暴れる朱と碧①
休日、昼下がりのベルリン。
技術博物館は家族連れや観光客が多く静かながらも賑わいを見せていた。中でも最近増設されたナノマシンの展示はかなりの注目を集め、地元の住民の客も沢山来ていた。
「おぉ〜」
小柄な少女が間の抜けた声を出しながらナノマシンの大群に持ち上げられる。3m程の高さでピタリと止まった瞬間、ナノマシンの塔が崩れる。ナノマシンは瞬時に形を変え塔からトランポリンへと変わった。
「あはは」
少女は怖がることなくポヨン、と跳ねた。
「はい、次の人に交代してね」
端から見ると事故のように見えるが、ここではナノマシンの実演も展示の一つとなっておりアトラクションの如く人気を博している。少女はその展示を観賞していたのであった。
先程ナノマシンに乗っていた少女、鬼追百子は全ての展示を観終え、博物館内にあるカフェでコーヒーを飲んでいた。
これを飲んだらまっすぐ帰ろう。そう思っていた矢先―――。
地震が起きたのかと思う程の震動とともに轟音が鳴り響く。思わずカップを持った手を離してしまい衣服が茶色に染まった。
「うわ、最悪……ん?」
衣服をすぐさまハンカチで押さえながら落ちたカップを手に取ろうと視線を床に落す。見覚えのある小さな物体が視界に入った。実演に使われているナノマシンだ。それも1つや2つではなく無数に散らばっている。
(なんでこんな所に?)
疑問に囚われている内にナノマシン達はテレビへと向かい、砲台へと姿を変え、壁を撃った。客達の悲鳴が響く。
『動くな』
次に機械的な声が耳に入る。テレビ画面から少女の形を模した機械がぬるり、と現われた。
「げっ」
その風貌に百子は見覚えがあった。
――テロ組織、電脳超越教団「Electronic Transcendence」。物質を電脳空間に転送させる技術、通称電脳化を使って電脳空間に楽園を創造することを目的とした教団。優秀な科学者や能力者などを拉致して電脳化による洗脳改造や非人道的実験、各国からの武装奪取など知られた悪行は筆舌に尽くしがたいものしか無い。
百子はすぐさまパーカーのフードを目深にかぶり、口元のほくろを隠した。奴らに顔を知られているからだ。
―今まではなんとかやり過ごせたけどこの状態ではまずい!気づかないでくれ!
『……。』
教団の一員が百子を見つめる。背筋に強張る感覚が走る。
「―あっ」
フードを乱暴に剥かれ、顔が露わになる。
『お前――』
「おらぁっ!!」
やけくそ気味に団員のこめかみにあたる部分へと近くにあった椅子をぶつけ、出入口を飛び出した。
『馬鹿、追いかけるんだ!』
客と団員達が呆気にとられる中、団員の一人がやっと叫ぶ。さっきまで砲台になっていたナノマシンは波を作り百子の後を追っていく。
波は走る百子との距離を段々と縮める。
(殺す気はなし、と…)
安心したけど安心できねえわ…と矛盾したことを思いながら百子は床に落ちた障害物を蹴りナノマシンの走行を邪魔しながら走る。
―途中ナノマシンが展示物を壊しながら進むが自分のせいではないと思いたい。あいつらが悪い、と多少の罪悪感を誤魔化しながら一か八かで逃げる為に屋上へと向かう。
が、屋上へ進む為の扉はナノマシンの大群によって塞がれていた。
「もう一つ!?あったの?!」
行き止まり。前も後ろもナノマシンの大群。
―これまでか?いや、まだ諦めたくない。何か方法はあるはず。
視界の片側に大きな窓が映っている。
(一か八か割って飛び出すか?)
