イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    Drive It Like You Stole It/Let the right one inDrive It Like You Stole ItLet the right one in
    Drive It Like You Stole It


     ばしゃん、と冷たい液体が顔にかかった。みるみるうちに赤いシミが一張羅の白いタキシードに広がっていく。サイテー、とかなんとかそんな捨て台詞が聞こえて、周りが一瞬無音になった気がした。カッカッカッ、と足早に遠ざかるヒールの音。よりによってスピーカーから流れっぱなしなのは甘いメロウなナンバーで、さっきまでの陶然とした雰囲気はどこへやら。なんでこんなことに? なんだか現実味がない。
     顔に伝うパンチを舐める。薄い。薄くてまずかった。こんな時に限って、いつもの取り巻きたちはやってこない。薄情なもんだ。いつの間にやら止まっていた時計は動き出したらしく、何事もなかったかのように周りはメロディに合わせてスローなテンポでダンスを再開している。プロムキングの凋落などには目もくれず。
     きっかけは多分些細な言葉のすれ違いだった。でもそれは積もり積もった諸々の地層を剥き出しにするには十分だったんだろう。売り言葉に買い言葉が重なって、お互いむきになって、結果がこれだ。ほんの数十分前までオレと彼女はどこからどう見ても似合いのカップルだった。プロムの頂点に輝くキングとクイーンだった。少なくともオレはそう思っていた。すべては霞の向こうのようにぼんやりとして、今じゃオレは赤いシミを見つめながら会場の端でひとりぼんやり立ってる。ぜんぶうまくいってるはずだったんだけど。リムジン借りて、親に頼み込んでキメキメのタキシード。彼女の家まで迎えに行って、両手いっぱいに花束。一緒に選んだドレスだって言葉いっぱいに褒め称えてさ。そこから急転直下、現在のオレはクリーニング代の算段を一生懸命に考えている。現実逃避かな? でも仕方ないだろ。だってこんなはずじゃなかったんだ。
     なんかさあ、こんな映画あったよな。ぼんやり思い出す。あれは豚の血か。最後まで見ちゃいねえけど。それにありゃイケてない女子の話だろ、オレって多分あの映画で無惨に殺されるタイプの奴じゃん。こんなことになるなんて、思っちゃいねえじゃん。思考は堂々巡りで、なにひとつ先に進まない。
     遠くから彼女と、その取り巻きの視線が突き刺さる。泣いているみたいだ。オレだって泣きたい。「気にしちゃダメだよ」「ああなって当然、ほんとアタシはそのうちこうなると思ってた、正直」「たまたま今日だっただけ」囁き声のつもりか? 全部聞こえてんだけど。それともオレの幻聴なのかな。とにかくあっちは慰めてもらえる誰かを見つけたみたいだ。こっちはといえば、変わりなし。みんな遠巻きにするみたいにオレを横目で窺ってる。まるで濁った半透明のゼリー状の壁かなんかがオレの周りにあるみたいだ。
     のろのろと現実の壁の方に移動する。イチャついてたカップルが水を差されたみたいにそそくさとその場から散る。
     どうすればいいんだか、全く思いつかない。そりゃ、帰りゃいいんだろうけど。でもここで逃げ出したらオレは一生そのままな気がした。いやそれも言い訳かもしれない。もう何もわからなかった、途方に暮れていた。祝福された二人、最高のカップル、そう思い込んでた。それはただの勘違いだった。かけ違えてたボタンに気付いて、彼女は去った。そう、それがたまたま今日だっただけ。でもなんで今日だったんだよ。今日じゃなくてよかっただろ。よりによってこんな日に。
     脳天気なボーイが運んできたドリンクを引っ掴んであおる。だからうっすいって。タッパのあるオレがあからさまに不機嫌で、ボーイは怯えているようだった。普段なら申し訳ないとフォローを入れるが今日はそれどころじゃない。不運だったな。オレのが伝染ったのかも。グラスを返して、溜め息を盛大につきながらしゃがみ込んだ。
     頭の中でぐるぐる彼女の声が回る。もう終わり。サイテー。もう終わり。サイテー。「ぜんぶアンタの独りよがり」。なるほどね。独りよがりだったのか。わっかんねえよそんなの、言ってくんねえから。オレはオレなりに……。
     そこまで考えたところで、急にスピーカーのハウリングが耳をつんざいた。思わず顔をしかめるようなノイズ。何事かとどよめきが会場に広がる。ステージに目を向ければ、いつの間に現れたのか、そこには痩せぎすの男が立っていた。華やかな会場には似合わぬ黒ずくめの姿で。スポットライトに照らされ、スタンドマイクに縋るようにして。
     そこへ扉の外から十数人のひとのかたまりが、大歓声を上げながら足を踏み鳴らして突入してきた。男女問わず、みなプロムとは思えないラフな格好だ。概ね黒、破れたボトムス、安全ピンだらけのジャケット。その中心に立つ男は、ゆらりと揺れながらマイクをコツコツと叩いた。

    「ご機嫌よう、プロムキングアンドプロムクイーン、いや血走った目のワナビーたち」

     低い声の口上に、ドッ、と異常な熱気が迸る。今までのんきに踊っていた連中は磔にされたようにその場から動けずにいた。それはつまり、オレもその一員だってことだ。

    「調子はどう? 運良く爪弾きにされなかった優越感に浸りながらつまんねえナンバーで踊るのは楽しいかい? おれがホントの音楽ってやつを教えてやるからさ、精々そこで指でもくわえて眺めてな!」

