【りくわか】Revenger
キャラクター
りく … 泥棒稼業。悪い奴へ仕返しするための証拠や盗まれたものを獲り返したりする。スリル大好き。
わかば … 上司に理不尽に仕事押し付けられていた平社員。
侵入者
ビルの屋上のヘリに立ち、りくは下から吹き上げてくる風を両手を広げて感じた。
「…やーっぱいいなぁ。毎回これくらいおもしれー所だといいんだけど」
りくは、柵につけたワイヤーが外れないかをもう一度確認し、いったん一番奥まで移動した。
大きく息を吸い、頬を気合を入れるように叩き、りくは勢いよく駆け出した。
軽やかに柵を飛び越え、風切り音と落下の何とも言えない皮膚を伝わるぞわぞわする感覚にりくは歓声をあげて落下のスリルを味わった。
事前に目印にしていた場所を確認し、りくはワイヤーのブレーキをかけてするすると降り始めた。
ターゲットの部屋は窓の外から見ても真っ暗で人の気配は無い。
そっと、ガラスに振動を与えないように、窓に特殊なカッターがついた、ハンドルのようなものをつけて入り口を作る。
「よ…っと」
カッターで切り出した窓ガラスを、吸盤付きのハンドルでそっと押すと、ガラスはするりと外れた。部屋の中に外気が入り音を立てた。
りくはするりと中に入り、ワイヤーを回収した。窓に再度ガラスをはめ込み、とりあえず風が入り込むのを抑える。
「…さてと…。お目当てのものは…」
手をこすり合わせながら、りくはざっと部屋を見回す。
部屋は管理社員向けの個室で、最近よくある中途半端なガラス張りのパーテーションではない、きちんとした壁で覆われた個室だった。
作業がやりやすくて助かる。
りくは事前に調べた仲間の情報をもとに、片付けられた本棚に向かう。
本棚の一か所には金庫が据え付けられており、暗証番号を入力する一般的なタイプだった。
「これなら、俺でもなんとかできるな。幸先良いぜ」
りくはコートの中から手のひらサイズで、若干スマホよりも厚みのある端末を慣れた手つきで金庫につけた。
少し経つと、小さな電子音が鳴り、金庫のロックが外れた音がした。
りくは、慎重に金庫を開けて中にある書類に目を通した。
「おっと、あったあった」
書類の間にあったのは、依頼してきた人物が奪われたと言っていた書類だった。
書類を撮った写真と比較しながらパラパラと中を見ると、本人から見せてもらったものとほぼ同じながら、同業他社のロゴマークがついていた部分が差し替えられており、まるでこの会社で作成したように修正がされていた。
「これは回収して…と」
りくは服の中に書類をぐっと適当に押し込み、書類を金庫の中に戻す。
「…あとはPCの中か。これは俺あんまり得意じゃないんだよな…」
りくは少し考え、ラップトップの電源を入れようとラップトップを開いた。
PCの起動タイミングで仕事がばれる可能性はあるが、盗まれた資料だけでは証拠が足りない。
ここはイチかバチか賭けてみるべきだろう。
パスワード入力画面が出てきて、りくは思わずため息をついた。
-電源切っていないのかよ。
しかしパスワードは適当に打つのもロックがかかってしまい面倒になる。
りくは少し考え、試しに机の引き出しを漁ってみた。するといくつかのIDやパスワードと思しきものがメモされたポストイットが出てきた。
-セキュリティ対策が聞いてあきれるな。楽でいいけど。
PCに貼られたセキュリティの標語を横目に、りくは一番上に書かれたIDを試しに打ち込んだ。
デスクトップ画面が開き、スタートアップ設定で設定しているのかメーラーもパスワード入力なしで自動的に起動してきた。
見るとは無しに眺めていたりくは思わずにっと笑みを浮かべる。
一見すると取引のある会社の一つに見えるが、開いたメールの送信者は、依頼者が言っていたマフィアの構成員の名前だった。
このやりとりさえ分かればこちらのものだ。
りくはとりあえずこの人物とのやりとりのメールを持っていたメモリに放り込んだ。
毎回これくらい楽に盗めるのならいいのだが。
りくはPCのふたを閉じ、元の状態に戻した。
あとは外に出るだけだが、今いる部屋の窓は大通りに面しているため下に降りるのは少し危険だ。
