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    ひみつのビオラ(総一) 総士がいると、世界が明るくなったような気がする。
     もちろん、そんなのは目の錯覚だ。
     だけど、総士がただそこにいるだけで、視界がひらいて、心臓がどきどき動き出して、光はぱっとまぶしくなって、いつもより神経が研ぎ澄まされる、気がする。
     「準備中」の文字を表に書きつけて店内に戻ると、総士はいつものカウンター席で、めずらしく持ち込んだ端末を真剣な顔で叩いているところだった。
     ふだんは俺や遠見や暉と他愛ない話をしたり、ひとりで窓の外を眺めてぼうっとしていたり、持ち込んだ文庫本を開いていたり、仕事から離れてゆったりと過ごすことが多い総士だが、こうしてたまに、喫茶楽園で仕事をしていくことがある。
     最初はたしか、総士だけじゃなく地下で働いてる人みんなが目に見えてぐったりするほど、システムの障害かなにかが連日続いたときだった。数日間さっぱり姿を見せなかった総士がやっと訪れてくれたかと思ったら、昼食もそこそこに持ち込んだ端末をくまの浮かんだ顔でにらみ出したので、「休憩なのに休んだ気がしないだろ」とあきれたら、総士はむっつりとしかめた顔を端末に落としたまま言った。
    「地下にいるより、ずっと気が休まる。どうせ休憩中に仕事する必要があるなら、おまえがいるここの方がずいぶんいい」
     それから突然、はっとして、僕が良くても、他の客の邪魔になるだろうか、と眉をよせて腰を上げかけた総士を、そういうことなら好きなだけ居ていいと、引き留めたのは俺だった。
     それから総士はどうしても仕事が立て込んでいるときだけ、ときおりこうしてここで端末を叩いている。

     ぐっと腰を伸ばすと、立ちっぱなしでこわばった筋肉がほぐれて気持ちがいい。
     最後の客を送り出してランチを終えた店内はすっかり静かで、暉が食器を洗う音だけが響いている。「休憩にしよっか」と遠見が淹れてくれたカフェオレをありがたく受け取る。
    「先に暉くんとお皿片付けちゃうね」
    「頼む」
     シンクの食器はふたりですぐに片付きそうだ。テーブル席とカウンターを拭いたことを確認して、むずかしい顔で手が止まっている総士のとなりに腰かけた。線の細い横顔をじっと眺める。
     総士が仕事に追われてよれよれしているのを見るのは好きじゃないけど、総士が真剣な顔で仕事をしているところを見るのは、単純に好きだ。
     籍を残しているだけでちゃんとしたパイロットとも言えない俺は地下に行くこともずいぶん減って、そのほとんどがメディカルチェックか、総士に会いに部屋に行くかだ。総士は俺が行くとなるべくすぐに端末を落として相手をしてくれるから、こうやってほったらかされて仕事をしている総士を眺めるのは新鮮だった。
     それに、すごい勢いで流れていく数値や単語の意味なんて俺にはさっぱりわからないが、ファフナーから遠ざけられて、もう総士と共有できなくなった部分をなんとなく覗けているような気がして、寂しいけど、なつかしい気持ちになる。
     なにより、疲れた、それでもしなければならないことがある総士がすこしでも快適な環境を求めて、結果、俺のいるここを選んでくれたことが、とてもうれしかった。

