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    しおり
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    しおり
    よりぬき「砂とこころ」月光講習会赤いヒナゲシ海葬  月光
    「さて、どうしようかねぇ」
     目の前に広がる瓦礫の山。つい昨日まで住処だった場所だ。割れたガラスが月光に反射してきらきらとしている。ぱりん、ばりん、ざくり、そんな音を立ててドラルクは進んだ。目的の場所に着くまで、何度か塵になる。一緒について行きたかったが、何も履いていないきみが怪我したら困るよ、と笑って鼻先をつつかれた。ジョンはかつて塔だった場所に座り込んで主人を見つめていた。
     この城には客も刺客も来ないのに、ドラルクを守るためにたくさんの罠があった。過保護なかれの父親が、後から何回も付け足したのだ。
     多少の敵なら、この硬い鎧にも似た姿で立ち向かえる。けれど、何の役にも立たない小さな存在でしかなかった。死にやすいドラルクを、守れぬたびにジョンは泣いた。その都度やさしい主人は、きみが居てくれるだけでしあわせだよ、と慰めてくれた。
     南米で産まれたけれど、トランシルヴァニアまでドラルクを追い掛けた。怪我をした自分を拾った吸血鬼は、大きな手のひらに包みながら云った。
     小さき生き物よ。きみは私の孫に託そう。なに、ちょっと死にやすい子だが、きっと好きになる。
     南米からトランシルヴァニアに渡るとき、この土地で数々の内戦があったことをなんとなく肌で知った。平和に見えた村にも、跡はあった。
     もしかしたら、あの破天荒なかれの祖父は、ドラルクたちを守るために南米に来たのかしら。
     そんなことをときどき考える。そうでなければ、数々の争いをドラルクが耐えられるはずもない。ジョンが使い魔になってからも、急なバカンスは何度もあった。そうやって、一族を守ってきたのだろう。
     それから、こんなアジアの地に来るとは思ってなかったけれど。
     ――ここは、戦争を放棄した国だよ。
     そんな話をかれの祖父はしていた。たしかに、ここに来てからバカンスはなくなった。子離れ出来ないドラウスの元を出て、この城に来てからはずっとふたりきりだ。ふたりで日本語をおぼえ、ゲームをし、毎日を過ごした。時折外出したが、近隣の住人と仲良くなるなんてことはなかった。
     インターネットが盛んになってから、ドラルクはますます城から出なくなった。それでも、ジョンは別に良かった。主人を独り占め出来るのだ。悪いことではない。
     だが、広い城の中、ときおり悲しそうな顔をドラルクは見せていた。慰めても、平気だよ、との一点張りしかない。使い魔として、何も出来ない悲しさだけを、ジョンも募らせていた。
     その城が、瓦礫となった。
     広かったんだなぁ、と実感する。月の明かりの下、広がる外壁だった岩と材木たち。月光をこんなに浴びたのも久しぶりかもしれない。屋敷の中で見るドラルクとは違い、月光の下のかれは輝いて見えた。
    「あったよー! ジョン」
     両腕にゲーム機を抱えて帰ってきた主人が、その場で転んでまた塵になる。慌てて飛び出し、駆け寄ると同時によみがえり、ジョンを抱えた。
     気をつけて、ご主人様。
     そう泣きながら伝えると、頭を撫でてくる。
     立ち上がり、ふたりで平地となった城を見た。
    「さあ、どうしようねぇ」
    「ヌヌンヌ……?」
    「もうここには住めないからね。どこかに行かないと」
    「ヌヌヌ?」
    「どこがいいかな。お父様の城に行こうか?」
    「ヌ……」
     栃木の奥地にあるドラウスの城を思い出す。ドラウスは嫌いではないが、かれの使い魔とはあまり仲良くなかった。
    「うん、嫌か」
     言葉に嫌悪が混じったことを、ドラルクは察してくれた。
    「……あのね、あの小僧がさ。新横浜に引っ越すんだって。引っ越すから私は飼えないらしいんだけど」
     引っ越しのトラックに、私の棺を載せていいって云ってるんだ。
     そうドラルクは続けた。手はジョンを撫でているが、視線はずっとずっと先を見ている。
    「新横浜に、ここを壊した本人が居るんだ」
     あの男が!
     ジョンはいきり立って声を上げた。
    「ヌヌン! ヌン! ヌヌヌヌ!」
     この爪と鎧で、憎きあいつめをやっつけてやる!
     鼻息荒く伝えると、撫でる指先がさらにやさしさを増した。
    「ふふ、私のかわいい騎士さん。大丈夫。復讐はしないよ。ただ、」
     責任は、取って欲しいよね。
     そう口にしたドラルクの横顔は、とても晴れ晴れとしていた。はじめて見る、顔だった。