「おい、盗まれた資料と、マフィアとやり取りしたメール、見つけたぞ」
『了解。それだけあればあとはこちらで何とかする。すぐ撤収してくれ。監視カメラのシステムはハッキングしているから、録画した画面しか流れていないはずだ。』
「了解」
『警備員は3つ上のフロアを巡回している時間だ。手筈通りなら遭遇することはないはずだ』
「了解了解」
りくは耳元の通信機に呟いた。
フード越しに頭を掻いて、りくはそっとドアに手をかけ外の様子を伺った。
人のいる気配はない。
りくは個室から出て、広いオフィスのフロアを突っ切ってドアを開けた。
「…ん?」
りくは物音がしたような気がして、とっさにエレベーターホールの陰に身をひそめた。
ライトが一瞬りくが先ほど出てきたドアを照らし、すぐに廊下の足元に光が落ちた。
―――おいおい、聞いてないぞこれは。
りくは忍び足で反対側のフロアの廊下に移動し、きょろきょろとあたりを見渡した。
柱の陰に身を隠すと、ビル警備では持つことのないはずの自動小銃と思しき物々しい武器を手にした警備員の制服を着た男が、ライトを照らして通路を眺めて、作業用エレベーターのある場所へ歩いて行った。
作業用エレベーターで降りるつもりだったが、これでは使えない。
りくはあきらめて、警備員の向かった反対側の非常階段に向かった。
「…おい、警備員は居ないんじゃないのか?」
階段の踊り場に滑り込み、上と下の様子を探りながらりくはレシーバーに囁いた。
『…警備の…シフト…違う…こうせ…』
がさがさとノイズが混じり、声がよく届かずりくは舌打ちした。
「…これ、降りるしかないか」
げんなりとしながらりくは下へ続く階段を見下ろした。
最悪よりも
「はあ…」
わかばは大きく伸びをしてPCの電源を切った。
目がかすんで、何度か目をぱちぱちと瞬きする。
立ち上がってスーツの上着にそでを通し、カバンを手に取ってフロアのドアに手をかける。
「誰もいませんか」
自分しかいないはずだが念のため確認し、わかばは最終退出者の名前欄に名前を書いて部屋を出る。
―疲れた。
珍しく定時で上がろうとしていたわかばに、上司が不機嫌に作業を言いつけたのは、すでに今回でいや、よそう。
空しくなるだけだとわかばは首を振る。
何でいつも定時前なんだろう…。
たいていがどれも急いで修正する必要のないものというのも明らかに理不尽である。
―転職しようかな
正面のエントランスは20時を過ぎると通れなくなるため、作業用エレベーターで降りる必要がある。
ふらつく頭で作業用エレベーターの前に立って、ぼんやりとエレベーターの到着を待つ。
ぽん、と音がしてエレベーターの扉が開いた。
「あ、お疲れ様です」
「…」
中から出てきた警備員は、不機嫌そうにわかばを睨んだ。
残業で顔なじみになっているからこのビルの警備員は大体知っているはずだが、わかばは新しく配属された人だろうか、と首を傾げた。
そもそも、いつも会う警備員はバインダーを手にもってたりすることが多いが、銃を構えたままというのはなぜだろう。
「…IDカードは?」
「…え、へ?あ、ああはい」
どうぞ、と首から下げていたカードを見せると、警備員はカードをわかばにぞんざいに返して歩き去った。
わかばははあっと息をついて、閉まりかけていたエレベーターに慌てて乗り込んだ。
ボタンを押してドアが閉まりかけた瞬間、ごん、と音がして突然エレベーターの電気が消え、わかばは思わず声を上げた。
ドアが細く開き、何かがするりと入ってきた。
「うるせえ、ちょっと黙ってろ」
ぼそぼそと声が耳元でして、わかばの背中に何か固いものが押し付けられた。
電気が付き、エレベーターが閉まって動き出した。
わかばは、エレベーターのステンレスの枠にかろうじて映る自分の背後を正面を向いたまま見た。
自分よりも少し小柄な黒フードが頭の後ろに見える。
「…ど、どちら様…でしょうか」
当然、返事はない。
ぽん、と音が鳴ってエレベーターの扉が開いた。
「歩け」
「は、はい…」
地下の駐車場を進みながら、わかばはだらだらと冷や汗を流す。
「…お前の車は」
「…えっと、もう少し行った先に」