    「……一騎、何かあるのか」
    「あ、ごめん」
     しばらく無言で白い指をすべらせていた総士が、困ったような顔でちらっと俺を見た。あんまり見つめすぎて、邪魔してしまったらしい。
     軽く謝ると、首を傾げた総士がまた端末に目を落とした。伏せられた亜麻色のまつげが、まばたきをするたびに音でも立てそうなくらい長い。いつからか節の目立つようになった、それでも細く白い指が、こぼれおちる髪を耳にかける。集中を途切れさせてしまったばかりなのに、また総士から目が離せなくなる。
     島へ戻ってきてからの総士の身体は、思い出したようにどんどん成長していった。
     昔は女の子みたいなやわらかい輪郭で、それでも指は関節がうすく骨ばって、いかにも年ごろの少年、といった感じだったのに、どんどん背が伸びて肩や足がしっかりしてきて、俺が言うのも変だけど、気が付けばいつのまにかちゃんとした「男の人」って印象になっていた。追いついたと思っていた身長も、またすぐに離されてしまった。
     もともときれいな顔立ちだとは思っていたが、歳を重ねるにつれて男っぽさを増した総士は、なんだか、ますます人目を惹く佇まいだ。
    「一騎?」
    「うん、おまえ……いい男になったな」
    「は?」
    「かっこよくなったよ」
     九歳のあの日からの五年間ーー甲洋いわく四年と七か月と何日かの間、そばにいながらもみすみす見逃してしまった、そして一度失いこうしてとなりへ戻ってきてくれるまでの二年間、手放してしまった総士の成長を、まるで一騎の手に取り戻させてくれるように。今は、総士がうつくしく花ひらくさまを、すぐとなりで見守ることができる。総士の成長を実感するたび、そのことをたまらなく幸せに思う。
     言いたいことだけ言ってひとりでうんうんうなずいていると、いやそうな、うんざりしたような顔をして、総士はため息をついた。
    「……わけのわからないことを言うな」
     そのまま端末の電源を落として、汗をかいたアイスコーヒーのグラスをぐっと煽る。
    「もう終わりか?」
    「そんな気分じゃなくなった」
     お・ま・え・の・せ・い・で。と、口にはしなくてもそのきれいな目が言っている。
     総士は自分のわからないところで話が進むのが嫌いだ。ちょっと機嫌を悪くしたらしい。とは言っても、いまさらそれで怯むような関係でもない。
    「おい」
    「休憩休憩」
     椅子を寄せて、こてん、と頼もしい左肩に頭をのせてもたれかかる。ちょっと腰がつらいけど、直接総士の体温を感じたかった。総士がぶつぶつ文句を言っているのが聞こえるけど、これは別に聴かなくていいときの声色だ。
     うん、本当に総士は、しっかりして頼もしくなった。
     昔だって俺からすれば総士の声がゆるぎないものだったことに違いはないけど、今になって振り返ると、戦いがはじまったばかりの、俺たちがなにもわかっていなかったころの総士は、今とは比べ物にならないほどの細い肩で、薄い背中で、たくさんのものをひとりで抱え込んで、必死で立とうとしていた。なにもかも拒絶するようだった、小さかった、それでも当時はとてつもなく遠くに思えた少年の背中が蘇って、すこし切ない。
     いまここで、こうして総士の肩になついていられる幸福に鼻がつんとした。
     こっそり鼻をすすっていると、後ろでひとつに結った毛先が、つんと引っ張られる。
    「……髪を上げているのか」
    「最近な」
     まだ短くてしっぽのようにぴょんと跳ねた毛先をつつく指先がくすぐったい。邪魔になった髪をまとめるようになって、このあいだふと食器棚に映る自分が目に入ったとき、そのぴょこんと跳ねたカーブに、かつての総士のかわいいしっぽを思い出したことはひみつだ。
    「伸びてきたから、さすがにキッチンじゃ下ろしたままはまずいし。このほうが涼しいし」
     なにがおもしろいのか、総士はまとめきれない髪を梳いたり、持ち上げたりしている。首をかしげつつも、総士がやりたいならと、さわりやすいように頭を上げてじっとしている。
     そのうちに冷えたグラスでひんやりとした指先がうなじをなぞって、思わずびくっと肩が跳ねた。おまけに、へんな声が出る。
    「ひゃう」
     ガチャン、とキッチンの奥で大きな音がした。洗った食器を片していた暉が手をすべらせたらしい。
    「大丈夫か?」
    「だ、大丈夫です」
    「大丈夫大丈夫、割れてないよ。一騎くんは座ってて」
     のんびりした遠見の声に、立ち上がりかけた腰を落ち着ける。遠見が言うなら大丈夫だろう。なんにせよ、怪我がないならよかった。
     さて、と総士に向き直って、あらためてほおをふくらませて抗議の顔を向ける。
    「俺がそういうのダメだって知ってるだろ」
    「一騎はくすぐったがりだ」
    「総士はいじわるだ」
     精一杯怒った顔をしても、俺が本当に怒ってないことなんて総士はお見通しだから、さらっと涼しい顔をして肩をすくめている。
    「ここ以外では、あまり上げるな」
     一瞬、なんの話だ、と言いかけて、ああ髪のことかと思い至る。
     ここ以外もなにも、総士のように腰まであるわけでもないし、ここでキッチンに入るとき以外は上げる必要もないんだけど、と思うが、特別否定する理由もない。総士みたいにやわらかくてきれいで、いい匂いがするような髪ならもう少し違ったかもしれないが、なんの面白みもない、硬い黒髪にこだわりもなにもない。総士が言うならそういうものなんだろう。
    「わかった。おまえが言うなら」
     素直にうなずけば、顔をしかめたまま総士はうなずいた。むっつり不機嫌な顔をしてみせてるけど、機嫌はふつうくらいに戻ったらしい。
     調子に乗って、ついでに髪の話をしたから触れたくなって、立ち上がって総士の頭にそっと顔を埋めた。やわらかい細い髪がさらさらとほおをかすめる。ちょこんと行儀のいいつむじがかわいい。いつもは滅多に見られないつむじだ。
     総士はされるがままで、突然抱きついた俺を、仕方なさそうに腕の中にちゃんと受けとめてくれる。うれしくて、胸いっぱいに息を吸いこんだ。清潔なせっけんと、ほんのすこし汗のにおい。それに、胸がざわつくような、締めつけられるような、どうしようもなく安心するような、総士のにおいがする。
     頭の奥までじんと染み込む好きなにおいに、ほうっと力が抜ける。ここに端末を持ち込むほど研究が切羽詰まっているらしい総士に、力を抜かせたくていろいろと構ったけど、これじゃあどっちの休憩かわからないな。
    「……一騎のにおいだ」
     同じタイミングで総士がつぶやいて、エプロンの胸元に埋まった白いほおが、遠慮がちにすり、とこすりつけられる。腰の後ろで組んだ両手を、総士がきゅうっと握るのを感じる。
     抱きしめてくれたっていいのに。
     そうやって俺に触れないまま、ひとりでなんとかしてしまうくらいなら、抱きしめてくれたほうが、ずっといい。そうでなくても、総士が抱きしめてくれるなら、俺はいつだってうれしい。
     だけど、総士がそうできないことも、よくわかっている。
     胸がつまった。
     こいつの、こんな不器用さに、だれも、気がつかなければいいのに。
     俺がその不器用さを言葉にするたび、総士はいつも納得がいってないような顔でむっとするけど、べつにからかっているつもりも、治してほしいと思っているわけでもない。むしろ逆だ。総士がずっと、不器用なままならいいのに。このまま気がつかず、こんなふうな、無防備ないとしさを、俺にだけ見せてくれればいい。
     本気で叶うとは思っていないけど、願うだけならタダだ。
     だから、俺はずっと願っている。
     総士がこんなにかわいいことが、どうか誰にもバレませんように。