       講習会
    「かれらは、ひとを模した躰であり、ひとにあらず」
     壇上の講師が薄闇の中、声を張り上げて説明をする。
     プロジェクターを使い、スクリーンにはサンプルらしき吸血鬼たちの「イラスト」が何枚か上がっていた。数枚の写真は、不自然な空間と対峙するハンターたちが写っている。中の一枚に兄の姿を確認して、ちょっとだけロナルドは気分が良かった。
    「何故ひとではないか。それは、殺される際に塵となるからである。模した躰だけではない。身に着けているものすべてまでも、塵となる。では、かれらは何か。一概にまとめることはできないが、かれらはウィルスの一種と思考するのが正しい。衣類にウィルスが付着し、無機物なものまでを吸血鬼化させるのだ。であるからして――かれらの大元は、ミクロの細菌とマクロの塵である」
     退治人用武器免許取得のための講習会。講習会と云っても、簡単なもので数週間、複雑な武器だと一年を要する。ロナルドはどうしても武器にリボルバー銃を選びたかったので、長いコースを選んだ。今日は初日でもある。
     講師は対吸血鬼の研究所、VRCより派遣された学者のようだった。このハンター用の講義は、彼らの管轄下である。
     吸血鬼を狩るためには、警察の吸血鬼対策課に入るか、個人でハンターになるかだ。ロナルドは、兄の影響で同じ道に進みたかった。ハンターになるにはギルドへ登録をするだけだが、対吸血鬼には主に麻酔銃を使うために、研究所からの許可が要る。その為にもVRC管轄下の講習会は必須のものだった。
    「塵は光学的に『ひかり』を逃す性質があり、この為、吸血鬼は写真、鏡には映らない。逆に云えば、ひかりがかれらの弱点であるがゆえの特性と云える。だが、個体差があり、ひかりを受容するものもあれば、弱体化させるものもある。現状としては、多様を増しているため、相手によっては対処を変える必要がある」
     云って、講師が何も映っていない空間をポインターで指した。手前には兄が居る。それは俺の兄です、と叫びたくてうずうずした。
     戦った吸血鬼の説明が入るが、ハンターについての説明はなくて、ロナルドは肩を落とした。
    「吸血鬼の弱点と云えば、古来から十字架や銀の弾、ニンニクであるが、これはその土地の信仰から来るものも含まれる。よって、キリスト教圏でない本邦で確認される吸血鬼たちは、ほとんどと云って十字架に抵抗はない。銀の弾は、魔除けからくるものだが、これは銀による抗菌作用から生まれるものだ。ニンニクは、二世紀より万能薬として用いられてきた。これが転じて魔除けになった。きみたちの武器は、このふたつを肝に選んで欲しい。もちろん、信仰が含まれるならば十字架も効く」
     ロナルドはもし自分が吸血鬼化してしまったら、ニンニクではなくセロリが有効なのかと考えた。あれも、昔は薬だったはずだ。でなければ、あんな恐ろしい味はしない。
    「ここではまず、吸血鬼化した無機物、植物、次に昆虫、動物の順で戦い方を学び、きみたちは銃火器の試験を受けることになる」
     パッと天井の灯りがともり、最初の説明が終わったことを伝えた。
    「何か質問は?」
     講師が聞くと、さっと手前の人物が手を挙げた。
    「ここでは先天的な吸血鬼と対峙しますか?」
    「それは、そのときによる。VRCに収容された吸血鬼に協力を求めるからだ」
     返すと、次に奥から声が上がった。
    「A級やS級の吸血鬼に麻酔銃は効きますか?」
    「あー、その際は、銀の弾丸の発砲が許可されている。そちらは吸対への登録申請が必要になる。銀の弾丸の講習は銃火器希望者のコース……十ヶ月目以降だ」
     スケジュール確認をしながら講師が伝えた。オーソドックスだが対吸血鬼の本格的な武器の説明に、少し心が踊る。みな同じことを感じたのか、少し教室がざわついた。
    「竜の一族と、対峙することは出来ますか?」
     すっと上がった声に、教室内が一瞬静まった。窓際に座った女性だった。講師は「きみ、詳しいね」と苦笑すると、何人かが「竜の一族」を知らなかったようで、疑問の声を上げている。ロナルドは、兄から話だけは聞いて居た。この横浜ではなく、北関東に居ることは知っている。
    「あー、聞いた通り、日本には五十年以上前、古来の血族である『竜の一族』がやってきている。かれらは、先天的な吸血鬼であり、能力が異常に高い。おそらく、きみたちが対峙することはないと思う。もちろん――退治することも」
     そこまでレアなのだ。滅多に出てくることはない、最強の敵なのだ。どんな恐ろしい姿をしているのか。兄ですらも名を挙げたとき、声に恐れを孕んでいた。この仕事を選んだのだ、一生会わない、と云う話もないだろう。いつしか、兄を越える高名なハンターとなり、強大な敵を落とす。
     ロナルドは己の抱いた夢に、微笑んだ。
     講師は咳ばらいをすると、竜の一族の話は終わりだと云うように、違う話題を持ち出した。
    「では、ここで、かれらの能力についての説明をしておこう。一般的に、吸血鬼の得意とする力は、形態の変容、いわゆる化け物化、そして一番多いのは、催眠だ。錯覚を見せるちからを持っている。これは、その吸血鬼の欲望が関わってくる。かれらは吸血と云う、食欲以外にも人間の深層に入り込み、本質を暴くことで満足を得――」
     
         *
      
    「んー! 圧力鍋、いいね。最高。見てよ、角煮ルドくん、このぷるぷる」
     云って笑みを浮かべながら、試食用の小皿に角煮を乗せて出してくる。先日ねだられるままに買った、圧力鍋を使ったようだ。すでに試食したらしいジョンが、口もとを茶色にしている。
    「おう、良かったな」
     貰った試食を口に放ると、柔らかな肉に八角の効いた味がした。甘すぎる角煮が嫌いだと云ったロナルドの好みに合わせた味になっている。
    「何見ているの?」
     ひょい、と手元に広げた資料を覗き込んでくる。
     吸血鬼退治人講習会案内、と書かれた文字をドラルクは音読した。
    「えー、きみ、また講習受けるの?」
     いよいよ免許剥奪か~と呑気に云うので、一発どついた。
    「ちげーよ、特別講師で行くんだよ。おまえも連れて行く」
     少しだけテーブルに塵が落ちる。
    「私も? んっふー? 畏怖さを見せに?」
     これ見よがしに牙をむき出して見せる。鋭さだけがある牙は、咬む力が弱い。何度咬まれても、ロナルドには犬猫の甘噛みにしか感じなかった。
    「全然畏怖くねーよ」
    「じゃあ何のために連れて行くのさ?」
     不満げな顔で聞いてくるので、思わず鼻を高く答えてしまう。
     
    「自慢」 

       赤いヒナゲシ
     赤いヒナゲシの花が咲いていた。
     ここはフランドル伯領の丘と錯覚しそうなほどに。ドラルクは己に流れる僅かな血さえも消え失せたような青褪めた顔で、赤い花たちを見下ろしていた。
     愛して、愛された、それなのに今では――。
     かつて読んだ詩の一片が脳裏をかすめる。横たわるかれを見つめ、これは現実だと思い知る。

