キープアウト!! 〜危険度5「ん」
さぎりに呼ばれた気がして、彰人は病棟の給湯室から顔を出した。人影はなかったが、カルネモソミが肩越しに顔を覗かせた。
どうした、あきひと。
「あ、いや。ハギが来たかと思って」
いないようだな。そもそも彼女は別の場所で彰人を待っているという話だが。
「そうだけど。あいつ、こっちが寝ている間にも一度来ているからさ。脱走してるんじゃないかな」
「アッキー、プリンできたか」
鋼が顔を出した。彰人はあわてて冷蔵庫を開けた。中段にプリンが六個、こじんまりと並んでいる。
「できました」
「よし。じゃ、それ持って行こう。あっちまで結構歩くから、アッキーは車椅子で行くからな。俺が押すから。今、海照が車いす持ってくる」
「はい」
「昨日のおっさん、おもしろかったな。一生わすれないわ、俺」
「ですね」
昨日の来訪者には驚いた。朝の妖怪予報でおなじみの厳龍山伏が同行者を引き連れて現れ、彰人を認めるなり土下座したのだ。一般島民に多大な迷惑をかけて申し訳ないと何度も言いながら。
厳龍はテレビで見るやさしい雰囲気と違い、山伏相応の威厳と風格が漂っていた。話によると、退魔士協会の一番偉い人だそうだ。一緒にいる四角い眼鏡の真面目そうな神父さんと、隣に立つ小柄なおばあちゃん尼さんは補佐だと言っていた。
「マスコミが大騒ぎする前に、当事者の字見くんにだけは事実を伝えておきたかったんだ。すこし長くなるが、いいかな」
彰人はもちろん了承した。どうしてあんなことになったのかわかるなんて、願ってもいないことだ。
事の始まりは、角を含める若い退魔士たちの小競り合いだったそうだ。
誰しも常人にはない力を持てば、未熟者ほど自慢したがる。自分の能力、封印してきた妖怪を連ね、最後には誰が根源の封印を解けるかという話になった。力が及ばないことを知っているからこそ、危険な遊びに勢いがつく。順は巡り、角の番で封印陣にヒビが入った。ありえないことだった。
ちいさなほころびは見る見る亀裂となり、未熟者の集団は悲鳴を上げながら四方へ逃げた。取り残された角も動揺し、中央に設置されている根源入りの壺を抱えて逃げだして、身を寄せている鋼事務所に駆け込んだというわけだ。
所長である鋼は叱咤もそこそこ、再封印が先だと判断し、できる限りの封印を施す。しかし一都市を廃墟にした根源を相手に、最大限の術をもってしても仮封印さえできなかった。
そこに彰人が飛び込み、白銀の剣でもって根源を抑えたのだ。それも一時しのぎにすぎなかったが。
「鋼さん。ハギのアレって、やっぱり憑かれたんですよね」
「そ。真っ黒になってな」
「それから僕も、なんですよね」
「アッキーは真っ白になってた」
言葉を失う退魔士たちの間から、どこから現れたのか、白銀に輝くカリヌ族の青年が駆け出した。彼はためらうことなく、倒れたさぎりの胸元に剣を突き立てる。そのとたんに真っ黒な身体は弾み、暴れ、剣を掻きむしった。しかし刃先はさらに深く根源を床に縫い止める。剣を柄まで沈めると青年はなにかを唱え、根源はとうとう力尽きた。
黒い身体は気を失ったさぎりに戻り、その上に憑依の解けた彰人が崩れ落ちた。気付いた時には、根源の気配は消えていたという。
尼のおばあちゃんがおおきく息を吐いた。
「話を聞いたときはぞっとしました。九月九日がふたたび起こっていたかもしれないんですから。知らない人も多くなりましたけど、朝日川は壊滅したといわれたんですよ。何年もかかって、今や島の中枢とまでなりましたけど。あの状況から回避できたと聞いて、私はどんなにうれしかったでしょう。島のみんなの代表として言わせてちょうだい。ありがとう」
彰人は頭をかいた。
「まだ高校生なのよね。これからも大変でしょう。いい、神剣とか妖怪で困ったことがあったら、すぐ言いなさいね。ここのおじさんが助けてくれるから。島の大将ですもん。ねえ巌龍くん」