     観衆の黄色い声に乗っかるようにドラムが疾る。ギャリギャリギャリとつんざくようなギターの音の中、男は笑みを浮かべてことさらにゆっくりと唇を開いた。その痩躯のどこから、と疑うような張りと艶のある歌声が響きわたる。
     ――ネズだ。男の名前を思い出した。確か理系コースだから授業もかぶってない。たまに廊下ですれ違うくらい。名前を知っていたのは、ロッカーが近かったから。それだけだ。いつも自信なさげに俯いて、猫背気味に歩く男だった。
     今ステージ上を支配する男に、その面影は全くなかった。アイスブルーの瞳が時に挑戦的に、時に蠱惑的に会場を睨めつける。細い枝のような脚がスタンドマイクを勢いよく蹴りつけて、そのままくるりとネズは一回転する。誰もが息を呑む。閃光のようだった。目に焼きついて離れぬような。彼はここをブチ壊しに来たのだと皆が気付いていた。そしてそれを止められる者は誰もいないのだということにも。
     轟くような音の奔流の中を、ネズは自由自在に泳いだ。眉根を寄せ、スポットライトの熱で額に汗を浮かばせながら、狩りを楽しむ獣のような獰猛さと美しく咲く花を愛でるような優しさで歌った。目が離せなかった。歌詞はところどころしか脳内で意味を結ばなかった。いわく、ハンドルを握れ。いわく、そこから抜け出せ。いわく、自由を取り戻せ。自由を。雷に打たれたみたいに、オレは棒立ちのままネズを眺めていた。

     始まるのも唐突ならば、終わりもまた唐突だった。三曲ほどを歌い切るとネズはいきなり「以上。アンコールはやりません」とだけ告げて、ステージからひょいと飛び降りた。ステージ前に集まっていた群衆がざわざわと蠢く中、オレはいつの間にかそこ目掛けて走り出していた。勢いに気圧されて何人かが飛び退く。

    「……は? ちょ、」
    「ネズさん!? オイ誰だよテメー!」

     怒鳴り声が背後に聞こえる。気付けばオレはネズの腕を掴んでいた。会場をまっすぐ猛スピードで横切る。後ろはちらりとも振り返らず。つんのめるようにしながらもネズがなんとかついてきているのがわかる。手が振り払われる感触はなかった。扉を蹴って外に飛び出す。行き先なんかわからなかった。とにかくがむしゃらに走った。普段ならなんてことない距離なのに、息が上がる。どくんどくんと心臓が血を身体中にポンプする。しかし無我夢中に走ったはずなのに、結局オレはハイスクールの校舎に戻ってきてしまっていた。とたんに徒労感に襲われて、オレはネズの腕を離した。

    「なんなんですか、一体……」

     ネズの言葉はそこで止まった。理由は簡単、オレが泣いていたからだ。あからさまにぎょっとした表情をしている。当たり前だ。いきなり自分の腕を引っ張って全力疾走した大男がこれまたいきなり泣き出したんだから。堰を切って溢れ出した涙はなかなか止まらなかった。肩にネズの手が触れる。おずおず、って感じの手つきだった。その場に力なくしゃがみ込めば、ネズもそのままオレの横にしゃがんだ。帰りゃいいのに。案外面倒見がいいのだろうか。

    「おまえ、名前なんでしたっけ」

     ネズは静かな声で問いかけてきた。オレのこと知らないやつがこのハイスクールにいたんだな。それはなぜかオレの気持ちをすこし楽にした。赤いシミを見つめながら、自分の名前を鼻声で告げる。

    「キバナ……」
    「そうですか」

     聞いておいてやっぱりよく知らなかったらしい。あっさりと流すとネズは校舎エントランスの階段に近付いて座り直した。ジャケットのポケットからひしゃげたタバコの箱を出して、一本くわえる。敷地内はもちろん禁煙だが、こんな日には校舎の見回りもありゃしない。カシュッ、と先端に火をつけて、ネズはタバコをふかした。夕闇にぽつんと灯りがともって、彼の呼吸にあわせて大きくなったり小さくなったりする。

    「聞かないのかよ、理由」
    「何の?」
    「ぜんぶ……」

     べつに、気にならないので、とネズは答える。正直聞かなくても予想はつくだろう。プロムキングの転落。白いタキシードに真っ赤なシミ。でもネズは何も聞かなかった。それだけでまた鼻の付け根のあたりがつんとした。

    「自由を」
    「え?」
    「自由を取り戻せってさ、オマエ、うたってただろ」

     アイスブルーの瞳がオレを見据える。表情は煙にぼやけて容易には読めない。ただまっすぐな目線だけがオレを捉えていた。でも不思議と、こわくはなかった。オレの言葉を待ってる、そんな感じがした。詰まりながら、オレは言葉を探す。

    「自由ってなに? なんでオマエがあんなにかっこよくみえたんだろう? オレ、こんなの知らねえ……」

     最後はかすれて消えた。やぶれかぶれで支離滅裂で、でも嘘なんかじゃなかった。言い訳でも出任せでもなく。ただ言葉だけが見つからなくて。感情だけがオレの中でスパークして、逃げ場所を探して喚く。
     伏せていた目を上げれば、いつの間にかネズはオレの目の前に立っていた。落とした吸殻をごついヒールで踏み潰して、彼はオレに向かって手を差し伸べた。

