしたの見たからこっちに来たんでしょうが。そっちこそ嫉妬っすねぇ」
「は?」
ジュン君が何か地雷を踏んだらしい。お兄さんの声色が変わる。
「オレが一人でカウンターにいる時は行動しなかったくせに…誰かに取られるのは嫌なんすねぇ、おひいさんは」
そう言った瞬間、おひいさんと呼ばれたお兄さんがジュン君の両肩を強く押した。ドン、という音がして、ジュン君が痛そうに顔を歪める。
「うるさい……何?それでぼくのことわかったつもりなの?ジュンくん」
ジュン君の肩を掴むお兄さんの手に力がこもっている。
「図星っすか」
「まさか」
ジュン君が睨みつけている。
私は二人の顔を見た。まるで私の存在を無視しているお兄さんがジュン君を見てにこにこと笑っている。
「きみはぼくのもの。だからぼくが行くところには一緒に行くべきだと思っているね」
「女の子とイチャイチャしているのをただ見てれば良いっていうんですか?」
「そうだけど」
「なんなんすか、我儘すぎません?流石クソ貴族っすね」
「口の悪さが出てるね、悪い日和」
「うるせぇ」
私は今人生で初めて修羅場に遭遇している。それも、男性同士の。気まずい。非常に。私は二人から少し離れてスマホを改めて確認した。やっと友達から「そっちに向かってる!」とメッセージ。私はその画面をひらつかせて二人を見た。
「ね、私この場に必要ないよね?友達も来ることだし、ここでバイバイしてもいい?」
我に帰ったジュン君が申し訳なさそうに眉を下げた。
「すんません…アンタのこと放っておいてしまいました」
「いいの。また楽しくおしゃべりしようね、ジュン君」
私が笑顔で手を振ると、ジュン君も手を振ってくれた。お兄さんの方は相変わらず私を完全に無視している。ここで私が噛みついてもジュン君が痛い目を見る気がしたので私は大人しくフロアを出てバーカウンターへと戻った。
バーカウンターから二人を見る。しばらく言い争っていたようだけど、二人連れ立ってクラブを後にした。入れ替わりに友達が私の隣に座った。
「ごめん、仕事押し付けられちゃってさ」
「いいよ別に。おかげで面白いもの見れたし」
「えっ?なにそれ」
「仕事早く終われば見れたのにね」
私は友達のカクテルを奪って一気に飲み干した。