         *

     真っ赤な花畑の中、ドラルクが立っている夢を見た。それが夢だと判るのは、陽の光の下だからだ。赤とは対照的に青褪めた顔をさらに白くし、悲壮な面持ちだった。
     何してんだよ。
     そう声を掛けたくても、声が出ない。手を伸ばそうにも、手が動かない。脚さえも。夢だから仕方ないか、と諦め陽の光を浴びる吸血鬼をロナルドは見つめた。叶うことのない組み合わせ。夜の申し子であるかれが、味わえない世界。
     夢なら笑ってくれればいいのに、と思うが、悲壮な顔はそのままだった。
     ドラルク。
     しゃべれば陽気だと判るのに、黙っていると不機嫌の塊みたいな顔になる。ロナルドは笑顔の方が好ましかったが、不機嫌そうな顔も嫌いではなかった。怒った顔も、悪くはない。ころころと変化するかれの表情は、いつまでも飽きなかった。
     声が出るようになったら、名を呼ばなくては。
     手が動くようになったら、掴まなくては。
     脚が動くようになったら、駆け寄らなくては。
     すぐそこに居るのに、触れることも出来ないなんて。
     はてさて、どうして自分の躰は、いつの間にポンコツになったのか。
     赤い花はひとつひとつ黒くなり、ドラルクの足元が闇に染まる。次第に世界は闇に満ち、かれの世界へと変化した。
     真っ暗だ。
     それなのに、ドラルクがそばに居るのだけは感じた。そばに居るなら、手を握って欲しかった。いつの間にか当然の顔で隣に立つ吸血鬼。
     暗闇の中、かれの視線だけがねっとりと絡み、包み込むようだった。きっと、あのマントで包まれたらこんな気持ちなのかもしれない。
     耳奥に響く活きの悪い心音。密着した肌の低温さ。安心感に包まれ、ロナルドの世界はまどろんで行った。

         *

     ……ド。
     ……ルド。
     ……ナルド。
    「ロナルド」
     開けた視界。灯りが眩しすぎて、目を細めた。逆光で覗き込む影。かれだと思ったが、輪郭が違う。声も違う。匂いも違った。
     誰だ。
     そう、声に出したつもりだったが、掠れたものになって声にはならなかった。
     良く見れば、マスクをした兄が、慈しむ顔で覗き込んでいるのだと知った。
    「大丈夫じゃ。安心せい。峠は越えた、と医師は云っとった」
     峠?
     視線で何が云いたいのか理解したのか、兄は頷いた。口元にある違和感は、酸素マスクか。腕からは管が伸び、 いくつもの点滴がぶら下がっている。天井にある灯りのまぶしさに慣れなくて、目をなんども細めた。
     腹が痛い。
     ギリギリと内臓を引っ張るような痛みがそこにはあった。目覚めたのは、鎮痛剤が切れたからだろう。
     だんだんと、自分がどこに居るかを理解し始めた。真っ白い部屋は、多分病室だ。
    「……きゅ……」
     自分を斬った吸血鬼がどうなったのか気になった。だが、声は上手く口から出ない。それでも兄は察してくれた。勘がいい、自慢の兄。
    「大丈夫、あれは、もうVRCに収監済みじゃ。安心していい。さっき点滴を追加してもらったから、もうちょっと眠っていなさい。ワシはじき帰るが、ヒマリが後から来る」
     ヒマリが?
     妹の来訪が嬉しいと思う反面、いつもそばに居るかれが不在なのが気になった。
    「……ド……ラ」
     なんとか喉奥から絞り出した声で聞く。
     あいつは、どこ行ったんだ。どうしてここに居ない。
    「ドラルクは、ここには入れないんじゃよ」
    「…………?」
     どうして、と聞きたいが、泥のように意識が重くなっていく。かれの不在が、胸をチクチクと苛んだ。
    「部屋を移動したら、何とか手配しておく」

         *

     吸血鬼が病院に来ると、死人が増える。
     そんなジンクスがあるなんて、ドラルクは知らなかった。吸血鬼と人間の病院の相性は最悪だと云うのも、ここに来て初めて知った。
     ロナルドを乗せた救急車は空きのある受け入れ病院を求めて、市外に出た。その結果、反吸血鬼を掲げるクリスチャンの病院に運び込まれたのだ。
     ドラルクは付き添いを拒絶されたため、病院の前でジョンを抱えながらヒヨシに連絡をした。どのみち手術には、親族の同意が要る。ドラルクは家族ではないのだ。
     代わりに所定の手続きを取れば見舞いは許可される――と聞かされた。だがその手続きはひどく煩雑で、まるで門をくぐらせない為に、心を折らせる手続きのようだった。
     取り寄せた書類に何枚も続く質問。提出する証明書の数々。同意のサインたち。数十年前に作らされた印鑑が、また必要になるとは思っていなかった。デジタルでの提出枠はなく、すべて紙。しかも、提出時間は昼のみ。
    ・あなたは危険な吸血鬼ではありませんか?
    ・あなたが危険な吸血鬼ではないと証明できますか?(イエスとお答えになった方は、備考欄に証明書を三枚添付してください。)
    ・あなたの能力をすべて書き込んでください。(備考欄が足らない場合は別紙を添付してください。)
    ・あなたの能力が、当院の医師や患者、スタッフに影響を与えないと断言できますか?
    ・院内で能力を使わないと断言できますか?
    ・鏡には映るよう努力できますか?
     こんな質問が延々と続く。
     やっと書類をまとめ、使い魔に頼んで病院へ提出してもらった。ドラルクは何度も見返したはずだが、書類は不備になり戻ってきてしまう。書き直しと再度証明書の添付にマジギレしそうになった。しかも、これが何回も続いた。ドラルクはあまりの理不尽さに何回か死んだ。
     不受理の理由さえはっきりとせず、ドラルクは面会を諦めざるを得なかった。無論、ルールなど無視することも出来たが、ロナルドの命を預かっている場所で、無礼は働きたくない。
     ようやく書類が通ったのはヒヨシが何とか説得してくれたからで、集中治療室から一般病棟の個室に移ったのもある。
     これが新横浜なら、こうはならなかったはずだ――常々そう感じていたが、この病院の素早い対応のおかげでロナルドの手術は成功した。
     かれは、助かった。
     だから――感謝せねば。
     吸血鬼ひとりと使い魔一匹の事務所は、恐ろしいくらい広く感じた。かつての城よりも狭いはずなのに。主不在の部屋は色彩までも落ち、モノクロームの世界に居るようだった。
    そばにある熱がない。それだけで、こんなにも寒い。何度もかれの手で塵になっていた日常が、今はない。
     ひとは簡単に死ぬ。
     そうと判っているはずなのに、目の前にやってくるまで考えないでいた。考えたくないから、考えないでいた。
     考えたら、そのことに囚われてしまうから。