ぽん、と別のエレベーターが到着した音がして、背後にいた人物は舌打ちをした。
「行くぞ」
腕をぐっと引き寄せられ、わかばは、前に倒れそうになりながら走った。
車のキーをポケットから出して、ボタンでロックを解除する。
「急げ。穴だらけにされる前に逃げるぞ」
「は、ええ?」
運転席に押し込められ、わかばはエンジンをかける。後部座席に滑り込んだ何者かはシートの下に潜り込んだ。
残業でふらふらになったわかばの頭はなんだか映画かドラマみたいだなーとどこか他人事のように考えながら、車を出した。
駐車場の出入り口には、顔なじみの警備員が座っていた。
「おー、今日も遅いね。お疲れ様。」
駐車許可のシートを警備員に返し、わかばも声をかける。
「…お疲れ様です。今日は巡回じゃないんですね」
「ああ、臨時で巡回をしてくれるメンバーが来てくれるとかで、俺たちは外警備と控えなんだそうだ。よくわからんが…」
若干腑に落ちない表情で警備のおじさんは肩をすくめる。
「…まあ、俺たちは雇った側の依頼通りにするのが仕事だからな」
老警備員の言葉に言葉を返し、わかばは軽く手を振って駐車場から出た。
三十分程度のち、わかばはアパートの横の駐車場に車を止めた。
「…あの」
「着いたか」
がばりとシートの下にもぐっていたりくが顔を出し、窓から顔を出して様子を伺い、ドアを開けた。
「…ど、どちら様?」
「…りく。」
りくは運転席から降りたわかばにいつの間にかスッた財布とIDカードを放り投げた。
「あ、え?僕のIDと財布…」
「どんくせぇな、お前」
呆れた表情でりくはわかばを見やった。そして、いたずらをした子供のような顔で、わかばの背中に押し付けていた銃、ではなくキーチェーンタイプのペンライトをちゃらちゃらと振った。
「え、ええ?」
「銃なんて、あんなガサツなもの使うわけねーだろ。」
可笑しそうににやりと笑うりくに、わかばは納得いかない表情のまま、ふらふらと駐車場を出てアパートの中に入り、一階の廊下の一番奥の自分の部屋の扉の鍵を開けた。
中に入ろうとするわかばの襟元を後ろからつかみ、りくは壁に張り付いたままドアを開ける。
「何してるんですか」
「中で待ち伏せされてるかもしれないだろうから、念のため」
特に何事もないことを確認して、りくはわかばをぽんと部屋の中へ押し込んだ。
「あの、何なんですか。なんであの時間に会社に」
「そりゃ、こっちのセリフ。まあ、おかげで逃げ切れたわけだけど」
りくはすたすたと部屋の中に入り、キッチンと思しき場所に向かった。
「逃げるって…あなた一体」
「ほらよ」
冷蔵庫の中から出したコーラをわかばに渡して、りくは勝手にもう一本の瓶のふたを開けてぐいっとあおった。
「はぁ、生き返る。ったく、だらだら階段降りる羽目になるわ、ダクトの中通る羽目になるは散々だったぜ」
りくはリビングのソファに思い切りよく座り、体をだらりと沈ませた。
「あー足ががくがくする…。おい、もじゃもじゃ、ちょっとここ」
ここ、と自分のふくらはぎを指さしりくはこっち来いと手招きする。
「…なんです?」
「何って、マッサージ。ほら」
足を投げ出しりくはバタバタとさせる。
わかばはなんで…、とうめきながらりくの足元にしゃがんで、若干ぞんざいにふくらはぎを揉んだ。意図していたわけではないがイライラはたまっていたようだ。
「お、い、いてててっ。」
りくはばたばたとソファに手をたたいて身悶えし、がしっとわかばの肩をつかんだ。
「お前結構いい筋してんじゃねーか」
「いいんですか!?」
わかばは思わず顔をひきつらせた。
「強めじゃねーとなー。こういうのは。はあ、満足」
りくは体を反らせるように伸ばして、わかばに座れよ、とソファを叩いて促した。
「はあ…」
わかばは促されるまま、ソファに腰を下ろす。
「さてと、まあ礼替わりじゃねえが、代わりに一個教えてやるよ」
「何をです?」
「明日以降お前の会社すごい事になるぜ。潰れるかもな」
「…えええ!?」
開けていたコーラのふたを飛ばして、わかばは声を上げ、慌てて口を押えた。
すでに翌日になっている時間に騒いだなんて苦情を言われたくはない。
「な、何でそんな…」