    「知りたいですか」

     差し伸べられた手をとる。知りたい。もっと。オレの世界をぶっ壊したオマエのことを、もっと知りたい。今日の出来事に意味はあったのか、なかったとしても、それでも。頷いて立ち上がったオレを見上げて、繋いだ手もそのままに、痩せっぽちの救世主は夕闇の中をゆっくりと歩き出したのだった。確かな足取りで。


    Let the right one in


     バーの扉の前に佇んでいる男を見つけたのは偶然だった。遠目で見た時は女だと思った。線が細く、どうやって染め分けているのかわからぬ白黒の髪は腰まで豊かに伸びている。発する声と、確かに主張する喉仏の骨の鋭さで、男だと気付いたのだ。
    「入れてもらえませんかね」
     男はキバナに向かってそう呟いた。ほとんど唇を開けていないのに、その声はしっかりとキバナの耳に届いた。しっとりと湿り、上等なベルベットのように滑る声音だった。
     勝手に入りゃいいのに、と不思議に思ったが、既に先程訪れたバーでそこそこ酒を過ごしていたキバナの思考はその引っ掛かりを見過ごした。代わりに興味だけが募る。
    「なに、一緒に入る? オニーサン」
    「入れてくれるのなら」
     男は顔色ひとつ変えずにそう繰り返した。キバナはますます愉快な気分になって、恭しく一礼をする。
    「お先にどうぞ」
     ぴんと伸びたキバナの指先の向こうにゆるりと視線を送り、男は微笑んだ。
    「お招きいただき、ありがとうございます」
     重力をほとんど感じさせぬ動きで、男はふわりとバーの扉の向こうへと足を踏み入れた。店内の薄明かりが男をぼんやりと照らす。その時初めて、男が纏う服が少々風変わりであることにキバナは気付いた。黒ずくめなせいで暗がりでは気付かなかったが、どうも非常に古い時代のもののようだった。キバナの知識にはなかったが、百年ほど前の代物のように思える。よくよく見ればフロックコートの袖口や襟元は擦り切れ、その下に纏っているシャツには隠しきれぬ縒れが目立つ。偏屈な古着好きかな、と呑気にもキバナはやり過ごした。そこで違和感に気付けばよかったのだ。
    「オニーサン、変わった服だね。こだわりのファッションってやつ?」
     そう訊けば、男は不思議そうな表情を浮かべて自分の服装をとくと見回した。まるで初めて指摘されたかのような表情だった。その後、キバナの纏ったややスポーティでカジュアルな服を眺め、得心したようにちいさく頷く。キバナは酔いが回った頭を捻った。
    「……そういうことにしておきましょうか」
     男はうすく唇を吊り上げた。骨と皮だけしかないような細い指がキバナの手を取る。その手は酔いが覚めそうなほどに冷たかった。今日は殊に気温が低いわけでもないのに。
    「おれと、一杯飲みませんか」
     蠱惑的な声音が脳を揺さぶる。音の波が頭蓋を甘く駆け巡る。熱に浮かされたようにキバナはぼんやりと頷いた。

     バーは閑散としていた。普段はそこそこ客の入りのある店だったとキバナは記憶していたが、今日は閑古鳥が鳴いているようだ。間接照明の灯りの届きが悪いカウンターの端に、男に手を引かれ導かれるままに陣取る。キバナは彼が酒瓶を傾けるたび考えなしに杯を干した。液体が喉を滑り落ちるたびに焼けるように熱く、それに付随して脳髄がとろりと鈍く痺れる。
     自分から「一杯飲むか」と誘ったくせに、男は酒に手をつけなかった。水でさえ一滴も口にしなかった。キバナの手の内の杯ばかりが空になり、「なんで飲まないの」という呂律の回らぬ問いにも彼は微笑みしか返さなかった。薄暗い闇のなかに、茫洋と男の白い顔が浮かび上がる。酒によって判断力の鈍ったキバナには、男自身がぼんやりと光を放っているようにすら見えた。
     他愛のない話をぽつぽつと重ねたのち、キバナは彼の名を問うていないことに気が付いた。ぺたりとカウンターの冷たい盤面に頬を押しつけて冷やしながら、キバナはへにゃへにゃと彼に問いかける。
    「なまえ、なんていうの、オニーサン」
    「……ネズ」
    「ねず」
     ねず、ねず、と口の中でその名を弄ぶ。短く舌触りのよい発音に、キバナは気をよくしてへらりと笑った。ネズという名の男はカウンターに肘をついてその様子をじっと眺めている。アルコールによる酩酊感で、キバナの視界がゆらゆらと揺れる。こんなに酔いが回るのは久しぶりのことだった。
    「オレはねぇ……きばな……」
    「ふうん」
    「へへ……あ、そうだ、出会いの記念にぃ、いちまい……」
     スウェットパンツのポケットに入れていたスマホを取り出して、ワンタップでカメラをオンにした。したたかに酔っ払っていても、身に染みついた動作ゆえ淀みなく機能する。インカメラに切り替えて、腕を伸ばしキバナとネズのふたりがフレームに収まるように調整を、したはずだった。
    「へ……?」
     画面に映ったのは、キバナひとりだった。キバナの横には誰もいないカウンターが映るのみ。ぱちくりと瞬きをして、ごしごしと目を擦る。もう一度目を開けた時、スクリーン上には呆然とした表情の自分と、苦々しげな顔色の悪い男が映っていた。
    「え、あれ……? なに、気のせい……?」
     チッ、と横からちいさな舌打ちが聞こえる。そちらの方を振り向こうとしても、できない。磔になったように動くことができなかった。氷のごとく冷え切った声音が、足下から這い寄るように低く響く。
    「鏡とは……油断していました」
     鏡じゃねえよ、スマホ、と口に出して訂正してやりたかったが、全身の筋肉の全てが凍りついたように動かなかった。息をするのが精一杯だ。後頭部にネズの手が這う。およそ生命活動が行われているとは思えない、血の温かさを感じない指先。ぎぎぎ、と音がしそうなぎこちなさで無理矢理首を横に向けられる。薄い青緑の瞳が炯々と輝き、キバナを捉えた。
    「もう少し楽しんでもよかったんですが……予定変更だね」
     うっすらと開いた唇から、尖った犬歯が覗いた。脳内ですべてのピースが嵌る。招き入れられねば侵入あたわぬ身。幾時代をも重ね古ぼけた衣服。鏡に結ばれぬ虚像。叫び出したくとも、それは叶わない。
     スローモーションのように、白いかんばせが近づいてくる。優雅に踵を上げて伸び上がり、ネズはキバナの首筋にその歯をぷつりと立てた。それと同時に、全身から力が抜けてゆく。視界が徐々に狭まる。意識が遠くなってゆくなか、最後に聞こえたのはネズの大きな溜息であった。