         *

    「良かったー! 元気になったのね!」
    「心配したぞ。早く帰って来いよ」
    「病院ってメシ美味いの?」
    「頑丈すぎてびびったある」
     手術が終わり、面会可能になると次々とギルドのメンバーが見舞いに来た。
     あの日対峙したA級の吸血鬼は、死神のような大きな鎌と、血を花に変える催眠能力を持っていた。たまたまそこに居合わせた仔猫(今はシーニャが飼っているらしい)が、吸血鬼に驚き屋根から滑り落ちた。咄嗟に猫に手を伸ばした瞬間、一振りの鎌がロナルドの腹を抉った。刃は鋭く、内臓までををばっさりと傷つけた。
     飛び散る鮮血が、瞬く間に赤い花に姿を変える。ロナルドは、腹を庇いながら吸血鬼を仕留めようとした。動きの所為で内臓の傷をさらに広げて、かなりの血を失うことになった。おかげでそのまま己の血が創り出した花畑の中、意識を失ったのだ。
     重症はロナルドだけだが、他のメンバーが無傷なわけではない。サテツは腕に怪我をし、ショットは髪を一部失った。吸対の何人かも怪我をしたと、後日見舞いにやってきた半田たちから聞いている。通称、吸血鬼・花死神はひとを斬って血を花として物質化させ、貯蔵用血液として運搬し売買していた。商売のためにひとを斬り始めたことで、被害が拡大していったのだ。

         *

     部屋を移動して数日後、ようやくドラルクがやってきた。スマートフォンが握れるようになってからは、メールと電話でやりとりしていたが、生を見るのは久しぶりで、湧き上がる喜びが隠し切れなかった――はずだが。
    「なんだよ、それ」
     半田が牙隠しでしているマスクよりもゴツい、猟奇殺人犯が口につけるようなマスクをドラルクは装着していた。マントもなく、スーツにネクタイと云うまるで一般人のような服装。
    「これ? 吸血鬼用フェイスガードマスクだって」
     似合う? と聞くので、似合わねーよ、と叫んでしまう。久しぶりに上げた声量が、腹に響く。意外と発声には筋肉を使っていたようだ。
     ドラルクは、これつけないとここに入れないんだよ、と肩を竦めた。
    「おまえ、非力だからひとなんか襲わないのに」
    「それでも、吸血鬼だからねー。まあ、仕方ないよね」
     確かに最初に届いたメールに、そんなことが書いてあった。「面会にはちょっと手間がかかるみたい」とピースマークの絵文字。読み流していたが、本当に「ちょっと」だったんだろうか。
    「良くない」
     この病院に来て、吸血鬼もダンピールさえも見かけないとは感じていた。名前からクリスチャンの病院だとは思っていたが、こんな弊害があるとは思わなかった。
    「あのね、ロナルドくん。きみの腹を傷つけたのも吸血鬼よ? 忘れた?」
     悪い吸血鬼が居る以上、この対処に文句はない――そんな口振り。
     もやもやとした感情が、腹の傷に響くようだった。
    「忘れてない。……ジョンは?」
     いつも抱いている使い魔も、居ない。アルマジロは吸血鬼ではない。
    「動物は連れて来れないよ。ここ病院よ。今では生花も持ち込み禁止なの知ってる?」
     花と云われて、赤い花の中に立つドラルクを思い出した。あれは、己の血の中に立つかれの姿だったのだ。
    「アニマルセラピーとかあるじゃん」
     特例はあるはずだが、吸血鬼であるドラルクがここに居ることが特例なのかもしれない。動物と同レベルなのに、腹が立った。
    「きみが元気になって帰ってくれば、すぐ会えるよ。今日は病院前のスナバでフラペチーノの飲んで貰ってる」
     立ったままのドラルクは、ロナルドに近づかない。不審に思いながら椅子を勧めると、拒絶してきた。
    「二メートル以上の距離を保つよう、云われている」
     まるで病原菌のような扱いに、怒りが湧いた。早く退院、若しくは転院がしたかった。新横浜の病院なら、こんなルールもないはずだ。
    「……目が覚めて、なんでおまえが居ないんだろう、と思った」
     まさか、そんなルールがあるとも知らず。
    「私、きみの家族じゃないからね。それに吸血鬼だから、なかなか許可下りなくて。お兄さんが病院に掛けあってくれたみたい」
     家族、の言葉が重く、家族である兄の計らいで、ドラルクはここに来れた。吸血鬼対策本部隊長の肩書が、利いたのかもしれない。
    「……そうなのか」
    「んふー、きみ、少し痩せちゃったよね。病院服似合うルドくんになってる。ゴリルドくん不在〜」
     息詰まる空気を感じたのか、ドラルクが明るい声を上げる。
    「うっせ。すぐゴリラに戻るわ」
    「おおっと、知能が小学生」
    「ゴリラパワー舐めんな」
     云ってシーツを剥ぐと、無理矢理起き上がる。まだふらつきはあるが、カテーテルはもう外されていた。点滴スタンドを掴みながら、またふらつく脚で立ち上がった。
    「はあ? 何してるのよ」
    「うるせ。おまえが近づけないなら、俺から近づけば問題ないだろ。クソ砂」
    「そうゆうトンチ利かせるの、有なの⁉」
     有だ! と云って、近づくと、そのまま手首を掴んだ。
    「あ、殺さないでね。能力使うの禁止なの」
     細い手首は、さらに細くなっていた。
    「テメーの方が、俺より痩せただろ」
    「ドラドラちゃんはいつもスリムでーす。きみと出会う前は、これくらいだったよ」
     確かに、出会ってすぐの頃は病人みたいなガリガリの骨吸血鬼だった。一緒に暮らすようになって、少しずつ肉がついて行った。かと云って、痩せていることには変わりないのだが。
    「……ドラ公、もしかしておまえ、ずっとそばに居なかったか?」
     ずっと気配だけを感じていた。それは、恋しい気持ちが感じさせるものだと思っていた。だが、本体を目の前にして、気のせいではなかったんじゃないか、と感じる。
    「どうして?」
     きょとんとした顔が、聞き返してきた。
    「……そんな気がしたんだ」
    「あっららー! そんな幻覚抱くほどドラちゃんが恋しかった?」
     思わず買い言葉でどつきたくなる衝動を堪えた。
    「なあ、これ外せないのか」
     マスクをなぞる。口元が見たかった。上がる口角に、覗く牙。薄い唇。
    「ンフフ、外せまないよ。キーは受付にあるの」
    「……帰ったら、キスくらいさせろ」
     思わず飛び出た言葉に、自分でも驚いた。
    「……ファ? なんて⁇」
     何を云い出す若造、とドラルクも驚いた顔を見せた。
    「おれは、おまえと家族になりたい」
     家族なら、吸血鬼でも融通が効く。そんな理由を口にしたが、それだけじゃないのは自分でも判っていた。
    「それだけの理由?」
     図星みたいにそのまま聞かれる。
    「目覚めて、おまえが居ないのは、もうやだ」
     云いながら、目覚めた瞬間かれが居なかったときの痛みを思い出し、鼻がツンとする。あ、と思った瞬間には、目尻から涙が溢れていた。
     うん、そうだねぇ。私も嫌だったよ。
     云って空いた手がロナルドの髪を撫でようとしたが、一瞬淀んで降ろされる。不用意な接触が禁じられているのかもしれない。
    「……ねぇ、順番おかしくない? ロナルドくん」
     ああそうだ。順番を間違えてる。間違えてばっかりだ。もっと早く気づくべきだったし、こんなタイミングで伝えるなんて。
     ロナルドは掴んだままの手を引き寄せ、手袋ごしの甲に口づける。
    「…………好きだ」
     ようやく出た告白に、ドラルクは満足そうな顔を見せた。
     くそ。こいつ、俺の気持ちを知って居やがったな。