    「そろそろ行く」
    「ああ。気をつけてな」
     休憩中なのをいいことに、一騎先輩は総士先輩を扉の外まで見送りに行った。ランチの忙しい時間にはとてもこんなことできないし、総士先輩はたいていランチが終わる前には地下へ戻ってしまうから、さびしいのを我慢して毎日頑張っている一騎先輩に免じて、滅多にないこんな機会には目をつぶって許してあげる。……とは、遠見先輩の談だ。
    「……今日もすごかったですね」
    「うん。皆城くん、人目を気にしてたのは最初のうちだけだったもんね。すぐ一騎くんにほだされちゃって」
     ちょっとひんやりした声で、ぐったりテーブル席に座り込んだ遠見先輩がため息をつく。
     わりとそんなことをしている暇のないランチタイムにもなにかとやらかしてくれるふたりなのに、今日は他にお客さんがいなかったからか、いつにもましてひどかった。
     一騎先輩が変な声をあげたときには、動揺してグラスを落としてしまったくらいだ。遠見先輩の押し留めるような目がなければ、あまりのことに途中で叫びだしてしまっていたかもしれない。
     なにより信じられないのは、あんな会話と接触を繰り広げ、あんな空気を作り出しておいて、お互いにただの「親友」「幼なじみ」だと思っている、らしいことだ。
     毎日のことなのでもう慣れてしまったが、慣れてしまったのがそれはそれでむなしい……と、遠見先輩とひそひそと話していると、ドアベルがカランと鳴って一騎先輩が戻ってきた。ただの見送りにしては、やたらと時間がかかったような気がすることには、やはり見て見ぬふりをする。
    「なあ、暉」
    「はっ、はい?」
     ついさっき別れたばかりなのに、一騎先輩は窓越しに総士先輩が戻っていった道をぼーっと眺めている。と思えば、いきなり話しかけられて、心臓が跳ねた。
     さっきの今だ、一体何の話だろう、と身構えて、
    「総士がかわいいのが、誰かに知られたらどうしよう……」
    「……はあ?」
     がくっと身体の力が抜けた。
     しらねーよ、とおよそ先輩に対するものとは思えない口調が口をつきかけて、ぐっとこらえる。こらえきれなかった切れ端が口から漏れた音を、相づちだと解釈したのか、いや、俺の返事なんてどうでもいいのかもしれない、一騎先輩は窓の外をみつめたまま、ぎゅっと顔をしかめる。
    「あいつが、かっこいいだけじゃなくて、不器用でかわいいやつだって、誰かに知られたら……どうしよう」
     いかにも、心配で心配でたまりません、みたいな顔だ。いつも明るくおだやかな声も、不安そうに切羽詰まっている。
     思わず、助けを求めるように遠見先輩を振り返った。目を逸らされる。そんな。俺ひとりじゃ、こんなの、無理ですよ、先輩。
    「……独占欲も大概にしてくださいよ」
     疲労感についつい本音が漏れた。はっと一騎先輩を見れば、思いがけずきょとんとした目にぶつかる。どくせんよく、とどう書くかもわかっていなさそうな声がつぶやく。
     そうだった。このひとたち、この歳になっても、まだこうなんだった。だからこそ周りの俺たちが、なぜか振り回されてぐったりしているんだった。そういえば。
     安心したような、やっぱりむなしいような気持ちになってため息をついていると、ぽかんとしていた一騎先輩は、ちょっと考えるような顔つきになって、そして突然、なんと、みるみるうちに真っ赤になった。
    「……えっ?」
    「え?」
     どうやら俺は、また余計な一言を言ってしまったらしい。
     視界の隅で、遠見先輩の苦笑いだけがきらきらと輝いているように見えた。
    ま子 Link Message Mute
    2018/07/11 23:08:37

    ひみつのビオラ(総一)

    衆人環境(真矢ちゃんと暉)の喫茶楽園でいちゃつく総一、一騎が総士にメロメロのメロ(まだつきあってません)

    #総一 #腐向け

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    • ラブレターフロム(一総)遠隔でいちゃつく一総を見守る剣司先生

      #腐向け #一総
      ま子
    • きみのてざわり(一総)総士の髪が好きでたまらない一騎と、そんな一騎がとても大切な総士。HAE〜EXO前のどこか。pixivに上げていたものをテストとして投稿してみます。
      小説機能の開発も予定されているとのことで、とても楽しみにしています。