     ぱちりとキバナが目を開けると、そこは見知らぬ天井だった。広々とした、しかし簡素な趣のある寝台に寝かされている。思わず飛び起き、即座に全身を触って確認した。着衣には乱れなし、しかし頭はがんがん痛む。そして全身に酷い倦怠感。ブラックアウトする直前の記憶が甦り、おそるおそる首元を擦る。鋭い歯を立てられたはずのそこには、なぜか傷ひとつなかった。
    「起きましたか」
     急に声が聞こえて、キバナは飛び上がらんばかりに体を震わせた。声のした方に振り向くと、寝室の入口に凭れかかるようにして、ネズが立っていた。こころなしか昨夜よりも顔色がよく見える。キバナはベッドの上で座ったまま勢いよく後ずさった。ヘッドボードに背中ががつんとぶつかる。
    「きゅ、きゅ……きゅーけつき!!」
    「ご明察」
     キバナの引き攣った声に、ネズの唇はゆるく弧を描いた。なんとなくおもしろそうな、余裕のある表情だ。ゆっくりと歩み寄ってくる。キバナは慌ててあらゆるポケットをまさぐったが、クリスチャンでもなんでもない彼のポケットから都合よく十字架など出てくるはずもない。仕方なく苦肉の策で腕を十字の形に組む。その様子を見て、ネズはくつくつと喉の奥で笑った。
    「なんのつもりなんです、それ」
    「じゅ、十字架のつもりなんだけど……効かない?」
    「生憎ね」
    「うう……」
     効くわけねーでしょそんなもん、他ならぬおまえが信じてないんだから、とネズはせせら笑う。そのまま寝台の端にぼすん、と音を立てて座った。彼は古風な黒いブラウスを纏っていた。女物ではないだろうか。ふんだんに布を使った袖口が揺れる。
     寝室の窓からは朝陽が射し込んでいた。朝九時頃だろうか。寝台にもその光は燦々と届く。そんななかで黒ずくめの吸血鬼はやや眩しそうに目を細めてキバナをとくと眺め回した。
    「きゅ、吸血鬼のくせに日中に活動してる……」
    「まあ、直射日光じゃなきゃ全然問題ないですね」
    「じゃあ今オレがバッ!!ってあの窓開ければ……」
    「いや、精々肌が赤くなってひりひりする程度です。あと目が腫れぼったくなるのでサングラスは要ります」
     なにそれ、とキバナは叫ぶ。キバナの知る「吸血鬼」は大概、日光を浴びれば苦しみ悶え灰になって消滅するのがお約束だった。それではただの日焼けか光線過敏症ではないか。
    「まあおれは暑いのがきらいなので日中はあまり出かけませんが。というか外にそもそも出ませんし。空気が悪いので」
     外に出たのは何十年ぶりでしたかね、今西暦何年です?とネズはキバナにのんびりと問うた。どうも調子が狂う。このままお喋りでも始めるつもりらしかった。にせんにじゅうねん、と答えると、はあ、とネズは顎を摩った。
    「道理であいつも死んじまうわけです」
    「あいつ?」
    「有り体に言ってしまえば小間使いのような働きをさせていた人間がいたんですけどね。なんだか来ないなあ、と思いまして。ああこりゃ死んだなと」
     あいつと出会ったのは確かロンドン大空襲の火の海の真ん中でしたから、とネズは事もなげに言ってのけた。ロンドン大空襲。キバナには歴史の教科書や学生時代に見せられた記録映像のなかのものでしかない、遠い出来事だ。今を遡ることきっかり八十年前である。その人物がたとえ当時幼児だったとしても、立派に老人だ。
    「まあそりゃ……死ぬわな」
    「しばらくはまあなんとかやってたんですが、腹が減っちまいまして。なんせここ最近はそいつがどこからかちょろまかしては度々持ってくる輸血用血液に頼らざるを得なかったんでね。不本意ではありましたが」
    「へ? 襲って吸わねーの?」
     オレみたいに、とキバナは自分を指さした。ネズが何を馬鹿なことを、とでも言いたげに顔を顰める。
    「そんなにしょっちゅうできるわけないじゃないですか、怪しまれちまう。それに血の質も当たり外れがでかいし、後処理もめんどくさい」
    「じゃあオレは……」
    「タイミングが良かった、健康そうだった、この二点ですね」
     実際おまえの血はなかなかでした、とネズは身を乗り出した。暖かな陽射しのなかのはずなのに、ぞくりと背筋に震えが走る。水色の瞳がぎらりと銀色に光る。