「そ、そのつもりだが」
「ほらね。あ、でも実はね。もうひとつ大事なお話があって来たの。私が言ってもいいんだけどね、どうしてもおじさんから直々に話したいんですって。はいどうぞ」
話をふられた巌龍山伏が真っ赤になり、その背を海照神父がこづく。
「どうした、おっさん。アッキーに告白か」
「違うわ、あほう!! いやその、突然こんなことを頼まれても言われたほうは困ると思うが、しかしだな」
「もう。ほら、はっきりおっしゃいな。北海島退魔士協会会長代理さんでしょ」
「わ、わかっとるわっ」
山伏は意を決した。
「字見くんっ。プ、プ、プリンをつつ、作ってもらえないだろうかっ」
そんなわけで。
北海島退魔士協会会長代理たっての願いを叶えるべく、彰人の指示のもと、協会本部はプリンのもとや型を揃えた。翌日から取りかかり、昼過ぎには完成したプリンを箱に入れて膝に抱え、車いすでエレベーターに乗っていた。
車いすを押す鋼と、厳龍代理の海照神父が同行するとは聞いていたが、ほかにも同行者がいることに気が引けた。偉そうな太った背広、痩せた白衣、神経質そうな作務衣、紫の布をかぶった人の四人。本部の関係者だと紹介してくれたが、それぞれの視線やため息から、好きで同行していないことはわかった。じゃあ来なければいいのに。
年代物のエレベーターはゆっくり下降していく。狭い空間のなかで、はじめに不満を口に出したのは背広だった。
「やれやれ。なにもこんなに忙しいときに、こんなことにつきあわせるとは。ここの会長代理にも困ったもんだな。ふん」
まあまあ、という白衣を無視して、背広は鋼をちらりと見た。
「鋼、こわい顔をして、なにが言いたいんだ。ふん。言えないよな。ふん。あれだけ問題を起こしておいて、よくわしの前に顔を見せたもんだ。封印もろくにできない無能が。ふん。無能らしく便所掃除でもしていたらどうだ」
言われたほうも負けてはいない。
「長官こそ、こんなことにつきあうなんて、ずいぶん暇なんですね。本土では無能だからですかね」
「ふん。田舎者には暇に見えるもんだ。いいか。わしは大和国の代表として視察に来てるんだ。妖怪も大和国の資源であり宝だ。動きがあればこうして視察に行って報告せねばならんのだ。ふん。それより鋼。聞いたぞ。おまえ、『封印の間』に入ったことがあるそうじゃないか」
「ありますよ。大物を扱う退魔士なら、みんな入るもんですし」
「入ったことあるんですか」
驚く彰人に、鋼は笑顔を見せる。
「大物は妖力も強いから、憑かれたほうも変化する可能性が高いんだ。目とか髪とか。だからいろいろ遮断される場所で丸一日様子を見て、外に出ても危険がないか確認するってわけ。アッキーも最初にそこに寝かされたんだぞ。わからなかっただろ」
まったく。
「監視つきだけど飯もうまいし、テレビもゲームもあって、俺には楽しいカンヅメ状態だけど、あいつのような自由人にはきついんだろう。はやく持ってってやろう」
「ですね」
その自由人がプリンを心待ちにしている人物、さぎりだ。
彰人と違って、半日で意識を取り戻したらしいが、食欲がないらしい。生クリームを前にしても手も動かさず「アキトのプリンがほしい」と繰り返す。話を聞いた彰人が依頼を即受けたのは言うまでもない。スイーツ断ちさえやったこともない幼なじみが、どれだけの極限状態か。そこまで俺のプリンがいいのか、とあきれつつ泣きそうになったのは内緒だ。
「『封印の間』に着いたら、そのまま住んだらどうだ、鋼」
作務衣がにらみつけた。にらまれたほうは生返事で返す。
「お主が魔を呼び寄せる性質があるのは皆知っている。わたしの弟子にもいるからな。弟子は妖怪を遠ざけるように生活し、貯金を貯めたら島を出ると言っていた。島は好きだが妖怪を寄せては迷惑がかかるから、と。ほかの者はそうやって、周りに気を遣って息を潜めているのだ。その点、お主はどうだ。やりたい放題やって、引き寄せるだけ引き寄せて、とうとう根源まで引き寄せた。今回は収束したが、次はどうなる。鋼、もういい加減に腹を括って『封印の間』に入れ」