      #蒼穹のファフナー #腐向け #一総

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       正式に喫茶楽園の調理師という職を得て、一騎はノートにレシピを書き留めるようになった。
       自宅では母親の残したレシピ本を愛用していたようで、たまに簡単なふせんやメモを書いたり貼ったりしていることは知っていた。それでも一騎はあまりまめな質ではないから、逐一メモを取って割合や工程を工夫するよりも「なんとなく」でうまくやってしまうことのほうが多かったし、レシピ本そのものも長じるにつれて内容を覚えきってしまい、登場の機会は減っていったらしい。一度見せてもらったレシピ本のメモは、どれも少し昔の武骨な少年の字で書かれていた。
       それが、今まで習慣で行っていた調理というものを仕事としてこなすようになって、一騎なりに責任感というか、仕事としての義務感をおぼえたようだ。職場で出すランチのカレーや簡単なデザートのレシピをノートにまとめるようになった。「俺はだいたいなんとなくでいつも同じ味になるけど、店としてそれじゃだめだろ」と困ったように笑った顔が記憶に新しい。
       総士が楽園を訪れるたび嬉々として店員とは思えない頻度で構い出すので、こいつには今仕事中だという自覚があるのか、そもそもなぜ他の誰も咎めないんだ、と内心呆れていたが、後輩の暉がバイトとして入るようになって、少しは労働と向き合う気になったらしい。はじめてみれば案外楽しかったようで、最近では今あるメニューをまとめるだけではなく、試作と称して新しいメニューを総士に食べさせては、その表情にうんうん頷いて何かの文字列をノートに書き込む回数も増えた。ノートを開く姿も、喫茶店での仕事中だけではなく、自宅や今日のように訪れた総士の部屋でも見ることが多くなった。店外に持ち出すならパッドにしたほうが効率的じゃないか、とも勧めたが、性に合わないからと断られてしまった。
       今日も総士がシャワーを使う間にどうも手持無沙汰になったらしく、ぼんやりとデスクでノートを開いて何事かを書き込んでいる。なるべく早く済ませたつもりだったが、なにせ腰まで伸びた髪を濡らして洗うだけでも手間がかかる。一騎のように鴉の行水とはいかない。
       上がったぞと声をかけてベッドでドライヤーをかけながら、なんとなく頬杖をついた一騎の左手を見ていた。
       一騎の、数年前と比べて確実に細く白くなった指を見るたび、否応なくその根元に残る五本の痕が目に入る。色素が薄くなった肌に余計に濃く映るそれを見つめるたび、いつだって総士の胸は、痛みのような甘い感情で締めつけられる。恐怖と、そして歓び。
       呪いのように残るその痕は、同化現象が今も一騎の命を蝕んでいる証に他ならない。しかし同時に、一騎が総士の隣にあることを選び続けてきた証でもあるのだ。
       その痕が一騎の指に纏わりつく前の、ファフナーに乗る前の一騎の健康的に日に焼けた肌の色を、総士はもうぼんやりとしか思い出せなくなっている。もっともその頃は、お互い相手を真正面に捉えられないくせにその背中や横顔を見つめてばかりで、こんなふうに近い距離でその指を見つめることなどできなかった。
       ドライヤーを仕舞って声をかけようとした総士の目に、自らの髪に絡む一騎の指が映った。
       肩口まで伸びたつややかな黒髪に、線の細くなった白い指が絡んでいる。
       耳のあたりの一房を取って、細い指にくるくると巻きつけては解き、巻きつけては解きをゆるりと繰り返している、無意識だろうその動きを見ているうちに、蘇る記憶があった。



       もうずいぶん前。まだこの左目に傷を与えられる前。まだ総士がどこにもいなかった頃。
       父の勤務の都合で、一週間ほど真壁家にお世話になったことがある。
       総士はその頃ちょうど、人よりかなり早くメモリージングが解放されたばかりだった。竜宮島と島のコアのために生きろという父の言葉もまだよく噛み砕けず、行き場のない孤独と空虚に襲われて、自分がここにあってはいけないのだと、どこにもいないのだという恐怖に、塞ぎこみがちになっていた頃だった。
       人前で繕ってはいたものの、一騎はそんな総士の様子にうっすらと気づいて不安に思っていたのか、総士と長く一緒にいられることにいたく喜んだ。帰る家も同じだというのに、どこへ行くにもおおはしゃぎでくっついてまわった。
       二人で真壁家に帰宅してからも、母さんのレシピなんだと持ち出した件のレシピ本を参考にはりきって夕食を作り、食事中も珍しく史彦に静かにしなさいと窘められるまで総士に話しかけることをやめなかった。
       入浴も二人で済ませ、頑として一騎が譲らなかったので、二人一緒に一騎の布団で眠った。それでもまだ一騎は興奮していたようで、ぽつぽつと話しかける声は止まなかったが、総士がほとんど初めて感じる他人の体温の心地よさにうとうとと舟をこぎはじめると、ようやく安心したように、一日止まなかったマシンガントークを落ち着けたのだった。
       自宅とは違う、畳の上に敷いた布団の感触。いつもと違う石鹸の香り。すぐそばで感じる、この世で最も信頼する相手のゆっくりとした心臓の音。自分よりも少し高い体温。遠慮がちにそうっと総士の手を握ってくる、やわらかい手のひら。パジャマのズボンから伸びた裸足の足がすべすべと絡みあう気持ちよさ。
       物心ついた頃から一人で眠る習慣のあった総士には、それらすべてがはじめてのもので、そしてなぜ今まで知らなかったんだろうと悔やむほど安心感を与えてくれるものだった。
       「総士」と一騎がおずおずとささやいたのは、そのときだった。
      「総士、あのな、髪の毛、さわってていいか?」
       総士は寝つきの良いほうではなかったが、その日はもう半分夢の中で、一騎の言っていることもきちんと理解しているわけではなかった。
      「うん、いいよ」
       なにをねだられているのか理解はしていなかったが、大好きな一騎の言うことだから、なんでも許してやりたかった。
       夢うつつにそう返事をすると、あたたかい一騎の指がそっと髪に絡むのを感じた。他の男子よりも長く伸びた髪に絡んだ指は、遊ぶように、指通りを楽しむように、くるくると巻きつけては解き、巻きつけては解きを繰り返した。
       不思議と煩わしさはなく、どころかやさしく髪をひっぱられるその感触にとてつもない安心感をおぼえて、あっという間に総士は深い眠りへと落ちていった。
       次の日も、その次の日も同じように一騎にねだられ、四日を数える頃になると、もう一騎はなにも言わないでも布団に入るなり総士の髪にそっと指を絡め、総士も髪を触られる感覚にうっとりと目をつぶった。その頃には、一騎が触れてくれる感覚が自らに安心感を与えてくれるのだと、ここにいると感じさせてくれるのだと、総士にはもうわかっていた。
       そんなことだから、父の多忙が落ち着き自宅に帰ってからも、それからしばらくは一人のベッドではなかなか寝つけなかったのだ。