    「馴染む……というんですかね。ほんのすこししか頂いてませんが、それっぽっちで……長きに渡る狂おしい空腹がほとんど満たされるほどには」
     舌舐めずりせんばかりの様子でにじり寄るネズから身を守るべく、キバナは必死で話を逸らそうとした。
    「えっと、あのさ、じゃあずーっと、その小間使いやらと何十年も、ふたりで……?」
    「ああ……ふたりではありません。もうひとり……」
     ふと我に返ったようにネズはどこかに視線を送った。そしてふらりと立ち上がる。そのままキバナにくるりと背を向けて、寝室の出口へと歩を進めた。そのまま寝室に残されていても仕様がないので、なんとなくついていく。
     薄暗く長い廊下をネズはのっそりと進んでいった。幾つもの部屋を通り過ぎ、廊下の最奥の一際大きな扉を、壊れ物にでも触れるように丁重に開いた。開け放たれた扉の奥に鎮座していたのは、まるでお伽噺に出てくるような、天蓋付きの大きな寝台だった。
     ネズは足音ひとつ立てず、その寝台にそろりと近寄った。キバナがその後ろから覗き込む。そこに身を横たえていたのは、十四歳ほどにしか見えない黒髪の少女だった。
    「……マリィ」
     慈愛に満ちた声で、おそらくはその少女の名をネズが口ずさむ。しかし彼女がその声に反応することはなかった。やわらかく瞼を閉じて眠る少女の姿は、まるでよくできた蝋人形のようにも見えた。
    「……彼女は?」
    「妹です」
     静かな声でネズが応える。
    「彼女は……あまりに幼くして定命の身を失い、また流し込まれたその血が濃すぎたがゆえに……強大な力と引き換えに、長きに渡る眠りを必要とするんです。一度眠れば数十年目覚めないこともある」
     おれは彼女よりは力が弱いけれど、その分別に毎日起きていたって平気ですから、とネズは寂しげに微笑んだ。そしてそっと彼女の頬に触れる。身動ぎもしなかった少女の体が、ぴくりと震えた。すう、と息を吸い込んで、胸が大きく上下する。ネズが手を離した時には、蝋細工のようだったマリィの顔色にはやや血色が窺えるようになっていた。キバナはそれを呆然と見守るしかない。
    「今のは?」
    「……眠りのなかとはいえ、エナジーの供給は必要ですから。こうして、時折おれが分け与えなければならないんです」
     くるりとネズが振り返った。豊かな髪がばさりと揺れる。
    「……おれたち兄妹は、こうして生きてきた。愛する故郷を追われ、少女の姿のまま眠り続ける彼女を抱え、流浪の旅を続けてね。……それでもおれは、彼女を守らなければならない。ここにようやく腰を落ち着けてからの数十年は、安穏でした。状況は変わってしまった……でもおまえが現れた」
     冷気が忍び寄る。足許から凍りついていくような錯覚に襲われる。ネズはゆらりと身体を揺らし、キバナの首筋にゆっくりとその腕を回した。
    「選びなさい。選ばせてあげます」
     ネズがキバナの胸に頭を凭せかける。まるで恋人にするような抱擁だった。だがそこに甘い感傷などは微塵もなく、ただ生命が彼の腕のなかに無防備に投げ出される恐怖だけがあった。
    「今ここで無様に死ぬか、それともおれたちのために生きるか。ふたつにひとつです」
    「ど……うして」
     喉がからからに乾いている。引き攣れるような感覚に耐えながら、やっとのことで声を発する。
    「どうして、オレなんだ」
    「理由なんてありません、ただあそこにいたから。己の不運を嘆くんですね。おれにとっては幸運でしたが」
     おまえをここで殺してしまうのは勿体なさすぎる、そう言ってネズはやや眉尻を下げてキバナを見上げた。
    「あのなあ、こういうのは……選ばせるって言わないんだよ」
    「譲歩したつもりでしたが」
     涼しい声で目の前の男はそう宣った。当然、キバナだってまだ死にたくはない。齢二十三の身空で訳のわからぬ吸血鬼らしきいきものに縊り殺されるなど御免だ。まだやれていないことばかりなのだから。うう、とキバナは涙まじりに呻いた。
    「わかったよ、わかった。まだ死にたくない。呑んでやるよ。何やりゃいいんだよ! オレ、輸血用血液なんて手に入れるツテないぞ!」
     ほとんどやけっぱちのように叫べば、白黒の吸血鬼は秀でた牙を覗かせて莞爾と笑った。