         *

     スーツにネクタイ。念のためにコート。遮光率の高い、お高い日傘。サングラス、スカーフ、帽子。
     不受理が続く書類。ひょっとしたら本人じゃないとダメなのでは、との意見に着替えた格好だ。
     結局、本人でもダメだったのだけれど。
     せっかく昼に来たので、病院のまわりを一周した。一番ロナルドの気配を感じる窓を探し、そこに立った。姿すらも見えない位置。それでも、何枚かの壁を隔てればかれが居る。
     その事実に少しだけ安堵して、書類が通るまでの期間、毎日ずっと病院のそばに立っていた。
     考えないことを課してきた議題。その議題に、すでに囚われていると気づいていた。
     一度きりの死。
     理解できないものなのに、理解をしないといけない。人間に情なんて一度も抱いたことがなかった。知らないままで居たかった。
     だが、知ってしまえばもう後戻りは出来なかった。覚悟を決めるしかなかった。恐るることは何もない。失うまでの時間を楽しむだけ。
     失いたくないと云う感情。この感情の名前を、知っていた。
     赤いヒナゲシの中、横たわるロナルドは絵画のように美しかった。赤いヒナゲシは、戦死や戦地の再生の象徴だ。リメンバランス・サンデー、胸につける花。
     あの瞬間、叫び出したいくらいに理解した。
     私は、この男に恋をしているのだと。

      [chapter: テーブルマナー
    ]
     犬に舐められる骨って、こんな気分だろうか。

    「肘!」
     テーブルに肘がついてしまったことに、目敏く気づいた師が声を上げる。声の鋭さに、ドラルクは崩れかけた。
    「この程度で死ぬな、馬鹿者」
     白いテーブルクロスの向こうに髭の紳士が座り、優雅にナイフとフォークを操っている。紳士とは名ばかりで、ドラルクには厳しい言葉しか掛けない。紳士とは父のことだ。かれは父と違い、やさしい言葉はまるでない。
     テーブルに並んだ銀食器たち。手袋越しでさえも、握ればピリピリと痛みを感じる。それを器用に口元まで運ばなければならない。木製のものから始まったそれは、フォーマルさを増すたびに厳しさも増した。父の親友であるノースディンの、テーブルマナー講義。ナイフとフォークの手順を何度も注意され、食器をこする音を注意され、肘や手の置き場を注意された。
     テーブルマナーなんて無意味なんじゃないか、とドラルクは思う。
     だが、かれは必要だと云って聞かない。餌である人間に取り入るには、食事が一番である、と云うのがかれの持論だ。もてなしには、同じテーブルにつくことも含まれる。上品な食べ方は相手に信頼感を与えるのだ。
     けれど。
     今無理矢理口に入れた鴨のローストも、さっき飲んだ人参のポタージュも、栄養にはならない。味が判らないわけではない。吸血鬼には不要なものでしかないのだ。従来、液体しか嚥下しない喉を固形物が落ちる感覚が、ドラルクは苦手だった。
     消化出来ないものは、後から塊となって吐き出す。そうまでして人間の真似事をするのが、ドラルクには判らなかった。
     料理をするのは楽しい。
     ジビエの解体からはじまる血抜きやエイジング。骨や内臓を分け、分けたものの特性に沿った調理をする。多種多様なハーブたちを使い、味を際立たせる。骨はスープに、内臓はパテや煮込みに。すべてを無駄にせず調理するよろこび。皿に盛り付けるのも、まるで芸術のようだった。
     そこまでは楽しいのに。
     それは、自分たちの「餌」ではない。
     「餌」は人間に施し、施した人間を吸血鬼がいただく。そうまでして血を奪うのもまた、ドラルクは苦手だった。血が飲めないならば、代わりの液体で充分だったからだ。
     銀食器に触れず、食事をするのはなかなか難しかった。特にスープスプーンが最悪で、一口毎にドラルクは死んだ。
    「それは銀メッキだ。銀の含有量は多くない。口に触れたくらいで死ぬんじゃない」
     云って師は見本のようにアスパラガスをナイフで切ると、フォークごと口にした。確かにこれが純銀ならば、死んでしばらくはよみがえらないだろう。
    「でも」
    「いいか、ドラルク。きみの為を思って云う。チャームも催眠力もないきみは、女性たちを惑わすことは出来ない。ならば、血を奪うためにも、相手の懐に入るのは重要だ。料理が上手くとも、粗野なマナーの相手なんぞ、誰がする?」
     マナーは大事だ、とくどいくらい師は云った。血を奪うための食事。「餌」のために食事のマナーを覚える。
     毎夜相手に困らない男は、ドラルクを哀れんでいた。
     師が来てから、自信はすべて叩き折られた。天才だと褒めてくれた父は、ここに居ない。ここに居ると、自分は駄目な吸血鬼なのだと思い知る。みじめな気持ちになる。
     もっとも、それはかれを基準とした場合だ。
     毎夜違う相手も、毎夜違う血もドラルクは欲しくなかった。ここに来て、あまりにも価値観が違う相手とは、対話が出来ないのだと知った。
     楽しいのは、調理の間だけだ。食事の時間は、この通り大嫌いだった。この時間がとっとと過ぎて欲しかった。この場から逃げ出したかった。ドラルクは、アスパラガスを口にする。オランデーソースは、もうちょっと胡椒を強くすべきだと思った。繊維質の塊が喉を落ちる。息が詰まりそうだ。
     はやく、吐き出してしまいたかった。