      「総士?」
       髪に絡めた指はそのままに、ベッドに腰かけたまま自分を見つめる総士を、一騎が不思議そうに呼んだ。
      「それ」
       きょとんとした顔が、総士の目線の先にある自らの指に気づいて、ばつが悪そうな、照れたような色に染まる。髪を解いて、誤魔化すように手櫛でぐしゃぐしゃと梳く。
      「なんか、癖なんだよ。子どもっぽいけど」
      「お前、昔、僕の髪でも同じことをしていたな」
      「そうだっけ?」
      「同じ布団で寝るとき、僕の髪を指にくるくる巻きつけながら寝ていただろう」
      「よく覚えてるな」
       向かっていたノートを閉じてベッドに上がるあたたかい身体を正面から抱き留める。胡坐をかいた膝の上に腰かけしばらくもぞもぞと動いていたが、収まりの良い場所を見つけたのか、腰を落ち着けた一騎が総士の肩に顔を埋めて満足げにため息をついた。深呼吸をして、うっとり蕩けた声がいいにおい、と呟く。
      「お前くらい髪が長いのって、他に周りにいなかっただろ。俺も父さんも短いし」
       痕の残る一騎の指がやさしく総士の髪を梳いて、ゆるく癖のある毛先をくるくると指に巻きつける。
      「だから、そうやって髪を触ってると、総士がここにいてくれるんだって、すごく安心した」
       あとは……総士の髪、気持ちよかったし。今も気持ちいいけど。
       総士の肩に懐きながら、一騎は機嫌よく髪をいじっている。同じ仕草でも、昔からは考えられない体勢と距離感だ。子どもの頃には知らなかったお互いの温度と感触まで手に入れて、同じ布団に入ることも、同じにおいを纏うことも、子どもの頃とは違う意味を持つのだと知った。そうして今は、手に入れたあたたかさが、ここにいるのだと教えてくれる。
      「だから癖になったのかな」
      「人のせいにするな」
      「総士が構ってくれないと、寂しくてやっちゃうのかも」
       だったらお前、しょっちゅうそれをやってることになるぞ。そう言いかけて、案外自分も一騎に構いきりなことに気づいてしまった。なにせ給事中の遠見になんとも言えない目でじとっと見つめられるくらいだ。これでは一騎のことを言っていられない。
       シャワーの間放っておかれた一騎は身体を持て余していたようで、むずむずと擦り寄りながら、顔中にキスを落としてくる。額、頬、鼻、くちびる、そして左のまぶた。乾いたやわらかいくちびるが皮膚を食む感触を味わっていると、しなやかな黒髪が頬や首筋を撫でて、くすぐったさに身がすくんだ。
      「伸びたな」
      「そうかな」
      「切らないのか」
      「うーん……うん」
      「伸ばしているのか。どういう心境の変化だ」
      「なんとなく」
       そっと髪を耳にかけて、さも今は総士の首筋にキスをするのに夢中です、といった顔をする。
       一騎は、髪が伸びた。
       同化現象の影響で色が白くなったし、なんとなく面差しもやさしくなった。体つきもそうしっかりしたほうではなかったが、同年代が大人の身体に変わっていく中で、今もどこか華奢でたおやかでさえある。本人は頑なに認めようとしないが、格段に体力は落ちたし、体調も崩しやすくなった。
       そして、昔は決してしなかった表情を見せるようになった。総士を丸め込んで、隠しごとをするのが上手になった。
       一騎の指に残る十本の呪いの輪。
       かつて一騎は、変わってゆくことが怖いと言った。
       自分が自分でなくなってしまうことが怖いと、そう言った一騎の声色や表情を総士は知らない。しかし、そんな一騎が変わることを受け入れてまで、総士の隣にいることを選んでくれたからこそ、総士は今ここにいる。
       ここにいるから、ここで共に生きているから、変わってゆく一騎の今を目に焼きつけたいと思う。変化の理由を思うたび痛みを感じても、それすら総士には幸福だ。
       だけれど、記憶に焼きついた幼い日の一騎から変わらないでいてくれる部分があることも、総士にとっては同じくらい胸を刺す幸福だった。