「もっとも、俺がこいつを依頼人に届けたらの話だが」
りくは服の中からくしゃくしゃになった書類を引っ張り出してひらひらと振った。
「それは…」
わかばはりくから書類を受け取り、ぱらぱらとめくった。
「…変ですね。うちの開発部門ではこんな開発計画はなかったはずなのに。このレベルのものだとかなりの基礎研究や調査が必要なはず…」
わかばは考え込むように書類をめくり、徐々に表情を暗くしていった。
「…そいつは元々お前さんの会社とは同業の別の会社の社員が作ったもんだ。ほら」
りくはオリジナルの書類の写真をわかばに渡した。
見覚えのあるロゴマークがすべて書き換わっている点を除いて、使われているグラフや図はそのままという写真を見て、わかばは思わず目頭を押さえた。
「一体なんで…」
「さーてな。お前のところにいるどっかの馬鹿が、お友達を使って奪い取ったみたいだな。依頼人は三か月ほど生死の境さ迷ってたせいで、かなりの損失被ったそうだ。馬鹿なやつで、お友達と会社のメーラーでやり取りしてたが」
りくは手の中でUSBメモリを転がし、首を振った。
「…訴訟でもするんですか?」
「俺は品を渡すまでが仕事だ。これをどう使ってどう仕返しをするか、は別のやつの仕事だ」
わかばは、苦しそうな表情を浮かべて首を振った。
「…それを僕にお話ししたということは、何か有るということですね」
りくは両手をこすり合わせて、にやっと頷いた。
「察しがいいじゃねえか。まあ、本当は一般人を巻き込むべきではないんだけど…。今日フロアにいたのは警備員のふりしてたけど、全部マフィアの構成員だったみたいでな。偶々か、忍び込む日がバレていたのか…。お前が残っていた事と、明日の朝、俺が忍び込んだって事実が明るみになってから、あいつ等お前を内通者と判断するだろうよ。だから、まあ命が惜しけりゃ俺に協力するしかないってことだな」
「…そういうことですか」
わかばふうっとソファに身を預けた。
「…どちらにしろ、人が身を粉にしてやった研究や成果を奪うようなことは…。まあ、あまりできる事って言っても無いと思いますが…」
「そうだな、まあ、でも運転士くらいできるだろ」
「そりゃまあ…。それくらいなら」
「よし、決まりだな。まあ成功すりゃ報酬のちょびっとくらいはわけてやるよ」
「失業保険の足しになるくらいだといいですねー…」
わかばは力なく笑って答える。
りくはひらひらと手を振って立ち上がった。フードのついたコートを脱いで、あちこちパタパタとはたく。
「…はー…。すげー埃…」
「洗濯機使っていいですよ。乾燥までやっておけば明日の朝には乾いていると思います」
「んじゃーついでにシャワー浴びよ。」
「ああ、どうぞ。部屋出て玄関側にある扉のところです」
りくは部屋から出ていき、わかばは諸々の出来事に頭が追い付かなくなったのか、ぱたりと強い睡魔に襲われてそのまま意識を失うように眠りについた。
翌日
目が覚めたわかばは目を開けるのが億劫で、もう少しだけとうつらうつらと目を閉じたまま寝転がっていた。
しかしなぜか鼻をくすぐる美味しそうな匂いがしてきて、思わず目を開け起き上がった。
「あ、いたたた…」
おかしな体勢で寝ていたせいか体が軋んで、思わず呻く。
もっとも少し前は会社の床で寝ていたのでそこから比べてしまうと割とましではあったが。
―そんなものと比べたくないなー。
わかばは目をこすって台所にはいり、あれ?と首を傾げた。
台所に見ず知らずの女の人が立って、フライパンで目玉焼きを焼いている。
ついに幻覚を見始めたかと一瞬考えたが、
「なんだよ、妙な顔して」
振り返ったりくは、ぽかんとしているわかばを小突いた。
「いや、すみません。どちら様かと」
わかばは冷蔵庫の中にあるエナジードリンクを出してぐいっとあおる。
りくは料理をした形跡のない台所と、やたらにきれいに並べられているエナジードリンクの空き缶や瓶を見やって
「おまえ、いつもそんな事してんのか」
わかばは空き缶をシンクに置いて、髪をばりばりと掻いた。
「はあ、まあ。でも久しぶりによく眠ったというか…。」
「ああ、俺がちょっかい出しても全然ピクリともしなかったからな」