         *

    「何これ、うっまーい!」
     目の前で若造が、無我夢中に齧り付く。
    「ラムのスペアリブ。骨は食べれないよ」
     二日ほどハーブとスパイスでマリネさせたリブを、低温でじっくり焼いた。ホロホロにやわらかくなった肉に、スパイスが染みているはずだ。先に食べた使い魔からは、絶賛の声しかなかった。ロナルドは味が気に入ったのか、骨までしゃぶり舐めている。
    「骨も美味い」
     スパイスが骨まで染みているのだろう。
    「じゃあ、残してよ。明日スープの出汁にするから」
     どのみち元からそうするつもりだった。残った骨から出るエキス。最後の一滴まで無駄にはしない。
    「うわー! こっちもうまい! 白いアスパラなんて、俺缶詰以外初めて見た!」
     頬張りながら目を輝かせてくる。ドラルクはこの顔が見たくて、料理をしているのだと思う。はじめて作る料理は、いつも反応が気になる。味の好みは把握しているが、同じ味ばかりを作るのは退屈だ。手の込んだ料理や、新しいレシピを楽しみたかった。
     城でジョンとふたりだったときは、作り置き出来るメニューだけを繰り返し作っていた。時折つくるデザートで、ジョンも文句は云わなかった。
     ここに来るまで、ひとに食事をふるまう楽しさを忘れていた。
    「私もこっちに来てはじめて見たから、久しぶりに調理したよ」
     新しく出来たスーパーは輸入食材に強く、ハラールにも対応しており、肉の種類も豊富だった。白アスパラは、ヨーロッパでは春を告げる食材だ。日本に来てからとんと見掛けることはなかった。少し値がはったが、見るとどうしても買いたくなった。知らぬものを、かれに食べさせたかった。
    「緑のとはまた味が違うんだな」
    「オランデーソースに絡めるのが一般的だけど、炊き込みご飯にしたら美味しいかなって思って作ったんだ」
     白アスパラ独特のみずみずしさと甘み、そして苦味が白米に合うと思ったが、正解だったようだ。
    「最高! また作って!」
     炊き込みご飯のおかわりを食べ、名残惜しそうにまたスペアリブの骨を舐める。
    「うん、ほら、だから明日スープにするからさ、そんな風に……」
     云いながらロナルドの舌遣いに記憶がよみがえり、言葉を濁す。
     犬に舐められる骨って、こんな気分だろうか――そう思った数日前の記憶。
    「ん?」
     顔色が変わるのが、自分でも判った。青褪めた肌が、人肌に近くなる。それにロナルドも気づいた。
    「いや、きみ、よくそうやってしゃぶるよなあって」
    「あ、うん」
     云われた意味に気づいたのか、かれも頬を染めて骨を皿に置く。
    「きみと出会って、食べられる気持ちがちょっと判ったよ」
     セックスのとき、いつも食べられるんじゃないかと感じる。くまなく舐められ、しゃぶられ、噛まれる。そんなに美味いのか、と聞くと、恥ずかしげもなく美味い、と返された。
    私の食事より? と聞けば、悩ませるな、と笑ってキスをしてきた。
     血を奪うために、食事を作っているのではない。かれの喜びが見たくて、食事を作っている。
     粗野な相手でも、マナーがなってない相手でも、全身から食事を感謝する言葉がなければ、通じ合うこともない。
     作法としての食事。あの男は、調理も食事も血を奪う道具としてしか見ていなかった。あの男は、ひとを餌としか見ていなかった。だが違う。ひとは、餌ではない。
     血を奪わない相手を満たすことが、こんなにも愉快だなんて、かれは一生知らない。このよろこびを一生知らぬなんて、なんと残念なことか。
     ドラルクの顔に自然と笑顔が満ち、自信が満ちる。
    「美味かったか?」
     聞けば満面の笑みが返ってくる。畏怖さを聞くのと同じくらい、この瞬間が好きだった。
       海葬
     壁越しにドラルクの声が聞こえる。
     お父さまは心配しすぎです。大丈夫です。そんなに泣かないでください。
     大丈夫。
     何度も繰り返しされる、大丈夫、の三文字。元よりかれの父は極度の過保護で、息子を溺愛している。かれはロナルドの父親とは違う――とは云っても、もう記憶にはないのだが。
     ドラルクと一緒に暮らし始めてふた桁の年数を目前に、関係性が変わった。退治人と吸血鬼から、さらに対等なものになったのだ。ふた桁を越えると、関係はもっと深くなった。
     それを、先日かれの父に知られたのだ。知らせた、と云ってもいい。隠していたわけではない。現に、ギルドの仲間たちはだいぶ前から知っている。気づきたくなかったのか、それとも純粋に仲が良い以上とは、思ってなかったのか。ドラウスは知っても、反対などしないと思っていた。
     だが。
     ――ロナルドくんと私は、今は恋人同士です。
     そうドラルクが告げると、まるで失敗したスポンジケーキのように萎み、ショックを隠さない顔を見せた。
     そこから駄目だの一点張りで、ふたりの関係を認めようとしない。会うたびに別れるよう懇願され、電話を何度も掛けてくる。出なければ飛んでやってくると知っていて、何回かは無視できずドラルクは通話ボタンを押して応えた。画面をタップしたアメリカンチェリー色の爪は、先日ロナルドが塗ったものだ。

