あそびのおさそい 東では大きな爆破事件。西では王朝の壊滅。なんとも世間は恐ろしい。そして東でも西でもない真ん中あたりで、ゆっくりご飯を食べているのが僕──
兎賀真幸である。
お饅頭も美味しいけれど、連日となると少しばかり、と昨日村の人に柔らかく伝えれば、今日はなんとおにぎりが出てきた。
中の具に思いを馳せながら、つやつやとした米粒のおにぎりを口に運ぶ。炊き立てのご飯で作ってもらったおにぎりは、熱くて湯気が立ち上っている。ゆっくりと歯を立てて、咀嚼する。米の優しい甘みが口内に広がって、とびきり幸せな気持ちになる。丁寧に巻いてある海苔はおにぎりからの湯気で元のぱりぱりとした食感こそないが、これはこれでまた良い。ぱくぱくぱく、と四つあったおにぎりを全て胃に落とし、ふう、と息をついた。
もう二十年もの間、ここにいて。今でこそ地主神として祀られているけれど、生憎僕は地主神ではないし、僕がここに留まっているのは──ただ利己的な目的を達成するだけ。たったそれだけの理由だった。
「もういいよ」
ちりん。
僕は外の村から売られてきた、忌み子と呼ばれる存在だった。金目と銀目で、舌先が蛇のように割れている。それに加えて背中の痣は狐火で燃えた跡、とかなんだとか言われたっけ。
「蛇との混血?」
「それよりも背中の痣は狐火の火傷跡らしいわ」
「狐火を呼び込む忌み子よ」
ひそひそ、こそこそ。
そう話すくらいなら、面と向かって言えばいいのに。じっと話し声の方を見ていると、それはだんだん遠くへ消えていった。
「ねぇ」
「……?」
「そう、君! 一緒に遊ばない? 僕は
榎本ナツキって言うんだけど、君の名前も教えてよ」
「真幸。でも君とは遊べないよ」
「……イミゴだから?」
「そう、君まで何か言われちゃうから、遊べない」
「僕は気にしないけど、君が気にするなら今日は止めにしようかな……。またね!」
「? うん、ばいばい」
榎本ナツキ。そう名乗った人間は、とても幸せそうに笑っていた。僕は忌み子だから、笑えばきっと気でも違えたと勘違いされるんだろう。
羨ましい、妬ましい。どう頑張っても、僕は幸せに笑える人間には辿り着けないから。僕に向かってにこ、と笑われても、僕はただ目を伏せることしかできないから。印象に残る眩しい笑顔が、大嫌いだった。
ただの僻みだと、解っていた。ナツキはこんな感情を僕に抱いたりしないだろう。一生、ずっと、羨んだままなのは僕しかいないのだ────畜生。
翌日。頭から水を被せられた僕は、うららかな春の日差しを全身で浴びていた。こうすれば少しは衣服が乾くかもしれない、という考えの元。
「真幸! 今日は一緒に遊べる?」
「忌み子はずっと忌み子だから遊べないよ」
「えっ」
「僕は大きくなっても、忌み子だから。だから、僕と一緒に遊ぼうなんて言わないで」
「今日遊ぶ気満々でいろいろ持って来ちゃった」
「……濡れるよ」
「ところでなんでそんなに濡れてるの?」
水をかけられたんだ、と話せば、ナツキは慌てて家に戻り、持ってきた布で僕の頭を拭いた。僕は驚いてただ漠然と、これ、使えなくなるな……なんて考えていた。
ナツキは翌日からも毎日僕に会いに来ては、一緒に遊ぼうと誘った。その度に僕は断り続け、もう顔を見るだけで遊べない、と口にするようになっていった。
「真幸遊ぼう、なーあ」
「無理」
「いつまで?」
「君が僕を誘わなくなるまで」
一生無理じゃん! と、秋の静かな空にナツキの声が消えていく。ナツキの声は大きいしうるさいけど、なんとなく心地が良かった。安心する声。両親の記憶なんて一つもないけれど、きっとこういう声をしているんだろう。
「そういえばさ、真幸って名字はなんて言うの」
「ない」
「家族と一緒のアレ……あ、ごめん、違くて、その」
「いいよ、気にしないで」
「……じゃあさ、兎に賀正の賀、で兎賀ってどう? 真幸何となく兎っぽいし、さ」
何でもいいよと肩をすくめれば、兎賀真幸、と呼ばれた。うん、なかなかにいいかもしれない。
それからはずっと誰の姓でもない兎賀を名乗って生きている。ナツキがくれた大切なものが、こうやってどんどん増えていく。持ちきれないくらい、溢れるくらい。君がくれた物は全部、僕にとって大切なものだから。
季節は冬になった。ナツキと出会ってから毎日、遊びの誘いは僕のところへやってきていた。今日までは。
ナツキが来ない日なんて、初めてだった。
最初は体調でも崩したんじゃないかと思った。でも村のみんなはグランツ──ナツキの愛称だった──の話をしているし、聞き耳をたてても風邪だとか、そんな話はしていなかった。
いつもはあんなにうるさいお昼前が、嫌に静かだった。そういうふうに感じるのも、全部全部ナツキのせいだ。元々僕は一人だったんだから、静かなのには慣れてるはずなのに──……ナツキが僕の思考を支配している、ナツキ、なんで来てくれないの、ねぇ。
ナツキなんて大嫌いだ。太陽みたいに眩しい笑顔でいつもうるさいし、遊ばないって言ってるのに毎日誘ってくるし、僕が捨て子の忌み子ってことも理解しないし、雨だと蛙連れて来るし、春先から当たり前のように川で水浴びをするし、秋になったらどんぐりを大量に渡してくるし、もうナツキなんて、ナツキなんて──。
それでも、知らない、なんて言えなかった。
もう生活の一部だった。ナツキが来ないだけで不安になる。なんだ、なんだ、僕はこんなにも弱かったっけ?