「へ?」
「なんでも。ほら、とっとと食え。食ったら出るぞ」
手慣れた様子のりくにわかばは慌てて席に着く。
「りくさん、ずいぶん慣れているんですね」
皿を並べて流れるように洗い物をシンクに放る動きには無駄がない。わかばは感心してつぶやいた。
「まあ、実家でよく作って妹たちの世話とかしてたからな」
「へえ、いいな。ご兄弟いるんですか」
「まあ、6人姉妹で、俺は2番目。もっとも、こんな仕事してるのは言っていないけど」
「そうなんですか…。でも、あの…どうしてこのお仕事してるんですか。危ない、ですよね」
「そりゃもう、生きるか死ぬかのスリルを味わえるんだぜ。たまんねーだろ。」
「…ちょっとよくわからないです…」
目をキラキラさせて力説するりくに、わかばは引き気味に答える。
食事を終え、わかばは急いで帰ってきてからずっと着ていたスーツから普段着に着替えて、必要なものをポケットにしまい込んだ。
「おい、準備いいか」
窓の外を眺めながら問うりくにわかばは、ふと思いついてりくに向き直った。
「すみません、りくさん。もしものために、というやつなんですけど」
わかばの言葉にりくは少し驚いた様子を見せたが頷いた。
「遅くなってすみません」
わかばは言いながら、書類を入れるための書類ケースを引っ張り出してきた。
「急ぐぞ。」
りくがドアを開けようとした瞬間、呼び鈴が鳴った。
りくはとっさに玄関の扉から離れ、壁を背にしてそっと覗き窓から外を見た。
「…りくさん、どうしました」
「あー…」
りくが答えずにいると、もう一度呼び鈴が鳴り、ドアをたたく音が響いた。
「…あけ、ますか」
「…ちょっと待て」
りくは玄関の壁に張り付いてコートの中に手を入れた。
「反対側に体を隠せ。ドアを開けると同時に俺が何とかするから車まで走れ」
「…は、はい」
わかばは若干こわばった表情で頷いた。
「すみません、今開けます」
わかばは震えそうになる声を抑えて、鍵を開け、器用に体を隠したままドアを開けた。
ドアが開いた瞬間、りくが低い体勢で前に飛び出して、手元が光った。バチバチと空気が爆ぜる音がし、中に押し入ろうとした男の体が大きくのけぞり、崩れるように後ろに倒れた。
わかばはりくに続いて外に出た。
一階の廊下を駆け抜け、アパートのドアを開けて建物の外に出ると、前に車が一台止まっていた。ちょうど、運転席側の窓が開いて、一般人とは言えない顔つきの男と目が合った。
男はわかばの顔を見て、慌てたように車のドアを開けて飛びかかってきた。
「う、うわっ」
わかばは掴もうとしてきた腕を何とか逃れ、アパートのわきにある駐車場に向かった。
急発進したタイヤ特有の高音が耳をつんざき、わかばは思わず少し前にいたりくの腕をつかんで後ろに引っ張った。
りくの鼻先に猛スピードで突進してきたもう一台の車が二人の行く手を遮った。
これでは自分の車に向かうのは無理だろう。
わかばは後ろから追いかけてくる男と前の車に一瞬目をやり、とっさにわかばは持っていた書類ケースを盾にするように構えた。
行く手を遮っていた車の助手席側の男がそれだ、と叫び、運転席側の男も慌てて車から降りてわかばに襲い掛かってきた。
りくはわかばの襟首をつかんで後ろに引き倒し、襲ってきた男の一人を持っていたスタンガンを押し当てた。
わかばは這うようにして目の前に立ちふさがる車に近づき、助手席の開いているドアに手をかけた。
運転席側から回り込んでいた男はりくに向けて銃を構えた。わかばは助手席側から車に乗り込み、手に持っていたおとり代わりの書類ケースを後ろの席に放り、ハンドルを握ってアクセルを踏んだ。
りくを狙っていた男は急発進した車にはじかれて、りくを狙った弾丸は明後日の方向に放たれた。
「乗ってください」
「やるじゃねえかもじゃもじゃ」
助手席に滑り込んでりくがドアを閉めたことを確認すると、わかばは一気にアクセルをふかして一気に反対側の車線に飛び出した。
りくが後ろを見ると、相手はもう一台の車に乗り込み追いかけようとしているようだ。
「追いかけてくるぞ」
「わかっています。とりあえず、最終的にどこに向かえばいいですか?」