     ネズがキバナに求めたのは、たまの血の提供のために健康でいること、庭の薔薇の世話をすること、無聊を慰めるための暇潰しに付き合うこと、概ねこの三つだった。正直キバナは拍子抜けした。新鮮な死体を調達してこいだとか年若い処女を連れてこいだとか、とんでもない犯罪を命じられるのではないかと内心戦々恐々としていたのだ。恐る恐るそう告げると、「おまえ、結構おそろしいことを考えるのですね」となぜかネズの方が厭そうな顔をした。「今ここで死ぬか選べ」と迫った奴が言うことか、という言葉は口に出さず仕舞っておいた。
     結果として、キバナは非常に忠実に役目を果たすために働いた。無論、得体の知れぬ存在に生存を脅かされる恐怖もあったが、一度生活のルーティンにそれを組み込んでしまえば、それはまるで何十年も前からそう生きてきたかのようにキバナのなかでは違和感のないものとなった。仕事や趣味の狭間に、キバナは健康促進のため熱心に走り、身体を鍛え、造血のためにやや蛋白質過多な食事を摂取する。自らが進んで「餌」となるために努めることは、ある種倒錯した歓びをキバナに齎した。それはおそらく、己の命が彼に握られているのと同じく自分自身が彼の命を左右するのだという、根源的な命の遣り取りの甘露だったのであろう。血の滴るようなレアのステーキ肉を啜る時、走りながら己の心音の周期を確かめる時、キバナは生の実感をその掌に直接握り締めるような心地がしたものだった。
     世話を命じられた庭の薔薇は、彼らにとって血の代替品となるものであった。花びらを摘み、そこから搾り取ったエキスを摂取するのである。市販の精油などではだめなのかと訊いたが、摘みたてのものでなければならないそうだ。贅沢な話である。園芸については素人であったが、元来根が真面目なキバナは図書館に赴き薔薇の世話についての本をどっさり借りてきた。ちぎれそうな紙袋の紐を見て、ネズはすこし呆れたように「どうやら拾い物でしたねおまえは」と呟いた。おかげでキバナは仕事にも全く関係のない薔薇の栽培について一ヶ月足らずでやたらに詳しくなった。
     ネズと共に過ごす時間は、案外楽しかった。キバナは歴史の類が好きで、去年まではカレッジで勉学を修めていた身であったので、彼の口から紡がれる歴史の一端を覗き見ることは格別の楽しみであった。ネズの語り口は存外に優しく、遥かなる時を越えてなお彼のなかに残る人間性を垣間見る気がして、なぜか胸が高鳴った。おかげでキバナは、数日に一度でよいと言われたにも関わらずほとんど毎日のようにネズの元を訪ねた。まるで十数年来に渡る友のようにネズを親しく思うようになるまで、あまり時間はかからなかった。
     しかしネズの生活には起伏がない。キバナの訪問で彼は目を覚ます。数日に一度、キバナの血を摂取する。それをマリィに分け与える。そのほかは暇そうだ。よくこの調子で永い永い時をやり過ごしてきたものだと思う。
    「趣味とかないの」
     ふと思いついてそう訊けば、少々考えたあとネズは館の内のある部屋へキバナを導いた。
     その部屋に足を踏み入れたとき、キバナはちいさく、うお、と声をあげた。そこには無数の、あらゆる種類の楽器が所狭しと並んでいた。ピアノやギター、バイオリンなどの馴染みのあるものから、博物館でしかお目にかかれないような古い古い時代のもの、どうやって演奏するのだかキバナには見当もつかないものまで、とにかく楽器だらけであった。彼らはじっと、しかし主を喜びとともに迎え入れるようにそこで待っていた。
    「すごいコレクションじゃん」
    「……昔は楽を奏でるのを活計にしたこともありました」
     トラブルも多かったのでいつしかやめてしまいましたが、とネズは溜息をついた。そしてギターをひょいと手に取る。楽器はどれも定期的に手入れをされているようで、年月を重ねた様子はあったが使用するのに不都合はなさそうだった。
     ちいさなチェアにネズが腰掛ける。勧められて、キバナももう一つに腰を下ろした。ネズは枯れ枝のように細い脚を組み、ギターを爪弾く。六弦が震え、薄い唇が開く。ネズの喉から歌声が溢れ出した瞬間、キバナは目を瞠った。
     それはキバナの知らない、おそらくいにしえの時を経た歌だった。しかしネズの手にかかればそれは息を吹き返したかのように新鮮な響きをもって空間を舞い踊った。ネズの喉は一分の狂いもなく綿密に音律を支配し、それでいて自由奔放に音と音の波間を泳いだ。しっとりと潤んだ声音が鼓膜を震わせる。時に優美に、時に華やかに、時に荘厳に紡がれるその歌声には、抗うことのできない魔物めいた魅力があった。
     彼が歌い上げていた時間はほんの数分だった。しかしその数分足らずで、キバナはすっかり骨を抜かれたようになってしまった。最後の音符の甘い余韻が終わったとき、キバナは力いっぱいの拍手をもってネズを讃えた。
    「えっ、すごい」
    「……お褒めに預かり光栄ですね」
    「いやほんとに! ほんとにすごかった」
     そりゃ数百年もやってりゃうまくなるもんじゃないですかね、とネズはやや照れたように額を掻いた。キバナはぶんぶんと首を振る。
    「これは才能だって!声、声がいいよ、声量もあるしさ、でもなんかテクニックとかそういうのを超えたところで響いてきたっていうか……」
     懸命に賛辞を重ねてふとネズを見遣ると、彼はなぜか居た堪れない様子で縮こまっていた。顔が見たことのないほど赤く染まっている。もういいですか、と彼は先程の張りのある声からは考えられないほどちいさく、蚊の鳴くような声で呻いた。キバナはなんだか面白くなってきてしまって、思いついてポケットに仕舞い込んでいたスマホを取り出した。
    「あ、ちょっと思ったんだけど、オマエの声この歌手に似てるかもしんない。リクエストとかできる? 聴きたいな」
     すいすいとアプリを操作して、プレイリストに入れていた楽曲を再生した。スマホから流れてきたロックシンガーの歌声に、ネズはびくりと身体を震わせた。音楽に反応したのかと思いきや、どうやらそうではなさそうだった。
    「な……なんですそれ。そこに人間を閉じ込めてやがるんですか?」
    「へ?」
     気味の悪いものを見るかのように、ネズはキバナのスマホを遠巻きに眺める。
    「前から思ってたんですが、おまえが後生大事に抱えているその小さい板はなんなんです? やたら覗き込んでいるものだから、鏡か何かかと思っていましたが……なぜそこから人間の声がするんです」