賛同の声が上がるのを、海照神父が止めた。
「おやめください。今回の件については、若い退魔士の術で解けたほど陣が脆弱化していたこと、同時に、それらを全員が見落としていたことが問題ではないですか」
誰もが気まずそうに目をそむける。
「封印を強化すべきは根源であって、一退魔士ではありません。これは会長補佐が決定したことです。よろしいですか」
異議は出なかった。いつもヘラヘラ笑っている人が、一方的に言われて反論もしないことが、なぜか彰人は胸が重くなった。そこを後ろから髪をぐしゃぐしゃにされた。気にするなよ、と言われるように。
エレベーターを降りてしばらく進んだころ、通路の空気がひやりとした。長官が太い身体を震わせる。
「ふん、以前より寒いな。封印強化しているのかな、佐藤くん」
白衣がにゅるりと顔を出した。
「はい、お気づきになりましたか、長官。はい、そうです。常に最新かつ最強の封印陣を重ねてかけております、はい」
「報告書によると、月に一度は新しいものを施しているらしいな」
「は。いえ、月に一度はさすがに無理という状況です、はい。山奥ですから足場も必要となり、素材など量も必要ですからにして準備にも時間がかかりましてですね、はい」
「なんだなんだ、だいじょうぶかね。そういうことをしているから、今回のようなことが起きたんじゃないのかね。どうなんだね、佐藤局長」
動揺を見せる佐藤局長の代わりに、海照が引き継いだ。
「だいじょうぶです。ここの陣内すべてに二十四時間体勢で監視がついております」
海照が冷たく答える。
「むしろ定期的に行うほうが危険です。不定期に陣を張ることで、計画的犯行を回避することができますから。ご存じとは思いますが、北海島の妖怪は島の外では生存できません。しかしそれでも妖怪は人気が高いようで、死骸を島の外へ持ち出そうとする輩が減りません。困ったものです」
「ふん、コソドロはどこにでもいるもんだな」
「これから向かう『封印の間』には解錠するための術が必要となります。パターンが決まっておりますから、それ以外のパターンの術を使う者がいたら、呪術センサーが反応しますね。納得いただけましたか」
長官は海照に応えない。お前は嫌いだ、と全身で訴えている。
「呪術専用のセンサーか。ふん、意外とハイテクじゃないか、局長。設置資金はどうしたんだ。報告書には書いてなかったよな」
「はいはいはい。まあその、ハイテクといっても、機械ではなく妖怪を使用しております、はい。壁面の補修時についでに、ということで別途資金は一切かかっておりません、はい」
「ふん、うまいことやってるじゃないか。その妖怪はどこに仕掛けてあるんだね。見てみたいもんだ」
「ここの壁すべてです、はい。壁の内側ですので、見ることはできませんが。人間には無害ですが、呪術に敏感な妖怪を棲まわせてですね、はい。ここで術を使おうものなら彼らが黙っておりません、はい」
「ほほう。さすがは本部だな。どこまでも妖怪も使い、ようかい」
間をおいて、はははと乾いた笑いが広がる。
「ふん。じゃあ質問だ。術を使わない者に潜入された時はどうするんだね。壁を壊して入るヤツもいるかもしれんぞ」
「んふ。もちろん無事では済みませんわよ、長官。それこそ私たちの本分というもの。ほんとうの呪術を味わってもらいますわ。んふふ」
布から聞こえた野太い声に、つい彰人は布を二度見した。頭からかぶっている布の下にはオネエがいるのか。不自然なほど身体をくねらせていることも腑に落ちた。
「ふ、ふん。呪い殺すというわけか」
「あはん。惜しいですわあ、長官。呪術で人は殺すことはできませんの。死んだほうがマシだと思わせる、だ、け」
彰人は悪寒が走った。ねっとりした口調が話に絶妙に合っている。
