擦り付け合い「いい天気だなぁ。こういう日は仕事をさぼりたくなるなぁ、李傕」
「私はそうは思いませんが」
「ん、そうか。じゃあさぼるのはやめておこう」
李傕はこっそり溜め息を吐く。この男――郭汜とはもう長い付き合いになるが、はっきりと心の中を読めた事は未だに無いような気がする。郭汜は自分の意見を言う時、よく周りの人間に同意を求めるような言動をする。大抵答えを出す役割に居るのが李傕であった。
「いいのですか。さぼりたいのでしょう貴方は」
「いんや。さぼったらさぼったで、面倒な事になりそうだ。お前の言う通りにするよ」
いつも、こうだ。
なんだかんだ言いつつも、郭汜は李傕の答えを尊重し己の意見をあっさりと曲げる。そのまま意見を通した事は、無いと思う。
それが李傕にしてみると気になる事であった。何も自分の言いなりにならなくても、と思ってはいるがなかなか言い出せずにいる。
「あー居た居た、李傕殿、郭汜殿!」
向こうから胡散臭い顔をした軍師・李儒が近づいて来た。二人は声がした方へ顔を向ける。
「董卓様からのご命令だよ。今すぐに出撃の用意を」
「ほらな、お前の言う通りさぼらなくて良かっただろう?」
郭汜がまた同意を求めて来たが、今度は無視した。
「あの朱儁が軍を起こしたそうだからさ、それを潰してきてほしいんだ。と、後もう一個」
「なんだ、随分働かせるなぁ」
「文句言わないでよ。これは僕からのお願いなんだけどさ。朱儁を倒したらそのまま進んで諸県を征服してきてほしいんだ」
李儒がなんて事のないようにあっさりと言ってきた。どことなく楽しそうだ。
「それは……まぁ簡単に言うと皆殺し?」
「そうそう。そろそろ周りの土地を整備しておこうかと思ってね」
「わかりやすくて結構。んじゃ、行こうぜ李傕」
郭汜が先行して準備の為に移動を始めた。その後を李傕が続く。その姿を李儒がご武運を~、と軽く手を振りながら見送った。
あえて感想を言うのであれば、つまらない戦であった。
朱儁の軍は苦戦する事も無く、あっさりと退き、次の任務も滞りなく終わりそうだ。
これはどちらか片方だけでも良かったのではないかと李傕はふと思ったが、今更言うのも無駄な事だ。こっそり思っておくだけに留めておく。
「李傕」
向こうで血溜まりを作っていた郭汜が何故か此方にやってきた。躯についた血はそのままである。
「なんですか。こちらの手伝いは特に要りませんが」
「そうじゃねぇよ。部下が面白いもんを見つけたから、ちょっと来てくれ」
こんな殺戮の場所に面白いものがあるとは到底思えないが、郭汜がもうこちらの有無も聞かずにさっさと歩きだしてしまったので大人しく付いていく事しか出来なかった。
郭汜が立ち止まり、何かを指差した。
指の先をゆっくりと辿る。その先には、戦場に似つかわしくない、小綺麗であっただろう女性。
「……あれは」
「部下によると、ありゃ前の帝の后だと。名前は……わかんねぇや」
「唐姫ですよ。少帝の関係者がまだ居るとは思いもしませんでしたが」
董卓が唱える理想の国の為に李儒に殺された前皇帝・劉弁。もう彼の関係者は居ないものだと思っていたのだが。
「皆殺し……とは聞いていたんだがなぁ。なんだか可哀想だなぁと思って。どうする李傕?」
――また、この男は。
十分身に染みてしまったこの展開に、李傕は無表情を貫く事が出来なかった。対する郭汜はむかつく笑みを浮かべている。
わざわざ、いや、わざと聞いてきているのだ。
ああ、むかつく。
「……知りませんよ」
李傕も負けじと笑みを浮かべる事にした。
少しは、困らせてみるもの悪くない。
「すべて貴方にお任せします。私は何も言いませんので」
李傕の思惑に気づいた郭汜は少し面食らった表情を見せた後、はは、と乾いた笑い声を出した。
そしてまた笑顔を浮かべると、兵士に捕らわれている唐姫の元にゆっくりと近づいていく。すぐ目の前にやってくると、唐姫は精一杯の憎悪の視線を郭汜の方へと向けた。
「姫さん、あんた、生きたい?」
何を考えているのだこの男は、と李傕は呆れながらも行く末を見守る事にした。
「この獣! 殺すならさっさとそうしなさい!!貴方達が殺してきた民達のように!」
唐姫は更に目を鋭くさせると、郭汜に向かって力強く言葉を吐いた。郭汜はその様を感心しつつも全く怖じける事なく、続ける。
「ちょっと待って。いやね、せっかくなら機会を与えてやろうかと思ってね。――あそこに居る野郎の妻になるんなら、助けてやろうかと思うんだが、どうだい?」
この提案を聞いた唐姫より、何より李傕が驚きを隠せなかった。
(突然何を言い出すのだ!?)
どう考えても自分への嫌がらせにしか思えない。これは提案を放棄した事に対しての、罰のつもりなのか。
「あ、もちろん俺でもかまわないんだけどね」
郭汜の声に李傕は思考から現実へと戻る。郭汜の表情からは、冗談か本気かは全く読みとる事が出来ない。
「だ、誰が獣の妻になどなるものですかっ! そうなるくらいなら今すぐ死にます!」
唐姫の憎しみが更に増したように思える。当たり前だ。誰が好き好んでこんな者の妻になりたいなどと。
「……そっか。残念だなぁ、李傕の女に良いかなぁと思ったんだけど」
「――私から願い下げですよ」
次の瞬間、女性の甲高い悲鳴と共に血飛沫が舞った。
「なんでよ。あの変な宗教の巫女さんより全然良いと思うけど?」
新しく付いた返り血の事を気にも止める事無く、郭汜は思った事を素直に口にした。
「失礼ですね。彼女達は神の為に日々その身を捧げているというのに」
いわゆる『邪教』を信仰している李傕。それを馬鹿にされた事に腹を立てる。そして郭汜の外套を掴むと。
「……結局、私が言わないと何も出来ないのですね、貴方は」
己の獲物に付いた血を、そのまま外套へと拭い付けた。
郭汜は無言だった。何かしら反応を示すかと思ったが、無反応過ぎて仕掛けた此方が何だか馬鹿らしく思える。
「反論もしないのですか」
つい、促してみた。
「……あ、すまん。血濡れのお前が綺麗で、つい見とれてた」
「そういう言葉は女性に言うべきでは?」
「もう女いねぇじゃん、お前のせいで」
「あぁ……それも、そうでした」
彼らの会話は、此処が戦場だとは感じさせないほど明るさに満ちていた。
完