窓の方に視線を向ける。
「――!」
こちらに向かってくる影。その影は百子には見覚えがあった。
「助かっ――」
百子の安堵の言葉は窓を突き破ってきた影に遮られた。
「…こんな所で何をしているんだ」
影の正体である魔法少女、彼誰夕陽が百子の首を掴みながらそう吐き捨てた。
②
博物館の外ではドイツの魔法少女部隊『シュバルツ・フリューゲル』が並んでいた。
「これで全員か?」
「はい」
隊長であり、ヘブンスハート・ナハトの資格者、クラレ・フォーゲルと隊員達が外にいた団員を蹴散らした。
「突入はまだですか」
隊員の一人である夕陽が教団の山の上から食い気味に話した。
「…まだ中にいる人達の状態がわかっていないだろう…ん?」
半ば呆れ気味に夕陽をたしなようとした所、クラレの視界に見覚えのある姿が入る。
「あれ、百子ちゃんじゃ?」
「そういえばあの子博物館行くって言ってたような…」
隊員達のぼやいたような会話。
「……あいつのデバイスを持ってきます」
「…そうしてくれ」
夕陽は苛つきながらも拠点へ戻って行った――。
「…よくここがわかりましたね」
夕陽の質問を無視して百子が話す。
「窓からお前が走っていくのが見えた」
そう言いながら紅く輝く宝石のような物を百子に向かってポイ、と投げた。
二人を包み込むようにナノマシンの大群が襲う。大群はじわじわと小さくなる、はずだった。
大群の天辺からは刃物の先端、腹から赤い装甲に包まれた拳が突き出された。ナノマシンの大群は崩れ、クラレが装着するナハトにどことなく面影がある衣装にマチェットを持った夕陽と、巫女装束に似た衣装に紅白のポンチョを被った百子が現れた。
「あれ?もう動かない」
疑問に思った百子に夕陽がマチェットを突き出す。
「うわっ!?」
「お前は博物館で何を見たんだ」
刃先には他のナノマシンより一回り大きい機械が2つ突き刺さっていた。
「あー…これ壊せば動かなくなるんすね」
呑気な事を言っている間にまた新しい大群が二人の元へ向かってきた。
百子が大群へと向う。ナノマシンは自ら向かってくる獲物に警戒せずに包もうとしてきた。が、包む前に崩れ落ちた。
「お、当たり」
百子が自身の身の丈程ある盾に潰されたナノマシンの核を確認する。
当てずっぽうで潰したのか…と夕陽が呆れている後ろを大群が覗く。
大群は隙を見て伺おうとする。が、獲物は顔をこちらへ動かすことなく武器を切り替え、銃を撃った。
崩れ落ちる音。矢継ぎ早に新しい大群が巨大な針を形成して夕陽の顔へと飛び込む。
首を傾けて攻撃を避けるが、左頬に小さな切り傷ができた。夕陽はそんな事知るかと言わんばかりに銃口を核に当て引き金を引く。
もう一つの大群が地面を這い、夕陽の後ろへ周り込み針を形成しようとしたが、針になるはずだった物は小柄な両手に掴まれ崩れた。
「さっきまで追っかけてた癖にそれはないんじゃない?」
百子が崩れた跡の隙間から核を突いた。
『引き上げるぞ』
『…宜しいのですか?』
『ナノマシンの実物がなくても情報があればこっちの物だ。奴らを倒す機会はまたある。』
『了解。』
生き残っている団員達は一斉に電子の世界へと消えていった――。
「…やっぱ始末書っすか?」
「そうだね」
ひきつり笑いで質問する百子に上官の一人であるゾフィがきっぱりと答えた。
「それ以外に何があるんだ」
「クラレも言ってるけど君はもっと反省の色を見せてほしいな?」
「悪いのはあいつらです」
「清々しいなあ」
淡々と口答えする夕陽の頭に始末書をポン、と置く。
「いや、隣は置いといてあたし今日お休みだったじゃないですか」
「おい」
百子の便乗した口答えに夕陽が睨んだ。
「でも変身しちゃったしねえ。出動扱いになるよ」
「うそぉん…」
「というわけで、よろしくね」
2人の言い訳は虚しくも聞き流され、始末書を書くことになったのであった―――。