       お返しと言わんばかりに一騎を組み敷いて、顔中へ熱心にキスを落とした。結わえていない髪が一騎の首元をさらさらと流れて、くすぐっそうな吐息がくちびるを温める。額の生え際で深呼吸すれば、総士の先にシャワーを使った一騎からは同じシャンプーのにおいがするはずだが、心臓をやさしく撫でられるような、締めつけられるような愛しいにおいでいっぱいになる。何度感じても不思議だ。
       このまま素肌を合わせるところまで進んでいいだろうかと思いつつ、くちびるで感じる熱にうっとりしていると、つんと前髪をひっぱられて目を開く。
      「お前も、前髪、ずいぶん伸びたな。切ってやろうか」
      「いや……」
       特に髪型に拘りがあるわけではないが、理由もなく伸ばしているわけでもない。必要ないと言いかけて、見下ろした一騎の表情に口をつぐんだ。
       電灯に照らされて透きとおった一騎の飴色の目が、まぶしそうに総士を見上げている。
       何度も交わしたくちびるの温度にしっとりと濡れたまぶたが、穏やかにまばたきしながら総士の目をじっと見つめている。
       ふと、先程落とされたやさしいキスの感触が、熱が、まぶたによみがえった。
      「……そうだな、今度、近いうちに切ってくれ」
        この、溢れてしまいそうな感情が、伝わればいい、だけど、きっと伝わらなくても構わない。
       自ら言い出したくせに、きょとんとした瞳が不思議そうに瞬いた。
      「いいのか?」
      「お前が言ったんだろう」
       一騎が言うのなら、一騎が一緒なら、なにも怖くはない。揺るぎないものはずっとここにあって、そして知らなかった景色でさえ、やさしく総士を照らしてくれるから。
       だから僕も、変わることを受け入れよう。僕はここに、お前の隣にいるから。
      「髪、触っててもいいぞ」
      「髪だけ?」
       おかしそうに笑って服の下へ潜り込んでくる手のひらの心地よさに吐息を漏らしながら、どうか今はただ笑っていてくれるようにと、一騎の左目にくちびるを落とした。
      総士の髪が好きでたまらない一騎と、そんな一騎がとても大切な総士。HAE〜EXO前のどこか。pixivに上げていたものをテストとして投稿してみます。
      小説機能の開発も予定されているとのことで、とても楽しみにしています。

      #蒼穹のファフナー #腐向け #一総

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       正式に喫茶楽園の調理師という職を得て、一騎はノートにレシピを書き留めるようになった。
       自宅では母親の残したレシピ本を愛用していたようで、たまに簡単なふせんやメモを書いたり貼ったりしていることは知っていた。それでも一騎はあまりまめな質ではないから、逐一メモを取って割合や工程を工夫するよりも「なんとなく」でうまくやってしまうことのほうが多かったし、レシピ本そのものも長じるにつれて内容を覚えきってしまい、登場の機会は減っていったらしい。一度見せてもらったレシピ本のメモは、どれも少し昔の武骨な少年の字で書かれていた。
       それが、今まで習慣で行っていた調理というものを仕事としてこなすようになって、一騎なりに責任感というか、仕事としての義務感をおぼえたようだ。職場で出すランチのカレーや簡単なデザートのレシピをノートにまとめるようになった。「俺はだいたいなんとなくでいつも同じ味になるけど、店としてそれじゃだめだろ」と困ったように笑った顔が記憶に新しい。
       総士が楽園を訪れるたび嬉々として店員とは思えない頻度で構い出すので、こいつには今仕事中だという自覚があるのか、そもそもなぜ他の誰も咎めないんだ、と内心呆れていたが、後輩の暉がバイトとして入るようになって、少しは労働と向き合う気になったらしい。はじめてみれば案外楽しかったようで、最近では今あるメニューをまとめるだけではなく、試作と称して新しいメニューを総士に食べさせては、その表情にうんうん頷いて何かの文字列をノートに書き込む回数も増えた。ノートを開く姿も、喫茶店での仕事中だけではなく、自宅や今日のように訪れた総士の部屋でも見ることが多くなった。店外に持ち出すならパッドにしたほうが効率的じゃないか、とも勧めたが、性に合わないからと断られてしまった。
       今日も総士がシャワーを使う間にどうも手持無沙汰になったらしく、ぼんやりとデスクでノートを開いて何事かを書き込んでいる。なるべく早く済ませたつもりだったが、なにせ腰まで伸びた髪を濡らして洗うだけでも手間がかかる。一騎のように鴉の行水とはいかない。
       上がったぞと声をかけてベッドでドライヤーをかけながら、なんとなく頬杖をついた一騎の左手を見ていた。
       一騎の、数年前と比べて確実に細く白くなった指を見るたび、否応なくその根元に残る五本の痕が目に入る。色素が薄くなった肌に余計に濃く映るそれを見つめるたび、いつだって総士の胸は、痛みのような甘い感情で締めつけられる。恐怖と、そして歓び。
       呪いのように残るその痕は、同化現象が今も一騎の命を蝕んでいる証に他ならない。しかし同時に、一騎が総士の隣にあることを選び続けてきた証でもあるのだ。
       その痕が一騎の指に纏わりつく前の、ファフナーに乗る前の一騎の健康的に日に焼けた肌の色を、総士はもうぼんやりとしか思い出せなくなっている。もっともその頃は、お互い相手を真正面に捉えられないくせにその背中や横顔を見つめてばかりで、こんなふうに近い距離でその指を見つめることなどできなかった。
       ドライヤーを仕舞って声をかけようとした総士の目に、自らの髪に絡む一騎の指が映った。
       肩口まで伸びたつややかな黒髪に、線の細くなった白い指が絡んでいる。
       耳のあたりの一房を取って、細い指にくるくると巻きつけては解き、巻きつけては解きをゆるりと繰り返している、無意識だろうその動きを見ているうちに、蘇る記憶があった。