「寝ても醒めても白装束の女が足をつかんでいる幻視とか。女の執念ほどおそろしいものは無くてよ。どうぞお気をつけくださいませ。んふふふふふ」
こわい。
「でも、んふふ。長官もなかなかの呪術の使い手だとお聞きしましたわよ。冊幌で大活躍されたと噂が」
わっと場が色めき立った。
「ああ、あれか。ふん、視察の時の話か。なに、たいしたことはしておらん」
「長官、はいはい、私も聞きました、はい。冊幌のテレビ塔に棲みついた紅大蛇。それを長官が撃退したと聞いて、我々一同たいへん驚きました、はい。長官は我々の活動にご理解がおありになるだけでなく、霊力もあるご様子で。さすが北海島対策本部局長官」
「ふん、そう思われてもしかたないかな。あれは護符のおかげで命拾いをしただけだ。知り合いの大僧正から直々に授かった護符でね」
彰人が、目に余るごますりや、あふれ出る傲慢さにうんざりしていると、背中を三度つつかれた。合図だ。すぐに痛そうに身を屈めた。
「いたたたた」
「どうした、アッキー。痛いのか」
海照も身を乗り出す。
「鋼、止まれ。ああ、字見くん、だいじょうぶかい。もうすこしで着くけど、無理しないほうがいい」
「ちょっと休めばだいじょうぶだと、いったたたた」
「顔色も良くない。痛みが引くまで待つか。皆さん、すみません。字見くんをすこし休ませてから行きます。佐藤局長、長官の案内をよろしくお願いします。すぐ追いかけますから」
「はいはい、そのほうがよさそうですね。わかりました。こちらです、長官」
彼らはあっさりと先に行き、気配がなくなった頃に彰人は顔をあげる。三人でにんまり笑った。
「字見くん、うまいな。ひょっとしてほんとうに痛かったとか」
「痛くはないですよ。立ちくらみみたいな、ぼんやりしてる感じはありますけど」
「昨日起きたばっかだもんな。起きて、喋って、プリン作って」
「私も寝かせておきたいんだがね。病室にいても危険なら、同行していたほうがいい」
「そう思います」
数時間前。鋼に続いて給湯室の彰人を呼びにきた海照が、小声で警告したのだ。
「時間がない、率直に言うから二人ともよく聞いてくれ。字見くん。君の命が狙われている可能性が非常に高い。式神はつけているが、すこしでも危険だと思ったら逃げるんだ。いいね。半バカ。おまえのかわいい姪っ子が一番危険が迫っている。いざとなったら構わず好きに動け。ただし設備は破壊するな。修繕費は一円単位まで請求するからな。いいな」
「は」「え」
突然の話に状況が飲み込めないふたりを見て、「あ、そうか」と神父があわててメモに書き「しゃべるなよ」とそれを見せる。
一連の件は根源と神剣が目的と断定。極秘。
「どういうことだよ」と口パク。
「角ひとりで五重陣を解けるか。はじめから陣はほとんどやられてたんだよ。あとは誰かがつつけば崩壊するくらいにな」口パク。
「なっ」
つい声をあげた鋼の口を、海照が手で覆う。
根源の文字をつついた。
「狙いはコレだ。しかし、同時にこっちが邪魔となる。また封印されたら困るからな。邪魔するものは消すもんだ。実際に病室の式神がいくつかやられたようだ」
彰人は血の気が引いた。カルネモソミが来たとき、妖怪の軍団に襲われたことを思い出した。そういうことか。
しかし疑問もある。彰人は手を挙げた。
「狙いがそれなら、じゃあ拉致されるかもってことですよね」
「いや、こっちだろうな。拉致は手間がかかるから」
鋼の首を落とす仕草に、彰人は身をこわばらせた。
「え、でも。憑依した人間を殺したら、憑いてるものは手に入らないじゃないですか」
「いや」
海照が続ける。
「憑依者が死ねば、自然と憑依していたものが離れるだろう。そこを封印して、奪い取るんだ。今じゃ考えられないだろうけど、昔、朝日川でそういう事件が続いて起きたんだよね。連続妖怪強奪殺人事件、若い子は知らないか」
「聞いたことあったような」