    「あっ!? そっか、スマホのこと知らねえのか!」
     すまほ、とネズは異国の呪文を唱えるかのごとく首を捻った。そういえば数十年単位で外に出ていなかったとか言っていた。唯一交流のあったらしい「小間使い」もおそらく老人、携帯電話やスマートフォンなどとは無縁だったのだろう。
     言葉を駆使して、キバナはスマートフォンについての説明をネズに試みた。遠くにいる人間と話をしたり、連絡を取ることができる。写真や音声、映像を記録できる。インターネットという広大な情報の海があり、そこに接続すれば必要なものを得られる。ニュース、文献、音楽、必要な物資の購入まで何でもござれ。云々。ネズは目を白黒させながらそれを大人しく聞いた。
     理解してもらうには実演してみるに越したことはない、と思いつき、ちょっともう一回歌ってみてよ、と促した。ネズは渋々といった感じで承諾し、先程の曲をもう一度歌い上げた。ボイスレコーダー機能でそれを録音する。保存したものを歌い終えたネズに聴かせてやると、口角を下げて居心地悪げにした。
    「……おれってこんな声なんですか?」
    「オレはすげー良い声だと思うけど」
    「そうですかね……」
     変な感じです、とネズは俯いた。
    「あ、そうそう、そんでー、こうやって録音したやつとか録画したやつとか、それにリアルタイムで歌ってる様子とかを公開することもできるんだよ」
     頻繁に利用しているSNSのアプリを開き、画面をネズに見せてやる。ちょうど、人気になってきたシンガーがアプリを通じてライブを行っているところだった。恐る恐る覗き込んだネズの表情が、戸惑いから興味深げなものへと移り変わる。気持ちよさそうに歌うシンガーを見て、その頬がほんのすこし緩む。
    「これは……今、どこかでこの人が歌っている、ということなんですか?」
    「そういうこと」
    「これは何人くらいが見るものなんでしょうか」
    「やー、まあ知名度にもよるだろうけど……この配信は……あ、ざっと二千人は見てるな」
     にせん、とネズは呆然と呟いた。しげしげとライブ放送に見入るネズに、気になっていたことを訊ねる。
    「そういえばあの時、最初は画面にオマエ映らなかったよな?」
    「油断していると映らないんです。おれたちの魂は身体との結びつきが希薄ですから。でも心構えをしておけば映れます」
    「気合いの問題なのね……」
     しかし、ということはネズの歌う姿を映像に収めることも可能だということである。キバナは思いつきをネズに打ち明けた。
    「あのさ、もし良かったらだけど、歌ってるところを公開してみないか?」
    「……おれの?」
    「もちろん無理にとは言わない。オマエ本人だと知られないようにする方法はいくらでもあるよ。なんかオレだけで独り占めするの勿体なくなっちゃった」
     ネズは顎に手を当てて考え込んだ。
    「たくさんの人が……おれの歌を聴いてくれるってこと、ですか」
    「そう、そうだよ。すげーいいことだと思う。いい暇潰しになって、あっちは良い歌聴けて嬉しくて、運が良けりゃ小遣い稼ぎにもなる。ウィン・ウィンじゃん。いいと思うけどなあ、オレ」
     必死に言い募るキバナの様子を見て、ネズは不思議そうな表情をした後、おかしそうに笑った。
    「……おまえ、おれが吸血鬼なの忘れてません?」
    「あっ……いや、別に忘れてるわけじゃ……」
     もごもごと口篭る。そうだ、彼はあまりに長い悠久の時を過ごす存在だった。縦んば彼の歌が人心を捕らえたところで、華やかながらも短い熱狂が過ぎ去れば再び彼はその孤独な道程の最中に放り出されるのだ。彼は歳を取らない。何時までもその声を響かせることは、この世の倣いでは難しい。今更ながら、それは酷な要求のように思えてきた。
     一転して項垂れたキバナを、ネズは苦笑して眺めた。下を向いていたキバナの頭頂部に、何かが触れる。ネズの手だった。まるで幼子を宥めるかのように──ネズにとっては正しくキバナなど幼子に過ぎないのであろうが──その手はやけに優しくキバナの頭を撫でた。
    「一生懸命だね、おまえは。ほんとうに過ぎた拾い物をしたものだ」
     おれのために色々考えてくれた、おれの歌を褒めてくれた、それだけで充分です、そう言ってネズは穏やかに微笑んだ。
    「今はおまえが独り占めすればいい。元より聴かせる者もマリィの他にはいなかったのです、一人いるだけで御の字だ」
     今は、というその文節がやけにキバナの耳に残った。ざわざわと耳の奥で騒ぐ。今は。では、キバナが居なくなった後は? 胸が潰れそうな心地になる。きっとまだ遠い未来。しかしいずれは訪うことの約束された未来。キバナの喉は、知らず音を紡ぐ。いつしか心の奥底にあった願望を。
    「ネズ……オレ、オマエと一緒に生きたいよ。今だけじゃない、もっと、もっと遠くまで……」
     ネズの瞳がゆっくりと瞬きをする。ふ、と眉根が寄る。
    「キバナ、おまえ……」
    「ほんとだよ。だって、そんなの、寂しすぎる……オマエを一人にさせたくない……」
     物語のなかに出てきた吸血鬼は、仲間を増やすことができた。ネズの口振りでは、きっとネズもマリィも元は普通の人間で、何かの拍子に吸血鬼の身となったに違いなかった。だとすればおそらく。
     キバナはネズを抱き寄せた。ネズの心音は伝わってこない。ひんやりとした、折れそうなほどに細い身体だ。己の心音ばかりが響く。ネズの骨張った手が、キバナの背を伝った。ぞわりと背筋に震えが走る。それは本能的な恐怖なのか、やがて来る快楽への甘い期待なのか、最早キバナには判別することは能わなかった。
    「ばかだね、おまえは……」
     かなしげに、いとおしげに、ネズが胸の中で呟く。ちいさな声の筈なのに、その響きは身体全体に痺れのように走り、充満した。ややあって、ネズがキバナの首に唇を寄せる。鋭い牙が突き立てられ、ちいさな痛みが走る。常ならば数秒で離れるそれは、いつまでも離れなかった。脳髄が甘く痺れる。時間が溶けて、巡り、ふたりを包む空気がどろどろのスープのようになって掻き混ぜられるような心地がする。はあ、とキバナは息を吐いた。全身から力が抜けていく。その代わり、未知のエナジーがその隙間に入り込んでくる。目を閉じたその先に新たな世界が広がることを夢見、キバナはそのまま瞼を瞑り、身体の感覚を手放した。