       もうずいぶん前。まだこの左目に傷を与えられる前。まだ総士がどこにもいなかった頃。
       父の勤務の都合で、一週間ほど真壁家にお世話になったことがある。
       総士はその頃ちょうど、人よりかなり早くメモリージングが解放されたばかりだった。竜宮島と島のコアのために生きろという父の言葉もまだよく噛み砕けず、行き場のない孤独と空虚に襲われて、自分がここにあってはいけないのだと、どこにもいないのだという恐怖に、塞ぎこみがちになっていた頃だった。
       人前で繕ってはいたものの、一騎はそんな総士の様子にうっすらと気づいて不安に思っていたのか、総士と長く一緒にいられることにいたく喜んだ。帰る家も同じだというのに、どこへ行くにもおおはしゃぎでくっついてまわった。
       二人で真壁家に帰宅してからも、母さんのレシピなんだと持ち出した件のレシピ本を参考にはりきって夕食を作り、食事中も珍しく史彦に静かにしなさいと窘められるまで総士に話しかけることをやめなかった。
       入浴も二人で済ませ、頑として一騎が譲らなかったので、二人一緒に一騎の布団で眠った。それでもまだ一騎は興奮していたようで、ぽつぽつと話しかける声は止まなかったが、総士がほとんど初めて感じる他人の体温の心地よさにうとうとと舟をこぎはじめると、ようやく安心したように、一日止まなかったマシンガントークを落ち着けたのだった。
       自宅とは違う、畳の上に敷いた布団の感触。いつもと違う石鹸の香り。すぐそばで感じる、この世で最も信頼する相手のゆっくりとした心臓の音。自分よりも少し高い体温。遠慮がちにそうっと総士の手を握ってくる、やわらかい手のひら。パジャマのズボンから伸びた裸足の足がすべすべと絡みあう気持ちよさ。
       物心ついた頃から一人で眠る習慣のあった総士には、それらすべてがはじめてのもので、そしてなぜ今まで知らなかったんだろうと悔やむほど安心感を与えてくれるものだった。
       「総士」と一騎がおずおずとささやいたのは、そのときだった。
      「総士、あのな、髪の毛、さわってていいか?」
       総士は寝つきの良いほうではなかったが、その日はもう半分夢の中で、一騎の言っていることもきちんと理解しているわけではなかった。
      「うん、いいよ」
       なにをねだられているのか理解はしていなかったが、大好きな一騎の言うことだから、なんでも許してやりたかった。
       夢うつつにそう返事をすると、あたたかい一騎の指がそっと髪に絡むのを感じた。他の男子よりも長く伸びた髪に絡んだ指は、遊ぶように、指通りを楽しむように、くるくると巻きつけては解き、巻きつけては解きを繰り返した。
       不思議と煩わしさはなく、どころかやさしく髪をひっぱられるその感触にとてつもない安心感をおぼえて、あっという間に総士は深い眠りへと落ちていった。
       次の日も、その次の日も同じように一騎にねだられ、四日を数える頃になると、もう一騎はなにも言わないでも布団に入るなり総士の髪にそっと指を絡め、総士も髪を触られる感覚にうっとりと目をつぶった。その頃には、一騎が触れてくれる感覚が自らに安心感を与えてくれるのだと、ここにいると感じさせてくれるのだと、総士にはもうわかっていた。
       そんなことだから、父の多忙が落ち着き自宅に帰ってからも、それからしばらくは一人のベッドではなかなか寝つけなかったのだ。



      「総士?」
       髪に絡めた指はそのままに、ベッドに腰かけたまま自分を見つめる総士を、一騎が不思議そうに呼んだ。
      「それ」
       きょとんとした顔が、総士の目線の先にある自らの指に気づいて、ばつが悪そうな、照れたような色に染まる。髪を解いて、誤魔化すように手櫛でぐしゃぐしゃと梳く。
      「なんか、癖なんだよ。子どもっぽいけど」
      「お前、昔、僕の髪でも同じことをしていたな」
      「そうだっけ?」
      「同じ布団で寝るとき、僕の髪を指にくるくる巻きつけながら寝ていただろう」
      「よく覚えてるな」
       向かっていたノートを閉じてベッドに上がるあたたかい身体を正面から抱き留める。胡坐をかいた膝の上に腰かけしばらくもぞもぞと動いていたが、収まりの良い場所を見つけたのか、腰を落ち着けた一騎が総士の肩に顔を埋めて満足げにため息をついた。深呼吸をして、うっとり蕩けた声がいいにおい、と呟く。
      「お前くらい髪が長いのって、他に周りにいなかっただろ。俺も父さんも短いし」
       痕の残る一騎の指がやさしく総士の髪を梳いて、ゆるく癖のある毛先をくるくると指に巻きつける。
      「だから、そうやって髪を触ってると、総士がここにいてくれるんだって、すごく安心した」
       あとは……総士の髪、気持ちよかったし。今も気持ちいいけど。
       総士の肩に懐きながら、一騎は機嫌よく髪をいじっている。同じ仕草でも、昔からは考えられない体勢と距離感だ。子どもの頃には知らなかったお互いの温度と感触まで手に入れて、同じ布団に入ることも、同じにおいを纏うことも、子どもの頃とは違う意味を持つのだと知った。そうして今は、手に入れたあたたかさが、ここにいるのだと教えてくれる。
      「だから癖になったのかな」
      「人のせいにするな」
      「総士が構ってくれないと、寂しくてやっちゃうのかも」
       だったらお前、しょっちゅうそれをやってることになるぞ。そう言いかけて、案外自分も一騎に構いきりなことに気づいてしまった。なにせ給事中の遠見になんとも言えない目でじとっと見つめられるくらいだ。これでは一騎のことを言っていられない。
       シャワーの間放っておかれた一騎は身体を持て余していたようで、むずむずと擦り寄りながら、顔中にキスを落としてくる。額、頬、鼻、くちびる、そして左のまぶた。乾いたやわらかいくちびるが皮膚を食む感触を味わっていると、しなやかな黒髪が頬や首筋を撫でて、くすぐったさに身がすくんだ。
      「伸びたな」
      「そうかな」
      「切らないのか」
      「うーん……うん」
      「伸ばしているのか。どういう心境の変化だ」
      「なんとなく」
       そっと髪を耳にかけて、さも今は総士の首筋にキスをするのに夢中です、といった顔をする。
       一騎は、髪が伸びた。
       同化現象の影響で色が白くなったし、なんとなく面差しもやさしくなった。体つきもそうしっかりしたほうではなかったが、同年代が大人の身体に変わっていく中で、今もどこか華奢でたおやかでさえある。本人は頑なに認めようとしないが、格段に体力は落ちたし、体調も崩しやすくなった。
       そして、昔は決してしなかった表情を見せるようになった。総士を丸め込んで、隠しごとをするのが上手になった。
       一騎の指に残る十本の呪いの輪。
       かつて一騎は、変わってゆくことが怖いと言った。
       自分が自分でなくなってしまうことが怖いと、そう言った一騎の声色や表情を総士は知らない。しかし、そんな一騎が変わることを受け入れてまで、総士の隣にいることを選んでくれたからこそ、総士は今ここにいる。
       ここにいるから、ここで共に生きているから、変わってゆく一騎の今を目に焼きつけたいと思う。変化の理由を思うたび痛みを感じても、それすら総士には幸福だ。
       だけれど、記憶に焼きついた幼い日の一騎から変わらないでいてくれる部分があることも、総士にとっては同じくらい胸を刺す幸福だった。