「だろうな。そういうわけで、身の危険が迫っていることは理解してほしい」
神父はプリンをつついた。
「で、本部長と相談した結果、先手を打つことにした。目標が揃うなんて状況は滅多にないだろう。ここまで絶好の機会に、犯人か共犯者は動くはずだ。そこを捕まえることにする」
「できるのかよ」
「するんだよ、バカ。病室の位置を知ってる人間はごく一部だ。そいつらにデリバリー同行に声をかけたら、何人か引っかかった。このクソ忙しい状況でだぞ。興味があるか、別の目的のためとしか思えないね。そこで、字見くんにはちょっとした芝居をしてほしい」
「わかりました」
緊張した雰囲気のなか、カルネモソミは余裕の笑みを浮かべている。犯人から逃げるんじゃなくバッサリ斬るつもりだろう。また振り回されるのかと思うと、彰人はひそかにためいきをついたのだった。
退魔士ふたりはそれぞれ武装した。武装といっても式神とか護符、あと装具をいくつか。彰人もカルネモソミにふれた。プリンは後ろに回し、落ちないようにする。
「よし、ゆっくり行くぞ」
海照が言い終わらないうちに壁が一斉にビャアビャアと鳴いた。鳥とも猿ともいえない獣の声が廊下中に響きわたる。これが呪術センサーだろう。海照は彰人の前、鋼は後ろに立った。彰人は左腕に手をかける。
「海ちゃん。自爆すんなよ。ばらしてどうすんの」
「ヘマならそっちだろ、バカ」
「じゃあ誰だよ」
「おい、おおい」
廊下の先から、長官がよろよろと姿を見せた。血しぶきを浴び、抑えている手元からも血が滴り落ちている。
「長官っ」
「どうしたっ」
駆け寄るふたりを前に、長官が膝をついた。
彰人も近寄ろうかと思ったが、できなかった。背中が総毛立ち、そこへ行ってはいけないと、本能が警告しているようだった。
「た、たすけてくれ、あいつが、いきなり」
うずくまる長官の口が歪んだ。
来る。
彰人は剣を抜いた。白銀の刃がひかる。
「どけっ」
長官がうなると同時に、鋼が横に突き飛ばされた。ナイフの赤い刃が空を斬り、海照の腕をかすめる。姿勢を崩したふたりの間から、長官が躍り出た。目の色をぎらつかせて。
「ああああれはわたしのものなんだあああ!!」
ビャアビャア
ビャアビャア
廊下に響く鳴き声のなか、長官のナイフが彰人の懐を、カルネモソミが長官の眉間に刃先を定めた、その時。
「あーきひと」
こどもの声に、すべてが静止した。
カルネモソミを構える彰人も、ナイフを突き出した長官も、止めるために追うふたりも、鳴きわめいていた妖怪たちも、声を聞いたものすべてが動きを止めた。
刃と刃の間に、ひとつの存在が降り立っていた。
襟元から伸びる細い首、袖口から覗くちいさな手、豆のような足先をもつカリヌ族のこどもが、あどけない仕草で彰人を見た。白色に点が2つという単純な面が異様だった。
はじめて見たのに、彰人はこどもの正体がわかった。
静かで、冷たくて、恐ろしく、常に在るもの。
死。または闇。
カルネモソミが目を伏せて名を呼んだ。
レンカランクル。
「きて」
こどものかたちをした死神は、刃をすり抜けて彰人の手首をつかんだ。つかまれたほうは抗う間もなかった。
ビャアビャア
ビャアビャア
こどもが姿を消すと、通路にふたたび警報音が戻ってきた。長官はその場で崩れ、海照が拘束した。鋼は「行ってくる」と言い残して駆けていく。
「あああ、あ、あれは。あれは、なんだ。なんなんだ」
「根源だよ」
視線の先には、誰も座っていない車いすがあった。プリンもない。
「き、き、消えた、消えたっ」
「こっちも神かくしを生で見たのは初めてだ」
「か、神っかくしっ」
「命拾いしたな、あんた。あの子をちょっとでも刺しててみろ。根源の怒りにふれて、目玉が飛び出したり首がねじり切られてただろう」
恐怖に絶叫する長官を後目に、海照は非常電話に手を伸ばした。電話の向こうもあわただしく、『封印の間』でも鋼さぎりが神かくしに遭ったことを聞かされたのだった。