「中央公園。一時間後に受け渡しする手はずだ」
「…追跡されている状態で向かうのは危険ですね」
「まあな。なんとか振り切らないと」
ガラスに何かが当たってはじける音がして、りくは後ろを振り返った。
「撃ってきたな」
「彼らの車、防弾仕様のようですね。助かった」
わかばはハンドルを切って右折し郊外へ向かうフリーウェイに乗った。
「逆方向だぞ」
「はい。一区間だけ乗ってすぐ降ります。この区間、短いんで」
わかばは走行車線を走りながら後ろをミラー越しに確認する。同じような車がかなりのスピードで車の間を縫って近づいてきていた。
「どうする、追い付かれるぞ」
「…ほかの車を巻き込みたくないんで…ちょっとりくさん、舌噛まないように、あと、シートベルトちゃんとしておいてください」
りくは思わずつけていたシートベルトの状態を確認するように押さえ、わかばに目をやった。
「おい、お前」
「静かに」
背後に追跡してきた車がぴたりとわかばたちの車に張り付き、よくテレビで見るパトカーがやっているように思い切り後ろからぶつかってきた。
衝撃で大きく車が揺れて二人は呻いた。車はどうやらかなり頑丈に改造しているようで、どうにかまだ動いてくれるようだ。
後ろの車はいったん距離をとったようだがおそらくまた同じことをしてくるだろう。
わかばはちらりとほかの車がいないかを確認し、フリーウェイの出口を確認した。そして、法律違反をすることを天国にいる両親に謝罪しながら、減速せずに突然出口車線に切り替えた。
タイヤが耳をつんざくような音を立てて車は出口にぶつかりそうになりながら進入する。
「う、うおぁっ!?」
りくは思わず声を上げた。それが歓声なのか悲鳴なのかは判断つきかねたが、りくの目はらんらんと輝いていた。
出口に向かう道は十数メートルはまっすぐ道が続くが、その後は大きくカーブしている。このままのスピードではどうやっても曲がり切れない。
即座にわかばはギアを切り替えエンジンブレーキを作動させながら、ブレーキを思い切り踏み込んだ。
百キロ近いスピードでの車の停止にかかる距離は約50メートル。二つのブレーキを使っても間に合うかは微妙だった。わかばは思い切りハンドルを切った。
タイヤが悲鳴を上げ、車は後部を道路のコンクリート壁にぶつかったままガリガリとボディを削った。
わかばはスピードメーターを横目に見ながらブレーキをかけ続けた。
どうにか車は曲がり切り、フリーウェイの出口から道路に飛び出した。わかばはギアチェンジして、再びアクセルを踏んで速度を上げ、もと来た方向の車線へハンドルを切ってその場から離れた。
わかばは後ろに追手がいないかを確認してから大きく息を吐いた。
「…大丈夫そうですね」
若干声が震えており、顔色は青いままだ。
「お、おお」
りくは茫然と前を向いたまま頷いた。
「…すみません、大丈夫、ですか」
わかばの言葉に我に返ったのか、りくはわかばをまじまじと見つめ、ずいっと詰め寄った。
「う、うわっ、ご、ごめんなさ」
「お、おま、お前!」
ばしっと肩を叩くと、りくは嬉しそうな―というよりは恍惚の表情に近い―顔でわかばを見やった。
「お前やるじゃねえか!すげースリルだったぜ。そんななりで度胸あるじゃねーか!」
「え、ええっと?」
わかばは意味が分からず目を点にした。
「…いやー…久しぶりにこれは死ぬかも、って感じ…。たまんねーなぁ。」
りくは嬉しそうに手をこすり合わせて呟いた。わかばは学生の頃に薬を吸ってハイになっていた同級生たちがふと思い浮かんだ。なぜか。
「それで、このまま目的地に行きますか?多分この車だと目立つような気もするんですが」
「…あ、ああ。そうそう。とりあえず、あとは歩きだな。この辺で乗り捨ててこうぜ」
わかりました、とわかばは頷いた。
わかばはあたりを見渡して、潰れたコンビニと思われる跡地の駐車場に車を止めた。
りくは車を降りてあたりを見渡し、問題がないことを確認して手でくいくいとわかばを呼んだ。
「待ってください」
わかばは念のためおとり用の書類ケースを後ろから引っ張り出し、車のロックをかけてから、細く開けておいた助手席側の窓から鍵を押し込んでから、急いでりくの後を追いかけた。