ほんとに全部君のせいだ。君がいるから、毎日話しかけに来るから、眩しい笑顔を向けてくるから! だから僕は、こんなにも弱くなった!
次の日も、その次の日も、ナツキは僕を誘いに来なかった。そのまま時が進み、雪が降ったある日のこと。
「……ナツキ?」
僕は寒さでおかしくなっていたんだろう。そこにいないはずのナツキを、見てしまった。ナツキはどんどん向こうに走っていく。
行かないで、待って。
霜柱が呻くのも気にせずに、僕はナツキが走っていった方向へ駆け出した。
「ナツキ!」
「ま、真幸……? こんなとこで何して、」
「遊ぼうナツキ、前みたいに誘ってくれよ、なぁ、ナツキ、お願いだから──」
後に続く言葉は白い息に混じって消えていったから、きっとナツキには聞こえていない。ずるずるとナツキに倒れ込んで、僕を支えきれなくなったナツキも雪に沈んでいく。
雪が僕とナツキ以外の音を消していく。聞こえるのは自分の上がった息と、ナツキの太陽みたいな笑い声だけだった。こっちはこんなに切羽詰まってるのに、ああもう、なんだか僕だけ焦って馬鹿みたいじゃないか。
春夏秋冬を沢山繰り返して、ナツキと出会ってからもう何回目かの春にさしかかっていた頃。丁寧にまとめられた荷物と一緒に、ナツキは僕を誘いに来た。
「真幸、これ」
「鈴? なんでまた」
「で、今からかくれんぼをします! 鬼は僕ね、十数えるよ。十、九……」
「問答無用じゃん」
「ぜろ。……ちょっと、ちゃんと隠れてよ。もう忌み子だからって遊ばないのはナシでしょ」
「はいはい」
「……隠れててよ、ちゃんと。僕が見つけるまでずっとだよ、真幸」
ナツキが村を出てから十数日後、村は狐火──火事に、見舞われた。僕とたまたま此方に来ていた隣村の長だけが生き残って、村は荒れてはいたが隣村の助けもあり、現在に至るというわけである。
ずっと狐火だと思っていた。本当に呼び込んだのだと思うと、苦しくて胃がひっくり返りそうな日もあった。殺すまでこの村に憎しみが募っていたのかとたくさん泣いた。自覚がないというのが酷く怖くて、自分に爪を立てては喘いだ。
火事の起こった夜、隣村の長はこの村の長と酒盛りをしていた。いつの間にか眠ってしまったそうだが、見知らぬ男に揺すり起こされたらしい。その男は「炎と真幸は関係がない」とだけ言ったそうだ。
それがナツキだという確証はないし、むしろナツキじゃないことを願っている。
全部僕のせいになってしまえばいいのだ。ナツキの太陽みたいな笑顔が、崩れて壊れてなくならないように。
ナツキが村を出て、もういくつになるのやら。さすがに期間が長すぎる。僕は一応、毎朝鈴を鳴らしてもういいよ、なんて呟いているけれど。
「ねぇ」
「……!」
「そう、君! 一緒に遊ばない? 僕、榎本ナツキ。君は?」
「兎賀、兎賀真幸。──ああ、みつかっちゃった」
「みーつけた。さ、次は何して遊ぶ? 遊べる物全部持ってきちゃった!」