牙も花もお前のものだ(りゅさい) 花を慈しむ手で、銃を握る。後方支援に徹する北原や萩原と違い、室生は前に出る。前衛が圧しているうちは支援に徹するが、それにほつれが出来ると迷いもせずに走り出すのだ。人型の侵蝕者を相手にした時の、身を深く沈め、這うように駆けて相手の懐に飛び込み、押し付けた銃の引き金を迷いなく引く一連の動きはまるで獣じみていて、それを見るたびに芥川は息の根が止まりそうな心地を味わっていた。あまりにも、不安を覚えずにはいられないほど、室生は迷わない。弓が壊れる限界まで、引き絞られた末に放たれた矢のようだ。
「あまり前に出ると、足元を掬われてしまうよ。犀星」
霧散していく侵蝕者を見詰めながら、手にした刃を軽く振り払って苦言を呈す芥川の隣に立った室生は、銃を仕舞いながら首を竦めた。
「転んだら後は頼む」
「健脚の君が転ぶのなら、きっと僕だって地面の近くにいるだろうけど」
「そこは任されたって言っとけよ」
ぱん、と小気味の良い音を立てて背中を叩かれる。見下ろした室生の顔は、中庭で土を弄っている時と同じ、穏やかで、少しの緊張が滲んだ顔をしていた。激情のひとかけらも残っていないその表情に、呼吸がしやすくなって、その代わりに物足りなさを自覚する。物足りない、だなんて。
進んだ道は行き止まりだった。一旦撤収する、と告げる筆頭の声に物足りなさは落胆へと変わった。
目の粗い麦わら帽子をかぶって、ざっくりと編まれた手袋と、大ぶりな籠を抱えて草むしりをしている室生の後ろ、建物の日陰になる位置で芥川は銜えた煙草に火をつけた。図書館業務の最中ではあったが、夏日を思わせるような蒸し暑さに来館者数は目減りするばかりで、きりの良いところで抜け出してしまった。自分一人居なくとも、煙草を吸う合間ならば十分に業務は回るだろう。照りつける日差しの眩しさに目を細めていると、引き抜いた雑草を籠の中に入れた室生が振り返った。麦わら帽子の影になって目元が隠れているが、鼻先から下はよく見える。頬を伝ってあご先へ滴る、幾つもの汗を見送ってから、挨拶代わりに芥川は利き手をひらつかせた。
「こんな暑い中、わざわざ外で一服するやつがあるか」
倒れても知らんぞ、と手袋の甲で汗をぬぐって声を張る室生こそ、暑さに参ってしまわぬのが不思議なくらいだ。日差しの眩しさも、照りつける暑さも、それを糧とするようにしゃんと伸びた背中の美しさを、ただただ、鑑賞するように眺めている芥川がすっかり参ってしまっていると思ったのだろう。室生はなんとも形容しがたいしかめっ面になると、手袋を外して籠の上に放ると、からころと下駄を鳴らして居なくなったと思ったら、すぐに戻ってきた。右手には濡れて水の滴る、口の細い硝子瓶が握られている。
「なんだい、それ」
「麦茶だ。どうせ水分もとらずに煙草ばかりばかすか吸っているんだろう」
密閉式の蓋を開くと、麦の香ばしい匂いがした。差し出された瓶はひやりと冷たく、聞いてみれば朝から水の中に沈めて冷やしていたらしい。銜えていた煙草を丁寧に消してから、瓶を傾けて麦茶を飲む。よく冷えていて、飲みこむと喉から腹の中まで、すっと涼しくなった。一口で返すつもりが、麦茶を飲む芥川を室生がじっと見詰めてくるので、もう二口ほど飲んでから瓶を返す。もういいのか、と眉を釣り上げる室生に頷くと、喉が渇いていたのだろう、瓶に口をつけた室生は一息に半分ほど麦茶を飲んで、息を吐き出した。
「君の方がずっと喉が渇いていたんだろうに」
「いいんだよ。おまえより俺の方が暑さに強い」
「それはそうだけど」
ちゃぷちゃぷと、残りの少なくなった麦茶が瓶の中で揺れる。雑草のなくなった場所と、まだ伸び放題に草の生えた場所を見比べて、草むしりが終わったら次は花の種を蒔こうかと思っているんだと、室生が笑った。草をむしり、土を耕して、種を蒔く。苗木を植えて、水をまき、剪定する。室生の手が慈しんだ中庭は、季節が移ろってもその美しさを損なわない。到底、潜書時と結びつかぬ凪いだ穏やかさに、また、物足りなさを覚えて芥川は麦茶の味が残る舌で乾いた唇を舐めた。新しく取り出した煙草を銜えながら、あれをして、これをして、と楽しげに語る室生に相槌を打ち、マッチで火種を移す。立ち上ったほろ苦い煙草の煙越しに室生を見遣り、物足りなさがいや増して、これでは飢えているのと変わりないと、銜えた白筒に歯を立てた。
怒りに身を焦がす室生は美しい。焼け付くようなまなこで見詰められ、花を慈しむ手で撃ち抜かれたら、それは一体、どんな心地なのだろう。
「碌でもないことを考えているだろう」
「怒るだろうから、言わないよ」
「賢明だな」