公園に置かれた石を切り出された丸いスツールのようなオブジェの一つに座っていたりくは、近くのカフェで買ったコーヒーをぼんやりと飲みながら空を眺めていた。彼女の横にはコーヒーを入れてきたのか、紙袋がぞんざいに置かれていた。
公園の中はジョギングする人や親子連れなどがぱらぱら歩いていて、特にりくに注意を払うものは無い。
りくの座っているオブジェの横を男が通り過ぎ、公園の植木の向こうに姿を消した。りくは立ち上がり、そばにあった紙袋が消えたことを確認し、手元のスマホを確認した。
メールの通知が入り、中を確認してやれやれと肩を回す。
「お仕事終了…っと」
りくは呟いて公園を後にした。
りくはソファに体を預けて昼のニュースを眺めていた。
向かいの席のわかばは、ハンバーグを頬張りながら、時折ニュースを眺めていた。
「…なんか、自分が昨日までいた場所がニュースになると変な感じですね」
自分の会社の突然の一斉捜査のニュースを眺めながら、わかばは感慨深げに呟いた。
「まさか、警察引っ張り出すとはなあ」
りくは不思議そうに首をかしげた。
「…珍しいんですか?」
「んー、まああまり俺が関わったのではないな。案外、警察も最初から巻き込んでたのかもしれないけど…。俺が知ることじゃないしな」
りくは首を振ってわかばの皿からポテトをつまむ。
「で、お前の方は大丈夫なのか」
「いやーさっきメール見たら、ものすごい大量に色々入ってて。」
わかばは不思議なことに晴れ晴れとした表情で答えた。
「最終的にさっき首の連絡が来ました」
「嬉しそうだな」
顔色が明らかに良くなっているわかばを、りくは可笑しそうに眺めた。
「嬉しいというか…。盗まれた人のためになったならよかったかなと」
わかばは髪をくしゃくしゃと掻きながら答えた。
「なるほど、じゃ、まあ色々巻き込んだから、ここはいったん奢ってやる」
「ありがとうございます」
かなりつまみ食いをしていた事はわかばは言わないことにして素直に礼を言った。
レストランを出て、二人は向かい合った。
「ごちそうさまでした。」
「おお、ま、がんばれよ」
りくはそれだけ言って、ひらひらと手を振り去っていった。
わかばは、りくの背中を角を曲がって見えなくなるまで見送り、ふうっと息を吐いた。
「さてと…。明日からの事、考えなきゃな」
わかばは軽い足取りで歩き出した。
再就職まで0日
諸々雑多な処理や明日からの就活のための書類を集め家にたどり着いたのはそれからだいぶ経ってからだった。
わかばは、家の鍵を開けて、ふと首を傾げた。
出るときは襲撃にあったせいでドアの鍵を閉める暇などなかったはずだが。
わかばは嫌な予感がして、ドアをそっと開けて中を覗き込んだ。
荒らされたような形跡はなく、そっと中に滑り込むと廊下を進む。
見た限り、何も問題はなさそうだ。
しかし、気のせいか、何かいい匂いがしてわかばは訝し気にリビングに入った。
「おー、おせーぞ」
りくはタンクトップとショートパンツというラフな格好でソファに寝転がって手を振った。
テーブルにはワインとピザとスナックが置かれ、すでに勝手に開けられている。
「…あ、れ?」
わかばは目をこすってりくを見つめた。
気のせいか、部屋のあちこちに買った覚えのない可愛いぬいぐるみやクッションが増やされている。
りくはリモコンを手に適当にぱちぱちとチャンネルを切り替えながらスナックを口に放り込んだ。
もはや自分の家のように寛いでいる。
「いったい…」
りくは起き上がって茫然と立っているわかばを見上げた。
「お前、結構見どころあるからな。どうせ仕事首になったんだろ。俺と一緒に仕事しようぜ」
とんでもないことを言うりくにわかばは耳を疑い
「え、ええ?」
「大丈夫大丈夫、痛いのは…まあ、時々だから」
「時々!?いや、そもそもこのぬいぐるみとかなんですか」
「買ってきた。やっぱ部屋に潤いって必要だしなー」
りくはわかばにワイングラスを渡し、わかばは理解が追い付かないまま座らされた。
「よーし、かんぱーい」
部屋にりくの陽気な声とカンとグラスの触れ合う音が響いた。