       お返しと言わんばかりに一騎を組み敷いて、顔中へ熱心にキスを落とした。結わえていない髪が一騎の首元をさらさらと流れて、くすぐっそうな吐息がくちびるを温める。額の生え際で深呼吸すれば、総士の先にシャワーを使った一騎からは同じシャンプーのにおいがするはずだが、心臓をやさしく撫でられるような、締めつけられるような愛しいにおいでいっぱいになる。何度感じても不思議だ。
       このまま素肌を合わせるところまで進んでいいだろうかと思いつつ、くちびるで感じる熱にうっとりしていると、つんと前髪をひっぱられて目を開く。
      「お前も、前髪、ずいぶん伸びたな。切ってやろうか」
      「いや……」
       特に髪型に拘りがあるわけではないが、理由もなく伸ばしているわけでもない。必要ないと言いかけて、見下ろした一騎の表情に口をつぐんだ。
       電灯に照らされて透きとおった一騎の飴色の目が、まぶしそうに総士を見上げている。
       何度も交わしたくちびるの温度にしっとりと濡れたまぶたが、穏やかにまばたきしながら総士の目をじっと見つめている。
       ふと、先程落とされたやさしいキスの感触が、熱が、まぶたによみがえった。
      「……そうだな、今度、近いうちに切ってくれ」
        この、溢れてしまいそうな感情が、伝わればいい、だけど、きっと伝わらなくても構わない。
       自ら言い出したくせに、きょとんとした瞳が不思議そうに瞬いた。
      「いいのか?」
      「お前が言ったんだろう」
       一騎が言うのなら、一騎が一緒なら、なにも怖くはない。揺るぎないものはずっとここにあって、そして知らなかった景色でさえ、やさしく総士を照らしてくれるから。
       だから僕も、変わることを受け入れよう。僕はここに、お前の隣にいるから。
      「髪、触っててもいいぞ」
      「髪だけ?」
       おかしそうに笑って服の下へ潜り込んでくる手のひらの心地よさに吐息を漏らしながら、どうか今はただ笑っていてくれるようにと、一騎の左目にくちびるを落とした。
      ま子
    • アイドルパラレル②例によって一総とも総一とも決めてません。
      公録で今日は一騎髪上げてる〜〜かわいい〜〜!!となったオタクが翌朝のワイドショーで報道された記者会見での総士の髪型に卒倒するし、翌月発売された雑誌の一騎のスナップに映り込んだ髪飾りが総士のものとお揃いであることに気づき、時間差で卒倒する。

      #蒼穹のファフナー #一総 #総一
      ま子
    • アイドルパラレル二人組のアイドルユニットをやっている一騎と総士の、起伏のない短いやつです。ふたりの嫉妬について。一総でも総一でも読める感じです(どちらとも決めていません)

      #腐向け  #一総  #総一
      ま子
    • よりそうパルス(総一)できてない18歳の夏、流し素麺大会と総士の左目の話。HAE後に総士と性的関係を持たなかった一騎はどこまで鬱屈するか総一。おなじものをぴくぶらにも流しています。

      #蒼穹のファフナー #腐向け #総一
      ま子
    • アイドルパラレル3アイドル時空のふたりも9歳のころに一騎が総士の左目を傷つけた一件で疎遠になっており、そんな状態なのに14歳でユニットデビューすることが決まってしまった、という設定のうえのぎすぎす期の話

      #蒼穹のファフナー #一総 #総一
      ま子
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