     通話の切れたスマートフォン片手に、ドラルクが戻ってくる。大きなため息をつきながら、ロナルドの隣に腰掛けた。ソファクッションに埋もれて寝ていたジョンが顔を上げ、ドラルクの膝に上がってくる。
    「……むかし、うちに『じいや』と呼んでいた男が居た」
     ジョンを撫でながら、ドラルクは独り言のように呟いた。膝の上のジョンは、痩せたドラルクの太腿に安心したのか、ふたたびうとうととし始める。
    「じいや? 執事か何かか?」
    「私が幼い頃の話だ。記憶も曖昧で、私も執事が居たと、勝手に誤解をしていた」
     けど、そうじゃなかったんだ。
     云って、ドラルクは細い腕を組んだ。
    「かれは、人間だった。当時、屋敷に居た親族の――かれの名前も、私は記憶して居なかったんだが――恋人だったそうだ」
     つまりは、ドラルクの親族の誰かも、自分たちのように人間と恋仲になっていたのだ。さっき聞いた、そんな口ぶりの伝聞調の話し方。ドラウスに聞いたのかもしれない。
    「最初はふたりきりで住んでいたそうだが、男の晩年、屋敷に身を寄せた」
     その期間がドラルクの幼少期だったのだ。吸血鬼の成長は遅い。今は中年の姿をしているが、この姿になるまでに二百年は掛かっている。「じいや」が居た期間の感覚なんて、かれにとっては数時間にしかならないだろう。「じいや」は、その恋人と何年一緒だったのだろうか。
     容姿はようやくおなじ齢に近づいて来たが、かれにとってロナルドは「若造」でしかない。いつまで自分は「若造」で居れるのか。
     出会ったときから、ドラルクの姿は、さほど変わらない。
    「老いた男は、病気で余命がわずかだった。だが恋人の吸血鬼としてのちからは弱く、病を打ち消し吸血鬼に出来なかった。そこで、能力の強い御真祖様に頼むために来ていたそうだ」
    「……それで?」
     ドラウスがこの話を息子に聞かせたのがなんとなく判った。息子に、かれらの二の舞になって欲しくないのだ。
    「かれの恋人は、吸血鬼になるのを拒んだ。話では、最初から拒んでいたそうだ。御真祖様も、かれの意思を尊重した。人間のまま、かれは死んだ」
    「なら――」
     心配することはない。どうせ先に人間は死ぬ。ドラウスは気にし過ぎだ。恋人は、いずれ去る。判っていることだが、口の中が苦い
    「……続きがある。恋人の死に耐え切れず、親族のかれは、自殺した」
     ギュッと心臓を掴まれるような感覚がした。
    「…………どうやって?」
     彼の一族なら、弱いと云っても、よみがえる能力はあるはずだ。そう簡単には死ねまい。
    「朝日が出る瞬間、岬から飛び降りた。恋人の遺体は棺に納めて海に流したと聞いた。かれの元に、降り立ったのだろう」
     朝焼けに焦がされながら塵となり、波間に落ちて行く。荒波に塵は揉まれ海水の中、散り散りになる。復活などしようもない。想像に耐え切れず目頭が熱くなり、目尻から涙を落とした。
    「泣き虫ルドくん、泣くのは早いよ」
     ドラルクの長い指が頬をこする。血の気のない、冷えた指。青褪めた肌に、血の気が通う瞬間をロナルドは知っていた。土気色の肌が、淡いベージュに染まる瞬間を、知っていた。あの瞬間は、何事にも変えがたい瞬間だ。
    「だから、お父さまは口うるさく云ってくるんだ。けどね、私が自殺するようなタマに見えるか? きみが死んだとしても、まだやり残した積ゲーが山ほどあるし、新作も出るし、死ねるわけない」
    「おまえなあ」
     俺よりゲームかよ、とどつくと少しだけ塵になってすぐ戻る。
     よみがえることの、安心感。
    「きみとの時間である何百年のうちの何十年かは、振り返ったら鼻息みたいな瞬間かもしれないね」
     ぴすぴすと冗談交じりに舌を出して鼻を鳴らすが、全然笑えなかった。
    「俺が先に死んでも、おまえは死ぬなよ」
     センチメンタルドくんだね、とドラルクは笑う。
    「私はよみがえる能力が強すぎて、死にたくなっても簡単に死ねないよ。きみが一番、知ってるくせに」
     皮肉交じりの笑顔。何度殺しても変わらぬ顔が、そこにある。
    「俺ばっかり変化して行くんだな」
     このままどんどん老いて行く。先のことなど、何も考えてないに等しい。考えることを、放棄していた。ドラウスは心配して当然だ。お互い「今」しか考えていないのだから。
    「じゃあ聞くが、きみは私のために吸血鬼になる心算はあるか?」
     ――それとも人間としての死を選ぶか。
     聞かれて、すぐにイエスと云えない自分もここに居た。
     目の前には、いつもより真面目な顔をした吸血鬼が居る。軽口と減らず口ばかりが溢れる、薄い唇がそこにある。ロナルドは手を伸ばし、襟足を撫でた。髪を切ったところさえ見たこともない。
    「おまえのこの髪が、腰まで伸びたら考えてやるよ」
     変化が欲しかった。ともに歩む変化が。きっとそうすれば、どこまでも一緒に歩ける。
     ロナルドは襟足をそのまま引き寄せ、冷えた唇に暖を分けた。蒼褪めた唇が、次第に朱を帯びてゆく。
     まるで命を分け与えるようなこの瞬間が、好きだった。

     ロナルドはその晩夢を見た。
     朝日の浴びる水面へ落ち、海水に浸される。水の中、ひかりをまとった塵がきらきらと輝き波とともにやさしく自分を包み込む。まるで胎内に居るような、満たされた心が、そこにはあった。