    蹄/ひつじ Link Message Mute
    2022/08/26 18:45:44

    Drive It Like You Stole It/Let the right one in

    kbnz再録です。パロものでまとめています。
    ・学パロ プロムをぶっ壊せ
    ・吸血鬼パロ
    の二本です。

    #kbnz

    more...
    Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    OK
    模写・トレース
    NG
    • magic hour + morekbnz短編集、全年齢のものの再録です。
      様々な捏造、第三者との関係性を前提としたもの、なんやかんや何でもありです。

      #kbnz
      蹄/ひつじ
    • ゆめのあとさきフェアリーの悪戯で様子がおかしくなったnzくんに振り回されるkbnくんの話。
      「夏の夜の夢」(NTL版)のちょっとしたオマージュになっています。
      雨の中踊るふたりが見たかったのです。

      2020年に出したkbnz本の再録です。

      #kbnz
      蹄/ひつじ
    • スパンコールとバラ色の日々Twitterで連載していたkbnz 30days challengeをまとめて本にして頒布したもの、の再録です。
      例のごとく捏造しかありません。

      #kbnz
      蹄/ひつじ
    • 月光譚 / こおりをとかして こおりにとざしてpixivで公開していたウスパパ関連の短編集です。
      ウスパパを巡るミラさん、ノースの円満三角関係が好きです。
      当然ながら捏造しかありません。

      ※当人がいない場での性的揶揄の描写が含まれます。
      ※277死柱情報により、ノースディン過去捏造は本編と矛盾した情報になりました。ですがそのままにしておきたいと思います。277死より前に書いたことをご承知おきください。

      #ウスミラ  #ノスウス
      蹄/ひつじ
    • Beyond the Blizzard2021年3月チャレにて発行、pixivで全文公開していたものです。

      街にはびこる違法ドラッグの影。手がかりを追い、雪原に乗り出した二人の前に立ちはだかるのは──。
      知人発深い仲行きのkbnz。DLCの内容を踏まえたものになっています。捏造たくさん。

      【注意!】ドラッグ、デートレイプの描写があります。ネームドキャラが使用するものではありませんが、フラッシュバックの恐れにご留意ください。
      また、pkmnが悪用される描写があります。

      #kbnz
      蹄/ひつじ
    CONNECT この作品とコネクトしている作品