       
     夜明けの音が好きだ。
     幼いころ、父にそう云うと「おやおや、どんな音が聞こえるんだい?」と微笑まれた。自分は舌足らずの口で、一生懸命、闇が遠ざかる音や闇が消える音を説明しようとした。けれど、音階はぐちゃぐちゃで、まったく父に伝わらなかった。それでも父はにこにこと嫌な顔を見せずに聞いてくれた。
     お父様には聞こえないから、ドラルクの耳は素晴らしいんだね。
     云って、耳先をくすぐってくれた。滅多に会えない母にも同じことを伝えると、母は「ひとが闇から出てくる音だ」と表現してくれた。それはどんな音か聞くと、世界が切り替わる音だよ、と教えてくれた。夜は私たちの世界で、昼は人間たちの世界だ、と云って笑った。母らしい回答。
     同じ質問を、祖父にもした。昼も夜もない祖父だったけれど、「変化の音だ」と返された。母同様、なんだかちょっと寂しい答えに聞こえた。ふたりとも、人間とともにいる時間が長かったからね、と父が云った。父は、人間とあまり行動を共にしてこなかった。唯一の師である男は、鼻で笑ったが、夜明けに鳴く雲雀の声を「別れ」の音だ、と返してきた。これがロミオとジュリエットのことだと判ったのは、だいぶ後だ。
     夜明けは、就眠の時間。眠りに落ちるまでのまどろみに聞こえる音。闇が光と戦い、光が勝って支配していく音。しゅわしゅわとしたサイダーの音を聞いたとき、ちょっと似ていると感じた。
     たくさんの夜と、たくさんの夜明けの音を聞いてきた。恐ろしい音もたくさん聞いた。耳をつんざくような大砲の音、銃声、爆発音。そんな朝は、祖父と父がずっとそばに居てくれた。彼らの棺にぎゅうぎゅうに収まって、音がやむのを待つのだ。何度か棺桶に入れられたまま、城から城へ移ったこともある。目覚めると、知らない城に居ることは多々あった。祖父の作った薬で、何年も眠りについたこともある。怒号と叫び。外は悲しみが満ちていた。あの日聞いた夜明けの音は、きっと忘れない。
     日暮れの音が好きだ。
     闇が勝利した世界が来る音。拍手のような、爆ぜる音を感じる。世界が自分たちのものになった音。起きたときに感じる喜び。輝く月と、輝く星の音。
     祖父が買った埼玉奥地の城は、その音がはっきりと聞こえていた。そこが気に入ったはずだった。だから、譲り受けた。それでも、吸血鬼ひとりと使い魔のアルマジロ一匹には広すぎる屋敷だった。人里離れ、誰も来ない山奥。ひろい屋敷の中は、夜明けの音も、日暮れの音も響くように感じた。ときおりふたつの音がひどくうるさくて、叫び出しそうになった。好きだった音が、こんなに耳をつんざく音だとは思わなかった。やってくる夜明けと、日暮れが、こんなに悲しいとは思わなかった。そんな日は、ずっとゲームに興じた。そうすれば、音を感じなくなったからだ。
     ある日、その音は城ごと破壊された。
     破壊されてみて「良かった」と思っている自分がそこに居た。好きだった音が、こんなに自分を苦しめているなんて、思わなかった。
     赤い退治人が、すべてをぶち壊してくれた。破壊神であり、救世主にも思えた。ずっとここにひとりと一匹で暮らすのだと思っていた。それが苦しかったのだと気づいたのは、城が壊れた後だ。新しい棺とともに、新しい場所へと移動する。
     はじめて自分で決めて、はじめて自分で行動した。自分の意志で棺を持って、移動したのだ。

     夜明けの音が好きだ。
     かれの寝息。寝返りの音。仕事が続けば、ひそめるような足音を聞く。どんなにひそめても、聞こえている数々の動作音。かたかたと揺らす振動が心地よく、その音色とともに眠りに落ちる。一緒の時間に眠ることもある。そんなときは、眠りに落ちる瞬間まで、かれが棺越しにずっと話し掛けてくる。突然ぱったりと会話が止み、名を呼んでも帰ってこない返事に微笑みながら、自分も眠る。
     日暮れの音が好きだ。
     闇が混ざり、陽がとろける音。歓喜にも似た音。目覚めているのを知っていて、そばにある気配を感じる。棺越しにそこに居る感覚。わざと起きないで居ると、棺を軽く叩いてくる。おい、起きろよ雑魚吸血鬼。そんな暴言。いくつもの呼び名で読んできた。その蔑む呼び名が、嫌いじゃなかった。だから、同じくらいに揶揄う呼び名で呼んだ。それでも「くん」付けで呼ぶのは止められなかった。
     そばに人間が居ると云う感覚が、ずっと判らないでいた。最初は雑音でしかなかったそれらは、今ではすべてが愛しい音となった。ひとが闇から出てくる音、変化の音、そのふたつも今では理解できる。昼と夜の世界は違う。かれらは両方の世界で生きていけるが、自分は片方でしか生きられない。

     夜明けの音が好きだった。闇と光が戦うことをやめ、混ざりあう時間の音。闇と光がひとつとなって、溶け合う音。闇の世界の自分と光の世界の彼も、混ざりあい、溶け合った。ひとつになって、また別れ、そしてふたつになる。
     同じベッドに横たわりながら、男の寝顔を見つめる。ずっとこのままで居て欲しかった。
     不意にロミオの言葉が浮かぶ。
     あれは雲雀だよ。朝をもたらす使者だ。小夜啼鳥じゃない。ほら東の空をごらん、雲が朝日を浴びて輝き始めた。夜を照らす蝋燭は燃え尽き、明るい太陽があの山の頂に爪先立てて上ってくる。――もういかなければ。このまま留まれば死ぬことになる。
     脳裏にいけ好かない男が浮かび、彼の教えを実感した。
    「別れ」の音。
     そろそろ棺に移動しなければ。だが、移動したくない。日が暮れる音を感じるまで、ずっとこの腕の中でまどろんで居られたらどれだけいいか。
     光と闇が混ざるわずかな時間の音よりも、好きな音が出来た。
     その音を知るには、ゆうに二百年も掛かった。その音を聞くと、世界はポップコーンのようにはじけ、きらきらと輝いた。昼の世界を体現するような、まばゆい音。 
     音は、ドとラとルとクを綴る。
     音の出る先を、そっと指先で触れた。柔らかなそこから、あたたかな寝息を感じる。 
     世界で一番大好きな音。
     













    akatsukiayako Link Message Mute
    2022/09/29 22:01:28

    よりぬき「砂とこころ」

    WEB再録集「砂とこころ」より選り抜きで何本か。
    https://ec.toranoana.jp/joshi_r/ec/item/040030938146/ #ロナドラ

    more...
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